http://anond.hatelabo.jp/20090701031715
この春に大手メーカに勤め始めて東京から田舎に引っ越したが死ぬまで童貞が見えてきた。
東京に居ても童貞を拗らせてたけど田舎に来てさらに拗らせて、会社以外の付き合いもなく死にそう。
本当に世の中の人はどうやって女の人と付き合ってるんだ??
ま、その記事も一知半解が痛々しくて香ばしいけど、これはなかなか通好みの味だと思う。
「夏季休暇と研修被る」という意味がわからない。夏期休暇の中で研修が存在するということ?
そしてその二種類は同一人物だ
20代と30代が棄権している票数の合計は約1803万票、60代と70代が棄権している票数の合計は約729万票。純粋な有権者数では、20代と30代の全票数は3177万票、60代と70代の全票数は2920万票。本当は20~30代の方が持っている票数自体は多いんだよ。
80代以上は790万票持っている。たしかに若年層対高齢者層でみると、後者の年齢分布がずっと広いので不利だが、80代以上は投票率が顕著に落ちる(が、それでも20代よりずっと高い)。
20代と30代が棄てている約1800万票は、全有権者数の17%に当たる。普通に一つの勢力を形成できる数だ。また、20代の親は40~50代であり、30代の親は50~60代。自分の子の世代を顧みない親は決して多くない。親世代を味方につける問題設定を考えることが正しい方向性で、そうすれば多数派を取ることさえ不可能ではないはず。単純な世代間闘争という枠組みは、あまり生産的とは思えない。
顰蹙を買うのを承知でいうが、選挙権という当然の権利の行使すらしない(できない)人たちが、それ以外の何か画期的な(革命的な?)手段で世の中を変えるなんてことは、ほとんど夢想ないし妄想だと思う。
ある船に火災が発生した。船長は、乗客をスムーズに海へ飛び込ませるために、
イギリス人には 「紳士はこういうときに飛び込むものです」
ドイツ人には 「規則では海に飛び込むことになっています」
イタリア人には 「さっき美女が飛び込みました」
アメリカ人には 「海に飛び込んだらヒーローになれますよ」
ロシア人には 「ウオッカのビンが流されてしまいました、今追えば間に合います」
フランス人には 「海に飛び込まないで下さい」
日本人には 「みんなもう飛び込みましたよ」
中国人には 「おいしそうな魚が泳いでますよ」
北朝鮮人には 「今が亡命のチャンスですよ」
大阪人には 「阪神が優勝しましたよ」と伝えた。
「さびしい」って素直に言うことは悪いことじゃない。それは「後ろから乳を8の字を描くように揉み回されたい」と言うことだって同じなんだ
男の車道側歩きについて、状況次第というレスが多いようだが、確かにその通りだ。
しかし、元増田の趣旨は、そもそも「危ない方を歩く」「女性をかばう」ではなく「車道側を歩く」と限定してマナー化される(実際、恋愛のマニュアル本なんかではその手の記述をよく見かける)ことには意味があるのか? ということなので、状況次第と答えることは、結局元増田の主張と大して変わらないんではないだろうか。
結局は状況次第ということを分かっていない人間が(男女問わず)意外に多いんじゃないかと思う。
元増田に出てくる「友人」のように、モテたい男性が恋愛マニュアル的文言に固執する。
その一方で女性も、一義的に車道側を歩くか歩かないかで気遣いのある男かどうかを判断する。
また、一部の女性が車道側を歩かない男性をただそれだけで「気遣いのない男」と判断するが故に、車道側歩きに意味のない状況においても、女性に嫌われたくない男性が車道側を歩く。
まさに、スパイラル。
当初の意味なんてどっかに行ってしまって、男は車道を歩くべきという共通認識だけが残る。
でも、ちょっと考えてみたらマナーなんてそんなもんかもしれない。
マナーは文化に依存しているし、かつては意味のあったマナーも今では形式的になって意味の薄いことが多い。
例えば、フランス料理などでナフキンは元のように綺麗に折りたたんではいけない、というマナーがあるが、あれだってなんで「綺麗に折りたたむ=もうこねーよ」になるのかはよくわからないがとりあえず失礼にならないように従っているし。
ひとの痛みがわからないやつに人が助けられるのか
一目散に逃げられるぜ!
これくらいで根をあげる様なヤツが火事場で何やれるっつーのよ
夏季休暇は連続取得が原則。
という原則の元、「夏季休暇と研修被るんスよねー」的なことを上司にぼやいたら、キレられた。「お前それおかしいやろ!なら辞めろや!」とまで言われた。
ああ、こいつは社畜だったのか。俺はこうはならない。と思った。
一生会社にしがみ付いて、借り時失敗したローン死に物狂いで返して、話もろくにしない奥さん養うだけの人生全うすればいいじゃない。
俺にはそんなしがらみなんてない。辞めろと言ってほんとに辞められて困るあんたとは違うんだよ。
さて、最高に効果的な辞め時を図る日々の始まりだ。
根に持つ部下を持った己の不運を恨めばいいじゃない。
やっぱりきもくて頼りないと思われてるままだよ。
自立を突き詰め過ぎて、空虚と孤独に負けそうな私が通りますよ。
でも人間て、根本的には孤独を持っていないと(肯定できていないと?)人付き合いまともにできないと思うんだ。
何事もバランスが大事ってことなんだろうね。
べきかどうかはともかく、単なる習慣だし、自己満足で大いに結構だと思う。わたしたちのやっている「べき」の多くは、慣習でしかないけれど、そういう慣習を自己享楽することには意義がある。
そういうものが「合理性」の観点から全部ゴミ箱に放り込まれてしまったら、暇で暇で仕方ないだろう。
「恋の仕方がわからない」というような悩みも、そうしたところからきているのではないか。
恋なんて、ただの約束事の繰り返しなのだから、慣習を重んじて手続きを踏んでいけばいいのだ。
ところで、フランスだとドアというものは男が開ける、ということになっている。
大きな建物の入り口で、扉が二重になっているところ(ドアが連続しているところ)があると、男は最初のドアを開けて、それから何気に女を追い抜いて、またドアを開けないといけない。ドアとドアの間隔が狭いと、無様に小走りにならずにスマートに続けて開けるのは、かなりのテクニックだ。
もちろん、ドアくらい自分で開けられる。男が女のドアを開けることについて、後づけの理由はいくらでもつけられるだろうが、本当のところ大した意味はない。
それでも、男はドアを開ける。それでいいと思う。
もちろん、日本人がまねをする必要はない。それでいいと思う。