「内定」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 内定とは

2021-04-26

Googleの5人抜き選考だけど、そんなことより日系企業就活がツラい

はじめに

私は旧帝大学院情報工学をやっていて22卒というのに分類されるものだ。3月から日系大企業就活を受けてきた中で、これまで受けてきた企業や並行して受けている外資に比べて面接でのストレスが溜まりまくったので駄文ながらここに吐き出しておきたいと思う。

日系企業を受けるに至った経緯

就活は去年の終わり頃に始めていて、所謂コンサルチュアと日本人なら聞いたことあるだろうWeb系の内定を手に入れた。ただ自分の中で計算機科学知識を生かしてソフトウェアエンジニアとして働いてみたかったのでメーカー系が選択肢として浮上し、いわゆる電機メーカーやら自動車メーカー大手日系企業を受けた。

正直それまでは日系企業大企業は堅苦しくてあんまり内製しておらずマネジメントばかりだとか配属ガチャなるものがあるとかというので敬遠していたのだけれど、色々な企業説明会に参加する中で少しずつそういう風潮が変わってきているんじゃないかと感じられた。そこで選考を受けたのだが、書類選考は全通過したが一次面接で落ちまくる。落ちる理由として申し込んだところと自分想像してる仕事内容に微妙乖離がある事が多い(インターン経験がないので)ことや研究開発職に申し込んだので単純に他の応募者が優秀なのもあると思うが、選考中の面接個人的ストレスを感じた点をあげていきたい。(勿論これは学生就活生側の一方的立場で、企業面接官側の立場では的外れと感じるところはあると思う)

その前に自分スペックを雑に

プログラミング歴(=パソコン触り始めた歴)2年ちょい

コーディングテストやら知識問題やらあるけど落ちたことはない。散々コーディングテストしてきた中で問題難易度が一番高いと思ったL社も一発で受かるくらいの実力はある

  • 開発物

WebアプリGUIアプリ自作〇〇などの車輪の再発明してみる系など

ネットワーク信号処理

  • その他

スポーツゲームお笑いが好きです

自分の中で辛かった点

そんな面接スタイルで何がわかるんだよっていうのがある。例えばWeb系だと熱意とスキル重要視されてると感じたし、今受けてるみんな知ってるG社はオンライン面接問題を解く中でスキル課題解決能力コミュニケーション能力を測っているんだろうと感じた。しか日系企業過去経験を話すだけの誤魔化しがきくものだし、そのなかで謎にチームワークを組んで困難を乗り越えたエピソードがある人が評価されるという仕事に繋がる能力との根拠も分からない要素で採点されているのが本当に分からない。別に技術ファーストだとは思ってなくて同期には研究でめちゃくちゃ優秀なやつもいるしそういうのもスゴイと思うのだが、それ以上に自分能力がなくても苦労して分かりやすい凄そうな結果を得られた人を評価する雰囲気が感じられるのだ。言い換えるとヤンキーが良いことした方が評価高いパターンだ(自分としては普段からコツコツ努力していざというときには大した努力をせずに結果を出せてしまう方が評価するべきだと思っている)。

結局ニンゲン評価する側の尺度しかのものを測れないと思うので、さして多様な評価軸になってないと感じてしまう。まぁそれで日系企業成功しているのだからこの風土は変わらないのだろうね……。

あと以下に自分がされてよく分からなかった発言をまとめる(あくまで一部企業で言われたことです)

おわりに

こうやって書いてると、特にトップクラス外資企業Web系は採用過程で本当は能力ある人に偽陰性を出してでも偽陽性(=実力なく企業に入られること)を弾く傾向があるのに対して、日系企業面接官に合うかどうかに比重を置いたランダムサンプリングな感じが、自分のこれまでの努力を無下にされた気がして不愉快なんだろうなと思いました。

あーー新卒で600万くらいくれてエンジニアさせてくれるところないかなぁ〜〜(みんな知ってるG社は受かると思ってないのでね)

2021-04-24

anond:20210423234432

なぜSIerに入ったのかというと、ぶっちゃけて言うとここしか内定をもらえなかったからです。要するに私に能力がなかったと言う話になります言い訳しかないですが、本命会社の大部分がコロナ選考を数ヶ月遅らせたりして、後手後手に回ってしまった部分もあります

もう少し詳しく言うと内定もらえそうな会社は他にもいくつかあったのですが、内定もらえそうな手札の中から一番データ分析周りに関われそうだったのがこの会社だったという感じです。それなりに大きい会社だし、ここまで悲惨な感じにはならんだろと高を括っていた部分もあります。少なくとも紙でコーディングとかそんなのあるわけないだろwとは思ってました。

ただ、中に入ってみて詳しく話を聞いてみたら実際は「偉そうに話されるきらきらの弊社ソリューション活用事例が大体親会社仕事」でうーんという感じではありますが...

また、内定承諾あたりから半年から1年ほどの経験で、記事中で書いた安定性についての考え方の例のように自分の考えにかなり変化があったというのもあります。これに関しては書き出すとまた別の記事をかけてしまえるのでここではサラッと流します。

anond:20210423235614

>> 中学コンプラビジネスマナービジネス文書なんてやらねーだろ

かにイラつきながら書いたので中学は盛りました。

ただ、修士出てるなら論理的文書を書くのは当然できますし、就活をして内定を得た人でビジネスマナーが身についてない人はいないと思います

コンプラ一般常識範疇だと思うのであまり議論する気はないです。

2021-04-23

うつ病診断されて会社を辞めて復帰するまでの話

軽度ではあるものの、人生初のうつ病の診断を受けて休職期間を経て会社を辞めることになった。一応復帰することができたので、振り返りも兼ねて経緯を記しておく。

私のうつ病仕事に起因するものなので、同じように仕事で悩んでいる人や、実際にうつ病休職している人の参考になれば幸いである。

自分スペック世間一般的には高いほうだと思うので、そういう意味では参考にならない部分もあるということは前もって断っておく)


【私のスペック

・男 30代

・既婚(子供はいない)

