はてなキーワード: あのころとは
エヴァについて色々質問してくる娘に答える。昔流行ったアニメであること。今も作られ続けていて、今度ようやく完結すること。画面の中で動くキャラの名前と兵器のこと。あれこれと説明していく私の横で、娘は一言こう言った。
「面白い?」
私は答えられなかった。あらためて新劇場版を前にして、序を見ても、破を見ても、浮かんでくるのは「懐かしい」「キャラがかわいい」という感想だけで、「やっぱり面白いな」という感覚が私の中になかったのだ。1995年のテレビ版と2007年の序を観た時には確実に心にあったものが、今はすっかり抜け落ちていた。
一体私は、あのアニメの何を楽しんでいたのだろうか?
1995年当時、エヴァが社会的にヒットした理由は「新奇性」なのだと思っている。暗い世界観、謎に満ちたストーリー、コンプレックスを抱えたキャラクター、迫力の戦闘シーン、人間ドラマ、そして何より「空気感」。
後世に残る大ヒットをかました作品は、往々にしてその時代の空気感を反映している。エヴァというものは今までに無かったもので、そこに震災やらオウムやら世紀末やらといった「世相」が絡まっていた。1995年に生きた人間にしか分かり得ない何かがあって、でもそれは2021年からは振り返れない何かであって、その熱量が本物だったから、エヴァは時代を超えるアニメになったのだと思う。
当時小学生だった私は、エヴァの裏にある複雑なストーリーは理解していなかったが、「何か凄い」という感覚だけは頭の中にずっと走っていた。それは私よりずっとずっと大人の人も同じ感覚だったのだろう。「〇〇みたいなアニメ」という枠で語れない、それが新世紀エヴァンゲリオンであった。
新奇性がそこにあった。時代の先駆者となれたからこそ、25年も続くアニメシリーズが作られ続けたのだ。
しかし、今は違う。エヴァンゲリオンフォロワーは世の中に多く溢れかえり、設定も、キャラクターも、その後に続くフォロワー達の中に埋もれていった。アニメの表現が自由になるにつれて、「エヴァっぽさ」は1995年という文脈から独立して一人歩きを始め、当時の世の中を取り巻いていた空気は、25年の歳月の中で霧散していた。
スペースオペラの金字塔を打ち立てたスターウォーズが、新三部作で散々な評価を受けたように、またオープンワールドの先駆けたるシェンムーが、20年の時を経てリリースされた3で大ゴケしたように、時代の先駆者は、往々にしてその後のフォロワー達からの突き上げにあい、自分の立ち位置と時代性を見誤る。オリジナルからのブラッシュアップを得たフォロワー達は、技術進歩と数の恩恵を受け、先駆者を時代遅れへと追いやっていく。
それでも、先駆者は死なない。死ぬのは2番手以降の粗製品だ。一番乗りにはブランドと、話題性と、そして神話があるのだ。
その神話はエヴァにおいては非常に重かった。定期的(と言えるか微妙な間隔)に公式から供給がある。あのころのファンは存命で、まだ強い熱量を持っている。そして何より、エヴァはまだ完結していないのだ。
しかし、序からでさえ14年経った。もう時代遅れなのではないだろうか。2021年の空気感を捉え、エヴァを完結へと導くには、あまりに長すぎる時が経ってしまったのではないだろうか。私は一挙放送でそう感じてしまったのだ。
それは私が大人になったからなのかもしれない。色々な作品を観てきたうちに、珍しさも目新しさも感じなくなり、エヴァそのものへの興奮が薄れてきたからかもしれない。
隣に座っていた娘におそるおそる聞いて見た。「エヴァ、面白いと思う?」
私が子どものときに抱いた感想と同じであった。娘は娘で、エヴァを「なんかすごい」ものだと思っている。
子どもは面白さに敏感だ。面白いものを前にしているときは、外から分かるぐらいはっきりと目がキラキラする。しかし、画面の前に座っていた娘の目は、Youtubeを見ているいつものときとあまり変わらなかった。
娘は派手なシーンでよく「すごい」と言う。それは恐らくアクション映画を観る感覚であり、一瞬一瞬のパーツの面白さを味わっているのだろう。TwitterやTikTokの動画のようなインスタントな面白さが、ハイテンポで繰り返される、その状態をすごいと表しているのだと思う。
「〇〇とどっちが面白い?」口にしかけた言葉はすんでのところで飲み込んだ。
Twitterで散見された感想も、ほとんどはキャラクターへの感情だけであり、ストーリーや、世界観や、その他色んな「エヴァらしさ」に触れている人はあまりいなかった。ハッシュタグを追って見ても、あのころを懐かしむ意見ばかりで、新たにエヴァの世界に参入してきた人は見かけなかった。
もう、そこには「新奇性」は無いのだ。世界観も、メカニックも、専門用語の羅列によるバトルシーンも。何なら綾波やアスカといったキャラクターすら、無数のフォロワー達によって「よくあるもの」となっていた。新世紀から20年経ち、時代はエヴァを完全に置き去りにしていた。
