はてなキーワード: 風土とは
「世のため」とは人間社会のため、「人のため」とは他人のためなのですから、人間至上主義のエゴイズムがほとばしっていることにはかわりありません。さらにいえば、自分のためでは無いということによってあたかも「エゴイズムではありません」っていう大義名分を得るわけですから、むしろ危険です。
「世のため人のため」は人間中心の利己なのですから、どうやっても、地球のためとか宇宙のためとか動植物や国土風土のためだとかいう価値観には直結しえません。
道徳と称するものは、(儒教の)信仰ですから、「道徳はエゴイズムだ」というのはタブーであり、嫌悪されます。中国文化圏は儒教信仰で、日本というものも儒教国家です。そして、国家社会を維持するための方策として、儒教が教化されてきました。信仰を「間違っていますよ」と指摘されると怒るわけです、己の誇りの無さを埋めるために依拠するところですから。信仰とは、無批判に善悪が決まっていて、自然法則は抜け落ちます。日本は儒教国家ですから、儒教や道徳を批判することは国家社会の既成構造、既成状態を批判することと同じ、すなわち社会の既成状態によって助かっている人々にとって、儒教批判はタブーで、絶対にダメであるわけですね。
さて、例えば「一番じゃなきゃダメ」だというスパコンにせよ、その神戸のスパコンのケイってやつは確かに例えば気象シミュレーションに用いることで災害予測技術の向上にも活用されています。災害予測をすることで、「かけがえのない人命」が助かると、ほぼ皆思うでしょう?
人類は人間至上主義で、他の動植物や地球や宇宙のことが抜け落ちています。例えば、人命のためだとか、国家のためだとか、人類のためだとか、子孫繁栄のためだとか、そういう目的で資源も浪費するし、地球を破壊して、それでもなお増殖しようとしてきました。その異常性を省みることすら、ほぼ全ての人は、しません。
人命のためとか、産業のためとか、経済成長のためとか、国家のためだとか言っていれば、いくらでも資源を浪費してかまわないという理屈になるでしょう。そのためには、化石燃料を浪費するし、核燃料を遣ってでも電力をジャブジャブ消費可能にしなければならないということになる。防犯のためならば電灯点けっぱなしにもするし、宣伝のためならば看板の電灯も点けっぱなしにするし、自家用車は売りつけるし、誰もがモノを所有し放題で浪費していいという社会状態にした方が都合がいいわけです。
そもそもは例えば神道にせよ、原初の神道、つまり神祇信仰、いわゆる自然崇拝という時点では、地球や宇宙や自然現象に対する畏敬がありました。天皇は祭祀を行いますが、その祭祀の目的は天神地祇、つまり自然や自然現象の御機嫌を読むことです。それは、天皇以前の卑弥呼などであっても同じです。そういう超能力(ESP)であり、そういう職業です。
それに対して、神社神道へと変遷し信仰の対象が人へと換わり、そして人間の我欲を満たすことが主目的の祈願ばかりが行われるようになり、さらには国家主義のいわゆる右翼にせよ国家神道と称する儒教を信仰しているわけですけれども、そうなるともう人間社会至上のエゴイズムです。
人間ってそんなに大したタマなんか? 「かけがえのない命」っていうけど、どうせそのうち死ぬんだろ? それが当然の自然法則であるわけですから、その現実を直視してイヤイヤしないのが、本来の神道(原初神道)もそうですし、本来の仏教(人間釈尊が説いた仏教)もそうです。
儒教や国家主義だけではなく、民主主義とか共産主義とかでも凡そ、人間中心主義から脱け出られません。人間至上のエゴイズムから脱出するには、そもそもの自分自身の思想が、脳が、その域に達する必要があります。デモクラシーであろうがコミュニズムであろうが、当の人々ひとりひとりがその域に達した生物にならなければ、人間至上から抜け出した自己客観視の可能なスーパーエゴのある社会にはなりえないのです。むしろ、民主主義とかいってその域に達しない人が政治参加をして自己批判もしないでいると、エゴイズムによる政治になります。つまり衆愚政治になります。けれど言うまでもなく、独裁体制や階級政治、身分による社会であっても、社会を差配する者がエゴイストであれば、話になりません。
そうすると、今の、安倍日本にせよ、プーチンロシアにせよ、トランプアメリカにせよ、どうなのかって、いちいちここで言うまでもないと思います。
サラリーマンの幹部養成学校の一日が刑務所と変わらない→実際に行った人たちが続出 - Togetterまとめ - https://togetter.com/li/1083373
▼Q:なんでこんなものが続いているのか
ここの母体は「社員教育研究所」という会社で、ビジネスマナー等の半日研修セミナーをメインにおこなってます。昔いた会社では、正社員は全員ここの半日研修を受けることになっていました。管理者養成学校に行くのは管理職と新卒社員だけでした。
半日研修は、意外にもいたって普通の内容です。笑顔の耐えない講師の人が当たり障りのないビジネスマナーを教えてくれます。半日話を聞いて仕事サボれてラッキー、くらいの感覚で受けました。しかし講師の笑顔にだまされてはいけません。それはただの仮面です。ここの講師は全員管理者養成学校の教師を兼ねてます。いつでも怒鳴り声があげられるのを、セールス向けに意図的にゆるーくゆるーく振る舞ってるのです。
この、セミナーの使い分けがポイントです。管理者養成学校の卒業生は一部が完全に洗脳されます。よしんば洗脳されなくても、管理職的な視点から後述の「一定の効果」を認めるひとは少なくありません。そのため、「管理者養成学校にいかせるまでもない(行かせたくない)けど、多少学んでほしいことがある」と考えた管理職は、このゆるーい半日研修を採用するのです。つまり、
というサイクルが発生しています。飴と鞭に近いものを感じるというか、よくできています。多分なくなりません。
▼Q:「一定の効果」ってなに?
