社畜は会社員の蔑称ではない。先進国の多くではワークライフバランスが成り立っており、そういう環境で働く人々は社畜にはあたらない。
しばしば社畜批判を働きたくないというモラトリアムにすり替える事例が見られる。例として「仕事をなめるな」や「いつまでも学生気分ではダメだ」や「社会人としての覚悟が足りない」と言われるが、社畜ではない人も通常は仕事に責任を持ってあたっている。社畜批判はワークライフバランスの保証や、サービス残業の禁止、理不尽な待遇を改めるよう求める労働基本権の行使の1つであるが、労働基本権を遵守するように主張することが「社会人失格」であるかのようにミスリードされがちである。
多くの社畜は一介の雇われの身なのに何を勘違いしたのか経営者視線のモラル(サービス残、休日返上で働くのは当たり前、有給を使わせないなど)を説くという特徴がある。自らも被雇用者であるにもかかわらず、ブラック企業のやり方に加担して、本来は同じ立場であるはずの労働者の権利を奪う側に回る。
比喩を用いるなら社畜は吸血鬼に血を吸われた犠牲者である。大体の吸血鬼ものの小説等の設定は、吸血鬼に血を吸われた者は、吸った者に服従することになるが、元々は普通の人間である。その大元、最初に血を吸った者を真祖という。そして、新しく生まれた吸血鬼はまた別の人間の血を吸うために行動を始める。真祖をブラック企業、吸血鬼になった元人間を社畜と考えるとよい。
なお「ブラック企業なら就職できるのに」や、「ブラック企業にすら就職できないクズ」というフレーズも社蓄予備軍にはよく見られるが、これは一種の犯罪教唆であることも明記しておく。法律を破るように他人を唆すことは犯罪である。
社蓄になると、自分より幸福であるものがすべて間違いであるような錯覚に至る(上記のように、「法律が間違っている」と言い出す元人間も現れる)。麻薬などの幻覚作用のある薬よりも社蓄の幻覚作用のほうがよほど重症なのではないだろうか?
自分の求めてたステレオタイプ以外のが釣れると凄く居心地悪そうにモジモジして何もいえなくなるよな
どんだけアドリブ効かないんだよw
Suicaをタッチしそこねたり金額が足りなかったりして改札で引っかかった人から、JRは一回につき100円くらい罰金を徴収してもいいと思う。
後ろに並んでいる人数人の気分を害したのだから。
同様の理由で警察は、車が右折するたびに右折税を徴収して構わない。
頑張ってるYO!
今なんてピルあるんだしキープには絶対飲ませるよ。
新規の子はゴムで
キープに病気が行かないように気をつけないとね。
きちんと自分に食いつかせて言う事聞かせればありえないね。
そんな事して女の子が俺に嫌われたり会えなくなったら本末転倒だから。
苦しくて仕方がないから決めた。
だって彼女が話してた異性に嫉妬した。
好きって言う。
好きで、なんか苦しくて、集中できなくて、どうしようもないって。うん。
勉強に集中出来るようになって且つ前みたいにメール・電話も出来たら幸せ。
まだ顔も良く分からないし、対して話したこともないし、それに良い子だ。
友達として先があれば良いな。
トラックバックありがとうございました!
