はてなキーワード: 植物とは
人間は肉を食べないバランスの悪い食事をすると結石で死ぬようにできているし、農耕を開発して植物を奴隷化して以来は野生の動植物で生きていく能力も捨てている
ヴィーガニズムなんて聞きかじりの仏教思想とアブラハムの信仰と啓蒙思想とマゾヒズムが悪魔合体したもんだろ、だから乳幼児を栄養失調に追い込むような残虐行為ができるんじゃないのか
レイプという単語には違和感を覚えたし、恐怖の捉え方も擬人主義的に感じた。
もちろん「実際のところ家畜は喜んで殺されているかもしれないぞ」なんて思ってもないし言うつもりもないけど、不確実な部分をさもこうだとむやみに感情を揺さぶるワードで畳みかけてくるやり方は誠実な態度じゃあない。江戸しぐさと変わらん。
もう畜産なんて野蛮な文化はやめましょーね、で家畜を野生に還したとして、そちらの生活の方が恐怖や暴力と隣り合わせかもしれないし、もはやすでに野生化した家畜が暮らせる場所なんてないわけで害獣扱いで結局人間に殺されるというオチもつくかも。
食事という単なる嗜好のために生き物を殺すことの是非については、特に答えを持ち合わせてないけど、だったら植物だって生きてるよ? とは言いたい。
もう有機物を食べるのやめる?
食から離れて、害獣や害虫の駆除とか、人体に有害なウィルスや菌の撲滅とかさ。ミミズもオケラもみんな生きてるよ? 友達ではないけど。
いったいどこに線を引けば、恣意的な選別じゃあなくなるんだろね。
脊椎動物はおろか、昆虫でさえも性的アピールをするのはオスがほとんどです。果ては植物でさえ、オスが花粉を一生懸命飛ばして、メスはそれが来るのをひたすら待っているという関係が保存されていますから、増田さんのいうとおり生物の基本的な特性かも知れませんね。
ヒト以外の動物の性欲を調べるのは簡単ではありませんが、一般的にオスの方が性欲が高いと考えてまず間違いないでしょう。ヒトでは男性の方が、女性に比べて10倍ほど性欲が高いと考えられているようです。私自身は男性ですが、本当に四六時中すけべなことばかり考えていますが、それをおくびにもださずに社会生活を送っているのです。増田さんはどうですか?
女性が性に積極的だとはしたないと言われることがあるようですが、これは文化的なものであると考えられます。生理的な特性を反映している可能性はありますが、詳細はわかりません。私の想像では、ほとんどの男性はエッチな女性はウェルカムですから、「はしたない」と言うのは女性(母親・祖母)主導で形成された文化ではないかと思います。増田さんの意見はどうですか?
僕から〈〉には一度告白している。そのときに今まで通り友達として仲良くしましょうと言われた。
それからも僕の好きな気持ちは変わらないままだったが、ちょっとした出来事から〈〉と距離を置いている状態になっている。
これは距離を置いてる間に自分の気持ちを整理したもので、いずれ〈〉に伝えるつもりでいる。
一気に書いたので読みづらいと思いますが、みなさんの感想が聞きたいです。
以下、本文。
僕は気分が落ち込んでいるときには負の感情が優位になってしまう。さらにそこに恋愛要素が絡むとめんどくさいメンヘラみたいになる。好きな人に対して距離を置きたい、心配させたいなどと考えてしまう傾向がある。そのため、僕は過去に、何度か〈〉と距離を置きたいと思ったことがある。しかし、距離を置きたいと思っていても、〈〉に会ってしまうと好きな気持ち、一緒にいたい気持ちの方が勝ってしまい、結局いつも失敗に終わっていた。
だけど、今回こうやって数日の間、距離を置くことができてしまった。おそらく今回は今までの距離を置きたいと思った気持ちの蓄積にダメ押しのエピソードが来たことが原因だと思う。
それは、1/9 にサークルのミーティングが17:30くらいに終わった日のことだ。僕は〈〉と一緒に帰るつもりで待っていたけど、〈〉には用事があって一緒に帰れなかった。冷静に考えれば仕方のないことだけれど、当時の僕はミーティングの日は〈〉と一緒に帰れる日だと思っていたから、ちょっと卑屈になってしまった。それで、次の3連休のうちに遊びに誘われなかったら、〈〉とは距離を置こうと思った。
実際、3連休のうちに〈〉に誘われることは無かった。そして連休明けの日、資料ができあがったので、サークルに寄ったら〈〉がいた。会わないと決意していたから、すぐに図書館に移動して時間を潰し、もういないだろと思って18時ごろに戻ってみた。だけど、その日は珍しく、まだ〈〉が残っていた。そこで決意した気持ちが揺らいでしまった。もしかしたら、一緒に帰れるかもしれないと思った。だから「何時に帰るの?」と聞いた。その答えは、「友達を飯に誘ったけど、19:30ごろまでかかりそうだから待ってる」というものだった。そこで僕は思ってしまった。
「〈〉はたとえ遅くまで待ってでも、僕じゃなくて別の友達を誘ったんだ。そもそも、食事に誘う選択肢の中に僕はいたのだろうか。思えば、この前も19時ごろまでいたな。もしかして今日みたいに友達を待ってたのかな。僕じゃない友達はこんなに短期間で遊べるのに、僕は多くて1週間に1度しか遊べないのにな。やっぱり〈〉の友達の中で、僕は優先順位が一番低いんだろうな。口では大切な友達だって言ってたけど、もしかしたら、僕のことを鬱陶しくて面倒なやつだと思っているのかもな。僕はこんなに〈〉の中で特別になりたいと思っているのにバカみたいだ。もういいや、もうこんな辛い思いはしたくないから、〈〉とは距離を置こう。」
今まで、薄々と感じていたものが浮き彫りになった気がして、今までよりも強く距離を置こうと思った。だから、僕が〈〉のことをなんとも思わなくなるまで、〈〉とは会わないことにした。また、〈〉からの一切を遮断するためLINEのブロックもした。
それから数日距離を置いてみたが、結果として、僕は〈〉を好きなままだった。最初の方は〈〉のことをどうでもいいと思えた。だけど、〈〉を好きな気持ち、大切に思う気持ちは数日で元に戻ってしまった。距離を置いたことで冷静になり気持ちの整理もできた。LINEも〈〉を不安にさせる可能性があるため、すぐにブロックを解除した。
なぜ、僕はこんなに〈〉に魅了されているんだろうと考えた。一番大きい理由は、好きになった人と仲良くなれて、かつ自分の中の大切な部分を受け止められたことが、今まで生きてきて初めてだったからだと思う。
