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2016-09-03

二重(ふたえ)と日本人

突然だが、私は外見にコンプレックスがある。

私は一重(ひとえ)、それもかなり腫れぼったいタイプの一重だ。生まれからずっと、自分のまぶたを呪い続けてきた。

一重が嫌で仕方がないので、私はアイプチ(まぶたを固定するノリのようなもの)を利用して二重を装っている。

毎晩寝る前にアイプチを使って二重を作り、そのままの状態で寝て次の日はアイプチを落とし、さも生まれつき二重であるように装って生活を送っている。

この習慣を続けたおかげでまぶたにクセがつき、前日アイプチしなくても次の日も二重で朝を迎えることができるようになってきている。

アイプチを使いすぎるとまぶたの皮膚が伸びて老後酷いことになるそうだが、数十年後にはもっと安く簡単に整形手術が受けられるようになっていることを祈って今はゴリ押ししている

…と、私の話から入ってしまったが、本題はもっと別のところにある。

私はアイプチを使い始めてからずっと、

「(若い日本人ほとんどは一重であるはずなのに、テレビに出ている若い人のほとんど全てがキレイな二重なの、おかしくね???

と思っている。悶々としている。

ちなみにこの考えにはいくつか注意書きが必要で、

(1)歳を取るとまぶたの脂肪が落ちて皮膚が薄くなるため、生まれた時は一重の人物でも歳を取って二重になることは結構ある。つまり、年齢層の高い二重の人は多い(はず)

(2)男性の一重or二重が重要視されることは女性比較して少ないので、テレビに出てる人でも一重の男性結構多い。

(3)ただしジャニーズを見れば分かるが、女性ウケを狙う「若いイケメン男子ほとんどは二重まぶたである

ということをツッコミをさけるために先に断わっておく。

私はまぶたにコンプレックスがあるので、コンプレックス意識し始めてからずっと他人のまぶたに注目して生きてきた。だからこそ言えるのだが、ほとんどの若い日本人はやはり一重まぶたなのである(ちなみに私は大学生なので、基本的若い日本人のまぶたの傾向しかからない)。これは男女両方に言えることで、どう考えても一重まぶたの人が多い。私の主張に疑問を持つ人は一度小学校中学校卒業アルバム個人写真ざっと見てみればいい。化粧も整形もしていない少年少女ほとんどのまぶたは一重のはずだ。

それでもって若い女性の多くは私と同じようにアイプチを使って二重まぶたを装っている。言い忘れていたが、アイプチは完全な一重まぶたの人のみが使うのではなく、奥二重の人が綺麗な二重に形を整えるのにも用いられるので、今では結構多くの若い女性アイプチやこれに準ずる化粧品を使っている。さらに、男性がこのアイプチを使うこともある。整形手術をせずとも誰でも二重まぶたになれるのだから、かなり便利(?)な世の中になったのだ。

別に独自客観的統計をとったうえで、その分析結果に基づいてこの主張をしているわけではないのだが、少なくとも女性に関しては間違いないと胸を張って言える。くらい明らか。

是非ともこの日記を読んだ方は、テレビに出ている人物が一重まぶたである二重まぶたであるかを意識してテレビを見てほしい。別にテレビでなくとも、電車の中の広告SNSタイムラインに流れてくる画像の人物のまぶたに注目してほしい。びっくりするほど二重まぶたの人物で溢れ返っているはず。

さて、ここまで読んだ読者にはきっと「そりゃあ多くの視聴者が見るテレビなんだからウケの良い(と思われる)二重まぶたの人物を多く起用するのは当たり前のことじゃないか」と考える人もいらっしゃるだろう。確かにその考えは至極真っ当で、私だって一重が嫌で二重に憧れてアイプチを使っているわけで、多くの人々が二重まぶたを美しいと感じているのは事実だろうし、テレビ番組視聴率を取りたいわけだから一般に美しいと思われている二重まぶたの人を積極的に起用するのは理に適っている。その通りである。間違いない。

しかし一度立ち止まって考え直してほしい。

我々が「二重まぶたは美しい」と考えるようになるのは、幼いころからテレビ雑誌二重まぶたの人たちばかりを見ているからではないか

我々がもとから二重まぶたは美しい」と考えるのではなく、メディアによって「二重まぶたは美しい」という選好を植え付けられているのではないか

我々が日本史の授業で目にする平安時代の絵巻物や江戸時代浮世絵の「美人」はみんな一重まぶたではなかったか

我々が「二重まぶたは美しい」と考えるようになったのは西洋人が身近になった明治以降のことではないか

そして私のように、一重まぶたにコンプレックスを抱き、様々な化粧品を試して必死二重まぶたを装おうとしている人こそ一度考えなければならないのは

世の中のトレンドを作り出すことで私腹を肥やす薄汚いブタ野郎が、「まるでそれが普通であるかのような空気を作り出す」ことで、消費者の行動を一つの方向に導くことがある

ということだろう。ブタ野郎の手のひらの上では踊りたくないのはきっとみんな同じ。

普通に考えて、多くの日本人が一重まぶたであるにもかかわらず、二重まぶたの人ばかりが日本メディアに出ているのは異常ではないか

これを言うと陰謀論臭くなって嫌なのであまり言いたくはないし費用対効果の点から現実味ほとんど無いのだが、この状況、化粧品会社美容外科業界タレント業界メディアが結託してしたりしないか政治学には「非決定権力」やルークスという人が唱えた「第三の権力」という概念がある。興味のある方はぜひとも調べてみてほしい。

※私は「二重まぶたの人がテレビ画面を占め、それを見る我々一般人がそれを普通だと認識している」この状況が異常であると主張しているだけで、二重まぶたの人をテレビから引きずり出せとか一重まぶたこそが真に偉大であるとか言いたいわけではない

自分で書いていて着地点が分からなくなってきたのでこの辺にしておこう。

一重まぶたには一重まぶたの、二重まぶたには二重まぶたの良いところがあるわけだから、それぞれの良いところを認め合える世の中になればいいなぁ。

二重まぶた女性しか出てこないテレビ普通の人はおかしいと思わないのかなぁ。

普通だと思われていることに、常に疑問を投げかけられる人間消費者?)でありたいなぁ。

ああ、二重まぶたになりたい。

―――――――――――――

追記

実はこの日記、私が初めて匿名ダイアリー投稿したものだったのだが、予想以上に反応がきてとても驚いている。

読者の方のコメントを拝見して、なるほどと思うことも多かったので、いくらか追加で書き記しておこうと思う。

①「ほとんどの日本人は一重」という表現について

確かにこれは少し誇張が過ぎていた。あと、地域性によってまぶたのパターンが大きく変わることは恥ずかしながら考えてもいなかった。

北海道九州沖縄あたりでは縄文系の顔つきの人は多いだろうし、二重まぶたの人も多いはずだ。ちなみに私の居住圏は、恐らく弥生系が最も多いであろう関西地方である。そのため、私の脳内サンプルにはある程度のバイアスがあることは断っておかなければならない。バイアス絡みでいえば、私自身が「日本人の多くは一重まぶたである」と意識し過ぎた状態脳内統計を取っているせいで、無意識的に実数よりも過剰に一重まぶたの日本人の数を計上している可能性もある。

