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はてなキーワード: 情動とは

2024-11-09

https://bsky.app/profile/masashi-nakano.bsky.social/post/3lai2zylyng2c

作業に取られていた時間機械やらせて、人間はより創造的な業務に専念するという理屈は、AI絵師がよく使います

手を動かすのは単純作業で、人間イメージ、コンセプトを機械に指示し、生成物を添削修正するのが創造である、というのが趣旨です。

これは情動のない管理業務理屈であって、人が手を動かしてこそ意味のある世界で通じないことは皆さんご承知の通りですが、AI絵師にはこれが通じません。

AIって本当に情報の切り分けが不得意なんだな…

出始めからこれまで言われてるのは「AIで良い所はちゃっちゃと終わらせられるようになれば、好きな事やより本質的な部分に時間を使えるようになる」だろ

実現できるかはさておき、極論「AIに他の全てを任せられるようになれば、描きたい絵だけを描いていられるようになる」てなもんだぞ

特に「生成物を添削修正するのが創造である」なんて誰が言ってんの?ってレベルで見た事ねえわw『というのが趣旨です。』じゃねえよw

AI作業の0-70%をさせて人間が71~100の添削修正担当するとしてもそれが創造的とは限らんし

AI作業31-70%を処理する前に人間が0-30を担当するのが非創造的とも限らん

人間が0-100担当しなければならない作業からといって創造的だとも非創造的だとも限らん

何のために何をしてるか、それは創造的なのか否か、ケースバイケースって概念はそんなに難しいか

2024-10-06

1. はじめに

研究は、「バカって言うやつがバカ」という仮説を検証することを目的とする。この仮説は、他者「バカ」と呼ぶ行為が、その発言者自身「バカ」に見せるという現象説明するものであるインターネット上の特定グループ対象に、この仮説がどのように現れるかを実験的に観察し、データ収集および分析方法を併せて考察する。

2. 方法

実験対象としたのは、SNS掲示板を主なコミュニケーション手段とするインターネット上のグループである。このグループにおいて、新たに「バカ界隈」という言葉を導入し、その言葉がどのように使用され、またどのように意味が変化していくかを追跡した。グループは、他者「バカ」と決めつける傾向が強いコミュニティとして定義し、彼らのコミュニケーションパターン定量的および定性的分析する。

2.1 データ収集手法

実験では、言葉使用パターン意味の変化、そして言葉の伝播を追跡するため、以下のデータ収集手法採用した。

キーワード分析: 「バカ界隈」という言葉がどのタイミングで使われ、どのような文脈で登場するかをテキストログから自動的抽出し、その使用頻度を定量的に記録した。

時間経過による頻度変化: 言葉使用頻度が時間とともにどのように変化するかを分析。これにより、言葉の伝播速度と影響範囲を把握する。

コンテクスト分析: 「バカ界隈」が使われる際の文脈調査し、文脈に応じた意味の変化を追跡する。

ネットワーク分析: 言葉がどのようにグループ内で広がるかを可視化し、特にインフルエンサーとなるメンバーや、言葉の伝播経路を特定する。

3. 結果

実験の結果、当初「バカ界隈」は他者軽蔑的に「バカ」と呼ぶ行為やその傾向が強いグループを指す言葉として認識された。しかし、時間が経過するにつれて、「バカ界隈」という言葉意味が変化し、頻繁に「バカ」と言う個人を暗に指すようになった。興味深いことに、この意味変化が進んでもグループ内では「バカ界隈」を使用すること自体「バカ」であるという指摘や批判は行われなかった。

3.1 言葉使用頻度

バカ界隈」は、グループ内で導入後急速に使用頻度を増加させた。特にインフルエンサー的なメンバー使用し始めることで、他のメンバーへと素早く広がっていった。

3.2 意味の変化

初期段階では、他者揶揄する言葉として使われていたが、時間が経過するにつれ、よりユーモラスな自己言及的な意味合いを帯びるようになった。

4. 考察

研究は、「バカって言うやつがバカ」という仮説を、インターネット上のコミュニティにおいて支持される現象として確認した。特に他者「バカ」と呼ぶ行為が、その意味を変化させながらもグループ全体に伝播し続けることが観察された。これは、感情伝染と似たメカニズム言葉が広まり侮蔑的行為が伝染する可能性を示唆する。

4.1 情動伝染との関連

「バカ」と呼ぶ行為が、情動伝染の一種である可能性が考えられる。情動伝染とは、特定感情他者に伝わり広がる現象であり、同様に侮蔑軽蔑が伝染する新たな情動伝染の形態として捉えられるかもしれない。

4.2 ネットワーク分析の結果

言葉の伝播において、特定メンバーインフルエンサー的な役割を果たし、「バカ界隈」という言葉流行寄与していることが明らかになった。彼らの影響力が、言葉意味の変化や使用の拡大に大きな影響を与えた。

5. 今後の課題

研究の結果は、侮蔑的言葉がどのようにグループ内で伝播し、意味が変化するかを示すが、これが他のコミュニティにおいても同様に発生するかはさらなる検証必要である。また、侮蔑行為の伝染が一種情動伝染である可能性をさらに探るため、感情分析を通じて、使用者の感情意図をより詳細に理解することが求められる。

6. 結論

研究では、「バカって言うやつがバカ」という仮説を、インターネット上の特定グループ内で支持される現象として確認した。言葉意味が変化しながらも、侮蔑行為グループ全体に伝播する様子を通して、他者「バカ」と呼ぶ行為が容易に伝染する可能性が示された。今後は、他のグループコミュニティ対象に同様の実験を行い、さらなるデータ収集分析を進めていく必要がある。