→トップダウン式の企業における「上からの命令には迅速かつ忠実にしたがう」という感覚を身に付けることです。
命令に従わなかったり、勝手な判断で動く社員はどの企業にも一定数発生します。それを許容する文化もあれば、「上からの命令は絶対に守る/言われてないことは絶対にしてはいけない」という文化もあるでしょう。そして、例えば急成長して組織構造が確立していない大企業のような「企業風土はまだ根づいてないけど、上としては絞めるところをしっかり絞めたい」という意識が働きやすい企業は、荒療治であっても命令に絶対服従の社員を育てたいと思うではないか…というのが私の予想です。
他にも「承認体験を与える」「ブレインウォッシュしたあとにある種の価値観を植えつける」とかもありますがこれも後述します。
▼Q:実際にはなにやるの?
本当です。たとえば、「駅前に立ち、大声で歌を歌う」「歌で審査員を感動させる」「動きを激しくアレンジしたラジオ体操を覚える」「行動力基本動作10ヶ条を暗記する」といった課題を与えられます。それらがすべて合格にならないと補講が発生し、強制的に宿泊数が一日延びます。そんなことをわたしは7泊8日で怒鳴られながらおこないました。
この「意味がない」というのは実はとても効果的です。そもそも、入校初日に先生から
「ここで教えることに意味はない。大声を出そうが、歌が歌えようが、仕事はできるようにならない。だけど、ここは研修、練習の場だ。練習でできないことが、本番でできるわけがない。ここでの訓練を通じて、社会人としての一挙手一投足を学んでほしい」
とか言われます。そしたら「意味がないじゃん」という反論は意味をなさなくなります。しかも、「意味はない」けど「歌で審査員を感動させる」ために歌う歌が
要領とごまかしで 長い坂はゆけない
仕事場は戦いの場 半端ではない
やる気になって汗を流せど 力なき悲しさ
いつかみじめな自分を見るだろう
年をとってほぞを噛むなら いまやるがいい
ひらけゆく青空の大きさはどうだ
しなやかな若竹にできないということはない
なんて歌詞なんです。
ここが恐ろしい、そして本当にすごいところで、教師が意味を提示しないので、自分で考えるしかないんです。
「意味がない」からこそ、「自分で意味を内面化する」。このための仕組みが管理者養成学校はとにかく高度に作られています。たとえば、大声で歌を歌うとどうなるか。脳が酸欠になり、思考力が低下します。どれだけ歌っても鬼の形相の教師が怒鳴ってきます。何度も審査に落ち限界に限界を重ねて大声で、精一杯気持ちをこめたあと、教師が満面の笑みで「合格!」って言って抱き締めてくるんですよね。このときの承認された感覚は半端ないです。涙がボロボロ出ますし、ボロボロ泣くのは気持ちいいです。承認体験は人を盲目にします。
なお、こういった方法論は一般的にbrainwashingと呼ばれているはずです。そういった仕組みを利用しているのは軍隊とカルトの二つが一般的ですね。
▼Q:嫌じゃなかった?