ただ、これらのバイアス考慮に入れた上でもやはり私は身の回りの人は一重まぶたが多いと思うし、テレビ中の人特に女性)たちは二重まぶたが多いと思うのだが、これは私の頭がおかしいからそう思うのだろうか。

②二重or一重まぶたの人口に関する学術統計調査について

思った以上に一重の人口が少ない説を唱えるコメントが返ってきたので不安になってciniigoogle scholar適当論文を調べてみたのだが、一重or二重まぶた人口比に関する学術論文は見当たらなかった。ということで私は正確かつ客観的統計データを持っていないし、恐らく手に入れることが出来ない(一応文中でも断っているのだが)ので、断定的な主張をおこなうのはまずかった。一応お詫びしておこうと思う。

③二重の極みについて

このタイトル日記を公開するわけなので、ある程度この反応があるであろうことは予想していた。

冨永愛多部未華子について

確かに彼女たちは一重まぶたであるもっとも、彼女らは膨大な女性芸能人の中のほんの一握りのケースであることは言うまでもない気がするのだが。さらに言えば、私は「テレビに出ているほとんどの女性」と述べているだけで、「テレビに出ている全ての女性」とは書いていない。

⑤私が本当に主張したかったことについて

コメントの多くが「一重まぶたの人はそんなに多くない」という趣旨のものだったので、私としては少しうーんといった感じ。譲りたくはないがあえて100万歩譲って、日本人の51%が一重まぶたで49%が二重まぶたであるとしよう。しかテレビで我々が目にする日本人の多く、少なくとも半分以上は二重まぶたではないか?私が本当に主張したいことは、明らかに現実乖離している風景テレビに映っているのに、我々がそれを異常とも思っていないのはおかしくないか?ということだ。もうひとつ挙げれば、そのように異常なものを異常と思わないように世の中が動いていることが怖くないか?ということだ。

2016-09-01

浮世絵バカ列伝

http://anond.hatelabo.jp/20160830190925

意外と多くのブックマがついた。

皆が浮世絵に興味をもってくれてうれしいような、浮世絵ではなくて浮世絵にハマってる自分面白がってるだけなのでそんなに嬉しくもないような。

資料アップしてもいいんだが、どうせなら自分なんかよりももっと浮世絵にハマったとんでもない人間たちを数名紹介する。

最初横綱級の男、何度かネットでも騒がせているイギリスまれカナダ育ちの男性

ネットで話題になったゲームキャラ浮世絵プロジェクトで彫り摺りを担当した男性

その経歴がすさまじい。

簡単にはこちらの記事にもあるが↓

http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/cover/foreigner/080909_mokuhanga1/

簡単に言えば、ある日浮世絵にハマり、39歳で日本移住して独学で浮世絵の復刻をはじめたそうな。

その前から何度か日本を訪れては木版画用品を買い漁ったり職人のところに突撃を繰り返していたらしいが、居てもたってもいられずに日本移住というあたりが凄い。

日本移住して最初の本格的な作品は、100枚揃いの浮世絵を、10年かけて彫り、摺りあげたというぶっ飛び具合が桁が一つ違う。

ちなみに、上の記事浮世絵に捧げた彼の人生のうち、過激記事にできないところを上手に隠している。

誇張ではなく、もっともっとヤバい

記事のなかのあんな思慮深く落ち着きのありそうな男ではなく、かなり沸点が低い。

唯一、自分が互角にガチオタトークが出来た人間だ。

彼の方向性と、自分方向性はかなり似てる。

まず、彼はコレクターでもある。

彼は浮世絵とそれに続く伝統木版画気持ち悪いほど愛しているが、オリエンタリズムには興味がないし、歴史も興味がない。

美術品としてのいくら価値があるとかいうことにも興味がなく、単純に「綺麗だから欲しい」、その延長でコレクションをしてる。

不思議もので、「浮世絵が好きで、職人になりたい!人生を捧げたい!」という人はけっこういるのだが、そんな人たちが浮世絵を買ってるかというと、ほとんど買ったりしていない。

版画作りが楽しいから入った人、彫りや摺りの技術に感動した人、という人が多いような印象である

一方で、浮世絵を買っている層はというと、描かれているもの歴史的な背景について熱く語ったり、江戸文化風俗について興味があるとか、あるいは一種財テクなのか有名な絵だから買うという人が多い。

単純に、絵の美しさだけに心奪われて、おかしくなってついには技術面にも興味が出てしまったのは、彼と自分くらいかもしれない。

もし好評なら二人目、三人目の浮世絵バカを紹介していくけど、どうですかね?

2016-08-31

http://anond.hatelabo.jp/20141119233844

ただ浮世絵すごいで終わってればよかったのに、なんで他のものdisちゃうんだよ・・

これがすごいってのを言うためにあれがダメってのは説得材料として一番ダメパターンだろ

相対価値じゃなくて絶対価値で語れよ

見ればわかるで伝わんないのはしょうがないだろ

そこで他のものdisなんかすんなよ

せっかく好きなものについて熱く語ってるいい増田だと思ったのにすっかり台無しだよ

2016-08-30

http://anond.hatelabo.jp/20160830164326

2年ほど前のある日、雷にうたれたように浮世絵にハマって、それから半年くらいは俺もそうだった。

少しでも食いついてくれたら、チャンスと思って布教活動してた。

いま考えるとかなりキモいが、布教用のプレゼンパワポ資料タブレットに保存して持ち歩いてた。

しか資料は1つでなくて、

面白いね!」

好感触だったら、次の資料、次の資料、と出せるように複数作ってあった。

ちなみに、全9種類。

だいぶ友人を失ったと思う。

オタクに悪気はないんだ。

許してやってくれ。

追記

間違いなく、ネットにあがってる浮世絵まとめのどれよりも、方向性が多岐にわたる資料だ。

ジブリ浮世絵を絡め、まどマギ浮世絵を絡め、細田守浮世絵を絡めてアニオタアプローチ用の資料

マッキントッシュジョブズ浮世絵を絡めて、アップル信者用の資料

世界史浮世絵を絡めて歴史好き用の資料

浮世絵を買い漁り(復刻含めれば100枚はある)手にとって色んな角度で鑑賞し、匂いを嗅いだり目立たないところを舐めたり頰ずりしたりするくらいハマった。

枕元に立て、眺めながら寝た。

資料作りをやめたのは、浮世絵の魅力を伝えるつもりで資料を作っていたはずが、なんとか説明しようと資料を作るうちに新しい魅力をわんさと見つけてしまい、

ダメだ、こんな薄っぺらい内容じゃ半分も魅力が伝わらない!」

資料をみせるのが嫌になったから。

最近は版画教室に通ってる。

彫刻刀を研いでは顕微鏡で覗いて研ぎの研究毎日

たまにこういうハマりかたをする人がいるらしい。

もっとすごいハマりかたをした人を、数人は聞いたことがある。

友人どころか、全てを失くしても浮世絵にのめり込む例もゼロではない

2016-08-24

オリンピック閉会式

https://www.youtube.com/watch?v=sk6uU8gb8PA&feature=player_embedded


話題動画を見てみた。

性的搾取云々以前にひとことで言えばはっきり言って

ダサい

センスの欠片も感じられない。これが評判良いってマジかよ。

批判大袈裟であり、大勢アスリートが出てくる中に制服姿の女子高生もいるだけなのかな?と思っていたけれど

女子高生が思いっき最初に出てきて一人だけフューチャーされてるのね…。

しか交差点のど真ん中で回るってなにあれ。何を狙ってるの?

