はてなキーワード: 児童とは
https://twitter.com/gunden1/status/1425116832470474756?s=20
とりあえずこれを見てほしい。この@gunden1が僕だ。
すでに元のツィートは削除されているが、ゲイカップルが代理母出産を依頼して子をなすのに違和感がある、という内容で別に変じゃない。
僕も確かに違和感あるよねー、っ感じでリプを飛ばした。すっげえ軽い気持ちで。
でまあ、見てもらえば分かる通り、代理母の女性に負担かかるからねー、ってリプがきた。よくあることだしそれは事実だ。
https://twitter.com/gunden1/status/1425243017397489667?s=20
で、こう返した。別に反論とかするつもりはなくて、倫理とか問題あるけどこういう場合はどうなるんだろうねーって感じで。
https://twitter.com/rihito101/status/1425450080832659459?s=20
そしたら、ツイッターで晒されたらしくこんな感じのリプや引用RT、いいね爆撃が来るようになった。
https://twitter.com/ma_ru_ko_4/status/1425586973977186305?s=20
たぶんこうやって言ってる人はその話の流れを見ていない。あのリプだけを見てお気持ちを表しているだけだ。
そもそも、僕は産みの母がわからなくなった場合、ゲイカップルが代理母を頼んでまで血を残したいと思はないよね? だから、社会構造の問題も含んでいるよね。と考えるために「これは倫理の問題と言って仕舞えばおしまいなんですが例えば産まれた子供は国に引き取られカップルに割り振るという社会だと代理母の問題は出ないと思う」という問いを立てた。
https://twitter.com/harush1on/status/1425603492329103361?s=20
僕はこうすればいいなど一言も言っていない。ただこの場合はどう考えますか? と聞いただけだ。
https://twitter.com/ayano_f/status/1425592628414869504?s=20
これは脳死女性を代理母とした場合の話のことだろう。実はこの前に一番上の話の流れで問いの意図に答えている。
出産と妊娠は女性にしかすることのできないことだ。そこに男女の差がある。子供が生むには女性は莫大なリスクを背負う。死ぬかもしれない。
それを前提に、例えば脳死状態のようにリスクを無視できる状況なら代理母出産は認められるのだろうか? と問いを立てた。
もちろん僕はそれに倫理的な問題があることは知っている。だから、倫理的にはまずいけどと書いた。
このあと、誤解があったため僕は問いを変えた。
脳死女性が事前に代理母になりたいと署名していたとしても代理母は認められないことなのだろうか? とした。
これはこのとき話していた人が、金銭のやり取りがある代理母出産は人身売買で金銭が絡まないのは臓器移植、といっていたため変更した。
この場合、代理母出産は臓器移植とどの程度違うのか聞きたかったからだ。
https://twitter.com/hideajcc/status/1425484864174772227?s=20
代理母契約も制度をきっちりと引けば代理母側が被るリスクは減り非人道的な扱いは防ぐことができる。
障害児童を引き取ることややり取りする金銭も制度や法律で決めれば代理母もそれほど悪い選択でないと考えた。
https://twitter.com/melumeluwalu/status/1425474492042682376?s=20
ごみんね! じゃあ書くよ。
ただし、私の商業BL漫画の読書範囲はそうとう偏っているので、万人ウケはしない(特に商業BLを現に読んでいる人には……)と思う。
