はてなキーワード: たにしとは
心底ダセエと思ったが同行者は皆すごいねーってなってたから誰にも言えないまま帰ってきた。
社会問題に批評的な目線入れたいならもうちょっと深掘りしろよ。女が女の目線でわかりやすい女叩きしましたにしかなってねえ。
そんなにインスタ映えが憎いか。お守りに救いを求める女を揶揄して分かったような気になるか。
放置子で遊ぶくらいなら子ども食堂を政府が称揚してるくだらなさを皮肉ってみろよ。
思い出したら結構あれに傷ついたんだなと思った。芸術として点数が高いからじゃない。あっっっさい侮辱を見てすっげえ悔しかった。腹が立った。「パパ活で殺された女の子」をそんな描き方するな。女が女を売り飛ばすな。これを芸術に心を動かされたと言われたら心底許せねえ。こんな程度の理解を芸術コーティングして見せびらかすんじゃねえ反吐が出る。
文章にしていて整理できてきたのだが、このコメントを書いた人の気持ちはわかる気がするし、他の人たちがスターをつける気持ちもわかる気がする。
俺は別に、こうした個々人が嫌なのではなくて、集団というか、はてなブックマークの構造自体が嫌いになったんだろう。
とは言っても、このコメントも、それを同意してスターをつけるのもトンチキだ。それについて書く。
まず、このコメントを読むと、「犯罪に加担した事務所に籍を残す」=「自分も犯罪に加担している」ことになると思うが、まず、そこが納得いかない。
一度脇にそれるが、実はこのコメント自体は「犯罪に加担した事務所に籍を残すのは、自分も犯罪に加担すること」とは明記していない。
ただ仮に、「事務所に籍は残っているけど犯罪には加担していない状態」というのがあり得るなら(俺はあり得ると思うが)、その人物と企業が契約しようが更新しようが何の問題もないはずで、なのに問題があるというのだから、やはり、「『犯罪に加担した事務所に籍を残すのは、自分も犯罪に加担すること』であり、そういう人物と契約を結ぶのも犯罪に加担すること」という主張として読むべきだろう。
話を戻す。で、それがトンチキだ、ということである。
この理屈で言えば、昨日今日、当該の事務所に入ったエンターテイナーや従業員でも、に辞める意思がなく、例えば今後何かしらのかたちで収入を得れば、犯罪に加担していることになる。犯罪の当事者である件の創始者が死んだ後に加わった者でも、である。
俺はそれは相当ヘンテコな話だと思う。籍を残すかどうか、「所属」というところに重点を置いたせいで、渦中の有名芸能人だけでなく、新人も裏方も一緒くたの扱いになってしまった。
「ヘンテコじゃない、残るという判断をするなら、どういう背景や経緯だろうが犯罪に加担しているのと同じだ」というなら、この点についてはそれまでだが。
おそらくここで、「いや、他の人は関係ないのだ。これはあくまで、経歴の長い超メジャーグループの一人に関する事柄であり、出自も特筆すべきものがある、非常に特殊なポジションの人物で、その人が残る判断をしたことが問題なのだ」という反論があると思うが、それは苦しい。
俺は別に、渦中の人物を非難する気はないが、擁護する気もない。だからはじめから、当該の人物のきわめて有力かつ特殊な経緯を云々するかたちで、その人物と契約する際の問題性を問えばよかったのだ、と思う。
ただ、はてブでのコメントは「籍を残しているから、それと契約するのは企業も犯罪に加担するのと同じ」という理屈であり、これは無理筋もいいところで、整理すると、企業が犯罪性を免れるには、当該の人物が事務所から離脱していることが要点、みたいなトンチキなことになってしまう。別に、事務所を離れていたって、過去がうす暗い人物と契約したらまずいに決まっているのに(当の芸能人に問題があるとは言っていない。念のため)。
