はてなキーワード: 浮世絵とは
中山道広重美術館で開催されている「浮世絵ねこの世界展」に行ってまいりましたわ
歌川広重の作品は「名所江戸百景 浅草田甫酉の町詣」のみでしたわ
主役はやっぱり歌川国芳で懐にいつも子猫を2,3匹入れていたという猫狂いぶりを
国芳の猫は関節の描写が自然で集合体にされていても猫らしさに違和感がありませんの
役者の絵が禁止されていた関係で、猫にして顔だけ役者のものにした浮世絵は猫耳の走りに見えました
不気味ですけど
二階展示室にあった「ねずみの戯遊」という作品がねずみが猫を罠にかけて遊んでいる内容で
まるでトムとジェリーのようでした
トラバやブコメをいただいたので、勝手ながら浮世絵を勧めてみる。
変な話だが、鑑賞と制作だったら、制作から入ったほうが鑑賞も楽しくなるように思う。
例えば、葛飾北斎の富嶽三十六景の、有名なところで赤富士と言われる夜明けに朝日で赤く染まった富士山、凱風快晴。
あれを見て、思うのだ。
それは、制作を齧ってみるとひしひしと感じとれること。
知っての通り、オリジナルの浮世絵には原画というものが残っていない。
それを版元、つまり出版社の企画担当に渡して、それを板木屋、彫師という職人に渡り、板に張り付けられてしまう。
板に貼りついた絵ごと、彫ってしまうので、原画は木屑と共にこの世から消えてしまってるわけ。
絵師というか、画工っていうイラストレータの地位というのはそれほど高くなくて、彫師が勝手にアレンジすることだってある。
そもそも、芸術家として心から沸き起こるものを表現するんじゃなくて、売れるものを描くのが至上命題。
彫り終わると、それがすなわち線画のコピーが出来るわけで、そこから「ここを赤、ここを青」って具合で、絵師の指示が入る。
具体的な色を塗るとかでなく、文字で書き入れる程度。
そんで、また色の版が出来上がって、今度は摺り師と呼ばれる職人の手に渡る。
そして、絵師立ち合いで、色合わせを行って、微調整されたら出版、という流れ。
で、その手の浮世絵の解説書なんてのだと、初摺りは手がかかってるけど、そのあとの後摺りは手抜きで改変されてるとかって書いてあり、実際初期ロットと後期ロットは色が違うってんだけど、いざ制作してみるとそれだけじゃないように思う。
明らかに自己主張がある。
摺り師の「俺上手いだろ?真似できないだろ?」
っていう自己主張をビンビン感じる。
いざ木版画を始めてみると、100人中99人はそれを目指す、ある種の技術、方向性というのがあって、それが超絶レベルで、過剰なまでにそれに拘ってるのがよくわかる。
彫師と摺り師の自己主張だけじゃない。
時代の流行、ある意味で街の声さえも作品に取り込まれてるのが、ありありとわかる。
彫師のエゴを、摺師のエゴを、江戸の流行りを、それを引き算してやる。
北斎という人はいい歳して「自分が一番!」と天狗になったり、「バカにされるのは嫌だ!」忙しくぐるぐる同じところを回っていて、とてもかわいい。
少なくとも、自分にはそう感じられる。
ちょっと大胆すぎる実験的な試みも、「褒められたい!」という意識が見え隠れする。
それを差っ引いてあげて、初めて、あの絵の本当のコンセプトが見えてくる。
あるいは、摺師、彫師、版元、江戸の空気と北斎とのジャズセッションがあの作品だったとしたら、今度は自分と北斎のセッションが出来る。
なんて楽しいことだろう。
技術が追い付いたら、いつかそれをやりたい。
前置きが長くなってしまったが、そろそろどうやって浮世絵制作を学ぶか書いてみる。
いざ木版画を学ぼうとしても、浮世絵方式の木版画を教える教室はほとんどない。
なにをもって浮世絵方式というのか難しいけれども、木版画においてかつてスタンダードだった、世界で最も優れてた技術体系と断言できる。
その答えはわからない。
俺も知りたい。
で、そもそもその技術を継承した人というのが少なく、浮世絵の職人がやってる版画教室、あるいはその流れを汲むとする版画家の版画教室は知りうる限りで以下の通り。
現役彫師が教える版画教室。
当然ながら彫りに詳しい。
第七回 朝香伝統木版画教室作品展 2017年6月26日~7月2日
摺師が教える版画教室。京都だが、関西を中心に出張講座や通信講座もやっている。
五所菊雄という版画家で、摺師の内川又四郎氏(ポールジャクレーの作品を摺ってた人)から学んでる。
NHK文化センター 川越教室・木版画講座・作品展 2017年8月21日~8月27日
入学すれば学べるんじゃないかなと思うけども、ちょっとハードルが高すぎる。
野田哲也の師にあたる小野忠重の著書は浮世絵の技法を知るうえでお勧め。
いったん情報収集を始めると、先に沈んだ先輩とつながれるので、芋づる式にオタと出会える。
有名なところだと、独学で浮世絵制作者に転身して、大学や企業との共同研究までしてた元ジャズマン(最近亡くなられた)。
職もビザもなく、浮世絵への情熱だけで日本にきて、浮世絵で飯食って浮世絵で家建てて浮世絵で子供育てたカナダ人。
そのへんは浮世絵バカ一代の二代巨頭で、ほかにもごろごろ、まあいるわいるわ。
みんな平気で仕事を捨て、家族を捨て、学歴を捨て、浮世絵制作沼へ沈んでいく。
自分なんか、趣味の範囲で、まだ片足だけだが、いつか完全に沈みそうな気がして怖い。
コピー機がある今だとありがたみがないが、同じものが何回もつくれるというのは、楽しい。