旧帝大

職歴中小企業2社、大企業2社(システムエンジニア事業会社企画・開発などを経験


うつ病と診断されて休職するまでの経緯】

スペックを見てもらえばわかる通り、飽きっぽい性格のためか同年代比較して転職回数は多めだと思う。

ちなみに過去転職理由は、年収を上げたいとか、業界を変えてみたい、という理由によるもので、今回のようなネガティブ理由によるものではなかった。

直近の会社の在籍期間は3年ほどで、過去会社比較すると一番長く勤めていた。

主にDX(デジタルトランスフォーメーション)を推進するような部署所属しており、私はデジタルデータ活用に関わる施策企画・開発に携わっていた。

それなりに成果も上げて役職も上がり、2年目くらいまではまぁまぁ充実感を得ながら働くことができていたと思う。

体調、というか精神面に異常を来すようになり始めたのは3年目くらいかである

人手不足もあったことで担当する業務領域が増え始めたことと、役職が上がったことでより厳しい成果のハードルを課されるようになったことで、だんだん精神的につらく感じることが多くなってきた。

これまでは自分の手を動かしていればある程度うまくいっていたことが、利害関係者との調整・偉い人への根回し、といったような難しいコミュニケーションが増え始め、なかなかスムーズにことが運ばないことに不安や苛立ちを感じるようになってきた。

コロナ禍でリモートワークがメインになったこともあり、直接会話すればすぐに済むようなこともチャットを何往復する必要があったりと、そういったこともフラストレーションをためることにつながったかと思う。

次第に以下のような症状・変化がみられるようになってきた。


・頭がぼーっとする、思考能力の低下

・本が読めない、資料も読めない(文字は入ってくるが、理解ができない)

自暴自棄感覚会議をすっぽかすようになった)

趣味もやらなくなった

日曜日は翌日のことを考えて何もする気がおきない(ずっとベッドのうえ)


会議をさぼるようになると他人仕事にも影響が出てしまうので、「これはさすがにまずい」と思ったものの、だからといって会議に出れるようになるわけでもなかったので、とりあえず上司相談した。

最初業務量を減らして様子を見ることにしたが、それでも自分仕事へのモチベーション低下や、思考力の低下は改善することがなかったので、

精神科にいくことを勧められ、軽度のうつ病の診断を受けた。

(ちなみに「軽度」としているのは、一般的にはうつ病になると性欲や食欲の低下も見られるらしいが、私の場合はそこまでには至らなかったので「軽度」とされた)

しばらく薬物療法仕事をしながら経過を見ることになったが、どうにも仕事に手がつかなくなってしまい(がんばって働く意義を見出せなくなり)、また妻からの勧めもあり、私から休職したい」と申し出て休職することになった。


うつ病となった要因 ※自分なりに考察したもの

病院では上記のような症状を伝えただけで「うつ病」と診断されたので、要因は自分で「これではないか」と考えたものである

(他の病院セカンドオピニオン的なものを受けたわけではないのでなんともいえないが、患者言動をもって「うつ病」と診断するのはあまり科学的ではないし、仮にも医者を名乗っているのにそんなんでいいのか、とは思った。本筋ではないのでここでは深入りしないが・・・

仕事から離れて時間的精神的な余裕ができたことで、過去自分心理状態客観的に振り返ることができたのはよかった。

今冷静になって考えてみると、うつ病の直接的な要因となった業務内容(利害関係者との調整など)はリーダーマネージャーであれば普通にやっているようなことである

にもかかわらず、精神的に不安定な状態となってしまったのはなぜか。(自分リーダーマネージャーの適正がなかった、ということも考えられるが、それだと解決にまで至らないのでいったんそれは置いておく)


・自他の境界あいまいであった

今までの人生でもそうであったが、私は他人言動に惑わされることが多いように思う。つまり、「他者領分自分領分にまで侵略させてしまう」といったようなことだ。

具体的には、自分のやり方を批判されたり注意されたりすると自分自身が責められているような感覚に陥ったり、他人要求を(それが理不尽ものだとしても)突き返すことができなかったり、などがあった。

これはいわゆる認知心理学的な話で、ネットやいろんな本を読んでみたところ解決策としてはマインドフルネスだとか感情ノート自分が感じたネガティブ感情ノートに書いてみて、あえて肯定してみるトレーニング)が多く挙げられていた。

とりあえず実践はしてみてはいものの、今のところ効果があるのかはよくわからない。(もしいい解決策があったら教えてください)


コントロールできないことにこだわりすぎた

上の話から派生するものかもしれないが、自分ではコントロールできないことにこだわりすぎたように思う。

結果にこだわってどう動けばいいかだんだんからなくなっていった。結果や評価というものは結局他人が決めることで自分ではどうしようもないことだと早く気付くべきだった。

自分自分が考える最善のプロセスを踏むしかない、とある意味開き直ることが大切だったと今は思える。


コロナという状況で外出する機会が減ったおかげもあり、読書ネットでの情報収集を通じて上記のような思索ができたのは良かったと思う。


【その後について】

これまで真面目に働いてきた反動なのか、結局半年ほど休むことになった。次第に精神的に安定もしてきて、薬の服用も少しずつ減らすことができている。

うつ病になった経緯とその要因について振り返りたかったので、その後については本筋ではないものの、一応復帰はできたという事実は伝えておく。


復職することも考えたが、さすがに休んでいる期間が長かったので戻りづらいという気持ちが勝ってしま転職活動を始めた。

もともとキャリアを通じて積み重ねていたことが時流に沿っていたこともあり、求人もたくさんあり転職活動ほとんど苦労しなかった。(特に聞かれもしなかったし、休職していることは伏せた)

結局いくつか内定を得ることができたので、転職をすることにした。

現状より高い年収提示してくれる企業もあったが、あまり高いハードルを設定するとまた同じことを繰り返しかねないとも思い、お断りさせていただいた。


余談だが、今回、学歴職歴人生におけるリスクヘッジになることを改めて痛感した。

少なくとも書類選考で落とされることはほとんどなくなるし、「いつでも転職できるし辞めてもいい」という感覚を持てるのは今後の仕事人生でもプラスになると思う。

もし学生の方でこれを読んでいる人がいたらこれが一番伝えたいことかもしれない。


以上です。

正直最後のほうは多くの人参考になるものではなかったかもしれないが、こういう人もいるんだよということで同じように悩んでいる人の参考や助けになったのならうれしいです。

