はてなキーワード: 池上とは
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集II-11所収 ピンチョン「ヴァインランド」
岡地稔「あだ名で読む中世史 ヨーロッパ王侯貴族の名づけと家門意識をさかのぼる」☆
今尾恵介「ふしぎ地名巡り」★
奥野克巳「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」
ピーター・ゴドフリー=スミス「タコの心身問題 頭足類から考える意識の起源」
テッド・チャン「息吹」★★
ピエール・バイヤール「読んでいない本について堂々と語る方法」☆
イリヤ・ズバルスキー、サミュエル・ハッチンソン「レーニンをミイラにした男」☆
チャールズ・C・マン『1493――世界を変えた大陸間の「交換」』★★★
ジョン・サザーランド「ヒースクリフは殺人犯か? 19世紀小説の34の謎」
東京創元社編集部「年間日本SF傑作選 おうむの夢と操り人形」
高丘哲次「約束の果て―黒と紫の国―」
堀晃ほか「Genesis 一万年の午後 創元日本SFアンソロジー」
水見稜ほか「Genesis 白昼夢通信 (創元日本SFアンソロジー 2) 」
村上春樹「ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集」★
サリンジャー「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年」。
チョン・ソヨン「となりのヨンヒさん」
「ガラン版千一夜物語 1」★★★
「ガラン版千一夜物語 2」
「ガラン版千一夜物語 3」
「ガラン版千一夜物語 4」
「ガラン版千一夜物語 5」
「ガラン版千一夜物語 6」
ジョン・サザーランド「ジェイン・エアは幸せになれるか?―名作小説のさらなる謎」★★
ジョン・サザーランド「現代小説38の謎 『ユリシーズ』から『ロリータ』まで」
J・P・ホーガン「未来からのホットライン」
ロバート・アーウィン「必携アラビアン・ナイト 物語の迷宮へ」★
ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人」(光文社)★★★
ジュリアン・バーンズ「フロベールの鸚鵡」
イアン・マクドナルド「黎明の王 白昼の女王」
オルガ・トカルチュク「逃亡派」☆
ユヴァル・ノア・ハラリ「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」上巻☆
ユヴァル・ノア・ハラリ「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」下巻
住吉雅美「あぶない法哲学 常識に盾突く思考のレッスン」★★★
ルーシャス・シェパード「タボリンの鱗 竜のグリオールシリーズ短篇集」
オルガ・トカルチュク「昼の家、夜の家」
エイミー・B・グリーンフィールド『完璧な赤 「欲望の色」をめぐる帝国と密偵と大航海の物語』
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ4」
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ5」
タクブンジャ「ハバ犬を育てる話」☆
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ6」
ホアン・ミン・トゥオン「神々の時代」★
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ7」
ローデンバック「死都ブリュージュ」
ホセ・ドノソ「夜のみだらな鳥」
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」上巻
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」中巻
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」下巻
入江亜季「北北西に曇と往け」(一)~(四)
石黒正数「Present for me」
澤江ポンプ「近所の最果て」
カシワイ「光と窓」
月ごとに一番面白かった本を3冊選び、★をつけた。ただし、どうしても入れたかったものは☆をつけた。月ごとの順位なので、たとえばパク・ミンギュにはもっと星をつけたいのだがそれが反映されていない。
数えてみたが、2020年に読んだのは活字149冊、漫画22冊だった。毎月12冊から13冊読んでいると思っていたので、単純計算で150冊を超えると思ったが、ぎりぎり足りなかった。とはいえ、毎月10冊という目標は達成している。
