はてなキーワード: 結果的とは
評価損益:-5,188円
評価損益:-4,896円
トータルで見れば-2,693円
結果的に見たら素直に全世界とアメリカにブッパした方がいいのね。やはり先人の言ってる事は間違ってない
という事で今年の1月に「ブラックロック・ジャパン株式会社」の「iシェアーズ 米国株式インデックス・ファンド」ってのに10万円突っ込んで、今のところ+3,839円
現在進行形でめちゃくちゃ小便行きたいけど家のトイレの電気がついてる。
漏れそうなんだからトイレをノックすればいいだけの話なのだが自分にはそれすらもためらわれる。
まず前提として私の家族は全員トイレの鍵をかけないし割とトイレの電気を消すのを忘れて出る事がある。
次に母は割と遅くに起きてくるので朝方にトイレを使うのは父親か夜通し起きてた私のどちらかであり、父親はトイレの中でスマホを見てたりでめちゃくちゃ長い。
この二つを踏まえて今、家のトイレの電気がついている。父親がスマホを読みながらうんこをしているかとっくにトイレを出て無人のトイレを前にして私が右往左往しているかは半々の確率である。
ここまでが前提。
ただコンコンとするだけで返事が返ってこなかったら父親はトイレの中にいないし、もしもいたらスマホを見るのをやめて出てきてくれるだろう。
ノックさえすればいいのだ。
それができない
父親が中にいた場合、ノックをすれば急かしてトイレから父親を追い出す事になる(漏れそうなんだから実際急かしているのだが)
違うんだ…急かしたくはないんだ…父親がトイレでうんこをしてるかスマホ読んでるかなら別に待っててもいいんだ…漏れそうだけど我慢はできそうだから…
人が入ってるかどうか確認したいだけだが確認の為のノックをすると結果的にトイレを急かしてしまうのではないかと考えてしまう。私だってうんこしてる時にトイレ急かされたくないし…
家族とすらコミュニケーションが取れない人間だとこんな事をぐだぐだ考えていつまでたっても行動に出られない。
でもこの増田書き始めて20分は経ったから流石にこんな長くは入らんだろうしおそらくただの電気の消し忘れだろう。トイレ行ってくるわ
https://odaibako.net/gacha/5976
それを容認するのはよくないし悪いよな~の考えです。
ノーマルがアブノーマルの反対の論が通るのなら、そのまま異性愛者の意味で伝えられてる以上それはNLより直球で排除する人が多くなってて結果的に差別なくせてない…のでは…
個人的には悪口と分かって広めるのもNLより直球に差別的な思考に感じてしまってます
へテロはホモと対称なのがなんか嫌…て意見もよく見るんですが、その心理を使用して「差別主義者」という意味合いの悪口として使われてるので、その嫌だなって意見は気に入らないし通らないって意見もその悪口として使われてる事実を封じ込めてしまっているんですよね…だからそういう理由でHL表記に差別性があるのは通らない…という論は無理があるというのが私の意見です。
感覚として実際悪用されてるんだから間違ってないんじゃないかな…
だってその異性愛表現そのものを悪口で呼んでいいって考え方は、その中に含まれるバイセクシャルが異性と恋した瞬間に悪口で呼ばれることになるってことですよ
そういうの考えもせず異性愛描写だからって悪口であるのを無視して使わせようとするのは差別でないと言えるのかな…って
対照だからというのは差別にならない、というのは、実際に悪口として使われていない状況で初めて作用するもので、差別を無くすためと言いながら異性愛の中の少数派が見えてないのは、そうしてもいいって思い至らない、これにはそういう扱いしていいって優しさの欠如ではないかな…
また悪口として避けられている側面がある状態の現状、区分けして平和を保つのための表記という本来の意味をなしていないので…
(思想がめんどくさくてすみません)平和的でないという理由でNLもこのガチャでは使っていません…争いって最近のニュースとか見てると嫌気さすよね…
なのでそれらの問題を解決するため、新しく表記についての記事をもとにまだ提唱されていないco-edloveを提案します…!
考えに同意していただけたら他の方も使って頂けますと嬉しいです…!
もとは共学の意味でしたが、現在はそのまま男女混合としてそのまま使われてて、共学の際はcoed schoolとするそうです。
これならバイセクシャルや性自認で悩む方も使えるんじゃないかと思いました。
現在NL表記で、HLが悪口として使われているのを見かけ変えにくく困っているという方も、考えに同意していただけたらCo-ed Love(NL)など分かるように表記してもらえたり、表記を変えなくても「こういうのがあるよ」とツイートしてくださると助かります。※ハイフンを入れてco-edにしてください。coedだと男女混合のスポーツのタグとして使われてます…
HLを広めてくださってる方にも
「世間に広まっていないのNLを使い続ける理由にならない」という考えの方が多く見受けられるので、クラスタ内でも提起して浸透するのにご協力いただければと思います…!