ポイントは「秒単位の余裕すらない規律」「徹底した団体行動」「常に見られていること」「でも絶妙な息抜き」の4つです。合宿中は一日を5時起床/22時30分消灯で行動します。自由時間はこのうち合計3時間ほどありますが、単独行動は禁止です。研修はグループでおこなうので、一人だけ休む、一人だけ練習するなどは禁じられています。本当の意味での自由時間は、起床と就寝のための30分くらいです。それらは布団の出し入れと着替えでつぶれます。
なお、行動と行動の間に1分でも空き時間があれば、なにか練習しないといけません。寝泊まりと訓練をする部屋は一面ガラス張り、かつ消灯時以外はカーテンを閉めるのを禁じられています。教師は常に見回りをしており、なにもしていなかったら怒られます。あなた方はパノプティコンをご存じでしょうか。
見られているのは教師だけではありません。同じグループのひとや、違うグループのひとも同じです。学校では実に細かなルールが設定されています。「部屋を出入りするときは『失礼します』とおじぎをしてから出入りする」「移動時には常に小走り」「椅子から立ち上がるときには椅子を必ず机の奥まで入れる」等々。そして、「ルールを破った人がいれば他のひとが注意する」「注意されたら『ありがとう』と返す」等々。ここでは生徒もまた監視している存在なのです。
しかし、ガッチガチでありながら、休憩時間にビールやタバコを嗜むことは許されています。絶妙です。縛るところは縛りつつ、一握りの自由を与えます。また、グループ内でのコミュニケーション促進にもなります。
▼Q:みんなこんなルールを守るの?
→守ります。意味がないルールでも、ここでは規律が内面化されるからです。
一番面白かったのは、「風呂に入る前には、風呂場の上に書かれている『風呂に入るときは、1:頭からお湯を二杯かぶる 2:頭を二分洗う 3:お湯を三杯かぶる 4:水を一杯かぶる 5:体を五分洗う ...』の規則を必ず読み上げてから入る」でした。みんな読み上げるし、書かれている「体を洗う順番」を守ります。本当に。風呂は息抜きの場ではありません。厳密には、「息抜きをしつつも、規律は規則として必ず守る」という感覚が四六時中植えつけられます。
▼Q:あなたは何を学んだの?
→ラジオ体操でぶっ倒れるとか、40キロ歩いて本当に立ち上がれなくなるとか、あとは四六時中怒鳴られたときに何度も発生したミスがあるとか、そういった点での「私自身の体力的・精神的限界を知れた」ということは結果的によかったかなと思います。
また、『1984年』の二重思考ってこういうことなのかと体感しました。承認体験が重なるにつれて、「規律めんどくさい!」が「規律を守ることは楽しい!」に刷り変わっていく感覚は絵も知れぬものがありました。訓練の最後には「この学校は最高だ!!」って本気で思ってました。でも「学校を補講なしで卒業し、一日でも早く出たいから全力で試験に合格しようとする」んです。
矛盾してるでしょう?でもそれを可能にするのが管理者養成学校なのです。
→同感ですがつぶれないと思います。洗脳されてるひと結構いますし、この「洗脳されてる」が「『個人の人格』とは別の『社会人としての規範的人格』を学ぶ」と錯覚してるひとは多いです。私も、管理職の立場になったら部下に行かせない保証はないなと思います。
▼Q:おまえは既に洗脳されてる
→洗脳っていうのは「こんなの絶対おかしいよ!」って理屈で理解していても「わー!たーのしー!すごーい!」と思ってしまうから洗脳なのです。
http://anond.hatelabo.jp/20170213071814
完全にコレじゃん。
http://anond.hatelabo.jp/20170131211441 子孫を残すってシステムは不平等の温床だと思う
親が完璧人間→ベースのメンタルや遺伝的性質が完璧なので何をやっても上手くいってしまう
親がゴミクズ→ベースのメンタルからしてゴミクズなので何をやっても上手くいかないか上手くいってもサイコパスとしての成功
男女の平等や出自の平等が叫ばれるのならば親の違いによる不平等もなんとかするべき
そのバカくんは子孫残すことや私有財産自体が問題だっていってるので社会主義かスパルタ市民の立場。
歴史の中で格ソリューションがどんな末路を辿ったのかを把握する知識とかも、
格差によって差がつくわけで、
格差に憤る人達がバカくんに冷たくするのは筋が通らないっちゃ通らないんだけどね。
はてなは「バカは厳しく批判されていい」って風土だからそのルールでいつも殴りあうし、
「お前等はバカなので俺は殴る!」って態度も論が立ってれば是とされる。
その風土の居心地よさはあるんだけど
根底に某座談会へのブチ切れがあるので、不快になる方の方が多いと思われますのでご注意ください。
・被害妄想
・少し言葉が悪い
基本的に、声のでかいオタクが苦手なのですが、そのうえで自分が信じているものを貶された(と私は受け取りました)ならそりゃあ 腹立つでしょ