1年を通して見ると、ノンフィクションばかり読む時期や、SFばかり読む時期などが明確に交代していることがわかる。特に、4月から6月はSFとファンタジーがほとんどだったが、8月以降SFを全くと言っていいほど読んでいないし、逆に11月、12月は1冊をのぞいてノンフィクションがない。
また、芥川賞をはじめとした日本の現代文学をほとんど手に取っていない。ベストセラーやエンタメ、ホラーもない。逆に、韓国やタイ、ペルーやチリなど、日米欧以外の海外文学の割合が高い。
意識してきたわけではないが、自分の好むジャンルは科学や歴史のノンフィクション、神話、行ったことのないラテンアメリカやアジアの文学、メタフィクション的であったり奇妙な味がしたりする短篇集、古典、であるようだ。一方で、女性作家の割合は低く、特に日本の現代女性作家をほとんど手に取ってない。一時期は多和田葉子だとか江國香織とかをよく読んでいたので女性作家が嫌いなわけではなく、ヴァージニア・ウルフも好きだし、ハン・ガンも自分の中では大当たりだったので、もう少し割合を増やしてもいいかもしれない(追記。身につまされる話よりも読んでいて気持ちのいい本を読む率も増えた)。
割合の話でいえば、大学時代はもう少し文豪の作品を多く読んでいたように記憶している。それと、いくつからの例外を除き、世間の動きや話題とは遊離したチョイスばかりである。世の中から目を背けているわけではないが、日々の雑事とはまた違う視点に立てたのはありがたかった。新型コロナウイルス関連の記事ばかり読んでいては気がめいってしまう。
今年は少し冊数が少なくなるかもしれないが、引き続き毎日の気晴らしとして、気が向いたものを好きなように読んでいきたい。
以上。
はじめに経済の専門家はないのだが、こういうニュースわからないと駄目だな。と思いつつ勉強していたらなんとなく分かるようになった人間だ。
なので自由にコメントして添削してくれ。もちろんわざと簡単にするために細部の正確性を犠牲にしたり、追加で説明したい事を省略している事を考慮してくれると嬉しい。(コメントでその当たりを指摘してくれると集合知になっていいかも。気にせずに指摘してほしい)
まず、経済学というのは、なんでも理屈をつけられるものの、結局、何かを予想できるものではない。という事は現実を見ればみなが知っていると思う。
経済は論理では大まかにも説明できない。謎の時代に生きている。逆にいうと飛んでも理論でも簡単に後付けできる。
なので意見がわかれるし、永久に終わらない議論になる。国語の感想が千差万別であるのと同じだ。物理学や統計学のようにはいかない。というのが私の見方である。
まず、基本的な知識として、人類は「金本位制」から「貨幣経済」に移行する事によって経済を大きく発展させた。
金は総量に限りがあるので、お金の動きが物理的な動きに縛られてしまう。
一方で「貨幣」は、「この紙切れを貨幣とする!」と国が決定する事でその価値をみんなが「信用」する事によって、価値が定まっている。さらに今は国家毎に通貨を決めているので、国の間でも貨幣の価値は相対的である。
「貨幣」を生み出す事で、経済は物理的な制約を取り払われ、経済取引の物理的制限がとりはらわれた。これは人類最大の発明であるかもしれない。
例えば、Aさんは100万円を銀行に預け、その100万円が銀行によって別のBさんに金利をつけて貸し出したとする。
Bさんがさらに別の銀行に預けたとする。そうすると、Aさんが預けた100万円と、Bさんが別の銀行に預けた100万円で、合計200万円が計算上は存在する事にある。
これが「信用創造」だ。物理のお金は増えてないのに、銀行の帳簿上のお金が増えていく。
Aさんは100万円持っていると思っている。Bさんも100万円を持っていると思っている。いつのまにかお金を持っている人が増えている素晴らしい。
こうやってお金が巡っていくと、物体として存在する実在のお金(マネタリーベース)よりも、帳簿上のお金(マネーストック)が増えていく。これがどれだけ増えているかが経済の指標だ。
経済が回っている(上向きに)というのは、この「信用創造」が生み出されている状態を言う。
逆に言うと、誰もお金を借りてくれなければ「信用創造」は生まれないわけだ。その状態は経済が停滞していると言う。
日本政府が行っているのは、現実のお金「マネタリーベース」を増やす事で、お金を借りる人が増えて「マネーストック」が増えるのでは?という事だだった。
だがみんな知っている通り、これは上手く行ってない。
当たり前だ。普通に考えて、別にお金がだぶついたから借りる人が増えるわけではない。
ただ、実は上がる可能性も万が一にも無いわけでもない。予想ができないのだから。なので、論理的でなくても、全否定も嘘になっていまうのが、難しい所なのだ。