・昨今の情勢を問題視し日常でも争いを巻き起こすことをよしとしない方
・性を揶揄したり否定することを容認する、差別の根本的な価値観を問題とされる方
はぜひ広めてほしいです。
『重篤な発達障害者・知的障害はロリコン漫画やアニメを真に受けてしまうから結果的に犯罪者を産むことになる』とは
実名ではなかなか言えんやろな。まぁほぼ同様のこと言ってるNPOは海外にわりとあるけど
すべての人間がフィクションと現実を分けて考えられると思うのは無駄な期待
ポルノと実生活
一部の人々は、セックスがどのようなものかを理解するためにポルノに目を向けます。
ただし、ポルノで描写されているセックスは自然でも本物でもないため、混乱や欲求不満を引き起こす可能性があることを理解することが非常に重要です。
例:
24歳の自閉症スペクトラムのゲイリー
ある日ゲイリーが年上のいとこのリックと遊んでいた時、リックはどんな仕事がしたいのかと聞いてきました。ゲイリーはネットで見た動画を思い出します。
その中には、ピザの配達人が女性の家に食べ物を届け、女性と性行為をするという内容のものがありました。
ゲイリーは「ピザの配達人になりたい」と答え、その理由をポルノビデオの描写を交えて説明しました。
リックは最初は笑っていましたが、ゲイリーが本気で言っていることに気づくと、気まずそうにゲイリーを見つました。
ゲイリーは、彼のいとこがポルノビデオが偽物であったことを明示的に彼に説明するまで、何が間違っているかを何が悪いのかを理解していませんでした。
それ以来、ゲイリーはポルノビデオで発生するシナリオは偽物であることが多いと想定し、他のリソースからセックスについてもっと学ぶべきだと判断しました。
[OCR]SEX ED. FOR SELF-ADVOCATES:
https://odaibako.net/gacha/5976
※CLとは※
Coは共同・対等
もとは英語でco-educationで男女共同教育を表していたが、現在は略したco-edのみで「男女混合」や「男女いっしょに」という意味で使われるようになっている。
そのため混同しないよう男女共学と表す際にCoed schoolと表記することもある。(韓流アイドルでもCoed schoolという男女混合グループが存在した)海外アパレルブランドのマ/ル/ジ/ェ|ラにもco-edという男女共用ラインがある。(男女混合として表す語はミックスが多いですが、メンズラブのMLがあるためこちらにしました)
ヘテロ(異性愛)は対義語がホモ(同性愛)として使われているため「ヘテロラブ表記をすることによりBLGLも同性愛者と決めつけてしまい創作にバイのキャラクターが暗に含まれない意味」となりますが、
「co‐edは対義語で同性愛と決めつけることなく単純に男同士の愛、女同士の愛、男女の愛という意味を差す」ことになり「より表現したい原義に近い」言葉だと言えます。
また男女いっしょだけでなく男女共用の意味もあるため、男か女かどちらか一方の性を断言できない方も含めて使えると言えます。
CoLはHLタグは語源がへテロセクシャルとして使われてそのへテロが悪口のニュアンスで使われている以上、HLの中に入ってくるバイやトランスジェンダーにも悪口を浴びせていること、異性愛者全体へのヘイト用語として使われることもあること、へテロは性的少数者を差してないなど、
そもそものへテロラブ表記の抱える直球の差別につながる要素を解消するための表記です
それを容認するのはよくないし悪いよな~の考えです。
なによりHLを広めてる方でへテロを悪口や罵倒語のニュアンスとして使ってらっしゃる方が、少なくない数見受けられます…
罵倒として使っていらっしゃる方本人のセクシャリティをスルーしているのではなく、単純にオタクという対等な属性として考えたらマナー的に考えてよろしくないんじゃないかと・・・。
(特定の性への罵倒を堂々と行うのはどんな立場やセクシャリティであっても人として根本的にマナー違反ですし…)
ノーマルがアブノーマルの反対の論が通るのなら、そのまま異性愛者の意味で伝えられてる以上それはNLより直球で排除する人が多くなってて結果的に差別なくせてない…のでは…
個人的には悪口と分かって広めるのもNLより直球に差別的な思考に感じてしまってます
へテロはホモと対称なのがなんか嫌…て意見もよく見るんですが、差別用語のホモセクシャルと対称であることを使用して「差別主義者」という意味合いの悪口として使われてるので、その嫌だなって意見は気に入らないし通らないって意見もその悪口として使われてる事実を封じ込めてしまっているんですよね…だからそういう理由でHL表記に差別性があるのは通らない…という論は無理があるというのが私の意見です。
感覚として実際悪用されてるんだから間違ってないんじゃないかな…
きっと私の主張を見て「世間の扱いとして差別されておらず釣り合いが取れてないから悪口として使われていてもスルーしていいし差別じゃない」と思った方もいるでしょうが、それは正直危険な考えではないかな・・・と自分は思います。
だってその異性愛表現そのものを悪口で呼んでいいって考え方は、その中に含まれるバイセクシャルが異性と恋した瞬間に悪口で呼ばれることになるってことですよ
そういうの考えもせず異性愛描写だからって悪口であるのを無視して使わせようとするのは差別が発生せず配慮されていると言えるのかな…って
「構造上ヘテロとホモは対称であるには事実」でも「立場が違うため同一に扱えるものでない」ということは、「だから差別を作り出さない言葉になるということとイコールにならない」です。
異性愛の中にも少数者がいてその人たちを無視しているのは事実ではないでしょうか。
推奨している方々でもそのことを頭の片隅で一度は意識したことがある人はいるのでは・・・
マイノリティを日頃から意識されている中でそれらに言及した方もいたのではいでしょうか
対照だからというのは差別にならない、というのは、実際に悪口として使われていない状況で初めて作用するもので、差別を無くすためと言いながら異性愛の中の少数派が見えてないのは、そうしてもいいって思い至らない、これにはそういう扱いしていいって優しさの欠如ではないかな…
ヘテロはホモの対象な言葉で、悪口として使う際は「同性愛と違って差別用語とされない差別や孤独と無縁な無自覚な人たち」という意味合いなんですよね