今回の座談会は、過去の拙い記事(http://anond.hatelabo.jp/unknownchang/20161229)の引用で恐縮ですが、
”https://togetter.com/li/324664
上記記事で記述されているような類のものや、#夢小説あるあるというタグが付いているツイートで茶化される夢のスタイルの認識でいるのではないかと。
(中略)
そういった、夢のスタイルとして広く認識されている「誰か素晴らしい特性を持った人から見初められて運命が一転し、その過程で成長する話」のことを指して夢と呼んでいるのではないでしょうか、というところに落ち着きました。”
昔読んでいた夢がそうだったから今でもそうだと思ってるんでしょ、という認識です。
こういうことを書くと夢界隈怖い~wとか言われそうですが、関わりたくないです。私はたたら場で暮らす。あなたは山で暮らす。以上。それだけ。
主題に戻りますと、夢は自信がある人がするものなのかという話です。
某つ○いさんの著作でも、「腐は壁になりたい、キャラクターと恋愛なんておこがましい」等と書いていらっしゃったと記憶しています。
もっとうまく反論したいのですが、悲しみが先に来てしまって何も言えなくなってしまいます。
好きなものを好きなように創作し、タグもたくさんつけて、注意書きも検索除けもして、避けたいなら避けれるようにしている風土があってある程度適用されていると思えるのですが、それでもまだ貶しの対象になってしまうのが悔しいというか。
そこに理屈なんてあんまりなくて、ただそうしたいからそうしただけで自信があるのね(笑)みたいな空気醸し出されなくちゃならないのなんでなんでだろう
別に自信のあるなしは関係ない、もっというと作者の自信のあるなしは関係ない、作者が、読者がそれに投影/キャラ付する器なだけでその器の行動が作者や読者の自信を表してるなんて論理の飛躍だと思うし。。。
全然まとまっていない
ただただ悲しいし腹が立つ。こんな広く伝わるメディアで言われたらどんなレッテルを誰の心に芽生えさせたかわかったもんじゃない。
スタート1年弱で、モバイルに強いメディアとして認知度を上げたTABI LABO。
イケてる会社だと思って入ってみたら、ブラックとしか思えないトコだった。
1.パワハラの温床
失敗した人はみんなの前で公開処刑が基本。詳しく後で。
2.休日は月2日
もともと代々木上原にあった時はの雇用形態は、契約書もなく「残業代こみで○万円」みたいなやり方。
休日も適当。法務担当者が入り、一応会社っぽくなったものの、アクセス数がかなり下がった時「とりあえず記事を連発しろ」と〇〇ちゃんから号令がかかり、ライターの休日は「月2日」に。週2日ではなく、月2日。
3.離職率の高さ
一年以上いる人はちょっとおかしい。まあ役員抜かせば数人だけ。たいてい転職活動うまくいっていない。
優秀な人が入ってくると、体制のおかしさに半年以内でやめていく。
三ヶ月で三人辞めるのなんてふつう。だからみんな名前を覚えられない
・パワハラについて
1. 「〇〇ちゃん」
DELLのセールス出身で、自分の記録がまだ破られていないことが誇り。
口癖は「なんでできないの?」「一度言ったら分かってると思う」
セールスの成績が悪いと、ミーティングなど人のいる前で怒鳴る。なじる。責める。
部下をマネジメントするというよりは、怒って動かす系
2.社員間でも
他にもなぜか人がいる前で「体でかいのに全然セールス案件取れてない」「見かけ倒し」「あんなにできないヤツなんでいるんだよ」など、パワハラ発言は日常。やめた人のことはかなりひどく言っているね
3.Slack
社内チャットツールとして、用いられているここも、パワハラパラダイス。
例えば誰かが失敗すると、全員が見られるスレッドに
「××の○さんから連絡がありました。A(失敗した人)さんの対応が悪かったため、怒っています。明日謝罪してください」
とか
「B(失敗した人)はちゃんとやってんの?いつもこういう失敗してるじゃん」
失敗した個人にダイレクトメッセージで教える、とかではなく「みんなが読めるスレッド」に上げるところがキモ。
これはもはや企業風土。報告の意味で「Aさん、××の○さんから連絡があってちょっと質問があるから個人に投げるよ」という手法ではなく「オープンにするため」(!)と「全員が見られるスレッドで公開処刑」するのが好き
・他の驚きポイント
1.話を聞かない(聞けない)〇〇ちゃん
オールドメディア出身者が、ほぼいないTABI LABO。メディアのありかたを教える的役割として、としなおさんが定期的にミーティングへ参加している。あくまで数字を取りに行きたい〇〇ちゃんと、メディアの質を上げたいと考えるとしなおさんが衝突した時「〇〇ちゃん、うんうん言ってるだけで全然話を聞いてない」。これにも「そんなことないですよ」と流す対応しちゃう。としなおさんがいる意味って、あんの?