2021-04-22

偏差値60のそこそこ上手くいく人生の果てに、つまら大人になりそう

合法的自分語りをしてもいい場所だと聞き、俺のことをまったく知らん他人自分人生を見てどう思うか気になったので、初めてこの場を借りてこんなのを書いてます。そういうつもりは毛頭ないんだけど自虐風の自慢みたいな話にガチギレして憤死しちゃうような方は自衛してくれ。

まず現状。

マーチ下位レベル大学3月卒業したばかり。就活はかなり上手く行った方だと思う。大手優良企業代表格みたいな大企業から内定をもらい無事就職、このまえ初任給を受け取ったぐらい。同期は数百人いて、大半は顔も名前わからん大手特有のアホみたいな福利厚生で、自己負担3万でそこそこの広さで一人暮らしを始めた。

続いて今までの話。

まれも育ちも東京。両親メガバン銀行員のクソお堅い家庭に生まれ幼稚園小学校と社宅住み。きょうだいは姉1人。チビのころはセミ取りとかが好きなヤンチャで割とクソガキだったと思う。ただ環境的に中学受験者がほぼいなかったのもあって勉強小学校の中ではたぶん一番か二番ぐらいには出来てた。中学受験にてそこそこ東大を出す私立中高一貫男子校合格偏差値59〜63ぐらいでイメージしてもらえれば。

特筆すべきこととしては、小3で父親が急死。急な心停止=ほぼ原因不明みたいな感じ。母親曰くほとんどそんなことは今までなかったらしいんだけど、前日クソ酔っ払って帰ってきて、朝にはもう亡くなってたらしい。その日の朝は寝てると思って誰も気付くことな小学校に行ってたけどね。

続いて小6の終わりごろ父親の働いてた銀行の社宅を出て近くに戸建てを立てる。人生初の引っ越し。推測でしかないが、たぶん総額1.2億ぐらいはかかってる。遺族年金とかそれまでの積み立てとか諸々を合わせてキャッシュ一括ノーローンとかいうおよそ母子家庭とは思えないイかれた家の買い方をしたうちの母親の度胸は素直に尊敬する。そのあと生活が苦しいとかもなく、流石にFP2級とか持ってるだけあるわとかは思う。

割と余談だけど、それだけの貯蓄があったこととか葬式の名簿とかみる限りはうちの父親は社内でもかなり強烈に優秀だったっぽい。今となってはいなくなってからの方が長いもんだから他人感すげえんだけど。

続いて中高時代

通ったことある人は割と同意を得られると思うんだけど、中堅進学校って上と下の能力差がすごい。俺は勉強は嫌いだったから下から数えた方が早いような落ちこぼれ一歩手前といった立ち位置

上を見るとほんとにイかれた連中で、俺はここで本当にすげえやつってのは世の中にいるんだなと体に刻み込んだね。真面目なだけで東大に行く奴ももちろん中にはいるけど、その上に狂気的な勉強マシーンとか、スーパーハイスペックの頭おかしい奴(だいたいギャグ方向におもろい)とか、そんな連中も普通に生息してるような環境

これは普遍的にそうだと言えるのかはよくわからんけど、面白いのがそういう連中と俺みたいな勉強できない層が普通に仲良くよろしくやっていられる環境だったってとこ。だから勉強できるやつに僻みとか覚えたことは一度もないし、まあアイツらはちょっと普通じゃないから追いつけんわとか勝手に思ってた。

一度もないはウソだわ。テスト前は僻んでたような気がする。

そんな環境で6年間過ごした。男子校はアホすぎておもろい。二度目があったら通わないけどな。大学受験は私文志望でやる気はあんまりなかったけど、流石に3年の12月ごろにケツに火がついて、第一志望ではないものマーチの下位学部合格し進学。

周りの進学実績は東大とかの国公立15%、早慶55%、マーチ15%、あとはほぼ浪人みたいなイメージ体感いか勉強せずにそこそこいい学歴をつけるかをだいじにしてたもんで学歴コンプはなし。そもそも早慶受けてないし。

薄々気づいてるかもしれないけど、あんまり努力をしないでここまできた。要するにペラ人間が出来上がりつつある。これ、実はもうちょっとだけ続くんじゃ。

大学時代

基本的に私文は大学に行かないみたいな都市伝説があるらしいけど、普通に2/3は出席しないと単位くれない授業が多いもんでわりと大学には行ってた。サークルガチャには成功し、割と力を入れて色々やったりしながら入り浸っていたのもある。もともとあんまり母親とは考え方が合わなくてあまりきじゃなかったこともあって平日はほぼ大学にいて、休日は家にいるみたいなスケジュール多め。例のウイルス流行る3年生まではだけど。

就活ES四通しかさない最強のコスパ就活になった。内定二つに一つ選考辞退、一個webテストでお祈り。落ちたところは第二志望だったしその時点で一個内定持ってたか別に気にはならなかったけど、どうせなら全部通ってたほうが話のタネになんのになあとか今でも思ってる。

最終的に決めた企業経団連ルールを遵守して6月から選考が本格スタートするところ。これだけで特定されたらちょっとやだな。

ES添削だけ同業に入った先輩にお願いした以外は特別なことはなんにもしてない。面接対策特にしなかった。面接官と雑談してたら選考が進んだって感じ。正直自分スペックでは受かる訳ないと思っていたので流石に内定もらった時は驚いた。母親自分の100倍ぐらい喜んでいたので、それを見てちょっと冷めた。顔も知らない奴に優しくするつもりもないんで譲ってやりたいとかは無いけど、流石に俺が受かってる裏で超真面目にOB訪問とかしてるような層も含めて万単位学生がお祈りもらってると思うとごめんなって気もする。

