はてなキーワード: 作用とは
イベントはあるし本人に凸するアホもいるけどな
ファンコミュニティが自浄作用がないどころか、むしろ民度低い行為を増長させてる感じ
小中学生くらいの子がたまたま声優に興味持ってああいうコミュニティ入ったら
それが正しい楽しみ方だと思い込みそうだし
そのまま大人になってるのが沢山いるんだろうな
大野晋 日本語は、もともと関西で発達したんですね。〔……〕関東はね、元来、別の言葉をしゃべっていた。そこへ日本語が入ってくるわけです。だから発音の習慣だけは以前の言語の習慣が残り、関東は母音を落とす。関西は母音が多い。母音を落としちゃ、日本語はいけないんです。〔……上方漫才は……〕日本語の正統な流れなんですよ。
司馬遼太郎 『日本書紀』の天智〔……〕五年〔665〕に「百済人二千余を東国に置く」、天平十八(七四六)年に「新羅人を武蔵に置く」。この聖武の時代あたりが関東のあけぼの〔……〕。それが大きな集団なものですから、坂東武士の先祖は、やはり入植渡来者と非常に関係があると思うんです。
〔……〕日本人は、とくに上方の人間は、子音が詰まった形では発音出来ない。ところが東京の人は、それを平気で発音出来る。「なんちゃって」と言うでしょう。そしてトゥングースの言葉も子音を子供のときからどんどん言うんですよ。
永井路子 やはり気候の差があると思います。関東のからっ風というのは、特殊な作用をしている。はっきり言えば、口を開いていられないんですよ。〔……〕口をまともに開けてはしゃべられない。話をするにも、優雅に母音を発音しているひまがないくらいに、タッと早く喋るわけですね。ですからだんだん詰まっていく。
「口をまともに開けてられんなら、まともに笑うこともできん。まともにしゃべれん、笑えんとなると、思考も感情も育ちにくい気がするけど……いわゆる標準語は、旗本の言葉に切り貼りした人工日本語。戦争演説に適した『ジークジオン弁』。大阪の児童の学力が低いて言われるけど、『欠陥語』教育に本能的に反発した結果ちゃうの?」
「『普段正統な本物の日本語話しとるのに、何でデチューンした偽物の日本語教わらなあかんねん』て、感覚的にわかるんやろなあ。どちらを標準語に採用すべきやったかというと……」
「小籔さんを起用した例の厚労省『人生会議ポスター』が中止された時、こんな意見が報じられました」
死や死にゆく人を茶化すような表現は、関西弁を使ったり、お笑いの人が登場したりしていることを考えてもおかしいですし、関西の人だって死や病気になって生きることに真剣に向き合っているはずです〔BuzzFeed News〕
「機動戦士ガンダム00」という作品がある
2007年から放送された、TVガンダムシリーズの中で初めてのハイビジョン制作・一期と二期の分割放送など新たな試みが取り入れられた、完結から10年経つ今でも高い人気を誇る作品である
僕はこの作品を初めて見た時、本当に驚いてしまった。「TVシリーズなのにこの作画の良さはどうなってるんだ!?最近のアニメはクオリティ高いって聞いてたけど劇場版やOVAでもないTV作品でもこんな凄いのか!?」ともう興奮した。
西暦2307年、地球上の国家は大きく三つの超大国家群に別れて終わりの見えない争いを続けていた。そんな不安定の情勢の中、突如機動兵器ガンダムを所有する私設武装組織「ソレスタル・ビーイング」が現れる。彼らは世界から戦争行為を根絶するためにどのような理由があろうとも全ての戦争行為に対して武力による介入を行うと宣言した。何だこの掴みは!?こんなガンダム見た事が無いぞ!世界各地で戦うガンダムから始まる1話はWっぽいかな?
