はてなキーワード: 鬼のようとは
私は、神字書き綾城にとっての、おけけパワー中島になれなかった女だ。
この話は真田(Twitter@sanada_jp)氏の同人女シリーズについての言及と、私自身の経験についての覚書だ。
私には神の如くの才能を持った友人がいる。
いや、居たと過去形にした方が正しい。
その時から既に絵が上手く、クラス(美術系の大学だった)に一目置かれていた。
私は、それまでは親や友人に上手いと言われて天狗になっていた程度で、彼女の才能の前では凡庸も当然だった。
本当に当時はまだ、ただの友人同士だったのだ。
やがて私は一足先に某巨大ジャンルに足を突っ込み、どっぷりと同人生活を送る事となった。
幸いにも周りに親切にして貰い、同人誌の作り方、イベントの登録などを覚え、バンバン本を作って生活していた。
そのイベントに、神友人に売り子として参加して貰った。そして自然にかつ当然な流れで、彼女は「私も好きなCPの本を作ってみたい」と言った。
まずイベントにサークル登録させて退路を絶ってから、原稿用紙の作り方、ページの左右、断ち切り、印刷発行の手続き、当日持って行くもの、手取り足取り指南した。
締切ギリギリまで作業を共にして、脱稿を見守った。完成を2人で喜んだ。
初めてのサークル参加の際は売り子として同行した。
もちろん、神友人は神なので、200部があっという間に完売した。
絵をTwitterに投げれば4桁リツイートといいねは毎回の事、フォロワーはあっという間に5桁に登った。
同CP者たちも神友人を取り囲んで、連日コラボカフェや作業イプやアンソロなどに彼女を誘い、神友人を持て囃した。
イベントに参加すれば壁には大行列、手紙と差し入れの山、アフターには肉とカラオケと推し上映会。
当然である。神友人は神なので、そう扱われるのは私にとっても想定内だった。
むしろ、そうやって人に囲まれて暮らす事が、神友人の幸せだと信じていた。
神友人は私の補助がなくても、同人誌を出せるようになっていた。多い時は2ヶ月に1冊出すペースだった。
しかし。
かと思えば、神友人は私の知らない間に別のCPにハマり、フォロワー5桁のアカウントを放置して、フォロワーの少ない別のアカウントに篭っていた。
神友人は私のLINEに返信をしないのに、そのアカウントを更新している。
もちろん私は…なぜ返信をしてくれないのかと、彼女に再三詰め寄った。
怖いもの見たさで彼女のアカウントを覗きにいけば、「作業でぃすこ募集!」である。
そしてそれに「今からいけるー!」と返信しているのが…私達の学生時代共通の友人、Bである。
鬼のように同人誌を出すようになった神友人から同人誌の作り方を学び、フォロワー2桁のなか、ボチボチとやっているオタクである。
………
お察しの通りだが、私はこのBがずっと昔から苦手だった。
何を考えているかわからないというか、何も考えていないというか、妙にアホっぽくて話が合わないと思っていて、学生時代当時からあまり絡む事は無かった。見るかぎり、向こうは私の事を特に嫌ってはいない、むしろ分け隔てなく親切にしてくれたが、しかしどうもそういう所も苦手だった。
神友人は綾城であり、Bはいわゆるおけパであろう。
神友人はBとばかり一緒にいる。
私には連絡もよこさないで。
このコロナ禍の中、私は神友人に安否確認のLINEを何度も飛ばしたが、私には一度も連絡してくれないのに、だ。
何故。
何故私がそのBのいる席に収まっていないのか。
何故私が神友人にとっての一番の友人でないのか。
どうして優先順位が低いのか。私を思い出してくれないのか。
私はこんなに、神友人に尽くし、好きで、そばにいたのに。支えたのに。役に立ったのに。
理由はわかっている。
「そういう所」だ。
綾城がおけパを好きなのは、恐らく「気兼ねない」からであろう。
おけパは綾城を神と思っていても、「唯一神」ではない。おけパにとって綾城は、沢山の友人のうちの1人なのではないだろうか。
人は、自分と相手が、「神と小市民」になった時、神に力を求める。
「神よどうかその力を、私の為に奮ってくれ」と願う。
これは神と人の関係性であって、決して友人同士の間柄なんかではない。
なのに私は、私達は、神と友人でいようとする。
神と崇められる人達は、自分を神と称える者共が、最終的に「自分にとって危険な人間」になりうる事を、本能的に知っているのであろう。
恨みながら、怒りながら、Twitterを覗き、LINEを飛ばしてくる。
こんなもの、危険人物以外の何者でもない。距離を取られるのも当然だ。
私は嫌な奴である。
大切な親友だった神友人を恨み、本人を責め、善良で何も悪くないBをアホっぽいなどと貶め、こうしてそれを文章に起こし、ネットの海に放り投げて共感を得ようと期待している。
わかっている。こういう所だと。
それが積み重なって、こうして距離を取られるのだろう。
頭では理解できても、それでも「何故だ」と内心は叫ぶ。
どうして、私を捨て置いていくのか、と。
神友人のおけパになりたかった。
私がおけパになれるはずだった。
だがそれももう叶わぬ夢であろう。
恐らく、B、おけパ本人はこんな思いなど知る由もない。
先にいっとく!!!!ちょ~~~~~~~!!!クソ長くなる!!!!
私怨私怨!!!!!悔恨!!!!!5箇条にまとめようとしたら失敗した5箇条の御誓文か?????
567で見えてきた色んな人の裏表に疲れてしまった大学生乙女ゲーと地下ドルのオタクの話!!!!!!同じ大学に通う人からの身バレ防止のためここからの大学の描写はボンヤリとしたものになります。コメントでの特定はおやめください。大学は生徒の多くが望んだであろうオンラインじゃない講義ができるようにどうにかこうにかがんばってるはず!それに私が対応できなかっただけで大学は悪くない。家に引きこもるのが社会的に批判されることがない・堂々と引きこもって自分のやりたいことできる今をその時間が欲しかった人が心から楽しめますように!!!!