クソみたいな人生を送ってきたヤカラ系コンビニ店員の幸紀は、仕事中にチンピラと喧嘩して刺されてしまう。彼は意識を喪う寸前、空から美しい少年天使が舞い降りて来るのを目撃するが……。
カップルというよりはコンビ。性描写0。キスすらしない。エロ度は限りなく無に近い。主人公のチン毛がチラリズムする程度の下ネタはあり。登場人物の言葉遣いの問題とかで、エロなしだけど小学生以下に見せられるものではない。
エロがまるでないという点では非BL読者には取っつき易いと思うのだけど、そういう作品に限って商業BLの中では極上に面白いやつなので、それで味をしめて他の作品に手を出すとガッカリすると思う。
コマ割りで魅せる。コマ割で涙を搾り取る。会話のテンポが良い。
ロース神父が買い出しに行った先の店に強盗が入った。ロースは強盗犯を追跡し発見したが、強盗犯の正体は年端のいかない少年リブだった。怪しい新興宗教を盲信しているリブを、ロースは救出しようとするが……。(他一編)
性描写はガッツリあるものの、俗にいう「シコい」表現ではないと思う、たぶん。レイプ表現あり。
表題作の舞台はアメリカの田舎町っぽい雰囲気。キリスト教と同性愛という、宗教的にギリギリアウトくらいをせめてる感じ。日本国外では発禁になりそう。
拉致監禁からのレイプ(からの絆され系?)という性表現としてはヤバめのやつだけど、性的な誇張表現はないので、物語上必要なのかなーくらいに読めると思う。それだけに、BLにエロを求めてる人には満足いただけないかもしれない。
宗教的博愛と個人的な感情・欲望の間で揺れるロース神父の心情の表現がいい。
リアル寄りの作風&画風だけど、id:hisa_ino 氏にはブーイングされそうだなぁー(おっさん度の低さ、顔面トカゲレベル※の高さで)
※女の好きなイケメンの顔はトカゲみたいに見える、という、いつかのid:hisa_ino 氏の発言から。
父親が遺した借金の返済を長年続けてきたイーサン。何の意味もない人生に嫌気が差し、生きる気力が尽きそうになっていた夜、彼の部屋に重症を負ったチンピラのマイクが転がり込んでくる。
おっさん×お兄さんのカップリング。エロ度はとても高いものの、BL漫画広告によくあるような逸脱系ド派手危険系エロではない。
舞台はアメリカのデトロイトっぽい渋い世界観だけど、ストーリーは案外少女漫画に近い。
腐向けには珍しく、攻め受け両者ともガチムチ筋肉質で髭あり、攻めはラッコ鍋ムワァである。
絵が上手いが、私の中の法則「絵が上手い人は話を作るのも上手い」にはちょっと当てはまらない……。ごく普通の少女漫画かな。
BL入門書としては『ワンルームエンジェル』よりもむしろこっちな気がする。ガチムチ男祭りという点で、読者を選びまくるものの。
作者が日本語話者ではないようで、台詞回しがほんものの翻訳調である。
絵面はゴリゴリの男同士のエロ表現だが、やろうと思ったらゴムなしで即ハメれるというファンタスティックなエロでもある。
商業BLは案外萌えが少ない気がするのだけど、本作はわりと萌え表現が多いと思う。キャラがピチピチ美少年でないだけに萌える。
id:hisa_ino 氏のお眼鏡にギリギリ叶いそうな叶わなそうなかんじ。
とある事情でまとまったお金が必要になったアポロは、男性向けの高級娼館「シャングリラ」のスタッフとして働くことにした。
アポロに与えられた仕事は「試情夫」といって、娼夫が客の相手をする前の下準備をお手伝いする仕事。新人でノンケのアポロのために、ベテランの娼夫フィーが専属で試情夫の仕事のいろはを教え込むことになる。
アポロ×フィー
私にはエロ度非常に高く見えるのだが、某BLレビューサイトでは「エロ度少なめ」として紹介されている。腐の人たちエロセンサー麻痺ってない?