さて使われないお金は、政府の支出として税金として使われているはずなので、民間には流れているわけだ。マネタリーベース(物体としての通貨の量)は確実に増える。
ただ、銀行は金利を稼ぐビジネスだ。ただお金を眠らせていると自分達の食い扶持が稼げない。
銀行はあなたのお金を投資に使うし、失敗すると銀行は倒産する。倒産すると、あなたの預金は、上限1千万までしか戻ってない。
いづれにしても、余ったお金は、そうして株式市場や債権市場に流れ込む。
日本の経済が株式の価格とかけ離れている事が指摘されているのはこれが理由だ。
同時にこうしたお金で底上げされた市場に対して、お金の供給が止まるとどうなるか。
市場の参加者は「あ。もうこれ以上あがらないな」と思ってお金をマーケットから引き上げるだろう。
なので、実体の伴わない株価の大暴落が始まる可能性がある。なのでもう止められないのだ。
ちなみに、株をやっている人の間では、金融緩和の話が出る度に「いやー。儲けさせてもらって悪いな」と話題になる。
今、コロナで全体として企業業績が市場最悪なのに、株式市場が上げているのはそういう理由だ。
いずれにしても、日本のように国債を発行して、それを日銀が無尽蔵に買う事で、刷ったお金が結局は、そう言った取引に流れているわけだ。
通貨発行量を十分にコントロールして、株価が成長しているアメリカの経済と比較すると異常だ。と言われる背景はここにある。
国が国債を発行し、それを日銀が(銀行を経由して)間接的に買うことで、日銀はマネタリーベースを増やしている。
ただ、無尽蔵にお金を印刷すると、そのお金は価値がないと見なされる日が来る。
なんせ、貨幣は金と違って紙切れなのだ。こうしてインフレが発生する。だが、日本円はまだその価値を保っていると言える。何故かはわからない。なぜなら根拠も無く印刷され、物理的に増えてしまった日本円の価値は論理的には下がっているはずなのだから。
だがマーケットとしては、まだそう言った反応はしてない。これは一重に「日本」が信用されているからとしか言いようがない。
ただ、一方で、日本円は既に貨幣価値に対する論理的な(物理的な?)根拠を失っていると言える。なので一度、価値が下がりはじめると、止まる要素が無い。と言われている。
だが「借金を返さなくても大丈夫だ」という主張をする人は「信用」という部分については触れない。もっとテクニカルに「日銀がお金を刷るから借金ではない」という話だけをしている。
それはそうだ。無からお金を生み出しているから誰にも返す必要はないのだ。
さて「国債」はやがて「償還」(利子をつけて国債を買ってくれた人に現金として返す事)を行う必要がある。
日銀は「国債」をたくさんもっているので、5年だったり10年の償還期限があり、期限が来たら、政府に現金を利子をつけて返してもらう必要がある。
これが「借金」と言われる所以だ。ちなみに、国債は金融商品なので、民間人でも購入する事ができる。期限が来たら利子をつけて政府がお金を返してくれる定期預金のようなものだ。
だが。日銀は国債の償還を、期限が来ても政府に迫らない。なぜならば日銀は政府の子会社のようなものだから、政府のいいようにコントロールできる。
でも決まりとして償還期限が来たら何かをしないといけない。それが経済のルールだ。
そのため日銀は、お金を返してもらうと同時に、新しい国債を買うのだ。
これを繰り返す事で、政府はお金を返さなくてよくなる。実質として「無期限の国債」というものができあがる。
政府は、日銀からどんなにお金を調達しても、そのお金を返す必要が無い。というからくりはこういう仕組みだ。
ちなみに正確には、政府から国債を買っているのは銀行だ。そして銀行から日銀が買っている。
わざわざマーケットを通して取引しているのは、そこに「市場の原理」が働いているように見せかけるためである。
だが実際にはみんなが知っている通り、国債は全て日銀に流れて行くのだが、そこは「建前」が必要なのだ。
ちなみに「日銀のバランスシートが-」などと言ったり、いろいろ視点を変えて話を難しくする事もできるが、基本はこんな感じだ。
今、各国がコロナ対策のためにやむを得ず、お金を大量に印刷している。
経済の刺激に使うためだ。
そのために現在起きているのが何か。というと金の価格の上昇だ。
もともは「信用」という「気分」によって維持されている貨幣が、貨幣の大量印刷によって物理的に価値が下がってきている。
その信用が崩壊する万が一の状況に備えて、物理的な価値が維持される「金」に資産を変換しておこう。という人々が出て切るのが現状だ。
日銀と安藤議員の会話に「国債残高が減るとマネーが減少します」という事は「日本国民は間違いなくまずしくなる」という事です。会話がある。
これは、よく知らないと正しい会話に聞こえるが、ハイパーインフレで、マネーがたくさんある国を想像して欲しい。その国は豊かな国だろうか?