誤字脱字はすいません。
いままで約20年間、数学や物理、化学の類いばかり熱心に取り組んできたので私には正しい日本語が使えているのか、日本人であるのに自信が無い。
大量のレポートに追われたまま、脳直で文章を打ち込んでいる状態なのでご了承願いたい。
私は本当にどこにでもいる地方国立大学二年生だ。つい2時間前まで教師を目指していた。
もし同じような境遇にいる子がいたら私みたいにならないよう、こんな文章があったな、ぐらいの軽い感じで覚えておいてほしい。
読んでくださった皆さん、こんな考えの人間がいるんだ、へぇ笑ぐらいに思って頂いて結構です。ここまで打ち込んでおいて自分でも文章の稚拙さが”マジで”やべぇ……とおもっていますが暇な方最後まで読んで頂ければ幸いです。
①去年~今年2月の話
学部一年生だった去年は将来の夢のため、周りの友達よりは長い時間勉強していた方だと思う。
趣味だったイラストのサークルにも加入し、高校が同じだった友達が学部に一人もいないながらも他学部に進学した高校のクラスメイトと協力しながら大学に慣れていった。
サークルの友達とは週に1回は誰かの家に集まりピザを頼んだり、学食で何時間も話したり。大人数で端から見たらアホみたいなやりとりを繰り返すあの空気感が好きだった。
安心できるバイト先も決まって、サークル内の人間関係に多少の不満はあったが今思えば望んでいた大学生活そのものだったかもしれない。
私の将来の夢が教師になったのは大学受験が終わってからである。もともと物理という科目が好きで将来は数学系の研究ができればと思っていた私は理系の学部に進んだ。(身バレ防止のため明確な表記は避けさせて頂きたい)
私の大学受験のサポートをしてくださった先生は、私が進学した大学の同じ学部出身の方だった。
有名な塾があるような都会ではないので、毎日高校の授業が終わってから校内に他の生徒が誰もいなくなるような時間まで、その先生や担任の先生、大学で理科を学んでいた購買のおばちゃん……色んな人に見守られながら勉強した。
私が受験に合格し、心から喜んでくれた職員室の先生方を見て、先生達みたいな大人になりたい・この高校で同じように生徒を見守れるような先生になりたいと思った。
これが理由で、理系学部に進んだ私は自分の学科の必修科目に加え教育学部の必修科目も履修するようになる。
もちろん授業が倍になるなら試験もレポートも倍になるということで確かに大変だったが全然苦じゃなかった。
1年間やりきった。成績も上々でモチベーションは入学当時と変わらず、今まで友達と呼べる友達が2~3人だった私の人間関係がどんどん広がっていくことに喜びを感じながら春休みを迎える。このころは人と連絡を取り合うのも一緒に出かけるのも大好きだった。
2月、実習も終わって大体の友達が実家に帰った。私も電車で何時間もかけ実家へ。
実家の周りは見渡す限り山!!!!!緑!!!!!!という空間が広がっていて私はそれが大好きだ。その頃、ニュースではコロナウイルスの話題が取り上げられ始めていた。まだ大丈夫な感じはするけれど、実家のある高齢化の進んだ小さな村で広がったらとんでもないことになる…と危機感を持ち始めたのはその辺りだった。
その後の展開はある意味予想通りだった。大学は次年度のガイダンスを予定通り行うと宣言していたがすぐに中止となった。4月からの授業はいつも通り行うということだったが私はそのメールが信用できなくて、下手に実家から動くことも不安で、結局大学へは移動しなかった。やはり、授業開始は5月からという一斉メールが届いた。教科書を買いに大学へ行くこともできなくてAmazonで教科書を用意した。
友達は出身も都会のほうで、2/3月はよく連絡を取り合っていたものの、みんな地元の友達とショッピングセンターや居酒屋に遊びに行くようになったらしい。もうその頃にはみんな地元の友達と毎日のように遊んでいたらしくてラインもzoomも使わなくなっていた。
私はというと同じように地元に帰っていた同級生はいたが、もし自分たちが感染していたらという恐怖から会うことをやめた。クラスターが進学先で発生していた子は自宅から一歩も出なかったという。その頃から私は人と会うことの必要性に疑問を感じていた。元からオタク気質だったことも原因かも知れないが、友達とのSNS上でのやりとりが少なくなっても特に私に影響はない。自分がひねくれた人間であるとは自負しているがまさかここまでとは、自分でも思っていなかった。どれだけニュースで危惧されていても・どれだけの芸能人が亡くなっても、それぞれの地元で遊び続ける大学の友達が理解できなくなった。
ほとんどの大学の友達とは連絡を取らなくなっていたが片思いしていた先輩とは毎日のようにラインした。毎日ライン来る度に小躍りしてた。
4月後半、家にこもり続けた私は全く暇を感じなかった。本を読んだりお菓子を作ったり、他にも筋トレにメイク、同人誌を作れるレベルで二次創作もした。自担(地下)の過去の映像を見て1ライブできるぐらいにはダンスも練習した。(クソデカ過大評価)
むしろ今までよりも忙しくさえ感じていた。5月になれば今までのように勉強漬けの毎日が始まる。だからこの何かをしていても誰からも途中で遊びに誘われない、家に勝手にピザだのウーバーだの頼まれて友達が勝手に上がってこない・勉強しなくても公的に、なんとなく自分の感覚で自分を許すことができるこの時間を人生の夏休みとして思いっきり使おうと毎日何かしらしていた。今までのみんなでワーワーする時間も大好きだったけれど、この過ごし方も最高だった。
5月になった。オンラインでの講義が始まった。大体の講義を受ける度に一つずつレポートが増えていく。
連日徹夜は当たり前、朝8時までのレポートを7時に提出して1時間仮眠を取ると1コマ。またレポートが積まれていく。私の要領が悪いだけかも知れないと感じていたが、初日には同じクラスのほぼ全員でzoomでの会議しながらみんな半泣きでレポートをこなした。みんな同じだった。家から出るななんて言われていたがその日食べるものを買いに行くことすら厳しいレベルで課題が出るのだから家から出ることが本当に、絶対、多分無理。