いまだって、コンビニでカラープリントが80円ってのに、当時はかけそば一杯の値段だったっていうから、江戸時代の印刷技術スゲーって思う。
小学校でやるようなローラーで油性インクを塗る油性木版と違って、水性の絵具で摺りあげるのだが、特徴をいくつか。
まるで、フォトショでみたいにね。
うん、フォトショみたいにね。
赤の上に青を重ねると紫になる。フォトショでレイヤーを乗算モードにしたのと同じ。
前段のほうで書いた、誰しもが目指す技術というのは、きれいなベタ、滑らかなグラデーション、計算されつくした重なり、つまり、フォトショやイラレ。
そういうことなら、原画だって、フォトショやイラレでつくったほうが、出来上がりイメージはしやすいだろう。
今日はここまで。
本格的に、道具の用意、構図の学び方等々の話に入れずに力尽きてしまった。
東京こわい
東京って冬にも雪が積もらないらしい
冬でもスニーカーを履けるし
冬でもタイヤを変えないらしい
夜中に除雪車の音で起きないらしい
こわい
強いwwwとか笑ってたけど
入学式で桜が咲くらしい
夏服を売り出した頃に夏服が着れるらしい
梅雨とか言って結局こっちと同じように6月に雨が多いだけらしい
白樺の木がないらしい
ハワイみたいな木が生えてるらしい
みたいな三段階が無いらしい
イカの足を当然のように引っこ抜ける人が少ないらしい
ここまではまだ半分くらいは信じてたけどここからがすごい
なんと
富士山が
見えるらしい
歌舞伎とかそのまま残ってるらしい
なにそれ江戸じゃんとか思ってたら
飛鳥時代だかにできた寺があるらしい
えひがしくでもごとちょうでもとうとうりきでもないらしい
方言もないらしい
おじいちゃんおばあちゃんでも標準語を話すらしい
東京こわい
しかもそんな富士山とかスカイツリーとか江戸とかをクールジャパンなんて言って持ち上げてるらしい
ジャパンこわい
浮世絵は絵師という原画を作る職人、彫師という版を彫る職人、摺師という版木から摺取る職人の分業なのだけど、現在浮世絵の絵師と呼ばれる人はいない。
職人を目指すなら、彫師か摺師となる。
昔は、木版印刷というのは、いわゆる印刷所だったわけで、美術品だけでなくて、本の表紙や酒のラベル等々、易しいしごとがわんさあった。
その修業期間が終われば、下手くそだろうと、個人事業主として泣いても笑っても腕一つ、まずは易しい仕事で数をこなして、腕を磨いてより単価の高い仕事、というわけだったのだけど、そんなのは昭和初期までで。
今は、ほぼ無給の修業期間が終わったら、限りなく薄給の食えない期間がずっと続き、美術品を作れるくらいになるまで生活がままならない。
といいつつも、重要なことは、どんな人でも、ある程度のスパンみっちりやれば、そこそこのことが出来るようになるということ。
芸術家が心が赴くままに作る版画と違って、浮世絵というのは、産業として成り立っていたくらいなので、
こういうときはこうする、こうやればこういう失敗はしない、こうしておけば怪我をしない、こうすれば効率がいい、というノウハウがしっかりあって、どんな不器用でも、そこそこのレベル(絵の通りに彫れる、100枚摺ったら100枚同じものを摺れる)には到達する。
もちろん、残酷なくらいに才能の差はでる。
同じことを最初から出来る人もいれば、長いトレーニングの末に出来るようになる人もいる。
ご興味があれば、レスしてください。
追記
個人ブログを開設してみた。
NHKで毎場所やっているし、いまはyoutubeなんかで昔の取り組みを見ることができる。浮世絵とかでも登場する。
でもたまに、こいつらなにやってんだ? みたいにアホらしくなってしまうことがある。
まず、裸に廻し一丁の格好。おいおい。ほとんど裸じゃねーか。
そして太っている。いや、わかるよ。分厚い筋肉が内包されているのは。でもむっちり、だ。
そしてぶつかる。clash! 押し合い圧し合いである。そしてあの廻しが取り組みに重要な役割を果たす。
廻しを取れば有利になる奴がいたり、廻し取られたら不利になる奴がいたり。
髷を結ってるし。
そして単語使いもなぞだ。
そして一番意味不明なのが仕切りだ。
私のベッドに彼氏が忍んでくる。
彼氏としては、佐々木希ちゃんを夜這いしてる設定で、私のことを、「希ちゃん」と呼ぶ。
「あなたと私は夫婦、死が2人を分かつまで、2人で1人、あなたに姦淫の罪を犯させるわけにはいかなかった」
彼氏(夫という設定)は感激して改心。
「なんでそうなるの?夫が不倫してたら別れるでしょ?100歩譲っても、不倫相手に扮してエッチするとか、ありえないでしょ?」
と詰め寄ったのだけども、「離婚」という発想すらない、15世紀のカトリックの夫婦になってほしいとのこと。
結婚は秘蹟で、人間の勝手に離婚するなど、そんなこと発想すらできない、と彼氏。
演技指導で、シェークスピアを勧められたけれど、英語だったし、しかも私の知ってる英語と違う、なんか古めかしい単語ばかりだったし、やんわり拒否して、セリフは彼氏に任せた。
今思えば、シェークスピアはイギリス人だからプロテスタントじゃないかと思う。
で、本番、彼氏は夫になりきり、私が佐々木希ちゃんに化けていたことに感激。
こんどは私の名前を呼びながら激しく二回戦。
今思うと、カトリックという設定なら、避妊もダメだったのかな?