もしこれが「金」のように価値がある程度固定されてものであれば、たくさんあれば良いにこしたことがない。
お金というのは、量が意味もなく増えると価値がなくなり、「信用」というものに基づいているため、こうした勘違いが起きる。
一方で「信用創造」で帳簿上のお金が増えるのは意味がある。それは経済が回っているからだ。
そう言ったケースでは、お金の需要が高まっているため、「マネタリーベース」もわずかに増やしてあげないと、いくら帳簿上でお金が動くと言っても、市場でお金が上手く回らない。
経済が上向いていると、貨幣の流通量があがあり、わずかにインフレになり、インフレの目標を設定するというというのはこうした背景になる。
ただ、国がただお金を刷って市中に回して「マネタリーベース」が増えるのは、実体の経済を何も伴ってないため、貨幣の価値を落とすだけなのである。
東京都知事選って、「この顔触れで選べって、カレー味のウンコか、ウンコ味のカレーか?の究極の選択肢しかない」的なツイートばかり目にする。
まあ小池百合子と丸川珠代だと、カレー味のウンコか、ウンコ味のカレーだろうな。
山本太郎が参戦するかも、元官僚の古賀とか前川とか、熱血修造とかも参戦するかもだが。
カレー味のウンコか、ウンコ味のカレーか、と嘆く前に、「カレー味のカレー」を、はてな民が探しだして、その人に出馬を促せば、いいじゃないか?
ということで、3人ほどカレー味のカレーを用意した。(うち2人は冗談だが)
お前らも、「この人なら、都知事に向いてる」という人を推薦してくれ。
社長も辞めてヒマなんだし、選挙資金はあるし、いいんじゃないか?
「都民のみなさんに100万円お年玉です!」とか「都民を月に連れて行きます」なんて、夢があって、いいんじゃないか?
ただ、本人にその気はないだろう。
知名度が都知事の必須条件ならば、池上無双ほど「最強の知名度」を有してる候補はいない。
但し、本人がやる気かどうかは知らん。
上2人は冗談だが、ここは本気。
都市行政に詳しく、首長経験があり、かつ反安倍なスタンスな人は、この人しか思い付かない。
九大起業部がスタートアップ11社創業したそうなので見に行ったら、低品質キュレーションサイトが11個並んでいた悲しみ
https://ushigyu.net/2019/10/04/kyushu-university-start-up-club/
よくこんな恥ずかしいことでスタートアップとかいえるなキュレーションとかいつの時代だよwwwwwwwwwwww9大って偏差値低いのか?
1. C.U.E.株式会社 / 代表:成重椋太 / インターネットメディア事業( 英会話・留学)
C.U.E. | 初心者に楽しい英語学習を!就活のための留学を!
2. メルシオン株式会社 / 代表:尾木竜司 / インターネットメディア事業(葬儀・墓・終活)
3. 株式会社nearprog / 代表:松尾信之介 / インターネットメディア事業(プログラミング)
4. dear株式会社/ 代表: 池本彪流 / インターネットメディア事業( 交通事故)
こみゅにかんず
5. 株式会社Ongame / 代表:赤瀬太郎 / インターネットメディア事業( 占い)
6. re.PORT株式会社 / 代表:池上慶悟 / インターネットメディア事業(債務整理)
7 .株式会社おおすな / 代表:桐原徹真 / インターネットメディア事業( 保険・金融・法律)
8. 株式会社zer0 / 代表:梶原悠矢 / インターネットメディア事業( 探偵・人探し)
9 .株式会社Snow Drop / 代表:宮坂安惟良 / インターネットメディア事業( 結婚・婚活)
こい婚 | 来い!濃い!婚活!