オンライン講義が始まってまだ慣れなかった一週間、実家にいるのに私は一歩も自室から出ることができなかったのだから、それ+家事である帰省していない友達はもっと大変だったと思う。私はその一週間スマホを触れなかった。そんな時間があるならレポートをやったし、私の性格だともし今暇そうで遊び歩いている人を見たら理不尽にイライラしてしまいそうだったからだ。そんな自分の性格は今でも嫌いだ。人はそれぞれなのに、SNSでみえる部分はその人の日常におけるほんの一部分なのに。
そのうちテンプレートを作ったり教科書を読み込んだりすることで余裕を持てるようになってきた。教育学部の授業も生徒との関わり方など、本当に学びたかったことを学べるのが嬉しくて真面目に受けた。苦手だった英語もせっかくだから少し取り組んだ。友達と話していたりご飯に行っていた時間を全て勉強に充てた。目が回るほど忙しかったが一日を一秒も無駄にしていない感じがして、4ぬほど充実感があった。多分ランナーズハイみたいな状態になっていたと思う。この頃の私の思考、今考えると狂ってる。怖ッ
そうやって暮らしていたら、片思いしていた先輩に彼女ができた。友達から聞いた。3日泣いた。
なんでも4ぬ程忙しかったり課題が出ていたのは私の大学では理系と教育学部、医学部、薬学部だけだったらしい。文系その他は相変わらず課題なんてない、流しておけば講義が終わるから余裕なんて状態だったらしい。悔しかった。先輩は地元で飲んでいたらその子と出会ったとかなんとか、先輩と仲が良かったサークルの男子が教えてくれた。マジで無理だった。
こんな世の中なのに先輩は毎日飲みに歩いていた事実も、もうちょっとで付き合えそうだったのに私はダメでその飲みの場にいた女の子は良かったことも。先輩は付き合ったら長く続くタイプらしいのでもう諦めた。悔しがっていることを知られたり、先輩に彼女ができた事実を知っているということを悟られたりするのが嫌でしばらくインスタをログアウトした。対面授業が再開して会ったら、知らなかった!よかったね!おめでとう!と言おうと決めた。
インスタをログアウトしたので特に仲の良い2人以外とは関わらなくなった。
正直、一旦距離を取りたい人間関係もあったためなんとも思わなかったが家族以外の人と言葉を交わさなくなってから、他人に会うことに抵抗を覚え始めた。さすがにやばいと思った。
メンタルボロボロのまま毎日徹夜でレポートを書いた。エクセルで演算した。勉強しても充実感はなくて朝7時に起きて授業を受けて次の日の4時に課題を終わらせて寝る、余裕がある日は推しの夢小説を読み漁った。オタクでいられたのでガチ夢女に戻ることでメンタルが回復した。多分推しのグッズ、末代まで「捨てるな!」って書いた紙と一緒に保管。
コロナ騒ぎも日常化して、実家のある村にも日常が戻ってきた。近所のおばあちゃん達にはまだ実家にいることがバレ、実は大学をやめたのではないかという噂がすぐに広まった。これはギャグ。もう私の家では笑い話。インターネット・オンラインという言葉をおばあちゃん達に理解してもらえなかったのでもしかするとまだ大学やめたことになっているかもしれない。つらい。
リアルの人間関係からほぼ身を引いていたため、ツイッターのフォロワーと夜な夜なTLを巻き込んで会話しながらレポートを書く。それは変わらなかったし確か6月の中盤まで、私は靴を履いていない。つまり家から一歩も出なかった。5月から1ミリも変わらない暮らしをしていた。
大学からある日アンケート回答のフォームが送られてきた。匿名のフォームで、今帰省しているのか・そうならば実家は通学可能な距離にあるのかという内容であった。正直に送った。
しかし次の日の授業で衝撃を受けた。今回のレポート提出は手渡し以外認めないと教授は言った。とても口が悪いので書くこともためらわれるが、このご時世でそれって狂ってんじゃないのかと思った。事情をメールして渋々だったが郵送させて頂いた。
その後も何人もの教授が大学に行く用事を作った。全て郵送やらメールやらファイル共有やらで代わりに提出を認めてもらった。正直メールにファイルを添付すればいいものばかりだったので助かったものの、もし私が他学部で実験科目がある生徒だったら?サンプルを取りに行くために泣く泣く地元から大学へ向かった友達もいた。このまま実家で講義を受けていたら落単するのではないかと、なんとなく恐怖心を持った。
もし町から町への移動がそのように咎められるものでなくなりつつあったとしても私の地元はどうだろうか。
教授の気持ちはわかる。高校の部活で演劇部だった私は裏方としてであるけれど人対人でなければ伝わらないことがあるということを何度も学んできた。絶対こんなに課題を出すよりも対面で、お互いの表情や空気感を読み取りながら講義を受けた方が1000倍伝わる。教授達が沢山努力していることはわかっている。でも一つだけ、ちょっとだけ考慮してください。アンケートで回答したみたいに、今は大学に通学できない距離で暮らしている子もいます。Word文書は気持ちが伝わりにくいなら、手書きはどうでしょう。「今すぐ」や「今日中に」大学にプリントを取りに来るように伝えるのではなくPDFを配布してみませんか。
この頃、一通のメールが地下ドル垢のDMに届いた。7月オープン予定でコンカフェを開く予定なのでキャストとして働いてみないか・お店で働く子達で地下アイドルグループを作ろうと思っている、ということだった。声をかけてくださったのは去年地下ドルの現場でお会いしたことのある方で事務所を経営してるとかなんとか…ということは知っていた。しかし怪しいと思い事務所名や名前で鬼のように検索した。本物だった。メイド服に憧れていたのでコンカフェには興味があった。どれだけいろいろな事情を抱えていてもステージに上がれば夢を見せてくれるきらきらした地下アイドルも大好きだ。かつて片思いしていた先輩も同じ地下の子が好きだったっけ。
しかし私に沸いてきたのは不信感だった。なぜこの時期なのか、私の推しでさえライブを自粛しているのに、都会でなければ成立しない「コンカフェ・地下」をなぜ今始動させようとしているのか、意味がわからなかった。
その頃だった。コンカフェの店舗を構える予定の歌舞伎でクラスターが発生したのは。
もういつもなら暗示や占いの類いは良いものしか信じないご都合主義頭だが、こればかりは神様がやめろと言っている気がした。だから断った。
捨て垢から見に行ったが、コンカフェは無事にオープンしたらしい。地下ドルグループもできたみたいだ。某メイドカフェでも感染確認、こんな世の中なのにメイドが働いているのってどうかと思った。大人が信じられなくなった。あとグループの曲は普通に私の趣味の雰囲気じゃなかった。(←これはお気持ち表明)