しかし確かに、メインの二人はキスすらしてないけど……キスはしないのに穴は掘るぞ。
エロ表現はエッチなものの危険なプレイはあまりなく、物語の設定上やさしいプレイが主。
うわーっ、ポルノだ春画だ春宮図だーーー! 目がぁ、目がーーーーっ!! って感じの、ゴージャスでラグジュアリーな絵の眩さに目が潰れそうになるが、腐の人に言わせれば「エロ少なめ」だそうだ。マジかよ。そう言われてみればメインカプの二人はセックスも恋もできないことになっているけど、いや、エロいのはエロいだろ。
エロい絵柄だけど、なかなかじれったい感じのラブストーリーである。現在2巻まで出てるけど、攻めと受けがまだくっつかない。単話で3巻収録予定ぶんも読んだけど、まだくっついてない。
南の島の楽園感、娼館の中の素敵な調度と美しくて陽気な小鳥(娼夫)たちが目の保養。
個人的に細かいキャラ造形が興味深くて好き。フィーの、オンモードの時の優雅な立ち居振る舞いや、アポロにちょっかいをかける時の妖艶さと、オフモードの時の若い男の子らしい仕草の描き分けがすごい。街をぶらぶらしてる時、がに股で頭を左右に振ってそうでいからせた肩で風きって歩いてる様子は、東南アジア系の男の子にこんな歩き方してる子いるよねー☆ってリアルさがある。
そんなフィーも魅力的でありつつ、攻めのアポロがなかなか興味深いキャラをしている。本人はトゥルー&フォーエバーラブ希望だが、行動にはドン・ファンの素質が見え隠れする。
洗濯不足ではない。何かしらの悪い夢を見ていたに違いない。
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妻と子どもの騒ぎとTVの喚きと朝の交通で増加する外からの音量。
目を瞑って気持ちを整えなければならない。出勤まであと40分。
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もともと私が兼業主夫、しかし夜のシフトがある現場への異動要請。
子どもが小学校入学にあたるタイミングで誰も面倒を見られるなくなる。
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家庭の事情による転職、別業種、向いていると言われ、自分でもそう思った。
契約社員、その程度の仕事だ。手取り16万弱、ただ8:30-17:15、休暇は取れる。自宅から25分。
給料は除いた条件で選んでそうなった。
正規への道もあることはある。求められる資格の通信教育を始めた。
でも好きな仕事ではなかった。入って3ヶ月で気付いてはいた。1年7ヶ月、介護職。
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大学卒、小学校教諭、1年で迫られた自主退職、諦め切れず臨時採用で続けた。
児童に厳しくできない。荒れる。やはり、向いてはいなかった。転々とし安定しないのもネックだった。
職業訓練校、ビルメン、7年続いた。便利に使われたが楽しかった。結婚できた。子も授かった。
最後の挨拶では皆ちょっと涙ぐむほどだった。円満な退社だったと思う。
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アクシデントの責任を一方的に取らされた。眠れなくなった。仕事中ふらついた。詰められた。休んだ。
休みが続いている。いや、もう無理だ。もういい。
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そうだ、転職しよう。
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ところで一行空けができないんだが。
児童じゃなくて教師がクラス移動してバラまいたとか、これ賠償モンやで
https://news.yahoo.co.jp/articles/b859f14c64817ec9a9c4fd0c31b7a4220a18b5ae
千葉県船橋市の学習塾で小学生や中学生など72人が新型コロナウイルスに感染するクラスターが発生しました。
船橋市によりますと、クラスターが発生したのは学習塾の「湘南ゼミナール 小中部 西船橋教室」で、9日までに小学4年生から中学3年生までの児童・生徒69人と職員3人の感染が確認されました。
この教室には児童・生徒168人が通っていて、まだ90人ほどが検査の結果を待っているということです。せきなどの症状があった職員が先月31日に感染がわかるまで、すべてのクラスで授業を行っていて感染拡大の一因になったとみられています。
教室ではアクリル板の設置や、サーキュレーターによる換気、マスクの着用といった感染対策がとられていた一方で、一部、窓のない教室があったということで、船橋市が感染の状況をさらに調べています。
「暴力によって悪を懲らしめる女児の集団」であることがプリキュアのテーマだぞ?
なんか勘違いしてるアホがいるけど、人間の99%はどうあっても肉体的には完全に男か女のどっちかに区分けできるし90%は精神的にも男か女のどっちかで区分けできんだよ。
プリキュアは人間全体の45%の女の中における未就学児童という年齢層に対して「暴力によって悪を懲らしめる同性のヒーローとして感情移入してほしい」ってコンセプトで作られてんだよ。
それはもう「犬好きの人のための犬映画」だとか「サメ映画好きのためのサメ映画」のようなものであって、そこに対して「犬映画は猫を差別してる」「サメは恐ろしいモンスターではなく本当は心の優しい生き物」とか茶々入れる奴らと変わらねえんだって。
まあ自分の思想が極めて過剰で創作物に置いてもそれに反する事がされるのが我慢ならねえっていうならそれは勝手だが、それを「女の世界に平等のために男をまぜこぜにするべきです」と主張する奴らはフェミニストからも敵視されるべき存在だと思っていい。
なんで深夜に子供を働かせるの?