それって異性愛の中でセクシャリティで孤独を感じてる人に対して「結局はあなたの悩みはお遊びでしかない」とバイやパンセクに言ってるのと同じじゃないでしょうか。
あなたの苦しみなんて気遣う価値がないものだと言ってるのと同じじゃないでしょうか。
実際実在の該当者に対してそのような(結局はヘテロかよというような)悪態を吐く場面を見たことがあります。
それは差別でないと言えるんでしょうか。
そのことに気づかず善意で使っている方が、NL使用についてよく言われる「人を踏みつけているのに気付かない」を一番守りたいと考えている性的少数者に結果的に行ってしまっているのは悲しいことではないでしょうか・・・
平等のためと言っている方が多い中、意識して他人を踏みつけることが目的なわけではないでしょうし…
そのような考えの方がいらしても、それは性的少数者が悲しむのを自分のことのように受け止め悲しんでるからであって、個人の感情のみで発散の大義名分にされている方は少数だと思うので…(それがおもな理由でもそれはそれで何か理由があると思いますから適切な発散ができるとよいなと思います)
全体の大きな目的のためにふるい落とされる存在を瑣末なこととしてないもの扱いで無視されるのなら、それが差別意識っていうものなのではないかな…と
多分そう遠くない未来にバイやトランスやアセクシャル、パンセクシャル、その他さまざまな少数派のセクシャリティやジェンダーの方からHL表記から暗に排除されていることや悪口としての使用について意見が出る可能性は高いのでは・・・・
実際数年前からぽつぽつそういった当事者からの意見もお見かけしました。本当に少しですが・・・
逆に出ないほうが問題かなーと思います・・それは当事者が痛みに声を上げにくい社会になってしまっているということなので・・
そもそも悪口として自分が認知しているにも関わらず人に勧めるのはそれが少数者であっても良識的にアウトではないでしょうか。
もちろん声を上げて自分は普通だ、と主張することは自分は対等な人間であると表明するのに必要なことですが、悪口として自分が率先して使うこともある用語を事情について詳しく伝えず「正しい言い回しである」として勧めるというのはそれこそ「普通から外れ良識が欠如した異常な行動」に該当するのでは…
「自分達はアブノーマルでも良識から外れているわけでもなく、たただ当たり前に人を愛しているだけだ」と主張する行動を損なってしまうのではないでしょうか
ヘテロを悪口や罵倒のニュアンスで使いながらHLを勧めている方は、自分達は異常者でないと証明したい意図から外れ、過去に抱かれていた「良識がない異常者」というイメージを覆すどころか、差別を抱かれていたイメージに根拠を与える行動になりかねない、一部では既にそのようなイメージが強化されている人もすでに出ている印象です・・・・
分断を生む要素が多く悪口としての用法のイメージを抱いている人が少なくない以上、平等のために掲げる表記としては不適切な部分の方が多くなってしまっていると思います
また悪口として避けられている側面があるのでは、区分けして平和を保つのための表記という本来の意味をなしていないので…
メジャーですが問題提起されるのが多い表記ですし…平和的でないという理由で…色々論争の的となっていて判定が難しいところがある…浸透していて変に変えるのは混乱が起こるし…と思います
直球で悪口として使われてるわけではないですが、人より異常でマイノリティなオタク趣味だからこそと楽しむ時代ではもうなくなっており、それぞれ平等な人間として扱いたい流れがあるので…
なのでそれらの問題を解決するため、新しく表記についての記事をもとにまだ提唱されていないco-edloveを提案します…!
他の方も使って頂けますと嬉しいです…!
もとは共学の意味でしたが、現在はそのまま男女混合としてそのまま使われてて、共学の際はcoed schoolとするそうです。
海外ブランドのマ◯ジェラにも男女共用ラインでco-edがあります。
これならバイセクシャルや性自認で悩む方も使えるんじゃないかと思いました。
現在NL表記で、HLが悪口として使われているのを見かけ変えにくく困っているという方も、考えに同意していただけたらCo-ed Love(男女CP) 、字数がきついならCo-ed Love(NL)などでもいいので分かるように表記してもらえたり、表記を変えなくても「こういうのがあるよ」とツイートしてくださると助かります。
※ただし使う際はハイフンを入れてco-edにしてください。coedloveだとTwitterでは男女混合のスポーツのタグとして使われてます…
HLを広めてくださってる方にも
「世間に広まりにくいというのはNLを使い続ける理由にならない」という考えの方が多く見受けられるので、クラスタ内でも提起して浸透するのにご協力いただければと思います…!
・昨今の情勢を問題視し日常でも争いを巻き起こすことをよしとしない方
・「マイノリティマジョリティ関係なく性を揶揄したり否定することを容認する、差別の根本的な価値観」を問題とされる方
(※マジョリティ関係なくというのが重要で、多数派のBLジャンルの方が揶揄されがちなのもこれらの価値観が欠如してるため起きているのではと思います。)
何よりも
・異性を愛することもある性的少数者で、世間のマジョリティに不満を抱えている者同士で関わってみたものの異性の恋愛になるといくら叩いてもよい、悪口であることを
スルーしてもよいという風潮に苦しんでどこにも行き場がないと感じてしまっている。でも痛みを主張しづらいと感じている当事者の方
・または上記のマイノリティの中のさらにマイノリティの方の痛みをどうでもいいことだと決して考えていない方
はぜひ広めてほしいです。
社会的弱者であれば排他してよいという考えはいつか全ての人間を追い詰めるだろう、という論で配慮を促す意見をよく見ます。
それと同じく、世間的には被差別でなく差別する側であれば配慮がいらないという考えもまた、いずれ自分に降りかり追い詰めていくものではないでしょうか。
なによりお互い踏みつけることになるのを「配慮」と称して推奨するのは配慮の定義とは外れると思います。
そういった状態をナチュラルに肯定し、HL表記を勧めている方も見られる以上、争いの火種になってしまいます…できれば共有いただけると幸いです。
追記:ぽつぽつツイートしてくださる方お見かけしまして大変嬉しいです・・・!