2024-10-03

anond:20241003173441

どんな男も自慰をすれば射精の後に強い情動は持ち越せない。したがって満たされない強い性欲に苦しむ男は存在しないか

非モテ愁訴を垂れる人たちは基本的嫉妬深いというか、承認欲求の化けモンなんでカテゴリが違う

2024-10-02

anond:20241002185057

健全人間10代・20代人生で一番楽しいなどと嘯くけど、

人格に欠陥を抱えた人間場合欲望情動が摩耗して平板になっていくけど体力が多少は残っている30代・40代が最良の時期だったりするのよな

そういうわけなので、増田はあと10年ほど何とかやり過ごせば生活保護平穏に細々と生きていくことができるのではないかと思う

現時点の就職は知らん

2024-09-08

自分の心の動きをネット投稿する際に自覚しておきたい誹謗中傷批判と指摘

日本人の多くは「誹謗中傷」と批判や指摘の違いを理解できていない。

SNSレスバトルでヒートアップして受忍限度を超える暴力的表現問題になることはほぼ日茶飯事で、「誹謗中傷はおやめください」という文言をよく目にする。

まり蔓延してるせいかSNSにおける誹謗中傷を厳しく取りしまる、という声も大きくなってきたわけだが、言論の自由侵害ではないか、との声もまたある。

だが、誹謗中傷していい自由など存在しない。それは、人の物を盗んでいい自由がないのと同じことである

誹謗中傷がなくなり、批判、指摘でもって情動コントロールしつつ楽しくレスバできる、節度のある人たちが一人でも増えるよう願ってやまないところである



誹謗他人を悪く言うこと。そしること。

中傷根拠のないことを言いふらして、他人名誉を傷つけること。


批判…人の言動仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。

指摘…大切な点や注意すべきこと、欠点や過失などを具体的に取り上げて指し示すこと。


goo辞書より

2024-09-07

anond:20240907184038

男性恋人を利用して寿命を延ばす話は、思うところがあるよ。

男がメイクとかを取り入れて女に迷惑かけず情動面で自立した大人になるのは日本では必要だよ

前の彼氏典型的感情面寄りかかり型だった。

私にだけ甘やかしを要求してきた。

外ではだいたい仏頂面で愛想がないのに。

私が初めての彼女だったらしくて、以前は親族を除いて女性と手を繋いだことさえもなかったって言ってた。

彼女はいいぞ、心を救われるw」

って酔って吹聴してたのを覚えてる。

心の底から幸せだったんだろうな、凄く朗らかだったから。

anond:20240907183419

セルフケアでよくない?

今週バズった男性向けのメイクスキンケアは大いに効果があると思う

メイクにはセルフケアの意義があるのに今まで男性は頑なに拒んできた

男がメイクとかを取り入れて女に迷惑かけず情動面で自立した大人になるのは日本では必要だよ

この流れは国が補助すべき

公助ってそういうことでしょ

2024-08-29

飼い猫の断脚をした話

タイトルを見た段階で「ゾッ」とした人は多いと思う。すみません

しかしながら、わたし文言を打ち込んで、改めて「ゾッ」とした。

この「ゾッ」という感覚にどうしようもなく支配され、打ちのめされていた時期を、わたしは忘れることができない。

「ゾッ」とした感覚を忘れることはできないが、今、わたし精神的に健康に、明るく過ごせている。

今、わたし精神的に健康で、明るく過ごすことができているのは九分九厘、飼い猫が元気に過ごしてくれているおかげである

そう、飼い猫は現在、とても健康的に過ごしているのだ。

「飼い猫の断脚」から約四か月が経過し、現在の猫の様子も加味して、ようやく「飼い猫の断脚」に対する重圧が軽くなってきた。

そこで、「飼い猫の断脚」についてのあれこれ(事の顛末、断脚前後の猫の様子、それに伴う人間情動の変化、現在の猫の様子など)を、ここに記しておく。

このような活動は、とてもじゃないが精神的な負荷が軽くなければできない。現在とても健康的に暮らしている飼い猫に感謝しながら、この日記を書きたいと思う。

今年十五歳になる飼い猫を、仮に「じじ」と呼ぶことにしよう。

じじは約三年前、様々な理由から実家で面倒を見る人間がいなくなった猫だった。そこで、引き取り手として名乗りを上げたのがわたしの家庭だった。

同居している家族や先住猫は、じじとは殆ど面識がなかった。だが、幸いにも我が家の住人とじじは打ち解けるのが早かった。

じじは我が家にやってきてすぐ、他の猫に交わってリビング中央に横たわり、堂々と眠るようになった。その眠っている横を通りすがるとき、じじの頭をひと撫ですると、尻尾をぱたん、と床に打ち付けて返事をする。

人間に対しての愛想は良い。人間とのコミュニケーションを恐れず、友好的に人間に接する紳士的な態度は客人から気に入られることも多かった。

じじは十歳を過ぎたおじいちゃん、且つニューフェイスにして、瞬く間に我が家アイドルとなった。

だが昨年、十年以上病気知らずのじじに変化が訪れた。

ある日、わたしがじじの歩く後姿を眺めているとき、気がついた。左後脚の関節が、コブができたように腫れ上がっていたのである

町の動物病院へ連れて行ったところ、「うちでは原因を究明できません」と断言され、腫瘍科のある医療センター紹介状を書いてもらった。

医療センター受診した結果、病名はすぐに明らかになった。

じじの体を蝕んでいる病は、悪性リンパ腫だった。所謂リンパ腺のガンである。この病気罹患して一年以上生存するケースは稀らしく、脚の関節に腫瘍ができるケースは更に稀だという。

獣医療の中でもケースが稀ということは、適切な対処がまだ正確に確立されていないということだ。

脚の関節にできている腫瘍は関節を取り囲むようにして癒着しているため、腫瘍のみを切除することは難しいという。

対処としては薬物療法か、放射線治療か、断脚か。前者二つの治療法を実行したとしても、副作用は重い。

いずれにせよ、肥大化した腫瘍を完全に消滅させる見込みはなく、そのままではいずれ歩けなくなることは明らかである。断脚を行うなら早めに。

というのが、主治医見解だった。

※かなり要約したが、主治医徹頭徹尾、いずれかの治療法を強く勧めるようなことは言わなかった。どの治療法にもメリットデメリットがあることをわたしたちにきちんと説明した上で、飼い主がどの治療法を選択するか、丁寧に寄り添い、真摯に向き合ってくれた。