えーと、制服姿であんなふうに横に回ったら

特に性的な目で見ようとしなくてもパンチラするんじゃないですか?

それを避けたのかもしれないが小さすぎてよく見えないし。

周りに何故か人が誰もいない演出意味不明ですが。

しか女子高生だけじゃなくアーチェリー選手と思しき女性も顔が前面に出ていますね(もしかして椎名林檎本人だったり?)。

男性選手は後ろ姿だったり逆光だったりして顔は目立っていないのに。

胸に日の丸をつけて踊ってる女二人とか、敢えて狙ってやってるのかもしれないがやっぱりダサい

新幹線とか橋とかが映ってるパートはまあまともかも?と思ったけど

どうせなら東京と言っても都会だけじゃなく下町人情的な部分もあるんだと見せた方がよかったんじゃないか(スカイツリー雷門だけでなく墨田区うんこビルまで出てくるのに)

ただのよくある都会っぽくて、東京ならではって感じが全然しないんだよなあ。

首都としての東京歴史が始まったのは江戸時代からなんだから浮世絵とかアピールすればいいのに、どうもこの動画明治維新以降しか描く気が無いようだ。


一方ロンドンオリンピックプロモはその街らしいしかっこいい。

http://vimeo.com/28381929

2016-07-06

VHSアダルトのおかげ BitcoinでもVRでもアダルトは早かったけどさ・・

江戸時代カメラ流入した時ってどうだったんだろ

魂吸われるとか思われつつも、吉原実業家とかエロい浮世絵書いてた人はこれはチャンスだ!!とか思ってたのかな?

実際に写真残ってないのかな?

ガリレオ・ガリレイ望遠鏡発明を知った時、実はノゾキに使おうとしてたとか逸話ないのかな

望遠鏡はたった5年で徳川家康まで伝わってんのね。これもエロの普及パワーなのかな

http://www.jtmas.jp/history/photo.html

気になって眠れん・・・

2016-06-16

http://anond.hatelabo.jp/20160616145046

女はっつーより日本人はって感じがするけどな

浮世絵根底に持つ日本漫画はのっぺりしてる、3Dアニメの流れから取り残されたのもそのせい

イラスト投稿サイトを見ても海外の人は全体的に日本人より立体を意識している

漫画家の立体感に男女差はさほど感じない、上手い人は立体的で下手な人はのっぺり

2016-06-11

私は日本人ほど傲慢、貪欲、不安定で、偽装的な国民は見たことがない

 

「私は日本人ほど傲慢、貪欲、不安定で、偽装的な国民は見たことがない。…日本人悪徳に耽っており、かつまた、そのように育てられている」

日本に来た宣教師日本に対して発した言葉らしい。

  

娯楽、酒といった嗜好品にゆるく、公衆浴場エロ浮世絵と奔放な文化

聖書に冷静なつっこみいれてくる日本人はさぞ扱いにくかっただろう。

聖書の話をしてもキリストよりもマリアの方が受けが良かったという。

マリアの話ばかりせがまれては布教も進まないだろう。

キリストビジュアルが落ち武者を連想させるからだろうか?

宣教師日本人聖書の話も聞けない動物以下の存在とこき下ろしたくなるかもしれないが酷い言いようである

この言葉を残した宣教師日本人差別が激しく次の宣教師非難され追い出されるのだが

その宣教師も清らかだったかといえばそうでもなく、宣教よりも商売を優先させている。

2016-06-10

ドリルクィーン忘れてませんかね?

舛添のあれなんて、収支報告書なかにいくつも公費私的に使ったんじゃないかという疑惑があるだけで、それら数万から高くても100万程度のものがチラホラでしょ?

別にヤフオク浮世絵買っても良いんですよ。

説明の通りお土産に使った報告がないか虚偽記載といわれてるだけで。

そもそも収支報告書に1億円も記載漏れ使途不明金あって、領収書はないし全部秘書のせいで細かいことはハードディスクドリル破壊されたからわかりません!って人をみんな忘れてませんかね?

大臣は辞任したけど議員は辞めず、また当選たか有権者には許されたことになったドリルクィーンです。

使途不明金1億ですよ?

虚偽記載含めると3億超でしたよね?

あいついいの?

2016-03-27

http://anond.hatelabo.jp/20160326204643

浮世絵版画は、枚数あるからね。

元増田の話には、あわない気が、、、。

錦絵はあてれば儲かる商売だったみたいよ。プロ仕事だけど。

2016-03-03

明治のいつ画が浮世絵から外国の画に変わったんだろうな

どっかのサイト明治初期の講談師が使っていた絵みたいなのを見たら、まんま浮世絵ちょっと進化させたような絵だったのが印象的だった。

いつから浮世絵ってダサくない?みたいな風潮になって絵がまんま外国手法に切り替わったんだろうか、気になる所。

2016-02-26

http://anond.hatelabo.jp/20160226173805

それゆえの美人画春画浮世絵)、遊郭茶屋ブーム

武家はともかく江戸では庶民家庭の妻が浮気とかも普通にあったみたいだし

現代と同じだな

2016-01-26

漫画は完全に浮世絵

ミッキーマウスが伝来して目はでかくなったけど

2015-12-19

剛力彩芽の顔が好きだ

彼女の顔は能面に似ている、昔の人が典型的な美しい顔だと思っていた形だ。

浮世絵美人画にも似ている、太れば平安時代でも美しいと言われる顔であろう。

よく美的感覚が大幅に変わって昔の美女は今はブス、昔の醜女は今の美女と言われるが、私はそうでもないと思う。

美しい能面仏像の顔は今見ても美しい。

左右のバランスが整い肌が綺麗な、美しい女は今も昔もそう変わらないのではないか。

剛力の顔をみるとそんな感じがする。

2015-12-16

増田が選ぶ今年の増田トップ10

2015年増田記事トップ10ブコメ

hungchang ブクマ数によるランキングよりも、主観的に好きなエントリーが欲しい。

てなのがあったので、やってみる。

何故、余っていたはずの会計士が足りないのか。 853 users

ニュース解説増田の中でもかなりブクマを伸ばしたエントリ。内容もさることながら文が上手い。この増田には時々でいいからまたこの分野のニュース解説を書いてほしい。

Twitter女子高生とIngressとARと僕 34 users

ショートショート増田創作は案外少ないが、清涼な印象を残した一編……だったと記憶していたのだが、今読み返してみたらちょっとどろっとした感じあるな。だけどそれもまたよい。

