はてなキーワード: 翻訳者とは
翻訳は、村上の作品を組み立てる原理だとさえ言えるかもしれない。
彼の作品は翻訳されているだけでなく、翻訳についてのものだと考えられるのである。
村上的ストーリーにおける至上の愉しみは、とても普通の状況(エレベータに乗っている、スパゲッティを茹でている、シャツをアイロンがけしている、など)が
突然非日常(不思議な電話を受ける、魔法の井戸に落ちる、羊男と会話する、など)へ変貌するのを見ることだ。
言い換えるならそれは、登場人物が存在論的に盤石な立場から完全な異世界へと投げ込まれ、
たどたどしくも二つの世界の間をとりもつことを余儀なくされる瞬間だ。
村上作品の登場人物はある意味でいつも、根底から異なるいくつかの世界のあいだで翻訳をしている。
言い換えれば、彼の全作品は翻訳の作業を劇に仕立てたものなのだ。
村上の車の後部座席に戻ろう。
多くの企業の本社や、巨大な船のかたちをしたラブホテルを通り越していく。
およそ1時間後、風景は急峻な山道になり、私たちは村上の家に到着した。
木の生い茂る丘の上、山と海の間にある、こぎれいだが平凡な外観の二階建てだ。
靴をスリッパに履き替え、村上に連れられて彼のオフィスへと入る。
自らデザインした小部屋であり、『1Q84』のほとんどはここで書かれた。
同時にそこは彼の膨大なレコードコレクションの住処でもある。
(10000枚くらいだろうが、怖くて実際に数えてはいない、と彼は言う)
オフィスの幅広い壁二つは、床から天井までアルバムで覆いつくされている。
山々に向けて突き出している窓の下、部屋の端には巨大なステレオスピーカーが君臨している。
室内のもう一つの棚には村上の人生と作品にまつわる思い出の品々がある。
彼が『海辺のカフカ』で殺人者として想像したジョニー・ウォーカーを描いたマグカップ。
はじめてマラソンを完走したときの、くたくたの彼を写した写真(1991年ニューヨーク市にて、3時間31分27秒)。
壁にはレイモンド・カーヴァーの写真、グレン・グードのポスター、ジャズの巨匠の肖像がいくつか。
村上がもっとも好きなミュージシャン、テノールサキソフォンのスタン・ゲッツの写真もある。
私はレコードをかけてもらえないかと頼んでみた。
『1Q84』の始まりを告げ、その物語のなかで繰り返し鳴り響く曲である。
それは速く、アップビートで、劇的──まるで普通の曲が5つ、ペンキの缶のなかで決闘しているかのようだ。
同時にそれは熱狂し、ねちねちとした、暴力的な『1Q84』の冒険の主題曲として、もっともふさわしい。
村上はその奇妙さを買って「シンフォニエッタ」を選んだという。
「オーケストラの後ろにトランペットが15人いた。変だった。すごく変だった……その奇妙さがこの本によく合う。この物語にこれ以上よく合う音楽は思いつかない」
彼は何度も何度もその曲を聴いて、そして開幕のシーンを書いたという。
「シンフォニエッタを選んだのはまったく人気がない音楽だったからだった。でも本を出版してから、日本では人気が出た。小澤征爾さんに感謝されたよ。彼のレコードがよく売れたからね」
「シンフォニエッタ」が終わると、私は最初に買ったレコードは何か覚えているかと尋ねてみた。
彼は立ち上がり、棚をごそごそと探して、一枚のレコードを手渡してくれた。
「The Many Sides of Gene Pitney」。
カバーを飾るのは、華やかな姿の Pitney。60年代前半のアメリカのクルーナー歌手である。はまだらのアスコットタイに艶のある赤いジャケットを着て、髪型は崩れ落ちる波を凍らせたようにみえる。
村上は13歳の時、このレコードを神戸で買ったという(当初のものは擦り切れたため、何十年か前に買い直している)。
針を下ろすと、流れ出す Pitney の最初のヒット曲「Town Without Pity」。
劇的な、ホルンの即興とともに Piteny の歌声が黙示録的な叫びを歌う。
「若者にはつらいことがある、たくさんある/分かってくれる人がほしい/助けてくれよ/土と石でできたこの星が壊れるまえに」
終わると村上は針を上げ、「バカな歌だ」と言った。
『1Q84』を書いているあいだ、『1984年』を読み直したかと尋ねてみた。
彼は読み直したといい、それは退屈だったという。
(これが悪い評価だとは限らない。野球のどこが好きかと尋ねた際、彼は「退屈だから」と答えた。)
「始まりはいつも暗く、雨で、人々が不幸せそうにしている。コルマック・マッカーシーの『The Road』は好きだし、よく書けているけれど、でも退屈だ。暗いし、人間が人間を食べるし……ジョージ・オーウェルの『1984年』は近未来小説だけど、この本は近過去小説だ」
『1Q84』について「我々は同じ年を反対側から見ている。近過去なら退屈じゃない」
「オーウェルと僕はシステムについて同じ感じを受けていると思う」と村上は言う。
「ジョージ・オーウェルは半分ジャーナリストで半分小説家だ。僕は100パーセント小説家だ……メッセージを書くことはない。よい物語を書きたい。自分は政治好きな人間だと思うけれど、政治的メッセージを誰かに向けることはない。」
とはいえ村上はここ数年、彼にしては珍しく、政治的メッセージを大々的に言明している。
2009年、批判のなか彼はイスラエルでエルサレム賞を受賞しに行き、そこでイスラエルとパレスチナについて語った。
この夏、彼はバルセロナでの受賞式典の機会を利用して日本の原子力行政を批判した。
一度目はまったくの被害者としてだったが。
バルセロナの演説について尋ねると、彼はパーセンテージを少し修正した。
「市民として言いたいことはあるし、求められればはっきりと言う。あのときまで原発について明確に反対する人はいなかった。だから自分がやるべきだと思った。自分にはその責任がある」
演説に対する日本の反応は概ね好意的だったという。
人々は津波の恐怖が改革への媒介となってくれることを、彼と同じように、期待していたのだ、と。
「これは日本にとって転機になると、日本人のほとんどが考えていると思う」
「悪夢だけれど、変化のチャンスでもある。1945年以来、僕たちは豊かになるために働いてきた。けれどそれはもう続かない。価値観を変えなければならない。どうやって幸せになるかを考えなければならない。お金でもなく、効率でもなく、それは人格と目的だ。いま言いたいことは1968年から僕がずっと言っていることなんだけれども、システムを変えなければならないということ。今は、僕たちがまた理想主義者になるべきときなんだと思っている」
その理想主義はどんなものか、アメリカ合衆国をモデルケースとして見ているのか、と尋ねた。
「いま、僕たちにはモデルケースがない。モデルケースを作り上げなければならないんだ」
地下鉄サリン事件、阪神大震災、そして今回の津波……現代日本の数々の災害は、驚くほどにまで村上的だ。
地下での暴力的な衝動、深く隠されたトラウマが大量破壊を引き起こすものとして現れ、地上の日常を襲う。
彼は深さのメタファーを多用することで知られる。
登場人物たちはカラの井戸に降りていき、東京の地下トンネルに生きる闇の生き物に出会う。
(彼は別のインタビューで、井戸のイメージをあまりに何度も使って恥ずかしくなったため、8作目以降、できるだけ使わないように心がけたと話している)。
毎日机に向かい、集中力に満たされたトランス状態の中で、村上は村上的キャラクターになる。
それは、自らの無意識の洞窟たる創造性を探検し、見つけたものを忠実に報告する、普通の人物である。
「僕は東京に住んでいる。ニューヨークやロサンジェルスやロンドンやパリのように文明的といっていい世界だ。
魔法じみた状況、魔法じみた物事に出会いたければ、自分の中に深く潜るしかない。だから僕はそうしている。
魔法的リアリズムとも呼ばれるけれども、自分の魂の深みのなかでは、それは単なるリアリズムだ。魔法ではなく。
書くときには、非常に自然で、論理的で、リアリスティックで、合理的に感じる。」
執筆しないとき、自分はどこまでも普通の人だと村上は強調する。
彼の創造性は「ブラックボックス」であり、意識的にアクセスすることはできないという。
彼はシャイであり、メディアにあまり登場したがらない。道端で読者から握手を求められた時にはいつも驚く。
人が話すのを聞くほうが好みだと彼は言う。
実際に、Studs Terkel の日本版のようなものとして彼は知られている。
1995年サリンガス事件があったとき、村上は被害者65人と被疑者らを1年かけてインタビューし、
その結果を分厚い2冊組の本として出版した。
のちにそれは『Underground』として、大幅な簡略化をしたうえで英語に翻訳された。
この会話が終わったとき、村上はランニングに誘ってくれた。(「僕が書くことについて知っていることのほとんどは、毎日のランニングを通して学んだ」と彼は書いている)
身軽で、安定していて、実践的だ。
たがいの走り幅がつかめて1、2分たつと、村上は自分が単に「丘」と呼ぶところに行ってみないかと尋ねてきた。
それは試合の申し込みか警告のように聞こえた。
そんな言い方をした理由はすぐに分かった。
というのもまもなく「丘」を登り始めることになったからだ。
もはや走るというよりは、急な坂にさしかかって足をとられているというほうが近く、
地面が傾いたランニングマシーンのように感じられた。
道の終わりに向けて一足踏み込むと同時に私は村上に向けて「大きい丘でしたね」と言った。
そこで彼は指をさして、先にジグザグ道が続いており、私たちはまだほんのひと曲がり目を終えたにすぎないということを教えてくれた。しばらくして、二人の息が切れ切れになってくると、このジグザグ道には終わりがないのではないかと心配になってきた。
