なぜ動物愛護主義には説得力がないのか。それは差別愛だからである。
本来、差別なくすべてのものに愛を差し伸べよう、という理想があるはずなのにそうはなっていないからである。
だから、そもそも差別に居直って理想も何も掲げていない人間よりは、彼らの方がまだマシなのだが、
人間というものは度し難く、理想を掲げない人間よりも掲げておきながらそれを為さない人間の方を憎む。
反捕鯨主義者は、クジラやイルカを殺すのを嫌う。それらには高い知性があるから。知性がなければ殺していいのか?
動物愛護主義者は、動物を苦しめるのを嫌う。それらには痛覚があるから。痛覚がなければ苦しめていいのか?
ベジタリアンは、今日も平気な顔をして野菜を拷問する。牛に喰われる飼料になるよりは、人間様に喰われた方がマシだろう?
彼らは動物のためとのたまっていながら、本質的に人間至上主義なことを見透かされている。
「動物にも人間と同じく痛覚や知性がある、植物は違う」というのでは、「植物にも動物と同じく生命がある」に対抗する説得力は持ち得ない。
「動物にも植物にも人間と同じく生命がある。人間はそれを喰って生きるか、喰わずに死ぬかだ。俺は喰う」と言われれば、何も言い返せないのである。
彼らは植物差別者である。そして、本質的には人間至上主義者である。もちろん、それは動物差別者でいることに何の罪悪感も抱かない人間どもよりは数倍マシな態度ではある。