ということで先輩が好きなアイドルにはなれませんでした。前に現場に一緒に行ったことがある。
いつか地下で活動してそうだな、とか、そうなったらチェキ撮りにいくねとか言われたこと多分一生覚えてるけど、アイドルにはなりませんでした。(超怖いガチ重メンヘラコーナー)
そんな感じで相変わらずレポートに追われる毎日を実家で送っています。最近は本当に仲の良い2人と連絡を取り合うくらいで、レポートにも慣れてきて二次創作を適度に楽しみながら暮らしています。
私はこれでも勉強に趣味に…ってそれなりに外に出なくても毎日充実してる。それぞれの生活もあるんだし、私みたいな生活しろなんて誰にも思わない。それでも東京で毎日感染者出てたり、私の実家に近いところでもじわじわ感染確認されていたり、5月から世の中変わってないみたいだ。友達の住んでる市は勝手にロックダウンしたらしくもう当分大学には戻れないとか。
そしたら今日、大学からメールが来た。私はちょうど課題をやっていた。
8月頭から対面での授業を再開するって、教育学部が中止と予定していた介護実習や高校での実習も開講する予定ですって。受講を希望するなら今すぐ登録を、また必要な書類は大学窓口で手渡し以外認めないって。期限は5日後。
実習も8月に開講する科目も、教育学部以外の学生が教員免許を取るには必須で1科目でも落としたらもう4年間で卒業するチャンスはほぼないかもしれない。
だから私はどうする?
教師は今後10年間で必要なくなるなんて記事もネットにはいっぱいある。
メールが来てから2時間、ずっと私はなけなしの脳みそフル稼働させて考えた。
県内で感染者も増えているのに?移動中に感染する可能性は?土日ですら授業あるのにいつ動く?
介護施設も高校も、もし大学の誰かが感染していたら?大学のある場所で感染者が増えたのは先週の後半。これが決定したのは先週の始めらしいから明日になれば対面での講義中止のメールが届くのでは?社会的にどう?教師になることを諦めたらいい?そんなに簡単に1年半の努力は捨てられる?距離を置いていた大学のみんなにいきなり会うの?
私今まで通り大学生活送れる?
もうどうでも良くなった。大学ですら信用できない気がしてしまった。
なんて、こんなことが頭によぎって考え込んでしまうし、しまいにはこんな文章を書いてしまうのでもしかすると私の本当の夢、なりたいものは教師じゃないのかも知れない。
私が弱いだけだと思う。本当になりたい!と思っている子ならこんなこと考えずに書類出しに行くだろうから。対面での講義にもどることを喜ぶはずだから。
ということで、私は先生になる夢を諦めることを決めた。
意思が弱くどうしようもない救いようがない根性ひねくれた人間なのでもしかしたら、明後日には電車に乗って実習に必要な書類を出しに行くかもしれない。8月はどこかで実習しているかもしれない。教師になることを諦めたまま Permalink | 記事への反応(1) | 02:20
キャベツ…野菜炒めにすると水が鬼のように出てくる。それと一緒に旨味や栄養も逃げてしまっていないか心配。
食感は悪い。シャキシャキとしたみずみずしい食感はなく、フニャッとしたやわな食感に変わってしまっている。
味は、そこまで変化は感じられなかった。若干甘味が増したかも。
ネギ…斜め切りで保存したが、全部変わらず
きのこ…エリンギを保存。冷凍初心者だったので、カットせずに丸ごと冷凍してしまった。あの長い円柱状のものを、そのまま食べるのはさすがに食べづらいと思ったので、冷凍庫から取り出した後、包丁で切ろうと試みた。親の仇の如く何度包丁を力強く振り下ろしても、無惨に1ミリほどのキリ傷が残るだけだった。半ばやけになって、少しでも小さくするべく折ろうとしたら、切断面が壮年期の山のように凸凹になってしまったが、やや二等分に折ることができた。
食感は、変わらない。変な切り方(折り方)をしてしまったので、一般的に調理されてる薄っぺらい切り方のエリンギと比べて、4倍ほどブニブニしてたが、薄く切ると多分同じだろう。
自分の会社の方針、と言うか求められ評価される人間は向上心や積極性がある人。
自ら進んで何かにチャレンジしてそれに対して結果を出せば良いだけのこと。
そんなこと自分の会社だけではなく社会全体での常識だと思ってる。
そしてその「評価」をする当たって立てた目標に対する自己評価をしたり、他者からの行動に関しての評価をまとめたりして定期的に面談が執り行なわれる。
で、ここからは完全に愚痴なんだが、毎回毎回「目標」を立て面談で話すわけで。
それが自分だけなら良いのだが、話を聞けば大半同じようなことをされてるらしい。
直近の行動や目標にはボロクソに言い、代替案も出さずに面談終了。
まぁ勿論それが誤った方向に進む行動となり得るなら芽が出る前に「潰す」のは良いことかも知れないが…
その面談を担当する人間よりさらに上の偉い人に同じ話をすると、賛成する意見をくれたりそれに応じた的確なアドバイスまでくれたりする。
なぜそこで意見の相違が出てしまうのか、これってただのパワハラなんじゃないか?とまで最近思い始めた。
鬼のように厳しくあたり、試行錯誤を繰り返し世間一般で言う「出来る人間」になれってことかも知れないが、あのやり方では誰が何をしようと花開く前に腐ってしまう。
勿論こんなところで愚痴を吐き、人のせいにしてる時点で己の成長につながらないこともわかってる。
生きるってめんどくせえ。
お前どこまで夢見てんだ。
そんな教科書みたいな夢物語なんざ捨てろ。人と人の力と欲望とのつぶし合いだ。
「弱い」「金がない」それだけで下らん承認欲求やら欲望やらで奴隷にしよう、自分の思い通りにしようなんてゴミがうじゃうじゃわいてくるわ。
一生懸命やってて周りを見る余裕がない。それだけで隙を狙って自分の思い通りにしようってゴミがわいてくるわ。
一生懸命やろうが技術内容なんざ興味がない。売れるか売れないか。それのみが成果だ。そして時間がかかるものであればその間針の筵で暮らし続ける。
実際できてもいない物で金を集めるものなのだから自分も詐欺師の一員かもしれないし、詐欺師のように取り扱われる。