指摘したら本当にそうしかねないので、その時は気がつかないでよかった。
追記
浮世絵にはドン引きしたが、この時は佐々木希ちゃんと間違われるというシチュエーションにちょっと嬉しくさせられ(別に似てはいないのだけど)、しぶしぶ付き合ってしまった。
こう、文章で書くとおかしなエッチなのだけど、彼氏はコミュ障で友達がいないくせに、こういう時のセリフ回しが異常にうまく、詩的で宗教っぽい長台詞(私が無学なので、なんの引用なのかはわからない)で、引き込まれてしまった。
◎:必ず読む/休載だと残念
△:読むけどあってもなくても可
☓:終了マダ~?
ー:読んでないからどうでもいい
ジャンプの稼ぎ頭にして唯一の大黒柱。連載終了の兆しが見えたらジャンプ終了のカウントダウンが始まる。
長期連載なのに物語の着地点は見えずに風呂敷は畳むどこか未だに広がるばかり。
物語には起伏があるため正直ダルいと思うときもあるが盛り上がり時はやはり魅せられる。
だが長期化が進めば進むほどジャンプの寿命がどんどん短くなってくるというジレンマの元となっている作品。
準・柱の作品の終了を養分にしてどんどん大きくなっていくジャンプの大樹。
養分にされない作品の登場が望まれるが人気・長期連載のダブル攻撃に耐えられるのってなかなかいない。
ジャンプの代名詞である「友情・努力・勝利」に無理なくマッチしているジャンプらしい作品。
しかし高校生終わったら物語もそこで終わってしまう可能性があるのがネック。
魔法が主題なのに主人公が脳筋とはこれ如何に。まあ、魔法の努力はわかりづらいので筋肉でそれをカバーか。
主人公の強みと弱みがハッキリと分かれているのでその分周りのキャラも参戦化しやすく見てて楽しい。
逆にいうと主人公が弱みを克服すると一気にオレツエーだけの漫画になってしまいそうで失速してしまいそう。
物語の流れ的には時間的なネックがないため上手く行けば長期化も。
アニメ化も決まり柱になってくれるよう(編集部にも)期待される作品。
鬼滅の刃:◎
正直作風は万人受けするものでない。それに物語自体も本質は血なまぐさいのでこれまた人を選んでしまう。
だが、ジャンプの代名詞である「友情・努力・勝利」にマッチ・・・(あれ? 友情はちょっとまだ成分低いかも。でも今後増えそう)
ギャグは不真面目系ではなく本人はいたって真面目だけど結果としてギャグになるという天然系。
カチッとハマるときはとことんハマる。そして噛めば噛むほど味がでるスルメのような作品。
大人気になることは恐らくないけど休載になったら二番目にダメージが高い作品。
ハイキュー:○
ジャンプのスポーツ部門担当。天才肌と根性肌が努力でつながる。これまたジャンプの主題に沿った作品。
でも天才肌の人が努力しちゃうと凡人はどうにもならないのでちょっとやめてほしいんですけど。
あとバレーはレシーブするときに手が痛いし突き指もしたしで苦手だったということもありそんなに力を入れて見れない。
それに残念ながらバレーが万人受けするスポーツかっていうと・・・。
スポーツ系はそのスポーツに関心がないと難しい面はある。まあ、個人的な理由。
当然ながら高校生が主役なので終着地が高校生終了になってしまいそうなのがネック。大学生編もアリといえばアリだけど。
火ノ丸相撲:○
ジャンプのスポーツ部門担当その2。漢臭い汗臭い作品。そして力士と言い張れば下半身廻しでも通報されないと知らしめた作品(違
主人公の夢は熱く周りの人間を巻き込んでいく展開はやはり熱い。
だがトーナメント制だとそれ故にある程度展開が読めてしまうのが悩みどころ。
やっぱり主人公チーム補正があるよね となると途端に冷めてしまうからそう見えないように上手く魅せるさじ加減が難しい。
そう納得させる部分が努力の過程なのだけどあんまりそれやりすぎると人気が落ちるという悲しさ。
着地点は力士審査を通れるかになるのでそこで物語終了となってしまうのがネック。
背すじをピン!と:○
何も取り柄がない(と本人が思っている)主人公が何かを成していくという展開はやはり熱い。そして眩しい。・・・年を取ったなぁと実感させられる瞬間でもある。
ただお披露目の舞台はダンス自体に関心がないと見てて辛い。何周もあるとお腹いっぱいになる。
何が凄いのかがイマイチピンと来ないので見ててふーんとなってしまう。社交ダンスの舞台を見たことがあればたぶん違うのだろうけど。
マイナーなスポーツは共感が得にくいことがネックでありますな。
主人公の周りのメンツが凄すぎて後半は埋没してしまったのも残念。
物語が一段落したなーって思ったらいきなり二年後になったので多分来週で連載終わりだろうなー。
あぁ、ONE PIESEの養分になる作品がここにまたひとつ。
※終了じゃなかったらゴメンナサイ
家畜化されている子供という衝撃的な作品。ジャンプらしからぬところが注目を集めている模様。
子供なので脳筋的な展開にならず(なりかけたが返り討ち)知略を尽くしてどう出し抜くかを楽しむ作品。
周りの状況がちっとも公開されていないため今後の展開もまったく読めない。
もちろん敵の正体や世界の設定などもあるのだろうけどそこに行く前に連載が終わってしまいそうなドキドキ感もある。
施設編が第一部で逃走編や闘争編まで続ければ面白そうだけどジャンプとしては異色なので人気が持つかは不明。
食戟のソーマ:○
ジャンプの食品部門担当。物語のベース自体はジャンプの主題に合っているのでそんなに異色感はない。
そして食事をするシーンがエロくなるということを知らしめた作品。さすがto・・・じゃなくて佐伯先生!