相貌失認 316 users

増田本人の障害カムアウトするエントリなのだけど、なんか妙にあっけらかんとしてて前向きなのが逆に救われる印象。

輯佚 272 users

プリンプリン物語を例にサブカルチュアのアーカイヴの意義を説く、はてならしい好エントリ

4つ設置された小便器に対する初手の考察 29 users

かばかしいことを真面目にやるエントリは意外と少ないが、その中で心に残った一編。男ってばかねえ(主語の大きい個人の感想です)。

新国立競技場について 407 users

今年の夏の一大トピックだった新国立競技場について、設計積算観点から一言。こういう視点ひとつあるといろいろ応用が利きそうに思う。

お礼と機会均等と公平性の話 16 users

増田には「列管理の難しさとコツ」という四桁ブクマの名エントリがあったが、これはその続編。トラバがないのでもしかすると読んでない人もいるかと思いこちらをとりあげた。コミュニケーション力と文章力を併せ持つ逸材で、またなにか書いてほしい。

レンコンって機械で穴あけてるって知ってた? 469 users

わずか21文字で400以上のブクマを稼いだ怪物エントリ。一文字あたり実に22ブクマである。割ってどうするんだという話だが。元増田からのこれは天才しか言いようがない。ブコメ面白かった。

二次萌えは日本人のアイデンティティ

仮称浮世絵増田。昨年いきなり浮世絵に目覚め、時々浮世絵エントリを投下していく人。詳しい人から見てどうなのかは判断できないが、知識のない身で読むと単純に面白いし、なにより楽しそうなのがとてもいい。トラバ先にも同増田の別記事があるのでそちらもどうぞ。

ある介護者の日本シリーズ観戦記 10 users

短いが心に響くスポーツ賛歌。文体もよくて、読点の代わりにカンマを使っているのが独特の乾いた印象を残す。今読み返しても最後から段落目で涙が出そうになる。

以上です。

来年もよい増田が読めますように。
 少し早いですが、よいお年を

2015-12-07

http://anond.hatelabo.jp/20151206193422

千葉県だろ?

どんなもんかと思って見たら、

Category:上総国の人物 - Wikipedia

Category:安房国の人物 - Wikipedia

日蓮小野忠明と菱川師宣がいるじゃん!

日蓮仏教日蓮宗開祖法然親鸞と並んで鎌倉仏教代表する高僧だ。

小野忠明はこちらは剣術小野派一刀流の開祖で同時代では最強とも言われる剣豪

菱川師宣浮世絵の創始者で「見返り美人図」などが有名。

うーむ、千葉県文化の始まりを生む土地柄なのかもしれんな。

そもそも千葉県のあたりは桓武平氏本拠地みたいなところで、

いにしえの平将門はもちろん上総広常や千葉常胤など有力豪族ごろごろしてたんだぜ。

源義朝とも縁が深いし、関東においては江戸なんかよりよっぽど重要土地だったんだよ。

もっと自信持てよ。

2015-11-08

屍者の帝国

 伊藤計劃はディティールの作家だった。

 はっきり言ってしまえば、虐殺器官トリックハーモニーアイディアも、SF観点からするとさして目新しいものではない凡庸ものだ。

 にも関わらず、「夭逝天才作家」として祭り上げられる以前から○○おじさんを含むめんどくさい連中に評価されている理由は何かと考えると、ディティールの積み上げる圧倒的なリアリティにあるのだと思う。

 虐殺器官に出てくる心理マスキング処理、ハーモニーに出てくるアマゾンめいた個人評価スター、これらは今現在からの延長線上の未来として演算される現実的もので、一部の組織企業内では既に現実のものとして実装されているものであろう。

 彼の死から早6年、彼の最後作品である屍者の帝国が、Project itohの最初映像作品として公開される、それも彼が最も愛した映画という形をとってだ。

 6年間、それはあまりにも長い時間でした。僕らの好きだった計劃さんは、どうしようもなくめんどくさい(そして愛すべき)はてダ映画おじさんという存在から、いつの間にかに「夭逝天才作家」という世間を騒がすアイドルになっていてProject itohなるもの始動してしまう始末。

 それでも、それでも、Projectに苦虫を噛み潰したような表情で立ちすくむ○○おじさんたちも、御大小説映像化されることには公開される前は素直に喜んで胸のときめきを抑えきれなかったはず、そう公開される前は。なんなんですか、いざ公開されたとなればハダリーたんのおっぱいとか階差機関に対する言及はあれども映画のものに対しては皆口をつぐみ挙句の果てに「地獄はここにあるんですよ」と指差す始末。

 はっきり言おう、○○おじさんたちは生前の計劃さんから何も学んでいないと。

 映画批評っていうのはレビューではない。もっと体系的だし、少なくともウェブに溢れる「面白い」「つまらない」といった感想程度のゴシップではない。

 批評とはそんなくだらないおしゃべりではなく、もっと体系的で、ボリュームのある読みものだ。もっと厳密にいえば「〜が描写できていない」「キャラクターが弱い」「人間が描けていない」とかいった印象批評規範批評の粗雑な合体であってはいけない。厳密な意味での「批評」は、その映画から思いもよらなかったヴィジョンをひねり出すことができる、面白い読み物だ。

 だから、こいつは映画批評じゃない。まさに印象批評的で、規範批評的で、それはすべて、ぼくが紹介する映画を魅力的に見せるためにとった戦略だ。

 面白い映画面白かった、という。

 このページでいろいろ書いていることは、結局そういうことだ。

「おかえり、フライデー

 人間は死亡すると、生前に比べて21g体重が減少することが確認されている。それが霊素の重さ、いわば魂の重さだ。我々は魂が抜けた肉体に擬似霊素をインストールすることによって死者を蘇らせる。

 原作は我らが伊藤計劃、そして円城塔。といってもたった30枚の遺稿は映画化にあたってオミットされている。メディアミックスなるもの今日当たり前のものになりつつあるのに、なぜかこと映画化に関しては地雷であるという評価が当然のものになりつつある、特にマンガアニメ原作付きのものに関しては顕著だ。本作もその類に漏れず、○○おじさん達から大変な不評を買ってしまっているが、伊藤作品映像化という観点からすれば私は十二分に楽しむことができる傑作だと思った。

 原作付き映画に何を期待するかは人によってそれぞれ違うが、原作ストーリー通りに話が展開するだとか、セリフを忠実に再現するだとか、冒頭の30枚を残すだとか、少なくとも私はそういったことには重みを置かない。小説には文字の、映画には映像の文法がそれぞれあるのだから、単に忠実に再現するだけでは翻訳として成り立たないし、少なくともメディアミックスとしての価値はない。それは原作ファンを称するクラスタに向けた言い訳に過ぎず、怠惰姿勢だと思う。