長くなって申し訳ない。で、無事に実家も出て、一人暮らしをする1人の大人デビューをしたというのが現在までの人生の経緯。

ここから会社の話。

ほぼ全部の企業がそうだろうけど、絶賛研修間中

全員を観察したわけじゃないから一概にそうだと括るのも流石に雑かなとも思うけど、ずいぶん人気企業として名を馳せている割には、面白い人間はいなさそうだなというのが正直な感想。もちろん自分のことは棚にあげてます。この会社にいるのはお勉強のできそうなマジメちゃんか、要領が良くてなんでも70点出せるようなタイプ。悪く言えばクソ真面目なやつと薄っぺらい奴だけ。

中高時代にいたようなイかれた連中はここにはいない。国内トップレベル大手にいないんだから、たぶんそういう奴は別のキャリアを歩んでるんだろうなと思う。

ふと自分に立ち返って考えると、自分だってその一員だということに気づく。人生経歴から言ってどちらかと言えば比較的要領がいいペラペラ層にあたるようで、自分が嫌いな"つまんねえ大人"にどうやらなってそうだという気づきがここ最近自分トレンドです。

ガキの頃は置いておくとして、中高時代学校に行けば何かしら面白いことは起きたし、大学時代サークルにそこそこ心血を注いできたからやることに困ることなんてなかった。

今、社会人になって、俺は何をする人間なのかが分からなくなりつつある。仕事して、寝て、休みの日にはダラけてるだけって虚無じゃね???あれ???

と、思ってクソ長い自分語りをしてみた。ここまで読んでくれた暇な人、ありがとう。今後の生き方の参考になりそうならするので、悪口でもなんでもいいんでこういう人生感想を残していってくれると嬉しい。

2021-04-21

anond:20210421224156

どっちなんだ

俺は内定取れなかったのに無能内定取れて悔しいマンなのか

新入社員がクソ人事のせいで無能から使えねえ辛いマンなのか

内定ゲットしたクソどもへ

料理人になろうってやつは、ジャガイモの皮むきぐらい出来るようになっとけ

プロ棋士を目指すのに、駒の初期配置を知らないやつがいるかよ

ITエンジニア会社入社するなら、タッチタイプは出来るようになっとけ。

教える側は「そこからかよ!」って思っちゃう

そのくらい、就職前に練習できるやん? クソが。

だって、貴重な新卒カードベットしようって思う業界なんでしょ?

まったく空手入社してくるとか思わねーよ、

クソなのか。

それすら出来てないで入社しちゃったやつは、場違い認識しろ

そんで5月連休、人が遊んでいる間に、必死キャッチアップしろ

野菜の皮むき、将棋ルールコンピュータの基本操作

これらは7日間で身につくやろ。

クッソ頑張れば。

2021-04-19

現役教員が語るいじめを見つけた時の対応方法

1.教員場合

教員なら無視一択だ。最初に少し注意したら後は放置だ。基本的いじめ対応仕事が増えるだけだし、自分評価も下がる一方だ。当然被害者自殺したりして大事になると大問題になるがその可能性は限りなく低い。そんな可能性に怯えるくらいなら大地震に備えて日頃から防災頭巾を被って生活した方が建設的だ。

2.生徒の場合(中高生がこんなところ来るべきではないが)

教員によって対応を変える必要がある。

教員が真面目に解決しようとしてる場合

第三者を保つべきだ。いじめには直接参加せず、被害者から距離をとり、加害者とは仲良くしつついじめには参加しない。

教員解決する気がない場合

いじめに参加した方がいい。いじめをする奴にクズはいない。クズクズからこそ人から嫌われるので人をまとめることが出来ない。いじめ主犯は人を束ねて、1つの目標に向けて動かせる人物であり、社会ではこのような人物を有能な人物と見なす。実際就活ではこのような人物がバシバ内定を取っていく。勝ち組最有力候補とつるんでおくのは将来確実にプラスになる。下手な勉強よりは有益かもしれない。

どちらにせよ大事な事は被害者を助けてはいけないことと、加害者と仲良くすることだ。

被害者はいじめによって人生壊され、性格も歪んでよほど才能と環境に恵まれない限りまともな大人になれないので助ける価値はありません。

学校では教えられないけど社会人ならば分かると思う。

2021-04-17

anond:20210417093751

俺もこれ。

就職の際の保険として教員免許取ったが、まあ部活で土日潰される職になんか付きたくないよな。

民間内定もらえたんで採用試験さえ受けなかった。

2021-04-16

市役所で働いていた子をITコンサルスカウトしたら指名停止になったことがある

もう何年経つだろう。

の子を初めて見たのは、とある市町村ふるさと納税制度運営パートナーを決めるためのプロポーザル型入札の会場だった。

100㎡もないだろう狭い会場の中に私達のグループが入ると、市の職員が数名、一番遠くの壁に並んで立っていた。ふるさと納税担当部署職員だった。

その一番左端に、その子はいた。若い職員だった。爽やかなセミフォーマル姿で、装いはパリッとしている。物憂げな瞳を足元に向けて不安そうにしていた。

スライドの正面には、険しい顔つきの幹部職員が座っていた。審査員の顔を見渡し、私達は最初挨拶会社説明者の紹介)を簡単に述べた。副市長の「それでは始めてください」という合図と一緒に、『その子』もすぐ後ろにあった長椅子に他の職員とともに腰かけた。

なぜ、その子の姿が目についたかというと、清潔感だ。清潔感がとんでもなかった。若いっていいな、自分あんな25くらいの頃に戻りたい、という雑念を捨ててノートパソコンを立ち上げ、レーザーポインタを起動した……

約1週間後、弊社がめでたく第一候補者(※ほぼ内定という意味)として選ばれた。契約書に押印するため、F市役所へと、私が席を置いているオフィストップ(所長としておく)と一緒に向かった。

ふるさと納税事業担当課(地域を盛り上げる的な名前が付いていた)の窓口に行くと、まだ約束10分前だというのに、その子Sさんとする)が待機していた。あの時と同じように緊張した面持ちだった。すぐ隣には、四十代半ばくらいの男性上司がついている。

「先日はどうもありがとうございました!」

「緊張しましたよ~」

みたいな世間話ちょっとした後……契約書に印紙を貼って、割り印をして、契約者名のところに押印をして、最後に捨て印を押そうとすると、いらないですと言われ……そして、Sさん契約書を手渡した。