だいたいよそ様から金を預かり、人を雇い始めるとその時点で雑用が鬼のように増える。自分自身が手なんか動かせない。ましてや自分自身がこの技術が必要だと思っての勉強なんざできはしない。仮に新しい分野の勉強ができないがゆえにドツボにはまったとしてもない。
まあやるもんじゃない。ウシジマくんだとか見たいなのよりはましかもしれないが、それでも闇しか感じないコンテンツに似た体験を現世にいながら味わえる。
そしてそんなものに未来を期待するな。普通に自社で設備研究投資をして売れるものを作り続けとけ。
ー追記ー
ちょっとかっとなった。
けどさどこまで行っても「投資」である以上、期間、費用、想定収益が整ってないと「投資」には合わんよ。
夢みたいなことをいってもそこに詐欺師が漬け込むわけだ。正直今の日本は馬鹿な起業家と、馬鹿な小金持ちをおだてて増やせばうまくいくと、大量に絶望に叩き込み、さらなる生贄を求めて叫んでるだけ。
まあその前に「科学」にきちんと金と時間を出し、「科学」としての成果を出しつつ、科学成果についての顧客との照らし合わせと修正をするしかない。かつ、大学、研究機関は金を使って報告する機関という特性もある。
ベンチャーにそんなこと求められないし、求めたところで無駄に苦しむだけ。だいたい絶望的に弱い存在なのだから食い物にしようという人間なんかざら。
日本は「科学」としてももうだめになりつつある。なので「科学」としての金を受け取りつつ、すぐに事業としての成果を求めないでも、科学としての成果として世に示し、顧客との照らし合わせと修正をするようにするしかない。
けどさもうやめようよ。テックベンチャー幻想なんて不幸になる人間増やすだけだって。どうせ叫んでるのは全員他人事だから、どれだけ不幸になる人間が増えようが自己責任だし俺は嫌な思いをしてないからってメンタルなんだろうが。
たまたまツイッターで子供が泣きながら謝りながら2人で歩いていてその5m先に母親が鬼のような形相で歩いていた、母親は子供の声を無視しながら歩いている、母親がこうなったのは追い詰められたのは日本の社会のせいみたいなツイート見たんだけど、なんで日本の社会のせいにするの?
母親が日本の社会によって追い詰められた問題と子供に対して酷く当たったり無視するのって別問題じゃん。これでこの母親はもし子供が車に轢かれたり誰かに連れ去られたりしても自分は悪くない、私を追い詰めた日本の社会や育児を手伝わなかった父親が悪いって言うわけ?目を離した母親の責任でしょ?
誰かが人を殺した時、その誰かが虐待を受けていたとしても人を殺したその誰かが悪いんだけどどうしてこの問題では母親が追い詰められるのか分からないってなるのかが分からない。
育児ノイローゼがあるのだって知ってるし育児がしんどいのは分かるけどだからって弱い存在である子供に対して当たってる時点でお前も加害者じゃん。被害者ぶんなよ。
母親だって人間だと言われましても子供も人間の上に2歳3歳4歳くらいの子供にとっては親が絶対的な存在ですがそこは無視してるんですね。
私を小さい頃傷付けておいてそれが原因で大人になってから私に責められた時に父親が悪いのって言われても困るんだよな。私を傷付けたのは父親じゃなくて母親であるお前なんだよ。謝ろうともしないその神経が余計に腹立つ。
まあ子供にあたってるのを日本の社会や父親のせいにしてる現状では母親によって傷付けられる子供の存在って減らないんだろうね。
自分はどうせ良い母親になんてなれないし暴力を振るわれていたから暴力を振るう母親になるのが怖くて一生子供なんて作る気ないから母親の気持ちなんて一生わかんないだろうけど母親だって傷つけられた子供の気持ちなんか分かんないんだろうからどっちもどっちだね。
毎日鬼のようなLINEが来て、私のことをわかってかまってアピールがすごくて
これはまとも取り合ったら私がつぶれると思ったので、なるべくクレームにならない範囲で
ビジネスライクに付き合ってきたけども、だんだん向こうの不満が溜まってきたようで
いきなりクレームが来てブチ切れた。
自分から今日は体調が悪いだの今日は生理だって聞きたくもないことを
開示してきたくせに、それに対してコメントしていると
「私は本気でやってるのに優しすぎます」って怒られて
あげく、「体調管理ぐらい自分でやりますから」ってクレームになった。
それに対して、感情できるだけ殺して、冷静にこちらのスタンスを伝えると
「こんなにもあなたと心が通じないと思いませんでした。
少しでも良い人間関係を作る頑張ってきたのに、その時間があるなら
私は散々傷つきましたし、一晩中泣きました。
いつまでたっても解約しないので、解約、解約詐欺だなと思いました。
いわゆる瀬戸際外交。
もちろんそんなのに振り回されるほど暇じゃないので、クレームがあった時点で
会社にも伝えているし、返事は不要と書いてあったので完全無視。
さっさと解約してくれればいいのに。
そもそもの目標設定から荒唐無稽だったし、どんな奇跡を望んでんのよ
と思ったし、本気でがんばりますって言う割には全然できてないし。
とにかく疲れた。
相談した人に、もう相手しなくてもいいと言われて、やっとほっとした。
私は細く長く仕事を続けたいので、熱血コーチになるつもりはないんです。
そもそもの目的が間違ってるこの人に必要以上のサービスを提供するつもりはありません。
カウンセラーじゃないんだけど。
お金払うと言う事聞いてもらえると思ったら間違いなんだよ。
これ以上引き取り下さいませ。
しかし、いわゆるメンヘラと言う人に初めて出会ったかも知れない。
噂には聞いてたけど、これまでクライアントに恵まれたんだろうなって思ったし、
相手に尽くしすぎずに、一線を引くと言う自分のやり方が間違いじゃないんだって
よくわかった。
今までもめんどくさいクライエントはたくさんいたけど、
ここまでひどいのは初めて。
そして、運悪くこういうクライエントに当たった同僚が、何にも心を
折ってしまってるのもたくさん見てきた。
真面目で熱心な人ほど、途中で消えていく世界。
細く長く続けて来れたんだと思う。
私のようなコーチは物足りないって言われるかもしれないけれども、
それでもうまくはまった人は、大きな成果だしてくれるから、そんな時すごいやりがい感じる。
なんだかんだ言って、最終的に結果を出してきたってのは大きい。
とりあえず、
二度と私の視界に入ってくるな、このメンヘラ女!