今でこそもうそういう物だ、と認識しているけど主人公の名前が「刹那・F・セイエイ」でその口癖が「俺がガンダムだ…」などともう序盤からインパクトが凄かった。主人公達以外も模擬戦男「パトリック・コーラサワー」、口から名言が飛び出す男「グラハム・エーカー」、ところがぎっちょん「アリー・アル・サーシェス」など、視聴前から存在だけは知っていた愛すべき敵役キャラクターも次々と出てきた。序盤からこんなに印象的な敵役がどんどん出てくるガンダムは中々無いと思う。
また、当時僕は活躍されている声優さんについても疎かったので、出演されている人達も「あ、ガンダム00に出ていた人だ!」という感じで覚えていた。宮野さん、神谷さん、吉野さん、中村さん、浜田さん。皆僕にとっては「00の人」だ。
作画が良い、キャラクターも個性的。これに加えて音楽まで良いんだから堪らない。あの川井憲次氏だ!特徴的なコーラスは一度聴いたら忘れられない。僕が川井さんの曲を聞いたのは00が初めてだったのでやっぱり「00の人」だ。
他にもMSのパイロットがヘルメットを被ると音がこもったり、動力炉から漏れ出る特殊な粒子が慣性や重力に作用するガンダムタイプは同じMSと兵器でも三代国家群の機体と挙動が全く異なるなど、細かい所にも力が入っていた。
トランザムというパワーアップも良かった。機体色が赤く変化し、残像が残るほどの高速戦闘が可能になる機体の性能を三倍に引き上げるド派手なシステムだ。赤くて三倍…シャア専用?3倍界王拳?V-MAX?オマージュですよ。
大分後になってトランザムはスライドで誤魔化してるだけだという意見も聞いたがそれがどうした!動いてカッコイイからそれで良いのだ!それにスライドじゃなく普通に動いてる戦闘シーンも多いのだから問題ない!発想の勝利だ!
ちなみに僕は一期のキャラだと人革連の強化人間こと超兵1号「ソーマ・ピーリス」というキャラが好きだった。ガンダムマイスターアレルヤとの因縁や、上司であるセルゲイ大佐との触れ合いなど、色々と先が気になるキャラクターだった。
一期の物語は三大陣営の連帯に生まれた国連軍によりソレスタルビーイングの実働部隊プトレマイオスチームが壊滅し、その国連が地球連邦政府と名前を変えた数年後の世界を舞台に続編を匂わせる形で一旦終了する。
という訳で一期を見終え二期も見た。UVERworldの 『儚くも永久のカナシ』、良い曲だ…もうOPからこれは凄い!と惹き込まれた。やっぱりこれが僕の初UVERworldだったので、僕にとっては『00の儚くも永久のカナシの人達』だ。
二期では遂に満を持して作品のタイトルを機体名に冠する「ダブルオーガンダム」が登場し、一期でソレスタルビーイングの技術が流出した影響でMSの性能が格段に向上した世界で一期より激しい戦いが繰り広げられる事となった。
僕も実際に見てこのガンダムは凄い!と思ったが、やはりリアルタイムで見ていた人達からの評価もとても高く絶大な人気があったらしい。F91から19年ぶりに“ガンダム”完全新作映画が00の続編として製作され、人気を博した。
スロー再生でも目が追いつかない程超高速でありながらみっちりと描き込まれた戦闘シーンや、映像作品では初となる地球外生命の登場など、19年ぶりの完全新作劇場版というファンの期待にも負けない非常に濃いガンダムだった。
そしてその劇場版から10年経った現在、40年以上続くガンダムシリーズで00は初めて舞台化された作品になり、ガンダムマイスターとしてソレスタルビーイングに加入したグラハムが主演の続編が製作される事も既に決定している。
アナザーガンダムでありながらガンダムシリーズ初のTV版の続編としてOVA作品が作られたWの人気も凄いと思っていたけど、00も凄い。ガンダムWとガンダム00はゲーム作品で共演した時も濃密にクロスオーバーする事が多いらしい。
正直な話、僕はこの作品の欠点があまり思い付かない。強いて言うなら一期で登場した一部のキャラ達が二期で退場する際に「え、そんなあっさり?」と思ったくらいで、全体的に非常にクオリティの高い作品だったと思っている。
主観的に見ても客観的に見ても非常に評価が高い、この「機動戦士ガンダム00」という作品。ここからが本題なんだけど…僕はこの作品が大好きか?と考えると案外そうでもない。嫌いではないし好きな方ではあると思うけど。