Sさんが不慣れな手つきで2枚の契約書に市長印鑑ゆっくりと押すと、はにかんだ笑顔で1枚を返してくれた。

「今後、私がF市の事務担当者になります。今後ともよろしくお願いします」

こちらこそ。私が弊社の窓口です。宜しくお願いします」

こんなやりとりだったかな? 男性上司の人は、「この子がメインで渉外を担当します」と説明していた。

私は、その年若い事務担当者のことが気になっていた。

Sさん大学出て何年くらいになるの?」

衝撃を受けた。想定よりずっと若い人だった。

私がSさんくらいの時は、毎日サークルの部室でごろごろして、アルバイト帰りに仲間と飲みに行って、恋人と別れてショックを受けたりしていた。

それだけに衝撃だった。異常だ、とその時は感じた。でも、それは私達から見た場合感覚であって、向こうからすれば違う。高校を出てそのまますぐに就職する。そういう人も多くいて、たまたま私達の世界大卒が多いだけで。それだけの話だった。

大学生ほどの年齢の子が、ふるさと納税という大きなお金が動く舞台で、公務員組織にとっては重大なチャレンジであろうこの機会に、一応はプロITコンサルITだけじゃないけど…)である私達と折衝する役割を担っている。

私の経験上、官公庁側のこういった花形事業担当者は、〇〇長が付くような役職の人か、30代前半くらいで、昇進が期待されている人が選ばれる。



契約期間は2年だった。

その間に、ふるさと納税制度の導入パートナーとして、システムの整備やら、返礼品の選定やら、業務フローの構築やら、その自治体が安定して制度を回せるまでの準備をしていく。

3年目に晴れて制度スタートしたら、弊社はシステム保守業者として、毎年度、特命一者タイプ随意契約によって安定的仕事を得ることができる。

肝心のSさんだけど、こちらの想定よりも頼りになる子だった。普通なら無理なお願いも聞いてくれて、それでいてこちら側の仕事、主にシステム関連の知識をぐんぐん吸収していった。

地頭がよく、それでいて物事に対して本気になることができる。そういう子だった。

ちょっと脇道に逸れる。

この時は、「F市ふるさと納税制度導入パートナー選定業務」みたいな件名で入札が行われたのだが、弊社が勝つ確率は約85%と推定されていた。

というのも、入札実施の前年度に弊社がF市に呼ばれ、「ふるさと納税をやろうと考えているのですが~」といった具合に相談を受けた後、参考見積書と設計書をF市に提出していた。そして、入札にあたっては、その参考見積書と設計書がそのまま採用されている。

おわかりいただけたかと思うが、他社がプロポに入れないよう、提出書類に予め細工をしておくのだ。そうすることで、こちらに有利な形で契約を取りに行ける。実際、プロポに参加した企業は弊社のほかに2社しかなかった。その経済圏におけるライバル企業の数は優に10社を超えているにも拘わらず。

一般に、地方自治体担当者はIT関連に疎いことがほとんどであるため、こうしたこと通用してしまう――でも、Sさんは違った。上記に挙げた弊社が勝った理由について自分なりに考えて、私達に指摘をしたのだ。

「ほかの自治体でも参考見積書を出したら入札にかなり勝ちやすいんですよね?」と自然に切り出したうえで、他社が入札に参加できないように行った諸々のワザを見抜いた。

Sさんは、システム関連の勉強をして、プログラムの打ち込みに挑戦して、職場でも、電子機器の導入やセキュリティ責任者といった役割を買って出ていた。

一方で、おっちょこちょいなところもあって、メールに添付文書を忘れるのはしょっちゅうだ。褒められると顔を真っ赤にする。急に頭の回転が鈍くなって、とんちんかん冗談を言ったりする。

一応はコンサルなので、競合他社と同じく顧客評価ランク付けを行っている。その中でも、F市のランクは高い位置にあった。

無茶な要求をしないし、レベルの低い問題でいちいち呼びつけたりしない(自分達で解決する)し、十分な契約金額と契約期間を用意してくれた。市役所内のシステムの深いところの情報(通常、外部組織に閲覧させるべきではないもの)を見たいといった時も、システム管理課に掛け合ってくれ、数時間もかから情報を手に入れることができた。

その2年間で、Sさんの表情が曇る時もあった。

年配の職員Sさんの隣に座っていたのだけど、折り合いが悪そうにしている時があった。その先輩がSさんに行った指摘について、私が座っている窓口まで聞こえることがたまにあったが、大抵は些末な内容だった。

文字の送り仮名(行なうじゃなくて行うとか、見積もりじゃなくて見積りなど)や、請求書の処理件名の些末だと思われる部分の指摘、イベント運営マニュアルでの各人の動き方(特にその先輩の)について具体的に文書で示すようにとか、ほかにもグチグチと同じようなことを言っていた。その人との話が終わった後に窓口に来たSさんは、大抵ムスッとしていた。表情が曇っていた。

ある訪問機会のことだった。うちの所長が私と一緒に来ていて、Sさん一人が役所玄関まで送ってくれたことがある。玄関から離れて社用車へと歩き出す直前、私はついに言ってしまった。

Sさん公務員も向いてるけど、コンサル業界も向いてるんじゃない!?」

反射的に「やばい」と思って、所長の顔を見た。

「うん。Sさんウチおいでよ! 歓迎するよ」

所長もノリノリだった。Sさんは俯いて、唇を尖らせていた。

「まだ21なんですけど」

大丈夫。また今度考えてね。〇〇さん(※私)も応援しているから」

帰りの車の中で、所長が言っていた。

「もちろん冗談だよ。あの子公務員の方が向いている。でも、うちの採用試験に来てほしいとも思う。働けるだけの実力は多分持ってる」

……それから一か月後。私の携帯電話が入った。Sさんからだった。

弊社の採用試験を受けたいらしい。

市役所仕事あんまりきじゃないんだって。今の仕事楽しいけど、前の部署戸籍仕事をしていた時は、やめたくてしょうがなかったんだって。何から何まで細かすぎるところと、自分で考えて動けないのが嫌なようだ。自分で考えて、自分で動いて、結果に対して責任を取るタイプ仕事がしたいらしい。

私一人で考えてもしょうがないので、所長に報告をして、本社スタッフ部門にも相談したところ、結論が出た。

採用試験は受けられない

理由①として年齢。大学を出ていないコンサルタントはいるが、そこまで若い人は例がない

理由②として取引先との関係。人を奪うようなことをすべきではない。彼女が本当にその気であれば止めないが...