話の流れ的には作画が綺麗になったミスター味っ子なのだけれども。
女も脱がすが男も脱がす。エロい紳士も腐った淑女も引きつける作品。
ただ、最近は料理にちと食傷気味。力を込めた料理はたしかに美味そうだけどしょっちゅう食べると飽きるよね。
たまにはゆきひらで出ているような料理でほっこりしたい。クッキングパパは偉大ですなぁ・・・。
まあ、題名に「食戟の」が付いている以上バトルものの看板は外せないからどうにもなりませんな。
これも学園卒業と同時に連載が終わりそう。
正直に言うと作者様には18禁の方に戻ってきてほしいなとは思うけれども(ボソ
斉木楠雄のψ難:○
ジャンプのギャグ部門担当。主人公ツエーものはギャグには打ってつけですな。オチも決めやすいし超能力だからある意味なんでもアリだし。
まさかアニメ化するとは思ってなかったけど意外と違和感なくてウケた。
一応舞台は高校だけれでもギャグ漫画の法則で年次は関係ないため人気がなくなったときが終わりどき。そういう意味では制限がない。逆にいえばいつでも終われるということだけど。
悲しいかなギャグ漫画は大黒柱になることは決してないのだけど(なれて準・柱)無いとそれはそれで困るものなのである。
ゆらぎ荘の幽奈さん:○
ジャンプのエロ部門担当。ToLOVEるを主人公が出来る男にしたバージョン。
ちなみにこれにエロをつけると完全なエロゲーの出来上がり。むしろそっちを見たいがそれだとジャンプからいなくなってしまう。悩む。
だが、恋愛系の漫画でもギャグ漫画の法則(年度ループ)が起こりうるので人気しだい。
・・・ただその場合のオチは全員が死んでいたってことになるけれども。
ぼくたちは勉強ができない:○
どっかで見た絵柄の人だなぁと思っていたらマジカルパティエ小咲ちゃんの人だった。
まだ一話だけなのでなんとも言えないが短期間で終わりそうな予感はある。
主題的にも長期的ではないし。10話ぐらいの読み切りで読むとちょうど良さげ。
磯部磯兵衛物語:○
ジャンプのギャグ部門(江戸)担当。かつてのうすた京介枠。安定の巻末。ないと不安になる。
10号では巻末ではなかったのでちょっと驚いた。・・・いや実質ここが巻末だったということなのだろうか。
浮世絵の画風をギャグにするというのは冒険であったと思うけど慣れると何だこの安定ぶりはという感じである。
ジャンプには欠かせないが、でも単行本を買うことは決して無い。
銀魂:△~☓
ジャンプのバトル部門とギャグ部門を担ったハイブリッドな作品。
2~3Pを読んで今日はギャグとして読めばいいのかバトル(シリアス)として読めばいいのかを決定する。
ある意味こち亀のような作品ではあるがこちらの方が逆は下品・・・ん? こち亀も別に上品ではないな・・・ゲスい作品。
現在物語を畳んでいる状態でシリアス展開が長いが、シリアス長えよ!と作者が飽きたのかギャグを差し込むようになってきた。
なのでシリアスモードで読んでいるときにギャグをゲスいギャグを差し込まれると辛い。
ここでギャグかよ! とジャンプを叩きつけたくなる自分は悪くないとおもう。
ジャンプのギャグ部門担当。困ったことばかりする相手をフォローするギャグ。
まあ、可もなく不可もなく。
ジャンプのギャグ部門(ゲス)担当。主人公がゲスでカス。まあオチで主人公がひどい目に合うことがわかっているゆえにそこまで不快にならない。
だが、それゆえに主人公がめずらしく主人公らしい行動をしたとしてもちっとも褒められない。
不良がときおりみせる優しさが異常に高く評価されることはよくあることだけど、主人公のゲスさ故にそれすらない。
え? 主人公ってこんなんだったけ? と物語の主人公の役割を問い直したくなる作品だが、この物語の主人公は間違いなく彼である。
オレゴラッソ:☓
スポーツものとして描くのであれば主人公にはそのスポーツに対する圧倒的な「愛」が求められる。
そしてこの作品にはそれが足りなすぎる。正直サッカーやらずにテコンドーやってろよって感じ。
「なぜそのスポーツにハマったか?」の描写はあったが、その後のハマりぐあいの描写が足りなすぎる。
キャプテン翼を見習えよ! サッカーの申し子の翼くんでさえオーバーヘッドキックを何度も練習して打てるようになったんだぞ!
憧れの光景を見てやろうと必死にドロドロになってそして出来て嬉しい!って笑顔になってそんな姿を見せらればそりゃこっちも嬉しいよ!
そういった過程もなしに物語を進めているからちっとも楽しめない。導入部がいろいろ足りなかった。そんな作品である。
・・・まだ終わってないけど。
歪のアマルガム:☓
ジャンプのバトル部門(化物)担当。新連載組。初回は面白かったが回を繰り返すごとにつまんなくなってきた作品。
だが打ち切り決定がなされたであろう回からまた面白くなってきた残念な作品。
初回のノリをそのままつなげればよかったのに変にクールダウンした結果面白さも落ちてしまった感がある。
今の展開の勢いを最初からやっていればよかったのに。状況を落ち着かせるのがちょっと早すぎた気がする。
次回作に期待。
ジャンプのバトル部門(悪魔)担当。新連載組。読み切りで終わらせた方がよかったでないか作品。
たぶん初回ですでに力尽きていたのではなかろうか。話の作り方が週間連載に向いていないのかもしれない。
一度そういった目で見てしまうと何をやってもだめである。さっさと畳んで次いった方がいい。
この作品を見ていると週間連載をしている人たちは本当にすごい人達なのだなぁと実感する。
とにかく連載を。言いたいことはただそれだけである。
作品自体が登場人物であるジンのような作品であるが、帰ってくる場所がいつまでもあるとは限らないのだ。
はやく、はやく読みたいよぉぉォォォォ!!!