しかもその内容が「洗脳された目の子どもたちが提灯持ちとして日の丸の前を歩く」っていう最高に気持ち悪い代物。
希望や未来の象徴に子供を使うっていう雑な発想も酷いけど、それが夜10時の児童労働によって支えられるというのは最低のセンスだ。
法を平気で踏みにじりながらチャチな言い訳を並べる文化を子どもたちにも受け継がせたいってのが未来に込めた思いか?
過去の自分達を肯定するために子供だった頃の自分たちの形代として今の子供を使うわけだ。
それって親が自分の夢を託すために子供に憑依するような気持ちの悪い行為だよね。
大人の都合のために子供をいいように利用することで描けるのは未来でも希望でもなく動脈硬化や管理社会のソレだよ。
実際の開会式が最高に糞だったからってMIKIKO案を全部手放しに褒めてる人はちょっと考え直してほしい。
どっちの案にも共通してるクソな部分一杯あるよ。
女性の手でも大量に殺害できるはずの銃乱射でも男女比は圧倒的である
テストステロンがどうとか言ってたような
じゃあだからって犯罪を防ぐためすべての男性にホルモンを抑える薬を強制するって意見がでてもそれは実現性のない極論だしなあ
なぜよりにもよって冤罪のアントワネットと冤罪の可能性があるヒ素カレーを上げた?他にもっと適切な例があっただろうに、釣りを疑ったぞ?
名古屋大の人のタリウム事件があるから釣りじゃないと思うけどさあ
つーかこっちの表題は"少ない"であって"いない"じゃないから一つ二つの具体例出されても反論にはならんよ?
それはそれとして
>>女でも自分が強者の立場だったら子供や児童生徒を虐待するのを知らんのか
これは知ってる、少なくない
だから女性が暴力に走らないわけではないし銃がある国なら銃を持ち強者の立場にたって無差別殺人に走る女性の姿があるはずだ
呪われたオリンピックとも揶揄される東京五輪関係のトラブル・スキャンダルをまとめた
・安倍「アンダーコントロール」
・猪瀬がボストンバッグで辞任
・舛添が公私混同で辞任
・森元女性蔑視発言で辞任「女性がいると理事会の時間がかかる」
・ 池江璃花子 「私は何も変えることができません」 内村航平「選手が何を言おうか世界は変わらない」
・ついでにのぶみも参加辞退
・聖火リレーで芝生が変色
・オリンピック関係者の指示どおりのところに行くようボランティアドライバーに通達、バブルが実質崩壊
・福祉保険局長「いたずらに不安をあおることはしていただきたくない」
・伊藤美誠に妨害ライト、韓国の仕業とネトウヨが大はしゃぎするも結局国内メディアだったことが判明
・ボランティアの弁当をキャンセルせず漫然と発注し13万食の食品ロスが発生
・首相、広島の平和記念式典で読み飛ばし。糊がついてたためと言い訳。
・名古屋市長河村が選手の金メダルをかじる。トヨタに謝罪に行くも門前払い
・マラソン沿道に大量の観客
・パラ選手団長「児童・生徒に観戦してほしい」と千葉知事に申し入れ
・丸川「不要不急の外出であるかどうかは、ご本人が判断すべきもの」
・コロナ禍のさなかにオリンピック委員会の会長を招きパーティ「質問の意図が全く理解できない」
・平井「徹底的に干す」
あと一つは?