10. 株式会社Qupress / 代表:小島涼 / インターネットメディア事業(資格)
どう見ても何十万人、100万人と呼ばれてもおかしくないだけの数のデモ隊だったのに
こんな風にNHKがどうやらかなり偏った報道をしているし、13日からはそもそも報道しない手に出たらしい。
まぁ理由は国からの圧力か中国本土でNHKの放送が頻繁に切られてることがあるのかもしれないので何とも言わないが。
ただ、今は結構飽和状態でなにを見たら分からない状態だし、これといって簡潔に香港の歴史とデモについて説明できているものが少ないのが現状だ。
池上がテレ朝で香港解説してくれたらいいが、池上もどこまで信用していいのか測りかねる。
なにもできないのか…。それはあまりにも心苦しい。
言論の自由を奪われることは日本でも議論されることがあるが、日本が自由警戒レベル3だとしたら香港はもうレベル8になってしまっている。
中国の人との交流をしなくてもいいと言う人もいるかもしれないが、
向こうの歴史や地理、文化を経験してきた人と交流を絶たれてしまうのは多大なる損質だと考えている。
取り返しがつかなくなる前に、なにかをしたい。どうにかできないんだろうか…。
以下現実的では無い案
・トランプに催眠術をかけて中国との対立を止めさせ規制緩和を促す
・ゆりやんレトリーバーにオーディション番組で香港について訴えてもらう
元事務次官さんがひきこもり息子さんを殺した件で、"息子の無差別殺人を阻止するために已む無く刃物を使ったのであれば正当防衛が成立する余地がある"とかいう人がいたけれど、うちの職場の若手(独身男性)で似たようなことをいう奴がいた。
さすがに正当防衛とまでは言ってないが、親としての責任を果たした云々とか、ひょっとしたら逆張りでウケを狙っただけかもしれないけど。
それで、人の親としてどう思いますかって話を向けられたから、"将来悪いことをする奴は殺して良いってオウム真理教のポアと同じだよね、とても賛同できない"って答えたら、その場にいた平成生まれさんたちが"ポアってなんですか?"という反応だったので正直驚いた。
きたよきたよジェネレーションギャップ! まぁ、いままでもそれをひしひしと感じていたが、まさがオウムネタまでアウトとはね。
各種メディアが展開した"さよなら平成企画"とか少しも目にしなかったのかよ、池上さんとかすごく張り切って頑張っていたのに。
まぁ、自分が若手だった頃、全共闘の話にポカンとしていたのと同じなんだろうなぁ。風化ってこわいね。
そういうことなら、オウムじゃなくて『マイノリティ・リポート』の話にしておけば良かった。
日本社会は表向き実力主義、成果主義を掲げつつ、未だ学歴主義体質が根強いと言われている(渡辺,2006)。そのような社会の中で、大学進学者の割合が初めて5割を超え(文部科学省,2009)、数十年前と比較して高学歴化が進んでいる。全入時代までは至らないが、志望大学に拘らなければ受験生の9割超が大学に進学できる時代となった。今後は大卒の肩書きのみでなく、大学の知名度や質を重視する傾向が強まり、受験競争はさらに激化するとも考えられる。ここで問題となるのが、受験という競争に伴う敗者と勝者の存在である。彼らが過剰な挫折感や劣等感、あるいは優越感に囚われた場合、学歴コンプレックスとして諸々の心理的、社会的な問題を引き起こす。しかし現状は、定義自体が曖昧であるため、研究者独自の概念や言葉で当問題が扱われている。そこで、今回は心理学分野での学歴コンプレックスに関する研究に注目し、考察と今後の展望を述べることとする。
学歴コンプレックスとは、不満足の原因を自己あるいは他者の学歴に関連づけることで感じる、劣等感や自尊心のこと(鷲田,1995)であり、学歴に対して劣等感を抱く場合と学歴への誇大な自尊心を抱く場合の2層に分けられる。両層に共通する主な特徴は、以下の3点に集約される。第1に、自己の実力不足や失敗を過度に学歴に帰属すること、第2に、自己だけでなく他者をも学歴で評価すること、そして最後に、学歴ばかりに囚われ学業という本来の目的を見失いかねないことである。これらの根底には、学歴が高いほど将来は報われると考える「学歴社会意識」(安藤,2007)や有名大学の進学のみに価値を見出す「学校歴主義」(野田,1996)といった学歴志向の存在が窺える。層別に見ると、劣等感層では上述の志向に加え、入試時に第1志望に落ちて仕方なく所属大学に入った「不本意入学」(伊藤、1995)がコンプレックスの主要因となっている。