ONE PIECEのように大黒柱になれる作品ではないが、建物の工事には欠かせない基礎のような存在である。
その基礎がないってどういうことよ? 建物グラグラきちゃうよ?
早急な復帰が求められるが作者さん体壊しちゃったゆえの休載だからなぁ・・・。
ワールドトリガーが連載されている限りジャンプを買い続けることをここに誓おう。
え、なにジャンプってここまで落ち込んでるの。
ドラゴンボールとか連載されているときはほとんどが◎だったのに。
・・・ってことを書きたいだけだったのに何この長文。
中編なんてありませんでしたわ。いいですわね?
解説を読む読むと晩年の広重は風景画にはめずらしい紙を縦に使った大胆な構図に
挑戦しているそうですわ。
浮世絵を見慣れていないので、その辺りはわかりませんけど、
「名所江戸百景」の至近距離に「月のまつ」や鯉のぼりを配置して、
絶対的な自信が生まれたからこそ、あんな作品が発表できたのだと思います。
人物画の浮世絵師とコラボレーションした経験も役に立っていそうです。
我ながら御満悦でしたわ。しかも別の絵が用意されていましたわ。
角を丁寧にあわせることが肝要です。
いえ、わたくしはサバサバした女。鰭先の細かい作業もお任せですわ。
何故か二階にいたペッパーはレスポンスが悪いので無視していたら、
肩を落としてため息をついていましたわ。
紙を縦に使うのが大胆なら、正方形の紙を使えばもっと大胆かしら?と
少し考えましたけれど、浮世絵でそれをやると印刷事故が多発することが、
前回ですわ
音楽も、セリフも、ストーリーも、悪くはないがうまくマッチしていないような気がする。
ただ、やっぱり好き嫌いが別れるのは絵によるところが大きいと思う。
美しいか醜いかと言ったら、100人中100人が美しいと言う美麗さだ。
ただ、映画の絵としては特異と言わざるを得ない。
主人公が絵の中心にいないのだ。
背景を美しくみせるための、添え物に過ぎない。
絵に人間賛歌がないから、あんなに練られたストーリーも、セリフも、一つの作品としてまとまらないのだ。
正確には、背景を美しくみせるというのもちょっと違う。
あの映画の絵では、背景ですら、光を、風を、雨を、それを表現するための手段にすぎない。
見えないほど雨が画面を曇らせる。
画面の半分が空。
思い出したのは、歌川広重だった。
中でも、広重は、雨そのものを、雪を、光を、描き、人物も背景もその添え物という新しい表現に挑戦した。
今では、紙も絵具も変色して、容易には気が付かないと思うけど、雨が、光が、雪が、主役の作品を残してる。
版画という、数々の制限の中だからこそ、ストレートな工夫が目に入ってくる。
日本人の目には、「へぇ、面白いなぁ」だが、当時の西洋人には衝撃だった。
おそらく、「君の名は。」も同じに映るだろうと思う。
デジタル塗りのような均一な塗りが可能なうえに、デジタル塗りのようなグラデーションも作れる。
正しくは、塗るのではなく摺るということが大きく影響する。
擦り重ねでわかったと思うけど、浮世絵の場合、赤の上に青を摺ることで、紫になるし、黄色の上に青を摺ることで緑になる。
赤の上に青を重ねれば青、黄色の上に青を重ねても青。
しかし、版画になると違う。
"ばれん"という道具に秘密があり、不透明なはずのポスターカラーを使って同じことをしても、かなり同じように透明な性質が再現される。
小学校で使う偽物なんかじゃなく、本物のばれんの話だ。
ヨーロッパ人が「こんな青色みたことねぇ!絵具なに使ってんだ!?」
とビックリしたのは、ヨーロッパで発明された顔料、プルシャンブルーでしたというのは、有名な話。
ところで、本物の"ばれん"って、一枚7万とか10万とかするんだぜ?信じられるか?見た目はただの鍋敷きなのに。
均一な塗り、均一なグラデーション、レイヤーの乗算、言ってみればイラレに近い。
「君の名は」よろしく、空気や風、雨、空、水、そういう形のないものを積極的に絵の中心にもってこようとしたのもそのころの浮世絵が元祖だね。
人物が主で背景が従ではなくて、まったく逆に雨が主で、人物は従、空が主で人物は従、そういう絵がわんさと発明された。
北斎という努力型の超人と、広重という天才の働きは大きいことは認めるが、デジタル塗りに近い木版画の特性によるものが大きいと俺は思う。
(版画だから浮世絵の色はのっぺりしていてファミコンのグラフィックみたい。
そう思っていたらグラデーションが!
思い返せば普通にグラデーションしている浮世絵をたくさん見ていましたけど、
意識していませんでしたわ。彫り師か摺り師の技術高すぎですわ。
小倉擬百人一首の題材にされている江戸時代の人物には、とんでもない人がいらっしゃって、
あの方々を持ち上げる江戸時代の人は現代人とは感覚が異なることを思い知りました。
八百屋のお七なんて、今ならひんしゅくを買いっぱなしになってしまうと思いますわ。
そういえばヨーロッパでも中世の人は犯罪者に同情的だったと、ものの本で読んだことがありますわ。
スカイツリーの地下で復活して現代レスリングトップの方とドリーム対決してほしいです。
説明から摺物と呼ばれる自費出版で趣味に走った同人誌的なものがあったこと、
当時の「写真」が「作者の観察に基づくスケッチ」の意味だったことなどを学びました。
魚づくしシリーズには何故か鯖がありませんでした。鯖がありませんでした!