重要なのは、事務所に残っているかどうかより、何をしてきたどういう人物か、だ。その重点を籍の有無にずらし、当該の人物の固有性を脇にのけたのはコメントの方で、それでもはてブでは多くのスターが集まったこと、これが重要だと思う。
その人物が何をしてきたかではなく、いまどこに所属しているかが要点として肥大化し、さらに、そこに所属している者に接する者まで、一緒くたにして自分たちの価値体系からはじき出すこと。
そして、その所属から離脱すれば、自分たちの価値体系の中に迎え入れてやるとあざ笑うこと。
俺は小学校や中学校の教室でそういうものを何度も見てきて、数十年経っていまここで同じものを見せられて、いい歳こいた連中のダサさが極限を突き抜けていてうんざりする。それがガキの頃の、イケてる・イケてないみたいな基準でなく、年齢相応に良識を背負っているつもりだから、なおさら本気でくだらねえと思う。
俺はこのコメントにスターを付けた人たちを気違いの集団だと思っている。
一方で、スターを付けた人たちも俺のことを気違いだと思っているだろう。犯罪に加担した人物に肩入れして犯罪の片棒を担いでいると思うんだろう。お互いに自分こそ正気だと思うしかない。
そして、俺は本当は、このコメントを書いた人の考えも、そこにスターをつけた人たちのこともわかる気がする。
何かを批判するときに、なるべくアクロバティックで、それでいて、なるべく多くのものを巻き込める理屈を、俺も常に考えている。
誰かに同意を示すとき、細かい理路なんて俺はいちいち気にしないし、大筋、自分の敵に敵対しているならこいつは味方だと思っている。
こう想像すれば、はっきり言って普段の俺と同じである。本当のところは、まったく違うことを考えて書いたりリアクションしたりみんなしていたのかもしれないが。
そういう意味で、やっぱり「所属」というのは恐ろしくって、このコメントにスターを付けた集団は、俺の目には狂人のかたまりにしか見えないが、個々人で見たら普通に良識的な人たちなんだと思う。
まあ、こんなことを書いたって気違い扱いされた側からすれば自分を気違いだと呼んだ気違いに、さらに「居丈高・傲慢」という役が乗るだけだろうし、やっぱり「群れという実態のないものに振り回されてはいけないな。一人一人を見ないとな」という教訓以前に「事務所に残ってるかどうかとか、契約で大事なの、そこじゃねえだろ」という方が大きいので、やっぱり相いれないと思う。そういうわけで、はてブを止めることにした。
“陰謀論ってのは、なんらかの有名な出来事や状況に関する説明で、根拠の有無にかかわらず「邪悪で強力な集団(組織)による陰謀が関与している」と断定したり信じたりしようとするもの、全般だろ?お前があげた事例は正当な疑義だからそもそも陰謀論ではない。”
ここまではおっしゃる通り。
で、俺が言いたいのは、正当な疑義すらも「陰謀論」だとして議論の俎上にもあげようとしない人たちが一定数いるよね、という話だ。
コロナの例でより「陰謀論めく」疑義に、ウイルス人工説がある。これも実はそれなりに科学的根拠があるが(この辺りとかhttps://note.com/hkakeya/n/nbe3e810568b5)、ほとんど無視されている。個人的には人工説には半信半疑だが、オープンに議論すべき価値があるとは思う。
”陰謀論批判を攻撃するために恣意的に事例をピックアップしてるだけだろ。“
陰謀論批判、というのが実際の陰謀論(あなた示した上記の定義での陰謀論)だけでなく、諸々一緒くたに批判(というより否定、無視)してるんじゃないか、ってことを言ってる。一緒くたにしないあなたからは、恣意的な事例のピックアップに見えるのかもしれないが、実際に「陰謀論」で片付けられて議論もされない有意義な疑義というのはあると思うよ。
理論的には可能なんだろうけどさ、その「内心の自由」ってどういうものなんだろうか。
一切表に出さず、頭の中でぐるぐると子供への性的な気持ちを自己充足的に完結させられる。そんなのってある?