2.経営方針がよく変わる
例えばアクセス数が下がった時。「会社存続も危険な状態」という説明だけで「なぜアクセス数が下がったのか」という説明がなく、ライターはノルマ記事の本数を増やされ帰れない状態に。今でも「なぜ」の説明はない
名物扱いになっている、ランチ作り。チームがあって当番制、押してる仕事があってもここは強制参加。ミーティングも多くて、ランチ当番とミーティングたくさんな日ががっちゃんすると、自分の仕事なんてほとんどできない
4.やけにミーティングが多い
〇〇ちゃんが出席し、普段の生活で楽しかったこと、みんなに伝えたいことなどを当番制でプレゼンしていく「びんダイレクトミーティング」や、としなおさんを交えて月一回、二時間タビラボの今後について話すっていうやつなど、やったらミーティングだらけ。ファシリとかいるけど、時間内には大抵終わらない。このおかげで仕事が進まない
セールス部屋にはクライアントの名刺が散らばっていて、誰でも見れる状態。お客の名刺をなくすヤツも多い。それによく物がなくなる(クライアントから借りてるものさえも!)
面接で「タフな人じゃないとつとまらない」「臨機応変に対応できる人じゃないとムリ」って言われてる人が多いけど、逆に考えると、、、って話。残業多いのも、休日ほとんどないのも、給料安いのも「スタートアップだから」。9時5時のスタートアップもたくさんあるんだけどね
7.洗脳
失敗した時、なぜそれが起こったのかを教える人がほぼいない。怒鳴ってなじるので、多くの人が「自分は仕事ができない」と思ってへこんでいく。そして「自分の居場所はここしかない」って思い始めると、ここでは長く働くことができるというスタイル。自尊心が下がっているので転職活動もせず、うつ寸前になりながら歯車になっていく
スタッフ個人ではいい人たちなのに、あの組織内だと平気でパワハラしてきたり。とても不思議な企業。
問題点が多いのに、働いているのはメディアに憧れを持つ人、タビラボかっこいいって思ってる人、洗脳が完了した人たち。MAUの低下も、ブラックでスタッフの心が病んでてそれが仕事に表れてるからなんじゃないかと自分は思う
素晴らしい内容だと思った
元サイバーエージェント社員だが、あの会社の儲かれば何してもいい的な考え方がほんと嫌いだった
他社をパクってちょっと変えて運用で儲けようというのを社長を元に指示している
社長がそんなだから新卒であの会社に入る奴らもモラルがそれとイコール
今回の一連報道に対しても、受け取る側が情弱なのが悪い的なことsnsに書き込んでて、ほんと糞だと思った
意識高い()でもない。
加えて、自分の会社でも辞めた人、辞めようとした人を見ていろいろ考えた。
それで思ったのが、「意識の高い低い」について。
意識の高さはモチベーションに繋がるから、いいことだとは思う。
それはどんな仕事であれ、前向きにこなせるだろう。
しかし、その意識の高さに対して、仕事の内容が意識を下げる仕事だったら、
そのギャップに辛さを覚える気がする。
意識の下がる仕事は本人にもよるので、内容の問題ではないし、特定することもできないだろう。
仕事がしたくても、できないような状況で不満が溜まっていく。
なければ作ればいいという人もいるだろうが、この場合、そういった行動論の話ではなく、
また、意識の低いというのは本人によるので具体的なものはないが、
意識を高く持たせるのは社員を定着させるためにいい手段だと思う。
しかし、それは言葉ではなく、仕事で行わせないといけないんだなと思った。
またはお金を本人の期待値以上にして、期待を持っていると示してあげる。
そして、それができないのなら、意識を高く持たせてはいけない。
なぜなら、ギャップで退職者は増えていくだけで、おそらく会社には後々還元されることはないだろう。
それでもきっとこの会社は退職した人がまとなことになっていたら、
退職した人を育てた優越感に浸り、自分を省みたりはしないんだろうと思う。
私はとっくの昔にSNSのまとめで私鉄嫌いを(事実上ではあるが)ほぼ全面撤回した。だから、私鉄含めて鉄道は左程嫌っていない。
しかし、最近の一般市民による日本の民営公共交通、特にいわゆる「私鉄」に対するバッシングは理解できるよ。
だいたい、私鉄なんぞ昭和の終わることにはとっくの昔に公営化できた。しかし、日本人はそれをしなかった。
何故だろうか?それは、私鉄が事実上の特権産業になっていたからだ。