上へ、上へ、上へ。
しかし、やっとのことで、私たちは頂上に着いた。
海ははるか下に見えた。
それは秘められた巨大な水世界、日本とアメリカのあいだの、人が住まない世界だ。
その日見たかぎり、水面は静かだった。
そして私たちは下りを走り始めた。村上は村を通る道に誘ってくれた。
大通りのサーフショップ、漁師の家がならぶ界隈を通り過ぎた(彼はそのあたりの庭に古くからの「漁師神社」があるのを指差して教えてくれた)。
空気は湿っていて塩のにおいがした。
私たちは並んで浜まで走った。
村上がかつて名もない翻訳者だったころセントラルパークでジョギングをともにしたジョン・アーヴィングについて話をした。
セミについても話をした。
何年も土のなかで生き、地表にぽっと出て、わめき、最後の数ヶ月を木の上で過ごすのは、どんなに変だろうかと。
走り終えて家にもどると、私は村上の来客用バスルームで着替えた。階下で彼を待つ間、食堂のエアコンの風を受けて立ち、大きな窓からハーブと低い木のある小さな裏庭を見ていた。
最初それは鳥 – おそらくはその飛び方からして変な毛をしたハチドリのようにみえた。
が、すぐに2羽の鳥がくっついているようにみえだした。
飛ぶというよりはふらついているといった感じで、体の一部がそこかしこから垂れ下がっているようだった。
最終的に、それは大きな黒い蝶だと私は結論づけた。
見たことがないほど変な蝶だった。
浮かびながら、異星の魚のようにひらひらしつづけるその姿に幻惑させられ、
私はそれを既知の何かに分類したくなりかけたが、成功することはなかった。
それはひらひらと、およそ村上と私が走った道を引き返す形で、山から海に向けて飛び去った。
蝶が去ってまもなく、村上は階段を降りてきて、食堂のテーブルに静かに腰を下ろした。
見たこともない奇妙な蝶に遭遇したことを伝えると、彼は自分のボトルから水を飲み、私を見上げて言った。
「日本には色々な蝶がいる。蝶に会うのは変なことじゃない」
どうやら村上は、この本のアメリカ版をそのとき初めて目にしたらしい。
日本では『1Q84』は2年を掛けて3巻に分かれて発表された(村上は2巻目で一度終わりにしたが、一年後にもう数百ページ付け足したのである)。
アメリカでは、一巻のモノリスとして組まれ、秋の読書イベントに発表が設定された。
YouTube ではきらびやかなトレーラームービーを見ることができ、
一部の書店では発売日10月25日に深夜営業が予定されている。
Knopf は英語訳を急がせるため、二人の訳者に手分けして翻訳をさせた。
村上にこれほど長い作品を書くつもりがあったかと尋ねると、なかったという。
これほど長くなることが分かっていれば、書き始めなかったかもしれないともいう。
彼はタイトルや冒頭のイメージ(この作品の場合は両方だった)が浮かんだ時点で、机の前に座り、
毎朝毎朝、終わるまで書きつづけるのである。
といっても、この大作はごく小さな種から生まれた。
村上によれば『1Q84』は、人気を博した彼のショートストーリー『四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』(英語版では5ページ)を増幅させたものに過ぎないという。
「基本的には同じなんだ」と彼は言う。
「少年が少女に出会う。別れてしまった後、二人は互いを探し合う。単純な物語だ。それを長くしただけ」
筋書きを要約することすら、少なくともこの宇宙で人間言語をもって雑誌の1記事で書くとすれば不可能だ。
青豆という少女が、タクシーに乗って東京の周縁に掛かる高架の高速道路を行く。
そこで渋滞に巻き込まれ、身動きがとれなくなる。
チェコスロバキアの作曲家レオシュ・ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」だ。
「渋滞に巻き込まれたタクシーの中で聴くのにうってつけの音楽とは言えないはずだ」と村上は書く。
運転手は青豆に変わった迂回路を提案する。
高架高速道路には非常用脱出口が設置されている、そして、普通の人には知られていない脱出口への階段がある、と彼は言う。
本当に絶望しきっているのであれば、そこから地上に降りることもできる。
青豆が考えていると突然、運転手が村上一流の警告を口にする。
「見かけにだまされないように」と彼は言う。
降りていけば、彼女にとっての世界は根底から変わってしまうかもしれない、と。
そしてわずかではない違いとして、月がふたつあった(ちなみに彼女が遅刻した約束というのは暗殺の約束であったことが明らかになる)。
そしてその世界にはリトル・ピープルと呼ばれる魔法の種族がいる。
彼らは死んだ盲の羊の口(詳しく書くと長くなる)から生まれ、オタマジャクシの大きさからプレーリードッグの大きさにまで育ち、「ホーホー」と合唱しながら空中から透明な糸を紡ぎだして「空気さなぎ」と呼ばれる巨大なピーナッツ型のまゆを作る。
この本ではなかばあたりまで、このように浮世離れしたした超自然的ガジェット(空中に浮かぶ時計、神秘的なセックス麻痺など)が繰り出されてくるので、
私は行間にエクスクラメーションマークを置きたくなった。
この数十年、村上は自身が「本格小説」と位置づけるものを書こうとしていると言い続けてきた。
一例として彼は『カラマーゾフの兄弟』を挙げて目標にしている。
その試みこそが、三人称の幅広い視点から描かれた巨大小説『1Q84』であるように思われる。
怒り、暴力、惨事、奇妙なセックス、奇妙な新現実を抱えた本であり、
偶然ぶつかることになってしまった悲劇にも関わらず(あるいはその悲劇のなかでこそ)、
ひとりの人間の脳に詰め込まれた不思議を提示して、本書は読者を驚嘆させる。
驚きを覚える本の数々をこれだけ読んだあとでもなお、私は村上の本で驚かせられた。
そのこと自体が驚きだったと村上に伝えると、彼はいつものようにそれを受け流し、
自分の想像力を入れたつまらない花瓶でしかない、と言い張った。
「リトル・ピープルは突然やってきた」という。
僕は物語の虜だった。選択したのは僕ではなかった。彼らが来て、僕はそれを書いた。それが僕の仕事」
明晰夢を見ることがあるかと尋ねると、
覚えていられたことはない、という。
目覚めたときには消えている、と。
ここ数年で覚えていられた夢は一度だけ、それは村上春樹の小説のような繰り返す悪夢だったという。
その夢の中で、影のような未知の人物が「奇妙な食べ物」を料理してくれていた。
食べたいとは思わないが、夢のなかでは彼はそれに興味をひかれていて、まさに一口入れようというとき目が覚めた。
2日目、村上と私は彼の車の後部座席に乗り込み、彼の海辺の家へ向かった。
運転したのはアシスタントの一人である身ぎれいな女性で、青豆よりわずかに若かった。
私たちは東京を横切り、青豆が『1Q84』で運命的な下降をした高架高速道路の本物へと向かった。
カーステレオではブルース・スプリングスティーンがカバーした「Old Dan Tucker」がかけられていた。
車中で、村上は冒頭のシーンを思いついたときに考えていた緊急脱出口のことを持ち出した(青豆と同じように実際に渋滞に巻き込まれていたときにそのアイデアを思いついたという)。
実際の高速道路で、小説中であれば青豆が新世界に向けてくだっていったであろう場所を正確に特定しようとしたのである。
「彼女は用賀から渋谷に行こうとしていた」車窓をのぞきながら彼はいう。
「だから多分このあたりのはずだ」
と言ってこちらを向いて念を押すように
「それは現実じゃないけれど」
と付け加えた。
それでも、彼は窓の方に戻って実際に起こった出来事を話すように続きを語った。
キャロットタワーと呼ばれる、およそ巨大なネジが刺さった高層ビルのような建物の前を通り過ぎた。
村上はそこでこちらを向いて、もう一度思いついたように、
「それは現実じゃないけれど」と言った。
日本に滞在した5日間のあいだ、私は村上の東京にいたときとは違って、実際の東京で落ち着くことができなかった。
村上の東京、それは本物の東京を彼の本というレンズで見たときの姿だ。
客席の上の方で二塁打が打たれるたびに注目した(私がもらった天啓にもっとも近いものは、枝豆を喉につかえさせて窒息しかけたことだった)。
また、私はローリングストーンズの「Sympathy for the Devil」とエリック・クラプトンの2001年のアルバム「Reptile」をかけながら、神宮外苑という村上お気に入りの東京ジョギングルートをゆっくりと走った。
私のホテルは新宿駅に近い。そこは『1Q84』でも重要な役割を果たす、交通機関のハブ的な場所だ。
登場人物たちが好んで使う集合場所、中村屋で私はコーヒーを飲み、カレーを食べた。
そしてフレンチトーストとタピオカティーの向こうで東京人たちが交わす会話に耳をひそめた。
そうしてうろつくあいだに、村上小説が極度に意識しているものごと、すなわち、偶然かかる音楽、上昇と下降、人々の耳の形といったものを、私も極度に意識するようになった。
実際、彼の小説中の説明をもとにして料理本を出版した人もいるし、
登場人物が聞いた音楽のプレイリストをオンラインでまとめている読者もいる。
村上は、明らかに喜んだ様子で韓国のある会社が西日本への『海辺のカフカ』旅行を企画したこと、
ポーランドの翻訳者が『1Q84』をテーマにした東京旅行のガイドブックを編集していることを教えてくれた。
村上は読者から彼が生み出したものを現実世界で「発見」したという便りを受け取ることがよくあるという。