つらい時期だった。

こういった、重い決断が目先に迫った場合に採りがちな「様子見」という選択が、このときばかりはできなかった。

猫の脚を切るか、重い副作用がある治療を猫に受けさせるか、病に蝕まれるままに猫の命が尽きるのを待つか。

いずれも、人間エゴイズムによる選択であることには変わりない。

結局、タイトルにも記した通りの選択をした。断脚を選んだのだ。

主治医から猫ちゃんは三本脚になっても元気な場合が多いです。じじちゃん場合年齢の割に元気ですし、手術を乗り越えれば生存する確率は高いと思います」と告げられたのも、救いの光のように感じられたからだ。

「残りの命を少しでも健康に、楽しく生きてくれるなら」という祈りのような、賭けのような思いで、断脚手術を決断した。

断脚手術を経て、変わり果てたじじが我が家へ戻ってきた。

以前からやせ細っていたじじが、脚が無くなって更に軽くなった3kgの体重を、三本脚で支えながらよぼよぼと歩いている。

便意尿意を催すと真っ直ぐ猫用トイレに行く。とても賢い。だが、ぎこちなく動かすしかない一本の後脚をトイレの中に入れられず、トイレの外で何度も粗相をした。

泣かずには、落ち込まずにはおれなかった。ああ、自分選択を誤ったのかもしれないと、粗相の後片付けをする度に思った。

もちろん、家族も泣いていた。一緒に泣いて、悲しんだ。じじの脚を、自分たちの意志ひとつ無くしてしまたことを、心の底から後悔した。

人間エゴイズムで、愛する猫を不幸にしてしまたかもしれないという現実に「ゾッ」として、それがどうしようもなく全身にこびりついたまま、しばらく剥がれなかった。

ところが、手術から一か月ほど経つと風向きが変わってきた。

じじが、二階にある寝室まで階段を駆け上がってきたのだ。しかも、ジャンプしてベッドの上に乗ってきた。

ニャン!と啼いてベッドに乗り、喉から轟音を鳴らして甘えてきたとき、感動でわたしの体は震えた。

更に、喜ばしいことは日に日に増えていった。

これまで使っていたトイレを、より広く、段差が小さいものに変えたところ、トイレが使いやすくなったらしく粗相の回数が激減した。

痩せたじじの体重を増やすために朝晩猫缶を与えるようになったのだが、味を占めたのか昼夜問わず催促し、三本脚でチョコチョコ人間の後ろを着いて回るようになった。

そして、まんまと体重も増えた。手術前よりもふくふくとしたボディラインになり、猫缶をモリモリ食べる姿が様になってきている。

また今現在、幸いなことに転移なども見つかっていない。

じじが個体として凄かったのか、そもそも猫が凄いのか分からないが、ともあれ、途轍もない適応能力に感心しきりだ。

三本脚にする選択を採り、今までよりも不便な生活にしてしまった後悔や、「断脚」という野蛮な言葉が齎す「ゾッ」という感覚はまだ存在する。

だが、じじは健康に生き延びてくれた。

猫缶をモリモリ食べ、うんちもおしっこ毎日ジャンジャンして、家中を駆け回り、ごはんを催促してニャンニャン大声を出し、寝る前は寝室まで甘えにきて喉をゴロゴロ鳴らす。

じじは十五年間生き延びて、現在でも毎日毎日、元気で健康的な姿を人間に見せてくれている。

その姿は美しく、勇敢で、立派だ。そんな猫の姿を見られていることに、わたしは心から感動している。

今はただ、こんなに嬉しいことはないと、切に思う。

2024-08-26

anond:20240826184700

物語に激しく情動を動かされていた人が

年食ってつくりものに心動かされなくなって欲求不満になって

現実人間を殴って慟哭する姿にこそ悦びを見出すようになる

2024-08-17

anond:20240817121318

ホラーっていうのは銘打つようなものじゃないと思う

3D感動ゲームとか

3Dしんみりゲームとか銘打たないのとおなじように

ゲームを通して受け取る知覚を雑に定義してしまうことで、その情動へ向かわせるためのゲームの構想や導線も雑になりがちになってしまう部分があるのではないか

2024-08-10

バカ女の見分け方教えてくれ

これまでバカ女と交際して時間無駄にした経験が8回もある。

人生における俺の交際経験は計10回なので、結構な高確率バカ女を引いてしまっていることになる。


ここで俺がいうバカ女とは必ずしも学力が低いとか一般教養に乏しいとか言葉遣いが洗練されていないとかそういうのではなくて、

女の性に振り回されて非合理的だったり反社会的だったり倫理ぶっとんだ行動を容易く取っちゃう類の女のことを言っている。

俺が言うバカ女という概念が少しでも伝わりやすいように敢えて極端オブ極端な例を出すと……

ホストのために決然とAV女優ソープ嬢になる』

とか

再婚した男の影響で実子を虐待死させたりあるいは再婚した男のそれを見て見ぬふりしちゃう

とか

恋人の影響でシャブ大麻始めちゃう

とか、

自分が男に対して抱く好意ときにまあ障害レベルに振り回されちゃう女のことね。

自分好意対象である限りは上手く付き合えるんじゃね?」

と思う人いるかもしれないけど、この手のバカ属性の女は往々にしてその他多くの部分でもエキセントリックだったらバカだったりするから、残念ながら交際していてやつれるレベルで嫌な思いをすることになる。