東京でも郊外の片隅に行くと、私鉄地本が根強かった時代の名残が残っている。
例えを言えば都市開発。現在でも東京の都心を少し離れただけで、私鉄資本の都市開発地域が残っている。
当時は、私鉄線とその会社が同一の建物しか建っていなくて、地方よりもむしろ私鉄社会の郊外のほうが、この地域には○○資本の店がないという地域が多かった。
2000年代までは私の住んでいた地域(2014年に一身上の都合で引っ越したが、引越し距離がたったの1km強なので住んでいるでもかまわないと思うが)も身近にその風土が残っていた。
しかし、2010年代になるとその流れが止まる。理由は言うまでもなく、近頃の新設鉄道は第三セクターが主流になったからだ。
理由を考えてみたが簡単だった。公共交通は公共の財産であり、最大限その利益が公共に還元されるべきという社会意識が高まったからだ。
新自由主義が経済に浸透すると、私鉄社会の根強い郊外にも外資系やファスト風土系列の建物が進出するようになり、音を立てて私鉄と一体化した郊外の風景は崩壊していった。
最近は、よく訳のわからない事故が多くなり、東京あたりでも鉄道以外の公共交通利用などが増えているらしい。
それに、私は最近の安い有料駐車場や有料駐輪場の増加について疑問を抱いていたが、その謎が解けた。
余った土地を有効活用しようというのが一番わかりやすい回答だが、やはり最も現実的なものは、最近駐車場や駐輪場の需要が増えたかららしい。
話を聞くに、鉄道交通が(定時率の低下で)あまりにも使い物にならないために、バスの交通機関にもあふれた人間が車やバイクや自転車を使うようになったというのが多数なのだが、私はその真相を知らない。
いずれにせよ、嘗ては街の誇りでもあった私鉄社会が今では街の恥さらしとして認識されつつあることは間違いがないだろう。
弊社は一部上場企業で部署にもよるが残業も少なく、サービス残業なんて以ての外という比較的ホワイトな職場。
だが割りとガチガチなところもあり、その一つが会社PCの私的利用禁止。
たとえ業務時間外だろうと会社PCでエロサイトなんて言語道断、プライベートなメアドにアクセスしたりするのは当然のこと、業務に関係すること以外利用するのは禁止という徹底ぶり。
正しいのだろうが、窮屈に感じているのも確か…
昼休みに会社のPCで業界系のニュースを見るついでにはてなブックマークのトップページから気になる記事に飛んで、はてブコメントとか見てたんですよ。
ただ、そこにはNHKや朝日とかだけでなくtogetterとかヨッピーの記事とかも入っちゃってたんですよ。
で、ログ解析している情報システム部門から「増田さんは業務外の利用が見られます」と部長までクレームが行って、結果、部長に呼び出されて説教されたわけ。
確かに正論だし、お叱りは粛々と受け止めざるを得ないんだけど…
いきなり部長にまで苦情が行くのはどうかなー、と思わなくもないというか。
でも、わざわざ逆恨みしやすい方法を取る情報システム部門もどうかと思わないでもないか。
うちのオフィスは周りに何もないので昼休みに外出するなんてできないし、オフィスで昼寝するかスマホ弄るしかないんだよね。
ただ、スマホの画面を他人に見られるのはあんまり好きじゃないから会社のPCでニュース巡回してたんだけど、今後はスマホ弄るしかないかな…
アラフォー世代と話してると「昔は仕事中にブラウザゲーしてたw」「エロサイト巡回とかしてたw」とか聞くことがあるんだよね。
そういう会社の風土があるのか、それともそういう時代だったのか。
煙草も吸わない私は業務時間中に大っぴらにサボることもできないし、同僚との雑談もあまりない仕事場なので粛々と仕事をこなして定時を終えるしかないんだよな。
昇進試験を控えると、上司から過去の資料や問題の傾向を資料として渡される。もちろん自分でも資料をかき集め必死に勉強をするが、調べてみて考えてどうしても分からないことは教えて貰えるし、頼めば小論文の添削もして貰える。そして一次試験に合格すると、面接の練習もして貰える。他のところではどうなのかわからないけれど、うちの会社には、職場には、そういう風土があって、自分もこれまで何度かお世話になっている。
ただ先日、一人の先輩はこう言った。