たとえば、彼が作り出したと思っていたレストランや店が東京に実際ある、など。
ドルフィンホテルというのは『羊をめぐる冒険』で村上が生み出したものだが、札幌にはそれが複数ある。
『1Q84』の発表後、ありえない名字として作り出したつもりだった「青豆」という名字の家族から、村上は便りを受け取ったという。
ここでの要点と言えるのは、現実に漏れ出す虚構、虚構に漏れ出す現実というものが、
村上の作品についてはほとんどの場合、作品そのものだということだ。
作家活動の初期には、「日本人という呪い」から逃れようとしているとさえ語った。
その代わり、十代の若者として、西洋の小説家の作品を貪ることによって、文学の感受性を培った。
その中にはヨーロッパの古典(ドストエフスキー、スタンダール、ディケンズ)もあったが、
彼が生涯を通して繰り返し読んだのは、とりわけ20世紀のアメリカのある種の作家たち、
レイモンド・チャンドラー、トルーマン・カポーテ、F. スコット・フィッツジェラルド、リチャード・ブローティガン、カート・ヴォネガットなどだ。
処女作に取りかかったとき、村上は奮闘し、標準的でない解決法に行き当たった。
そうやって自分の声を獲得したと彼は言う。
(訳注:長文注意。誤訳あったらごめんなさい。教えてもらえたらあとで直します)
村上春樹の作品世界にほぼ浸りきってやろうというつもりだった。
ところがその目論見は外れることになる。
期待していたのは、バルセロナやパリやベルリンのような街だった。
そこでは、市民はみな英語が達者で、さらにはジャズ、劇場、文学、シットコム、フィルム・ノワール、オペラ、ロックといった、
西洋文化のあらゆる枝葉に通じている……そんなコスモポリタンな世界都市を私は期待していた。
誰かに聞いておけば分かっていたはずなのだが、実際の日本はまったくそんな場所ではなかった。
実際に足を踏み入れることができる日本は、どこまでも頑固に、日本的だった。
そう思い知らされたのが地下だったというのは、我ながらよくできていたと思う。
アイロン掛けたてのシャツに包まれ、なんの躊躇もなく地下鉄の駅へと降りて行くや否や、
私は迷子になり、助けを求めようにも英語話者を見つけることができなかった。
最終的には(電車を乗り間違え、馬鹿げた値段の切符を買ってしまい、必死のジェスチャーで通勤客を怖がらせたあと)、
どうにか地上に出てはみたものの、もはやインタビューの時刻はとうに過ぎている。
私は絶望して、目的もなくあちらこちらへとさまよい歩いた(東京にはほとんど標識がないのである)。
そして蜂の巣状のガラス製ピラミッドのような建物の前で途方に暮れていたとき、
ついにユキという村上のアシスタントに見つけてもらうことができた。
あまりにもうかつな、アメリカ人的な私は、村上のことを現代日本文化を忠実に代表する人物として考えていた。
実際には彼は私が思っていたような作家ではなく、日本は私が思っていたような場所ではなかった。
そして両者の関係の複雑さは、翻訳を介して遠くから眺めていたときには想像しえないものであることが明らかになっていった。
村上の新作『1Q84』の主人公の一人は、自らの人生最初の記憶に苛まれており、誰に会ったときにも、あなたの最初の記憶はなにかと尋ねる。
それは3歳のとき、初めて家の門の外に歩き出したときのことだという。
彼は道をてくてくと渡り、溝に落ちた。
流されていく先にあるのは、暗く恐ろしいトンネル。
そこに差し掛かろうかというとき、母が手を差し伸べ、彼は助かった。
「明確に覚えている」と彼は言う。
「水の冷たさ、トンネルの闇、その闇のかたち。怖かった。僕が闇に魅かれているのはそのせいだと思う」
村上がこの記憶を語るとき、私は既視感とともに心の中でくしゃみをするような気持ちを覚えた。
その記憶には聞いた覚えがある、いや、不思議なことにその記憶は自分の中にある、と感じた。
ずっとあとになって分かったことだが、私は確かにその記憶を持っていた。
村上は『ねじまき鳥クロニクル』の冒頭の脇役に自分の記憶を写し込んでいたのだ。
村上を初めて訪問したのは、日本にしてもありえない夏の厳しさの最中、
週の真ん中、蒸し蒸しする午前中のことだった。
その結果、電力、公衆衛生、メディア、政治にも危機が到来した(当時の首相の辞職によって、5年間に5人目の首相が生まれることになった)。
大作『1Q84』の英語訳(そしてフランス語訳、スペイン語訳、ヘブライ語訳、ラトビア語訳、トルコ語訳、ドイツ語訳、ポルトガル語訳、スウェーデン語訳、チェコ語訳、ロシア語訳、カタルーニャ語訳)について話すためだった。
この本はアジアで数百万部を売り上げ、
まだ翻訳が出ていない言語圏ですらノーベル文学賞の噂が囁かれていた。
62歳にして30年のキャリアを持つ村上は、日本文学の最高峰としての地位を確かなものにしている。
疑いなく、彼は母国の表層とかたちを世界に伝える、想像世界の大使となった。
そのことは、関係者には非常に大きな驚きだったと言われている。
アメリカによる戦後占領を受けた1949年の京都、日本の前首都である。
「これ以上の文化混交の瞬間を見つけるのは難しい」と John W. Dower は1940年代後半の日本について書いている。
「これほど深く、予測不能で、曖昧で、混乱していて、刺激的なものは他にない」という。
「瞬間」を「フィクション」に置き換えてみれば、村上の作品を完璧に説明することができる。
彼の物語の基本構造は、互換性のない複数の世界に根を下ろした普通の人生であり、
そこは、さまざまな言語の喧騒に包まれた国際的な港湾都市である。
彼はアメリカ文化、とくにハードボイルド探偵小説とジャズに没頭して十代を過ごした。
二十代のはじめには大企業の序列に入り込む代わりに、髪を伸ばしヒゲを生やして、両親のすすめを押し切って結婚し、借金をして「ピーターキャット」というジャズクラブを東京で開いた。
掃除をして、音楽を聞いて、サンドイッチを作って、酒を注いで、
作家としての村上のキャリアの始まり方は、彼のあの作品スタイルそのものだった。
どこまでも普通の設定で始まり、どこからともなく神秘的な真実が主人公に降りかかり、その人生を根底から変えてしまう。
29歳の村上は地元の野球場の芝生でビールを飲みながら、デイヴ・ヒルトンというアメリカ人助っ人バッターが二塁打を打つのを見ていた。
平凡なヒットだったが、ボールが飛んでいくのを見て村上は天啓に打たれた。
そんな望みはそれまでなかったが、いまや圧倒的なまでだった。
そして彼は書いた。
数ヶ月のちに『風の歌を聞け』を書き上げた。
それは名もなき21歳の話し手が語る小さく凝縮された作品だったが、冒頭から村上らしさが見えていた。
アンニュイとエキゾチシズムの奇妙な混合。
わずか130ページで、その本は西洋文化をぶつ切りにして引用してみせた。
『名犬ラッシー』、『ミッキーマウス・クラブ』、『熱いトタン屋根の猫』、『カリフォルニア・ガールズ』、ベートーベン第三ピアノ交響曲、フランスの映画監督ロジェ・ヴァディム、ボブ・ディラン、マーヴィン・ゲイ、エルヴィス・プレスリー、『ピーナッツ』のウッドストック、サム・ペキンパー、ピーター・ポール&マリー。
以上はごく一部に過ぎない。
そしてその本には(少なくとも英語訳には)日本の芸術の引用がまったくない。
村上作品のこうした傾向は日本の批評家をしばしば苛立たせている。
そして一年後、ピンボール機を取り上げた次の小説を出したのち、執筆に時間のすべてを費やすため、ジャズクラブを畳んだ。
「時間のすべて」という言葉には、村上にとっては余人とは異なる意味がある。
30年を経て、彼は僧侶のように統制された生活を送っている。
すべてが作品を作り出すのを助けるように調整されている。
彼は毎日のように長距離を走り、泳ぎ、健康的な食生活を送り、夜9時には床につき、朝4時に起きる。
そして起床後5、6時間は机に向かい執筆に集中する(2時に起きることもあるという)。
「集中できないとき、人はあまり幸せではない。僕は考えるのが速くないけれど、何かに興味を持てば、それを何年も続けられる。退屈することはない。僕はヤカンのようなものだ。沸かすのに時間はかかるけれど、いつまでも熱い」
そうした日々の湯沸かしが続いていって、世界でも類まれな作品群ができあがった。
30年の歳月を経て積み重ねられたそれには人を虜にする不思議さがあり、様々なジャンル(SF、ファンタジー、リアリズム、ハードボイルド)と様々な文化(日本、アメリカ)をつなぐ位置にある穴を埋めている。
どんな作家にも、少なくともこれほど深くまでは、埋められなかった穴だ。
そして今、とりわげ激しく長い湯沸かしの結実として、もっとも長く、奇妙で、シリアスな本が上梓された。
彼は翻訳者を通して会話するのが嫌いだという。
なまりは強く、落ち着くべき箇所で動詞の活用が劇的に現れたり消えたりする。
とはいえ相互の理解に支障を来たすことはまずない。
特定の熟語("I guess" 「ではないか」、 "like that"「というような」)が、ときたまおかしな位置で使われることがある。
安全な言葉遣いから逸脱するのを楽しんでいる節が彼にはあった。
私たちは東京にある彼の事務所で席を持った。
数人のスタッフが靴を履かず他の部屋で作業をしている。
彼のキャラクターと同じように、アイロン掛けしたばかりのように見えるシャツだった(彼はアイロン掛けが好きだという)。
靴は履いていない。
彼はペンギンのある本の表紙を模したマグカップでブラックコーヒーを飲んだ。
その本とはレイモンド・チャンドラーの『ビッグスリープ』、彼の昔からのお気に入りの小説であり、今日本語訳をしている小説でもある。