でも、エヴァはまだ死んでいない。新劇場版4部作、中でもアニメと大きく異なる3、4作品目、ここにまだエヴァが残されている。エヴァらしさのほとんどは時代によって風化したが、まだ、一番大きなものが残っており、ファンもそれを強く求めていた。
そして、その期待を受けて出来上がったのが他ならぬ「エヴァQ」であったのだ。
私は、エヴァQは残された「エヴァらしさ」を極限まで追求した結果生まれたものだと思っている。その純化した素材は、考えられる限り最悪の料理を作り出したわけだが。
何も描かれていない背景の下でぐりぐり動くメカ、声優と口調以外に面影のないキャラクター、そして「難解」というよりも「支離滅裂」なストーリー。最先端だったアニメ表現は当たり前のものとなり、1995年の空気感どころか、2012年当時の空気感すら作れていなかった。
Qを観て、私は思ってしまった。目の前で繰り広げられる群像劇の一つひとつが、キャラクターの心情を深掘りするのではなく、制作者の考えたオ○ニーを少年少女に代弁させているだけのような気がしてしまったのだ。ただただ意味の無いセリフが飛ぶ奇妙な寸劇を眺めて、言い知れぬ不快感を覚えてしまったのだ。17年の集大成が結局ただのキャラ萌えであり、もうエヴァはとっくに時代に耐えられないのだと、そう感じてしまったのだ。
だけど、エヴァがどこかに向かって逸れていくのは、きっと仕方がないことだ。エンディングをぶん投げてから25年、今さら「シンジ君がサードインパクトを止めて世界を救いました」では、ファンが許さない。時代が進むにつれエヴァは古くなっていき、それに反比例するようにハードルは上がっていく。
もう一度エヴァが築き上げたものを再構築し、あの熱狂を甦らせようと、制作者はエヴァらしさを突き詰め続けた。ただ、その先に、未来が無かっただけなのだ。
一体私は、このアニメの何を楽しんでいたのだろうか?
3月8日、いよいよ新劇場版最終作が公開される。私も娘を連れずに観に行くつもりだ。
しかし、正直きちんと完結するとは思えない。毎週更新され続けたテレビアニメ版ですらまとめきれなかったのだ。たった4作で綺麗に締められるわけがない。
ただもし完結することがあったなら、ファンがかける言葉はきっと、「面白かった」や「つまらなかった」よりも、「完結おめでとう、お疲れ様」なのだと思う。それはまるで野球選手の引退試合のように、時代と戦い続けた者を称え、時代に敗れた者を見送る、そんな言葉がたくさん注がれるのだと、私は強く思っている。
まあ一般の方々はほぼみんな間違ってるから無理もないんだけど。
「いじめ」ってのは、特定の人間に対する悪意ある暴力、とは違うんだよね。
いじめっこが、「こいつと遊んでただけだよ」と証言した場合、それはマジで遊んでただけなのよ。大人になって「あのころはバカだった」と言った場合、それはマジでバカだっただけなのだ。
無自覚の悪意、ですらないの。
そいつをイジることが悪と認識されてない。なんなら善意のギャグとすら見られている。
従って、こいつを殴るのは悪ではないですよ、という空気をコミュニティに成立させた人間は全員「いじめ」の共犯者である……という話に、いじめ対策をするときはなるんですよ。
事態を叱らなかった先生、周りで笑ってたやつ、興味を持たなかったやつ、そういうのが暴力の当事者よりも「いじめ」の原因に近いんだな。
・一連の藤田作品(うしおととら、からくりサーカス。そうぼうていはちょっと体力おちてるときつい)
・一連のゆうきまさみ作品(じゃじゃ馬グルーミンUP!、パトレイバー、究極超人あ~る)
あとやっぱり高橋留美子全部ですかね とにかく長編を粘り腰でつくりあげる雑誌だとおもってた
長編でもないやつのなかでは「暗号名はBF」がめちゃくちゃ絵がメリハリあってきれいでストーリーも好きだった(手塚治虫のメルモちゃんを平成バージョンにした感じ)が単行本3巻で連載中断、青年誌にいっちゃったのが残念 持ってないヤツ悔しがれ あれ監修か原作つけてたらARMSなみになったかもしれんぞよ
あああ他の人のトラバみてて思い出したけど
お茶にごす!と結界師も好きだったし河合作品も全部好きだしやっぱ俺あのころのサンデー大好きだったわ~
年取っても週刊してるのつらそうだけど頑張ってくださいな先生がた
単調なビートというか、反復を繰り返しながらメインのメロディだけをどんどん発展させるアプローチはそれこそジェームスブラウンだかの時代のファンクソウルからポップスに定着してる。
誰でも知ってるマイケルジャクソンの「スリラー」や「スムースクリミナル」もトラックだけ見れば1つのリフレインだけで出来てるし、それ自体は目新しいことでもない。日本でもオザケンの「ラブリー」等、局所的にそういうものがヒットすることはあった。
ただRandBやヒップホップといったブラックミュージックの色合いが強いこのスタイルが、アリアナグランデやジャスティンビーバーといった白人中流層に支持されるポップスターや、J-popのYOASOBIや瑛人のヒット曲に取り入れられたというのは時代の潮目なんだと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=tcYodQoapMg