違う方を選びましたがどうなりますかね。
それが誠実さってことだと思う。
だけどそれがbullshitの引き金になったりして。
最初はこの文章、さよならディスコミュニケーション、さよならフランクファート
そして、こんにちわ「人それぞれ」
そう書きだしてみるつもりだった。
だけどちょっと気が変わった。フランクファート読んだことなかったから読んでみることにした。
いくら衒学趣味でもちょっとくらいは真面目なところを見せたのだ。
フランクファートはアメリカの道徳哲学やってる人なんだけど、日本語訳されてるのは、on bullshitって本だけ。
邦訳は、ウンコな議論。
これは僕の独断。本文中では、おためごかしって言葉が使われてたりするけど、これはちょっと一般的じゃないだろう。
翻訳者の山形浩生は、ウンコな議論の具体例として、小泉元首相の、「人生いろいろ」という発言を例にあげている。
ウンコな議論は嘘を言っているわけじゃない。
ここで最初に戻るんだけど、「人それぞれ」もそうなんだ。
嘘を言っているわけじゃない。確かに人それぞれだ。
だけどそれは解答の放棄だ。
正解が何種類あるかはわからないにしても、全ての人が正しいってことはないだろう。
相対主義(つまり、人それぞれってこと)は何も生み出さない。
衝突も、議論も、止揚も、向上も、疑問さえも。
勿論それは日常生活をスムーズに送る上では必要なことなんだけど。
だけどその考えがウンコな議論を必要としない場にも入り込んでくるんだ。それはよくない。
言語は思考を規定する。それがビッグ・ブラザーがニュースピークを作った理由だ。
つまり、自由と言う概念が存在しなければ、人は自由について考えることをしない。
もし仮に誰かが自由について話したとしても、他の人はそれを理解できない。
ウンコな議論だってそうなんだ。ウンコな議論と真の議論を見分けられなければ、ある出来事に対して適切な理解をすることが難しくなるんだ。
ウンコな議論に慣れ過ぎていると、真の議論は乱暴で粗野なものに見えてしまうんだ。
大事なことは二つ。ウンコな議論かどうかを見分けること。
元増田に返信しようとしたら俺の言いたかったことを言ってくれた人がいた。
立ち読みは合法なんだから
最新刊コミックなんかを「その日一日だけ」
公式の出版社サイトからDLして読めるようにしてもいいんじゃないだろうか。
一日以上所有したければ購入すればいい。最新刊以外が欲しい場合も購入。
今更フリーターのしんどさを知る。
でもその分フリーダムなのは確か(好きに辞めれる。責任はあまりない)。
若いからまだいいけどこれを30,40までやるなんて自分には到底無理だ。
身体もガタがくるし、死んだほうが楽なんじゃないかっておもっちゃうかも。
何故なら鳩山由紀夫首相が首相を続ければ続けるほどメディアがいう支持率リトマス試験紙は反応し続けるから。
民主党を支持しないのなら居座り続けられた方が支持率は下げ続けるから好都合なんだぜ?
http://anond.hatelabo.jp/20100601214251
それまで「息子を社会に出すことなんか考えもしない無責任な母親」だったのだけど、「自分の責任において、この子を自立させねばならないと決心した雄々しい母親」に変わっただけでしょ。
今日はじめて書き込みます。
私は36歳独身男性です。 今から10年位前に鬱が始まり、その三年後に「解雇」され、その後11ヶ月にわたり引きこもり状態でした。 鬱の原因は以前勤めていた会社の昇進試験でした。 その試験の項目に昇進後の目標とこの会社でやり遂げたいことのレポートを書くことがありました。 しかし、私はこのレポートを書くことがまったく出来ず試験に失敗。それで鬱になり解雇されたのです。 今考えてみれば「バブル期にとりあえず入った会社」だったわけで、こうなってしまったのも自分の甘さだったのです。
その後医者に通いだし、まったく何もする気もなくなってしまい「とりあえずの安定」を保っていたのですが、ついにある日、母がキレて、私をガンガン殴りだし、怒声を吐き散らし続けたんです。 それまで暖かい母親だったんですが。それは明らかに 「引きこもりをまったく理解しない親」の姿でした。
この恐怖に逃げるように、私は外にでることが出来たのです。
今、引きこもりでお悩みの方には非常に酷なお話になってしまい、反論、抗議、その他この発言に不快感を感じる方も沢山沢山いるとは思いますが、これは私の経験を書いたまでです。 決してみなさんを不快にさせるつもりで書いたものではないことをご理解ください。