これは作品の美点欠点の話じゃなくてあくまで僕の好き嫌いの話だけど、僕はこのガンダム00という作品でソレスタルビーイングという組織は最後に壊滅してしまう物だと思っていた。武力介入の際に、目の前の武装勢力の駆逐より人命救助を優先してしまう心優しきガンダムマイスター「アレルヤ・ハプティズム」というキャラクターが居た。彼はガンダムマイスターとして初めて民族紛争には武力介入し人革連の基地へ爆撃した際自分を指し「稀代の殺人者」という言葉を使った。家族を自爆テロで失った過去を持つガンダムマイスター「ロックオン・ストラトス」はその自爆テロの計画犯である傭兵サーシェスにお前も同類のテロリストだ、と煽られた際に「咎は受けるさ」と言い、戦いの果てに亡くなった。
ソレスタルビーイングのメカニック「イアン・ヴァスティ」は自分達は犯罪者であり、戦争をなくしてから罰を受けると言った。これは最終的にソレスタルビーイングは今度こそ本当に壊滅してしまうのだろうな…と薄々僕は思っていた。
二期のラストでかつて憧れた存在であり、自分を拾ってくれたある意味恩人でもある相手を激戦の末倒した刹那は、「自分達は武力を行使してでも抑止力となって生きる」「存在し続けなければいけない。未来のために」と決意する。
僕がこの最終話を見た時には「00は劇場版もやる」という話は既に出ていたので「そうか、今度こそそっちで完結するんだな」と思った。というか逆に「00というガンダムの劇場版が今度公開される」と聞いてTV版を見ていたんだろうか?
劇場版00が公開されてから1年以上経ってようやく僕は視聴出来た。新型主役機クアンタや金属生命体ELSの話は事前に聞いていたのでとてもワクワクしていた。もう凄かった!ただでさえ高品質だった作画の劇場版クオリティだ!
最後はELSとの最終決戦から50年後、離れ離れだった刹那と作品のヒロイン「マリナ・イスマイール姫」がイッツタイムナウしてやっと出逢えたところで終わる。若イオリアとE・A・レイはおまけというか00の前日譚みたいな物だから置いておく。
…ソレスタルビーイングは特に壊滅しなかった。劇場版00の公式ガイドブックに収録されている水島監督と脚本の黒田さんの対談によると「劇場版が決まらなかったらTV版には別のルートもあった」「劇場版は監督が目指したAルートでBルートもあった。どちらも描いている事に大きな差はないけど、死ぬ人がいた」「25話を見直したけど、冷静になってみると、マイスターが死んでもきれいに収まる」との事なので、本来ならマイスターが死亡する筈だったのかな?と思った。
TV版の一期から劇場版まで3年以上作品を応援し続けた作品のファンの事を思うとそれはあんまりな気もする。ただ僕個人の好みからすると、00は作中で匂わされていたソレスタルビーイング壊滅オチの方が好みだったかもしれない。
ここまで書いて、僕は「00の事が大好きではない」と言いながらやっぱりそれはそれで好きなような気がしてきた。「大好き」でないだけで、実は結構気に入っているんだろうか。色々と言いたい事はあっても、やっぱり好きなのかもしれない。
最近公式に配信される機会があったのでまた一期を少し見返した。今のアニメに慣れた目線から見ると作画に関しては思い出補正がかかっていたな、と思ったがキャラクターや音楽の魅力は変わらなかった。何と13年も前の作品だ。
機動戦士ガンダムが40年以上愛されたように、機動戦士ガンダム00もこれから長い間愛される作品になると思う。これからも僕は「00の事がそれなりに好きなつもり」のファンとして00が好きな人達と関わって行けたら良いな、と思った。
【追記】
勢いで書き上げたけど、00が好きな理由は書いても00の事が大好きではない理由は殆ど書いていない事が分かった。壊滅すると思っていたソレスタルビーイングが物語のラストまで普通に健在だった、というのは間違いなくあると思う。
僕がこの作品の中で好きになったキャラクター達があまり良い結末を迎えられなかったり、僕が思っていたのと違う方向に行ってしまった事が「それなりに好き」でも「大好き」ではない大きな理由だと思う。メカニックや戦闘は文句無し。