これはid:muchonovによる、id:rag_enさんのエントリ muchonovさんの提示した「判断力が未熟だから」論法では、年齢による“パターナリズム”を肯定するのは無理があるよという話と、あとリテラシー - Click Game. への返信です。
まず、rag_enさんがご引用くださっている、自分が増田で書いた文章「子供の権利は制限されているし、性行為に伴うリスクを判断できない」の位置づけなんですが、これはmuchonovが何か新しい提案をしたぞとか、今からそういう社会を作るぞ、という内容ではありません。このスレッドの親増田の「なぜ、子供が性を売ってはいけないのか」という疑問への応答として、今の社会がそういう風になっている理由として、法律的・社会的にこのような背景がありますよ、と説明するものです。言い換えると、これは〈べき論〉ではなく〈である論〉のつもりで書いたものです。このことは、ここから先の話とも繋がってますので、ひとまずスタート地点としてご認識ください。
rag_enさんは以下のように、「『社会的コンセンサスがあるから』という理由でのパターナリズムの肯定」や(判断力が未熟な当事者を保護する)「手段としてのパターナリズム」自体を強く批判されています。
未成年に対しては愚行権を含む自由権に一定の制約を課すべきだという社会的コンセンサスがあるからです。未成年に対しては人権を制約するレベルのパターナリズム(保護者的統制主義、当事者の能力やリソースの不足を社会が保護者として補い、庇護する)をとってもよいし、分野・状況によっては積極的にそうしなければいけない
いやもうこれ、『社会的コンセンサスがあるから』なんていう、ふにゃふにゃな理由での“パターナリズム”を肯定してしまっているの、控えめに言っても完全に思考が狂ってますよね。
そもそも『「判断力」によって峻別すべき』だと仰るならば、「ペーパーテストして免許制にでもすれば?」でほぼほぼ終了する話なわけです。『「判断力」によって峻別すべき』ならば、その「判断力」をテストする、というのはどう見ても最も正道な手段なのですから。“パターナリズム”などという手段を用いる必要は全くありません。
ここを読んでいて、最初「ん?」と混乱してしまったのですが、もしかしてrag_enさんには、「パターナリズム」という概念について重大な誤認がありませんか。rag_enさんが「“パターナリズム”などという手段を用いる必要は全くありません」という主張とともに、代案として展開されている「判断力によって(ある問題についての当事者能力や責任能力の有無を)峻別する」、そして、判断力がないとみなした対象の自由権を(当人の保護のために)何らかの形で制限する…という考え方は、まさに『パターナリズム』そのものではないですか?
現行の日本の法律が、年齢によってその人物の判断能力を推認し、それが十分でないとされた年齢に属する児童を保護するために彼らの自由権を一部制約するのも、別の方法で判断能力を吟味・裁定し(たとえば精神的な障害を持つ人や依存症に苦しむ人や認知症患者などを、家裁の判断によって成年被後見人とすることなど)、彼らを保護するために彼らの自由権を一部制約するのも、どちらも法学の分野でいう「弱いパターナリズム」だと思います。
憲法学の世界で「パターナリズム」といえば、まず未成年者の人権制約の場面が思い浮かぶ。すなわち、十分な判断能力のない未成年者については、親が子に干渉するようなやり方で、国が未成年者の人権を制約することが認められると考えるアプローチである(1)。たとえば佐藤幸治は、未成年者の人権制約について、未成年者が「成熟した判断を欠く行動の結果、長期的にみて未成年者自身の目的達成諸能力を重大かつ永続的に弱化せしめる見込みのある場合に限って正当化される」とし、これを限定されたパターナリスティックな制約としている(2)。このようなパターナリズムは、個人の判断能力の不十分さを補うために後見的措置を行うことから、弱いパターナリズムと呼ばれる(3)。
そして、未成年や年齢が低い児童の判断能力が不十分とみなされる理由は、法学の世界では、彼らの判断が、それ以上の年齢層による判断に比べ、①知識や情報を得た上での判断・②適切な理解に基づく判断・③強要なき自律的判断・④実質上も自発的な判断ではない可能性が高く、それによって、当事者自身が想定しない結果や不利益をもたらすリスクが懸念されているからです。[^1]