でも表記や使っている方そのものに批判的な発言しながらの引用はしないでいてくれるとハッピーに変われていいと思います
HLが広まらないのは強く薦めてる方がNL使ってる人を侮辱的ともいえる悪口で批判したりNL表記は完全に悪で白い目で見られるものだ!って極端な考えて不快にさせるような物言いをする方が目立ってしまうことがあるのもかなり大きいと思うので・・・
HL使ってる人にこそ問題提起をしてほしくて記事を書いたので批判する内容にはなってるのですが、HL表記を広めたいって方の考え方は優しいし大事にすべきだと思うからあんまきつい言い方しないで広めてやってください〜
自分の言い方でHL使いたい人の気持ちそのものを悪いものだって言われたみたいに感じさせてたら自分が文章力なくてまことに申し訳ない気持ちです・・・
あくまで悪口や罵倒語として使われてるのをスルーして広めることをに私は問題提起したいのですが、うまく伝えれれてなくてすみません
ただやはり現状が問題提起される空気がないのは危ないと思うので、できればまだ浸透率が低い今のうちに軌道修正をはかったほうがいいのではと思います。
異性愛のみをノーマルとする考えが差別の温床であり撤廃すべきだと言うのなら、
異性愛の中に入ったのならマイノリティであっても罵倒してもいいという考えを補強するような用語を、
人権について語る人がいたずらに広めるような動きも撤廃しなければならないと考えます。
優しさや賢さがあって、他人に改められるよう声かけする勇気もあるのに、
王道的異性愛の創作を嗜好する人への、無思慮な面について認めて改める勇気がないのは何故でしょうか?
もし、男女の創作なら悪口スラングで元々使っていたものを使わせるのはむしろいい気味という考えなら、何をそんな小さいことを言ってるんでしょうか。
そんな平和や平等、悲しみをなくす為の活動らしくないことを言わないでください。
全てのLOVEを平等に扱いたいからNL表記に疑問を感じていたのではないですか。
それを広めることでどうなるか、広めようとしている方や
ノーマルという呼称で傷ついて来た方々ほどその痛みをよくご自覚なさっているはずだと思います・・
悲しいことの繰り返しはもうやめませんか・・・?
マジョリティの世界ではホモは差別用語でヘテロはそういうカテゴリに未だ認定されていないです。
でも、マイノリティはマイノリティのコミュニティを主に生きているのではないですか。
その中で排除されている方はどこに行ったらいいんでしょうか。
スゲーな。
この手の店ではよくあることだけど、予約は(普通のやり方では)取れない。
専務も他の客も、実際に店に行った時に、店主と話して次に「空いています」と伝えられた日程を
半年後でも1年後でもとりあえず押さえて、その日には仕事を入れない。
それを繰り返す。結果的に、客は常連さんか、常連が連れてきた一見客だけになる。
上司「増田君、来年4月の第1週の金曜日、夜は空いてますか?」
上司「よかったです。この日にちょっとした会があるので空けておいてください」
という会話から半年弱。4/8の午後に、新幹線に乗って静岡県の某駅に向かった。
素直さだけをウリにしていて気働きが鈍い自分も、上司がああいう言い方をした時点で、それが「ちょっとした会」などではないことはわかった。
車中で交わした会話からすると、ごく内々の慰労で、お客さんは関係ないと。
ただ、「ちょっといい店」なんだよ、と。
店に行く自体が目的だということ、自分には特にお役目がないんだということがわかった。
夕方5時過ぎに駅に着き、そこからタクシーに乗って20分ほど。
街中から離れ、周囲を夕日に縁取られれた稜線が取り囲むような里山の前で下ろされた。
看板が出ていない、綺麗に舗装されたゆるやかな歩道を上がっていくと、
簡素な門の向こうに、小さな庭園と池、RC造で軒のない平屋の建物が見えた。
玄関ドアに着いた呼び鈴を鳴らすと、和服の仲居さんが出てきて中に通された。
割烹みたいな対面カウンターに先客がいて、それがウチの専務だった。
普段なら声もかけられないような関係の人が、「おお、上司君、増田君、お疲れさま」。
自分は小心者だから、さすがにちょっと、いや相当、テンションが上がった。
専務によると、ここは以前、地元企業の経営者が所有していた別荘を店主が買い取って料理店に改装したのだという。
以前は都内で知る人ぞ知る店を構えていた店主が、一念発起して静岡に拠点を移したんだと。
肝心の料理は、突き出しの後は、天ぷら屋みたいに色々な唐揚げを少しずつサーブするスタイルだった。
揚げ油も白絞油とごま油を使い分けていた。
大半は衣の時点で調味されてるので、天ぷらみたいに、塩をするとか天つゆを使って最後に味を付ける過程がない。
硬めの衣で包まれ、噛み締めた途端に口の中で爆発するプチトマトの唐揚げ。
ほんのり香るクミンが腸の苦味と絶妙に合う、ホタルイカの唐揚げ。
芯から丁寧に外した1粒1粒の食感が楽しい、トウモロコシの唐揚げ。
神妙に味わってから、その料理の味についての話はせずに、また雑談に戻る。
これが彼らの、もしかしたらこのお店の、作法なんだなと思った。
(帰りの新幹線では3人一緒で、2人はしみじみと一品一品の論評をした。
○○鶏は、70年代に大型化して復活した肉用名古屋コーチンの原種に近い、どこにも品種登録されていない鶏だという。
唐揚げという言葉から想像するくどさとかジャンク感とは対極の、どこまでも澄んだ、静謐さすら感じる体験。
地鶏らしい弾力と旨味が、薄く纏った米粉の衣の香りとともに鼻腔と味蕾を満たす。
これもまた途轍もない、自分の親子丼に対するイメージを塗り替える代物だったけど、最後の唐揚げの後ではどう評しても蛇足になってしまう。
客は我々を入れて4組。それでゆったりしたレイアウトの客席が満席。
こんなご時世なのに、客の半分は外国人だった。
隣席の会話を聞くに、もう引退した有名政治家が、仲間を連れてお忍びで通ってきたりもするらしい。
自分は(接待では)超高級といわれる炉端焼屋も蕎麦屋も寿司屋もうなぎ屋も串焼き屋も行ったけど、
唐揚げというジャンルにも、そんな知られざる至高の高級店があるということを、初めて知った。