アンドレイ・スミルノフというキャラクターが居た。ソーマの上官セルゲイ大佐の実の息子であり、幼い頃に軍人であった父セルゲイが作戦中に母を戦死させてしまった事で父を恨み、また父であるセルゲイもアンドレイと向き合う事を恐れたため10年以上父と疎遠であったという、一体どこの富野主人公だ?という青年である。声優さんもブレンパワードで伊佐未勇を演じた白鳥哲さんだし、00の中でも富野チックなキャラクターだと思う。グラハムも台詞は富野っぽいかな。
幼い頃に母を亡くし、また父ともろくに顔も合わせないという親をやってくれる人が居ない環境でアンドレイは育った。彼が父であるセルゲイ・スミルノフと顔を合わせたのは、両親と同じ軍人としての道を歩み、現在父が暮らす士官用宿舎に超兵ソーマ・ピーリス中尉の招聘に訪れた時だった。そこで彼が見たのは、自分と近い年頃の女相手にまるで父親のように振る舞う実父の姿で…これ、ブレンパワードの勇なら「父親ごっこはやめろー!」って叫んでいたと思う。
セルゲイ大佐は軍人として素晴らしい人物で、ソーマにとっても良き上官であり、身寄りのない少女の身元を引き取り人間らしい生活を取り戻させてあげた本当に良い人だと思う。実際視聴者からの人気も高かったし、僕も好きだ。
ただ実の息子とは言葉も交わさず何も父親らしい事をしなかったのに、赤の他人にまるで本当の父親のように愛情を注いだのは…実子に親らしい事をしてあげられなかった代償行為だと思うんだけど…貴方は何をやってんです!?
大佐がそうやってソーマと疑似的に親子関係を築く事で親心を満たしていた数年間も実の子供は親の愛情に飢えていた訳で…セルゲイ大佐の事は好きだけどアンドレイに恨まれても仕方がない、と思う。大半の人は恨むと思う。
その後、セルゲイ大佐は長年の親友が地球連邦政府に対しクーデターを起こし、大佐自身もそのクーデターに関与していたと思われた事から実の息子であるアンドレイに殺害された。大佐自身はクーデターを肯定しなかったが、連邦の軍人として食い止めようと友人へ何かをした訳では無い中立的な立ち位置だったので、人によっては消極的に肯定していたと思われても仕方がない状況だったと思う。アンドレイはセルゲイ大佐がクーデターに関与していたと判断した。
その後、アンドレイは二期の最終決戦でソレスタルビーイングと対峙し、宙域に撒かれたGN粒子の作用もありセルゲイ大佐と疑似的な親子関係を築いていたソーマ・ピーリス(本名マリー・パーファシー)と対話する。そこで彼は「父は何も言ってくれなかった、言い訳も、謝罪も、僕の気持ちなんて知ろうともしなかった」と悲痛な胸の内を明かした。父親が本当は自分を思っていたと聞いて「言ってくれなきゃ何も分からないじゃないか」と彼は子供のように泣いた。
…声は伊佐未勇だけどエピソードは同じ作品に出てくるジョナサン・グレーンみたいだ。間違いなく00で僕の一番好きなキャラクターだと断言出来る。富野風作品なら主人公かライバルかどっちにしてもメインキャラクターになれてたかも。
そんな彼だけど、昔は00のファンから嫌われていた…ような気がする。人気キャラであるセルゲイ大佐を殺したのもそうだけど、その動機が一方的な逆恨みだと思われたのかな。僕は擦れ違いの原因は親である大佐側だと思っている。
それと一期からメインキャラである沙慈・クロスロードの婚約者であったルイス・ハレヴィに横恋慕していたのもあると思う。沙慈とルイスは何年も離れ離れなのに、アンドレイは上官と部下の関係でルイスと近い距離に居たからかな…。
そんな彼も劇場版00で行われた地球外生命体「ELS」との最終決戦で戦死を遂げる。その彼の最期を見て「号泣した」「二期では嫌いだったけど劇場版で好きになった」「何度見ても涙腺が緩む」という人も大勢居たらしい。
僕はアンドレイが好きなので出来れば彼には生きていてほしかった、と思った。劇場版で死んだのも00ファンに嫌われていたから…と考えるのは邪推だとも思う。00ファンに高い人気を誇ったグラハムだって劇場版で一度死んだんだから。
余談ではあるけど、グラハムもELSとの最終決戦において肉体的には完全に死亡したけど、続編では疑似的な蘇生を果たしている。ならアンドレイも…と思わないではないけど無理だろうな、と分かっている。そこまでの人気が無いから。