話を始めながら、私はあらかじめ用意していた『1Q84』をテーブルの上に置いた。
その本は932ページあり、ほぼ30センチのその厚みは本格的な法律書を思わせるほどだ。
「大きいな」と村上は言った。
「電話帳みたいだ」
私は海外コメントの翻訳まとめサイト系と、2ch系まとめサイトの2種類を日常的によく閲覧している。
はじめに言っておくと英語原文は読めない。
疑問というものを先に言えば、翻訳サイトなどを一通り読んだ後に
ずっと読んでいたら慣れてしまうが、翻訳サイトを読んだ直後だけに起きやすい事象。
純粋に、この感覚の違いは何なのだろうと前々から疑問に思っている。
自分が思う範囲での原因は、
一、海外コメ翻訳サイトでは日本人が気持ちよくなれるようなコメントしか
ピックアップされていない。反面、2chまとめサイトでは様々なコメントが直接載せられている。
当然それらを見ても、あまりいい気持ちはしないが
もっと掘り下げて考察してみる。
・原文ではなく、あくまで翻訳者の翻訳の仕方によって言い回しが異なるから
その時点である意味、翻訳者1人のフィクション創作物となっている。
(つまり掲載された翻訳済みの全てのコメントの書き方や言い回しに(翻訳者による)統一感があるので、
まるで小説や海外ドラマなどを見ている錯覚に陥っているのではないか)
誹謗中傷やコメ内での言い争いを見てもフィクションに感じてしまう。
・(英語が読めないので勝手な憶測だが)英語は日本語に比べ同じ意味でも言い回しや語彙が少なく
ストレートな言葉が多いので、翻訳しても原文で読んでも多くの人の発言や話し方に統一感ができてしまう。
それに加え、ステレオタイプ的な考えだが海外は物事をストレートに表現するという事も一因ではないのだろうか。
・まとめサイトへの載せ方や編集はサイト管理人の思想で左右されるが
転載した書き込みそのものには手を加えておらず(太字や色付けは別)
書き込んだ人々それぞれの言い回しや書き方を知れてしまうため。
・ネット、しかも2chとはいえ大部分は同じ国内の人間の書き込みだから(と思っている)、
誰かが言い争いをしていても他人事とは思えず、リアリティーがある上身近に感じてしまう。
・日本語は語彙や言い回しが豊富だからこそ、書く人が10人いれば、それこそ十人十色の独特な言い回しがある。
このような違いがあると自分としては感じた。
他には、単純に書き方に温度というか人間味を感じるか否かという事も。
これについてはただの私自身の好みの問題。
翻訳サイトは英語原文を映画吹き替えのようなステレオタイプな言い回しで翻訳されている事が多いから
読んでいて面白い。なので英語原文と比べるとどっちがとは言えないと思う。
ここで、その好みの違いを例を出すと
(好み)
「お~、いったいどうしちまったというんだい?」
「一体全体どういうことなのだ??」
(苦手)
「なんだこれ」
「なんだ?w」← w一個がポイント
「マジでなんでこうなったんだよ」
といった具合。
うん、完全にただの好み。
その理由としては掲示板でありながらチャットさながらのスピードを求められるため
感じた事をすぐに入力→反映できるようにするためなのでしょう。
他にも携帯端末などで書き込み&閲覧する人が増えた事による短縮化の必要性、
ニコ動などに見られる短い言い回しの必要性などもあるのでしょう。
たまに日本人のコメントが抜粋される事もある(原文は英語でも)。
翻訳者の意図かは分からないが、日本人のコメントだと翻訳の仕方が
映画吹き替えのようなものではなく、いわゆる日本人がネットで書きそうな
淡々としていてサラっとした言い回しで翻訳されているのである。
恐らく、日本人らしいと思わせるための翻訳者の善意なのだろうが、
私的には日本人のコメントでも、他の外国人と同じような言い回しで翻訳してほしい。
さて、自分で疑問に思いながら、少し掘り下げて考えてみたら
その答えに近づけた気がする。
おまけにネット上や2chだけで生まれた独特な罵倒語も合わさって
罵倒語の数としては類を見ない多さなのではないでしょうか。
(だからこそ簡単に言葉が差別用語指定されたりのイタチごっこも生まれる)
その罵倒語の数や種類の多さも、2ch系に負のオーラを感じてしまう1つの足がかりなのかもしれませんね。
最後に。
言い争いも生まれやすくギスギスしやすい・・・と感じるのは私だけでしょうか。
もちろん本スレでも内容によっては、本スレの時点で大きな論争があって、それをまとめ記事のコメ欄で続けるという事も多いが、
本スレの内容はネタだったり穏やかな内容であれ、時にはコメ欄にて論争や暴言が発生する事もしばしば見かける。
今度はその疑問ができた。
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
英語圏向けにボーカロイド情報を提供するサイトの中でも古株だといわれているVocaloidism。そこにもミクノポリス、というかアニメ・エキスポのボーカロイド関連イベント全体の感想が掲載されていた。といってもこれまで紹介してきたような堅苦しいものではなく、本当に只のファンによる率直な感想の羅列。率直過ぎると言ってもいいかもしれない。とりあえず、Vocaloidismの中の人がダニー・チュー嫌いなのはよく分かる。
urlは以下の通り。
http://www.vocaloidism.com/2011/07/16/the-vocaloid-experience-at-anime-expo-2011/
+++++以下勝手翻訳+++++
2011年のアニメ・エキスポ[AX]が終わり、僕らの胃袋はスシとポッキーでいっぱいになり、そしてそれぞれが済むタイムゾーンへの帰還までの間に飛行機の遅れにも慣れ、今年の4日間のイベントを自然に振り返ることができるようになった。AX2011は、間違いなくボーカロイドに関するあらゆるものの体験場だったと言わなきゃならない。編集者とblogのフォロワーがイベントについて何を語るべきと考えているのか、一休みした後で目を通してほしい。
自動車だ! トヨタがカローラミク・プロジェクトの公式画像をきらびやかに描いた異なる2台のミクノポリス・カローラを持ち込んでいた。正確に言えば[2台の車を]2組用意し、1組をフロントエントランスに、もう1組をミクノポリス・コンサート会場の外に置いていた(もう1組の画像はカローラ・ミクの記事をご覧あれ)。
http://s557.photobucket.com/albums/ss19/awsplus/?action=view¤t=MikuCarLeft2.jpg
http://www.vocaloidism.com/2011/07/14/corolla-miku-roundup-2/
僕は午前中のほとんどを4日分の入場券をゲットするための行列、それとミクノポリスのチケット用行列に並んで過ごした。幸運にも、そして大いに驚いたことに、コンベンションで購入できるいくつかの座席がまだ残っており、僕ら4人組の中でチケットを持っていなかった最後の一人もそれを手に入れることができた。午前8時から午前11時近くまで時間がかかったけどね。随分疲れたよ。SeyrenLK(有名なミクパ[ママ、感謝祭動画の間違いか?]コンサートをアップした人)も2日目の行列待ちビデオで同じ経験をしたようだ。
http://www.youtube.com/watch?v=rXslHQ0EdCs
2時半、僕はミク・キーノート会場に向かった。ダニー・チューが奇妙な、そして正直言って子供じみたキャッチフレーズ「Miku-san magi tenshi」つまり「ミクさんマジ天使」をコールし始めた。LAは天使の町だからって理由なんだけど、僕にはその馬鹿馬鹿しさを正当化する理由には思えなかったな。クリプトンの伊藤社長がそこにいて、ボーカロイド史と短いKarenT及びピアプロの概要を含んだ彼らの製品に関するビジネスモデル方法論について、僕らのために短期集中講座を開催した。Itoh-san[伊藤さん]は同日上市したばかりの新しいビジネスモデルの大きな一部、Mikubook.comを公開した。伊藤はそれを、ボーカロイドに関連した新しい作品につながる新たな方法だと説明した。まだ「超初期ベータ版」(アルファ版?)だそうだけど、できるだけ多くの人が参加しデータを追加してほしいと勧めていた。またミク・カンファレンスでミク英語版についていくつかの情報が出るだろうとも言及していた。この告知のせいで僕はラスト・エグザイルのプレミア上映を見逃すことになった。その後で質疑応答が行われたんだけど、僕は次のパネルの行列に間に合わなくなりそうだったので残ることができなかった。その次のパネルってのは……
MikuMikuDanceワークショップだ。行列は正気とは思えないほど長く、会場に入るまで永遠とも思えるほどの時間を要した。そうなったのはミク・キーノートが1時間も時間オーバーしたうえ、彼らが基調講演者のための翻訳者を用意していなかったから。おまけに[ワークショップの]始まった時間が遅かったため、僕はNirgilisコンサート(それ自体はとてもよかった)の為に早く出て行かなきゃならなかった。でも見ただけの価値はあった。主な講演者はこの業界で最良のMMD-P(MMD製作者)2人、せっぺん[ママ、せっけんPの間違いか]とブラザーP。ブラザーがそこに座っていると聞いた時、僕の顎は床まで落っこちた。ブラザーのmelody.exe動画は僕をボーカロイド狂にした最大の理由だ。彼らはソフトに含まれている紹介動画全部(もちろん字幕付き)や第7回MMD杯告知動画を含んだMMDの紹介を行い、英語圏のMMDユーザーに対して誰でも締め切りまでに[MMD杯に]投稿してほしいと促し、そのうえでプログラム自体の基本とどうやって入手するかに話を進めた。そこで僕は席を離れなければならなかったため、ミクのHeart Shooterのためにブラザーが作った新しいMMD-PVを見損ねた。ユーチューブの動画を教えてくれた良き友人たちに感謝。