この手の店ではよくあることだけど、予約は(普通のやり方では)取れない。
専務も他の客も、実際に店に行った時に、店主と話して次に「空いています」と伝えられた日程を
半年後でも1年後でもとりあえず押さえて、その日には仕事を入れない。
それを繰り返す。結果的に、客は常連さんか、常連が連れてきた一見客だけになる。
一度常連になった客達は、みんなこの予約のサイクルを切らしたくないから、
人数合わせで知人や部下を誘うことがあって、自分は今回たまたまそのお相伴に与れたのだ。
おそらく、自分がこの先の人生で、この店の会計を自腹で払えるようになることはないだろう。
でもめいっぱい出世すれば、専務が持っている予約枠を埋めるレギュラーになって、
年に1度ぐらいは通えるようになるかもしれない。
それか、あと5年ぐらいしたら、あの目眩のするような体験を思いっきり通俗化・大衆化したような
「高級唐揚げ屋」が町場にたくさんできるのかもしれない。それはそれで楽しみだ。
ガチャが楽しめる確率ってメーカーが決められるってことなんよな
配布石の数と排出率で計算すればイベント毎に楽しめる率は無課金の場合2~30%とかになるのかな
あとはこれに金を出せば○円で60%、とかに○円で97%…とかにできる
メーカーが意図して○円課金した人間の○%を切り捨てる数字を設定してるわけだから
「メーカーがプレイヤーを楽しませようとしてる」なんて解釈はできようはずもない
ゲームそのものの面白さに関してもガチャ前提のバランス調整になるから結局はガチャが引けないと半分くらいしか楽しめないわけで
メーカーがプレイヤーを切り捨ててるっていう構造的欠陥がある限りガチャゲーを手放しで褒められる日はこないだろうなぁ
結果的にメーカーが集金していつかプレイヤーに還元してくれるという大局的な希望を持ってみたりもするけど
それって結局コンコルド効果を自分で美化してるだけだし何れにせよ未必の故意としての悪意が消えることはないんよね
相手の真摯さというかブランドに対する信用の判断基準がガチャの数字でしかなくなってるからメーカーを信じるってこと自体が土台無理
メーカーでプレイするソシャゲ決めるってイメージないのはその結果だろうね
なんか他に言いたいことあった気がするけどただの愚痴になったわ、すまんな。
まず、フェミニズムの言うことはすべて無視していい。昔からフェミニズムは女性の権利拡張しか考えておらず、男性のことを一つも考えない。
フェミニズムとは以下のように性差別をなくす運動ということになってるが、近年ではそうなっておらず、実質上無視していい。
フェミニズムとは、性差別をなくし、性差別による不当な扱いや不利益を解消しようとする思想や運動のことである。フェミニズムはその歴史から女性権利向上・女性尊重の運動だと捉えられがちだが、男性嫌悪や女性だけを支持するものではなく、男女両方の平等な権利を訴える運動である。
というのはよく分かるが、何度も言うが、フェミニストの言うことはすべて無視していい。何の意味もない。そもそもフェミニズム側に根拠がない。なんせ弱者男性は女性を差別しているわけではない。萌え絵を燃やすのはアホのしていることだ。
本題に戻ると、周りを見ると、カップルばっかりに見えて、自分がみじめに思えてくると思う。その感覚は、弱者男性な私としてはよく分かる。
街中で男女が手をつないでいいのだろうか?
全くそう思う。でも、問題はそこからだ。「なぜ」それを自分は圧迫だと思うのだろう?本人たちは単に恋人同士だから手を繋いでいるに過ぎない。「意図」として、男性を貶める要素がないことは明らかだ。それは認めないといけない。
もちろん「圧迫」そのものは弱者男性としては現実的な脅威だ。それはよく、とてもよく分かる。でも、私はピンチはチャンスだと思ってる。つまり圧迫だと思うのならば解消すればいい。でもどう解消するかはとても難しい。
何故難しいか、といえば、その対象の女性は、私らのような「弱者男性」が眼中にないことを一つも理解しない。
これがセクハラだとすると恋愛したいのにできない非モテ女性に対してもセクハラとなるはずなのになんで「弱者男性」に限った話にするのかわからん。
とか言い出される。「無視」されている弱者男性からすれば意味が分からないことを全く理解されてない。
そういうことは気にせず「大人」になった方がいい、というのが本題だ。
その意味の「大人」とは何か。私はアドラー心理学の徒だと思ってるので、そこら辺の説明は省くかもしれないのでそのつもりで。
「大人」とは年齢の問題ではない。自分の価値は自分で決めることが出来ることだと思ってる。
正確に言えば、自分で決められるような人生を送るべきだと思ってる。
これだけでも結構難しい。そもそも他人の評判を気にしなくていいなら、本質的には法律さえも意味がない。どんな法律も犯していいことになる。もちろんそんなことはない。ほとんどの人間は周りの評価に振り回されてる。
そのバランスがとても難しい。
しかも、なんで「男性」の俺だけ?と思うだろう。なぜ自分だけが抑圧を肯定しなければいけないのか。
上記で書いた通り、ピンチはチャンスだと思ってる。それは自分が大人として成長するチャンスだ。それを拒否すれば、成長できず、小さい人として人生を過ごさざる得ない。
そんなのよりは、「大人」になったほうがましだ。
私は全部ではないにせよ、ある程度は貫いたつもりでいる。まあ結構な歳になれば大人にならざる得ないが。
その結果として、たまたま今の奥さんと結婚して、幸せに暮らしてる。10年分惚気てもいいが、男性はあまり好まないだろう。
私は「大人」になろうとした結果について満足している。
だから、「大人」になった方がいいと言ってる。少なくとも自分をごまかしている気分はない。さほどいいことがあったわけではない。人生はいろいろあったし悪いことが少なかったとは言えない。が、自分さえもごまかすような人生と取り換えなくてよかったと思ってる。
と他人をどうかするのではなく、自分が大人になって、女性を幸せにできる人になるべきだと思ってる。
え?相手がいないのに?と思うのかもしれない。では、いきなり相手(女性)が目の前に立った時「俺のことを差別しやがって」とかいいだすのか?