https://www.youtube.com/watch?v=8EJ3zbKTWQ8
ビートが一本調子というのはNiziUやモーニング娘。の新しい曲でも見られる特徴なのでより一層こういうものが主流になっていくのかもしれない。
(反復っていうのはテクノもそうだけど、テクノはミニマルすぎてポップスに転用できる音楽ではない。電気グルーヴにしてもChemical Brothersにしても歌もの要素が大きくなるにつれテクノ本来とはやや趣が変わっていった。)
https://www.youtube.com/watch?v=a6QT0acJFQE
https://www.youtube.com/watch?v=Ty0dkunCvNw
宇野さんが崇拝に近い持ちあげ方してる宇多田ヒカルもかつてからループさせることへの意識が高かった。
First Love時こそ「稀代の歌姫」として売り出そうというレーベルの意向もあってか、ディアンジェロ風の粘っこいドラム等といった当時のトレンドを表面的になぞっただけで、アレンジ面では当時のJ-popとそこまで違いはなかった。しかし「Distance」以降はRandBからの影響が強い宇多田ヒカル本人の意向が反映されだしたのかどんどんアレンジがミニマリスティックになっていった。
注意深く聴けば20年前の「Addicted to you」や「Can you keep a secret?」のころからすでに16ビートをキープしながらコード進行は8小節ほどで完結してしまっていることがわかる。
(このころはジャム&ルイスの手腕によるところも大きいのだろうが)
さらに言えばセルフプロデュースに切り替わってからロンドンに拠点を移すまでの2005~2015年あたりの宇多田ヒカルはいかにも宅録、DTM然とした手作り感あふるる音を時折鳴らしていなかっただろうか。
マスタリング等のポスプロによってある程度計算ずくで仕上げられたものにしても、Keep tryin’のパッドシンセはあの曲にしては音が厚すぎてややアンバランスだし、Kiss & Cryのホーンはモジュレーションであることを隠そうともしていない。しかしながらそんなことは取るに足らないことだった。
あのころはまだDTMそのものが新しくて費用が掛かる手段だったこともあって、宇多田ヒカルの孤高なイメージをより強固なものにしたし、なにより彼女が自宅にこもって自分の感覚だけで作ったものが、ダイレクトに自分のコンポやミニプレイヤーに届いてきたようなあの距離感がファンにとっては痛快だったんじゃないか。
「Ultra Blue」や「Heart station」時特有の浮遊感のあるきついリバーブや密室感のあるピアノの音像は、宇多田ヒカルの心象世界を垣間見ているようだったし、私生活でのラフな顔を晒してくれている様でもあって一つの魅力になっていた。
DTMはこの20年でどんどんハードルが下がっていったし、ネット上での音楽のコミュニティも成熟してきてる。今のアーティストを取り巻く環境ってあの頃の宇多田ヒカル周りの雰囲気とちょっと似てる気がする。ライブはあんまりやってなくてひたすら曲を書いてブログを書いていたのが宇多田ヒカルだった。
米津玄師にしろ須田景凪やヨルシカにしろ、宇多田ヒカルが敷いたものの上に立ってるんじゃないかな。立ってるというか宇多田さんは彼らのようなことを前時代にやりとげてしまったのかもしれない。
宇多田ヒカルの「traveling」は「夜に駆ける」に似ている。4つ打ちでビートに統一感を出している点や、トニックから長七度上(一度下)への移動が含まれる4小節ほどのコードパターンをひたすら繰り返している点、代理和音や経過音でコードに飽きがこないよう細かく配慮していることやフィルインの多さ、歌メロの譜割の細かさ…と共通項は多い。あの頃は幼くて単にかっこいい曲だなと何も考えず聴いていただけだが、当時の宇多田ヒカルはやはり規格外の存在だったんだなと今にして思い知らされる。
https://www.youtube.com/watch?v=x8VYWazR5mE
わすれられない むかしの
はなしだけど きいてくれないか?
いなかで そだった ぼくは
がっこうを そつぎょうして
おおきな まちで しごとを
みつけたんだ
あこがれの ひとりぐらし
しごとも たのしいし
むかしは やんちゃしてた ような
でも たよりになる せんぱいも
いたし
あのひ までは
じしん が きたんだ
すごく おおきな じしん だった
さむくて まだ そらが くらくて
ぼくは すっかり ねむって いたんだ
そしたら まるで じめんの したを
でんしゃ ぐらい おおきな
だいじゃ か とほうもない はやさで
はしって くるかのような
ぢひびき が したんだ
どどどどどどどどどどどどどど
どーーーーーーーーーん!!!