交通事故起こして救急車警察電話するより先に俺のとこ電話してきたり、

『売り切れ』がわかった途端にブチ切れてその場で店員に喚き散らかしたり、

海行ったときに「密漁って立派な犯罪から何が何でもダメなんだ」と強く言って聞かせても謎の論を張って頑なに貝やウニを持って帰ろうとしたり

……本当にキリがない。

とにかくキチガイ行動やキチガイ情動に強い信念がある。

 


そんでもうこういう女と付き合うのはこりごりだから、前もって見抜く方法なかったのかと考えてるんだけどマジでないんだわ。


ビックリするかもしれないけど、

俺が付き合ってきた歴代バカ女たちのなかに女子御三家出身医大だっていた。

実業団までひたむきにスポーツに打ち込んでいた子もいた。

県庁職員もいた。

まあ首から足首までタトゥーって子もいたけど。


マジで見抜けないのよ。共通点がない。


ただ、

歴代交際相手に1人だけ本当に人格的に素晴らしい子がいて、本当にため息が出るような素晴らしい子だったんだけど。

の子けが他の歴代彼女たちと違った点は

漬け物が大好き」

「(俺と付き合う)29歳まで彼氏いたことがない」

食べ物を残すことに異様な罪悪感を抱く」


の3つが思い浮かんだけど多分関係ないんだよなあ……。


誰かこれぞバカ女を見抜く術だ!っての知ってる人いたら教えてください。

2024-08-09

人がSNS誹謗中傷暴言を書く心理を考えていた

別に嫌なことがあったとして、それを書くかどうかは個人自由なので、何ら問題はないと思う。
私が興味深いと感じているのは、わざわざリスクになり得る誹謗中傷暴言などの書き込みを、脊髄反射でしてしま心理。

書くという行為は、案外エネルギーを消費する。
大半の人は脳や脊髄SNSが繋がっておらず、書き込むまでのハードルが高い。いや普通に繋がってたら怖いけど。
しかし、それでも書いてしま場合、何を目的としているのかを考えたくなった。

これは心理学のお話だが、他者否定的情動状態にある時、それについての共感を覚え、その相手を援助することを向社会的行動と呼ぶ。
実際、全ての人が同じ反応を見せる訳ではないが、それは大まかに3つに分けられているという。

①共感→②同情
    →③苦しみ

①は皆さんがイメージするような共感性。相手情動状態や状況について理解し、心配することから生まれる。
相手情動と同じであるけど、相手が悲しければ、自分も悲しくなる。この共感は②か③に発展していく。
②は共感とは若干違っており、相手への共感があるものの、心配や関心の情動が強い。
③は共感自分個人的苦しみにつながる場合生まれる。
相手情動心配しつつも、その気持ちに対する嫌悪的な情動的反応があり、自己対象相手を助けるよりは、逃避、あるいは無視攻撃をするのかもしれない。

同情に向かうか、苦しみに向かうかは、共感による情動喚起が強いかによるらしい。
喚起が強すぎる場合自分情動を鎮めたいという気持ちが強くなり、自身内面にそれが向かい、苦しみへと変わる。
何事も適度であればいいのだろう。
誹謗中傷投稿したり、それに共感したりするのは、決して「向社会的行動」ではないだろうし、むしろ反社会的であると思う。
私はそこから「負の向社会的行動」みたいなものを感じる。存在しない定義を作っていてすまん。

もっと分かりやす説明するのであれば、
社会的証明や悪意の共感(schadenfreude)、の定義説明したほうが良いかもしれない。
一応言っておくけども、以下の例は私が経験した事なので、某芸能人の事じゃないよ。

例えばAさんはSNSで何気ない活動をしていたとする。
知り合いであるBさんは、Aさんを常日頃から嫌いに思っていて、表立って批判非難投稿をできない歯痒さを覚えている。
Aさんを嫌いなのはBさんの問題だが、Bさんにはそれが分からないし、何ならあらゆる全ての責はAさんにあると思っている。
そして何か些細なものが引き金となって、BさんはAさんへの誹謗中傷を書き込む。

BさんはAさんが皆から嫌われることへの共感を欲し、その自己の苦しみに同情すらしてほしい。
つまり嫌いな相手が嫌われているという「社会的証明個人意見妥当性が証明されることー」が欲しい。
そして自分のShadenfreudeー他者の不幸や失敗を喜ぶ感情ーを肯定されたい。
そして嫌いな相手のことを考えて嫌な気持ちになった自分を、周囲からヨシヨシされたい。

要は誹謗中傷暴言簡単に書いてしまう人は、かまちょを兼ねた愛情飢餓餓鬼が多いのだと思う。
これに加えて、衝動制御の弱さが重なると、脊髄SNSが繋がっているかのような速度で、
思ったことを何でも書き込んでしまモンスターが出来上がる…のではないだろうか。

2024-08-08

あなた歌詞を書けないのは、どのような難しさに由来する?

 歌を作ることが趣味で最高に楽しかったのですが、歌詞が作れなくなり、困りました。僕は、つい「歌詞 書けない」とGoogle検索してしまます。僕は、それを何度も繰り返した経験があるので、検索バーに「歌詞 書けない」と打ち込み、エンタキーを押す前から、そのような検索が僕に有益情報をもたらさないことを知っています。僕が知りたいのは、自分で作った伴奏で何かを歌うために、ただ歌詞っぽい言葉の羅列を作り出すための手法ではありませんが、しかし、検索エンジンが提供するのは、そういう手法についての情報ばかりです(声には、楽器にはない何らかの特別な迫力がありますシンガーソングライターボカロPが、インストではなく歌をつくる理由ひとつは、その効果です。「言葉で何かを作りたい」より「音楽を作りたい」が先行する場合シンガーソングライターボカロPは、歌詞っぽいキレイ言葉の羅列を並べることで、作詞に関しては、満足してしまうことがよくあるのではないかと思います)。僕は、僕が納得できる歌詞が書けなくて、ひいては、僕を納得させる歌詞とはどのような歌詞なのかわからなくなって困っているのであり、歌詞っぽい言葉を並べる技術がなくて困っているのではありません。僕は、僕自身歌詞を書けなくなったことへの考察を通じて、「歌詞が書けない理由」についてのオルタナティブなヒントを提示できればと思います。僕が書くことは、個人的なことですが、僕とあなたの「歌詞が書けない理由」に重なる部分がある、ということは十分あり得ると思っています