もちろん違うだろう。
その相手が結婚相手でなくても、相手がある程度楽しく普通に過ごせるように、考えるのが普通だろう。
見た目だけならなそんなに難しいことじゃない。でも、その「普通」は何より難しい。生涯全てを掛けても難しい。簡単だなどという奴は無視していい。
でもその、ある意味苦しい延長上以外は、大人になるのは難しい。他人に責任を擦り付けるは簡単だ。そうしてしまえば、自分は楽かもしれないが、将来の奥さんを幸せには出来ない。
まあ今はいないのでそう思わないのかもしれない。でも、女性と全く付き合ったことがない私が結果的に結婚するような人が居ることは分かっておいていいと思う。
もう8年も前になる。
当時付き合っていたころは苦しんでいたが、今は自分が悪かったと結論しており、自戒のためここに残す。
彼女は非常に可愛らしい人だった。
少し丸みを帯びながらも大きな目。
鼻筋の通った高い鼻。
均整の取れた顔立ちと綺麗な肌。
バイト先などではおよそ10人の男のうち8人が連絡先を知ろうと声をかけていたことを知っている。
当然その中には自分よりも格好が良く、お金にも余裕のある歳上の男性が多くアタックしていた。
当時の自分は、彼女は即物的なものに惹かれない素敵な女性だと思っていた。
その不安を消すために、大学生だった自分は扶養限度額の103万ぎりぎりまで稼ぎ、食費や交通費も削り、交際費に使った。
彼女はとても喜んでいてくれたと思う。
とても楽しい日々だった。
そして彼女は「そっか、それなら別れよう」と答えた。
当時の自分は意味が分からなかった。なぜそんな答えが返ってくるのか。
彼女は「私のために頑張ってくれる君が好きだったけど、頑張ってくれないなら付き合う意味を感じないから」と言った。
衝撃だった。
自分が考えていた恋愛とは全く異なる価値観を提示され、理解も共感もできなかった。
彼女は僕のことを好きで付き合ってくれていたわけではないのか、しかし彼女のために頑張る僕のことを好きだと言ってくれている、でも別れるとも言っていて、じゃあやっぱり好きではないのか。
堂々巡りだった。
しかし別れたくない一心で、減額を取りやめることをその場では伝えた。
彼女は喜び。その姿を見て自分もほっとした。これで良かったのだと思った。
しかし辛い生活が変わることはなく、彼女は今まで通りで、なぜ自分だけという不満だけが募っていったのだろう、だんだんと彼女に対して性格の悪いことを言いはじめ、その数か月後にあっさりと振られた。
振られた直後はあれだけ頑張ったのにと腐る一方で、彼女のことは好きなままで、愛憎入り混じる感情を持ったまま生きていた。しかし時間の流れはありがたいもので、数年たって当時の苦しみを忘れることができてきた。
大学卒業と就職を経てお金と時間にある程度の余裕が出てきた今、彼女のことを思い出すと、あぁ悪魔のような子だったんだと実感している。
ある両親が、不治の病にかかった我が子を直すために悪魔に願った。
悪魔は願いの代償として、両親の最も大切なものを貰っていくと答えた。
両親は快諾し、子の病は治された。代償として子の魂を悪魔に持っていかれた。
なんともひどい話であると子供のころに憤慨した記憶があるが、大人になった今では、悪魔には悪魔の道理があるんだなと理解した。
もしここで最も大切なものである子の魂を両親が渡さなかったとしたら、それは悪魔に対して不誠実な行為である。悪魔は人間にとって性格の悪い存在ではない。人間にとって価値あるものを欲しがる存在と言える。結果的に、取られた人間は苦しむのである。逆に言えば、取られても苦しまないものはその人間にとって価値があるものとは言えないだろう。年収1億の人にとって100万円ははした金であろうが、年収100万のひとにとっては何よりも価値があるだろう。だからこそ悪魔のような彼女はそれを自分に欲していたのだ。
自分が苦しくなるほど価値あるものを代償に関係を維持する付き合い方は悪魔との付き合い方なのだろう。およそ凡人である自分にはとても不可能なことであるのも当然である。このように考えると、人との付き合い方とは、自分が苦しくならないもので保てる程度の関係で良いのだと思えている。
あなたも悪魔の付き合い方をしている人はいませんか。もししているならば、私はあなたを尊敬します。そしてあなたの人生が幸せであることを願います。
「再エネの主電源化」: 太陽光、洋上及び陸上風力の変動性再エネ(以下VRE)を主力電源にすることで、電力分野においての低炭素化の達成。バックアップ電源としての化石エネルギーの利用は排除しない(調整力の問題から100%脱炭素は不可能のため、後で理由は説明する)
「小売自由化」:全ての消費者は、参入障壁の低い電力市場に参加した小売業者から自由に選択して電気を購入する。競争原理により消費者は低価格な電力を選択、もしくは証書つき電力を購入することにより非化石価値などの付加価値も購入できる。市場への入札は基本的に電力の限界費用で行われる(現行ルール)。これは達成済み。