ここまでアンドレイについて書いていて思ったけど、やっぱり僕は00の事が好きなんじゃないだろうか…?アンドレイというキャラが好みのドストライクなので、そのアンドレイを生み出してくれた00という作品の事もやっぱり好きなんだろうな。
【追記2】も書きたかったんですが、文字数制限に引っかかってしまいました。こんなにこの作品について語りたい事があるとは思わなかった…ような気もしているけど、ひょっとして人間が普段考えている事を文章にするとそれくらいの文字数になってしまうのかな…と思った。機動戦士ガンダムシリーズはとても好きな作品なので、00についてもまた機会があれば日記に書きたいです。4クールと劇場版に加えて外伝や裏設定など、本当に幾らでも語る事があるなあ、00。
機動戦士ガンダム00について書いていて改めて思ったんですが、やっぱりこの作品はとても面白いです。面白いと思うし、「かなり好きだ」とも思うから、どうしても引っかかる所があるのかな…。書き出す内に好きになってきた気がする…。
ブレイブウィッチーズのストーリーが文句なく良い、ねえ……。俺にはまるでそうは思えないんだが、なんでそう思う人がいるのかちょっと真面目に考えてみようかなあ。
俺含めた多くのストライクウィッチーズファンのブレイブのストーリーに関する不満は、端的に言えば「宮藤に比べてひかりに主人公適性がなさすぎる」に尽きると思うんだよな。
ひかりは目的や手段が完全に自己完結していて他人を巻き込まない、よって自分の話と大きなストーリーがリンクせず話を進められない、他キャラへの影響も少ないから大きなストーリーを動かす力がないし他のキャラも立たないんだよな。501で言えば初期リーネを主人公にした感じ? まあ本編の宮藤は「一定の能力・血統から来る才能・正義感・他人を動かす情熱・強力な固有スキル・かっこよさ・かわいさ・スケベさ」といった部分をきっちり備えてて主人公としての適性が高すぎるから、そこと比べるのもかわいそうなんだけど。
ひかりにかまってあげるニパと菅野が異常に優しすぎるという印象を受けるのも、結局ひかりが自分のためだけに頑張ってて他人の内心を変えていかないキャラだからだと思うんだよな。戦況的にも自分のためにやってる奴に構うほど余裕があるようには見えないし。
2期やOVAでの主役キャラが一話ごとに変わる話の作りは1期である程度メンバーのキャラが立っていたから成立するのであって、主人公が他キャラの内面や人間関係に作用しなくて大きなストーリーにも関与しないのなら、その「主人公」はただの登場人物の一人でしかない。結局12話もかけて「主人公が成長しました」以上のものが何も残らないような主人公じゃ、架空戦記ものとしてのストライクウィッチーズシリーズの主人公としては不適格と言わざるを得ないと思うんだよな。ひかりというキャラが気に入れるならそれでもいいんだけど、気に入る要素も正直よくわからなくてなあ……。がんばり屋さんなところとかなの? まあひかりを気に入ったらひかり中心の話が続いて面白いというのは分かる気がするよ。
戦闘描写とストーリーの関係についても話しておいたほうがいいかもしれん。ひかりの成長ストーリーをメインに据えるなら、戦闘描写で成長を描くというのは必須だと思うのだが、実際はその戦闘描写がご存知の通りのアレなんだよな。作画修正したBDは見てないから知らんが、カット割から大きく変更でもしないとキャラの特徴や変化は伝わってこないだろうからどうせゴミだろ。天真爛漫なエーリカ、一本気な坂本とバルクホルン、不思議ちゃんエイラ、宮藤の成長みたいなのは戦闘描写からも感じさせるアニメだったはずなんだけどなあ。
ブレイブウィッチーズは言及先の人ほどではないけど見てるのが辛くなるから頑張って二回見たくらいだから、変なこと言ってたらごめんね。
あと、もう結構前の話だから知らなかったり忘れてたりする人も多いんだけど、ストライクウィッチーズの1期とかいらん子中隊は基本的にシリアスな架空戦記SFとして人気が出たんだよね。ああ見えて。2期以降はキャラ描写中心にシフトしたんだけど、やっぱり1期のあの架空戦記モノとしてのワクワク感は凄かったと思うよ。人型ネウロイの伏線をほっぽりだしたのは本当がっかりしたなあ……。