 

 歌が、良い歌であるためには、作曲編曲サウンドの面で優れていなければならないのは当たり前ですが、僕は、それに加えて、歌詞が良いかどうかについても、気になってしまタイプ人間であるようです。良い音楽家の歌は、世に評価されることが多いですが、良い音楽家が、僕にとっての良い作詞家とは限りません。歌詞が良くなければ、僕にとっては良くない歌です。僕にとっての良い歌詞とはどのような歌詞なのかは上手く言い表せませんが、僕は、どのような歌詞が気に入らないかは少しわかります。例えば、ある一つの感情に一辺倒になっている歌詞は好きではありません。歌詞言葉すべてが、感傷的な感情だったり、希望みたいな感情だったりとか、ある一種類の感情に吸収されてしまっているのはあまり好きではありません。あと、何を言っているのかよくわからない歌詞もあまり好きになれません。歌詞は何言ってるのか少しわからいくらいがいいんだよという人も多いかもしれませんが、僕は「何が言いたいんだよ」という気持ちが出てきて、気になってしまうのです。最後に、僕は、作詞自身経験に、より直接的に根付いた言葉構成されているほど、その歌詞を好みます歌詞が、作詞自身について語っているほうが好きです。僕が気に入らない歌詞の傾向として今挙げられるのは、上記の三点くらいです。ほかにもあるかもしれません。とにかく、こういう「気に入らないポイント」に引っかからない歌詞を書きたいです。

 

 また違う観点から歌詞というものを考えます作品がどのような形態をとるかによって、その作品に乗せることのできるテーマは異なってくると、僕は思います。例えば、散文と歌詞では、乗せられる事柄タイプが異なるし、例えば、メタルR&Bの間でも、乗せられる事柄タイプに、ずれがあると思います。少なくとも、作品形態によって、ある作品に乗せられるテーマには、得手不得手があると考えます。例えば、哲学的テーマを扱うために、どのような形態作品を用いればよいか。おそらく、それをダンスで行おうとするのは難しそうですよね。小説ならば、哲学的思考を巡らせることは、やりようによっては十分可能ではないでしょうか。論文形態をとるならば、哲学的思考を最も効率的に込めることができそうです。歌詞は、どのようなテーマを扱うことが得意でしょうか。その点を考えることは、良い歌詞を書こうとする上で有用だと思います。僕の意見としては、歌詞は、ある程度強い感情を伴う事柄表現することに適していると思います。そして、むしろまり感情の動きを必要としない事柄については、不得意なのではないかと思います理由として、歌詞純粋な散文ではなく、散文と韻文の中間存在であることや、歌詞は、メロディー伴奏といった、情動喚起する力をもつ音楽的要素とともに歌われるものであるということが挙げられます(僕は、散文は感情喚起する力において韻文に劣る気がするのです)。あまり感情の動きとのつながりの薄い事柄を、歌詞テーマにしようとするならば、歌詞の韻文的性質音楽的要素が、歌詞のものと比べて余計に感情的になり、アンバランスが生じるでしょう。

 

 このように特定作品形態について、できること・できないことを決めつけてしまうことは、その表現の幅を狭めてしまうかもしれないことには注意したいです。歌詞は、歌詞である以前に創作物であり、面白い創作物を作り続けるには、自由な発想を縛らないようにすることもまた重要です。しかし、僕が歌詞を書けなくなったという事態には、僕が歌詞の得手不得手をあまり考慮してこなかったことが関わっていると思いました。考えていたのは、僕の趣味嗜好についてだけでした。先ほど申したとおり、僕が書きたい歌詞は、ひとまず、ある感情一辺倒にならず、言葉意味がある程度明晰で、作者についての、歌詞でした。言葉の紡ぎ方を、このような趣向に合致させたうえで、かつ、歌詞の得手不得手――

強い感情を扱いやすい――を考慮するならば、その結果どのような歌詞を書くことになるでしょうか。作者自身経験した感情、そのなかでも複雑、曖昧で、なおかつ強めの感情について、その有り様をぼやかさずに正直に描くような歌詞を書くことになります。それは、さまざまな理由によって、とても難しいと思いますしかし、本当に僕自身を納得させるような歌詞を書くには、僕の趣味趣向に合致し、かつ、「なぜそれは歌詞という形態表現されなければなかったのか」という問いに答える(つまり歌詞の得手不得手を考慮した上でつくられている)ような言葉を書くのではなりません。僕が歌詞を書けなかったのは、僕が納得する歌詞を書くのが難しかたからで、なぜそれが難しいかというと、僕の趣味趣向と歌詞の得手不得手を両立することは実は難しいからだった、ということです。僕がやろうとしていることの難しさは、どのような難しさとして理解されるべきなのかを明らかにできれば、そのように理解された難しさを、なぜ自分歌詞を書けない状態にあったのかという問題に対する一旦の応答とすることができます(その「難しさ」とはどのように理解されるべきかを説明するには、僕の個人的すぎる部分に踏み込まねばならないし、なにより長くなるので、特に書きませんが)。

 

 これからは、僕がやろうとしていることの難しさの内実を意識した上で、作詞に挑戦することができるので、以前より進むべき道の開けた地点に僕はいるといえますあなたが、あなたの望む歌詞を書くことの難しさは何だと思いますか。その難しさの内実は何なのか、あなた趣味趣向と歌詞という形態の得手不得手はどう両立するのか、といった手がかりを用いて考えてみると、以前と違うあなた視点で、作詞に挑戦できるようになるかもしれません。