わんるーむまんしょん は
きのみきのまま とびだすと
よぞらが あかく もえていたんだ
せんそう が はじまったのか
ばくだん が おちたの か と
おもうぐらい
きこえ そこから まっかな ひばしらが
たちあがった
ぼく みたいに
じしんだ と くちぐちに いうのを
きいて やっと ぼくは なにが
おきたのか りかい できたんだ
けいたいも ぱそこんも
まだまだ ふきゅう してなくて
ぼくも とうぜん もっていなかった
だから どうしたら いいのか
あたまは まっしろ だった
そのとき ぼくは おもいだした
せんぱいが ちかくに すんでいる
ことを
ちかく と いっても
ふつうなら でんしゃ で
いくような きょり なんだけど
ぼくは
ひとりぼっちの ぼくは
なんじかんも あるいて
せんぱいの いえに むかったんだ
せんぱいは いまにも くずれそうな
じたくから ひっしに かざいを
はこびだしている ところだった
せんぱいは ぼくを みつけると
ぶじだったか! よかった! と
ぼくも せんぱいに おなじことを
いって ぶじを よろこびあったんだ
せんぱいの もっていた らじお で
すこしだけ じょうきょう が
わかってきた
とにかく すごい だいじしん らしい
あちこちで かじに なっていること
たおれ どうろが ふさがれて
いるせいで しょうぼうしゃ も
きゅうきゅうしゃ も これないこと
もえている がれきの したに
たくさんの ひとが いきうめに
なっているのに
どうろが ふさがっている から
きゅうえんぶっし も おくれるかも
しれない
らじお は ひたすら おそろしい
げんじつを たんたんと
はきだしてくる
ふあんに おびえる ぼくに
やがて せんぱいが こういった
おまえ にげろ と
おれだって にげたいが
おれは ここで かぞくや いえを
まもらないと いけない
おまえは いなかから でてきて
にげれるじゃないか
いなかに かえれ
こんな がれきの まちに
のこったところで
しごと どころか せいかつも
できないのだからな
とりあえず なんとか こくどうを
めざすんだ
すこしでも あんぜんな
にし に むかえば
くるま や ばいく が
はしってるから
なんとか のせてもらって
でんしゃ が うごいてる とこまで
そしたら そこから なんでもいい
にし に むかう でんしゃ
のりついで
いなかに かえれ
きっと いまごろ おやが
しんぱい してるから
はやく あんしん させてやれ
ぼくは いわれるまま
にげた
にげだしたんだ
そこからは ほんとうに たいへん
だったな
はじめて ひっちはいく したし
ないし
まる いちにち いじょう かけて
なみだが でたよ
でむかえてくれた おや も
だきついて きそうな ほど
ぼくの かおを みて
よろこんでいたね
そのとき ちちおやが いったんだ
おまえ しごとは
かいしゃは
どうしたんだ?
しごと?
ばかなことを
あんな じょうたいで
しごとになるわけ ないじゃないか
しれないのに
それは たしかめたのか?
とうかい した と
しごと は ない と
たしかめたのか?
れんらく したのか?
きょか を とったのか?
と ぼくは
あのときの ぼくは おもったけど
ひとりぐらしの ぼくを しんぱいして
かちょうや かかりちょうが
ずっと ぼくを
さがして くれてたんだ
がれきの みちを あるいて
ぐしゃぐしゃになった もぬけのからの
わんるーむで
がれきを かきわけて
ぼくが たおれて いないか
いないと わかると
ちかくの ひじなんじょ を
なんかしょも
さがしていたんだ
ちちおやは いった
じぶんが ぶじなら
しごとにならなくても
しごとばの かたづけが ある
すくなくとも どんな じょうきょうか
かくにん しなくては いけない
なにもせず だれにも いわず
にげてくるなど もってのほかだ
いまごろ れんらくの とれない
おまえを しんぱい してくれている
かも しれない と
まさに ちちおやの いうとおり
だった わけさ
かちょうたちは ゆくえの わからない
ぼくを
にげだした ぼくを
しんぱいして くれていたんだ
ぼくの いばしょが わかったのは
せんぱいが かいしゃに かおを
だしたときだった
かちょうたちが ぼくの はなしを
しているのを きいた せんぱいが
と ごくきがるに いったのだ
それは かなり かいしゃで
もんだいに なったらしい
なんの けんげん が あって
おまえは こうはいに しょくむほうき
させたのだ
くわしくは わからないけど
せんぱいは かいしゃを
やめた
もちろん ぼくも
もう もどれる わけが なかった
いいわけする わけじゃないけど
あのしゅんかん
ぼくは
にんげんは
あらしに ゆれる きのはよりも
ちっぽけな そんざい だったんだ
だれだって にげだしたく
なるだろう!?
だろう
そうか
あぁ そうか
にげちゃ だめ だったのかな
せんぱいに いわれたから とか
これこそ いいわけ だな
せんぱい
せんぱい
ごめんなさい
────────────────
2016/07/01に「ひとりぼっち惑星」で受け取ったもの。
二期の告知がでてからアニオタ内で「あのラブライブの2期」みたいに騒がれだして、「なんかそんなんあった気するけど流行ってたの?」って思ったもんだよ。