「安定供給」:化石燃料市場の動向および天候や気温の条件に関わらず、発電サイドの問題(燃料制約、電源不足や天候不順など)での停電は起こさない(注意:配送電に起因する停電は災害などの理由から0にはできないので、ここの定義には含まない)
大手電力:自前の大規模電源を有する電力会社(JERA、関西電力などといった旧一般電気事業者、ENEOS、東京ガスなども含む)
新電力:大部分を市場で電力を購入して消費者に供給する小売事業者
「再エネの主電源化」「小売自由化」というものを両立する場合、少なくともこの先10年ー50年の短中期においては「安定供給」を日本においては完全に達成するのは不可能であるということ。
理由を説明していく。ただし「再エネの主電源化」を達成しない選択肢は国際的かつ政治的に今後取り得ないので、「安定供給」と「小売自由化」をどの程度のバランスで守るかということを考える材料を提供したいと考えている。まずは今の方向性を維持する場合を考える。
- VREはインバータ電源(直流→交流への変換を伴う)のため電力系統に大規模に導入すると電力系統が慣性力を失い、火力、水力、原子力などの同期発電機脱落時の大規模停電のリスクを高めるため、蓄電設備がない場合は出力抑制が必要
- 付言するが、蓄電池+VREも近年では価格競争力を持ち始めている(ただしあえて蓄電池のコストを負担しようとする者はいないだろう)。また2022年からFIP制度というのが始まり、再エネを市場価格+プレミアムで買い取る制度ができる(インバランスにはペナルティも課される)。この場合では再エネが発電できない、電力価格の高い時間帯に売電するインセンティブを生むため、アグリゲータやFIP対象の発電事業者が蓄電池コストを負担するモチベーションにつながる。一方で資源価格が上がっている現状で蓄電池の資本費を回収できるかは不透明
- この二つは国を超えたレベルの広域な電力系統が存在しない日本で特に顕在化する。
- ネガワット、DRは何れも短期間の電力の過不足への対応技術のためいずれも一日から1ヶ月の長期間のVREの変動には対応できない
- あくまで安定供給に向けた金銭的なインセンティブでしかなく、100%の保障を行えるメカニズムにはならない
- ただし、出力抑制が起こるような先週の土日の東北電力、四国電力管内の例には電力を活用する観点から重要
- VREが安い時間帯に水素を作ってkwが不足する場合の火力発電の燃料とするという発想
- 電気分解で90%、コンバインドサイクルを利用する場合でも高位発熱量基準で熱効率40%程度が限界なので全体として見た時に結果として3割ー4割程度のエネルギーしか利用できないため、ファイナンスの面から達成が難しい
- 発電に利用するならCCS付き水素を利用する方が現実的だが、将来的なタクソノミーを考えると採掘に関係する資産が座礁資産になる可能性が高いという筆者の予想
- 加えて重要なのが、火力発電の燃料、特にLNGは大手電力にとって長期契約するインセンティブが失われるため(長期による電力需要を見通せず、余った場合にはLNG転売損を招く)スポット調達がメインになるが、スポットは割高のため、VREが使えない時間帯のさらなる電力価格高騰の常態化を招く
- スポットは常に入手できるとは限らず、加えて無駄な国富流出の要因になり、経済安全保障の観点から政府も手を打つべき問題
- 結局VREの統合コストが2030年でも原子力に比べて割高なのはこれらの理由による
- 2024年度より容量市場が設置され、電源(kW)を取引できるようになった(すでに取引は開始されている)が、様々な理由から現在の市場価格では既存設備は維持するのは可能(難しいものも多いが)だが新設するには安い値段に落ち着いてしまっている。結果的に現在の市場設計では中長期的な将来の容量を担保できない。
- 既に2024年の九州電力管内の落札結果は供給信頼度が低く、管内の電源容量不足を示唆している。
- 発電設備の資本費を市場に負担させるシステムが必要ではあるが、新電力側からすればメリットが皆無なので難航するのは目に見えている
- 容量市場についても経過措置で取引価格が下がる仕組みになったことからほぼ期待できない
- 現状では再エネの主電源化は遠い目標なので脱炭素および電力価格の安定を目指すなら活用せざるを得ない
- 電力の完全脱炭素化を達成するには将来的にはSMRなどの調整力を備えた原子力発電所が必要不可欠だが...
- 利点
- 同期発電機であり大規模電源でもあるため電源として単純に優れている
- 限界費用は再エネと同様0、福島での事故を加味してもまだ既存原発の再稼働コストは安い
- 燃料費は発電コストの15%程度、かつそのうち加工コストが半分程度なのでウラン価格が費用に占める割合が低く、経済安全保障に資する
- 欠点
- 既存の原発に調整力を担わせるのは経済的理由から難しい(技術的には可能だが...)