2024-07-26

https://anond.hatelabo.jp/20240724233611

ブコメを見ると誤解なども多いようなので私から視点を共有したい。


まずデイトレードについて

結論からいうと、デイトレード一部の人間は勝てる。これは運ではない。

買いと売りのバランスの文を目視で測り一定利益が出たところで利益を確定するだけだ。

先の記事どおり市場には化け物やHFTBOT存在しており、これらに勝つことは容易ではない。

そのため、カモが集まる銘柄毎日探す努力必要となる。直近でいえば三菱重工などが適切であった。

言葉にすると「情動的なトレードが多く発生する場で甘いトレード差分受益する」というのがデイトレードだ。

もちろん巨大資本ランダムウォーカーに轢き殺されることもあるが、その時はすぐに損切りすればトータルではプラスになる。

パチンコ期待値とまったく同じ考え方で、適切なトレードをすることによって勝てる。


株価構成する要素について

よく株価決算の内容などファンダメンタルズによって決まると思っている人がいるが、それは完全に間違っている。

株価を直接的に決めている要素は「市場参加者心理」であり、その他のファンダメンタルズや地合いなどの要素はそのさらに1層下にある。

決算が出ても、出尽くしや実際の株価変動を見て市場参加者が売却したいと思えば株価はどこまでも下がる。

これを理解しているかどうかが株式市場で勝てるようになる第一歩となる。

デイトレードにも共通するが、今買ってる人がどんな気持ちで何故買っているのか、

今売っている人がどんな気持ちで何故売っているのか、そこに感情が入ってしまっていないかを考え続けることが必要となる。


株価天井と底について

これまで記述した「市場参加者心理」を踏まえて株価毎日観測すると、株価天井と底を高確率で当てることが可能となる。

天井と底はとてもシンプル論理形成されていて、

「今その銘柄を見ている全員が今後も上がると思っている状況」が天井であり、

「今その銘柄を見ている全員が今後も下がると思っている状況」が底である

まり極度の楽観を観測したところで売り、極度の絶望観測したところで買えばいいだけなのだ

これは数年の私ですら得られた能力なので、敏腕トレーダーほとんどがこの技術を身に着けていると思ってまず間違いない。

もちろん考え続けることが必須条件である


株価変動のトレンドについて

上記以外にもその時々のトレンドがある。例えば最近でいえばチャートが綺麗な銘柄が上がるトレンドなどがある。

この手のトレンド時間が経過すればするほどそれに気づきタダ乗りしようとする人が増えていき「甘いトレード」に変容する。

そしてトレンドが変わっていく。

そのため今のトレンドを常に掴み、考え続けることが必要となる。


投資で勝つということ

ここまで株価の変動とそれを構成する大事な要素について語ってきた。

上記をしっかり理解し、毎日株価の変動を確認市場参加者心理を考え続けることによって株価の変動を高確率で当て続けることが可能となる。


しか投資で勝つということはまったく別の競技である


株価変動の予想をもとに自分お金BETし続けること、これが出来る人が本当に少ない。難しい。

特に昨今では市場心理理解しているHFTロボットなどが大きく揺さぶってくる。

レバレッジをかけた取引などではこの揺さぶりの心理的な影響が何倍にも膨らむため、

多くの人は評価額マイナス域で安定を取った損切りを確定させてしまい、負ける。

これに対抗できるのは最初からメンタルが壊れた人間くらいのものだ。


一般人対応策としては、


資金が半分になるということを現実的・具体的に想像したうえで、それでも良い資金投資に回す」


ということになるだろう。

2024-07-16

anond:20240716155929

性自認意識界ではなく無意識界の現象よ。

たとえばシス男が女子トイレに入ると何となく居心地が悪かったり興奮したりするように、トランス男(女体男心)は女子トイレに入ると何となく居心地が悪かったりドキドキして、何かの理由男子トイレに入ったとき情動が刺激されなかったりする。

2024-07-13

anond:20240713030627

びっくりするくらいにセンスがなくて、2ちゃんねらー自分たちのことを面白い勘違いしていたのはこういう感覚だったんだろうなと思った。単に同質性が高い人たちによる悪口センスがあると履き違えてしまうのはインターネットに限らず原初的人間情動なのかもね。

2024-06-18

anond:20240618012821

所詮お前もメス

遺伝子に刻まれ上昇婚情動には逆らえんのよ

分かったら潔く負けを認めろ

お前の負けや

ここんとこx/twitterとかSNSインフルエンサー()が揃いも揃ってこういうようなこと言ってるんだけど、なんかどっかの情報商材セミナーとかで今バズるトレンドって感じで指南されてたりするのか?

anond:20240615204406

効いてて草

所詮お前もメス

遺伝子に刻まれ上昇婚情動には逆らえんのよ

分かったら潔く負けを認めろ

お前の負けや

2024-06-17

anond:20240616173017

動くんやけどブレーキもかけている

それがなくなる

情動に身を任せる心地よさ

2024-06-14

anond:20240613200606

したくなかったとは少し違うかもしれませんが理性と本能の間で苦しむことはあります

自身身体セックスを求めているがパートナーはしたくないという状況において、理性ではしてはいけないと理解しているが、パートナー身体に触れるなどして情動が抑えられなくなってしまう事があります

