はてなキーワード: 登校拒否とは
はてなにしろ2chにしろ、00年前後ははわりとぽわぽわしてて礼儀正しく、害があっても広がりにくかったし、各ポータルサイトもゲスさは無かった。
2chは便所の落書きと言われてはいたが、馴れ合いによる相互承認や、情報を求める意識を持った参加者たちで良い空間を作ろうみたいな意識もあったし、クソくだらないジャーゴン(オマエモナーなど)を共有して生まれるゆるい一体感もあった。
今はそうではない。
陰湿で、攻撃的で、快楽主義であり、セクト意識(裏切り者を許さない)はあるけれど共同体意識(助け合いと相互承認)はほぼなくなった。
2chで「氏ね」ではなく普通に「死ね」と使われ始めて久しい。もうみんな心のブレーキがなくなっている。
ネットは「叩くことで上に立ったかのように振る舞う、安上がりな自己欺瞞や他者へのアピール」でありふれている。
中には「叩くこと」への快楽に目覚め、それを目的化し、それを正当化するための言い訳としての「誰かの失敗」と「正論」を求める人もいるように見受けられる。
なんでこんなになっちゃったんだろう?
00年代頃はまだ限られていたインターネット利用者だが、格安ブロードバンドで普及を見せ、その後スマホを介して国民のほとんどがネットの参加者になった。
社会に出て一生懸命働いている人たちや真面目な学生は平日昼間にネットに入り浸ることは少ない。
平日昼間のネットを支配しているのは、無職、ニートである。その中で暗い要素を持った集団を抜き出すと「仕事にあぶれて苛立つ求職者」「世の中を諦めた世捨て人系無職」「登校拒否の延長の引きこもり」「うつ病神経症統合失調症といったメンヘル」「発達障害などで社会に適応できなくなった人たち」「終わらない家事と身近なストレスで心の許容量が狭くなった鬼女」「世の中舐めてる陽キャのニート」「レールからそれて戸惑っているニート」「世の中に喝を入れたいリタイア組」・・・。まあ、とにかくたくさんいるわけである。
もちろん、悪意のある抽出であり、心のきれいな方々もたくさんいるのだが、悪貨は良貨を駆逐するものだ。
そういった人々は暗い感情や怒りを、炎上の快楽で気晴らしするのである。いわばweb放火魔だ。
火を生み出す力の喜び、何かが燃えていく光景を見つめる陶酔、生贄を取り囲む祭りの高揚感・・・。
彼らは毎日ネットに入り浸るうちに中毒になり、炎上が目的化する。
ニコニコ黎明期のようにクリエイティブな方向で承認を求めていれば平和だったのだが、今のニコ生はDQNのほうが受けやすい。
はじめしゃちょーやヒカキンみたいな発想力とパフォーマンスを持っているわけでもない人たちは、過激な毒のショッキングさで目立つしかない。
これはネットの言論空間にも言えることで、有吉や張本みたいに「きっつい毒舌」「鋭いお叱り」を出来る人間が承認されやすい。
熱心な語りもいらない。消化しにくいからだ。
つまり、ワンフレーズで響き、嘲笑と「俺たち情強だよな」といった満足感を生むネガティブな言論をしたがり、見たがるようになっているのだ。
問題は、そういった平日昼間の言論が「ネットの声」「ネットの常識」とされて一般層へ輸出され、ネットの文化となり、新たな放火魔を教育してしまうことだ。
本来ただの過激派、愉快犯にすぎない言論が、いつの間にか「民主主義」になってしまう。
現実でも起きうる/起きているかもしれない事態が、ネットではものすごい勢いで波及している。
誰かが火を消さなければいけないのではないか、誰かが防火壁を作らなければいけないのではないか。
ホッブスによれば自由とは混沌であり、万人の万人に対する闘争だなのだ。ネットはそちらに向かいつつある。
東浩紀はネットにルソー的社会を求めたが、あんなものは絵空事である。
「私達には関係ないこと」と高みの見物を気取る人たちは、いつか自分たちが悪意の生贄にされるかもしれない未来を予期していない。
自分のところまで悪意が登ってくる可能性を考えていないのだろう。しかしすぐとなりをよく見てみると良い。
シェルターの中にいる隣人が、悪意の炎を瞳の奥に隠しているかもしれない。
大人たちが壊れてしまう空間なのに、子供にリテラシーとかいう頼りない防御策を教えて何とかなると?
ネットの治安を維持するための善意の言論を発信していくべきだろう。強硬的な手段ではなく、新しいモラルを共有できる仕組みを考える段階に来ている。
それと同時に平日昼間勢の心を癒やす必要がある。彼らの本当の問題はネットではなく現実にある。現実が変わらなければ彼らは変わらないだろう。
ネットと現実はリンクしており、ネットは日本の未来の実験室である。このまま手をこまねいて見ていれば、現実社会も今よりさらに厳しいものになっていくだろう。
不登校とか、登校拒否というと、「学校がいやなんだな」「いじめとかがあるんだろう」と思われるかもしれないが、わたしの場合はそんなことはなかった。記憶にあるかぎりいじめられた経験はなく、仲のいい友達もいて、勉強も好きだったし、先生は完ぺきではなかったけれどやさしかった。
当時わたしの家では、父母が険悪で、まだ子どもだったわたしもふたりのあいだのことにかなり気をもんでいた。
学校から家に帰る途中、「家でお母さんが泣いてないかな」「落ち込んで死にたいって言ったらどうしよう」「また変な宗教みたいなのにお金をつかうのかなあ」と考えていた。
家に帰ってからは、「お父さんは今日、機嫌よく帰ってきてくれるかなあ」「またけんかになったらどうしよう」「怒ってたらどうしよう」と考えていた。
まわりの友達に、そんなことを悩んでいるような子はいなかった。いたとしてもわたしのように隠していたからわからなかった。毎日毎日、「帰ったらお母さんが自殺していたらどうしよう」、「帰って来たお父さんに殴られるかもしれない」と悩んでいることなんてだれにどういえばいいのかわからなかった。というか、家のなかのことを、だれかに相談するという発想じたいがなかったかもしれない。
だから、そんな悩みを抱えてないふつうの子たちに混ざって、ふつうの子のふりをして、なんの心配ごともありませんよ、という顔で、楽しく小学生、中学生をやろうとしていた。楽しいこともたくさんあった。学校でも、家でも。
ふつうの子ですよ、なんの心配ごともないですよ、なんて嘘だったからだ。友達も先生もやさしい。でもわたしは嘘をついていて、嘘を演じることにも、嘘をついていることじたいにも苦しさを感じるようになっていった。
学校は楽しい。でも苦しい。学校に行ったところで、どうせ家に帰ってこなきゃいけなくなる。だったら家にずっといたほうがまし。
そういう感じの思考回路だった…と思う。たぶん。
両親はわたしがどうして学校に行きたがらなくなったのか理解できなかったと思う。もしかしたらしようとしなかったのかも。ふたりにとっては学校に行くことは当然すべき義務であって、なぜとかどうしてとか考えるところではなかったのかもしれない。
とにかく、両親は、わたしをどうにか学校へ行かせようとした。父親はかなり強硬。母親は表面上わたしを理解しているような、気遣っているようなことを言うけど、正直者だからわたしほど嘘がうまくなくて、わたしを、というかわたしの状態をだいぶ鬱陶しく思っていることがビンビンに伝わってきた。というか、わたしが不登校であるということに母親が追い詰められている感があった。
で、どうにかこうにか、中一? 中二? くらいまでは行ったり行かなかったりをくりかえしていたけれども、ある朝、制服に着替えて、それでも気分が悪いとか学校に行きたくないとかごねているわたしを、父親が殴った。
わたしが逃げると、追いかけてきて、もう一発殴り、「殴らなきゃわからないやつだ」「絶対に学校に行け」と言って出勤していった。
そしてその日だか、そのつぎの日だかに、顔の腫れがひかないまま、みんな見て見ぬふりをしてくれないかな~などと願いつつ、教室に入った。
みんなやさしかったので、見て見ぬふりなどせず、女子も男子も関係なく、わたしのところへ来てくれて、「大丈夫!?」「どうしたの?」「保健室に行ったほうがいいんじゃない?」と口々に気づかってくれた。その友達に対し、「大丈夫だよ」「転んだ」「消毒はしてある」と返事している途中でどうしてもこらえられずに泣き出してしまって、そのあとをどうやり過ごしたのかさっぱり記憶にない。
いまだに唇にはそのときの傷が残っている。見た目にはわからないのだけど、さわると傷口の痕跡がわかるような感じで、ときどき、否応なく当時のことを思いださせてくれる。
わたしは勉強が好きで、けっこう成績もよかったので、もし不登校になることなくふつうに進級し、ふつうに進学していたら、けっこうまともな人生を歩めたのじゃないかな、とたまに思うことがある。
あのときがんばっていれば、いい高校に入り、いい大学に行って、みたいなことを思うこともある。小学生のころからやりなおしたいとか。
ただ、そう思うのは漠然と昔を思い出しているときだけで、当時のことを詳細に思いだすと、そんなのは無理だと理解する。
精いっぱいやったわけでもなかったし、最善を尽くしたわけでもないし、もっとできることが、もっといい方法があったかもしれない。
でも、もういちど繰り返したいと思えない日々をちゃんと生き抜いたんだからいいじゃないか、と考えて、いまを生きようと思っている、という、覚え書き。
夏休みに自治会の催しか何かで、スマートフォンのセキュリティやリテラシーに関する映像を上映していたらしい
そこで素材として選ばれたのがIPAのセキュリティ啓発映像だと知って嫌な予感はしていた
その結果現在起きているのが以下
その他いろいろな問題が噴出しまくりで学校側から保護者に「子供に何の相談もなく無理矢理スマホを取り上げるのはやめましょう」と通達が来る始末
どうしたものかね
いじめの自殺のニュースを見るたびに、自殺しなくても済む選択肢は数え切れないほどあるのに、自殺を選んでしまう子が痛ましくてなりません。自分の子が自殺してしまわないために、私は親としてどうしたらいいのでしょうか。
パッと思いつくのがこんな感じなのですが…
・どんなことがあっても子供を受け入れることをアピールしておく
・いざとなったら県外でも国外でも一緒に行こうと言っておく
・いじめられるのは恥ずかしいことではないと伝えておく
私自身クラスの一部からいじめられていた経験はあるのですが、死ぬなんて考えたことがないし(登校拒否は数日したような気がします)、習い事先や自宅周辺には遊び友達が別にいたので、いじめに理不尽さは感じるもののそれほど苦ではなかったのです。また一匹狼でも別に構わなかったという性格もあります。なので自殺を考えてしまう思考プロセスを知り、対策に活かしたいです。
だいぶ前に七夕も終わったわけだが、
承太郎…。
多分JOJOファンの父親あたりが強い子になれと願いつけた名前であるのだろう承太郎。
一体何故、どうしてお前は不登校児になってしまったんだ承太郎。
やはり、アニメを見た同級生達からの「おいJOJO〜、スタンド使ってみせろよ〜」という執拗なスタンド攻撃に耐えかねたのか承太郎。(ちなみに苗字の方も若干近かった)
そういう精神的重圧や同調圧力を、お前のスタープラチナで打ち砕く(そういう事言われたら適当に「スタープラチナ!」と叫んでポーズを決め周囲の期待に一応応えてやり過ごす)ほどのお調子者メンタルは持ち得なかったのか承太郎。
そして学校を欠席したお前の空席を見つつ、同級生たちは「承太郎マジJOJOwww」「学校来ないとか原作通り過ぎwww」「アイツきっと家で鉄格子に鍵かけて閉じこもってるんだぜwww」「しかもガクラン着てwww」とか爆笑してるのか承太郎。
そしてさらに心配した担任教師あたりが家庭訪問に来ても、なぜ学校を休むのか?という質問に対してはとても同級生からのスタンド攻撃のせいだとは答えられないから頑なに沈黙を貫き通すのか承太郎。
そしてそのうち担任に命じられて住所の近いクラスメート達が毎朝迎えに来るようになって、「ごめんね〜今日も承太郎、具合悪いみたいで…」とか母親に追い返された後で同級生たちがお前の部屋の窓の外あたりで「出て来いよ承太郎!」「お前のスタープラチナ見せてくれよ承太郎!」「待ってるからな承太郎!」とか声を張り上げて、部屋の中どころかご近所中にまで波及する遠隔型スタンド攻撃を放ってからさっさと学校行ってしまうのか承太郎。
そんな、同級生達からの多種多様なスタンド攻撃のせいでますます学校にも行けず自分の家にこもらざるを得なくなったのか承太郎。
と、そんな承太郎の奇妙な冒険を想像していたところ、承太郎の短冊も発見してしまった。
まあ子のいる親が単独で参拝来る事はあっても短冊まで書くってケースはあまりないので、承太郎の短冊もあるだろうなとは思ってはいたが。
まあ当然か。その理由は配慮にせよ不仲にせよ、子供本人がいる所で本人の登校拒否が治りますようにって書く親が、子供のすぐ近くで短冊結ぶって可能性は低いか。
で。当の承太郎本人は一体どういう願いを持ってるのかね、と興味しんしんで短冊を見たんだが、
どうやら承太郎は登校拒否ライフを満喫していらっしゃるご様子。
ていうか字のぐにゃぐにゃっぷりを周囲の短冊と比較して判断しても、小学校低学年くらいなのかね承太郎。
「学校が怖い」
先生たちとのトラブルで、先生たちの態度が丸々変わってしまった。トラブルというのは学校が謝る立場の物だったのに、当事者以外の先生もなぜかいきなり強く注意してくるようになった、数人いてもなぜか僕に強いタッチで当たってくる。まるで何があっても僕が一番悪いように。僕はそんな性格ではないし理由があっても聞こうとはしてくれない、もう周りに頼れる先生はいない、担任すらもまともに取り合ってくれなくなってしまった。もう怖い。何かあっても些細な事でも強く、馬鹿にするように、けなすように、強く当たってくる、毎回怒鳴って怖いくらいで毎回接してくる先生もいた。なぜ急に僕にこんな風に接してくるようになってしまったのかわからない、その必要性もない。精神的にも辛い。そして僕の話になると褒めもせず些細なことを引っ張り出して「だからいけないの」といってきたり、やれと言われたことをやりづらくさせる環境を作りそれで揚げ足を取ってくるようになった先生もいた、たぶん、他の先生たちとのトラブルの話を聞いて逆ギレ的な感じになり僕に対してそんな態度になってしまったのだろう。もう誰も信用できない。誰にも頼れない。誰にも助けを求められない。そんな学校には行けない。先生に会うのが怖い。学校には行きたいけど行けない。僕は登校拒否になった。休んだ初日は電話がかかってきた、だが4日目は休みの確認のためにかけるはずの電話でさえかかってこなかった。その程度なのだ。いくら担任とはいえその程度。もう頼れる人はいない。怖くて休んでいる間は何も食べれなかった、学校への復帰のため別の中学の子とプールに行った。自分の学校以外の人なのですごく落ち着いたお昼僕はラーメンを食べた普通の量でそれでも、半分より少ないくらいしか食べられなかった。体重も1日1Kgのペースで落ちていった。もう身も心もボロボロそれでも、誰も助けてはくれない。勉強にもたのしみがある勉強をして成績があがっていたら嬉しいそんな楽しみもあるモチベーションも上がりまたやろうとやる気が出て更に上がるとさらに嬉しくなる、そんな楽しみを僕から奪わないでほしい。僕はどうしたらいいのだろう。どうなるのだろう。助けてほしい。でももう無理だ諦めた。どうなったっていいや僕なんて。誰もいたわる人も悲しむ人もいない。もういいんだどうなったって、僕なんて。
これは本当に思う。
今の社会、一度ドロップアウトしてしまった人間を受け入れてくれる場所なんてどこにも無い。
そう言って学校に来ない、そして、親がそんな発言を許容してくれる家庭に育った子供達。
良くてアルバイト。
可愛い子なら一発逆転で結婚という選択肢も有るが、可愛い子やイケメンで登校拒否する生徒がほぼ居ないのであまり期待出来ないだろう。
それどころか他の生徒にそんな子がどうなったのか聞けば、精神科通いからの風俗や結局自殺、未だ家に閉じこもりという末路ばかり。
ただしクラスメイトや友達は同情してくれないけどな、そこは期待しない方が良い。
おじさんやおばさんになって自殺しても誰一人として気にも留めないし、逆に感謝される始末だ。
正直言って、学校からの電話、書類、訪問も全部親がカットしてしまうおかげでもう学校に来させる手段は無い。
多分気を引きたいだけだろうが、本当に死にたいなら今死んだ方が良いと思う。
中学生の時、左手の小指から人差し指まで第一関節にコテ火傷の痕が有り嫌で嫌で手袋を付けていんだよね。
それをクラスのオタク女子Tが「ぬーべーの真似?真似なんでしょ?」と毎日のように嘲るように言って来てとてもウザくて仕方無かった。
今思うとあの子はオタク特有の気持ち悪い喋り方だったので余計にムカついたのかも知れない。
10月のある日、クラスの女子の前で「ぬーべーぬーべーって何それ?オタクなの?気持ち悪い!」と言うとクラスメイト達も賛同し始めその女子Tを腫れ物のように扱い始めた。
結果的に12月にはその女子は『気持ち悪いオタク』のレッテルを貼られ無視されて学校に来なくなったよ。
元々煙たがられて居たのだろうね
今になっても悪い事をしたとは全く思わないし、あのオタク女Tが悪かったのだと思う。
思い出しても本当に気持ちが悪い女だった。
http://anond.hatelabo.jp/20160427035646
年齢■3~18歳
幼稚園■友人が少なかった
1年生■男子にいじめというより暴力を受ける、洋服を切断される等
2年生■転校、クラスに馴染めては居ないが会話が少ない程度、好きな子がバレからかいの対象に
3年生■クラスの中心人物女子Aと馴染めず女子に無視されるもそもそも女子と会話していない。更に小説にハマり困らず
4年生■男子に飛び火し暴力を受け始める、いじめの中心はIという男子、しかし一番いじめを受けていたのはTという男子で登校拒否に
5年生■わりと楽しく過ごすも終盤好きな子がバレからかいから暴言に、裏切りの連続。しかし習い事が楽しい毎日
6年生■隣のクラスのIと習い事が同じに、思い出したかの様に暴力を受けるが俺は身長が伸びIより長身でやり返したため、ただの喧嘩状態に
1年生■Iが同じクラスに正直Iを喧嘩するのは楽しい気がして来たが、当然クラスメイトへ飛び火し男子複数人から暴力を受け始める。教員に冤罪を告げ口され暴力を受け始める。
2年生■Iとはクラスが分かれたが、まだたまに喧嘩。今度はIの兄の彼女である黒ギャルに謎の嫌がらせを受け始める。周囲に避けられる程度。
3年生■黒ギャルの友人不良女子Mに暴力を受けたがやはり長身のため問題は無いが、教員に警察に行ったら学校に居られなくしてやると言われる。
1年生■友人が少ない程度
2年生■不良女子Eに暴言を吐かれ続けるも教員に言いふらし事無きを得る、援交隠蔽をしたが生活指導にはまともだった高校教員。Eは転科後退学。
3年生■友人が少ない程度
結論■俺がいじめを受けたのは全体的にあまり会話が上手く無く友人が少なくコミュ障な特徴、そして恋愛沙汰、Iとの喧嘩が原因で有ると予測される。
子供は恋愛沙汰に敏感で騒ぎ立てたくなる特徴が有り、好意を上手く隠せなかい場合からかいの対象となる。
そして集団の暴力は飛び火しやすく、Iとの喧嘩が飛び火した結果暴力沙汰に発展してしまった。
大学以降はいじめを受けては居らず、おそらく恋愛に寛容になり、暴力行為は通報され許されない環境になったからであろう。
性格が悪いと言われればそれまでだが、自身のコミュニケーション能力不全や過剰な感情表現が問題である。
今後も気をつけて行こう。
不妊の原因は不明だったけど、不妊治療開始後一度だけすぐに妊娠したが、一回目は流産した。
それからなんども人工授精をしたけどうまくいかず、結局高価な体外受精に踏み切った。
それが一回でうまく行き、順調に十月十日を迎えた。
妻は初めての妊娠で産気付いてから丸々一日掛けて、俺は延々妻の背中をさすり続け、明け方近くにめでたく出産した時はホッとした。
立会い出産して、感動するかなとか思ってたけども、疲れ果てていたせいもあって涙も出なかった。
自分が始めて授かった子供なのに、何故だかよく分からないが最初はそんなに可愛いとは思えなかった。
今思うに、多分俺は妻ほどには子供を望んでいなかったからだと思う。むしろ、これからが大変だとその先を案じていた。
大変なのは割とすぐにやってきた。
娘はなかなか寝付かず、夫婦共々ほんとに困り果て毎日疲労困憊。
あれだけ子供を欲しがっていた、最初こそ喜んでいた筈の妻が、昼間の育児はするものの(昼寝は良くしたらしい)、とうとう夜の寝かし付けだけ育児放棄しだしたのである。
よくある「あなたは仕事だけやってたらいいんだから、楽よね!、私は一日中毎日家事と育児なんだよ!」みたいな。
実際のところは俺は買い物もしてたし、洗濯も掃除もやってたし、家にいる間はオムツ替えも授乳もお風呂もやってたんだけど、そんな言い争いをしても仕方ないから反論はしなかった。
だから、夜の寝かしつけは、娘が多少の分別がついて自分で寝るようになるまでは俺の仕事になった。
立ったままダッコしてゆっくり何十分かゆすり続ける、それ以外では絶対寝ないのが娘だった。
ひどい時は2時間も3時間もゆすり続けなければならず、椅子やソファーに座る事すら許されなかった(泣き出すのだ)。
当時も結構仕事が忙しくて、帰宅は遅かったから、自分が寝るのは延々と時刻が翌日になってから。
娘を可愛いと思う時もそりゃぁあったけど、総じて言えば大変なだけで、こんなに大変なら結婚などしなければよかったと思うことすらあった。
だけど、一人目の苦労は二人目に存分に生かされた。二人目の息子は娘ほど大変じゃなかった事もあるけど、一人目に苦労した分だけ夫婦共々成長していたのだと思う。ちなみに二人目は自然妊娠だけどね。
さて、そんな娘もすくすくと育ち、小学校五年生の夏休みがあけてからのことだった。
実は娘は1学期が終わる直前に右足を捻挫してしまい、夏休み後半まで松葉杖生活を送る羽目になっていた。
それで、夏休みが空ける一週間ほど前に松葉杖がなくても歩けるようになったのに、さぁ登校という段になって「足が痛むから行けない」と言うのである。
最初は親もそれを信じて、少し休めばすぐに行けるようになると思っていたのに、それが一週間たっても治らない。
というよりも、夏休みの時は松葉杖があれば歩けたのに、松葉杖登校すら拒否するのである。
流石にこれはおかしいと親も気付き、時間を掛けて問い詰めたらやっと「学校に行きたくない」と答えた。
だが、そこから先が大変だった、その理由を頑として言わないのである。
とにかくどんなに問い詰めようと責めようと、絶対に言わない。
仕方が無いから、学校の先生や友達に色々聞いても、特にいじめられているわけでも、或いはクラスで孤立しているとかでもなく、成績は結構いい方だったりして、理由が皆目見当がつかない。
いろいろと関係各位に相談していると、理由はともかく、学校に無理に行かせなくてもいいから、しばらくは様子見、みたいな感じになりそれが結局三ヶ月以上続いた。
理由は・・・娘は娘なりに「理由を明かしたところでどうにもならない」と分かっていたから言わなかったのだと思う。
肝心の担任に原因があった。
親だってまさか担任に原因があるなどとは思わず、不登校のことを何度もその担任と相談していた。全く馬鹿みたいだ。
娘の友達の親が「あの先生、すっごい生徒を差別するから」と妻との会話で言ったらしく、もしかしてそれが?と思い、娘に聞くとやっと頷いた。
びっくりするくらいの差別だった。
例えば授業中の先生の質問に娘がどんなに頑張って手を上げても絶対に娘に答えさせない。
勉強で分からない事があって聞きに行っても、忙しいから後で、などを理由に相手にしない。
そのくせ、気に入った生徒ばかりを答えさせるし、一生懸命面倒を見る。
確かにその差別が原因で不登校になったのは我が娘だけではあったけど、どうも一番酷く差別されたのが娘だったのも事実らしかった。ほとんど無視に近いものだったから。
にも関わらず、その担任は平然と娘の不登校の相談を受けていたのだ。
私達夫婦は、娘に何か障害でもあるのかと、児童精神科のある病院まで行ったんだぞ。
ほんとに、理由が発覚した時は怒り心頭だったのだけど、妻がどうしてもモンペ扱いだけはされたくないからと、担任に苦情を言うのはかたくなに拒否されたので、校長と教頭にだけその事を伝えるに留まった。
校長らも最初は信じられなかったらしく、こちらの言う事は否定しなかったが、結構びっくりしてたっけ。
事情が事情だけに、これを解決する方法は担任を指導したところでどうにもならない(娘の信用がゼロだからね)と言う事で、ともかく、当面は授業が終わってからの補習と言う形で最低限の勉強だけを受けさせて、6年の担任を必ず替えるという事になった。
6年にあがって、新学期から問題なく娘は登校するようになった。
あの時、既に出勤してた俺に妻からその事をメールで連絡されて、不意に涙してしまった。
取引先と電話してた最中に、いきなり涙声になり、相手から「どうかしましたか?」と言われたっけ。
さて今はもう中学二年生。
昨日、その娘から嬉しそうに「やりたかったユーフォニアム、あしたからする事になったよ!」って、帰宅したばかりの俺に報告があったんだ。
ふとね、その時、不登校のときや、昔の寝かしつけの苦労を思い出したんだ。
可愛くて仕方ないです。
追記。
あまりにブクマがついてびびってしまったのでホントの事がいえなかった。すみません。
でも、同時にトロンボーンもやりたがっていたのです。
つい、これを書いた翌日に例の映画が公開初日になると知ってたので嘘をついてしまいました。
申し訳ございません。
http://anond.hatelabo.jp/20160229202916
現在20代。契約社員。外観からは普通に見えるかもしれないが、
「行動がおかしい」だとか「変なことを言う」だとか「協調性がない」
物を隠されるだとか、罵倒されたのはマシな方で、暴力は振るわれなかったけれど
精神的にキツかったよ。一時期登校拒否になったけれども、親の悲しい顔を観るのが
嫌だったからイヤイヤ通った。
その時は死ぬのが怖かった。いろいろ「どうすれば、楽に、誰にも迷惑をかけずに
死ぬことができるだろうか」というのをかんがえていたけれども、
行動に移せなかった。だからいまでも(とりあえずは)生きているけれども。
そう、アスペルガー症候群だったんですよ。それが初めて分かったのが中学生のころ。
(前から診断は受けていたのだが、何のことだかさっぱりわからなかった)
一生それと生きていかないといけない、ということを知った時は本当に悲しかった。
だってさ、頑張っていてもどうにか出来る問題じゃないじゃない。
だから、「ふつうの」人間が羨ましかったし、それをひた隠しにすることで
どうにか途中まで生き延びてきた。
(親意外に)ひた隠しにし続けたことで、無論いらぬ衝突や言い争いも多くあって、
その度に問題を起こしてきて、でも言えなかった。言っても理解されないどころか
人間扱いされない、ということに対する恐怖に支配され続けていた。
今はなんとか騙し騙しやっているけれども、いつこれがぶっ壊れてもおかしくはないよなあ、と思った。
でも、やっぱりこの国で生きているってことは辛いよ。
死にたい以前に、殺されたくないと思う。具体的に言うと今の政府に。この国に。
茨城県の元教育委員が優生発言をして、障碍児、障碍の支援に関わる方々(関係者・家族)
を踏み躙ったことがあったけれども、あの発言のベースにあったものは
「障碍は金がかかる」ということだった。金がかかる奴は、出産する前になかったことに
してしまおう。何故だか知らないけれど、こういうのみたいに「障碍=不幸、可哀想」
という型に当てはめていっている。この国は、よりそういう方向性が強くなっている。
ちげーんだよ、障害があるのはこの国だとかシステムのほうだろ。
そして、苦しんでいたとしても上はそれを拾い上げるようなことは決してしない。
何で生きているだけで「こういう思わぬリスクもあるんだな」とか言われないといけないんだ…。
毎日無理解に晒されていることは死ぬほど辛いし、この国の政府がより締め上げに
向かっていくだろうな、ということがさらにつらい。投票で意思表明はするよ。するけれども、反映されるだろうか?