僕はそもそも恋愛においてのモチベーションが低い。出会いを求めることはしないし、好きな人ができても何事もなく終わっていた。ただ、好きな人と親しくなると、一気に火がついて相手のことで頭がいっぱいになってしまう。
前にも話したけど、過去に一度、好きな人と仲良くなれたケースがあった。そのときも相手のことで頭がいっぱいになった。そして、自分を知ってもらおうとした。自分の気持ちを抑えられなくなり、一人で先走って告白し、迷惑をかけて嫌われてしまった。
僕はそうした苦い経験から、身勝手な告白はやめようと思った。せめて、次に告白するときは慎重にしようと思った。そんななか、〈〉と出会って、〈〉を好きになってしまった。そして、運良く〈〉と仲良くなれた。それでまた火がついてしまった。また自分を知ってもらいたいと思ってしまった。好きな人に嘘をつき続けることに耐えられなかった。そうしてまた、なんの前触れもなく告白してしまった。それなのに〈〉は動揺と嫌悪感があるのにも関わらず、弱っている僕のことを思いやってくれた。今までと変わらず僕と仲良くしてくれた。
〈〉はその対応を普通のことだと思っているみたいだけど、告白を受けても今までと変わらず接してくれる人なんて少数派だと僕は思っている。ほとんどの人は今まで仲良くしてきた人が実は自分に恋愛感情を持っていたことに困惑する。そして、今までの関係は下心からくるものかもしれないと感じて、生理的な嫌悪感を得ると思う。なによりも、過去の関係をグシャグシャにされて、未来の関係に重荷を背負わされることに耐えられないと思う。そんな面倒で気持ちの悪い対象と距離を置こうと思うのは当前だと思う。
そういったことを頭で理解していても、きっと僕はなんども同じ過ちを繰り返すと思う。ある程度は自分の感情のコントロールをできるようになってきたとは思うけど、誰かを好きになると、自分でコントロールできる範囲を超え、気持ちが不安定になってしまう。そんな状況で、なにかきっかけとなる出来事が起こってしまえば、また突然告白してしまうだろう。そうしてまた大切な関係を壊してしまう。僕にはそれが耐えられない。
まとめると、僕は好きな人と仲良くなることが少ないし、自分から好きな人に距離を詰めようとは思わない。しかし、運良く親しくなれると感情のバランスが崩れ、ふとした拍子に告白してしまう。その告白が成功する確率は相当低い。だから多くの人は告白を受けると距離を置く。僕は相手に迷惑をかけたことへの罪悪感と失恋のショックで病んでしまう。そんななか、〈〉は僕から離れていかなかったし、優しくしてくれた。〈〉は僕の中でなによりも大切な人になった。だけど、〈〉にとっての僕は数ある友達の中の一人だ。しかも付き合いも浅い。僕は〈〉に大切にされていないと感じてしまい、距離を置いた。それで冷静になったが、結局〈〉のことは好きなままだった。他の誰かを好きになってお互いに傷ついてしまうなら、たとえ〈〉の特別になれなくても、〈〉をずっと好きでいたいというのが今の僕の気持ち。
自分の想いを言葉にして伝えることは安易で子供っぽいけど、自分を知ってもらうには一番の近道だと思っている。
〈〉の恋愛対象になれないことは分かっているけど、大切な何かにはなれるんじゃないかという期待がある。僕は自分の価値がよくわからないけど、〈〉に必要とされたときに自分の価値を感じる。〈〉に必要とされるには、〈〉の友達とは異なる立ち位置の友達になることが必要なんだと思う。僕は〈〉がストレスを感じず、自然体でいられるような存在になりたい。そのために、二人いないとできないことや友達に頼むには躊躇するようなことを僕相手に試してもらってもいい。良い例が浮かばないけど、たとえば愚痴を言う相手とかにしてもらってもいい。愚痴を聞くのが好きな人ってほとんどいないと思うから、きっと〈〉の友達も愚痴は聞きたくないはず?。僕は頼りないけど、自分一人でなにかを抱え込む辛さはよく知っているので、そういったモヤモヤした感情のはけ口になれたらいいなと思っている。きっと、ぬいぐるみや植物に話しかけるよりはスッキリすると思う。これはあくまで一例で、一人よりは二人のほうが楽だったり、楽しかったり、勇気がなくて一人ではできないことだったり、協力してほしいことだったり、そんな感じのを思いついたら僕に言ってほしい。
〈〉に迷惑をかけたくない・嫌がることをしたくない気持ちと、〈〉の喜ぶことをしたい・楽しませたいという気持ちがある。だけど、〈〉が僕にしてほしい(ほしくない)ことが分からない。そのため、なにをすればいいか(しなければいいか)が分からない。だから、細かいところでも気になったことがあったら言ってほしい。前にも言ったように、僕相手に気を使わないでほしい。本音で話されないほうが傷つく。
あってるかどうかを4段階評価で書いてほしい。気をつかったら僕のためにならない。
( 1, あてはまらない, 2, あまりあてはまらない、3, 少しあてはまる、4, あてはまる )
・僕になにかをされなくても現状に不満がない
・たとえ精神面でも僕を頼るつもりはない
・僕の内面の話に興味がない
・僕に気を使っている、遠慮している
・僕のことを面倒くさいと思っている
・他の友達といるほうが楽だ
・他の友達と同じように僕と接することはできない
・卒業したら僕とは縁を切るつもりだ
1, 〈〉がサークルに来たときは遊べるんじゃないかと思って期待してしまう。特にミーティングの後は見極めづらい。一緒に遊べないことが分かると暗い気持ちになってしまう。少しでもダメージを減らすために、サークルに来るときで一緒に遊べない日は前もって何らかの合図がほしい。早めに合図してほしいけど、遅い時間に友達から誘われたときは仕方がないのでそのときでいい。
2, もっと遊びたい。現状だと、1週間に1度遊べたらいい方なのが辛い。いつも平日の遅い時間しか遊べないのが辛い。休日も遊びたい。分かっている。〈〉にも1人の時間が必要なことが分かっている。〈〉には大切な友達がいることも分かっている。でも、このままだと卒業するまでにあと数回しか遊べない。辛い。本当は毎日遊べるかどうかを聞きたいけど、迷惑になることが分かっているから、僕からは連絡することができない。どうすればいい?