皆さんは夜寝る前に何を考えますか。
私は、私の性的嗜好がいつ、なぜ、どのように形成・構築されてきたか考えることがあります。
私は脚フェチなのですが、例えばこれはいかなる理由で発現したのか。
もちろん遺伝子のゆりかごで旧石器時代くらいから運ばれてきた何かが作用しているのでしょう。
ただ、その遺伝子を揺り動かした経験があるはずだ。と考えるわけです。
うーんと色々考えた結果、『地獄先生ぬ〜べ〜』のゆきめちゃんのせいじゃないかと思いつく。
で、考えを進めていく。ミニスカート的な衣装の女の子キャラなんていくらでもいるわけで、なぜ『ぬ〜べ〜』のゆきめなのか。
幼き頃の私は、現代人が着る服で、ミニスカートを着用している場合、パンツを履いていることを知っている。
ミニスカートという装束があることももちろん知っている。その先にはパンツがある。
ところが、ゆきめちゃんの股の部分がどうなっているのか、これがよくわからない。この点がフェチを発動させてしまったのだろう。
和服で裾の短い装束の場合、下着は着用するのだろうか。しているもしなくても、とにかくわからない。
おそらくこうして私は、ゆきめちゃんの脚ばかり見てその先を考えられず、だが脚は綺麗なわけで、脚フェチになってしまったのだろう。
それも、ゆきめちゃんは靴下的なものを着用しておらず、裸足でわらじみたいなのを履いているから、足フェチも同時に発動してしまったと考えられる。
こうした状況証拠から、私の性的嗜好にゆきめちゃんが大きな役割を果たしたという可能性を見いだせるのである。
このあと、ほぼ時を同じくして藤崎竜『封神演義』の王貴人が続く。
一時のはてなブログブームは手軽にアフィリエイトができるという触れ込みが大きく作用していた。
だからはてなブログがクリエイター(ライター)に支持された時期があったどうかについて疑問がある。ぱっと見は簡素であるものの、変なところがごてごてでもっさりしていて取り回しの悪いあのサービスを気軽に使ってみようと思う人はそんないないのでは?
ブログで情報発信という発想自体がWeb2.0時代ぽく古臭い。本気でライティングをやりたいのならオウンドメディアへ寄稿するし、そこまでのモチベーションがない大多数はnoteやTwitterにささっと投稿して終わる。
アメーバやはてブロのような個々のユーザに重点を置き、プラットフォームとしてコンテンツの流動性が低い旧態依然のブログサービスにもはや魅力なんてない。
noteやmediumはユーザの垣根を横断してコンテンツを閲覧できる。また画一的なデザインがフラットな視座を閲覧者に与えることを助けている。つまり逆に言えばnoteユーザであれば不特定多数の目に晒されそれだけ注目される機会があるということだ。
そしてnoteはそのプレーンなデザインゆえに利用者も雑記的位置づけで適当に書き散らしてもいいようなハードルの低さがある。メイン活動の片手間に議事録やネタ帳としてつかっている人も多いだろう。
はてブロはnoteに比べプラットフォームとしての力は弱い。ブログスペースをユーザに貸し出すだけで、ユーザがコンテンツの注目を集めるためにはTwitterやはてブ等外部でのバズが必要だ。閲覧者もそのページを読むときにそれがはてなブログかどうかなんて別段気にしていない。アメーバだろうがライブドアだろうがどうでもいいというのが今現在の一般的な感覚だろう。
そのくせ自分の城とするにははてブロは不自由だ。はてブロユーザだけを意識した利点のない上部バーと目障りな広告。なぜかprevがないページャ。だらしなく下に伸びるアーカイブモジュールに、妙なシンプルさが却って見づらい注目記事/最新記事モジュール。デフォルトだとどうでもいい情報をでかく記載してくるアバウトページ…pro会員になってこういうところをちまちま直すなら、tumblrを使ったりWordPressを導入した方が手っ取り早くてデザインもすっきりしたものができる。
気軽に書くにはハードで本気でメディアを作るには不自由で取り回しが悪いサービスというのがはてブロであり、そんなサービスを盛んに活用するクリエイターはもはや殆どいないのではないか?