円盤の売上とか知らねーし。一期放送時の2013年ってまだ「みんなご存じラブライブ」って感じじゃなかったような…リアタイだとたまこまーけっとのほうが話題になってた印象がある
で、まあ「それは僕たちの奇跡」がオリコントップ3とかになって驚いた。
一期でエモい青春群像劇みせてオタコミュニティ内で盛り上がりが過熱していたところに曲を投下したら見事にスマッシュヒットしたって流れが、Nizi Projectが終わってから「Make You Happy」でブームを世間に周知させたのとなんか重なる。
あのころローカルアイドルや地下アイドルのムーブメントを反映してアイドルを取り扱うドラマやアニメが散見されてたから、ラブライブもその一つとしか思ってなかった。
アイドルが飽和してどんどん奇抜な方向に流れていた時代にラブライブが流行ったのは、シンプルな成長ドラマとそのハイライトとして歌唱シーンを使用することで楽曲と物語の相互作用を図った点が見ていてわかりやすかったからだと思う。
アイドルブームも今は昔で当時勢いのあったグループが続々となくなる今、真っ当にかわいくて前向きであることを前面に出すNiziUの原点回帰的なコンセプトはなんかあのころに似ている気がする。
まあバックストーリーを売りにするのはかつてのモーニング娘。やAKB、ももクロもそうだったんだけど、「あどけない女子が一つのグループとなって活躍する」ってだけのシンプルなストーリーを1クールのテレビ番組としてパッケージングしちゃったってところで、これラブライブの感じに近いんじゃないかって思う。娘。やAKBは一筋縄じゃなかったし、ももクロの物語はあくまでメンバーの発言やファンの口コミでしか存在しなかった。
でも、そう考えると生身の人間の生き様をこんな風に消費しちゃっていいのかっていうリアリティショーへの疑問も当然感じるんだよね。
NiziUは古くはアクターズスクール、今でいえばTWICE等のK-popといった、ローティーン女子が主だった支持層になるタイプのグループだと思う。
ダンススクールや雑誌モデルに憧れる延長上にいるアイドルの系譜な。
そういった方面を意識し一時代を築いたE-girlsが2020年12月に解散。またNiziUと同じく韓国芸能事務所が協賛するオーディション番組発のIZ*ONEも今年4月で活動終了。
ファン層が被りそうなグループの終焉とデビューが重なったためにそれらのファンからの注目を集められたことがヒットを加速させたと思う。
そうはいってもNiziUは洗練されたK-popを歌い踊るのに、発展途上にある粗削りさや初々しさを売りとする極めて日本的なキャラクター像ももっている。
八頭身美女やいかついアイメイクのラッパーが一瞬の隙もないパフォーマンスやトークをするようなのがこれまで日本で話題になったK-popアイドルとすれば、それまでなかったような柔らかさをNiziUからは感じる。
その日韓エンタメのハイブリッド感が新しいし、それが日本の大衆にうけている一番の要因かもしれない。
個人的にはモーニング娘。とNiziUってそこまで被らないと思う。
今の娘。はベテランで洗練された9~11期メンバーとフォトジェニックな12期~14期、新人の15期という世代間でのカラーの違いがあって、それぞれのジェネレーションの交わりが垣間見える。
そして意外と今のハロプロには隙はない。研修生上がりとそんな連中に圧倒されない子で各グループが構成されているのでデビュー時からタレントとして完成されている。
もはやモーニング娘。は「あのポンコツがこんな立派に成長しました」というような見方をするものではない。それは道重さゆみの卒業で終わった。
つんくが癌で一線を退いたあたりから心なしかハロプロにおけるオーディションのあり方は変わった。それがいいとも悪いとも思わないが。
芸能経験に乏しい子がスターダムを駆け上がる成長ドラマの一面があるNiziUとは対照的である。インタビューでもはにかむばかりで月並みなことしか言わないNiziUの様な初々しさは娘。にはない。
NiziUがジャイアントキリングを目指す新興クラブならモーニング娘。は伝統あるスポーツ強豪校のような魅力じゃなかろうか。
毛色が違うので両者は共存する…というかハロプロ好きはかっこよさやかわいさを評価しているのではなく”ハロプロらしさ”を支持している奇特なオタク共なので、いくらNiziUが魅力的でもそうは簡単になびかないと思う。岡村靖幸のファンが久保田利伸にフリーライドしないのと同じだ、「縄跳びダンス」程度の奇天烈さで彼らは満足しない。
今年56くらいになる独身のおばさんと同居してる。
それこそ子供のころはすごく年の離れたお姉さんみたいな存在だった。可愛がってくれたし。
でも私が小学生入る前くらいには辞めた。
元々内向的な性格だからか、人と喋ることがストレスだったらしい。
そこから10年単位で派遣社員を繰り返して、どこも長続きせず数年前からそのへんの工場でオバサンパートをやっている。
聞き飽きたのもあるけど、上司がパワハラとか言ってるくせに話を聞くとおばさんにも非があるのでうざい。
「上司がむかつくから、向こうから挨拶するまでこっちもじーっと見つめるだけで挨拶なんてしてやらない。」
なんだそれ?子供か?