「あの人たち(上司)が本当に部下のことを思いやって付き合ってくれてると思ってる?そういうところ、今の若い子たちはわかってる?みんな自分の休みの日にまで出てきて(面接の練習)やるの、正直なんかさ…心配というか…。上司は対策をした、練習をした、それに付き合ったという実績とか、合格者を自職場から出したという実績を求めてるんだよ。振り回されてない?親身になってくれてるようで感謝してるかもだけどここにいるうちは考えた方がいいよ」
自分もうっすらとは知っている。部下の出す数値・実績・昇進試験の結果……そういったものが上司の評価になること。でも先輩が言うほどの思惑に満ちたものだろうか?穿った見方をして、本当にそこにある厚意や優しさまでゴミ箱に投げ入れるようなことをしたくはない。少なくとも、自分の時間を割いてくださることへの感謝はしないといけない。自分一人ではなかなかたどり着けないこたえを一緒になって考えてくれるのは、たとえ実績のためだとしてもありがたいことにかわりはない。
上司の知恵をあずかっているのだから、面接の練習の回数が少し上司の実績に織り込まれるくらい、気にしなくてもいいと思うけどな。上司を盲信しているわけでもないし、本当に休みたいときは休んでいる。でも、先輩にそうは言えなかった。
パラパラとかディスコミュージックみたいな、ギラギラした音楽と言うかショーはどこが発祥なんだろう
youtube でドラムラインの動画を見て、イギリスとかそのへんの伝統的な兵隊のような動画を見て、かっこいいな〜と思った
日本の同様なパフォーマンスをみて、ギラギラしすぎててなんだか悪く言うと下品だなあという印象を受けた
いや、それなりに技術もあるし真似はできないっていうのは確かなんだけれど
日本ってそもそもパフォーマンスが厳格なものって雅楽ぐらいなのかな?
祭りとかに関しては、砕けてみんなで盛り上がろう的な風土なのかなあと思った
キッチリとしたもの見せるよりも、それをベースに砕けてまわりを巻き込む、見るだけじゃ終わらせないみたいな感じ?
てか80超えて月に27日働いてる人がいたらが誰か教えてくれよマジでwいるのこの世に?まァじでw
もしこれ90超えてやってたらねえ、ほんとにやばいよ?心配したほうがいいよ国の将来ほんとにw
俺なんかもう普段は人々の傍らに立ちその声に耳を傾け思いに寄り添ってきたけど、友達じゃないから、アナタとは
ほんとにぃ、考えたほうがいい、ほんとにw
老人を死ぬまで公務させるとか、どwどう生きたらそうなるの?っていう
戦前だったらいいよ?戦前だったら俺もそういうくだらない、俺の先祖現人神とかいってたから
戦中だったらあのーこれから歴史色々あるよ、ABCD包囲網とかあってぇ、まあなんだし、
そういうことしてたらいじめられるよ ってー まあまあまあ 戦中だったらね
基本的人権が日本の風土に合わないとか言って憲法草案作ってる国に、何かいおうって言う国がそもそも周りにいない、そんなこと二十世紀超えて言ってたら
3~5人くらいの部署で働いてたが、業務が原因で体を壊して退職した。
・周りの人に仕事のしわ寄せがいく。皆が必要以上に気を遣ってしまう。
・治ったところで再発する可能性がある以上、いつ爆発するかわからない爆弾を抱えていられない。
というところだった。
直属上司には完治後復帰の打診があったが、企業風土が嫌になったので戻る気はまったくない。
私と同部署だった正社員が鬱で休職した。業務を回せるのが自分1人しかおらずまずい、ということだった。
話を聞いたら、退職後に非正規の仕事内容なんて正社員で分担すれば十分、人員補充や他部署からのヘルプはなしに決まったそうだ。
鬱になった正社員はお気の毒に、上司の上司の態度じゃ治っても居づらいだろう。心の底から同情する。
しかし休職すら却下されて退職するしかなかった私に正社員の休職の話をして、直属上司は何を求めてるんだ。
モヤモヤする。
興味深い着想ですね。
貴方のネット民へのイメージはさておき、色々な理由があると思いますよ。
まず第一に、食べ物の好み自体が基本的に叩かれ辛いのではないですか?
私見ではスイーツ、ジャンクフードが偶に槍玉にあがりますけれど、スイーツ巡りやハンバーガー比べのような嗜好そのものを問題視する人は少ないです。
物を食べずに生きている人はとても少ないですが、その中で安価且つ手軽に調理、消費、更にアレンジできる物は限られています。
日本人で生まれてから一度もラーメンを食べた事がない人は、とても少ないのではないでしょうか?