話は変わるがクリエイターと呼べる水準にいない奴が幅きかせて嫌われたのが互助会騒動だった。
カレールーと残り物で作ったカレーで1200円とる店が乱立し、しかも呼び込みがしつこくてうざかったみたいな。悪いことしてないかもしれないけどそりゃ嫌われるわな。
自分の好きなことに対してマイナスの意見や、お気持ち文などを読むと自分の好きなことは間違いだったのかな~とかなって辛い……
どっちの言い分もわかるし、好きなこと(とか考えが)否定された気分になって辛いのじゃ……
気にしなければ良いんだけど、ここは正論だなとか、好きだからこそ共感できる部分もあって、嫉妬だから、完全にアンチの意見だから気にしなくて良い。という風に割り切れないんだよな。こう心の片隅にささくれだって残るというか。もやもやするたび己の優柔不断さが嫌になる。
時間が経てば胸のつかえが取れたり、○○は良いな好きだな、っていう気持ちも回復するんだけど、他人の気持ちに作用されっぱなしだな。
同じファンの人との好きの共有は楽しいんだけど、こんなのに左右されるぐらいだからそもそもインターネット向いていないのかもしれない。好きな作品や抱く気持ちは異なるのは当たり前なのにね。他人の目線を気にすぎている。(ぶっちゃけこんなんかいてる時点で厚顔無恥かもしれないけど)
はてなでは表現の自由が金科玉条のように扱われているように思われる。
あいちトリエンナーレや、ネット上の発信、漫画の規制などの話題では同然にこの言葉が使われる。
しかしなぜ表現の自由はそれほどまでに大事にされているのだろうか?表現とはなんだろうか?
表現の自由は憲法学では精神的自由の中においても優越的地位にあると考えられている。
その根拠として、精神的自由は侵されやすく、また回復が困難である。
では表現の自由はどうであろうか?
まず表現とは人格の発露であり、人が人らしく生きる上で欠かせないものであるとの認識がある。
そのためただ思っているだけでは規制されない人の精神的活動が表現を伴うことで侵害されやすくなるのである。
次に表現内容について考えてみよう。
表現は多種多様であるが、その内容は多岐に及ぶ。そこでここでは政治的な意思と芸術の2つを考えてみよう。
この二つについては関連することも当然であるが、まずは切り分けてそれぞれの側面から見ることにしたい。
はじめに政治的な意思であるが、これが表現の自由において語られるのは、民主制との関連である。
人々は民主制で意思決定をしているが、そこでは人々が各々考え方を示して、それを戦わせることによって収斂させていく。
するとある事柄に対する政治的表現が失われてしまうと、そこから生じる決定からも失われてしまう。すると正しい決定ができない。
またそのような表現を規制することは他の考え方に基づく決定したい人にとっては規制したい誘引が大きく、侵される可能性も高い。
次に芸術的表現であるが、人々は自ら考えそれを外部に行為として表現する。これは人格の作用にとってかけがえのないものである。
こう考えると表現の自由にも内容に差があることがわかる。
これに即した考え方が必要であろう。
書いてて思ったが、今、ネットで語られてる表現規制はこの違いを明確に意識する必要がない気がする。
なぜなら多くが単に自分の気に入らないことを正当化根拠もなく、規制したい人ばかりだと捉えられるからである。
詳細に考えれば、あいちトリエンナーレなんかは芸術における政治的表現をする場について、公権力が表現され、議論されること自体の価値を中立的に支援することの必要性とかが語られるべきなのに、
誤解に基づく単なる気に入らない表現行為を正当化根拠もなく、ただ規制したい人々の話にしか感じられないな。