パート仲間もいないらしく、一人で社員たちといがみあっているらしい。
完全に「ヤバい人」じゃん。
あのころの「すごく年の離れたお姉さん」から瞬く間に「パートのネチネチおばさん」になってしまった。
おまけに気に入らないテレビCMを見ただけで会社にクレームのメールを送って自慢げに語ってきた時は引いた。
意外と頑固で、都合の悪いことは見事なまでに「聞こえないフリ」をする。本当にすごい。
しかも基本料理はしない。一人暮らしもしたことがない。彼氏もいない。
帰宅したらぼーーっとバラエティのテレビ見て、録画した深夜アニメを見て、電気つけたままコタツで寝落ち。
実家暮らし独身女の行き着く先ってこんな風になるのか、と思ったら嫌悪感がすごい。
恋愛も失敗、仕事も失敗、ギリギリの身で一生実家に寄生して歪む。
絶対にこんな寂れた女にはなりたくない。
新サクラ大戦が発売されてから一年が経った。発売日に買ったゲームのパッケージは、封を切られることなく本棚の中で埃を被っている。
私は15年近くサクラ大戦のファンを続けている。いや、続けて「いた」と言っていいかもしれない。2006年にPSPで発売されたサクラ大戦1&2にドはまりし、ドリキャスとPS2を買って3,4,5をプレイした。一日の受験勉強を終えた後、深夜0時~3時までドリキャスを起動し、3時間だけ睡眠を取って学校と塾へ行き、帰ってからまたサクラをやる。大学受験という過酷な生活の中で、サクラだけが生きがいであった。
ゲームをプレイした自分は次々に派生作品へと手を伸ばしていった。OVAと旧アニメ、活動写真を鑑賞し、小説と漫画を買い漁り、CDを聞いて武道館ライブにも足を運んだ。あらゆる公式作品では飽き足らずに、ネットに転がっている二次小説を片っ端からガラケーで読んだ。サクラにはまって宝塚も鑑賞した。私にとってサクラとは、自分の青春を賭けたコンテンツであったのだ。
サクラに熱を挙げていた私とは裏腹に、サクラ自体にはほとんど進展がなかった。Vの発売以降も定期的なショウは開かれていたものの、公式的な動きはパチンコや他ゲーとのコラボ程度であり、ジャンルを前進させるコンテンツ――本編の続編は止まっていたに等しかった。1年、また1年と歳月が流れるにつれ、私も他のジャンルに手を広げていく。サクラは依然として好きであったが、あくまで懐かしい思い出の中の1つという立ち位置になっていった。
しかし、2018年4月のセガフェスでついにその瞬間が訪れる。
「新サクラ大戦始動」――太正29年の帝都東京を舞台に新しい花組が復活する。Vから13年経ってのナンバリング続編が満を持して発表されたのだ。
あの瞬間の興奮を今でも覚えている。アパートを着の身着のまま飛び出し、家の前の川沿いを下流のほうへ歩いては折り返し上流のほうへ歩いてはまた折り返し、何度も何度もあてどなく歩き続けた。頭の中に溢れて来る激情が身体をじっとさせてくれなかった。
私がサクラ大戦を初めてプレイした時は、すでに当時のシリーズ最終作であったVが発売されていた。私にとってサクラ大戦は出会った瞬間から最終回であり、ずっとナンバリングの続編を望まれながらも、決して叶うことはない幻のゲームであった。
それが、ついに、叶う。サクラの続編を遊べる日が来るなんて、本当に夢だと思った。忘れかけていた青春時代の熱狂と興奮が心をかき乱す。たまらずに開いたTwitterのタイムラインは狂乱の渦に包まれていた。
2019年3月末、セガフェスにてサクラ大戦の続報が発表される。メインキャラクターデザインを久保帯人氏が、ストーリーをイシイジロウ氏が、そして音楽を田中公平氏が手掛ける。檄帝にコーラス等のアレンジを加えたメインテーマは、今までのイメージを踏襲しながらも新しい風を吹き込もうとしている。私の心は歓喜と期待に溢れていた。Twitterでは友人がPVを見て考察を巡らせていた。発売日は2019年12月12日――もう一度あの世界が味わえると思うと自然と気持ちが昂った。
同年の6月から、「帝劇宣伝部通信」というコーナーがセガのyoutubeチャンネルで始まった。公式が新規情報を発売日まで随時公開していく番組である。プレイ動画、キャラクター、世界各地の華撃団の紹介、グッズとメディア展開など、様々な情報が発信されていく。
私はそれらを欠かさずにチェックしていった。しかしながら、一か月、また一か月とカレンダーをめくるにつれ、自分の心の中には言い知れない不安のような影がよぎっていった。
「果たしてセガは、サクラ大戦を未来へと続く作品にできるのだろうか?」
今の時代、美少女たちと触れ合えるゲームはそこらに無料で溢れている。歌う少女も戦う乙女も、20年前とは比べ物にならないほど多くなった。群雄割拠のゲーム業界でサクラというジャンルは生き残ることができるのだろうか?
サクラ大戦は時代とともにあった。当時のアドベンチャーゲーム、ありていに言えばギャルゲーの中で、サクラは独特の地位を占めていた。歌劇とスチームパンクの融合、セガサターンという機種だからこそできた恋愛ゲームの一般向け展開――あの頃のサクラを不動の地位に置いていたものと言えば、新規性と物珍しさによって時代を先取りしたコンテンツ力であったことは疑いない。
しかし、時代は変わった。ゲームは何でもアリになった。アイドル物のゲームが世間一般にまで浸透するとともに、きちんと遊べるゲーム性を核としてギャルゲーさながらの恋愛要素を取り入れる作品はいくつもリリースされている。
サクラ大戦は初代から24年の歳月を経た。その年月は時代性という重りになってサクラ大戦にのしかかっている。
気づけばそう問いかけていた。プレイ映像が公開されていくにしたがって、自分の中の情熱が冷静なものに変わっていくのが分かった。
そして2019年12月12日、私のもとにAmazonからパッケージが届いた。そのときは仕事が忙しく、届いてから3日ほどやる時間が取れなかった。
極力ネタバレは控えていたものの、つい気になってTwitterを覗いてしまった。
そこには、「熱」がなかった。
新作発表、主題歌公開のときに賑わいのあったタイムラインは嘘のように静かであった。ストーリーに言及するどころか、面白さやつまらなさを語る人もいない。ぽつぽつと流れる呟きは、まるで腫物に触るような言葉の数々であった。
好きの反対は嫌いではなく無関心である。本当に面白いコンテンツであれば、人々は誰に先導されるでもなく自然と語り始める。それはネタバレであれ考察であれ妄想であれ、大きな熱となりジャンルを強く後押ししていく。しかし今は、その熱がどこにも見えなかった。栄華を極めたかつてのコンテンツを前にして、友人たちは出来の是非を問うこともなく、ただ当たり障りのないことを呟くばかりであった。
――ああ、そういうことなんだ――
その様子を見た私の心の中に、言い知れないほどの寂しさが襲った。それは悲しみや怒りといったハートを揺れ動かす激情ではなく、まるで亡くなった親友を前にした時のような、涙も出ない喪失感であった。