文字通りに「見当」がずれたり、下の段にある縁の部分を擦って変な線が表れたり大変でした。
最後に輪郭線を摺るので、色の載った紙が一気に「作品」に変身するところが病みつきでした。
最後にミュージアムショップで復刻浮世絵(嶋田と池鯉鮒)を買ったのですが、
学芸員さんに「選んでください」と……
「同じ絵ではありませんの?」
「版が違えば微妙に違うんです」
今後、中期・後期の展示があるそうですわ。
どうしてアニメの浮世絵とかがだいたいクズかの理由を述べていく。
いくつかパターンはあるけれど、一番多いパターンは、単純に見れたものじゃないというレベルのものだ。
そんなものが売れるのは
っていう前書きがあるからだ。
手で作ったからといって、伝統技術で作ったからといって、機械が印刷したほうが綺麗なら、そんなものに価値はない。
おそらく、ここ数十年まではカラー印刷技術の中で最強の座を誇ってたと思う。
2枚の版木、赤、青で摺るとする。
1枚目で摺る。
1枚目の赤の版木が当たる部分、当たった部分は赤になり、当たらない部分は紙の地の白のまま、つまり2色の世界。
2枚目の青の版木が当たる部分、一枚目の版木も二枚目の版木も当たった部分は赤と青が重なり紫に、二枚目の版木だけ当たった部分は青に、一枚目の版木だけ当たった部分は赤になり、当たらない部分は紙の地の白のまま、4色の世界。
3枚の版を使えば、8色、4枚の版を使えば16色、理屈の上では指数関数的に色数が増える。
雑誌なんかで、表紙のすぐ下や、誌面の中頃に、一枚だけカラーページでグラビアやイラストのカラーページがあったりするのはわかるだろうか?
昭和の初期までは、あれを木版でやっていた。
しかも、浮世絵の時代と遜色ないどころか、それ以上に15度20度と摺って色を重ねて印刷していた。板を彫って。ばれんで摺って。
中でも、最もキチガイじみた雑誌はというと、毎号50度摺以上の手間暇をかけて、日本画の複製を誌面に挟んでいたある美術雑誌だ。
号によっては100度近い摺りを重ねたらしい。
色数の問題だけではない。
ほとんどの印刷技術は、オフセット印刷もシルクスクリーンもレーザープリントもインクジェットプリントも、色の濃淡を色の粒の"密度"で表現している。
木版で使うグラデーションをつける技法は、粒ではなく無段階のグラデーションをつけることが可能である。
人間が視認できる限界を超えたRetina Displayがでるまでは、真のグラデーションは木版の中にしかなかった。
そして発色である。
浮世絵の技術で摺られた絵は、直後に触っても、手に絵の具は移らない。表面には絵の具は残ってない。
紙の繊維の奥から、輝くのだ。
いつものように、能書きが長くなったが、
っていうことを強く打ち出した売り方だと、極端な話、出来のいい悪いに関係なく売れる。
普通の印刷よりも汚くても、「それが木版の味です」として売れる。
たぶん、下絵もどんな絵なら工数をケチっても綺麗に仕上がるかなんてことも考えていないし、職方に高いレベルは要求しないし、職方もそれを見抜いてそれなりの手間しかかけない。
企画元「安く版権が手に入ったから、斜陽産業の職人を安く買いたたいて作らせて、オタクに高く売ろう」
職人「どうせわかりゃしないから、材料と手間をケチろう。どうせ工賃も半額に値切ってくるんだろう」
っていう思惑が誰でもわかる。
みれたもんじゃない0点の浮世絵、これがアニメの浮世絵の約8割。
実は、丁寧過ぎるのも嫌いなので、それについてもややこしいんだが、それについてはまた後日。
池袋パルコでやってる安野モヨコの原画展の売店の浮世絵が素晴らしかったので報告しておく。
この手の浮世絵の出来は大抵ひどい。
「版権が安く手に入ったから、斜陽産業の職人(木版彫り師、摺り師)買い叩いて、
オタクに高い絵買わせたるぜ!」
みたいなものが多い。
原画を忠実に、安野モヨコの使ってるペン(PILOTのVコーン)の雰囲気まで再現されていた。
色彩は原画よりだいぶ華やかになっていた。
原画より版画のほうが美しい、とまで思ったけど、複製の複製たる意味を考えるとそれはまずいことなのか。
いや、確実に美しいと思ったけど。
木版の美しさとは、などと語ろうと思えば、またもの凄い長文になるので、今回はご報告だけ。
伝えたいことが上手く書けてない気がするので、もうちょっと追加で書く。
そもそも、美人画=美人というのはちょっと違って、ちょっとじゃないか、まるっきり違って、美人画は特殊。
まず、こちらを見てほしい。
浮世絵ではない。
眼球をおさめる眼窩のくぼみ、頬骨、顎の丸み、それを想像できるのはもはや特殊能力だと思う。
だから、フィギュアを作る造形師というのは、絵師以上の才能だと思うんだよ。
そんなわけで、次にやっぱり浮世絵の世界でも美人画は特殊という話につなげていきたいのだけど、そもそもウキヨエって時点で特殊に思われてしまうので、まずその色眼鏡を外してもらいたい。
じゃあ、下の写楽の絵を見てほしい。(浮世絵の中でも写楽は特殊と言われりゃそれまでだが)
https://data.ukiyo-e.org/bm/images/AN00521343_001_l.jpg
ディプレイに表示されたら、右手の親指と人差し指でリングを作り、リングの中に口元だけが見えるようにサイズと手の位置を調節する。
鼻のライン、口のラインから、小鼻の膨らみ、顎にかけての丸みがちゃんと理解できるのがわかるだろうか?
線一つない白塗りの頬に、頬骨がせり出して涙骨とつながってるのが見えてくるだろう。
なんといっても鼻の線どりが見事だ。
最小の線で、小鼻の膨らみを画面につくってる。
小鼻の丸みの中の小さな平面、小さな平面と丸みの連続を見事に!