たとえば妄想を絵にしたりするんだろうか。でもそうやって絵にするためには、モデルがいるよね。誤解しないでほしいけど、ロリエロイラストはロリエロ写真や動画を参考にして模写しないと描けない、なんて話じゃない。ただ、一対一で対応するようなモデルが必要なわけではないにしろ、なんらかの形で想像の拠りどころとなるような体験というか原情報は必要なんではないのか。つまり見られている人にはわからないような形で、どこかの誰か子供をエロい目で見たことがないのに、ゼロからいきなり完全な想像の産物としてのロリエロイラストを描くことが果たして可能なのだろうか。そしてそれはたまたま気づかれなかったにしても、やっていることは「内心」にとどまっていないのではないか。視姦という、犯罪ではないにしろ、もし気づかれたら対象にとって多大なストレスを与えるような、害を与える行為を実行していることになるのでは。
合法的に手に入る子供向けファッション誌とかそういうのをオカズにするのかな。あとは昔の美術に描かれた子供とか? あとなんだろう、もしかしたら子供みたいな雰囲気の人形とかを使うのかな。でもそういうものが、たとえば「ペドファイルの性欲を満たすための合法的道具」として買えるようになったとして、そういうものが流通しているという状態が存在すること自体が、「子供の身体は性的に扱っていいのだ」というメッセージを発してしまうことになるのではなかろうか。
ペドファイル・チェックみたいなものが社会的に実施されて、それに引っかかったら予防拘禁されるとか、そういう自体を引き起こしてはいかんという意味では、ペドファイルにも内心の自由はあるとは思いますよ。でもなんか、チャイルドマレスターと峻別して、LGBTQのQの中に入れて、社会的に存在を承認してあげなければならないのです、みたいな話になると、それはなんか違わない? って気持ちになる。認めることによって、子供に密やかに性的なまなざしを向けることが肯定されてしまうとなったときの子供の気持ちってどうなんだろうな、みたいな。ようは、社会的に存在は認められていないというか、政治的な権利獲得などを求めることはできないけれども、ゾーニングされた形でエロイラストみたいなものが流通して、それで無聊をかこつくらいには、ある種の「必要悪」みたいな形で存在が許される立場である……みたいなのが落としどころなんではないのかなー。
ちなみにこういう話をすると、同性愛もかつては社会的になんたら〜……みたいな反論が来るんだろうけど、同性愛って性の対象を対等な相手として想定できるでしょ? 子供は性的自己決定権を制限される、未熟な存在であるという線引で社会が回っている以上、どうしたって子供はペドファイルにとっては対等な相手には定義上なりえないわけで。そこんところが同性愛や他の成人同士ないし対等な関係の相手との関係性だけを認めるものと違うんじゃないのかなー、ペドファイルは。
そう、結局のところ、やっぱ「相手が(対象が)子供だ」ってことが、やはりなんらかの扱いの差を生むのはしょうがないんじゃないのかなぁ。なんか世の中が大々的に方針転換でもして、どんな年代の相手でも恋愛対象として見なしてよし! とでもならん限りは。
いま考えたにしてはよくできてるじゃん
2:世間一般の感覚(リンゴは食べ物である、リンゴ は甘い、リンゴは美味しい)
だったとして、おれは1〜2は語るべくもない、当然認識の揃っている所だろうと思っているので会話の最中でいちいち言及しない。
なので4から言う訳だけど、それに対する返答として、2や3の内容を返される事がある。
いや存じ上げておりますけど……
だとか
分かりましたけど、それはそれとして私はこう思いますって話をしているんです
と言うと、いいやアンタは間違ってるねと言い出す。
2/3を1と混同しているんだと思う。
どうでも良い与太話だったら、ははあ私が間違っておりましたで済むからいい。でも譲れない部分では説明するのに大変疲れる。
というか総じて1〜3を一緒くたにしている人と話すととても疲れる。
結婚することになった後輩Aがいたので祝杯を挙げようということになり、部署のLINEグループで参加者を募ったらAの人徳もあって結構な人数が集まったので一人五百円でお祝いの品を贈った。
結婚相手はまだ遠方にいるということで気兼ねなく最後の独身生活を楽しんでいたし、後輩のほしかった物は後輩の同期が把握していて、後輩本人も喜んでくれた。
数ヶ月後、次にそのひとつ上の後輩Bが結婚する運びになった時もみんな同じようなテンションだったので大人数が合う店で食事会をして一人五百円でお祝いを贈った。
こうして数回の食事会と贈り物が続いたが、ある時送られてきたCのLINEグループの結婚報告の末尾に『食事会、贈答品は不要です』との文言があった。