自己愛性パーソナリティー障害なんだろうな、ってやつが職場にいる。
零細企業で俺は働いているんだが、そいつは俺の職場に入ってきて3年目になる。
自分勝手で仕事の進め方について、これといったらこう、と言って聞かない。
そのくせ、仕事がそんなにできるわけでもなく、俺達がサポートに回るばっかり。
プライドだけはいっちょ前に高くて、いや、むしろエベレストのように高くて、ちょっとここがよくないですよ、と指摘すると鬼のように凹む。
ただ、逆に人のできないところを見つけると、ここぞとばかりに攻撃してくる。
知識があったりするのかもしれないけど、実務経験はそんなにないくせに。
話が面白いかと思うと、そうでもなくって、あんまり他人に興味がない。
そんなやつ、みんなの職場にいませんか?
泣けるわっ!
1住所にマスク2枚配布って
竹か槍かを配って戦う話しに通じる感じがまたハートウォーミングよ。
って言ってる場合じゃないです。
とも言ってる場合じゃないです。
午前中案件でばたばたのばたで
一体何時になったら私の午前中は帰ってくるのかしらと思ったらもうこんな時間よ。
最近これの繰り返しばかり名ような気がするけど、
ボーッとしてたら一瞬で時食う金は柿の木かなって、
なんかそう言う俳句無かった?
隣の客がなんとかって言うやつよ。
へー!
ってそれは隣の生け垣がカッコいいね!ってクダリのへー!であって、
ああ私が言いたかったのってなんだったっけ?って、
忘れてしまったわ。
物忘れの内容に気を付けたいものだけど
こうしてる間にまた思い出すかも知れないから、
ゴゴゴっt午後の業務に当たりたいと思うわ。
そんな矢先中の矢先ね。
ではまた!
ってこれこれこういう終わりカタする漫才知っていたじゃない誰だっけ?
顔は思い浮かんでいるの顔は!
あー、いつもなんかオチは「それではまた」って言うやつ、
なんだかモヤモヤするわ、
ここまで思い出してんのよ!ここまで!
うふふ。
結構上質な茶葉だけのお茶っ葉じゃないと上手くミルれないわ!って感じ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ヨーロッパ圏の国の人が職場にいるんですが、今一生懸命漢字を練習していると言うことで、練習している紙を見せてもらいました。
ぎこちなくつたない文字なんですがなんか一生懸命練習してるのをみるとジンときます、自分もそういう学ぶ姿勢見習わなくてはと思います。
それで昨日漢字練習帳を買ってきて「使ってね」と渡したら大喜びしてくれました!
日本人でも学校で何年もかけては勉強するものをラテン文字語圏の人が、いざ漢字を学ぼうっていうのは安直な道ではないぐらいに想像を絶します。
自分もそれに触発されもう一回中国語頑張ろうかなと思いますがなにせ発音が鬼です。
今日もいくつか増田を書きましたが鬼のようにブクマやトラバがつきませんでした。
雨が降っていて帰るのが嫌だし靴に穴が開いているので染みてなおさら嫌です新しい靴をいよいよ買わなくては。
2ヶ月ほど前、3年くらい付き合ってた彼女と別れました。
ごたごたが収束して僕にも新しい気になる女の人ができたので今これを書いています。
・発達障害らしいが、それを言い訳に使って僕に家事をさせたり金を出させたりする。
・ちょっと休んだだけですぐ「私のこと放置した!どうでもいいの?」と鬼電(夜寝かせてくれない日も何日もありました。そのせいで今は僕が精神科にかかる羽目に......)
「メンヘラってかわいいイメージあるよなw」とか抜かしてきた僕の友達、見てるか?