今回、距離を置いてみたことで分かったけど、おそらく僕は卒業してもずっと〈〉を好きだと思う。だから、近くに行く機会があるときはついでに会いに行きたい。〈〉が帰省するときも会いたい。
今、自分で見返してみて、自分の女々しさ、面倒臭さ、好きな人にすがりつく姿勢がにじみ出ちゃってるなと思った。
やっぱり、相手のことを考えるなら、こういう気持ちは伝えないほうがいいのかな。
分からない。
なぜ動物愛護主義には説得力がないのか。それは差別愛だからである。
本来、差別なくすべてのものに愛を差し伸べよう、という理想があるはずなのにそうはなっていないからである。
だから、そもそも差別に居直って理想も何も掲げていない人間よりは、彼らの方がまだマシなのだが、
人間というものは度し難く、理想を掲げない人間よりも掲げておきながらそれを為さない人間の方を憎む。
反捕鯨主義者は、クジラやイルカを殺すのを嫌う。それらには高い知性があるから。知性がなければ殺していいのか?
動物愛護主義者は、動物を苦しめるのを嫌う。それらには痛覚があるから。痛覚がなければ苦しめていいのか?
ベジタリアンは、今日も平気な顔をして野菜を拷問する。牛に喰われる飼料になるよりは、人間様に喰われた方がマシだろう?
彼らは動物のためとのたまっていながら、本質的に人間至上主義なことを見透かされている。
「動物にも人間と同じく痛覚や知性がある、植物は違う」というのでは、「植物にも動物と同じく生命がある」に対抗する説得力は持ち得ない。
「動物にも植物にも人間と同じく生命がある。人間はそれを喰って生きるか、喰わずに死ぬかだ。俺は喰う」と言われれば、何も言い返せないのである。
彼らは植物差別者である。そして、本質的には人間至上主義者である。もちろん、それは動物差別者でいることに何の罪悪感も抱かない人間どもよりは数倍マシな態度ではある。
いや~ほんと子供向けだねぇ
たまたまAmazonプライムで新造人間キャシャーン配信してたんで見たけど
うーん
初っ端から人間が自然環境回復のために作ったアンドロイドが雷に打たれて暴走とかさ
それなのに都合よく電子頭脳も破壊されずに、おかしな挙動するだけって
いやそもそもロボットに汚染された自然環境を回復させるって何やらせるんでしょうね
砂漠に木でも植えるのか?
んなことより汚染された環境で育つ植物でも作ったほうが良いんじゃないの?
汚染物質を吸収して無害化する植物…完全に風の谷のナウシカになっちゃうな
で
どういう原理なんだよ。
ドクター・ゲロの人造人間だって全くの無から作った方が強かったわけだし
人間をロボットにするならコピーしたロボットを作るほうが良いのでは?
それとももしかして、ホンモノの鉄也は冷凍睡眠かなんかで眠らされてて、キャシャーンは鉄也の記憶を移植されたロボットだったってオチなの?
普通に人間とロボット融合させたとしても人間の部分が弱点になると思うんだけど?
ていうか、ブライキングボスはよくあんな短時間であんなに大量のロボット作り出せたな。
それとも単にブライキングボスがロボット作ってる間人間は手をこまねいてただけなの?
いやぶっちゃけ戦車持ってきてだめなら航空機から爆弾でも何でも落としてあの城ごと破壊すりゃええやん
そもそも軍隊出動って時点でブライキングボスの脅威度は分かってただろうし
そこであえて、地形変わるぐらいの爆弾使うのをためらう必要性がわからんわ。
あともう突っ込んじゃだめなんだろうけど、あの犬型ロボット。
ピカチュウは「ピカチュウ!」や「ピカ!」「チュウ!(チャア)」となく。
アニメの世界はある程度のポケモンが名前の鳴き声をしてくる。(一部、ロケット団のニャースやイシツブテ、ヒトデマンなどは例外)
では、鳴き声が先なのか、名前が先なのかを考えてみよう。
例えば、犬が「ワンワン」となくから「ワンコ」というように、鳴き声から名前が作られているという派閥。
ほとんど無理筋がない意見であるのだが、いかんせんイシツブテのラッシャイ!や、ヒトデマンのデュワ!があるため、苦しい部分もある。
「そんなバカな事があるはずがない」と言われる意見だが、概ね2つの意見がある。
ニャースや、ピカチュウが喋れるように、ポケモンは従来の「動物」に比べて知能が高く、喋ることも可能ということがアニメでは示されている。
また、伝説のポケモンのミュウツーやルギア、アルセウスなどは実際に喋ったり、テレパシーを使うことで人間と意思疎通が可能である。
その為、人間からは自分たちがなんと呼ばれているかを察して、鳴いているという意見である。
但し、ニックネームをつけても共通の鳴き声なのはなぜかで議論が行われる。
例えば、英語圏では犬の鳴き声は「bow-wow(バウワウ)」と表すが、日本人にとってはやはり「バウワウ」ではなく「ワンワン」である。
ポケモンの本来の鳴き声は電子音であると主張する派閥によって作り上げられた意見で、日本とサトシが冒険する地方の言語は違うため、その翻訳としてポケモンたちの鳴き声はポケモンの名前を模した物を声優が当てているという意見である。
また、実際に狐が「コンッ」、雉が「ケーン」と鳴かないように子供向けに鳴き声のデフォルメが行われているという意見も。
しかし、これに関してはゲームのピカチュウの鳴き声が大谷育江になり「ピカチュウ」と鳴くようになっためそことのすり合わせが現在でも行われている。ピカチュウの本来の鳴き声は「ピッカァ!」なのか「ヂュードゥルイ!」なのかが現在も激しく議論されている。
・ポケモンは新種が発見される度に、既存の生き物は姿を消していっている。(但しこの設定は消えつつある)
→恐らく、既存の生き物がポケモンへと移り変わっているという意味。その為、例えば、犬から派生したと思われるガーディは「ワン」ではなく「ガン」と鳴くなどモチーフを引き継ぐ性質があるようだ。逆に鳴き声がわかりにくい魚や植物はポケモンの名前に沿った鳴き声がされている。
→初代のポケモン図鑑、ライチュウとゴースの説明にインドぞうが存在することが記されている。ただし、アニメでは既存の生き物は描写されていない。