その線を脳内補完して、延長すると、頬骨、顎、おとがい、すべての凹凸が見えてくる。
いやはや、いやはや、これが写楽!
輪郭線が薄墨色でかなり薄い。
バックは黒なのに、光っている(画面ではわからないが、雲母(ようするに微細な天然ガラス)を砕いたものを敷き詰めてる)。
薄い色の輪郭線と、黒なのに光るバック、これが意味するところは、つまり!
スポットライトがない時代、薄暗い芝居小屋に役者が登場したところ!
窓から光が差す。光を浴びて白塗りの役者の顔がハレーションを起こしてる。その瞬間!
どうだろうか。
恐ろしく写実的であるのに、禍々しく怪しい力を放つ手元、感情がにじみ出た表情、素晴らしく感じないだろうか。
他方、歌麿を見てみよう。
https://data.ukiyo-e.org/aic/images/79632_350913.jpg
どうだろうか?
ちょっとこれは立体造形が難しい。
美人画だ。
アニメの絵のつぶれた鼻を、薄すぎる唇を、あれが実物だったら美人と呼べるだろうか?
否!
同じように、目が大きいほど、二重がはっきりしているほど美人というのは間違いだ。
ところで、この手の記事を書くたびに、浮世絵への情熱に驚かれてる人がけっこういるけど、知り合いのオーディオマニアはもっとすごいよ。
あれは魔道。沼。
続き
でも、顔の印象は春信からかなり変わったのがわかるかな?
出世作は、現代風にいうなら、昆虫図鑑、鳥類図鑑、貝図鑑的な写生もので(狂歌(和歌のパロディ)が入ってたんだけど)、その精巧なスケッチは博物学的にも価値がある。
お化けの絵の師匠から、写生でヒット、で美人画の大家になる、というのは浮世絵の世界ならではな感じで、普通、伝統的な日本画だったら、一派の画風を継ぐのが弟子の役目で、勝手に画風を変えるなんて許されないものだが、そこは画家ではなくイラストレーターたる浮世絵師、バーリトゥードで売れそうな絵にどんどん転身していく。
https://ja.ukiyo-e.org/image/mfa/sc156956
だいぶパッチリ系になってきたのはわかるだろうか。
指の感じもふくよかで、儚げな印象はもはやない。
みんな同じ顔なのに、表情がある。
なぜ同じ顔なのに表情が違って見えるのは、自分には今でもなぜだかわからない。
キャプテン翼みたいな感じだ。
みんな同じ顔だし、喜怒哀楽も同じ顔、それなのに、キャラの区別も表情の区別も出来る。
まず、富士びたい。
江戸の男性陣は生え際フェチで(今でも日本画は生え際にこだわりがあるらしい。個人的にはどうでもいいんだが)
ひたいは狭めで、台形がいいとされていた。
富士びたいをベジータひたいと勘違いしている人が多いが、正しくは、逆台形(ソリコミのヤンキー)の逆である。きれいな台形の額ということである。
あと、歯並びも重要だったらしい。
現代において、正しい噛み合わせとされているのは、上の前歯が下の前歯よりもわずかに手前にかぶさるのが理想らしいが、江戸時代の美人は、上と下の歯がピッタリか、若干下の前歯が手前にくるのを美人とされていたらしい。
そういえば、欧米人には八重歯の可愛さだとかアヒル口の可愛さが理解できないという話を聞いたことがある。
変な歯並びや口のかたちに萌えたりするのは江戸時代からの伝統なのか。
次に、若干マイナーなところで、鳥高斎栄昌をあげる。
歌麿と同様にドアップが多いのと、あと自分が単純に好きだから。
https://data.ukiyo-e.org/met/images/DP142137.jpg
栄昌は鳥文斎栄之という絵師の弟子で、鳥文斎栄之はすごく品がある慎ましやかな女性を描いたのだけど(栄之に比べたら、歌麿が清楚系といってもせいぜい素人JD、栄之のそれはお嬢様)、これまた師の画風とは一転。
(これを執筆しながらわかってきたのだけど、自分は素人もののAVが好きらしい)
このころ、だいぶパッチリ目になってきた。
https://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc221599.jpg
アニメ絵っぽくなってきたのがわかるだろうか?