あなた達がそこまで推すなら、23才になったら採用試験を受けてもいい。ふるさと納税導入パートナー契約期間が終わるまでは必ず待つこと。

あと1年ちょっとだった。

私はこの時、Sさんにとってどんな道がいいのか? と思案していた。

普通に考えれば、地方公務員の方がいいだろう。コンサルタントの道を勧めてよかったんだろうか、あの子を不幸にしやしないかという不安に捉われたのを覚えている。自分で言い出しておいて、本当に勝手なことを考えていた。



それから約1年後。弊社が借りているオフィスの一室に、Sさんスーツ姿で現れた。

相変わらず、清潔感が抜群だった。真白のシャツがよく似合っている。

試験は何の不安もなかった。書類選考は顔パスだし、筆記試験(Webテスト)は限りなく満点に近かった。

一次面接を務めた私と所長は、Sさんに対してほぼ同じ結論を下した。内容としては、①地頭がいい。頭の回転の速さも悪くない、②温かみがあり、顧客安心に繋がる話し方である、③偉ぶったところがなく謙虚姿勢が見える、といったものだった。

本社での二次面接も無事に終えた。面接官だったディレクター日本企業でいうと本部長~役員くらい)に電話で話をうかがったところ、「概ね一次面接の印象のとおりの子だった。難点として、芯が弱いところがある。強烈なキャラクター顧客相手だと通用しないだろう」とのことだった。

「次の面接には進めますか」と聞いたところ、「三次面接を行う必要はないと判断した。他社も受けているとのことだったので、ここで内定を出す。弊社のほかは辞退するように伝えてほしい」

当時のメモによると、私はディレクターとこうしたやり取りをしていた。懐かしい思い出だ。

当時は、「Sさん採用されますように! 弊社でなくても、ほかのコンサルに入れますように」と毎週のように祈っていた。それくらい、Sさん性格のいい子だった。今でも、あの笑顔を思い出して幸せの余韻に浸ることがある。



そろそろ結末について話す。

Sさん退職時期と、ふるさと納税導入パートナー企業としての契約期間の満了はほぼ同時だった。

最後Sさん職場を訪れた時の、あの男性上司の苦渋の顔を忘れることは難しい。

やるせない表情をしていた。見た目は笑っているけど、心の中でなにかヘドロのような汚物ブンブン飛び回ってるんじゃないかって、そんな顔つきだった。

Sさんがうちに来てくれたのは嬉しいけど、本当に申し訳ないと思った。

さて。通常のパターンだと、ふるさと納税運営していくための基幹システムの整備や地元産品の手配体制業務フローの構築などを終えると、弊社はシステム保守管理地方自治体から請けることになる。

……タイトルにもあるように、弊社は入札の指名を受けられなくなった。法律上指名停止の理由にあてはまらないので、指名リストに載ったまま『除外』された。弊社はもう、F市から参考見積書や設計書の提出を依頼されることはないし、プロポーザルに呼ばれることもないし、参加申込ができたとしても必ず負ける。

システム保守管理は、F市が戸籍市民税システム保守を請け負っている会社が一任することになった。その後、弊社のスタッフがF市を訪れたことは一度としてない。

当初は、「ウチのスタッフがいないのに保守なんてできるの?」と疑問に思っていたけど杞憂だった。Sさんが気を吐いて、どんな職員業者に当たってもシステム運用管理保守が担えるように引継資料を作っていた。

今回のような事態予測したり、意識していたわけではないだろう。ただ、Sさん仕事に対してひたむきな人だったから、物事に対して本気になれる人だったから、普通地方公務員レベルはるかに超えて、みんなのために頑張ることができた。それだけだ。



筆に熱を込め過ぎた。反省している。

あれから4年以上が経って、私は別の会社転職した。SさんはITとは別の分野に異動になり、忙しい毎日を送っている。はてな匿名ダイアリーを見ている可能性は0%といってもいい。それくらい忙しい環境だ。辛い日々を送っているかもしれない。いや、確実に辛いだろう。それこそ地獄のように。

今でも思い返すことがある。私があの時、Sさんを誘ったのは本当に正しかたかということだ。

私はSさん職場で悲しい顔をしていた時、なんとかしてあげたかった。そんなことはできるはずもないけど、それでも助けてあげたかった。だから無責任立場ではあったけど、うちに来てみないかって、声をかけた。

本人にとって良き選択だったのか、それがわかるのはまだずっと遠い未来のことだけど…過去でも、現在でも、未来でも、私はSさん幸せを願っている。

一緒に働けたのは短い間だったけど、楽しかったよ。また会おうね。

anond:20210416100431

百戦百勝が比喩なのはわかってるから実際100受けてないのは分かるけど、結局何社受けての内定100%なの?