そして、不本意感から多浪や仮面浪人、退学を繰り返す再受験症候群や、国公立大の進学者を優遇する国公立大学至上主義下での私大進学者なども本層に含まれる。一方、誇大な自尊心層では、学歴社会の勝者であるがゆえに、学歴に比例して自己を過大評価する傾向がある。その裏には人柄や実力よりも学歴イメージが先行する、レッテルとしての学歴の影響が見られる。その他、学歴に見合った社会的待遇でないと受け入れられない学歴保証の希求や、就職時に多い高学歴者の挫折体験等の問題も挙げられている。これらの学歴コンプレックスに伴い、失敗感、挫折感からくる無気力や自尊心低下、不本意感に由来する不適応や抑うつ状態といった心理的問題に加え、充実感や生き甲斐の欠如、自我同一性拡散の深化など、生き方そのものに関わる問題の存在も示唆されている。また、学歴志向や進学観が親子間で継承される(吉川,2005)ように、親子間でのコンプレックスの継承や家庭内の学歴格差によるコンプレックスなど、個人のみでなく世代間に学歴問題が発展する可能性もある。
先行研究は、学歴コンプレックスを多側面から検討し、日本独自の学歴観や学歴の持つ意味、学歴が認知や思考に及ぼす影響について言及した点で、学歴問題の諸相と今後の研究可能性を提示した意義を有する。今後の展望としては、同じ状況下で不適応に陥る人とそうでない人との相違や学歴にまつわる不適応への対処法など、臨床実践に向けた研究を進めていく必要がある。
安藤聡一朗 (2007).学歴社会意識とスチューデント・アパシーとの関係についての考察 学習院大学人文科学論集,16,137-165.
池上知子 (2004).「学歴社会」に対する意識と大学の自己同一視との関係 愛知教育大学研究報告(教育科学),53,79-86.
伊藤美奈子 (1995).不本意就学類型化の試みとその特徴についての検討 青年心理学研究,7,30-41.
吉川徹 (2005).7-106間移動を考える.日本教育社会学会大会発表要旨集録,(57),44-45.
文部科学省 (2009).平成21年度学校基本調査.2010/02/02情報取得
野田陽子 (1996).学歴観の構良智 (学生とその親の学歴観の分析をとおして― 淑徳大学研究紀要,30(II),87-113.
鷲田小弥太 (2005).コンプレックスに勝つ人、負ける人PHP研究所渡辺山.
知的だったり公的であったりに見える番組も、所詮民放だし、所詮バラエティだということだなあ。
万能の天才・池上さんを演出したほうが、そりゃカリスマ性はつくだろう。
もちろんジャーナリズムとしては問題があるが、報道番組だった訳じゃないしそこはグレーな気がする。
それよりなにより、個人的にはこれは、番組スタッフ、しかもトップに近い地位の人間が無能なんだと思う。番組の演出として池上さんに言わせてもいいですか?→ダメだよ。なんてことはきっと昔からあったんだろうが、SNS全盛の現代でそれをやったら、そりゃ取材受けた人はばらすし、炎上もするさ。
池上彰氏、疑惑に「あってはならないし、ありえない」 「他人の意見を自分の意見に...」主張へ反論
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180910-00000013-jct-soci&p=2
それによると、八幡さんは、池上さんの番組の取材で時間をかけて意見を述べたが、「池上の番組の方針で、番組では八幡さんの意見ではなく池上の意見として紹介しますがご了解いただけるでしょうか」といった内容のことを言われたという。
これに対し、八幡さんは、「私が言ったことをいっさい使ったりよく似たことを池上に言わせないように」などと番組の申し出を断ったといい、「こんなのがジャーナリストのような顔してるのがおかしい」と疑問を投げかけている。
意見自体には著作権はないだろうけど、取材しておきながら誰の意見かを言わないのはマナー的な問題ではありそうだね。
しかし、いくら釘を刺すにしても「私が言ったことをいっさい使ったりよく似たことを池上に言わせないように」はさすがに度を超えている気がする。
直接人の意見に触れていようがそうでなかろうが、意見なんて似たり寄ったりになりがちなのに、「私が言ったことをいっさい使ったりよく似たことを池上に言わせないように」では言論の自由が保障されなくなる気がする。