→例えばこの世でも「人間は神が作った」という神話があるように。じゃないと、ミュウの細胞からポケモンが生まれた、アルセウスが世界を作ったと大変訳がわからない状況になる。また、あくまでもミュウがポケモンの祖先なのではというのは仮説である。
「ブログの文章や画像をパクったサイトを作られた! しかもググったら私のブログより上に出てくる!」といった話を見聞きするようになった。
細々とブログを運営している私には対岸の火事と思っていたのだが、先日、私のブログもパクリ被害を受けた。そこで泣き寝入りせず、逃げ得させない方針で対抗し、ある程度、成功を収めたので、個人情報などはぼかしつつ、その経験を共有したい。
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私がパクリに気付いたのは、外出先で自分の記事を確認しようと、最新の記事タイトルで検索した時のこと。検索一覧で、自分のブログのすぐ下に、見慣れない名前のサイトが現れたのだ。「たまたま同じタイトルの記事を書いた人がいるのかな?」と確認すると、文章も画像も私のブログとまったく同じ。
「パクられてる・・・」
血の気が引いた。パクリサイトを詳しく見ると、なぜか記事の筆者として私のIDが示されている。私のIDをクリックすると、“私の記事一覧”なるページへ移動。そこには、これまで数カ月の私のブログのパクリ記事が並んでいた。
パクられていたのは私だけではない。パクリサイトの最近の投稿を見ると、数十もの異なったブログから記事をパクっていた。
パクられているブログには共通点があった。それはブログの更新情報を伝える「RSS全文配信」という仕組みを使っているブログを利用していること。
RSSはブログなどを登録すると、記事更新があった時にすぐに伝えてもらえる仕組み。仕組み自体は便利なのだが、パクリサイトは伝えられた更新情報を悪用し、即座に記事の内容をそのまま自動的にパクリサイトにアップしていたのだ。「RSS全文配信」ではなく、「RSS一部配信」なら防げるのだが、例えば、このはてな匿名ダイアリーの親戚であるはてなブログではRSS全文配信しか選べないので、こうした被害を受けやすい。
キュレーションサイトを自称するそのパクリサイトには注意書きがあった。
「リンクさせていただいた際には、運営者さまへご連絡させていただき、ご承諾いただいた上で当サイトは運営しております。 万が一、こちらの不手際でご連絡差し上げておらず、ご承諾をいただいてないブログ運営者で、リンクを外してほしいとのご要望がございましたら、すみやかに誠心誠意対応させていただきますので、よろしくお願いいたします」
何が“誠心誠意”だ、こんなパクリサイトへの転載を承諾しているわけがない。
私と同じく記事をパクられていて、連絡先が分かった人に確認すると、やはり「まったく連絡はいただいておりません!」との返事がきた。つまり、この注意書きには、パクリ元に見つかったらミスと言い逃れ、第三者からの通報も抑止しようという、悪質な意図が込められていることになる。
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どうすればいいのか。
パクリサイトには問い合わせページが用意されていたので、そこから連絡し、私のブログをパクったページを削除させるのは簡単だろう。しかし、それではパクリサイト運営で得た収入をなくせるわけではないし、私以外からパクった記事も削除されない。
そこでWELQ問題の際、パクられた写真の利用料(賠償金)を請求した例にならうことにした。パクリサイト運営者が今までに得た収入を上回る利用料をとれれば、パクリサイトを運営する動機も消滅するのではないかと。
参考:キュレーションメディアに写真をパクられたので請求書を送って、18万円支払ってもらった(https://www.photo-yatra.tokyo/blog/archives/11079)
パクリサイトは1日1万5000ページビューと自称しており、Google Adsenseの広告を利用していた。Google Adsenseだと収入はざっくりページビューの10分の1円ほど、つまり1日1500円の収入。パクリサイトの過去記事を見ると数年運営していたので、100万円以上得ていると推測した。
問題はパクリ行為で100万円以上請求する根拠である。ほとんどのブログと同様、私のブログも「記事をパクったら●万円!」「写真は●万円で販売中」などとは示していない。また、パクられた写真すべてが「自分が完全に著作権を持っている写真」と自信を持って言えるかという問題もある。例えば、肖像権が含まれる人物写真やロゴ・キャラクター商品の写真、サイトのキャプチャー、ゲームの1シーン、マンガのコマなどは難しい。
そこで発想を転換することにした。今までパクられた記事の利用料をとるのではなく、確実に私に著作権がある有料写真を大量に含んだ記事を作成し、それをパクらせた上で利用料をとればいいのではないか、と。
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さっそく外出して、公園や雲、植物など、権利を侵害しない写真を撮影。私が撮影した証拠にもなるよう、一部の写真には私のメールアドレスを書いた紙も写りこむようにした。一応、有料販売する体裁なので、ピンボケなどしないように気を遣い、できる限り良い写真を撮ることに努めた。
こうして撮影した写真をブログに掲載していくのだが、注意すべきはブログサービスの規約。例えば、はてなブログでは「記事内での直接販売」を禁じている。そのため、別の場所で写真を販売して、ブログではそれを紹介する形にしなければならない。
個人でも写真販売できるサービスにはPIXTAやFotoliaなどがあるのだが、ほとんどは審査があり、料金も自分で決められない。