ワガママ承知だが、とにかくなんでもいいか自分就活について語ってくれ

22卒就活生だが、自分が何に悩んでるのかもわからなくなってきた。

とにかくなんでもいいから書いてくれ。現在就活中でもすでに内定出た人でも現役の社会人でもなんでもいい。

人の体験談を聞くとちょっとは悩みがはっきりするかもしれない。頼む。

anond:20210415103732

リア垢繋がりの先輩に居酒屋を紹介してもらい、店長と合わず2ヶ月で退職

次は同級生の子バーを紹介してもらい、職場の人と合わず3ヶ月で退職

その次は中学同級生飲食店を紹介してもらい、これは先月で退職し、3年くらい続きました。

健全時間帯にやる店が合っていたんだと思います

夜のバイトは19〜22時しか入れなくてあまり収入がなかったし、何故か決まって人間関係が荒んでいたので合いませんでした。

人間関係の相性にデリケートなみたいですね

増田をよく知ってる人の紹介でインターンに入って、相性のある職場をじっくり探したほうがよさそうです

面接じゃお互い表面しかからないですしね

コネがあるわけでもないし、親は60代元教師就活説教は全くアテにならないし、聞いてくるだけで害悪だと思います

「親御さんも心配してるんだよ」と言われそうな案件ですが、私には親に心配されることが迷惑で、その身勝手心配のせいで今までの人生ロクなことがありませんでした。

正月や盆休み20代後半独身の人が親戚に「良いお相手はいないの?」と言われる感じですよね。

悪いことばかりじゃないけど、自分にこだわりが強くて他人意見を聞かなさそうな印象を受けました

面接でこれを見抜かれると就活ではなかなか受かりません

寄生虫になるのも嫌だし、内定なかったら実家に帰って中距離恋愛しようかなと考えています

彼氏さんも大学生からかもしれないけど、愛情があるなら頼るところは頼ってしまったほうが楽ですよ

どうやったって誰かの助けなしには生きられないのだから

2021-04-15

就活で受かるタイプ

死ぬほど当たり前だけど体育会系の美形が残る

たかだか20分話しただけで人間性なんか分かるわけないじゃんね

からなんとなくの雰囲気で選ぶしかない

発達障害(多動)持ちで貯金を整形につぎ込んだ私は正直内定たくさん貰えたけど結局仕事できなさすぎて社会に出てから詰んでる

就活失敗しました〜

書き込みです。

現在22歳、21年既卒、女、彼氏持ちです。

この春から立派な無職になりました☆

私は美術大学に入り、デザイン勉強をし、就活では主にデザイン制作会社を受けていました。

他には分野外のデザイナー職やゲーム会社イラストレーターなども受けました。

受けた会社は、志望度が低いと相手にも分かってしまうだろうし、自分志望動機履歴書に書ける気がしなかったので、志望度が高いところだけ受けました。

なので数は1020社と少なめです。

1次面接1回、グループディスカッションを1回こなしました。

それ以外は書類落ちか辞退です。

グループディスカッションは二度とやりたくないです。

就活を始めたのは4年生の6月と遅めだったので、それが結構まずかったかな〜と思っています

最初結構楽観的で、今まで留年浪人もせずそのまま生きてきたため、就職何となくできるものだと思っていました。

いや〜甘いですね!

3年生のインターンなど行かなかったので、壊滅的に不利でした。

コロナ禍というのもあったかもしれませんが、やはり私は「就活」に向かないと考えたりします。

というのも、私は大学に入ったばかりの頃、バイトをしようと3,4個くらい受けて全部落ちました。

学生バイトは受かりやすいはずなのに、全然受かりませんでした。

この経験があって、就活ちょっと不安がありました。

その後のバイトは全て人からの紹介でした。

リア垢繋がりの先輩に居酒屋を紹介してもらい、店長と合わず2ヶ月で退職

次は同級生の子バーを紹介してもらい、職場の人と合わず3ヶ月で退職

その次は中学同級生飲食店を紹介してもらい、これは先月で退職し、3年くらい続きました。

健全時間帯にやる店が合っていたんだと思います

夜のバイトは19〜22時しか入れなくてあまり収入がなかったし、何故か決まって人間関係が荒んでいたので合いませんでした。

飲食バイトを長く続けたのは好印象だろうし、大学では学祭や卒展の運営に加わって役職を頑張ったし、10年くらい続けてる趣味もあるし、受け答えは1年生の頃よりは成長しているだろうと思ったら全然でした。

こういうのって、運営ではリーダーやらないと意味ないんですかね。そういう印象を受けました。

就活アピールするために頑張ったわけじゃないけど、「あの頃やったことは無駄だったのかなあ」という虚無感を感じました。

書類を通っても、必ず面接で落とされます

上記の通り、最終面接には行ったことがありません…(´・ω・`)