http://www.youtube.com/watch?v=9wwSpHZk2uY
ZANEEDSがクラブ・ノキアでオール・エイジ・ダンスをやってた時……僕は寝てた。その日のイベントで疲れ切っていたせいでこのダンスは僕の瞼の向こう側を静かに通り過ぎていってしまった。Nirgilisコンサートの際にクラブ・ノキアを見た限りではダンス向きの素晴らしい舞台だったが、撮影及び食べ物に関するナチスのようなルールと3ドルのポップコーン及び8ドルのビールはいくらかムードの邪魔になったんじゃないかな。僕の友人、RemiliaScarletは実際に見に行ってすっかり楽しんできてた。後でZANEEDSが話したところによれば、これはアメリカで行った彼らの最初のDJギグであり、とても楽しかったそうだ。
ミク・カンファレンスはもしかしたら1日目のミク・キーノートより混雑していたかも。またもダニー・チューがあの馬鹿げたキャッチフレーズを唱えていた。Koboyashi-san[ママ、小林さんの間違い]は自分がミクノポリスのスタッフであり、そこで英語版ミクの試作品による歌があることを明かした。新しいKAITOアペンドのデモもあり、オリジナルよりずっと簡単にKaikoの声を作れることも知らされた。KAITOアペンドを米国で売り出すつもりはあるかとの問いに対する回答は、「怖い質問ですねえ」だった。でもKAITO英語版を期待することはできそうだ。なぜなら彼[KAITOの音声データ提供者]はアメリカン・ジャズを学んでおり、英語が流暢だから。悲しいことに前日に起きた失態を避けるためパネルは短時間で打ち切られ、この件に関する質問はできなかった。CV04に関する質問は諦めるしかなかった。
カンファレンス直前に行われたボーカロイド・コスプレ会合はVocaloidism的視点で言えば完全に失敗だった。僕らの一人は……不意打ちを食らい目の前にいるiNSaNiTY[海外PであるDoofusの曲]のKaitoコスプレに全く気づかなかった! ともかく僕はどうにかKAITOコスプレ写真の一部としてそれを撮影することができた。できれば沢山のコスプレ写真をフォーラムにまとめたい。準備できたらすぐリンクするよ。
もちろんこの夜最大の呼び物はミクノポリスだった。僕らが中に入るため半時間ほど行列している時には、少なくとも3台の放送用車両がシアターの外にいた。僕はずっと右側の席、NND[ニコニコ動画}のために撮影するクレーンカメラから1セクションだけ離れたところに座った。クレーンカメラは随分低いところまで下がってきてたよ! ボーカロイド曲のアコースティックおよびジャズ演奏が響いている間に僕らは席につき、そしてあのうっとうしいダニー・チューがまた出てきて人々に「Miku magi tenshi」と3回言わせようと試み、結局会場を暖めるためにDANCEROIDを持ち出すことになった。2人の少女はFirst Kiss! とルカルカ★ナイトフィーバーに合わせいい仕事をしてのけたが、彼女らのステージにおける本当のハイライトはLOL -lots of laugh-にあわせたサプライズ・ダンスと、あ、そうそうダニー・チューが彼女らの新しいDVDを紹介する埋め草もあったな。それから着席が終わるまでいくつかのBGMが続き、ミクはカメラ嫌いだから撮影しないでねっていう公演前の声明があったよ!
あらゆるすげーものが解き放たれる前のキャンペーンを始めたカローラミクのCMから、公演は始まった。Project Diva desuが始まると熱狂は目に見えるようになり、そしてワールドイズマインが続いた。安部潤の隣に座っていた新たな弦楽器部門はバンドへの素晴らしい追加になっていたけど、僕には弦楽器が多すぎるように感じられた。半分に減らしてもそこから必要な力強さを引き出すことはできたんじゃないかな。ケミカルライトはリズムに合わせてはためき、20列目以降と2階席の全員は立ち上がって曲ごとに喝采していた。12種類あった新しいコスチュームごとに歓声はさらに大きくなった。最後は声をそろえてアンコールを叫ぶのにも疲れのどを嗄らしていたにもかかわらず、誰もが自分の意見を述べ、そして実際に彼女は戻ってきて、さらに愛言葉とハジメテノオトを含む3曲を歌った。それは決して忘れられない体験だった。僕の描写がイベント全体をほとんど取り上げていないことには気づいているけど、でも僕は他にも色々話したがっている多くのコンサートに参加したVocaloidism関係者のためにも短くまとめたかったんだ。
ボーカロイド・ファン現象……は酷い落胆をもたらした。あの東方の霊夢コスプレをしたヤツが誰なのか、彼がボーカロイド関連で一般的に何をしたのか僕は知らないんだが、2つの点は明らかだ。1. 誰もがヤツが女の子だと騙されていた。罠王国における罠の中の罠に嵌っている状態だ。2. これは公式パネルじゃなく、一人の人間の見解に過ぎなかった。僕は30秒と残らずに立ち去った。実際にこのパネルに残り、何があったのか僕に話してくれる人はいるかい?
僕はその後でしばしホールを歩き、ミクノポリスのブースを再び通り過ぎた時、ハチとWowakaがサインしているのに気づいた。不幸なことにタイミングが悪く、彼らは仕事を終えて荷物をまとめる2分前だったうえに、僕は彼らのためのペンも持ち合わせていなかった。Vocaloidism関係者の何人かはどうにかサインをもらえたようだ。ラッキーだよな。
それはそれとして、Mirai no Neiro:未来の音色はコンベンションの中で圧倒的に得るところのあったパネルだった。この3時間のパネルは驚くべきことに行列すらほとんどなく、入場するためバッジをスキャンする入り口のところで籤さえ配っていた。Mirai no Neiroがアニメ・エキスポで開催されるのはどうやら2回目。去年はもっと短かったそうで、従って彼らはまず同じことをやった。ミク、リン、及びレンのレイヤーが現れ、キャラたちが「今日ここで開かれている技術会議に挑戦する」場面を演じていた。後に知ったところによれば彼らは実際はその場にいたコンベンション参加者で、キャラとして脚本を演じるように頼まれたのだという。彼らは脚本にかなりたくさんの疑問を持っているように思えた。それはそれとして、そこにいたのは僕が見た中で最も華やかなリンだった
パネルの前半は何人からのアーティストと作曲家による様々なPVの上映、及びアニメ・エキスポのファンに対する彼らのメッセージの紹介だった。中にはインターネットのどこにもまだ投稿されていないワールドプレミア動画、例えばまさたかPのデビュー作であるストロボナイツのMMD-PV[ママ、ストロボラストの間違い]、かごめPの国際的に安全なinnocent girl(社会人が巨大なパンダのぬいぐるみになっている、そう、これなら問題ない)、さらに完成していない悪の娘/召使とワールドイズマインのアニメ版(後者はある意味卑猥だった)などがあった。
http://www.youtube.com/watch?v=ri-M9O6h1pg
後半はゲストのボカロPたち、PENGUINS PROJECT、すんzりヴぇrP、そしてZANEEDS(piperP[ママ、パイパンPの間違い])が紹介された。皆アメリカ向けに紹介する新しいワールドプレミア動画を持ってきていた。それぞれガラパゴス(リツカ客演)、退屈なボウリング、そして社会主義/社会主義★だーりんっだ。どれも聴衆から大きな反応を引き起こしていた。時には愉快に爆笑しながら、でも誰もが称賛と伴に作品の真価を認めていた。もう一人のサプライズゲストはアーティスト・アレイ[アニメ・エキスポ内の同人誌即売会場]にブースを持っているアーティストでパネルのイントロ動画を描いた女性だが、とても恥ずかしがりやで顔は見せなかったな。最後にボーカロイドエンジンそのものの製作者がサプライズゲストとしてYAMAHAからやって来て、どのようにエンジンが機能するかをその場で実演し、おまけにSweetAnnにハッピーバースデーを歌わせていた。パネルの中でも一番楽しかった場面で、多分もっと多くのボカロPをゲストに招いたうえで来年も見てみたいと思ったよ。僕は自分のインプットカードにSamfreeとDeco*27の名前を入れたから、他の連中も同じことをしていれば彼らは来年招待されるんじゃないかな。わかんないけど。
http://www.youtube.com/watch?v=t4EH535hR8g
http://www.youtube.com/watch?v=jM2d5rW42Mo
全体として素晴らしい体験で、参加したことに満足している。コンベンションにおけるダニー・チューの存在は称賛より損害に値すると思うけど、ボーカロイドファンの関心を惹きつける沢山のものがあって、全部ひっくるめて余分な2日間を過ごすことができた。展示ホールとアーティスト・アレイのばかでかさにも触れなかったな。これらの時間をまた思い出すとしよう。世界中のボーカロイドファンには、僕らの愛する業界がますます盛況を迎えていることを知ってもらい、安眠してほしいね。
+++++勝手翻訳終了+++++
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクLAライブ、外国人感想その2「再生の約束」フリーダム訳