Cが再婚だったことや部署外に出るのが内定していたということも重なり、食事会と贈答品は無しでCを祝った。
更に同時期にBに子どもが産まれることになりAの要望で一人千円をもらい少し値の張るベビーグッズを贈ったのがいけなかった。
Cは千円を徴収され(自発的に会計係に持っていってはいるが)贈答品さえも無かったことが腑に落ちずそれを同期の他部署のDに愚痴った。
Dに伝わった段階で多少CのバイアスがかかっていたにしろDから伝え聞いた人は好印象を持たなかった。
忘年会という名のやんわりとした飲み会が行なわれたようだが自分は出席できなかったのでその空気は知らない。
これが2019年冬までの話。
コロナウイルスが発生しマンボウによってリモートワークでZOOM会議で防音段ボール、飲み会など人非人の所業となった。
Cはなんとなく変な感じのまま転職してしまったがお祝いの食事会と贈り物はなくなった。
肩の荷が下りた気がした。
父:この度アル中が発覚。
増田家は口数が少なく、帰宅するとすぐ自室にこもって趣味に没頭するタイプばかり。外の友人が少ないタイプ。
そんなだから定年を迎えて以降の父は、家で喋る相手もおらず、酒を飲むようになってしまったらしい。本人もまずいと思って病院に行ってはいるものの、元々酒好きだったこともあり、なかなかやめられない。
母が何とか支えてくれていて、病院にも付き添ってくれたりしているみたいなんだけど…増田は実家がそのようなことになっていることも知らなかった。ただ、これは父がアルコールに溺れ始めたちょうどその頃にタイミング悪くブラック企業に勤め、鬱を患っていた増田を慮っての計らいだ。責めることはできない。
近年の父は呂律が回らないこともあり、年を取ったにしても年齢に対して衰えるのが早いのでは?と増田も感じていた。アルコール…そうか…。
弟や母が傍にいてもそうなってしまうとは思ってもみなかった。今になってあの時実家に帰っていたらと思うこともある。
一方で増田自身には実家に帰る気はない。就職したら地元の狭い社会で、かつての同級生と会うだろう。(弟経由で同級生がいることは知っている)増田をいじめていた同級生と…それは無理だ。また、増田の今の職種は少し特殊で、この仕事ができる環境は地元にはない。そもそも帰りたくないからそういう職種を選んだという点はあるのだが。
自分の心身を、生活を守るためには実家に帰ることは難しい。しかし自分を育ててくれた親の体がアルコールに蝕まれているのも無視できない。支えている母も弟も精神的に辛そうだと感じる。やめてくれと言い続けていても一向にやめてくれないまま、どんどん弱る父を目の当たりにし続ける2人のことを増田の足りない言葉で語ってはいけないと思う。
どうしたらいいんだろう…増田が実家に帰っても共倒れになる人間が増えるだけだとは思うけど…いやでも…。
母と弟は既にアルコール依存症の家族の互助会に参加しており、それでもしんどそうにしている。増田に何ができる?何もできない。それがとても辛い。
あの人は最初から顔(垂れ目マツゲ)とか頬のラインとかデフォルメが大きめで、いわゆる「気持ち悪い萌え絵」だったよ
それが60代になってからあれだけ矯正できたんだからほめてやれ
多分端折ってる部分で、ある程度元増田も把握してるんだろうけど
アメリカとヨーロッパでもだいぶ違うし元増田が言ってるのはアメリカの話がメインじゃないか?そこにつまめたヨーロッパの大学図書館の話を混ぜ込むからちょっとふわふわした話になる。
基本的にはアメリカ型図書館の話を元増田はしているけど、アメリカ型図書館は職位の位階があって下級職の雑用(ページ)やクラークと、ライブラリアン(アシスタント、アソシエイト、シニア…)を名乗れる上級職とが峻別されてる。
修士が必須〜というのは上級職の話であるけど、いきなりそこに放り込むんじゃなくておおかたは下級職を(学士、修士時代に)やりながら経験を積んで〜という形になる。
この辺の感覚は『どうか、お静かに : 公立図書館ウラ話 』S.ダグラス 著, 宮澤由江 訳
https://id.ndl.go.jp/bib/023931870
でさらっと触れられてる。コレが全てでもないけど。
職位の話は、まあ一般職と総合職の区分とみてもいいと思うが、正直日本だってそんな変わらない。
強いて言えば日本の方が下級職の範囲と権限が広いというか、下級/(中級)/上級に分かれてると言ってもいいかもしれない。
大学図書館だと部門丸ごと指定管理に出すのはそうそうなくて、上級職員は大学職員が占めて経営判断や最終的な意思決定は上級が握っていてまあ概ねリカレントだのリスキリングだので修士持ってる人も結構いる。
公共図書館だと運営形態次第だけどTRCとかの指定管理があっても本館は直雇、分館ネットワークは指定管理と峻別されていて、経営判断はもうがっちり本館がにぎにぎしてるというタイプが多いんじゃないか?