 文字とはすなわち情報であり、映像もすなわち情報である。その違いがどこにあるかというとtxtファイルwmvファイルの容量を比べるまでもなく、圧倒的な情報量にある。つまり同じシーンを描写するにあっても、映像化のためには不足する情報を画面に徹底的に描き込まなければならない。では不足する情報をどこから補ってくるかといえばやはり原作であるのだが、単に帰納演算に基づいて情報を付加すると、あたかjpeg画像を拡大したように荒く違和感を感じるものになってしまう。そこで映像化にあたっては、原作を入念に読み込み世界観理解したうえで、原作存在しなかった情報を加えることでディティールを明確にする。一方でその情報量が過剰であるが故に、人は文字を3時間追うことができても、映像を3時間観ることは困難なのもまた事実現実的には予算だとか尺の問題だが)。そこで行われるのは物語圧縮である。先に述べた情報の付加と異なり、如何に情報量を減らさずに短い時間に収めるか、如何にディティールを残したまま圧縮できるかが肝になる。

 こうして完成した映像作品は、個々人の頭の中に存在する「原作」とは違ったものとなっているので、ほぼ確実に違和感を与えることになる、場合によってはそれが不評の原因になるかもしれない。だが、ここであえて言わせてもらえば、その違和感こそがメディアミックスとしての醍醐味であって、映画を見る楽しみの観点であろうと。

 私はかつて植民地だった地域によくある上海租界のような場所が好きだ。それは現実宗主国建築物を現地にある材料で模したまがい物に過ぎないのだけれども、望郷の念からか過剰に演出されたそれらの建物は本物のフランスイギリス建物より本物らしく見える。例えるなら歌舞伎女形女性より女らしいようなものだ。

 映像化された屍者の帝国に、私は原作より原作らしいもの、あるいは書かれることがなかった、この世界線には存在しない真の原作面影を感じることができたと思う。

 ボンベイにたむろする屍者の労働者、○○おじさんにも大好評だった圧倒的なディティールの階差機関、白く荒涼としたカザフスタン目黒雅叙園相撲浮世絵ジャパン映像化に際して付加された情報量についてだけでも映画として申し分ない。かつて彼が愛していた世界観型の映画のように、産業革命時代に屍者技術なるもの存在した場合どんな世の中になるかというSF観点なif、たったひとつの嘘による世界構築がなされている。

 「あなたにもう一度逢いたかった、聞かせて欲しかった、あなた言葉の続きを。」

原作ではフライデー円城塔で、ワトソン伊藤計劃にあたる。彼が残したテキストを読み足りない情報を補って、作家伊藤計劃脳内にエミュレートして続編を書くという行為を考えれば当然の配役である小説エピローグで、彼岸に渡ったワトソンを思ってフライデーは自らの意思を持ち動き出す。一方、映画ではその立場が逆転して、ワトソン円城塔フライデー伊藤計劃にあたり、旅の目的伊藤計劃の復活である映画の文法としては旅の目的明確化だが、○○おじさんにとっての不評の元凶となる改変だ。BLノイタミナだとdisる気持ちもわからなくはないけど、ヴィクター書記を手に入れて伊藤計劃を復活させるという話が映像化第一弾として公開されることに意味を感じる。

 冒頭にも書いたが伊藤計劃小説は言ってしまえばそんなでもないし、同じようなものを書ける人は出てくる。けど、彼の映画批評のような愛と薀蓄に溢れた文書を書ける人はもう出てこないような気がする。それでも彼がもし生きていればこの映画をどう評論しただろうか、死んだ彼がこの映画を見たらどう評論しただろうか。

 あなたはここにいるわ、そう思えるような文書をみんなもっと書いて欲しい。

2015-10-05

大村智のイベルクチンとは

ベルクチンというのは平たく言えば最強の虫下し

飲んで安全虫下しというのは、実はすごく開発の難度が高い。

例えば、抗生物質の開発というのは、細菌には毒性があって、ヒトや動物には毒性がない物質を探す作業。

細菌とヒトは、生物としての仕組みがかなり遠いので、そういう物質を開発することは楽ではないがけっこう見つかる。

抗生物質比較安全で、絶大な効目。

種類によっては飲み続けるといろいろ副作用があるという程度。

でも、寄生虫哺乳類の違いは、大腸菌哺乳類の違いに比べるとすごくすごく近い。

ヒトと大腸菌に比べたら、ヒトと単細胞生物アメーバでさえ、代謝の仕組みは相当似てると言っていい。

マラリアの薬がすごく副作用が大きいというのは、そういうこと。

まして、寄生虫に毒性がある物質は、まずまず間違いなくヒトや動物に毒性がある。

例えば殺虫剤など飲もうものなら、一発で胃洗浄。

そんで、このイベルクチンマジで奇跡

飲むだけ。ちょっと多めに飲んでも副作用がでない。

回虫とかぎょう虫とか、ああいう細い糸みたいな虫どもだけ皆殺し。

ウネウネ系の虫だけじゃなくて、ダニまで殺す。

でもヒトには安全

奇跡だろ?俺もそう思う。

で、オンコセルカ症というのは、そういうウネウネ系の虫が目に入って失明させる病気

ウネウネ系の虫の病気というのは、胃や腸だけじゃなくて、変なところに入り込む連中がいて、たとえばリンパ管をつまらせて強烈にむくむ、巨大なチンコになる病気なんてものもある。

大好きな浮世絵からバンクロフト糸状虫に感染して巨大なチンコになった絵を紹介

http://livedoor.blogimg.jp/henky/imgs/9/f/9f3b956a.jpg

2015-09-24

http://anond.hatelabo.jp/20150923225832

なんどか浮世絵関連のエントリを書いた浮世絵増田ですけれども、アートと思われたほうが入場者がくると思うので、あえて春画エロさについて書くことはしてないのですが、むしろ一筆書いたほうが入場者増えるかな?

ちょっと見方を覚えると、オナネタに出来るようになるけど。

2015-09-15

セックス用語カタカナが多い理由

ビジネス用語にカタカナが多い理由 - Chikirinの日記 という記事を読んで、何となく説得されそうになった。

当該記事趣旨

ビジネスやITでカタカナ用語が多いのは、それらの分野で使われている概念の多くが日本では生まれなかったから。

カタカナ用語が多い分野ってのは、日本で遅れている分野なんだよ。ちゃんと日本語しろなんて言ってる奴ってバカじゃね~の?」

といったところだ。

なるほどねえ。確かにそうかもしれないなあ、とは思ったのだが、

でも、「そんじゃーね」と、思い付きを言い放ってブクマ拒否するようなブログの言い分を鵜呑みにすると、足元すくわれるような気がしたので、

自分の頭で考えてみた。

で、思いついたのが、性に関する用語である

性で使われている概念の多くが日本では生まれなかった・・・なんてことはあり得ないわけで、

しろ江戸時代浮世絵から現代世界ではまれに見る性風俗産業の多様さに至るまで、

もろもろ考えてみるに、この分野で日本が遅れているとは考えにくいのだが、

現代日本では「まぐわい」とか「性行為」より「セックス」という言葉を使うのが普通だ。

一々例を挙げることは控えるが、この分野の用語は一般に、カタカナを使うことのほうが多い気がする。


で、乏しい脳みそで考えてみたのだけれど、やはり、日本語を使うと生々しく聞こえるからだろうか?