http://anond.hatelabo.jp/20110708223459
初音ミクLAライブ、外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」
http://anond.hatelabo.jp/20110709211718
初音ミクLAライブ、外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来の音色」
http://anond.hatelabo.jp/20110710234300
初音ミクLAライブ、外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」
http://anond.hatelabo.jp/20110711212701
初音ミクLAライブ、外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマスと世界征服」
http://anond.hatelabo.jp/20110712205546
初音ミクLAライブ、外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」
http://anond.hatelabo.jp/20110713211501
初音ミクLAライブ、外国人感想その8「ミクノポリス:コンサート・リポート」
http://anond.hatelabo.jp/20110714210122
初音ミクLAライブ、外国人感想その9「アニメ・エキスポ:初音ミク」
http://anond.hatelabo.jp/20110715222900
初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
http://anond.hatelabo.jp/20110716194029
初音ミクLAライブ、外国人感想その11「世界は彼女のもの:初音ミクはいかにして全てを変えたのか」
http://anond.hatelabo.jp/20110717201147
初音ミクLAライブ、外国人感想その13「ミク:日本のヴァーチャル・アイドルとメディア・プラットフォーム」
それはフィクションの世界で用いられる「役割語」の働きのせい。
翻訳に限らず、日本人の書いた日本語の小説・マンガなどを見ても「~だぜ」「~~ですわ」「~~じゃ」など、不自然な語尾の特徴付けは行われている
そうする理由としては語尾に特徴を着けることによってキャラクターのイメージを強化すること、
セリフ部分を一読して誰の発言なのかよく分かるようにするため、などがある
これらを「役割語」と言って、金水敏という国語学者がこれに詳しい。
翻訳というものは、ただ単に語から別語への移植をするだけではなく、移植の際に翻訳者の新たな創作が加わるという一面もあるので
英会話の訳(外国人インタビューの翻訳等のことを言っているのでしょうか?)もフィクショナルな付け足しが行われるものと思われる。
(また日本語だけでなく英語にも、日本語の「~~ですわ」等にあたるような口調の特徴はあります。
私は英語に詳しくないのでよく知らないが、イングランド調であったり、スノッブな口調であったり、オカマ、田舎言葉、黒人言葉、などなど)
アフリカや中東で起こっている動きをTwitterを通して精力的に翻訳し発信していた方が、先ほど「原則として、翻訳ツイートやめることにしました。」とツイートした。残念でならない。
彼がやめる事じゃない、彼が追い詰められるほど、見せ掛けの中立を求める人々が多かった事が残念でならない。(彼には少し心を休めてほしいと個人的には思う。)
英語やその他言語の情報を追うと、主要タグのツイートだけでも恐ろしい情報量なんだ。滝のようなツイートから翻訳して伝えるには選別する必要がある。その選別する見極める作業だけで時間も精神力も知識も判断力も使う。だから彼がこの先翻訳をやめて、英語情報のRTメインになるとしても、選別作業の重さを考えれば十分ありがたい。
現実の情報量に対して個人は非力だから、情報の選別が必要だ。選別が必要ということは意思が必要なんだ。この時点で理論上の中立は無理なんだ。個人だけじゃない、大手メディアにしてもそれがすべての情報をそのまま垂れ流すものでない限り、神のような理論上の中立は不可能なんだよ。
アルジャジーラのようなメディアは、「様々な角度から、視点から」報道することをモットーにしている。メディアには、自らの立場を明確にした上で偏向した報道をするものもある。
アルジャジーラがエジプトの革命を命がけで報道し続けた時、彼らは明らかに民衆=革命側についていた。それを明確にしていた。そうでなければあれほどの報道は無理だっただろう。
そこに、見せ掛けの中立を持ち込むとどうなるだろうか?混乱が現実に起きていることであっても、結果を見出せないからポジション取りができない、報道できない、情報が遅れる、ことなかれ主義な内容になる。見せ掛けの中立が確かにある現実をあやふやなものにし、速報性を犠牲にする。結果的に正しい情報が伝わらなくなる。
見せ掛けの中立にはもう一つの危険性がある。それを妄信してしまう人がいることだ。
例えば、右派新聞と左派新聞があって、それぞれ立場を明確にしているとする。多角性を売りにしている新聞があって、記事が記名ありで右派記者と左派記者の記事が入り乱れているのでもよい。そうであれば、人は色々な視点から現実を見て、自分で考えるだろう。
逆に、中立を標榜するメディアが立場を明確にしないまま中立を後ろ盾に報道を続けたらどうなるだろう。もう一度言う、大手メディアにしてもそれがすべての情報をそのまま垂れ流すものでない限り、神のような理論上の中立は不可能なんだ。結果、何も考えない受身な人たちはそれを信じ込み、少し賢い読者は疑心暗鬼になり、そのうちのいくつかは途方もない陰謀論に救いを求めるだろう。
見せ掛けの中立の中で、本物のジャーナリズムが生き残ることは難しい。
ネットの利点は、多角的な生の情報が得られる事だ。何かを知りたいとき、多角的な情報の中から自分で判断する自由がある。それがどんなに素晴らしいことなのかもっと気づいて欲しい。本物のリテラシーは重箱の隅をつつくような知識などではなく、そうした自由と判断の中にこそあるべきなんだ。
一人の翻訳者を偏向だ、公平でない、と責めるのがどんなにナンセンスなことかわかるだろうか。ネットの利点を中立性だと勘違いしていないだろうか。だとすれば、そんな人たちは、見せ掛けの中立の報道に頼りきりで何も考えず信じ込んでいたいのと同じ気持ちでネットを利用したいだけだ。
もっと多くの人が、見せ掛けの中立を求めるのをやめ、多角性の大事さに気づくように願ってならない。
聡明なるみなさんはこの文章が高名な哲学者p j フランクファートの評論からとられたものだとおわかりだと思う。
だけどこの文章は別にウンコな議論に関する再確認を求めようとは思わないし、その翻訳者たる山形浩生の著作についても、彼の翻訳した1984年について語ろうとするものでもない。
あらゆる間違った教育は、顧客本位ではない。だからといって、教授本位というわけでもない。ただ、試験に向けて最適化されているのだ。
物理学では相対性理論さえ避けられる。最も興味深い現象である量子力学に踏み込むことは避けられる。
僕は常々疑問を持ってきた。学校の授業って本当に効率良いやり方なのか?
ずいぶん不恰好じゃないか。進みは遅いし、何しろ起きているのが難儀だ。
そして教科書がクソなんだ。別に分厚さの問題じゃないよ、教科書は先生の助けを得ないと使いものにならないようになっているんだ。
クソ退屈な授業とゴミみたいな教科書を組み合わせても、優れた教科書、参考書には全然及ばないんだ。残念ながら。
だけどいろいろな理由をつけてそういう本、教えてくれないんだな。
時々優れた先生がいる。尊敬できる人もいるし、その人の授業を受けてよかったなって思うこともある。
だけどそういうものは、少ない。本当に少ない。少なくとも学校教育であの先生は素晴らしかったといえる人は、5本の指で数えられる。
そしてその先生方が素晴らしい所以は、つまり結局は自分でやるしかないということを教えてくれたからだ。
実験や実践を除けば、講義によって得られるものなど、殆ど存在しない。
文学の授業を受けるならドストエフスキー読んでたほうがいいし、教授お手製の教科書を読むくらいなら、もっと読むべきたくさんの本がある。
進級できないとか、単位がとれない、以外の理由。
教養を深めたいというモチベーションで学ぶには、教養はあまりにも薄くて、退屈だ。
退屈に耐えて学ぶことが大事だとして、人生がクソの山だということを学ぶとして、もしそうなら、ヴォネガットやフランツ・カフカを読めばいい話だ。
僕が習った国語の先生は、僕が手にとったフランツ・カフカの審判を見て、こう言った
彼から教わるべきことが果たしてあるんだろうか?
これは一つの例だ。ただ、彼らを見ててわかるのは、こうやってると理解出来ないままだ、ということだ。権威を一旦ないものにしてしまうと、世の中はずいぶんおかしなことになっているように思える。噛み合ってないジグソーパズルみたいなんだ。全然適正のない人が、不思議な力で無理やり位置取っているような・・・。
How about Korean? Great market, go for it! I've already seen people using Dropbox here, sweeet!
私だったら、
「韓国語は?凄いマーケットだよ、やってみてよ!ここでも色んな人がDropboxを使ってるのを見たよ、すごーい!”
