はてなキーワード: 翻訳者とは
ネットを通じて誰かにコンタクトをとる際のモチベーションは自分の場合は怒りであることが多い。他人のブログのコメント欄や Wikipedia などに思わず下らない書き込みをしてしまうのは、そのコンテンツについてやりきれない怒りを感じた時が非常に多い。怒りの対象は端的にいえばバカなコンテンツ。この場合のバカな、というのは無責任で軽薄で有害かつその害悪に無自覚な - つまり誤解をおそれずにいえば悪意なき疑似科学喧伝者みたいな(?) - という意味。無論ネタである場合はどうでもいい。実生活で見かける「バカ」にはかなり寛容だという自覚はあるが、ネットではそれ自体愚かなことだと分かってはいてもなぜか怒ってしまう。多分そのコンテンツを書いている人間を一目見ればどうでもよくなってしまう感情なのだろうが。「やり場のない怒り」というのはやり場がないから「怒り」とならざるを得ない何か別種の情動が根幹にあるのではないかとも思うのだが、だとすればそれは何だろうか。分からないが、とりあえず「もやもや」とするのだ。
例えば Wikipedia は、内容は酷いがいずれ段々よくなってゆくだろう、という期待をベースにして、つまり最終的に平均的な善意に依存しつつ動いているプロジェクトだ、と理解できないことはない。その Wikipedia でどうしようもない誤謬を訂正した後、あるいはどうしようもない権利侵害をどうにか正常化した後、ふと「自分はこの編集を善意からやっているのだろうか」と疑問に思う。むしろ動機の重心は、そのバカな内容を書いた編集者をそういった言説の空間から排除したいという「怒り」のようなものだ。それはまったくもって善意ではない。自分は「貢献」ではなく、地獄への道をせっせと整備している人間にそういった迂遠な方法で何らかの啓示を与えたいだけなのだと思う。啓示とは大げさかも知れないが、自覚とか自尊とか責任とかいうものはそうやってしか与えられないという気もしてしまう。
あるいは、下らない会社が下らない翻訳者を雇って運営している下らない「ブログメディア」の数々。書店で週刊誌を眺めて怒るというのはまったく正気の沙汰ではないが、インターネットはそれさえ可能にしてしまったようだ。例えばアルバイトで雇われている「翻訳者」がひとつの記事で受け取る報酬はいくらだろう、と考えてしまう。よくて数千円くらいのものだろうか。何回か見ていると、どうやら編集体制は実態がなく、単純な誤植もそのまま掲載される上、指摘されても訂正されることはほとんどないということが分かってくる。中には留学経験のある者もいるが、彼(彼女)を含めて20代のアルバイトが量産する「記事」はあまりに酷い。もうどういっていいか分からないくらいに酷い。だがそれはいい。誰にでもミスはあって、あとは誠実さと人生観の問題だ。では自分は何に「もやもや」とするのかと言えば、そういった「執筆者」を端金で使い捨てながら企業体を回している経営者の立場なのかも知れない。実名と不自由な日本語をセットで垂れ流している執筆者に文句をいうのはお節介というものだろう。
それで? というわけだが、どうなれば自分は満足なんだろうかと考えてみると、やはりそういう対象に何らかの啓示を与えたいのだと思う。何かに気づいているフリをして欲しいのだと。さもなければ、殺せるものならば殺してしまいたいと思う。だがこういった情動も、彼らの顔を見れば忘れてしまうようなものだろう。バカは死ねばいい。あるいは、死ぬほど恥じ入ればいい。何に恥じるべきかを知ればいい。自分はそう思いながら「もやもや」としているのかも知れない、と思う。コンタクトをとった後はどうなのか? 経験からすれば、大抵の場合は無視されるか、あるいは非常に丁寧に対応してもらうかのいずれかになる。それで満足か? と言われれば、どんな対応が帰ってこようと満足したことはない。
インターネットは他人になどつながっていないのではないか、と思う。そこにあるのは自分の欲望の蠢きに過ぎない。しかも誰にとっても、その欲望はどれひとつとして自分のものではない。
IT業界終わっている話を最近よく読むけれど、翻訳業界もヤバくない?ご同業の皆様どうですか?
いや仕事にあぶれている翻訳者の話をよく聞くんで。これまで見向きもしてこなかった
ちょっと話したことがあるくらいの知り合いのコーディネータも嘆いていた。今、どんなに仕事の質の高い翻訳者でも
仕事ありつけない状態だって。何かあったらぜひ紹介してくださいって。あんまりよく知らない人間に頼むくらいだから
よっぽど苦しいんだろうなあと思ったけど。大手の人も仕事がないとぼやいてたの聞いたし。
あと最近、捨身ですごい割引してくる同業者がいて、その価格で受けて一体どうするんだよ、と思うんだけど、
訳者さん遊ばせておくよりはましってことかなあ。
逆に翻訳を頼みたい側にとっては今はいい時期かも。底値で受けてもらえるかもよ。
いやこんなこと、業界の首絞めるだけだから黙ってろって?