メンヘラが可愛いんじゃなく、可愛い子がメンヘラだと許せるだけ
これに尽きます。見た目の伴わないわがままは殺意を向けざるを得なくなる。
では、なぜ僕がそんな彼女とお付き合いしていたのか。思い返すと、あの頃の自分はいわゆる「オタ仲間」に飢えていたように思います。同じジャンル、キャラクターを愛するフォロワーさんにはそこそこ恵まれていたのですが、いまいち話のピントが合わない。そんな時にツイッター上で出会ったのが彼女だったのですね。ツイッターはアイコンを本人にする義務がないので、顔が基本的にわかりせん。まあ、ツイート内容のキモさと言うか、オタクとしての"濃さ"みたいなものがにじみ出ていて、よく考えられたらその時にこじらせたブスが背景にいるアカウントであることは察してしかるべきだったのです。僕のミスです。
愚かだった僕は、その子(元カノ)にコンタクトを取りました。「〇〇さんのツイートほんと共感性高い!」みたいなことを言って褒めちぎりました。彼女は頭が悪い上、一度もモテたこともない汚い女だったので、すぐ僕になつきました。深い話を通話でするようになりました。
ここが騙されたポイントで、彼女は気持ち悪いツイートばかりする「限界オタク」のようでしたが、初めて一対一で通話した時には「意外と声が可愛いな」と思わされる声質だったのですね。通話では顔は見えません。僕は彼女がもっと自分に好意を持つように、「かわいい声」「お話がおもしろい」などと褒めちぎりました。これが大きな過ちの一つだった。
男でも女でも陰気なブサイクはモテない。分かりやすい言い方をするならちやほやされたことがない。彼女もまたそうで、「かわいい」の一言を両親以外から言われたことがなかったようでした。(もちろん交際経験もゼロ)そうなると、毎日馬鹿みたいにそいつを褒めてやっていた僕は、ブスの片恋の的にされてしまうわけです。
複雑な事情があり、大きく端折りますが、結果的に僕とそのメンヘラブスは付き合うこととなってしまいました。
僕は幼い頃のさまざまな経験や育ちから自己承認力が弱く、汚いメンヘラの女からでも優しい言葉をたまにかけられるだけで依存してしまうほど弱い存在でした。
いつしか思考は「この子を手放したら自分には誰もいなくなってしまう」という強迫観念に囚われていました。
働かない彼女にご飯を食べさせる。誕生日に花束を贈る。汚いメイクのようなものを頑張ったね、上手になったね、と褒める。自分に優しくしてくれる存在であればどんなことでもしてあげよう、と思っていました。今考えると完全に病んでいますね。
余談ですが、僕の好みはボーイッシュ系が映えるショートの美少女、体型はスレンダーが好きです。しかしこのメンヘラ彼女は真逆で、手入れされていないボサボサの黒髪をだらりと流し、大会はババアかよって何度も言いそうになるくらいブヨブヨでした。そんな彼女を必要に応じて何度も抱きました。頑張って自分を奮い立たせ、彼女に失望されないようにそれだけを考えていました。そうしていたら、別れる間際から別れた直後あたりはセックスという単語を見るだけで彼女を思い出して具合悪くなるまでになってしまいました。
そうまでしてなぜ繋ぎ止めたのか?やはりこれは僕の自己肯定感の決定的な不足だったと思います。あとは周囲に本音で語れる人がいなかった。いかに関係作りが大切かその頃の僕は気づいていなかった。本当に、恋人以外に本音を話せる友人を作ることは大事ですよ。
そんな彼女との縁の切れ目が見えたのが交際して2年半ほどのころ。
毎日僕が先に眠ると、明日は仕事だから寝かせてくれと何度伝えても暴れて起こされます。まるで赤んぼうのようですが、彼女は20代の太ったブス。僕の精神は完全に疲弊していました。
その日も、僕が明日に備えて早めに床に着くと、「あたしがブスだから逃げるんでしょ!」「あたしのこと嫌いだから寝るんだ」等の支離滅裂な言葉を叫ばれました。彼女はこのように「自分のせいなんでしょ」というスタンスでこちらを攻撃してくるタイプの人格障害者でした。
その次の日は本当に大事な仕事があったので、つい「そうだよ。だから寝かせて」と曖昧な返答をしてしまいました。
当然メンヘラの彼女はショックを受けて、黙ったのち彼女の鍵アカウント(僕も当時は相互でしたが)に勢いよく愚痴を書き込んでいるようでした。その日はその光景を横目に寝ることができました。
次の日の朝、いつものように彼女が「ごめんね、昨日暴れちゃって......」と誤ってきます。そうです、迷惑をかけるだけかけておいて、そのあとついでのように謝ることで自分は悪くないと思いたいクズ人間なのです。
僕は寝ぼけながらいつものように「〇〇さんは悪くないよ」と優しく言いました。重ね重ねですが、当時の僕は初めてできた"恋人"を何が何でも失いたくなかったようです。
そんな言葉を交わして僕が会社へ行き、帰ってきて通知を確認すると彼女から「ごめんね」「ブスで」
とだけメッセージが。これは「ブスじゃないよ待ち」です。しかし、夜中に大騒ぎされ、就業の後で疲弊している僕は優しく対応する気力はなく、つい「そうだね」と返してしまいました。常日頃から醜い姿(顔だけではありません、体型や体毛の処理の甘さなども辛かったです。)を見せつけられ続けているストレスも溜まっていたのでしょう。
そうすると、彼女から「え、やっぱりブスってことでいいんだよね」
という返信。そうだっつってんだろ
これを送った瞬間、「終わった」という気持ちと「言ってやった」という気持ちが混在した不思議な気持ちになりました。
そしてしばらく連絡が途絶えた彼女。しかし1週間後に「ごめん、かわいくなるから。捨てないで」というメッセージが届きました。
しかし、こちらとしては一週間距離を置いたことで彼女に対して実に冷静な対応ができました。
「それは聞き飽きた。誰のお金で可愛くなろうとしてるの?たぶん〇〇さんじゃ無理だよ」
突き放すことができたのです。自分で自分を褒めてあげたかった。
「見た目も問題かもしれないけど、〇〇さんの性格の荒さにはもう付き合えないよ」
ときっぱりと追い討ちをかけることができました。
その後彼女からの鬼のようなメッセージや着信が来たので、すぐに全ての連絡先とツイッターアカウントをブロック。だいぶ端折っていますが、そういう感じで彼女とは切れました。
「意外とあっさり別れたんじゃん」
と思われるかもしれませんが、生々しいので省略している箇所が多々あります。彼女から受けた暴言、軽い暴力、メンタル的なハラスメント、金銭の搾取......etc.