- 事故が起こった時の恐怖感から賛否が分かれ、利用のための政治コストが高い上に政治家はそれを払おうとしないので期待できない
- 安全対策及び特重施設設置の問題から東日本大震災から止まっている原発については迅速な再稼働は期待できない
1. 価格面で起こること
現状の市場システムでは燃料調達のスポット市場への依存を促す仕組みになっており、資源価格の上昇がより厳しい形で市場に跳ね返る。そしてそれは最終的に一般の消費者が負担させられる構図が出来上がっている。特にエネルギー価格は逆進性があるため、低所得者への支援は必要不可欠。
2. 脱炭素面で起こること
VREの導入はこれからも進んでいくだろうが、主力電源化を進めるためにはVREの変動をカバーできるシステムが必要。蓄電池は有力な候補だが、主力電源化に必要なレベルの蓄電池導入のコストを誰が負担するのか決まっていないため、不透明と言わざるを得ない。このままでは長期的な変動はともかくとして、短期的な天候の変化にも対応できず、春や夏でも晴れた日には出力抑制が常態化するのに夜間や荒天の日には火力発電所がフル稼働する日常が迫っており、電力の脱炭素化は遥か遠い目標となる。
3. 安定供給面で起こること
中長期的なバックアップ電源を保障するシステムが今の日本には存在しない。現状が進行すると3/22のような需給逼迫警報が特に冬の時期に日常化しうる危険性がある。小売事業者に適切に発電設備の資本費を負担させる仕組みおよび長期的な発電事業者の収入を保証する仕組みが必要。安定供給は破綻に近づいている。
と、ここまで書いてきたが結局再エネの主電源化を妨げているのは制度設計のまずさとしか言いようがない。FITは再エネ導入に大きな役割を果たしたが、野放図な開発を招き、加えて電力系統の不安定さを招いた。パネル設置者が固定価格で買い取ってもらえる一方でそれによって増大した再エネ賦課金と安定供給維持のコストは広く国民が負担するハメになるのでまさに外部不経済としか言いようがない。理念が間違っているわけではないのだが、安定供給と再エネの柔軟性確保に誰が責任を持つのかはっきりすべきだった。つまりこれらは政治の責任であり、政治コストを払わなかった政治家の責任である。最も現実的選択肢としての(特重施設設置期限の延長による)原発再稼働も政治コストの高さから誰もやろうとしない。票にならないことを政治家がやりたがらないのはわかるが政治家の失策のコストを国民が払い続ける現状はおかしい。参院選の後からでも日本の電力の未来に責任あるビジョンを示す政治家が現れることを期待したい。
これは
・賦課金が増えなくても燃料費調整額が増えるから結果的には太陽光普及しなくても電気料金上昇は同じこと
(他国のニュース見てみろ。ガソリン価格上昇見てみろ。国内再エネ関係ない)
大学行ってた時の友達はみんなどこかで各自成功してるっぽい(今更連絡取れない)。新卒で正社員で入った会社は辞めるつもりで入ったから2年で辞めて、そこからずっと自営業か非正規雇用。会社で経験積んだ後フリーランスで働きたかったからこれでいいんだけど、その時目指してたものも結局挫折して時給1250円のアルバイトを経て今は全然違うことやってる。それも特にパッとしない。売れてるよ〜いつも忙しそうだよ〜って言ってくれる人いるけど、時間の使い方が下手くそだから忙しく見えるだけだしもっと売れてる人が無限にいる。あと結果的にオールドルーキーだから、20歳とかで始めたもっと若くてもっとできるみたいなやつが他にいっぱいいる。
周りの友達(だと思ってる人たち)はみんな結婚してて、子供がいて、家があって、犬飼ってる。そうでなくてもそのうち結婚するんだろうなみたいなパートナーがいるし、そうでなくてもそのうち付き合うんだろうなみたいな恋人っぽい人が何人かいる。こういう他人との関係性をしっかり満たした上で、更に自分自身のスキルも経歴もしっかり持ってて、みたいな人たちがたくさんいる。
親と連絡取らなくなってから大体5年が経つ。ゴミクズ人間だったから親のお金で私立の美大に行って卒業した後5年くらいかけて行方をくらました。なんかいろんなことがあったり無かったりした結果、学費だけ出させて親をメンヘラ毒親呼ばわりして捨てる親不孝のゴミクズ人間になるか、自分の人生も夢も何もかも全部諦めてお母さんと一緒にお母さんの気持ちのためだけに生きていくかを自分で選んだ。まじでゴミクズofゴミクズだけど、まじで生きる資格の無いゴミクズだけど、それでいいよ。
親がそういう感じだったからなのか自分のせいなのかはちょっとわからないフリをしたいけど、生きてるだけでオッケーだったことが無い。仲のいい親がいる人はきっと親が、生きてるだけでいいと思ってくれるんだろうな。パートナーがいる人とかは、誰かに選ばれた上でその人が、生きてるだけでオッケーだよって言ってくれるんだろうな。特にそういうのが無いから常に社会に対して何かの価値を生み出し続けないと生きる価値が無い。資格も無い。でも他の同世代の人間に比べると何一つ成し遂げてないし、成功してないし、なんなら下の世代の人たちの方がどんどん成功してるし、良いもの生み出してる。自分より下の世代がメインになっちゃったら、上に戻ってくることってもう無いじゃん。価値のある人間には二度となれないから、二度と生きる資格も得られない。生きてるだけでいいよって事態にならない。命に価値が無いから命以外の価値をどこかから生み出さなきゃいけない。でももう価値のある人間にはなれない。無限ループって怖くね?これが人生手遅れってやつだなあと思った。
こういうこと言うと、大丈夫自分なんかこうでこうでこうだから、って全然関係無い自分の人生の話してくる人がいるけど全然関係無い人がどうであろうと何も大丈夫じゃないのに何が大丈夫なんだろうな。人の人生に乗っかって自分の話したいだけに見えちゃう。別に頼んでないよ。匿名ダイアリーの登録すげー簡単だったよ。人に乗っからないで各自でやったらいいと思うよ。そういうのをうんうんそうだね、って聞いてあげられたり傷を舐め合えるような人間だったら誰かに選んでもらえて生きてるだけでオッケーになっていけるんだろうか。