日本のコンテンツ商品を(著作者に無断で違法に)複製し、翻訳し、配布する人たちがいる。アニメにおいてはファンによる字幕(subtitle)、通称ファンサブと呼ばれる。漫画などの本では翻訳スキャン (scanned translation, scanslation)と言われる。たとえば以下のようなサイトが有名だ。
アニメ | http://www.downloadanime.org/ |
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ライトノベル | http://www.baka-tsuki.org/ |
ふとしたきっかけから中の人たちと知り合った。だいたい10代後半から20代の青年が多い。国籍は多岐にわたる。意外に多いのが中華系米国人や中華系英国人で、漢字を知っていることのアドバンテージと英語能力を活かしている。アニメの場合、作業はテキスト起こし⇒翻訳⇒字幕作成⇒時間軸同期といった段階を経て行われ、最初の2工程では日本語能力が必須となるが後半はそうでもない。このため日本語をまるで知らない人も作業班に参加している。
法的にははっきりと黒の営為だが、それは認めようとしない。グレーという言い方を好む。北米地域で商業的にリリースが開始されたら翻訳ファイルの公開を止めるなど、一定の「配慮」を見せているのだから悪質ではない、という理屈だ。むしろ海外のotaku marketの拡大に奉仕する公益的な活動だと自己規定している。そこを突っ込むと激しく攻撃的な反発を招く。というか招いた。
10代でこの世界に入り、だいたい25前後で抜けていく。まったく足を洗ってotakuとは何のかかわりもない生活に移行する人もいれば、商業的な翻訳者になったりする人もいる。
彼ら・彼女らと接する上で認識しておくべきだと思った点は以下の通り。
http://www.c4lpt.co.uk/learningtools.html
語学:Podcasting Juice
http://portal.podcastjuice.jp/dirretrieval/category_sort.cgi?categoryid=14
翻訳・通訳・辞書サイト検索 Feel Words Search
やさしいひざし / おはようどうわ
http://www.mypress.jp/v2_writers/satomamachi/story/?story_id=1166707
http://why.kenji.ne.jp/douwa/sinla2.html
Link集
http://cvnweb.bai.ne.jp/~ryouken/link.htm
http://www.enjoy.ne.jp/~isshindo/SYUWA.htm
http://unorthodoxdecorum.blogspot.com/2007/09/phone-conversation-ii.html
元の「mom in chief」の意味するところは「世の女性・主婦の代表として、積極的に係っていく」という意味合いでよいのかな。
元の発言というのが、どういう文脈でされたか知らないけれど、
たぶん、そんなおこがましいつもりじゃなかったと思うよ。
ファーストレディはあくまでオマケだから。
十数年前、クリントンが国民皆保険を導入しようとして、その旗振り役に
「自分の知ってる範囲で一番有能だから」という理由で、ヒラリーを選んだことがあった。
そこでの、奥さんは選挙で選ばれたわけでもないのに、どういうわけだ、という反発が
いわゆるヒラリー嫌いにつながったわけで、そういうのをミシェル夫人はよくわかってるはず。
同じくらい優秀だしね。だからこれはあくまでジョークだよ。
「うちのダンツクが米軍最高司令官なら、アタシだって家じゃあ最高司令官なのよ」(観客大うけ)みたいな。
そこをどう上手に訳すかは、翻訳者の腕次第。
別増田だけど、そこが元増田にとっても「分かるけど歯がゆい」ところなんだろうなと思う。
欧米的思考
→名門校出身ってだけだと△、Dr.持ってることが評価されるけど授与した大学も大事。
『名門校でDr.を取った』という組み合わせにこそ重大な価値があるし、
Dr.を持っていることが評価される。
日本的思考
→名門校に行ってたってことや、名門校が最終学歴ってことだけで高評価される。
Dr.を持ってるってことは「がんばったんだねぇ」「そんなにお勉強がすきなの?w」程度で、
そんなに良く評価されない。
そんなわけで、あえて翻訳者も「日本じゃ名門校に行ってたってことで十分だな」とジャッジ。
「やりたい」と夢を持つ人がたくさんいる業界では、その業界そのものより、その業界へ入りたい人からお金を得た方が儲かる構造になることがある。
典型的なのは翻訳通訳業界。翻訳そのもので生活できている人はほとんどいなくて、たいていの翻訳者は翻訳学校の講師か、全然関係のない他の仕事と兼業することで生計を立てている。一方で、「翻訳者になるための学校・教材」は常に安定した需要が存在する。翻訳者のための業界紙はないのに、翻訳者になりたいための雑誌は複数存在する。
翻訳者のコミュニティとか翻訳者のための情報交換サイトを作ると、翻訳者そのものより「翻訳をやってみたいんです」という翻訳家志望者の人がわらわらやってきて、翻訳者にとっては何も得る物がないサイトになってしまう。
アニメーターとか、芸能人なんかも、これと同じ構造で業界が回っている。
最近、IT業界もこれに似た様相を呈してきている気がする。「プログラマーになるための学校」「WEBクリエイター養成」etc,etc。
mixiのWEBクリエイターコミュニティでは、常に「教えて下さい」トピックがたっていて、「やっぱり学校に行った方がいいんでしょうか?」などという質問が繰り返されている。