奉仕業務や整備などの実務面の基準を定めるのは上級職だけど、その基準に従って実際に運営にあたる職員が中級職〜下級職と言える。
ここには学生バイトから会計年度任用職員、派遣や委託業者の社員その他諸々がぎゅうぎゅうに詰まっていてまあ半分以上は「司書になる資格」を持ってる。長く勤めれば総合職たる上級にステップアップする人もいるだろうけど、概ね一般職のベテラン職員というあたりで天井になる。会社でいうデキる事務のお局ポジション。
元増田は下級と中級を峻別して中級職員以上に修士持ちなどのもっと高度な人材を当てるべき、ゆくゆくは今の乱発されてる司書資格の上位を…みたいなことまで視野に入れているのかもしれないけど、正直実務職員が低廉価格で使い放題でないと図書館は予算パンクするだろうし、そもそも人に使うなら資料に使え。高度人材は1名でもいりゃいい。というのが日本の図書館の姿だし、そもそも修士レベルの投資をした人に対する待遇を用意できないでしょ。日本で。
正規職員として図書館にも詳しいゼネラリストとして上級職に就くならともかく、そうじゃないなら総支給年額250万円でかなり高待遇だし…
https://b.hatena.ne.jp/entry/4739965908525541928/comment/JohnnyJosui
JohnnyJosui
ハリウッド追放の原因は1980年代の未成年者に対する性的暴行。今回の裁判は、MeTooで追放されたあとに起訴された2000年代の劇場での性的暴行疑惑。一緒くたにしちゃ駄目だよ
えっだからそれはすでに昨年スペイシーが勝訴したって元増田も書いてるじゃん?
米俳優ケヴィン・スペイシー氏、セクハラ裁判で勝訴 写真8枚 国際ニュース:AFPBB News
https://www.afpbb.com/articles/-/3430158
https://www.afpbb.com/articles/-/3148678
俳優のアンソニー・ラップ(Anthony Rapp)氏(46)が、14歳だった1986年に参加したパーティーでスペイシー氏から性的なアプローチを受けたと暴露した
これが昨年スペイシー側の勝訴に終わったという話。
勝手に「1980年代の未成年者に対する性的暴行」とそれがさも事実であるかのように書いちゃダメだよ。
【追記】
何より目の前で「ママ」をしてる人がいて自分が「ママ」になれないというのも
もしかしたら子供は残酷なので何気に発した言葉にグサグサきてしまったのかもしれない
トランスは日々傷つきながら生きてるし
悪気が無いから受け入れてるけど友達の何気ない言葉で傷つくことだってある
でもそれは私が悪いだけだから嫌いもしない直してとも思わない
LGBTアライの人でさえ気付かないような所で傷つく事だらけ
でも我が子から言われたときの傷に耐えるのは…という気もするかな…
あとpecoさんを愛してはいたけど最終的な見た目から察するに憧れの対象
なりたい対象でもあったように感じられてた
女性でありたいという部分を押し殺して中性的男性として生きてきて
結果として戸籍上は離婚して血縁者のような関係でいる事を選んで
それならpecoさんも別な人と新たに恋愛できるかもしれないし
ryuchellさんは女として生きながら男性と恋愛できるかもしれないし
手術とかは一旦考えなかったのかもしれないけど
想像でしかないけどフラットに考えればこういう形があってもいいよねとは私も思う
私も性別適合手術を考えた事はあって
色んな体験談を読んで
私だったら恋人無しに孤独でこんな事に挑むのは無理だなって思ってしまった
りゅうぺこは合意の上で籍は抜いたけど