キャリアセンター履歴書を見てもらったり、模擬面接をしてもらったりしましたが効果はありませんでした。

新卒なので何が悪いか教えて貰えないまま、色んな会社に落とされ、「自分ダメ人間からか」と思うことも多いです。

4年生の3月半ばまで正社員の応募をしていましたが、最後のところが書類で落ちたあと社員登用のあるバイトを探し始めました。

これもまあ、見事に受かりません。

書類審査があるところは書類で落ちるし、書類審査なしのところは面接で落ちます

デザイン仕事をする」という夢を諦めて事務や提灯職人など全然別の仕事にも応募しましたが、ダメでした。

右翼曲折してまた結局正社員仕事を探していますが、電池が切れてきました。

次落ちたら、しばらく頑張れそうにないです。

ここまで書いていて決定的に面接が下手な感じがしますが面接練習もっとせえってことですよね…。はい…。分かります…。

私は自分の話をするより人の話を聞くことが多く、友達と話していても「人より表情が乏しい」「声に抑揚がない」と言わたことがあり、それが関係あるかもしれません。

面接では飲食店バイト接客していたときのようにハキハキ高めの声で喋り、笑顔も心がけていたつもりでした。

私は現在大学生の彼氏半同棲しており、今月就職できなかったら来月の収入0で彼氏居候代が渡せません。

これまでもコロナ禍で収入が減ってあまり渡せていません…。

「早く就職して彼氏負担を減らしたい」と思っていましたが、今の惨状を見るとしばらく無理そうですね。

寄生虫になるのも嫌だし、内定なかったら実家に帰って中距離恋愛しようかなと考えています

実家から彼氏の家は1時間半くらいです。

今考えてることは彼氏にまだ言ってません。

親や兄弟とは仲良くなく、本当は実家に帰りたくありません。

いわゆる毒親というもので、今までもまともなことを言われてこなかったし、これからもそうです。

毒親エピソードは省きます

3月までは様子見だけで言われなかった「就活はどうなった?」という質問もしてくるようになりました。

コネがあるわけでもないし、親は60代元教師就活説教は全くアテにならないし、聞いてくるだけで害悪だと思います

「親御さんも心配してるんだよ」と言われそうな案件ですが、私には親に心配されることが迷惑で、その身勝手心配のせいで今までの人生ロクなことがありませんでした。

正月や盆休み20代後半独身の人が親戚に「良いお相手はいないの?」と言われる感じですよね。

病院にかかるほどではないですが、就活鬱っぽい思考回路になっています

飲食バイトは紹介でたまたま人間関係良かったから上手くいっただけで、私は他のところだとなんにも出来ないのかなと思います

上昇志向はありませんが、仕事を与えられれば精一杯頑張るし、質問するし、自分が成長できると思っていました。

採用されないということは、そういう適性がないんだと言われてる気がして、自信は前ほどありません。

就活では「リーダー」が人気ですが、リーダーばっかりでも社会が回らないし、私みたいな下につくタイプ人間だって採用してくれてもいいのにな、と思ったりします。

まだ社会に出ていない甘い考えで語るのも恥ずかしいですが、こんな感じでモヤモヤしています

もう1回、大学1年生からやり直したいです。

面接を当日辞退した

内定が出そうで、不安で、このままでいいのか分からなくて、辞退した

 

面接よりカウンセリング受けた方がいいのかな

2021-04-13

anond:20210413161726

なんとなく大学に行って

なんとなく大学卒業して

なんとなく7社目で内定もらって

なんとなく会社で働いて

なんとなく出会い系サイトで知り合って

なんとなく同棲して2年後に結婚

なんとなく3年経過して今に至る

なんとなく仕事やめたいと思いながら

なんとなく続けるんだろうなと思う

なんとなく、そう思う

他人心配されるのがつらい

私は現在、ある国立大学大学院生をしている。

M2就活中、ちなみに内定はまだない

まあ内定はいつかどこかからはもらえるだろう。

それはいいのだが、私は障害者である

吃音症やADHD、またそこから鬱病発症した

これらのことは周囲に隠していた

就活にも影響は出るし、吃音症なんか人によっては私のモノマネをし、馬鹿にしてくる

こういうことを経験してきたので、私が持ってる障害病気は周囲には絶対に言ってこなかった

しかし、最近、更なる障害としててんかん発症してしまったらしい

研究室で2回、アルバイトで1回、意識消失して救急車病院に運ばれた

目の前で意識消失されると、周囲の人はびっくりするのか、ひどく私を心配してくる

その他人から心配を私は心から受け入れることができない

今まで自分障害馬鹿にされてきたからだ

この優しさに対して何か裏があるんだと思ってしま

どうしよう

鬱も悪化してきました

池江璃花子という五輪マスコット

NHK世論調査で、五輪開催賛成が6割にも増えていたことがわかった。無観客などの条件付きを含めるが。

少し前に開催反対が8割という世論調査を見てたから、賛成が一気に3倍に増えたことになる。

この間の五輪関係出来事は、聖火リレーグダグダ池江璃花子五輪代表内定の2つくらい。

まり池江璃花子五輪開催の国民世論を逆転させるためのマスコットになったのだ。

仕組まれた事案か否かはわからないが、少なくともマスコットの役目を果たしたのは紛れもない事実だろう。

彼女コロナウイルス日本さらに広げるマスコットにもなるだろうがね。

内定取り消しってやべーよな

俺が内定取り消しになったわけじゃないんだけど、内定取り消しってもっと糾弾されていいよな。

内定取り消し可能性があるので、複数内定を受諾しておくことがベストです」なんて風潮になったら、

採用側も困るんじゃないのかな。

2021-04-11

早く職業クラスター発生してほしい

安定した収入正社員立場を手に入れる為に

お前の元で働いてるんだよ。


面接の時に、両親・兄弟恋人職業

平気で訊いてくる時代遅れ環境には

絶対に馴染めないと思ってたけど。


から面接が終わって帰宅するまでは、

絶対に蹴ろうと考えていたけど、

いざ内定貰ったらお金欲しさで就職しちゃった。


案の定馴染めてないけど、

コロナ禍が原因で浮いた感じあるし、

そんなもん想定済みだったか

幾らでも浮いてやるよって思ってます


上司友達とか全然いないんだろうな。

父親のこと嫌いなのに仕事を継いで可哀想

デリカシーがなくて可哀想

一生FAXコピー機とお友達でいて下さいね

ウケる


喋る間だけマスク顎へ下げるの本当に馬鹿

早くクラスター起きて潰れろ。

anond:20210411004536

まだまだ優良企業残ってる、というか選考まだの超大企業もいっぱいある時期だし

僕は早稲田だけど、20くらい受けて内定一つとか、中小落ちて大企業入ったとか当たり前だから

せっかく京大入ったんだし捨て鉢なっちゃだめだ。

新卒カードの強さは計り知れない人生が変わってきちゃう

anond:20210411004536

京大卒だけどない内定クズというキャラユーチューバーやればワンチャンあるんじゃん?

無い内定クズならFランはいくらでもいるが、

京大卒というブランドがあって無い内定クズなら珍しいからやはり京大は得

anond:20210411000436

大変厳しい物言いではあるが、新卒就活内定がなかった、紹介してもらって非常勤職員として働いた、それが「コピーを取ったり簡単な打ち込みをしたり、来客にお茶を出したりするような仕事だった」という時点で、ずっと問題を先送りにしていたように思える。その結果が「転職も考えたが、スキルがなかった」わけで、コピーお茶出しを続けていたらそりゃそうなる。どうすればよかったかというと非常勤職員最初の数年の時点で簿記でもなんでも資格を取得して、第二新卒あらためて就職すべきだった。スキルがなくても常に転職活動アンテナを貼るべきだった。もちろん、転職市場の状況が良くなかったから、それまでの仕事内容が次に活かせるようなものじゃないから、といったどうにもならない点があったことは同情する。だからこそ早めに危機感を持ってあがくべきだった。「私は公務員だったのに」というタイトルがその危機感や正しい立場理解してなかったことの証左だなと思う。さて、過ぎたことはしょうがないので今の中小企業契約社員営業事務という状況からさらにどう動くか。契約終了となる前にじっくり考えてみて欲しい。チャンスは自分で探さないといけない。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん