不登校とか、登校拒否というと、「学校がいやなんだな」「いじめとかがあるんだろう」と思われるかもしれないが、わたしの場合はそんなことはなかった。記憶にあるかぎりいじめられた経験はなく、仲のいい友達もいて、勉強も好きだったし、先生は完ぺきではなかったけれどやさしかった。
当時わたしの家では、父母が険悪で、まだ子どもだったわたしもふたりのあいだのことにかなり気をもんでいた。
学校から家に帰る途中、「家でお母さんが泣いてないかな」「落ち込んで死にたいって言ったらどうしよう」「また変な宗教みたいなのにお金をつかうのかなあ」と考えていた。
家に帰ってからは、「お父さんは今日、機嫌よく帰ってきてくれるかなあ」「またけんかになったらどうしよう」「怒ってたらどうしよう」と考えていた。
まわりの友達に、そんなことを悩んでいるような子はいなかった。いたとしてもわたしのように隠していたからわからなかった。毎日毎日、「帰ったらお母さんが自殺していたらどうしよう」、「帰って来たお父さんに殴られるかもしれない」と悩んでいることなんてだれにどういえばいいのかわからなかった。というか、家のなかのことを、だれかに相談するという発想じたいがなかったかもしれない。
だから、そんな悩みを抱えてないふつうの子たちに混ざって、ふつうの子のふりをして、なんの心配ごともありませんよ、という顔で、楽しく小学生、中学生をやろうとしていた。楽しいこともたくさんあった。学校でも、家でも。
ふつうの子ですよ、なんの心配ごともないですよ、なんて嘘だったからだ。友達も先生もやさしい。でもわたしは嘘をついていて、嘘を演じることにも、嘘をついていることじたいにも苦しさを感じるようになっていった。
学校は楽しい。でも苦しい。学校に行ったところで、どうせ家に帰ってこなきゃいけなくなる。だったら家にずっといたほうがまし。
そういう感じの思考回路だった…と思う。たぶん。
両親はわたしがどうして学校に行きたがらなくなったのか理解できなかったと思う。もしかしたらしようとしなかったのかも。ふたりにとっては学校に行くことは当然すべき義務であって、なぜとかどうしてとか考えるところではなかったのかもしれない。
とにかく、両親は、わたしをどうにか学校へ行かせようとした。父親はかなり強硬。母親は表面上わたしを理解しているような、気遣っているようなことを言うけど、正直者だからわたしほど嘘がうまくなくて、わたしを、というかわたしの状態をだいぶ鬱陶しく思っていることがビンビンに伝わってきた。というか、わたしが不登校であるということに母親が追い詰められている感があった。
で、どうにかこうにか、中一? 中二? くらいまでは行ったり行かなかったりをくりかえしていたけれども、ある朝、制服に着替えて、それでも気分が悪いとか学校に行きたくないとかごねているわたしを、父親が殴った。
わたしが逃げると、追いかけてきて、もう一発殴り、「殴らなきゃわからないやつだ」「絶対に学校に行け」と言って出勤していった。
そしてその日だか、そのつぎの日だかに、顔の腫れがひかないまま、みんな見て見ぬふりをしてくれないかな~などと願いつつ、教室に入った。
みんなやさしかったので、見て見ぬふりなどせず、女子も男子も関係なく、わたしのところへ来てくれて、「大丈夫!?」「どうしたの?」「保健室に行ったほうがいいんじゃない?」と口々に気づかってくれた。その友達に対し、「大丈夫だよ」「転んだ」「消毒はしてある」と返事している途中でどうしてもこらえられずに泣き出してしまって、そのあとをどうやり過ごしたのかさっぱり記憶にない。
いまだに唇にはそのときの傷が残っている。見た目にはわからないのだけど、さわると傷口の痕跡がわかるような感じで、ときどき、否応なく当時のことを思いださせてくれる。
わたしは勉強が好きで、けっこう成績もよかったので、もし不登校になることなくふつうに進級し、ふつうに進学していたら、けっこうまともな人生を歩めたのじゃないかな、とたまに思うことがある。
あのときがんばっていれば、いい高校に入り、いい大学に行って、みたいなことを思うこともある。小学生のころからやりなおしたいとか。
ただ、そう思うのは漠然と昔を思い出しているときだけで、当時のことを詳細に思いだすと、そんなのは無理だと理解する。
精いっぱいやったわけでもなかったし、最善を尽くしたわけでもないし、もっとできることが、もっといい方法があったかもしれない。
でも、もういちど繰り返したいと思えない日々をちゃんと生き抜いたんだからいいじゃないか、と考えて、いまを生きようと思っている、という、覚え書き。