というところが辛いし、なによりもまず
殺されたくない。
自分が親になってもおかしくない年齢になってくると、自分の親がどんなに大変だったかということが少しずつわかってくるもんで。
俺の家は6人きょうだいで、子供の時からかなり貧乏だったこともあって相当荒れた家庭だった。
兄が学校で暴力事件を起こした時に平謝りに行ってくれたのは母親だった。
同じ兄が高校卒業して1年以内に付き合ってた彼女を孕ませたのにも謝りまくって結婚まで話をまとめてくれたのも母だ。
同じ頃妹が登校拒否になって、何度も先生から家庭訪問を受けた時に必死に対応していたのも母だ。
合計3回は堕胎をした別の妹が何年かして結婚して妊娠したのに流産を繰り返して入院した時に世話を焼いていたのも母だ。
他にもいろいろ、数えきれないくらいに母は6人の子供の面倒を引き受けてきた。
そんな母が先日父親に離婚したいと言い出した。
今までの苦労はもうない、一応は子供全員がそれぞれの生活をするようになった今になってからだ。
いわく「本当は子育てなんて嫌だった。逃げたかった」ということ。
俺も他のきょうだいほどでないにしろ迷惑をかけてきた身として苦しく思っている。
当時は「母親なんだからきっと子供に深い愛情があってやっているんだろうな」って勝手に思っていた。
実際母親が最後のセーフネットになってくれていなかったら俺たちきょうだいはもっとひどいことになっていたような気がする。
母も逃げたいと思いながら頭を下げていたんだな。
そう思うと本当に切なくてしょうがない。
まず、あなたが受けた数々のセクハラについて私も大変憤りを感じるし、そういった過去の持ち主なら「なんで巨乳差別?」と感じてもおかしくないと思う。
私は、これまでに何度も「もっと小さい胸だったらセクハラにも遭わなかった」とか「目立たないようにきちんと隠さないとひどい目に遭う」思ってたけど、自分が思ってたことと同じことを他人から言われて「アレ?」って思った。
「巨乳の女に対する無遠慮な視線の行動化」っていうのは性欲から行われるだけじゃなくて、たぶん善意からも来る。
相手がただ「巨乳」ってだけで「セクハラ」してもいいっていうのは、相手がただ「巨乳」ってだけで「そういう説教」してもいいって思っているのと同じ「相手を一段下に見てる」ってことだよ。
だってどっちをされても「胸が目立つおそれのあることを避ける。猫背になる、だぼだぼの服やミニマイザー(乳房を小さく見せるブラ)しか着られなくなる、体育着や水着になるのが嫌で登校拒否する、人前に立つことを頑なに避ける」ようになるし、どっちをやってくる人も「巨乳ならそうされても仕方ない」って思ってるんだよ。
あのポスター批判の中には、「もっと小さく描けば良かったのに」とか「こっちの絵はきちんと隠して目立たないようにしているからOK」などの内容が結構な頻度で出てたから、自分が説教された時のことを思い出して凄く嫌だった。こっちは体の修正なんてできないのに軽々しく正しいとかOKとか言うな!って思った。
正直なところ、あのポスターの批判者にも擁護者にも巨乳の女性は居ると思う。
様々な意見が流れる中で、「巨乳差別だ」とか「巨乳は社会的に正しくないのか?」といった主張を目にした。
どうも、あのポスターに描かれている女の子が豊かな胸元を露わにしており、そのイラストを非難することは巨乳は公の場に出るなという主張や、露出度の高い服装をする自由の否定に繋がると言いたいようだ、と理解した。
それらの発言をする人々が巨乳差別を真実懸念しているのであれば参考になるかもしれないので、書いてみる。
巨乳当事者の一人としての経験や見聞から、服装や振る舞いの自由に強く抑圧的に働くのは、性的なからかいや侮蔑、相手の人間性に遠慮のない言動だと思う。
普通に立ってるだけで「そんなにおっぱい突き出して…」とニヤニヤしながら言うとか、体育の授業中に胸を眺めてひそひそカップ当て競争するとか、制服着てたら「ブラウスがはち切れそうで可哀想」とか。名前ではなく「あの巨乳ちゃん」と呼んだりとか、胸元しか写ってない写真を隠し撮りして回覧するとか、スピーチ後の匿名感想アンケートに「いいチチしてますね」と書いて来るとか。「おっぱい大きい人って脳みそが胸に取られたんでしょ?」と都市伝説を得々と披露するとか、いきなり触ってきて笑いながら逃げるとか。
そういう言動が辛いから、胸が目立つおそれのあることを避ける。猫背になる、だぼだぼの服やミニマイザー(乳房を小さく見せるブラ)しか着られなくなる、体育着や水着になるのが嫌で登校拒否する、人前に立つことを頑なに避ける、など。
そこにもし巨乳の女に対する無遠慮な視線の行動化をたしなめる人がいてくれたら、安心や感謝に尽きる。「巨乳が否定された」とは全く思わない。
生まれもった体型のせいで作業服の前ボタンが閉まらない女の子が恥ずかしそうな表情で困っている場面を嬉々として捉え、集客に使うような行為、
巨乳の女を感情や人格のある人間ではなく【巨乳キャラ】という物体として扱う態度が、巨乳を自由な服装や振る舞いから遠ざける。
この増田は萌え絵や二次元一般の規制に賛同する趣旨のものではない。
胸の大きな女の子が、谷間の見える格好で恥ずかしそうな表情をして(させられて)いる、
そういった場面を観光客誘致のためのポスターにすることへの批判が巨乳差別になるという主張について、
どういったことが巨乳の当事者に対しての抑圧になるかを書いた。
私も頭の中はいやらしいことでいっぱいだし、エロマンガも何冊も持ってる。