そこでオススメなのがnote、「ノートを投稿する」から「イメージ」を選ぶと、好きな価格で写真を販売できるのだ。販売価格の上限は1万円だが、noteプレミアムに入ると5万円に引き上げられるので、加入して1枚5万円で50枚販売することにした(1カ月に200点以上または一時点において100点以上の商品を新規出品する場合、特定商取引法に基づく販売業者として連絡先を掲載しないといけないので注意)。
次にブログで販売写真を大量に掲載して紹介するのだが、パクリサイトが自動的にパクる際、相手はどうせパクった記事をチェックしていないと予想されるので、さまざまな注意事項も書いておいた。
「転載禁止」「転載を認めている媒体はない」「無断使用した場合、1枚につき使用料はペナルティとして倍額の10万円」 「不正な使用とみなされる場合、損害賠償を求めるなど法的な措置を講じる」「キャンペーンなど短期的な利用であっても同じ料金」などなど。
写真そのものにもPhotoshopで同様の文言を埋め込み、「(C)2017 (私のID)」と著作権表示も加えた。加工なしの写真を掲載すると、パクった相手が「これは自分が撮った写真だ!」と逆に主張してきた際、オリジナル写真を示して自分が作者と証明できなくなるので、こうした文言は入れておいた方がいい。私の場合は、1つの写真につき、著作権表示のみの画像と注意事項も加えた画像の2種類、計100枚をブログに掲載した。
「もしかすると気付かれてしまうかも・・・」と危惧していたのだが、数十分後にパクリサイトを確認すると、無事(?)、私の写真紹介記事がパクられていた。ご丁寧に注意書きもそのまま転載されている。
さっそく証拠確保のため、(1)ウェブ魚拓をとり(念のため「https://megalodon.jp/」「http://archive.is/」双方で)、(2)右クリックからページを保存、(3)右クリックからソースを表示してコピペして保存、(4)Google Chrome拡張のFull Page Screen Captureを使用してページ全体をキャプチャー。さらに一時的なミスと言いわけできないよう、1週間後にも同様の作業を行った。
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完全に証拠を押さえたところで、利用料を請求する段である。パクリサイト運営者に連絡するには、問い合わせページを使う方法もあったのだが、より正式な方法、ドメインの登録者情報を調べて、そちらから連絡することにした。最終的に裁判で利用料を請求することになった場合、相手の名前や住所が必要になるからだ。
ドメインの登録者情報の調べ方は簡単。例えばアスカネットワークサービスの「http://whois.ansi.co.jp」でパクリサイトのURLを検索するだけ。
・・・と思ったのだが検索した結果、「Registrar Abuse Contact Email(不正使用の際に連絡するメールアドレス)」として表示されたのは、GMOインターネットのメールアドレス。これは個人情報を隠すため、GMOインターネットのお名前.comというサービスを利用していた時に表示される。
なのでGMOインターネットに電話し、「著作権を侵害され、利用料の請求書を送りたい」と伝えると、パクリサイトはエックスサーバーというサーバー会社を利用していると教えてくれた。なお、ここでは著作権侵害の具体的内容を説明する必要はなく、パクリサイトにこちらの動きが伝わることもない。
次にエックスサーバーに連絡すると、パクリサイトがエックスサーバーで運用されていることは確認できたのだが、「発信者の情報開示につきましては、プロバイダ責任制限法に基づき、書面にて発信者情報の開示請求をお送りいただいたもののみ対応いたしています」とのこと。まあ当たり前だ。
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名前や住所、メールアドレスなど発信者情報の開示請求に必要なものとして、エックスサーバーから指定されたのは次の3点。
(1)発信者情報開示請求書(http://www.isplaw.jp/d_form.pdf)
(2)印鑑証明書
(3)問題のサイトからの情報流出によって権利を侵害されたとすることが確認できる資料(2部)
(1)発信者情報開示請求書はテンプレートがあるものの、自分用にカスタマイズしないといけないので若干面倒。テンプレートの「貴社・貴殿」「注」などをうっかり修正し忘れてしまい、何度か作り直すことになった。書き方は↓の記事を参考にさせてもらった。なお、「発信者に示したくない私の情報」として私の氏名を指定した。
参考:写真を無断使用された時の発信者情報開示請求の仕方(http://tanaka-desu.com/puroseki-hassinsya-kaiji/)
(2)印鑑証明書は役所で発行してもらえるのだが(350円)、そもそも印鑑登録しておかないといけない。シヤチハタ印は印鑑登録できないので、実印を持っていなければ制作に少なくとも数千円、数日みておく必要がある。
(3)資料はパクリサイトがパクった記事と、自分のブログのパクられた記事をPDFで保存して、セブンイレブンで印刷。写真100枚が含まれる記事で、しかも各々のサイトを2部ずつ印刷したので、コピー代だけで2500円かかった。
(1)~(3)の書類を合わせると数センチにもなったので、郵便局のレターパックプラス(510円)で送付。この書類がサーバー会社に届くとパクリサイト運営者に連絡がいくので、必ずここまでに証拠を固めておくことが大切。Twitterなど表で騒ぐのも厳禁、書類が届いてサーバー会社がログを保存する前に該当記事を削除されてしまうと開示は認められなくなるらしい。
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書類を送った翌日、パクリサイトに変化が生じた。私のブログからパクった記事がすべて削除されたのだ。ただし、サイト自体は通常営業で、ほかの人の記事は全力でパクリ続けている。