[^1]性的自己決定に関しては、古い調査ですが、10代の人工妊娠中絶についてのアンケート結果(https://www.jaog.or.jp/sep2012/JAPANESE/MEMBERS/TANPA/H15/030217.htm)を読む限り、確かにそのリスクは存在しているといえます。10代の妊娠中絶経験者の68.1%は妊娠して「困った」と回答しており、その多くが①②膣外射精や安全日など誤った避妊方法を選んだり(情報や理解力の不足した判断)、③相手が避妊をしなかったり(強要された判断)、④経済的事情などを踏まえれば出産・育児は不可能なのに妊娠する可能性のある行為をしてしまう(実質的には非自発的な判断)など、当人の判断能力の不足によって、望まない妊娠と人工妊娠中絶に到っています。
この前提において、当事者の自由権を法と社会が一部制約することが正当化されています。これはmuchonovが勝手に言ってることじゃなくて、法学におけるパターナリズムの議論の中で整理されている話です。
「ソフト(弱い)パターナリズム」が自由への介入を正当化できるのは、人の行為が以下の何れかに因って判断された場合です。
1. 実際に情報を知らされないで判断した場合(not factually informed)、
2. 適切に理解していないで判断した場合(not adequately understood)、
4. その他、実質的に自主的にではなく判断した場合(oterwise not substantially voluntary)。
http://www.fps.chuo-u.ac.jp/~cyberian/personal_responsibility.html
そして、未成年者や特定年齢に満たない児童に対する「弱いパターナリズム」に基づく人権制約は、日本を含め、大半の近代国家の法制度に含まれています。性交同意年齢という概念もそうですし、制限行為能力者という概念もそうですし、ある面では責任無能力者という概念もそれに関わっています。そのような、未成年者や児童の人権を明らかに制約する仕組みが各国の法制度に組み込まれているのは、当然、その国家が議会立法などの民主主義的手続きを経てその法律を定めた結果であり、『社会的コンセンサス』の賜物でしょう。
だから先ほどのrag_enさんの、「『社会的コンセンサスがあるから』なんていう、ふにゃふにゃな理由での“パターナリズム”を肯定してしまっているの、控えめに言っても完全に思考が狂ってますよね」とか、「muchonovさんの提示した「判断力が未熟だから」論法では、年齢による“パターナリズム”を肯定するのは無理がある」という指摘は、日本だけでなく、性交同意年齢や制限行為能力などの概念を法制度に組み込んでいる全ての国家や社会に対して「完全に思考が狂ってますよね」「論法に無理がある」と非難していることになりませんか。
現在の日本では、性交同意年齢(13歳)未満の男女と「性交等」をすることは法律で禁じられており、もしそうした場合、それが13歳未満の側の当事者の主体的判断によるものであっても、相手は強制性交等罪(非親告罪)で処罰されます。13歳未満の側の当事者には、必ずしも性交に関して正しく判断する能力が備わっておらず、その能力の不足による誤った判断の不利益から彼らを保護しなければならない、とみなされているからです。これも「完全に思考が狂っている」「無理がある」論法でしょうか。
私はrag_enさんがそういうチャレンジングな主張を展開されるのは別に構わないと思っていますし、繰り返しそう申し上げてもいますが、だったらその主張はmuchonovという個人に向けて言うべきことじゃなくて、そうした法制度を運用している国家やそれを是認している国民に対して言うべきことなんじゃないかな、と思います。だから自分は、再三「rag_enさんのお考えを、広く世間に問えばいいと思います」と申し上げているんですけども。
あと、これはこちらの邪推ですけど、おそらくここでrag_enさんが問うべきだったのは、「性的自己決定権をめぐるパターナリズム的な人権制約の適用対象を決める上で、年齢という指標を用いて一律に決める(現在の法制度に組み込まれている)方法と、ペーパーテストを行って免許を付与するという(rag_enさんが提唱する)方法の、どちらが制度設計として筋がよいか」ということだったのではないでしょうか。そうではなく「パターナリズムという手段ではなく、ペーパーテストと免許制という手段を使えばいい」と主張されている姿勢から、rag_enさんのパターナリズムについての認識は、一般的用法とズレがあるように感じました。もし「そうではない」ということなら、そうおっしゃってください。