私はそれを見て、新サクラ大戦を遊ぶことを止めた。プレイしたらそこで終わりになってしまう。20年以上続いたシリーズの行く末を見届けてしまえば、「いつか続編が発売されたらいいなあ」と心を躍らせることもできなくなってしまう。
「ああ、こんなもんだったよなあ」という気持ちで終わらせることが嫌だった。ゲームの面白さに興奮することも出来の悪さに嘆くこともなく、ただただ現状を受け入れて観念することがたまらないぐらい恐ろしく感じた。
こうして私は、サクラ大戦というシリーズを思い出のまま取って置こうと決めた。私にとってサクラ大戦は、続編を望まれながらも決して作られない希望のゲームである。あのころのノスタルジーを終わらせもせず続かせもせず、優しい思い出のままそっとしておこうと心に決意した。
そんな私とは対照的に、漫画、テレビアニメ、舞台と、次々にメディア展開が進められていく。ユーザーとの熱量の違いは目に見えており、ゲームの中古価格がそれを如実に表していた。
そして2020年12月15日、新サクラ大戦から約1年後、ゲームアプリ「サクラ革命」がリリースされた。開発はソシャゲ業界最大手のFGOを手掛けるディライトワークス。リリース初日にも関わらず、タイムラインでは話題にすら挙がっていない。PVを見て考察を巡らせていた友人は、FGOのカルナサンタに熱を上げていた。
もう、誰もいなくなっていた。
そして私はまだ、「新サクラ大戦」をプレイできていない。15年前の思い出にずっと閉じこもり、夢の続きを見ることを拒否しているのだ。
日記を書こうと思った。
日記を書くのは何年振りだろう。
まずはあまり畏まらず、文体も飾らず、思いつくままに自然体で文章を綴っていこうと思う。
どうせ誰かに見られているわけでもないのだ。
格好つける必要もない。
思えば(思ってばかりだ)、人の目ばかり気にして生きているような気がする。
喋る時、声の大きさや口調、あるいは内容、大学にいるとき、他人の視線、年齢を気にしている。外を歩いているとき、他人の服装、無意識に目がいってアレコレあの人はどうだと批評したくなるのは自分が他人からどう見られてるか気にしていることの裏返しのような気がする(また、気がしてしまった)。
正直、疲れる。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
だから、誰もいない特に馴染みのない住宅街なんかを散歩しているととても心が落ち着く。
神経症と言ってもよさそうだ。
過剰に他者の視線を気にしているし、不意に暮らしの中で誰かに自分の人生を否定されやしないかと、ビクビク怯えながら過ごしている。身を強ばらせて、責められたときのために理論武装をして。
実際にそういう機会に出くわすことはほとんどないのだが、何気ない日常会話のなかのふとした発言に、弱り切った心を傷つけられたり、同じような体験をした人の恐怖心にSNSで共感してしまったりするのを繰り返しているうちに、なんだか外を歩けば蔑まれるんじゃないかと思うようになってしまった。
難儀なことだ。
なまじ人生途中まで順調に見えたがために、プライドだけは人一倍高くて、困る。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
今、これを母校の一角で書いている。
思えば(また思った)、mixiで日記を書いて友達と見せあっていたときもこの学校に通っていた。
今はコロナで対面授業は実施されていないのか、学生の姿は疎らにしか見えない。
私の青春を彩ったこの学び舎は、少し角張ってピカピカしたいけすかない講義棟が増えたことを除いて、概ね往時のぬくもりを残して私を迎え入れてくれた。
このキャンパスに舞い戻って呼吸を取り戻したようで「ああ、今まで苦しかったんだな」とようやく気付けた。
実家もかつての家も失って、未来もなく、現在も灰色の私にとって、本当に数少ない、幸せだった頃の感覚を身体に思い出させてくれる場所。
いつまでもこのまま変わらないでいてほしい。
代謝がいいことは健康の必要条件であって十分条件ではないのだ。
私は故郷に変化を望んでなどいない。
願わくば……
感染者数が過去最多を更新したけど自民党は何もしてなくてやたら批判されてるけどまた緊急事態宣言出して助成金なりなんなり出す金がないんだろうな。
実質的には経営破綻してるのに助成金をもらうためだけに経営実態がない会社がやまほどあって倒産件数が少なく見えているけどこれがまた助成金出すとなるとそういう会社をただ無駄に延命させるだけのお金を出さなきゃいけないからね。もうこれ以上は無理ですつぶれてくださいってことだよ。中小企業が潰れても日経平均にはほとんど関係ないからね、しょうがないね。特に飲食はほとんど中小や個人経営の店ばかりでコロナで潰れても失業者が増えるだけだからね。失業率なんか非正規や派遣を駆使すれば盛れるからね。アベノミクスでそうしたようにね。またそうすれば解決だね。株価に影響しないような中小飲食店はつぶれてどうぞってことだね。Gotoイートにしても大手レストランでしか使えなかったりするしもうおつかれさまって感じだね。
それにしても落ち着いている間に検査件数を増やせばよかったのにな。孫正義さんが言ってたように検査体制を拡充しておけば第三波がきた場合に過度に自粛せずともそこまで感染は拡大せずに済んだのに。誰が感染してるかわからないから経済を回せないんだから誰が感染してるかをある程度はっきりさせれば普通に経済を回せたのにな。しょうがないね。医療体制もほとんど拡充してないし検査も増えないし結局、コロナが流行しはじめてから政治って何やってたの?なんもしてないよね?ダイヤモンドプリンセスのことももうみんな忘れてると思うけどあの時から何も変わってないよね?レッドゾーンとグリーンゾーンをごちゃごちゃにしてたあのころと今まったく検査をしないで感染者と非感染者が入り混じってる状態ってまったく同じでしかなくて何も学んでないじゃん。死ねよクソ政権。
飲食で働いてる知人がたぶん年末でもうダメになるだろうと言っていた。業態としては居酒屋に近いので忘年会が激減するともうダメみたい。今ですら店自体も赤字らしくいよいよ潰れるらしい。ひきこもってプレステ5でもやるかと苦笑していたがとても笑い返せるよ感じではなかった。無策無能のクソ政権のせいだと書き残しておくことにする。
俺は1990年代生まれなんスけど、総理といえばつねに批判を受けつづけてる無能な存在というイメージがある
子供心におもしろいオッちゃん・音楽家みたいな髪型をしている、とは思っていたが、政策についてのイメージはかなりボンヤリしている そりゃそうか
でもなんとなく「小泉劇場」で誤魔化してるが無能、みたいな雰囲気のことは常に聞いてた印象
次誰だっけ?アベちゃんか!
