毎年思い出したように組まれる特集に合わせて繰り返される映像を見るのがだんだん辛くなってきた。
思い返せば揺れたあの時はまだ学生だったが大人になるにつれ黒い波の映像が人以外の何を奪って飲み込んでいったのかの恐ろしさがわかってしまった。一人暮らしを始めて自分の身一つだけを守って他を捨てて逃げることが命を守るために大切だと言われていても迷ってしまう理由がわかってしまった。同棲を始めて守らなければならない人ができたらそれはなおさらだった。
そしてあの日を境に私たちの「揺れた」の基準は少し狂い続けたままだ。このところ震度3とか4が続くよね、4だったからガス止まったか確認しよう、5は結構大きかったな。正直余震で結構揺れるので動じなくなってくるのはわかる。でもこの前の2/13の揺れが決定的だった。食器が割れていたり物が倒れても「あの時ほどじゃないから大丈夫」と誰もがいう。さらに映画館が今現在も復旧できていなかったり給食センターが止まっていたという話を聞いて恐ろしくなった。それは「大丈夫」ではない、普段の生活から変わってしまったら「大丈夫」ではないはずなのに。
今年で地震から10年になる。完全とはいかないが復興もだいぶ進んだ。がんばれ、がんばろうの言葉も支援ももうたくさんもらった。たくさんの教訓を残し、それのおかげで進んだこともある。それを覚えていてそっと死者に手をあわせるのではいけないのだろうか。私はいつまであの悲惨な光景を毎年思い出さなくてはいけないのだろうか。3.11を忘れたい。
ちょっとわかる。 昔、星新一のエッセーだったと思うけど、戦争体験者の星が「平和(戦争)教育したり、戦争の悲惨さやそこから得た教訓を語り継いだりするんじゃなくて、概念とし...
わかる 当時そこそこ被災した(津波ではないが)けど、あのころはまだ子どもだったからか、今の方が辛くて津波の映像も、画像すらも見れないでいる 唯一テレビをつけて見る朝のニュ...
今後、同じような地震や考えられるもっと大きな地震やそれに伴う津波等の災害に備える為の対策は凄く必要なんだけど。そういう話には、あの手の振り返りってならないじゃない?今...