権利侵害の根拠となる写真紹介記事が削除されたことで、「もしかすると発信者情報開示請求が通らなくなるかも」と心配したのだが、書類送付から2週間後、エックスサーバーから封書が届く。中を見ると、「発信者氏名」「発信者住所」「登録メールアドレス」が記されていた。
さっそく登録メールアドレス宛に連絡。「発信者氏名」「発信者住所」が正しいか確認するとともに、該当記事を削除しているがウェブ魚拓で証拠を示せること、写真100枚の転載料として10万円×100枚=1000万円を請求すること、そもそもどういう考えで運営しているか聞いてみたい、という内容にした。書き方は↓のサイト、およびネットで写真を盗用された場合の対処法を解説した『アサヒカメラ 2017年2月号』を参考にした。
参考:キュレーションメディアに写真をパクられたので請求書を送って、18万円支払ってもらった(https://www.photo-yatra.tokyo/blog/archives/11079)
すると、4時間後、すぐに相手から返信があった。謝罪の言葉とサイトを閉鎖したとのこと、ただし金額については妥当とは思えないところがあるという内容だった。
この場合、裁判で金額を決めることになるのだが、そこまで進めるかどうかで悩んだ。同様のパクリサイトが生まれないようにするためにも、パクリで高額の賠償金が発生することを判例として残すことは重要。私の主張が全面的に認められるかは分からないが、いろいろ調べた結果、ペナルティ部分は認められないかもしれないが、利用料部分は認められるのではないかと予想していた。
しかし、相手が個人の可能性が高いこと、悪用が禁じられているとはいえ名前や住所といった個人情報が開示される罰則を受けていること、相手のGoogle AdsenseのIDなどで調べた結果たどりついた他のアフィリエイトサイトがあまり儲かっていないようにみえたこと(儲かっていたらこんなリスキーな手は使わない)、ほかにもパクリサイト運営者がいる中、不幸にも私という当たり屋に追突してしまったのがちょっと気の毒に思えたこと、などからサイトを削除したことで良しとして、また何らかの権利が侵害されない限り、請求は保留すると伝えた。ちなみにここまでは私の名前や住所は相手に伝えず進めていたのだが、請求書を送ったり、裁判に訴えたりするとなると、もちろん名前や住所を出す必要がある。
そもそもRSSの情報を自動でサイトに転載する仕組みは、ネットに関する知識や技術をそれなりに持っていないとできないこと。それだけの能力を持った人がパクリサイトに手を出した背景には、発覚した時の罰則が軽そうにみえたことがあっただろうが、この記事によって、その認識を変えられたらと思う。
もし本当に悪い人が目を付けたなら、有料画像を大量に掲載し、パクらせることで、理論上、1億円でも10億円でも無限に、しかも理屈が通った上で請求できるので、一発で破滅してしまう。
今、パクリサイトを運営しているならすぐに閉鎖した方がいいし、パクリサイトの被害を受けている人がいるなら、ぜひこの方法で利用料を請求してほしい。私もまたパクられることがあれば、今度はしっかり利用料をもらうところまで進めるつもりだ。
一応、著作権違反の損害賠償請求は時効3年で、しばらく悪いことはしにくいと思うので、相手の方にはこれを良い機会として、高い能力を社会のために生かしてほしいと心から願っている。
kubohashi タイトルで想像した中身と違った、こういうのかと思った→ 地学 ~略~ 壁画解読 ~略~ あとどこかで建築関係の人が「ランドの鉄筋ゴイスー」的なこと書いてた気がしたけど見つからない
https://togetter.com/li/1085202
https://togetter.com/li/792488
http://www.cranenet.or.jp/kikansi/disneysea.html
1 つち形クレーン
ミステリアスアイランドのフォートレス(要塞)・エクスプロレーションがあり大航海時代の埠頭である.埠頭には3本マストの帆船(ガリレオ船)ルネサンス号が停泊している.長い航海から戻ったルネサンス号は,世界の珍しい物産の陸揚げに忙しい.埠頭の荷役作業には木造の旋回式水平ジブクレーンが活躍している.
http://conpetti.com/TDR/?p=1811
ガレオン船には船首楼と船尾楼があり、船首楼の上の甲板を“フォクスルデッキ”(船首楼甲板)といいます。船尾楼側の甲板は二層になっていますが、下段の甲板は“クォーターデッキ”(船尾甲板)、上段は“プープデッキ”(船尾楼甲板)と呼ばれます。クォーターデッキの奥には操舵装置や羅針盤(コンパス)、船長室などがあり、船の中枢部になっています。
http://www.tokyodisneyresort.jp/magic/enjoy/flower/
http://ure.pia.co.jp/articles/-/71328
http://tdr-3d.blog.so-net.ne.jp/2007-06-16tatemono1
ハイ、ここはおなじみ。
東京ディズニーランドのワールドバザール入り口なんですが…。
ワールドバザールは19世紀から20世紀初頭にかけてのヴィクトリア様式で
つくられているのですが、古代ギリシャ・ローマ時代からつづく柱頭の伝統が
受け継がれているのですねー。
https://note.mu/ken76a3/m/maed242c63599
「プーさんのハニーハント」もローマンと明朝が使用されています。プーさんのハニーハントは、もっと可愛らしい丸みをフォントを使用していてもいいなと思ったのですが、絵本内に使われてるフォントがローマンで、そこと統一感をもたせたものなのかなと考察できます。
途中からもうやっつけかな、無理矢理50個書いてみました!みんなに迷惑を掛けないようにディズニーを楽しんでくれたらいいなと思うよ!自分の楽しいを見つけてくれたらいいですね!