それは需要があるから広まったのであり、「御飯好きは粘着質」だとか「パン好きは低知能」等と叩いてみても効果がないと思うんです。人気があるのに叩かれないのではなく、叩く意味がないから人気になったのではないかな、とも考えられます。
詳しくはないですが安藤百福氏の発明や、支那ソバとして広まった経緯、隣国での扱いや交流、素材として適した食物やそれに関わる風土、高度経済成長や屋台の存在、そういった様々な要素が絡み合った結果として今のラーメンの人気はあるのではないかと考えます。
もちろん、この三つが全てではないかもしれませんし、そこまで意識して食べている人も多くはないでしょう。
祖母の代わりに都民劇場のクラシック定期演奏会に時々行く。いつも演奏の素晴らしさよりも観客の咳やいびきや謎に長い拍手などが印象に残り胃がキリキリして戻ってくる。
今日も本当に酷かった。演奏の合間に咳どころか演奏中にゲホゲホ会場を出入りする音が響く。最後の音と一緒に咳をして余韻をぶち壊し。
会員制があり高齢者の固定客が多く、周りも咳をしてる寝ているから少しくらい良いだろうという風土が出来上がってるんじゃないか。最高峰の音楽を体調を押してまで聞きたいのはわかるけど自分の引き際をわきまえて欲しい。
今日は有名な演奏者で初めて都民劇場を観に来た人もいると思う。びっくりしたんじゃないか。
こんなにモラルがない観客の前で演奏するアーティストがかわいそうだしこんな行事に都税が使われてるだろうことに本当腹がたつ。
首都でも京でも無いくせに「東"京都"」呼ばわりしてる方がどうかしてるんですけど。江戸府は江戸府でしょ。()
なるべく角が立たぬよう、直接的な表現を避け、婉曲させ、言い換えて、本来の呼称から遠ざけていくのが国語の特徴。
狹い島国の風土が生み出した和を尊ぶ我が国のひとつの文化ですことよ。敬称なんてまさにそれよね、役職や立場で相手を呼ぶ。
固有名詞に拘る貴方は親御さんを名前でお呼びになるの?「先輩」とか「先生」とか「オー シャチョサン スケベネー」なんかも使わないのよね?
「失礼、ちょっとお花を摘みに‥‥‥」なんて口が裂けても言わず「ちょっくらクソぶっぱなしてきます!」で通してるってことでしょ?
それってあれなの? 固有名詞をそのまま使うアテクシったら、みんなと違う、まじかっこいい、みたいな気持ちなの?ねえ、そうなの?
やだー
http://anond.hatelabo.jp/20130519005701
ああ、もう慣れたのかな。なんて勝手に思ってほったらかしてた。ごめんなさい
生き生きしてるように見える
異動先でも怒られ続けた
本当に感謝してる
この部署には1年半いた
去年の夏にまた異動になって、今が社会人4年目
期待してくれてるのがわかるから、がんばって応えようとしてる
運だけが便り
この3年間を振り返ってみました
Amazonさんで、メーデーって航空機事故を主題に扱ったドキュメンタリーを片端から見てるのだけど、
事故調査の過程が、アプリ開発者として運用チームから報告が上がってきた障害表とバグ取りの関係に似ていて妙なところで共感。
番組冒頭の事故が起きるまでの小ドラマによる前振りやインシデント報告が上がってからの切り分け処理。
自分は運送会社で使われているポータブルデバイス( 玄関先で荷物を見ながら入力しているちょっと大きめのごついアレ)の
保守運用をしているのだけど、アプリ開発者として宅配するお兄さんがどんな操作をしたのか
同僚をお客さんに見立ててちょっとした演技をしながら問題が再現しないか確認することが多い。
汎用的なアプリやゲームなどでも、上がってきたログやエラーレポートで
そこに明確なシナリオを描く必要があるのは用途が固定された業務用ゆえだろう。
この段階だと、工場出荷時の単純ミスから1000台に1台のレアケースまで
ちょっと罪悪感を感じつつも推理番組のようで楽しくリラックスする。
さすがに、アプリが原因で人が怪我したことはないことも理由の一つだが。
しかし、番組後半からの原因究明真相パートでは結構辛いのは業務も同じ。
番組は、整備不良、しかも手順にルーズな社内風土や慢性的な人員不足による忙しさによるテスト漏れなど身に覚えがあることだらけで胃が痛い。
現実は、障害レポートの提出でごめんなさいと過失の割合をいつも考えて、次のシーズンで協力会社の席があるのか考えている。