※ここでもし自分がrag_enさんを先回りして擁護するとしたら、「rag_enさんの言うペーパーテスト+免許制という提案は、パターナリズム的な観点(判断力が未熟な当事者を保護するため)に基づくものではなく、その行為による他者危害のリスクなどを鑑みて、本来は無許可では行ってはいけない諸行為に対し、当事者の能力・知識・技術を総合的に認証したうえで特別にアクセス権を付与するもの、つまり自動車免許や医師免許に相当するものであるから、パターナリズムにはあたらない」という立場は、かろうじて取りうると思います。未成年や児童が関わる性行為について、当事者の不利益よりも他者危害のリスクを先に考慮しなければいけない状況というのは自分には俄には思いつきませんが、まあそこはよしとしましょう。
しかし、そのような制度---国家が国民の性行為に関わる知識や判断能力をペーパーテストで弁別し、それが当局の定めた水準を満たしているかどうかによって、セックスの権利を与えたり奪ったりする制度---というのは、自分は国家による生-権力的介入・管理のアプローチとしていささか度が過ぎていると思います。というか、「規律化による〈従順な身体〉の構築」というフーコー的テーゼをそのまま戯画的に具現化したような感じすらします。
また、自動車免許の社会実装コストについてのrag_enさんの記述を踏まえると、rag_enさんは、その「セックス免許」の仕組みを社会実装するコストも、免許取得費用として「受験者」から徴収して賄えばいい、とお考えのように見えます。セックスへのアクセス権を求める市民自身から試験料を徴収して、セックス免許センターで受験者にテストを行って、合格者に免許を発行する。もしそういう制度運用をイメージされて仰っているのなら、この構想が現行の法制度にある「年齢によるパターナリズム的保護」の仕組みよりもメリットが多くデメリットが少ない現実的な提案だと感じる方は、あんまりいないんじゃないでしょうか。もちろん、rag_enさんのような考え方の人たちが社会運動などを通してそのアイディアを人々に受け入れさせて、社会的コンセンサスを変えていくことができれば、その状況も変化する可能性はあると思いますが。
行きようのバスと帰りようのバスが違うというのは不思議なところにお金使っているなぁとか関係ないことを思った。
ワイのイメージだと保育園は園まで親が何らかの方法で送り迎えする気がする。
ワイの知っている幼稚園は同じバスを両方の目的で使っているところばかり。
あと、大抵の園バスは運転手 + 乗降の補助をする先生の二人体制な気がする。
起きたことから予想するに子供が何らかの理由で降りずに残っていたが、園長は全員降りたことをチェックせずにドアを閉めたんだろうな。
児童の席に乗り込んでいって、誰もいないことを確認するというひと手間を怠ったのではないかという疑念がぬぐえない。
幼稚園だと朝会をして点呼と欠席の確認みたいなのをやるから最悪そこで気づきそうだけど、保育園ってそういうの無いんだろうか。
もう要らない物事や終わった文化になってるのかもうちょっと説明が欲しい。
PTAが終わってるなら保護者会も終わっていることになるし、それを言い出せばもう、学校という仕組みそのものが..となるかもしれない。
ただ、人間が社会的動物である以上、自分は正直どれも終わった文化だとは思ってない。
例えば、一都三県の児童たちにオリパラ観戦をさせるのか否かの判断は学校ごとにすることになっている。
PTAがあるとそこでそれなりに意見を集約し、保護者の温度感を理解できるだろうとは思う。
学校と交渉をしないといけない場合もPTAを通せばかなり強く出られるが、PTAがないと分割して統治されてしまうだろう。
学校行事においてもそれなりに人手が必要で、それは教員では賄えないし、児童にそんな責任を負わせられない。
その場合、PTAがその部分を負うことで高すぎる負担なく行事を実行することができる。
...と考えてPTAの存在にそれなりに自分は理解を示すんだけどね。
夏休みの思い出はお弁当みたいに貧富の差がもろに見えるから、むしろそういうのの差が少ない時代にはよかったと思う。
戦後すぐはその辺がもろに見えてよくなかっただろうし、7人に1人が相対的貧困にあると言われている現代でも再考が必要かもしれない。