って感じでしょうか。
"go for it!"や最後の"sweeet!"からして、これは学生・あるいは精神年齢学生が甘ったれて書いてる感じですから、おバカな感じにはしても読み手が悪意を感じるようには訳しませんよ。
結局原文を書いた人にコンタクト出来ない以上、書いた人の真意はわかりませんから訳者の解釈になります。
日本語は意味は同じ文でも語尾の選択で印象が大きく変わってきますから、そこにどんな日本語を当てるかは翻訳者の心を映す鏡だと思いますよ。
僕が雪村に出会ったのは、大学の研究室の新入生歓迎会のときのことで、そのとき歓迎する側にいたのが僕で、歓迎される側にいたのがいっこ下の雪村だった。
彼女は、長くきれいな黒髪の落ち着いた女の子で、お嬢様という感じではないが、どこか品のある立ち居をしていた。
僕は彼女とは別のテーブルにつくことになり、でも彼女のことが気になったのでたまにそちらの方へ目をやったりしていたのだけれど、ちゃんと正面に座って話す機会は、ひとつ上の先輩がくれた。
「真田くん、ちょっとこっち来てよ」と先輩が僕を手招いて呼んだ。「この子エーティーフィールド張ってて、俺ひとりじゃキビシイよ」
それで僕は、彼女の向かいに座って話をした。雪村は聡明で、控えめで、微笑みながら人の話にうなずき続けることができるタイプの女性だった。
でも僕は自分のことが話したいわけではなくて、彼女のことが聞きたかった。僕はゆっくりと、何か自分と合うような話題がないかと探した。彼女の趣味は読書で、好きな作家は恩田陸(←「ああ、あのガチホモミステリの……」)。よく読むのは講談社ノベルス(←今にして思えば恩田陸は講談社ノベルスとあんまり関係ない気がする)。映画も好きで、好きな監督はスタンリー・キューブリック(←『バリー・リンドン』)とピーター・ジャクソン(←『乙女の祈り』)。ピクサーとジブリも好き。好きな漫画は『夢幻紳士』『百鬼夜行抄』『うしおととら』『タブロウ・ゲート』……。まともにやったゲームは『ファイナルファンタジーX』くらいで、時間のカウンタが止まるまでやって(←大学受験が終わってから暇だったようだ)、「全てを越えし者」を倒すところまではいったとか。あと何かのレースゲームは前に進めなくて諦めたという。
僕はといえば、好きな作家は星新一で、好きな映画は『ショーシャンクの空に』で、好きな漫画はジャンプとチャンピオンとヤングジャンプとヤングマガジンとスピリッツとモーニングだった。僕はその程度の文化パワーの人間だった。
雪村は本当に本が好きで、暇なときには一日一冊くらいのペースで読んでいた。「『雑食なのでなんでも読みます』とか言うやつは信用できねえよ。そういうやつは絶対に大して本を読んでない」と吐き捨てる友人が僕にはいたが、雪村は本当に雑食で、ノンフィクションを除けばなんでも読む女の子だった。小説も漫画も。
その新入生歓迎会の日は、友達が帰るというので、彼女もそれについて早めに帰っていってしまった。僕はもっと残っていってよと頼んだけれど、穏やかに断られてしまった。
次に僕が彼女と話をしたのは、それからしばらく後の教養の授業のときのことで、雪村は教室の最前列に座って、社会学だったか文化人類学だったかの講義を無視してペーパーバックを読んでいた。
勇気を出して隣りに座って(←勇気を出したのだ)、何読んでるの、と彼女に訊ねた。雪村は手に持った本の表紙を見せてくれた。G.R.R.マーティンの『玉座をめぐるゲーム』だった。もちろん僕にはまったくわからなかった。
それからも僕は、折にふれては勇気を出して彼女に話しかけていった。レポートがあるので……と断られてひどく落ち込んだりもしたけれど、ついに僕は彼女を連れて名古屋城にデートにいくことに成功した。名古屋城はつまらなかったけれど、彼女といるのは楽しかった。
これはおもしろかった。本当に。
それからも授業で隣りに座ったり、食事に誘ったりして、僕らは付き合うことになった。僕は実家に住んでいて、彼女は下宿をしていたので、よく彼女の家に泊まって二人で本を読んだり、映画を見たりした。本山にゲオがあったので、近所でレンタルができて助かった。
でも不思議なことに、幸せなことはそんなに長く続かないもので、僕と雪村が二人で東尋坊を見に旅行に行ったとき、泊まった旅館でカニを食べて一緒の布団で寝たあと、彼女は僕の知らない何かに引っ張られて、僕が寝ているうちに布団を出て服を着替えて旅館から脱げ出して、東尋坊の先から海に飛び降りてしまう。
東尋坊では死ねないという話があるけれど、やっぱりそれは嘘で、飛び降りればちゃんと死ぬ。雪村がそれで死んだのだから間違いない。
彼女を失った僕は悲しくなって、雪村が死んだというそのこと自体よりもむしろ雪村が僕に一言も告げずに死んでいったことに鬱々と悩んで、こりゃだめだ、このままじゃ何も解決しない、と思ってそのまま十五の夜ばりにバイクで走り出す。でもそのバイクは別に盗んだものじゃないし行き先もきちんとわかっていて、僕は一直線に福井まで行って、雪村と同じように海にダイブする。そして生きて浮かんでくる。本当に死にたいのなら、そのための飛び降り方をしなければならない。
病院のベッドでしばらく暮らすことになった僕は、とりあえずアマゾンで小説と漫画と学芸書とDVDを注文しまくって、それを片っ端から消費する。雪村が生きていたときにはこの女はまたなんか読んでんなあとしか思っていなかった僕が、いまさらになって雪村の触れていたものたちに目を向け始める。村上春樹を、伊坂幸太郎を、恩田陸を道尾秀介を舞城王太郎を僕は読む読む。雪村のようにペーパーバックをぺらぺらとはいかないが、翻訳者に感謝しながら、ヴォネガットをカポーティをフィッツジェラルドを読む読む。福満しげゆきを藤田和日郎を増田こうすけを読む読む。カントを、デリダを、ヴィトゲンシュタインをホフスタッターをドーキンスを読む読む。そんでDVDはよく考えたら病室じゃ見られねえなと思ってそのままジャケットだけを眺める。いいじゃんアマデウス。時計じかけのオレンジ。タクシードライバー。
そして読みたい本をあらかた読み終えてしまったので、そろそろ家に帰ってDVDでも見るかと思って僕は退院する。退院するために荷物を片付けてきれいな服に着替えて、もう忘れ物はないよな、と思って振り返った病室に雪村がいるのを見て僕はびっくりする。
「いまさら化けて出てんじゃねーよ」と僕は言う。
でも雪村は生きていた頃と同じ顔で、僕がさっきまで寝そべっていた病室のベッドに腰掛けている。いつもと同じように黒い服ばっかりを着ていて、別に幽霊だからって白いベッドが透けて見えたりはしない。
「いやーいいじゃん。嬉しいでしょ」と雪村は言う。
そんな口調じゃねーよ。
まあまあ、落ち着きなさいって。あなたの人格を攻撃してるわけじゃないんだから。「難癖」じゃなくて普通に疑問点を指摘しただけ。おわかり?
もしこういう議論を感情的な後腐れなくできないのなら、あなたは多分俺と相性が悪いと思うので、読まないことを勧める。
俺は別にこういう議論に人格を賭ける性格じゃないし、そういう性格の人を理解できないと思うので。
それでも、「早い話、英語の技術文書を書かせたら、英語ネイティブのガキよりも俺の方がずっと上なのは明らかだ。」
みたいなことは、口が裂けてもいわないよ。文法と表現で完璧な英語を書くというのは、本当に難しい。
ちゃんとした仕事を任せるなら、10年は訓練がいる。
素人がやったら、All your base are belong to usになっちゃうんだ。そういうこと、わかってる?
わかってますとも。それでもなおかつ「早い話、英語の技術文書を書かせたら、英語ネイティブのガキよりも俺の方がずっと上なのは明らかだ」と言えるよ。
現実問題として、科学技術の世界ではカタコト英語が罷り通っていて、「文法と表現で完璧な英語」なんて全く要求されない。語学が大の苦手だったアインシュタインがその典型だ。英語の兄弟言語のドイツ語を母語としながら、ちょっとテンパるとルー語の逆バージョンみたいな英語しか話せなかったそうだ。それでも後半生を米国で送り、業績に見合った尊敬を保ち続けた。
もしネイティブが「文法と表現で完璧な英語」などを要求しようものなら、「英語で話してやってるだけありがたく思え」「ならば専門的な翻訳者をただで派遣しろ」などと非難囂々になることは明らかだ。本来はエスペラントみたいな人工言語やラテン語みたいな死語が占めるべき地位を、どういうわけか英語が占めてしまっているのでそういうことになっている。
そもそも、科学技術を表現する際の言語というのは、豊饒な日常語に比べて非常に幅が狭い。たとえば"base"あたりが専門用語なら、"All your base are belong to us"でも十分意味が通じてしまう。数学の論文なんかであれば極端な話、ルーマニア語あたりで書かれていても、その分野の専門知識があれば読めてしまう。そういう世界だ。
それに、こういっちゃ何だけれど、学部生の専門知識なんて、
社会に出ちゃほとんど役立たないでしょ? あるいは、後からだって学ぶことは十分できる。
役に立つし、後から学んでちゃ遅いです。まさか会社で線型代数だの電磁気学だのミクロ経済学だのを教えるわけにはいかないんだよ。逆に、その程度にしか知識を要求されない職種に就くのであれば別に国際教養大の学生を雇ってもいいかもしれない。だが、それってただの「兵隊」であって、あの大学が養成しようとしているようなエリートとは程遠いんじゃないかね?
そういう意図よりも、むしろ誇大宣伝に騙されて通学してる学生が可哀想だ、と言ってるんだよ。ちょっと前は器用にExcelだのPowerpointだのが使えるだけで有能な学生扱いされたが、あれと同じことになる危険性が高くはないですか、と。
だから、既存の外語附属短大で同じような勉強はできるし、4年制の外大に行けばそれに加えて専門知識も学べますよと言ってるじゃないか。視野が狭いのはどっちですか?