http://anond.hatelabo.jp/20151118234024
父親はクズだが母親も負けないクズで、僕の養育費と児童扶養手当をパチンコに使い果たして、1週間に4回位は朝飯抜き。
パチンコの景品のお菓子で飢えを凌いでいたので、体重は増えるばかり。135cm56キロとかだったな。
その内養育費が尽きてクレカ→サラ金→ヤミ金のコンボを決める。家に取り立てが毎日来て、母親はうつ病になる。
小学6年の頃に知り合いのツテで共産系の弁護士に入ってもらい自己破産。以降はナマポ生活。
しかしナマポを貰っても母親のパチンコは止まらなかった。1ヶ月ずっと卵と味噌汁とご飯だけの生活とかしてたな。ガスや電気が止まるのは日常。
服は当然ボロボロ、風呂は4日に1回とか。代謝の活発な小学~中学の頃だから相当臭かったと思う。
流石にこの環境だと俺もグレた。登校拒否からの引きこもりになる。
中学は3年から不登校。高校には定時制すら入学出来なかった。勉強もサッパリ意味がわからなかった。
母親が生活保護の家賃分まで使い込んでは引っ越しするを2回ほどやった頃、俺は20歳になっていた。
何せ働くどころか人と話した事すら数年無かった訳だからまともな仕事は出来ない。
皿洗い、キッチンの下ごしらえ、美装(掃除屋)、パチンコ屋の閉店作業と職を転々として、派遣になった。
俺は何を言われても我慢する事だけは覚えていたので、派遣先で最初散々バカにされたが堪えてやめなかった。
で、さすがに数年居ると仕事も覚えて他人のフォローが出来るようになる。
すると周りの連中も、使えるやつと認識してそれなりに声をかけてくれるようになった。
始めて人に頼りにされたわけだ。嬉しかったね。
まぁそんなささやかな幸せも長くは続かない。リーマンショックだ。
派遣は全員解雇。僅かばかりの手当と失業手当を貰って路頭に迷う。この時30歳だ。
中卒、天涯孤独、30歳、派遣切り、168cm90キロ、ついでに貯金無し。これが俺が30歳だった時の環境だ。
なぁ増田、お前は不幸とか悩んでるとか言っているが、俺より不幸なのか?
お前は大学に行けて、ネットで遊べる環境が有って、親に金出してもらって勉強出来てるんだろ?
お前は幸せなんだよ。お前を不幸にしているのは環境じゃなくてお前自身なんだ。俺ほど人生ハードモードじゃないだろう?
不細工は仕方ないが、体が醜いのはトレーニングでどうにかなる。男は鍛えて清潔にしとけば大体オッケーなんだよ。
ちなみに今の俺は37歳168cm72キロ(筋肉質)年収1000万ちょい、友達は少しだが良い奴が居る。結婚はしていない。
人生が今は楽しくないのはわかる。俺もそうだったから。でもな、ずっとそのままじゃないんだよ。
とりあえずトレーニングでもしようぜ。1日1時間のウォーキングと、週3回30分のダンベルとスクワット。これで人生変わるから。
大丈夫だ、トレーニングは絶対に裏切らない。やればやっただけ必ず結果が出る。
そしたら次に裏切るかもしれんが人間に行け。10人くらい当たれば1人くらいはマトモなのが居る。
その頃には、お前が随分変わっているよ。幸運を祈る。
来春、息子の小学校就学を控え、地元の公立校に足を運んだ。一人授業参観である。
授業を見てどうなるというわけでもないが、全く知らない場所に愚息をホイっとやるのは快いものではない。
職員兼来訪者用玄関で受付を済ませ、1年生の授業を参観した。
おそろしく退屈であった。
教師は教科書に書いてあることをそのまま板書し、教科書に書いてあることをそのまま読み上げる。
子供たちはおとなしく座っていたが、私の集中力はすぐに切れてしまった。
算数の授業では、持参したノートPCでYouTubeを観ていた。私が。
ネットに転がっている解説動画の方が授業より分かりやすいのだ。
ほんの少し検索しただけで、授業よりはるかにマシな動画が見つかる。
通信教育、有料サービスならもっと多くの、高品質な""授業""を受けられるだろう。
授業の質が低いこと、Google先生の方が優秀なことくらい、子供でも理解できる。ネタは割れているのだ。
学校が終わったあと、青いバックを背負って塾に通う子ならなおさらだろう。
バカバカしくなって、親に良心的登校拒否を宣言する子供が8割くらい存在してもいいはずである。
しかし私が見た子供たちは実におとなしかった。席を立つ子、大声でおしゃべりする子はいない。
日本の学校制度は軍隊をモデルにして作られたが、授業で得られるものはまさにディシプリンしかない。
ひょっとしたら、子供たちは規律を身体に叩き込んでいることを自覚しているのかもしれない。学校のデタラメさもググれば分かる。
さて、どうしたものか。
私学? 同じでしょ。
google検索で「東大 湘南」と入力して検索結果に気になるもの(http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n335731)があったので、はてなに私の考えを残そうと思います。
ー>同意。
「トップ校」として湘南高校に入学を検討している保護者及び受験生は、偏差値だけでなく、最大の行事の体育祭を見に行きましたか?
もしNOならば、見に行ってください。考えてもらいたいのは、
・一年掛けて自分の子供が、自身が高2の夏から高3の夏まで期間この体育祭の準備に専心するということ。本当に自分事として見ていますか?
・あなたの考えている高校生活とこの事実は擦り合っていますか?