少なくとも、現代日本では、性行為に関する話題はあまり直接的には口にしないというか

ぼやかして語るべきとされている。

良く知っている日本語で語るより、外来語を使ったほうが、直接的な感じがしないのは確かだ。


とすると、ビジネスやITでのカタカナ語の氾濫はどうだろうか?

そこに、物事あいまいにしてごまかそうという意図はないか?

そういえば、役人政治家の中に、やたらとカタカナ語を振り回す人がいるけれど、

あれは、政治行政が「日本では遅れている分野」っていうことなんだろうか?

2015-09-13

二次萌え日本人アイデンティティ

昨年急に浮世絵に目覚めた人です。

http://anond.hatelabo.jp/20150815210249

日本では西洋風の写実的な画風が育たなかったのはどうして?

若冲みたいな、鳥単体とかなら写実的な描画スタイルもあったとは思うけど。

ガラパゴス的な、進化の経路の違いということなのかな。

これに対して、

http://anond.hatelabo.jp/20150816024827

こんなエントリを返してみたのだが、風景画などに比べると、人物画は、少なくとも浮世絵というジャンルにおいては、日本は独特の様式進化してるように思う。

ここで、それについて説明していきたい。

日本人アイデンティティに関わる部分が多く、絵だけでなく、できれば安保やSEALsにも話を展開できればなんだが、とりあえず筆にまかせて書き綴っていく。

スーパー歌舞伎2 ワンピース

https://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%80%80%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E6%AD%8C%E8%88%9E%E4%BC%8E&espv=2&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0CAgQ_AUoAmoVChMIkcCEjNTzxwIVg-CmCh294A4a&biw=1920&bih=955#imgrc=V6YCFKaDZ9-V7M%3A

ここで、見てもらいたいのは、ルフィ市川猿之助に似ていないこと。

なぜだろう?

「なにを言っているんだ?」「ワンピースの絵でありゃよくて、役者に似せる必要などないだろ」

その通りだ。

ワンピースであることが大事であり、尾田絵であることが大事であり、役者の顔など関係がない。

ナミもロビンもオッサンが演じるわけだが、オッサンにする必要はないのだ。

浮世絵で、顔が似ていないという根本理由はここにある。

役者絵とは、舞台看板に由来するため、元来似せる必要がなかった。

歌舞伎であることが重要である

歌舞伎であること、それがわかるのが重要である

初期の役者絵を一つ、初代鳥居清倍から一つ紹介する。

初代鳥居清倍「市川團十郎

http://data.ukiyo-e.org/ritsumei/images/Z0163-028.jpg

歌舞伎看板絵は代々、今でも鳥居派の絵師が描いている。

狭い意味で言えば、鳥居派の絵こそが公式な絵、ワンピースで言えば尾田の絵であり、この後隆盛を誇る勝川派や歌川派の役者絵は、非公式アンソロジーみたいなものである

絵はすなわち、歌舞伎様式美世界観江戸空気体現したものではならない。

ゆえに、役者絵に描かれる人の顔は、あのように似ていなかったのである

この、様式美に反旗を翻したのが勝川春章と一筆斎文調である

似絵、似顔絵という、役者に似せた絵にたどり着き、2人の共著の一冊の絵本世界を変えた。

勝川春章

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E5%B7%9D%E6%98%A5%E7%AB%A0#/media/File:SHUNSHO-Nakamura-Nakazo.jpg

この二名のうち、勝川春章のほうは歌舞伎世界観様式美との調和成功し、商業的にも成功、多数の弟子をとり、勝川派という一派が出来る。

http://data.ukiyo-e.org/aic/images/95101_482279.jpg

顔のみならず、肢体まで正確なデッサンを基本に描いているのがよくわかる。

歌舞伎雰囲気をそのままに、デッサンは正確、一世を風靡する

彼は印に「画中造化」(造化とは造物主、天地の法則のこと)を用い、絵の中に神を宿すという気概があったんじゃないかと俺は思う。

ちなみに、葛飾北斎勝川春章の弟子であり、若い頃は勝川春朗を名乗っていた。

面白いことに、この顔を対象に似せて描くというムーブメントは、男性の顔に対してだけである

谷風となには屋おきた」勝川春潮画

http://ginjo.fc2web.com/208sanoyama/tanikazw_otaki.jpg

歌舞伎の女役ならば、オッサンにするわけにいかないのはわかるが、町娘書く場合であっても、テンプレ顔。

正確にはテンプレ顔のなかにも表情はあるのだが、男性デッサンを基づく顔で、立体造形は可能なのに対し、女性の顔はおそらく3D化できない。

スネオ髪型カイジのの顎ほどではないが、この顔は立体造形が難しい。

女性の顔については、この後に続く喜多川歌麿については外すことができないのだが、こんかいエントリでは男性の顔に主題を起きたい都合上、また別の機会にかかせてもらう。

続いては、やはり東洲斎写楽と歌川豊国について触れないわけにはいくまい。

先に写楽に触れよう。

東洲斎写楽、聞いたことはあってもなにがどう凄かったのかを説明できる人は少ないと思われる。

http://data.ukiyo-e.org/aic/images/97845_505370.jpg

http://torinakukoesu.cocolog-nifty.com/blog/photos/uncategorized/2010/03/13/sc153602fpxobjiip1.jpg

最初に感じるのは明らかな異質である

Webで調べると、「強烈なデフォルメ」と表現されるが、簡素な線は実は正確に人の顔を捉えている。

小鼻の膨らみから、顎の厚みから、少し線を書き足すだけで全て補完可能で、輪郭線の修正必要ない。

芝居小屋の闇を表現たかのような黒バック。この黒バックは光を当てるとキラキラと光る仕様になっていて、芝居小屋の闇の中で白塗り人間スポットライトがあたったような臨場感を醸し出している。

実際、写楽は売れなかったらしい。

なんの実績もないし素性がわからない新人が豪華なデビューしかも大コケしているにも関わらず次々と新作発表。

いわゆる写楽の謎というものである

よくみると上手いのにぱっと見で下手、よくみると下手なのにぱっと見では上手い、正確なデッサンの部分があるのに、全体だと崩れた感じ、当時の常識ではありえない色彩感覚、いまだに正体は謎である