その時に抑えが効かなくなってしまってセックスまでしてしまうと、してはいけなかったと後悔します。

今はそうならないよう、こちから触れたりすることはありません。

いい夫婦関係かと問われると疑問符がつきますが仕方ないかと割り切っています

そうやってもう3年は経過しました。

人によって感覚は異なると思いますが、そういう人間もいると思ってもらえたら幸いです。

2024-06-10

文学における”パクリ”は何故忌避されるのか?についての考察

例えば、”なろう”において著名な作品から文章引用し、

それをそのままの形で己の作品として発表すれば悪評を得るだろう。

それは「パクリであるとして。

ではここでその諸問題、「なぜ文章パクリ忌避」されるのか。

それについて考察しようと思う。

まず仮定として、目の前に富士山があるとしよう。

その富士山光景を巧みに描写した文学作品があるとする。

そこで私がその作品から富士山に対する描写をそのまま引用すればパクリとされる。

それはその「文章」を無断で引用したこと咎められるのであって、「富士山」そのものを流用したこと事態問題は生じない。

ここに一種の奇妙な齟齬存在する。

すなわち「富士山」との表象描写すること自体には、「パクリ」とする概念存在していないのである

ここで述べたいことを平易に、そして換言すればこういうことである


富士山自体描写問題視されないのに対し、

なぜ文学作品文章光景として捉え、その文章描写することは禁止されるのか?


ということである

詭弁的に述べれば、こういうことだ。

「私はその文章をパクったのではない、私はその文章光景として読み取り、私が感じたままにその文章描写しただけである

これが「なるほど一理ある」と成らないのは自明である

その理由こそが、この諸問題としての根源的なものであり、すなわち「パクリ」という行為は、文章を盗む行為ではない。

それは、作者の感性思考を盗むことに他ならず、端的にも形而上学的に述べれば、それは作者の「魂」を盗むことである

まり富士山としての描写自体に「パクリ」としての表象が生じないのは、富士山としてその表象を捕らえた際、そこには個々人において異なる情動思考感性が働くことに由来する。

我々はあるひとつ事象認識し、相手に伝える行為において、

自分認識した事象を正確無比に相手に伝えるのは不可能である

なぜなら知覚した事象言語化する際に、ノイズが生じることは不可欠だからである

仮にこうしたコード化によってもノイズが発生しないのであれば、それは他者自己境界線存在しないことに成り、それは他者存在消失させてしまうことにつながる。

よって、他者としての存在とその存在性の認識こそが自己認識における伝達として生ずるノイズとしての証明であり、故に完璧意思疎通は不可能である

同時に、自身においてもその得た表象としての認識を、

実際に自分認識したものを完全に換言するのもまた不可能である

ここで本題に戻ろう。

まり、なぜ文章パクリが駄目とされるのか。

それはつまり事象描写価値があるからではない。

ノイズの部分にこそ価値があるからだ。

人間はこのノイズのことを評して「独自感性」として賞賛し、

彼らは実際、事象に対する見事な描写評価を与えるのではなく、

ノイズ」に対して評価を与えているのだ。

仮に富士山としての事象光景が、文字として表せるコードとして定義化されたとしよう。

すると橙色をR132・G90・B18として示せるように、富士山も同様に共同認識コードにより共通の形で表記することができるだろう。

その際において、富士山を示すコードを流用しようと、橙色場合と同様、そのコードを”パクリだ!”と批判されることはないだろう。

それは定義化された表象富士山を描いたかである

文章引用パクリとされる行為文章を盗むのではなく、作者としての”ノイズ”を盗むのであり、人は意思の疎通として害となる、その”ノイズ”に価値を置いている。

その事実はつまり文学としての重要性を示しているのであり、

人間は巧みに描写された事象を求めて作品としての文章を読むのではない。

それは正確さに欠ける、個々人として個人的感性と称される”ノイズ”を読む行為に他ならないのだ。

パクリが許されない最大の理由はここに帰結する。

まり、人はノイズを読み得ようとすると同時に、その”ノイズ”の出処を正確に知ろうと欲するためである

それはすなわち、”ノイズ”の正体が判明しておらず、その”ノイズ”としての概念自体アニミズム的にも崇高する謂れを持ち得ているかである

これこそ換言すれば、

「逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ…」

といったこ文章の与える意味としての本質が、

エヴァンゲリオンにおける碇シンジへと自然還元されるように。

2024-06-09

anond:20240609120330

わかるけど読みづらいので書き換える

些細なことにイライラしがちな人がなりやすい」っていう部分は医学統計でも根拠がない。

本文全体に同様の、疾病としての躁鬱とイライラやす気質みたいなもの混同がありそう。

 

現在医学では、落ち込みやしんなりした気分(仮に「抑うつ」と言っておく)と、イライラやイキってる気分(仮に「躁状態」と言っておく)の2つのうち、

しんなりだけおこる「うつ病 (major depressive disorder)」 と、両者を繰り返す「双極症」は全然別枠の病気

しんなりがどちらでも起こるのは正しい。

「しんなりするから双極症の症状だ」は間違い。

 

あと、こうした普段と違う気分は「原則として」、起こったり収まったりする。

例えば「過去n年間ずっとイライラやすいんです!」は一つの躁状態とは言わない。

逆に1日の中でめっちゃ落ち込む時間めっちゃイライラする時間と元気な時間が数時間で移り変わるんです!もふつう躁状態抑うつとは言わない。 

(「原則として」と書いたのは、中途半端な症状がダラダラ起こったり収まったりする症状に別の病名がつくことがあるから

 

イライラは「抑うつ」と「躁状態」のどちらにも起こりうる。

典型的には躁状態と関連付けられるが、抑うつから焦燥的になることも多いし、どちらでもないときイライラすることもある(つまりうつ病・双極症とは関係ないこともある)。

ほんとうに双極症といわれる(疾患として定まる)ものであればまず大事なのは服薬であるとされている(服薬をしないと再燃率 = また上の抑うつ躁状態が起こってあなたが困る可能性があがるし、飲んでいるとそれを下げられる)。 [追記: これらの病気が気のせいではない、と言われるのにはいろんな理由があるけど、正しく服薬できれば改善するという点がその一つ]

 