弱々しいオッサン・重責に耐えられずに辞めたというイメージが強く、そんなんなので政府全体もわりと叩かれていた印象
麻生ちゃんはカネばらまきがムチャクチャ叩かれてて、漢字の読み間違いもすげえあげつらわれてたな
政権交代するくらいなんだからかなりボコボコだったんだろうと思う
鳩山ちゃんはネットですげー叩かれてた印象 あのころはネット世論が全体的に自民党よりだったってのもあるが、宇宙人だのルーピーだの(どういう意味?)散々な言われようだった
菅さんといえば青いツナギ姿を思い出す 地震への対処が後手後手でウンコだった、みたいなことをかなり多くの人が言ってた気がする
具体的なダメエピソードがあんま思い出せないってことはこの人はマシだったのか?
阿部ちゃん、面構えはなんとなく頼もしくなったなと思ってたんだけど特にコロナ以降の叩かれ具合がハンパじゃなかった
とにかく、カリスマあって政策もええ感じって人がいねえんだよな
日本人が1億人とかいる以上そりゃあ利害の対立もあり、みんなから有能と讃えられるなんてことはないんだろうけど、にしたって皆すげー叩かれてた印象がある
なんなんだこの国?
いい人はおらんのか?
1日あたりの新型コロナウイルス感染者数が過去最大レベルになってきてるという話ですが、少なくとも俺の生活圏では全然そんな切迫したノリはなく、おもしろいので書き残しておきたい。
比較対象として、4月あたりのことを思い出す。緊急事態宣言が出たというのもあって、あのころはなかなか緊張した雰囲気があった。
いつも行ってたスーパーには買い物カゴを使った入場制限が設けられ、みんな買うものを決め打ちでサッと入ってサッと出るという雰囲気があった。デカい店内に対して20〜30そこらのカゴしか用意されてないので待ち列なんかも発生して、到底チンタラ悩みながら買い物ができる雰囲気ではない。俺は普段の買い物が趣味みたいなところがあるので、けっこうツラかったことを覚えている。
社会がそんな感じなんで、当然俺もけっこう緊張感をもっていた。近くに住んでいる彼女とすら会うことが躊躇われ、緊急事態宣言中は距離を保ちながらちょっとした散歩を一回だけしたくらいで、家で会ったりはしなかった。
外食なんてもってのほか、と少なくとも俺や近しい人は思っていて、テイクアウト文化が隆盛している気配があった。
で、今はどうか?
スーパーの入場制限、これはまだある。でもカゴの数が100あるんちゃうかってくらいになっており、実質意味をなしていない。
いつ行っても入れるし、いつ行ってもそれなりに人がいる。惣菜を買うか否かで10分くらい悩んでも全然大丈夫な雰囲気がある。
彼女とは全然会う。そのへんをカップルが歩き回ってるし、会わないのもアホくさい感じがする。(これに関しては流行状況に関わらず会っててもよかった気はする)
外食もわりとみんなしてるし、俺もまあまあしている。さすがに飲み会とかには行かないが、気になる店に彼女と行ったりはわりとしている。テイクアウト文化は若干残ったが、テイクアウトメニューが消えている店も多い印象がある。
全体として、まあ緩い雰囲気だ。
密を避けて〜みたいな表記はいろんなところにあってみんななんとなく守ってるが、あくまでもなんとなくで、神経質な感じがない。
第一波がなんとかなって、日あたりの感染者が1桁とかになった時とほとんど同じようなノリと言っていい。
ニュースを見るたびに現実の空気感との乖離にビックリしているというのが正直なところで、今後どうなるんだ?という野次馬的好奇心が抑えられない。
どうなるんだ?コレ
なんかいくら感染者増えてもこのまま緩いノリが変わんねえんじゃねえかって気がするんだよな。
どうですか?1ヶ月後のオレ…