http://anond.hatelabo.jp/20100826113209
を見て思いついたけど特定の1人に絞らず
あなたが思いつく人物を当てはめてみてね
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とは書いたけど
だったり
「対象そのものが大好き、というより対象のことが大好きな人の熱量が好き」
という、どうしてもメタ視点になってしまう人はけっこういる。自分とか。
べつに上から目線になりたいわけじゃない、んだが構造上「上から目線」と思われても仕方がない、
没入できるだけの熱量やら才能が足りないんだから、そこは甘んじて、くらいには思う。
・自分の専門分野一本で行く実力がなく、オタクをウリの一つにしている
・「仲介者」「翻訳者」「橋渡し」等と自称することが多い
・自称オタクであり、こまめに同類アピールをするが感覚がかなりズレてる
・オタクを扇動出来ると思っているが実際やるといつも反発をくらう
・オタクに支持されオタクを動かすポジションを狙っているが、オタクからの評価は冷笑的
・低姿勢キャラな場合が多く、専門分野での人脈に対してはペコペコしがち
・本人は上から目線なのを上手く隠せていると思っている
を見て思いついたけど特定の1人に絞らず
あなたが思いつく人物を当てはめてみてね
それが誠実さってことだと思う。
だけどそれがbullshitの引き金になったりして。
最初はこの文章、さよならディスコミュニケーション、さよならフランクファート
そして、こんにちわ「人それぞれ」
そう書きだしてみるつもりだった。
だけどちょっと気が変わった。フランクファート読んだことなかったから読んでみることにした。
いくら衒学趣味でもちょっとくらいは真面目なところを見せたのだ。
フランクファートはアメリカの道徳哲学やってる人なんだけど、日本語訳されてるのは、on bullshitって本だけ。
邦訳は、ウンコな議論。
これは僕の独断。本文中では、おためごかしって言葉が使われてたりするけど、これはちょっと一般的じゃないだろう。
翻訳者の山形浩生は、ウンコな議論の具体例として、小泉元首相の、「人生いろいろ」という発言を例にあげている。
ウンコな議論は嘘を言っているわけじゃない。
ここで最初に戻るんだけど、「人それぞれ」もそうなんだ。
嘘を言っているわけじゃない。確かに人それぞれだ。
だけどそれは解答の放棄だ。
正解が何種類あるかはわからないにしても、全ての人が正しいってことはないだろう。
相対主義(つまり、人それぞれってこと)は何も生み出さない。
衝突も、議論も、止揚も、向上も、疑問さえも。
勿論それは日常生活をスムーズに送る上では必要なことなんだけど。
だけどその考えがウンコな議論を必要としない場にも入り込んでくるんだ。それはよくない。
言語は思考を規定する。それがビッグ・ブラザーがニュースピークを作った理由だ。
つまり、自由と言う概念が存在しなければ、人は自由について考えることをしない。
もし仮に誰かが自由について話したとしても、他の人はそれを理解できない。
ウンコな議論だってそうなんだ。ウンコな議論と真の議論を見分けられなければ、ある出来事に対して適切な理解をすることが難しくなるんだ。
ウンコな議論に慣れ過ぎていると、真の議論は乱暴で粗野なものに見えてしまうんだ。
大事なことは二つ。ウンコな議論かどうかを見分けること。
ネットを通じて誰かにコンタクトをとる際のモチベーションは自分の場合は怒りであることが多い。他人のブログのコメント欄や Wikipedia などに思わず下らない書き込みをしてしまうのは、そのコンテンツについてやりきれない怒りを感じた時が非常に多い。怒りの対象は端的にいえばバカなコンテンツ。この場合のバカな、というのは無責任で軽薄で有害かつその害悪に無自覚な - つまり誤解をおそれずにいえば悪意なき疑似科学喧伝者みたいな(?) - という意味。無論ネタである場合はどうでもいい。実生活で見かける「バカ」にはかなり寛容だという自覚はあるが、ネットではそれ自体愚かなことだと分かってはいてもなぜか怒ってしまう。多分そのコンテンツを書いている人間を一目見ればどうでもよくなってしまう感情なのだろうが。「やり場のない怒り」というのはやり場がないから「怒り」とならざるを得ない何か別種の情動が根幹にあるのではないかとも思うのだが、だとすればそれは何だろうか。分からないが、とりあえず「もやもや」とするのだ。
例えば Wikipedia は、内容は酷いがいずれ段々よくなってゆくだろう、という期待をベースにして、つまり最終的に平均的な善意に依存しつつ動いているプロジェクトだ、と理解できないことはない。その Wikipedia でどうしようもない誤謬を訂正した後、あるいはどうしようもない権利侵害をどうにか正常化した後、ふと「自分はこの編集を善意からやっているのだろうか」と疑問に思う。むしろ動機の重心は、そのバカな内容を書いた編集者をそういった言説の空間から排除したいという「怒り」のようなものだ。それはまったくもって善意ではない。自分は「貢献」ではなく、地獄への道をせっせと整備している人間にそういった迂遠な方法で何らかの啓示を与えたいだけなのだと思う。啓示とは大げさかも知れないが、自覚とか自尊とか責任とかいうものはそうやってしか与えられないという気もしてしまう。
あるいは、下らない会社が下らない翻訳者を雇って運営している下らない「ブログメディア」の数々。書店で週刊誌を眺めて怒るというのはまったく正気の沙汰ではないが、インターネットはそれさえ可能にしてしまったようだ。例えばアルバイトで雇われている「翻訳者」がひとつの記事で受け取る報酬はいくらだろう、と考えてしまう。よくて数千円くらいのものだろうか。何回か見ていると、どうやら編集体制は実態がなく、単純な誤植もそのまま掲載される上、指摘されても訂正されることはほとんどないということが分かってくる。中には留学経験のある者もいるが、彼(彼女)を含めて20代のアルバイトが量産する「記事」はあまりに酷い。もうどういっていいか分からないくらいに酷い。だがそれはいい。誰にでもミスはあって、あとは誠実さと人生観の問題だ。では自分は何に「もやもや」とするのかと言えば、そういった「執筆者」を端金で使い捨てながら企業体を回している経営者の立場なのかも知れない。実名と不自由な日本語をセットで垂れ流している執筆者に文句をいうのはお節介というものだろう。
それで? というわけだが、どうなれば自分は満足なんだろうかと考えてみると、やはりそういう対象に何らかの啓示を与えたいのだと思う。何かに気づいているフリをして欲しいのだと。さもなければ、殺せるものならば殺してしまいたいと思う。だがこういった情動も、彼らの顔を見れば忘れてしまうようなものだろう。バカは死ねばいい。あるいは、死ぬほど恥じ入ればいい。何に恥じるべきかを知ればいい。自分はそう思いながら「もやもや」としているのかも知れない、と思う。コンタクトをとった後はどうなのか? 経験からすれば、大抵の場合は無視されるか、あるいは非常に丁寧に対応してもらうかのいずれかになる。それで満足か? と言われれば、どんな対応が帰ってこようと満足したことはない。
インターネットは他人になどつながっていないのではないか、と思う。そこにあるのは自分の欲望の蠢きに過ぎない。しかも誰にとっても、その欲望はどれひとつとして自分のものではない。
IT業界終わっている話を最近よく読むけれど、翻訳業界もヤバくない?ご同業の皆様どうですか?
いや仕事にあぶれている翻訳者の話をよく聞くんで。これまで見向きもしてこなかった
ちょっと話したことがあるくらいの知り合いのコーディネータも嘆いていた。今、どんなに仕事の質の高い翻訳者でも
仕事ありつけない状態だって。何かあったらぜひ紹介してくださいって。あんまりよく知らない人間に頼むくらいだから
よっぽど苦しいんだろうなあと思ったけど。大手の人も仕事がないとぼやいてたの聞いたし。
あと最近、捨身ですごい割引してくる同業者がいて、その価格で受けて一体どうするんだよ、と思うんだけど、
訳者さん遊ばせておくよりはましってことかなあ。
逆に翻訳を頼みたい側にとっては今はいい時期かも。底値で受けてもらえるかもよ。
いやこんなこと、業界の首絞めるだけだから黙ってろって?
日本のコンテンツ商品を(著作者に無断で違法に)複製し、翻訳し、配布する人たちがいる。アニメにおいてはファンによる字幕(subtitle)、通称ファンサブと呼ばれる。漫画などの本では翻訳スキャン (scanned translation, scanslation)と言われる。たとえば以下のようなサイトが有名だ。
アニメ | http://www.downloadanime.org/ |
---|---|
ライトノベル | http://www.baka-tsuki.org/ |
ふとしたきっかけから中の人たちと知り合った。だいたい10代後半から20代の青年が多い。国籍は多岐にわたる。意外に多いのが中華系米国人や中華系英国人で、漢字を知っていることのアドバンテージと英語能力を活かしている。アニメの場合、作業はテキスト起こし⇒翻訳⇒字幕作成⇒時間軸同期といった段階を経て行われ、最初の2工程では日本語能力が必須となるが後半はそうでもない。このため日本語をまるで知らない人も作業班に参加している。
法的にははっきりと黒の営為だが、それは認めようとしない。グレーという言い方を好む。北米地域で商業的にリリースが開始されたら翻訳ファイルの公開を止めるなど、一定の「配慮」を見せているのだから悪質ではない、という理屈だ。むしろ海外のotaku marketの拡大に奉仕する公益的な活動だと自己規定している。そこを突っ込むと激しく攻撃的な反発を招く。というか招いた。
10代でこの世界に入り、だいたい25前後で抜けていく。まったく足を洗ってotakuとは何のかかわりもない生活に移行する人もいれば、商業的な翻訳者になったりする人もいる。
彼ら・彼女らと接する上で認識しておくべきだと思った点は以下の通り。
http://www.c4lpt.co.uk/learningtools.html
語学:Podcasting Juice
http://portal.podcastjuice.jp/dirretrieval/category_sort.cgi?categoryid=14
翻訳・通訳・辞書サイト検索 Feel Words Search
やさしいひざし / おはようどうわ
http://www.mypress.jp/v2_writers/satomamachi/story/?story_id=1166707
http://why.kenji.ne.jp/douwa/sinla2.html
Link集
http://cvnweb.bai.ne.jp/~ryouken/link.htm
http://www.enjoy.ne.jp/~isshindo/SYUWA.htm
http://unorthodoxdecorum.blogspot.com/2007/09/phone-conversation-ii.html
元の「mom in chief」の意味するところは「世の女性・主婦の代表として、積極的に係っていく」という意味合いでよいのかな。
元の発言というのが、どういう文脈でされたか知らないけれど、
たぶん、そんなおこがましいつもりじゃなかったと思うよ。
ファーストレディはあくまでオマケだから。
十数年前、クリントンが国民皆保険を導入しようとして、その旗振り役に
「自分の知ってる範囲で一番有能だから」という理由で、ヒラリーを選んだことがあった。
そこでの、奥さんは選挙で選ばれたわけでもないのに、どういうわけだ、という反発が
いわゆるヒラリー嫌いにつながったわけで、そういうのをミシェル夫人はよくわかってるはず。
同じくらい優秀だしね。だからこれはあくまでジョークだよ。
「うちのダンツクが米軍最高司令官なら、アタシだって家じゃあ最高司令官なのよ」(観客大うけ)みたいな。
そこをどう上手に訳すかは、翻訳者の腕次第。