僕はずっと、うどん粉っていう物はウドンを作る専用の粉だと思っていた。
具体的には30数年間。
ウドンゲという植物が存在するのは知っていたので、きっとこれを『饂飩華』とか書いて、この種かなにかから生産されている粉が『うどん粉』なんだろうと。
他の作物と同じようにウドンゲ畑が並んで、ウドンゲ農家では収穫期に忙しくこれを収穫するのだと、架空の映像も確かに脳内にはあったのだ。
ポピーに似た花をトラクターだかなんだかで収穫していく俺の脳内のあのジジイとババアはいったい誰なんだ。
てここまで書いて思ってのだけど、むしろ僕だけが間違えていたことが恥ずかしいので、正解を言わない方がいいのか。
ぼんやり読み飛ばして『うどん粉』はうどんを作る専用の粉で、『ウドンゲ』という植物から生産されると信じる人が増えたら少し楽しい。
と、私自身が思っているわけではない。するつもりもない。
虐殺される猫はかわいそうだと思う。
という問いに対する答えは分からないままでいる。
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「『猫虐待』元税理士に懲役1年10月 、執行猶予4年…東京地裁判決」
https://www.bengo4.com/c_1009/n_7095/
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こんなニュースを見かけた。
ネット上の感想を見る限り、許せない!軽すぎる!という声が多いように思われる。
それはもちろん動物愛護法があるからなのだが、なぜそのような法が正当化されるのか?ということである。
蚊を殺すこと、許される。
蜘蛛を殺すこと、許される。
鼠を殺すこと、許される。
牛を殺すこと、許される。
なんで?
蚊や蜘蛛や鼠や牛は、邪魔だしキモいし不潔だしおいしいから、殺すことも許されるのだろうか。
もしかしたら、猫の見た目が嫌いでたまらないとか、猫肉の味が好きだ、という人もいるかもしれない。
それなのに、人々の反応にはこうも差がある。
謎である。
ここで、「牛を食べることは生きるために仕方がない。命に感謝して食べるなら許される」との反論がありそうだが、どれほどの説得力があるのか疑問である。
第一に、現にベジタリアンがいるように、肉を食べなくても生きていける。
植物が育たないところで狩猟生活を営むならともかく、現代日本で肉が食べられないと生きられない人はかなり少ないだろう。
結局、肉を食べることは、「おいしいものを食べたい!」という人間の勝手な欲求を満たすために動物の命を犠牲にしているにすぎないのである。
「苦しむ姿を見たい!」という人間の勝手な欲求を満たすために猫を虐殺することとの違いがどこにあるのだろうか?
第二に、命に感謝することが大事なら、命に感謝しながら猫を虐殺すればよいのだろうか?
各人が心の中でかわいそうだと思うだけなら、勝手に思っていればいい。
しかし、なぜ他人が行うことを非難することが許されるのか、ましてや刑罰を課すことが許されるのか。
もっとも、法は国会の民主的過程を経て作られるものであるから、国民の多数派がかわいそうだと思うことを規制する法律が作られることは当然のことかもしれない。
しかし、それは一歩間違えば少数派の弾圧につながるものであり、昨今の同性愛、表現規制をめぐる問題に通ずるところがある。
さらに、私としては、こいつはキモいから殺してもいい、猫はかわいいから殺してはいけないと、生き物に序列をつけるほうがよっぽど傲慢な振る舞いではないのかな?という疑問が拭えない。
最後になるが、念のために再度申し上げると、私は、虐殺される猫はかわいそうだと思うし、自分がするつもりも全くない。
しかし、長年の疑問は解けないままであるので、誰かの目に留まって納得できる反論をもらえないかと思い、こうやって記事にしてみた。
おまけ
今期放送中のアニメ「魔法使いの嫁」でも、とても興味深い話題が提供されていた。
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「『魔法使いの嫁』で妻の病気を治す為にたくさんの猫を殺したシーンで、猫を鮭に変えたら全然見え方が違うよね、という話」
https://togetter.com/li/1173833
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先に誤っておきます。楽しい話じゃないです、ごめん。楽しくないどころか、大いに気分の悪いことを書きます。読まなくても特に問題ないことしか書いてないので、読まないのも推奨。読むと決めたら注意して読んでください。
#世界一のクリスマスツリー というプロジェクトがあります。ひょっとしたら情熱大陸で知ってる人もいるかも。このプロジェクト、時間が経つに従ってイベントにストーリーが追加されてて、怒りが増していっているので、自分でも自分が当初どう感じていたかわからなくなりそう。わからなくなる前に書き留めておこうと思いたった。ただそれだけの記事です。怒りポイントは大量にあって、それぞれの人がそれぞれ怒っているので、私の場合も書いておこうと思った。読まないのも推奨。大事な事なので二回書きました。
この話題に一番最初に触れるきっかけは、神戸新聞記事の紹介だった。
港に樹齢150年の巨木でXマスツリー 神戸、全長30m(神戸新聞NEXT) - Yahoo!ニュース
https://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201710/0010612425.shtml
神戸・メリケンパークに今冬、全長約30メートルの生木のクリスマスツリーを立てる計画が進んでいることが3日、関係者への取材で分かった。珍しい植物を追い、世界中を回る「プラントハンター」の西畠清順さん(36)=川西市=が企画。世界的に有名な米ニューヨーク・ロックフェラーセンターのツリーと同規模になるという。12月の約1カ月間ライトアップし、神戸港の開港150年目を華やかに締めくくる予定だ。(上杉順子、久保田麻依子)
西畠さんが率いる植物コンサルティング会社「そら植物園」(川西市)が開港150年目の記念イベントとして主催。神戸市が後援する予定。
ツリーにする木は富山県氷見市の山中に生えている推定樹齢150年、推定重量40トンのアスナロ。約2年前に西畠さんが見つけて掘り出す準備を進め、クリスマスツリーとして立てる場所を探していた。
神戸市側との協議を経て、「阪神・淡路大震災から復旧し、開港の大きな節目も迎えた街に立てたい」と神戸港での設営を決心。震災犠牲者をしのぶ「神戸ルミナリエ」とも開催時期を重ねることにした。
木は今月中旬に根ごと掘り出し、輸送可能な状態にまで枝を圧縮した後、11月初旬に氷見を出発。トレーラーで富山県内の港に向かい、神戸港まで海路で運ぶ。同月中旬にメリケンパークに到着するという。
会場では大きな鉢に植樹し、反射材入りメッセージカードに観覧者の夢や目標を書いてもらい、飾りとして木に結ぶ。観覧無料で、ツリー周辺でマルシェや音楽イベントも開かれる。
西畠さんは「巨木を立てることは古来、鎮魂の意味があり、やるなら神戸しかない。生まれ育った兵庫から、震災の傷痕が残る東北や熊本に希望を届けたい」と意気込む。
この時点での感想は
次に目にしたときは既に非難の声を集めた記事だった。曰く「醜悪すぎる」
http://buzzap.jp/news/20171120-xmas-tree-kobe/
いろいろ読み進めると、主催者側は様々なストーリーを追加していたようだった。
「今回のプロジェクトの面白いところは、ロックフェラーセンターのツリーよりも大きなクリスマスツリーを立てようというプロジェクトと見せかけて、みんなでギネス世界記録を狙うというところ」
え!!ロックフェラーのような賑わいを作るのは実はどうでも良くて、記録を作る企画にすり替えるの?それは騙す気まんまんということ?最初からそう言えばよかったんじゃないの?それはサプライズにはならない、みんなと同じ方向を向いて進んでいないと、おかしくなる。賑わいを作ろうと頑張ってたスタッフの気持ちを、どこかに捨てることになる。最初から記録更新が目標なら、みんなでそこに向かえばいいのに、どうしてこんなことをするんだろう?