本読んだり習慣付けで収まるようなのは基本的には疾病としての症状じゃなくて、イライラしたり気持ちが落ち込んだりしやすいっていう状態範疇に収まるんじゃないかなと思う。

(ただし、もしあなた(これを読んでる人だれでも)が精神科で診断を受けたことがあるなら、この項に書いてあることにかかわらず担当医との相談大事にしてください。「良い習慣付けが意味ない」とか、「習慣を変えてここまで調子良く来られてるならあなた病気を持っていないからお薬を辞めていい」とかそういうことは一切書いていません)

ちなみに「過去1ヶ月の間にこれらの本を読みはじめてこういうふうにしたら今めちゃくちゃイライラ少なくて気分いいんですよ!」っていわれたらそれは逆に心配かも

 

あとはまあ一応言っとくとするとHSPはわれわれ精神医学概念じゃないとか、冷えピタ貼って前頭葉機能が落ちるってことはないとおもうとかそういう本筋じゃないところ(ひんやりして気持ちいいならそういう効き方はするかもしれん、隙自語だが肩・首さえ大丈夫なら夏場氷枕でひんやり寝るの好き)

私見ですが、精神医学用語はこれに限らず用語としての意味からずれて用いられることも多くて、ただまあ情動とか行動は多くの人間にとって興味がある/表現必要があるものから、それを精神医学専門用語として独占するべき(他の使い方は”間違ってる”といえるような)根拠もあるとはいえいかなとは思うので、悩ましいところ。躁うつ"病" とか 双極症とか、後から定めたような病名を使うときちょっと定義を気にしてくれたらいいかな。

おまけ:これはもう我々のほうが諦めるべき使い分けだというふうにも思うが、一応精神医学文脈では精神病は psychosis の訳語として使われることが多くて、精神疾患 mental/psychiatric disorders とは区別されます

さらにつっこんでおくと

最後んとこ、医者たちがその程度の説明能力しか持てないから使い分けする必要がないとおもわれているのでは。

日本語は病名を漢字で表すことに長けているはずだ。

ディアレアしたとかいわれても知らんやつはわからん下痢なら「くだした」と関連づけれる。

カリなんとかしらんでも肺炎は肺が炎症だとわかる。

安楽死安楽死じゃなくて現状依願殺人であり医者はやらない、もそうだけど諦めていいことは諦め、諦めていけないことはあきらめるなよせめて匿名でくらい。

 

全体に、医者にしては良心的な説明だしうちの家族のかかってる主治医もこういうことがいいたいのだろうとは思うけど

医者って時間的にハードルが高い(費用はわりと楽だが今後高くなりそう)んだよね

あなた精神科医なら「初診は2ヶ月後に予約とってください、お薬はさらに何ヶ月か後です。」の現状しってるでしょ?違う?

協議離婚したほうが早いよそりゃ。

ついでにいえば病識がないまま一人暮らし人格荒廃していく人は今後ものすごく増えるとおもう

そういう人はそもそも医者に一生こないまま無敵の人として犯罪収監されるおちが多い

この増田にもそういう報告を定期的にしている無敵の人のなりかけがいる

(字下げは前科1犯で猶予つかず懲役したんだよね。ずーっと判事悪口自治体とのトラブル愚痴ってる)

そこを食い止めるのは民間療法であってもなんとかしようとする家族意志なんだよ、元増田には最初家族やめちまえってアドバイスが多量についたんだけどさ

そもそも現在医者というのがワンストップ機能放棄している(定期健診はQOLにはかかわらず死因だけをケアしている)

それなら支えきれないといって家族をやめちまうまえに本くらいはおおいに読むべきだよ、本には脳溢血や認知症貧血甲状腺ホルモンによる多岐にわたるイライラがのっていて、精神科医の範疇外の受診ケアもすすめているものがあるから

自分の専門のことだけしゃしゃり出てしか安易受診を教えない進めないのでは

自分の専門以外のことにはオレ以上に無知でいてくれ」と願ってるような行動をとってるよ、医者って

anond:20240608044855

精神科医だがこれが参考になるとかブコメで言われまくっていて流石に心配になったのでコメントをいれておく。ここの「躁鬱」が躁うつ病とも呼ばれた双極性障害/双極症のことじゃなくて一般用語としての(病気固有名じゃない、状態に関する名前としての、精神医学で使うことばじゃない)「躁鬱」であって、かつ読者もそれを理解してるなら以降は無視してください。あくま医学的な情報の整理で、それ以外の部分についてどうこういう話じゃないし、もともとの増田(この投稿言及先の言及先)からほとんど無関係だ。

「鬱はぐったりと元気のない精神病。気弱な人がなるもの」と思っていたが、実際は「些細なことにイライラしがちな人がなりやす病気で、イライラと元気のない状態を繰り返すもの(=躁鬱)」だ

私見ですが、精神医学用語はこれに限らず用語としての意味からずれて用いられることも多くて、ただまあ情動とか行動は多くの人間にとって興味がある/表現必要があるものから、それを精神医学専門用語として独占するべき(他の使い方は”間違ってる”といえるような)根拠もあるとはいえいかなとは思うので、悩ましいところ。躁うつ"病" とか 双極症とか、後から定めたような病名を使うときちょっと定義を気にしてくれたらいいかな。

おまけ:これはもう我々のほうが諦めるべき使い分けだというふうにも思うが、一応精神医学文脈では精神病は psychosis の訳語として使われることが多くて、精神疾患 mental/psychiatric disorders とは区別されます

2024-05-24

anond:20240524164447

いなかったことにされてるのは誰からセックス対象にならない絶対不細工とか言う想像上の生物ではなく、

最低限の社会性と情動共感性と道徳を持ち合わせていない女だぞ

でなくば毒親・毒嫁なんぞいるもの

2024-05-18

普段ダウナーだったり仏頂面だったり情動的でないキャラクター衝動に身を任せた行動に走って爽やかに高笑いしてるの

好きすぎ

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