ところで、写楽商業的には失敗だったが、画家たちへの影響は確かにあった。

写実とデフォルメの高次元の融合、舞台化粧、舞台の緊迫感を受け継いだのは、たとえば

歌舞妓堂艶鏡

http://nichibi.webshogakukan.com/yorozu/kabukido_350.jpg

http://dejimashoten.sakura.ne.jp/bookimages/359787.jpg

明らかに写楽意識してる。

さて、東洲斎写楽と歌川豊国のうち、次は後者について。

歌川豊国役者絵とは、ひらたく言えば二次元絵、アニメ漫画の絵の祖になる。

勝川派の始めた写実の路線から、再び二次元絵に舵を切ったとも言っていい。

http://data.ukiyo-e.org/ritsumei/images/Ebi0124.jpg

歌川派の役者絵は、わかりやすく言えば、たとえ横顔だろうと、正面から見た顔のパーツをつける。

弟子歌川国政だが

http://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc214417.jpg

この流れは、幕末までずっと加速し、圧倒的な作画量を誇る国貞(実質の三代目豊国自称二代目豊国)、幕末豊原国周まで続く。

末期がどんなになったかといえばこんなだ

http://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc169830.jpg

大衆は、写実より二次萌を選択したということ。

さてさて、文明開化で圧倒的な強さを誇っていた浮世絵様式、というより歌川派の様式の人気に陰りがでる。

人物画にふたたび写実との間でゆれうごく。

ここでは月岡芳年をあげぬわけにはいくまい。

最後浮世絵師と言われた彼の晩年は、西洋画の技法を消化し、浮世絵にした。

晩年ともなると、このような感じ。

http://data.ukiyo-e.org/scholten/images/48cf87c54075046c12f9df3e790f5dd9.jpg

しかし、画家ではなく浮世絵であり続けたというのが面白い

一枚の画中に両方の様式で人の顔がかかれてる面白い絵がある。

http://data.ukiyo-e.org/metro/images/1594-C051.jpg

絵の上半分の人物の顔は、見えるであろうその通りに描かれている西洋式の絵。

下半分の人物の顔は、正面から見た目や口を横顔に貼り付ける歌川派の様式

どちらかと言えば、下の絵のほうに力強さ、人間らしさを感じるならば、我々はなんだかんだいっても二次萌えの血が流れる日本人である

まとめると、漫画歴史とすごく似ている。

そもそもデフォルメ絵があり、それを元に進化が始まった。

写実的な絵が入り、そこから劇画調な漫画が始まる。

劇画調の漫画は、写実から離れ、劇画という絵のジャンルが出来る。一見すると写実的なようだが、立体造形は不可能

人物の描き分けも出来ているようで出来てない。あるいは意図的にしない。例を上げるとシティーハンター

再び、コミカルデフォルメ絵にシフト

デフォルメしつつも、デッサンもしっかり、例を上げるとドラゴンボールか、であったが、デフォルメだけを受け継ぎ、骨格はデタラメOKになる。

人物はデフォルメでも、背景描写パースを重視するのも浮世絵的。

っと、ここまで書いてみたものの、安保につなげられる気がしねぇのでここまで。

ちゃんとした美術史や絵の解説から学ばずに、webの知識と年表と絵の印象だけで語ったんで、間違いもあると思うんで、指摘してくれると嬉しい。

2015-08-23

浮世絵の良さが伝わらなくて辛い。と思ったら案外時代浮世絵

細田守映画浮世絵っぽい。

色とか、構図とか、人物とか。

こりゃ、浮世絵ブームきてるね。

2015-08-16

http://anond.hatelabo.jp/20150815210249

たとえば北斎も肉筆だと

http://fast-uploader.com/file/6995210605446/

こういう写真かよ!っていう絵を描いているんだ。

なんで生首?

うーん、ほら、生首の絵の扇子で扇いだら涼しくなりそうじゃん(笑

単体ならっていうのは、透視遠近法みたいな絵がないっていうことかな?

有名な冨嶽三十六景は70代の作品だが、30代で既にたとえばこんなやつがある。

http://fast-uploader.com/file/6995210740539/

カンペキだね。

これと似たような構図を年代順にならべてやる。

40代

http://fast-uploader.com/file/6995211010479/

かなり透視遠近法に忠実。

消失点は水平線の彼方にある一点透視

枠の中に時間を切り取ったカメラのような絵。

70代

http://fast-uploader.com/file/6995211188891/

これ、よくみると、消失点が1点にならない。

左右の橋の梁の平行線を伸ばしてぶつかる消失点は水平線の彼方、両脇の屋敷屋根平行線を伸ばしてぶつかる水平線は橋の下かその少し奥。

これが、忠実な一点透視だったらつまらない作品だったとおもわん?

絵の中に動きがあるのは、ちょっと崩れてきてるおかげ。

80代

http://fast-uploader.com/file/6995211441686/

もう解説不可能

ぱっとみ同じ構図の一点透視のようで、二点透視にも見え始め、仰ぎ見てるようにも見えたり見下ろしてるようにも見え、ってことは三点透視かとおもいきや、そもそも透視図法(平行線がいつか交わる)じゃなくて投影図法(平行線はどこまでも平行)なんじゃないかと見える。

番手前の人物にフォーカスを合わせるとそういう絵になり、その奥の人物にフォーカスを合わせても絵としてなりたち、人物を辿ってるうちに奥に奥にと視線誘導され、そのたどる先には富士山

多重視点に近い技法

多重視点というのは、「ピカソの絵は右から見た絵と正面から見た絵が合成されていて」みたいな説明をされるあれ。

ピカソ作品はそれだけじゃなくて、いろんな意味で工夫させすぎてて、話が脱線してしまうので、わかりやすキリコ

http://www.geocities.jp/syu_58jp/we2/1.JPG

この絵のようなやつ。

これを分析すると、消失点が狂っており

http://www.geocities.jp/sakushiart/bizu/251.JPG

遠近法的に忠実に描くと、

http://www.geocities.jp/sakushiart/bizu/252_4.JPG

こうなる。

人物やモノ画中にたくさん配置して、奥のモノ、人物は小さく、手前の物を大きく描くことで絵の中の遠近を表現するっていうのは、基本ではあるが、

それをやめて、横一列に均等に配置することで、絵にリズムが生まれ

1905のホドラーという画家作品がこれだ。

https://cakes.mu/posts/7599

これについても、似たようなことを既にやってる北斎

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-94-64/otyaken_suki69/folder/1050996/44/47018044/img_8?1382279701

なんというリズム感。

次、北斎富士をバックにシャチホコがある絵

http://yukiwochannel.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_f71/yukiwochannel/E6B19FE688B8E381AEE4B88DE4BA8C-7fa87.jpg?c=a319

これ、どこがおかしいかわかる?

シャチホコってさ、近くで見ると当然巨大じゃん。そうしたら、本当は

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0a/The_Great_Wave_off_Kanagawa.jpg

波をシャチホコに置き換えたら富士山はこのくらい小さくないと絵としておかしい。

この構図になるのは、望遠レンズズームで覗いてるという設定の絵だっていうこと。

望遠鏡!そんなのおかしい!」って?