お次また少しだけ時代進んで渓斎英泉
キーワードは「デカい頭」、「猫背」、「生活臭」、「睫毛すごい」
上睫毛もした睫毛もボーボー、小さい目を少しでも大きく見せようと、ゴキブリの脚みたいに太い付睫毛をつけまくったJKみたい。
浮世絵と萌え絵が同じ進化をたどっているなら、萌え絵の行きつく先はブス専のように思えてならない。
http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/wp-content/uploads/exhibition/2014_yositosi_kunitika/01.jpg
http://morimiya.net/online/ukiyoe-syousai/ukiyoe-images/yoshitoshi/itasau.jpg
それぞれ画題は
「けむそう」「いたそう」
ちょっと前に困り顔メイクがブームになったが、時代は繰り返すのかな。
それ以降については、浮世絵は日本画家(芸術として認知された人々)の系譜とイラストレーター(挿絵画家、広告画家)の系譜に分かれていくのだが、後者についていく。
俺が好きなのは油絵や日本画じゃなくて、版画なので。江戸も明治も大正も昭和も、芸術より商業印刷が好きだ。
有名どころで、竹久夢二
このころになると二重瞼が多くなってくる。
竹久夢二というと、女性の社会進出の象徴的な絵を描いているわけで、
ここでエロ談義ばかりですっかり忘れてたけど、女性の社会進出=快活=二重瞼説に戻す。
しかし、江戸時代でも役者絵(男性の絵)は、ものによってはけっこう写実的なところがあり、最小の線ながらも、顎の丸みやエラの張りかた、小鼻や頬の膨らみかたがわかったりするのだが
(もちろん、それがいいというわけではない。完全にデフォルメしてる絵や、本人無視で理想象で描いてる絵もある。歌舞伎堂艶鏡あたりはかなり写実的。東洲斎写楽なんかはデフォルメしてるものの、ちゃんと顔の膨らみは想像できる。)
女性の顔となると、江戸から明治大正にかけて、ずっとずっと平面の中にしか存在できない顔だなと思う。
顎の膨らみがどうなっているのかわからないし、チークは入っているのに、頬骨のでっぱり具合がさっぱりわからない。
フィギア化がすごく難しそう。
ほぼ同時期にこの手の絵の祖と思われる人があと数人いたんだが、名前を思い出せない。
近くを見ているような、遠くを見ているような、瞳の焦点が微妙にあってないのは、浮世絵の役者絵(男性のね)に近い気がする。
とまあ、瞼が二重か一重かはとにかくとして、眼でモテる方法を教える。
黒目、とくに瞳孔部分が大きいほど、モテるらしい。
黒目が大きいほど、柔和で優しそうにも、セクシーにも見える。
漫画なんかでは、催眠術にかかったような描写のときに、光彩と瞳孔を区別しないで描かれたりする。
古くは、アトロピンという薬剤を点眼することで、瞳孔を広げて美人に見せる術があったとかなかったとか。
薬剤なんか使わなくても瞳孔を広げる方法がある。
簡単に言えば、暗がりである。暗がりで美人に見えるのは、そのせいらしい。
逆にいえば、カラーコンタクトは最悪だね。
せっかく瞳孔が広がっても、レンズの模様のせいでそれが見えない。
あと最初の頃に戻るけど、一重なら、セクシー系を目指したほうがいいと思うな。
日本人は、すごく面食いなようで、内面重視というか、外見によく合致した内面を求めるというか。
まあ、そんなこんな。
せっかく浮世絵というキーワードが出たので、少し浮世絵の見地からコメントを残す。
その前に、この文章のなかでいう浮世絵とは、江戸明治期の大衆画、木版画ということで話を進める。
本当は浮世絵の定義でそれこそ一冊の本が出来上がってしまいそうなので、たぶんみなが一番あたまに浮かぶ絵として、そういうことにする。
おそらく、浮世絵の美人で一番名前が売れたのは、歌麿のものだと思う。
https://data.ukiyo-e.org/tnm/images/C0027082.jpg
他方で、役者絵などは、二重が多い。
https://ja.ukiyo-e.org/image/mfa/sc147410
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/kunimasa005/kunimasa005_main.jpg
役者=歌舞伎ということで自動的に男性になるわけで、女性と男性という違いが大きいので、これをもってどうとはいえないが、とりあえずそれを覚えておいていただき、次の話に移りたい。
(もう少し言えば、役者絵も理想化して描く場合と、写実的に描く場合と、個性をデフォルメを強くして描く場合とがあり、話が違ってくる)
四乃森蒼紫や流川楓を思い浮かべてほしい。
イケメンキャラというよりは、クール=糸目、熱血漢、優男=パッチリおめめでふと眉、という図式である。
藍染惣右介などわかりやすく、当初の優男の時から、敵役に回りクールな性格に変わると目が細くなった。
ここで、仮説を提案したい。
「二重、ぱっちり目は美人を示すアイコンではなく、快活な性格を示すアイコンである」
と。
そして、現代においては、快活で明るい女性が求められている(=二重、ぱっちり目)が求められている。
逆に、ぱっちり目でセクシー系も合わないように思う。
そりゃ、セクシー系の壇蜜だってキティちゃんグッズくらい買っててもおかしくないだろうし、ぱっちりおめめの橋本環奈だってアブノーマルハードコアセックスくらいしてかもしれんが、その容姿にふさわしいキャラというものを、われわれは求めている。
再び、浮世絵の話に戻ろう。
その仮説を検証しながら、浮世絵の世界での美人の変遷について語ろう。
まず、元号は明和の時代、浮世絵が単色や二色摺りから、多色摺りへ変化したときの絵師、鈴木春信である。
多色刷りという技術的な革新もさることながら、女性像も革新的だった。
江戸時代の女性像というのは、それ以前の髪を下したスタイルから、結ったアップスタイルに変化した時代だ。
アップスタイルは女性の社会進出の象徴であり、いなせで粋で大人な女性に萌えていた。
教科書的には、はかなげな女性を描いたことになってるらしいが、端的に言えば、ロリがハードコアに凌辱される絵である。
幼児ポルノは持ってるだけでお縄であるので、持っていないしURLを張り付けることも出来ないが、ハードコアロリ裏ビデオには、おめめパッチリの二重美少女よりも、糸目の薄幸少女がよく似合うと思いませんか!?
春信の絵は、物語性が強く、その絵の場面に至るまでの物語や、続きの物語を想像させられる。
薄幸そうな少女に、極太のデカいものがぶち込まれてる絵を一度みてしまうと、エロくない絵をみても
「このあとされちゃうんだろうなぁ」
と思ってしまう。
http://okunoin.up.seesaa.net/image/IMG20no.189.jpg
https://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc149258.jpg
春信の時代のものは、春画でも相当お高くて(一般に、春画のほうが安い。芸術と自分を騙せば100万でも買えても、エロパロのために何十万もは出す人は少ないんだろう)、春信の浮世絵を買うなら春画がおすすめだ。
続いて、鳥居清長。
https://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc226102.jpg
たぶん8頭身、下手したら9頭身くらいある。
女性を一人だけ描くことはせず、かならず複数の女性が絵に並ぶ。
体型も、表情も、健康的な感じがする。
続く