フェリシモが加工して販売するだって?畏敬の念もへったくれもない。それじゃぁ、150年の樹木という意味すら必要なくて、それだったら「単に大きな樹を用意して、みんなで楽しみました。楽しんだ記念グッズを販売します」で良かったんじゃないの?関係者ごとに違う話を吹き込んで回ってたりするのか?そもそも移植じゃなかったんだ。この先も敬っていくものとして扱うのではなくて、材木ってことね?
「輝け、いのちの樹。」だって?意味がよく分からない。全く共感できない。輝いているのは電飾でしょ?命が輝くというのはそういうことじゃない。賑わいを作り出して祝う場合だって、輝くのは私たちの命であって、クリスマスツリーじゃない。
極めつけは「ヒノキになれない落ちこぼれの木がこのプロジェクトで世界一に輝くことを目指す」ですよ。これは、なぁ、もう、ダメだ。完璧に。敬う対象としての木が、材木になるのは、100 歩譲れたとしても、この投影はダメだ。「落ちこぼれ」とか人間らしすぎる。人間が投影されてしてしまっている。これはシャレにならない。この木が弱って、材木として加工されていくという過程を、この神戸の人たちに見せようというのか。例えば自宅が燃えていくのを、なすすべもなく見ることしかできなかった人。あるいは、親や子供をがれきの下から救出できずに、なすすべもなく失った人。そういう人達が住んでいる、この神戸で。ただの材木ならまだよかった。この投影によって、樹がそういう意味を持ってしまう。過去の辛い思い出を引き出されるのは、それだけでも相当辛い。さらに、その樹が輝くことを目指す、ですよ。もう一度何が投影されているかを考えてみてください。これがどれほど傲慢で不遜な行為に映るだろうか。まさに魂に対する冒涜ですよ。これは駄目です。人の道を外れています。
それでもここまでなら、何かを盛大にこじらせた自称アート作家の事案で済んでいたかもしれない。
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201712/0010779156.shtml
ここまで命を弄んだ挙句に、それを町のシンボルたる生田神社に持っていくなどとは、さすがに許しがたい。断じてNOだ。持っていくにしても十分な手続きが必要だ。まさに鎮魂をしなければ受け入れられない。生田神社のコンセプトは命の女神なんですよ?
「ツリーを見るのが嫌な人は見なければいい」という発言、これ意味わかりますか?これまで私たちの公園だった場所ですよ?ツリーは見たくないに決まってるじゃないですか。過去の傷がえぐられるのを分かっていて、どうして見に行く気になる?そういう前提で、見に来なければいいというのは、公園を奪ったということなんです。私たちの土地を奪ったということなんです。これは明確な神戸市民に対する攻撃だと、はっきりしたんです。攻撃されて黙っているとでも思ったんですか?怒って当然でしょうが。
ペクチン - 植物の細胞壁における細胞間接着物質であり、果物に多く含まれる
グルコマンナン - コンニャク芋の貯蔵炭水化物であり、こんにゃくの原料、なお、固化したこんにゃくは不溶性食物繊維が大半となる
アガロース - 海藻のうち紅藻の細胞壁の主要構成要素であり、紅藻から抽出される寒天の主成分
アルギン酸ナトリウム - 海藻のうち褐藻の細胞壁の主要構成要素であり、コンブなどに含まれる
カラギーナン - やはずつのまた、すぎのりなどの紅藻類に多く含まれる多糖
不溶性食物繊維
セルロース - 植物の細胞壁の主要構成要素で、野菜など植物性食品から多く得られる。日本人は平均15g/日の食物繊維を摂取しているが、そのうち12gは不溶性食物繊維で、そのほとんどがセルロースであると推定されている
わたしはなんか他より小さくて、他への働きかけもやっぱり少ないんだよな。それはもちろん思いやりとか倫理観とは全く違ったことなんだ。
暴力は、人が人に向けたら、それは人にとって良くない。だからわたしは小さくて良かったなと思う。
このまえ豆苗そだてて食べたんだけど、すごいぐんぐん育つの、パンッとしたみずみずしいみどりいろで、親近感どころか尊敬さえして、はさみ入れるときなんかもう、せつなくなってしまって。けど、そのへんから、あ、わたしは、尊敬もしてたけど、おいしそうだとも思ってたんだなって、なんだか初恋みたいな気分になった。考えてみたら自発的に植物そだてて食べるのはじめてだったんだよな。
で、おいしく食べました。
わたしは、それくらいやっぱり小さいんだよな。植物レベル。もっと小さかったら、微生物に恋?みたいなことも考えうるよな。
肉…やっぱり、わたしはたまたま小さかったから、よかったなーと思う。でももし、人を食べたら、ぜんぶ恋みたいになって、せつないけどおいしい!って気持ちになるのかな?