いや、まあ北斎からね。科学技術マニアだし。

http://pds.exblog.jp/pds/1/201011/22/10/b0111910_1061561.jpg

http://tenkijuku.com/qa/kisyoudai/hugoku.jpg

当然もう残っていないけど、百二十畳の巨大な紙に、高いところからみないとなんだかさっぱりわからん巨大な絵とか描いたっていうんだ。

そういう高いところからみないとなにを描いているんだか本人もわからない絵というものは、「この座標でこの角度で線を曲げて」っていう座標の概念がないとどうやっても描けないわけで。

北斎というと、80過ぎてるのに110歳くらいまでの人生設計(当然自分画力について)を立てる貪欲さで、当時の平均寿命の倍くらい生きてるのに死ぬ間際に「まだまだ描きたりねぇ(意訳)」といって死んだというエピソードが有名なので、描いて描いて描きまくったというイメージが強い。

しかし、その実際は、それプラス数学物理幾何学も絵に応用して、古今東西、みたこともないものだろうと文献調査だけで描き(中国くらいならまあ、古代インドとかどうやって描くんだよ!!見たことないはずの象を右からも左からも正面からも後ろからもかけるとか、どうかしてる。)、漫画効果線やトーンのかなりを発明し、その後の絵画歴史発明された技法をその100年前に実験しつくし、鎖国時代なのに西洋の銅版画や油絵解説書をつくり、中国画の技法日本画技法も操り、いうなれば、異星人。

写実的な絵の話からすこし話が逸れたな。

まあつまり、線遠近法北斎より少し前の時代に入ってきたんだが、カンペキ理解をしたのが北斎

自在に使いこなし、それを捨て去り、違う境地、もう前衛芸術実験のようなレベルに高めたのが北斎

そのネクストジェネレーション広重、その次が国芳

その後は幕末文明開化西洋画が入ってきて、もう一回遠近法ブームが起きて、

日本画はもう古い!これから西洋画!遠近法!陰影表現!」

みたいなムーブメント

油絵が始まり浮世絵(版画)の絵師たちもそれに近い木版画を作った。

初めてやったのは小林清親って人で、水彩画風の版画、ついには油絵風の版画まで辿り着くが、結局彼の画風はいわゆる浮世絵的な絵に戻る。

https://www.google.co.jp/search?q=%E5%B0%8F%E6%9E%97%E6%B8%85%E8%A6%AA&es_sm=122&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0CAcQ_AUoAWoVChMIg9bKrtGrxwIVYcamCh0Kcgg-&biw=1920&bih=955

写実的(性格遠近法、陰影表現)ってのは、いちどはそれに熱中する麻疹みたいなもの

おっと、また今回も北斎の話しかしてねぇや。

追記

その後の時代だと、吉田博、川瀬巴水とかが水彩画のような木版画で有名だが、小林清親浮世絵の構図、モチーフ水彩画手法油絵手法で再構築した感じなのに対して、吉田博、川瀬巴水洋画木版画しましたって感じだから浮世絵日本画の子孫じゃあないと思う。

吉田

https://www.google.co.jp/search?q=%E5%90%89%E7%94%B0%E5%8D%9A&es_sm=122&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0CAcQ_AUoAWoVChMI4bGkztGrxwIVwh-mCh1rBg6P&biw=1920&bih=955

川瀬巴水

https://www.google.co.jp/search?q=%E5%B7%9D%E7%80%AC%E5%B7%B4%E6%B0%B4&es_sm=122&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0CAcQ_AUoAWoVChMI97yT-NGrxwIVCSOUCh3qogIQ&biw=1920&bih=955

2015-08-15

http://anond.hatelabo.jp/20150813151101

浮世絵しかからないので、浮世絵がいかに衝撃的だったか、どう世界を変えたかちょっとだけ。

ところで、少し脇道から入っていくが、まずこの写真をみて欲しい。

http://img.allabout.co.jp/gm/article/20016/image2.jpg

俺はすっかり大人になっていて、南国にはこういう景色、すなわち澄んだ空と海、強い日差しがあることを知っているけれど、もしもこれを予備知識なくみたならば

「なんて美しい場所だ!本当にこの世なのか?」

と思うと思う。

これをみて、「海と小屋が映ってるだけだろ。なにが綺麗なのかわからん。」

という人はそれでけっこう。わかりあえないので、この先は読まないでいい。

北斎武州玉川

https://www.google.co.jp/search?q=%E5%8C%97%E6%96%8E+%E6%AD%A6%E5%B7%9E%E7%8E%89%E5%B7%9D&espv=2&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0CAgQ_AUoAmoVChMI6Nm87_OoxwIVgbWUCh0URw4t&biw=1920&bih=955

これを西洋人が初めて目にした時の衝撃は、たぶんそれに似てる。

「なんと澄み切った空!見たこともないブルー!ただ青が広がるだけの空がこんなにも美しいのか!影が映らないほどの明るさ!」

「澄み切った水!そして水面がキラキラと光ってる!」

しばらく、その美しさにトリップしたあとに、正気に戻ってみてこの美しさはどこから来るのかと絵を探るといろいろと気付くのだ。

「見たこともない構図だぞ!風景を上から見下ろして描くなんて!!」

「紙が布のようだぞ!紙そのものが上等なシルクのような輝きを放ってる!」

「波打つ水面は、ただ紙に描かれているのではなくて、エンボスになっているぞ!」

「遠い異国の景色であるのに、聖書物語の一節でも歴史の一部でもないのに、馬を引く人や船を漕ぐ人のドラマが頭のなかで再生されるぞ!」

「表面にインクは残っていない!触ってもインクが手に付かない!光に透かせば光を通し、光に当てれば輝く反射!ありえない!ありえない!ありえない!」

日本という国では、カラー印刷一般的なのかッ!!!包み紙に使うほどにッ!!!貴族でも大商人でもない一般庶民が、絵を楽しむというのかッ!!」

「こんなにも簡素表現で、こんなにも訴えかけることができるのかッ!!!いや、極限までエッセンスを削ぎ落としたからこそ心のドアをノックするのだッ!!!

「絵とは魔法だ!丸に点を二つ描くだけで、顔に見える!そこに手足を描くだけで動いて見える!我々は見えるものを見えるままにキャンバスに閉じ込める術を手に入れた。しかしどうだ?心をノックするために、見えるものを見えるままにキャンバスに閉じ込める必要などあったのか!?

日本人は、我々が陰影、凹凸、光源の方向、そんなことに執着して、方向を間違えている間に、一瞬の煌きや感動を絵に閉じ込める術を手に入れていたッ!!!

こうして、浮世絵西洋絵画を変えた。

それから西洋絵画教科書でも読んでくれ。

芸術進化させるとは、価値観を変化させることだ。

価値観の変化は、生活の変化のきっかけだ。

例えば、もしも浮世絵がなかったら、テレビドラマ映画登場人物の会話を真横から映し続ける退屈なものだったろう。

それまでの舞台を描いた絵も、物語を描いた絵も、常に真横からの構図だ。

こうした俯瞰物語を描くことはなかった。

また、主人公は常に画中にいて、主人公視点はない。

仰視、俯瞰、物陰から登場人物一人称視点、あらゆるカットで切り取っていくのは、浮世絵アイディアだ。

葛飾北斎が「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で、日本人として唯一86位にランクインしたのは、そういう理由だ。

春信、歌麿広重国芳、そのへんの偉業についても長々と書きたいけど、寝たいので今日はこれまで。

浮世絵以前と浮世絵以後、確実に進歩している。

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