それでも、しばらくは喪失感にぼんやりする日々が続いていました。
僕が今現在素敵だなと思っている人は、またツイッター上にて知り合うことのできた同じジャンルのオタクの方です。彼女とも話が合い、なんども通話を重ねていっているのですが、やはりあいつ(元カノ)はおかしい。今の方は人の話を聴くのが上手だし、僕の話を遮ってどうでもいい自分の自慢をしない。すごく大人な方に感じます。
依存体質のままで、まともに恋愛はできません。狂った恋愛をするか、別のものに依存するかです。僕の場合、「新しい爽やかな出会い」が腐らせないでいさせてくれましたが、「メンヘラモラハラ恋人とは別れましょう」と言ったところですぐに分かられられないのが依存カップルです。
だからこそ、今一度関係や、相手のことを見直してほしい。たいして好きでもない相手に、自分の大事なリソースを割かないでほしい。若いうちに考えましょう。意外と、自分のことを理解してくれたり、受け止めてくれたりする人なんて結構いるもんです。
電子書籍は本当に便利だ。
ギッチギチに混んだ満員電車内でも、少しだけのつもりのトイレタイムも、一瞬のエスカレーターでも、すぐに読書タイムに突入することができる。
でもボタンひとつですぐに購入できることはダメだ。ダメなんだ。本当に困る。本も漫画も好きすぎて、書店なんかに行くよりも何倍ものお金を使ってしまう。どこでも読めるからすぐに読み終わる。積読なんてない。すぐにまた新しい物語が読みたくなる。助けて。
読みたいけれど何冊も続くシリーズものが電子化されていないことに安心している。
追記。毎日鬼のように混む駅を使っているので歩きスマホだけは絶対にやらない主義です。エスカレーターも立ち止まって読んで、降りたら即スマホはしまいます。みんなも歩きスマホはやめよう。やめよう!!
ようやく合点がいきました。
デザイナーズ物件が済みにくいというのはもう昔から言われてることですが、なぜなのか。
なぜ建築のことを勉強し続けてる人たちが作った家が住みにくいのか。
デザインにステータス全振りしたらそりゃ住みにくいだろうというなんとなくふわっとした理由づけにみんな納得してきましたよね。
でもデザイン物件に住みたい。高くておしゃれな家は住んでて気持ちいい。
でもトイレ風呂が妙な位置についてたり、ほかの部屋に行くのにいったん外に出ないといけなかったり、子供部屋が鬼のように狭かったり暑かったり、プライバシーがなかったり、ベランダが洗濯物を干すには狭すぎたり、でかすぎて物置になっていたり…まあとにかく妙なことになっています。
田中卓志と遼河はるひが仮装夫婦になって人様の建てたばかりの家を見に行く番組なんですが、私はずっと引っかかっている回がありました。
その回で紹介された美容師夫婦の建てた家は、建築素人の妻が家の設計をして建てた家でした。それに遼河はるひが食いついた。
設計したのが素人と知る前から、家に入った時から、彼女はくいついていました。いつもとは違う熱量だったのが印象的でした。気に入ったんだなあと誰もが思ったでしょう。
そして見終わって、遼河はるひが言った言葉は「この家を真似しよう、このままの家が欲しい」でした。
そこまで?私は正直思いました。
おそらくその場に立ってみないと見えないところがあったんだと思いました。
個人的には今まで番組で紹介された家の中にはもっと素敵であこがれる家はたくさん出てきていました。でも彼女が食いついたのはその家だったんです。
その後も毎週、建築にこだわりがあり、趣味にこだわりぬいた家が紹介されていきます。
そしてある回で二階にプールのある家を紹介したときのことです。
その夫婦の奥様が中国人だったためでしょうが、どの夫婦も濁してきた「住んでみての失敗点」のコーナーで、彼女は住みにくくて不満ですとはっきり言ってしまいました。
やはりデザイン性を追求すると住みにくくなるのか……、そう思いながらも、あの美容師夫婦の家を思い出していました。
陳腐な言い回しだがパズルのピースがはまるように突然わかりました。
それは理由としてはごくごく当たり前のことでした。
「普段家事をしない男がデザインした家が住みやすくなるわけないだろう」。
いわんや、「士業の男」をや、です。世の中建築デザイナーの妻が10歳以上年下で専業主婦でなかったためしがありません。そこに見える男のロマンといわれるような傲慢な思想。ブラジャーを作っている大手企業の幹部が全員男だった時と同じ構図です。
主人よりずっと長く家に住む女子供を思いやれる建築士の顔が浮かびません。彼らは良い服、靴、時計、自分の趣味に興味があるだけで、妻や子供は自分の家にも住まわせてやってるという意識が働いているのです。代々木上原にあるような賃貸のデザイナーズ物件などに至っては「俺の設計した賃貸に住まわせてやるよ」という傲慢が見えるようです。
彼らの設計する家は、デザイン性によって生じる利便性の悪さをすべて自分の居住区以外に押し付けており、表から見える場所はきれいでも裏方がぞんざいです。
子供部屋は狭く、暑かったり寒かったり、子供が大きくなったら壁を作って狭い部屋をさらに二つに、とリビングの二の次、三の次の扱いです。私が子供なら成長につれ狭くなるような子供部屋は嫌です。
そして自分のこだわりのために毎日家で長時間家事をする妻の動線は無視されています。自分の金をつぎ込みたいところにつぎ込み、自分が使わない場所への節約が顕著にでた家の数々。そんなものが「家族」にとって住みやすいわけないのです。
そしてデザインに大きな権限を持つ建築主はこう言った番組で必ず言うセリフがあります。
丸投げなのです。そして換気扇が恐ろしく遠い位置だったり、キッチンの規模に対して小さすぎたりするのです。料理をしないからわからないのでしょう。
日中は家におらず家事なんかするわけない、家事がどういう流れで行われるかなんて考えたことも実践したこともない人間が、特に家事労働時間の長い家族の住み心地になんか元より考えられるわけないのです。