湘南高校の場合、体育祭の規模は日本一の体育祭と吹聴するほど大きいです。
このため、この体育祭の準備に時間的コストが"日本一"割かれるという形で湘南生に降りかかります。
是非、体育祭を見に行ってその事実にリアリティを感じ取ってください。良くも悪くもそのリスクとリターンの程度を受容してから志願しましょう。
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よくみると数があっていないと思います。
早稲田6個慶應6個うけて、全部合格とかあってそれが足されているのです。
オタクとかインキャラとか呼ばれる、スクールカーストの下の人だけです。
明るく元気でクラスの人気者タイプの生徒はかなり高い確率で三流大学になります。
ー>だいたいこんな感じ。
体育祭の準備を組織的に行うために役割分担します。確かパート決めとかいう。
こうして、クラス内ではスクールカーストに相当する上下関係が明確な名称で与えられることになります。
また、パートの選択によって体育祭の準備に捧げる時間が変わるという特徴があります。
例えば、東大に行くような生徒さんは競技パートという時間的コストがかからないパート(役職)についていることが通例となっています。
クラス内でもそうした通例は3年間の高校生活の間晒され続けているので、あのパートは陰キャラ、あのパートは脳筋、あのパートは...のように、本人の個性に先立って、パート自体の先入観が与えられています。こんな学校です。
「亜細亜大学いくよ」などと二年生が話すのをみていて
「ここ県内トップの進学校じゃないの?」と不思議に思いました。
ー>初耳。私はこうした体験はしませんでした。
湘南高校で生活してわかりました。ここはどんどんバカになる高校なのです。
なぜかというと、進学校であるにもかかわらず「勉強より部活動と行事」という
ー>4年制高校と自虐する語録が残ってるので上の考えは多数派と私も思います。
先生方のモットーが「俺たちは人間教育をやっている。だから勉強したければ
ー>そんなことなかったです。教員によって方針が異なります。熱心に取り組んでいると思います。出来る範囲で。
ただ、上記のようなフツウでない特徴がある高校であり、入学者の意識とのギャップがあまりに大きくなっています。
こうした不満をフツウな水準に押し下げることはできていないと感じています。
なんで勉強より部活動と行事か、というとこれはそういう学校だから、
としかいいようがありません。
おそらく戦前広島の海軍学校に湘南中学からかなりの生徒が進学したため、
ー>文武両道が教育目標だったと思います。負担の多すぎる行事を正当化する理由として機能してますね、確かに。
生徒全員が部活動強制のような形なのですが、体育会系と音楽系は
ー>これは人によります。湘南高校に限ったことではないと思います。
忙しいところは忙しいし、緩いところは緩い。忙しいところでも、休めばいいし、緩いところでも自主練すればいいでしょう。
部活動に関しては自由に活動できるので、引いていえば自己裁量、自己責任かと。
これはなぜかというと、湘南高校は留年がいじめで登校拒否とかに
ー>同意。
大学受験で必ず大東亜帝国には入れます。湘南高校の生徒はみんな
ということは、高校時代一回も教科書開いたことなくても全部0点でも
大東亜帝国はいけるのです。だから、先生方も、成績の悪い生徒になにもいわず、
そのまま進級させます。
ー>ほぼ同意。必ず入れるとか...
とれないというのは、かっこ悪いですから、レギュラーをとることに
ー>こういう人って中学校の頃にどういう姿勢で部活に取り組んでたんでしょうかね?
高校二年生の夏休み明けには、理数系の授業はクラスの半分がついていけなく
なっています。
ー>ついていけてないというのは思い込み。ただ、3年の文理分けの比率は1:1でクラスの半分近くは理数系の授業を必要としていない。
だから、二年の夏休み明けに生徒は文系理系の選択をしているから文系と決めた人は理数系の授業に”ついていかなくなる”のかもしれません。
このことから、湘南高校は生徒の文理選択の意識と受験科目の決定の胸算用がいかほどかを調べてみてもらいたいですね。
ガリ勉タイプや容姿に恵まれない女は後ろで絵を描いたり、小道具を作ったりです。
結局組織だから、体育祭でクラス内で上下関係ができちゃうんです。
ー>上述の通り
あとの35人は人気者の手下となって一年生二年生三年生の夏休みを
ー>同意。合わない人にとってはとことん合わない。ムラ社会っぽい要素が他校より強いと思う。
体育祭に参加しないとかなり高い確率で集団シカトされるので、参加しないわけには
いかないのです。教室のグループで昼休みは一人で弁当で、休み時間は誰も
口利いてくれません。
つまり、湘南ではない進学校にいけば現役で一橋大学商学部にいけた生徒が
ー>他の進学校行ってもそういう人は同じ結果になるよね
以下は略。湘南高校に限ったことではない。
とはいえ、
体育祭に関わりの薄い生徒ほど進学実績に貢献している一方で、彼らはスクールカースト劣位を与えられる。
私は、こうした相関を他校以上に生徒が理解して行動しないと、他校以上に不満が大きくなるだろうから、より状況を説明しておいたほうが良いと思う。
そのため、生徒会なり、実行委員会なり、なんでもいいから、冊子を配布するとかで理解を深めてもらうような啓蒙活動をすることを期待している。
すこしでも前に進めようと常に努力する姿勢は個別問題にかぎらず、学校へ好循環を与えるんじゃないかな。
悲しみを断ち切れ!湘南生!
Mr.サンデーの岩手の中二男子のいじめ自殺の事件の特集を見て泣いた
経緯としては、1年生時にいじめにあい、父親に相談し、父親が学校に相談、学校側で四者面談とかしていじめは一旦解決したらしい
しかし、2年になってからまた、いじめが再発し、少年が父親に相談した所、「やりかえせ」と言われ、やりかえしたらしい
しかし、いじめはなくならず、その後少年は父親に相談することはなく、担任にノートで訴えていたが、今回のような結果になった
写真を見ても、男子ながら、かなり可愛い子で、他のいじめられてた子にも「大丈夫?」と声をかけるなど、非常にいい子だったようだ
ちなみに、1年の時、学校側は、いじめの対応をしていたにもかかわらず、学校側は教育委員会にその年のいじめは「ゼロ」と報告していたらしい
こういういじめに蓋をしようというような体質の学校だから、担任もこの様な対応をしてしまったのではないかと思う
また、他の生徒もいじめを受けていたということを考えると、彼が自分が死ぬことで、いじめのことが大事になり見直されると考えて自殺したのかもしれないと思ったりした
いずれにせよ、自殺なんてしないで欲しい。何度でも親に相談して欲しいし、登校拒否したっていい。とにかく自殺は絶対駄目だから、なんとか生きて欲しい。