表現行為の価値と正当化根拠の詳細な検討が行われてるケースなんてどこにもないわ。
これなら単なる意見の相違でしかない(大半は正当化根拠すらない)から表現の自由から考えなくてもいいか。
書いたことで納得できた。
どうせほとんどの読者は高校数学さえ理解していないのだから、何を解説したって数学の本質的な理解は無理なのかもしれない
彼らには、以下はどれも同じに見えている
虚二次体の有限次Abel拡大は、1のべき根と、楕円モジュラー函数の特殊値と、虚数乗法を持つ楕円曲線の等分点の座標で生成される。
Xを位数q=p^mの有限体F_q上のn次元非特異射影代数多様体、Y=X×_{F_q}(F_qの代数閉包)とすると、
#X(F_q) = ∑[i=0, 2n](-1)^i Tr(F_q, H^i(Y, Q_l))。
Cをダークマターの作用を持つN次元クリスタル、Xをそのアトラクターとすると、XからCへの次元変換Fは、固有なファクター方程式
F = F_1 ⊕ ... ⊕ F_N
を満たす。
建築士です。ブコメにも書きましたが、「再熱除湿」と書かれた機能のあるエアコンを買いましょう。日立、三菱、コロナ、富士通ゼネラルから出ています。
その他のドライとか、なんとか除湿(ダイキンのプレミアム除湿、パナソニックの快適除湿など)はただの弱冷房であり、詐欺商品です。
まず、再熱除湿とは?ですが、これは名前の通り一度冷やした空気を再度温める除湿方式です。動作原理としてはコンプレッサー式の除湿機と同じです。除湿機と違うのは、
1.騒音の原因であるコンプレッサーが屋外に設置されていますので、圧倒的に静かにできること。
2.除湿機の場合、機 機械の駆動エネルギー分だけ室内温度が上昇してしまいますが、エアコンの場合は室外機を通して排熱が可能。
これにより再熱除湿方式のエアコンでは温度と湿度を別々に管理することが可能です。
「室温は十分低いのになんかムシムシする」という状態は、一定以下の室温になると、非再熱式のエアコンでは冷房に頼った除湿ができなくなる一方、人間は常に湿気を放出しているために湿度が再び上昇することで起こる現象です。
(余談ですがこのあたりの空気の挙動はAmazonに2000円程度で売ってるデジタル温湿度計で可視化できます。)
欠点は、一度冷やした空気を再度温めますので、電気代が余計にかかってしまうことです。
さて、なぜこんな基本的な機序作用が分かっているのに、ダイキンなどエアコンメーカーは再熱除湿のエアコンを売らないのでしょうか。これは日本政府の政策や、エアコンの売り方が影響しています。これが本ダイアリーのメインです。
パナソニックもダイキンも2012年ごろまでは再熱除湿方式のエアコンを販売していたのです。ただ、省エネ法による省エネ性能の統一表示制度が浸透していく過程で、再熱除湿機能がエコ基準達成率を引き上げる上で足かせになっていったのです。(先ほど再熱除湿は電気代がかかると申し上げましたね?)消費者はヨドバシの店頭POPについた省エネの星の数「★★★☆☆」しか見てませんから、この星を一つ増やすためにダイキンやパナソニックは再熱除湿機能を外したわけです。
ここまではまあよいでしょう。しかしその後の売り方について私はダイキン・パナソニックに怒っておりまして、彼らは代わりに「プレミアム除湿」とか「快適除湿モード」と銘打って、あたかも節電しながら除湿ができる機能を発明したかのような文言を並べています。
現時点では再熱に代わる除湿方式は発明されておらず、実態はただの弱冷房です。このため景表法に引っかからないようカタログの端っこに小さく 「※再熱除湿ではありません」と書かれています。
実はダイキンは昨シーズンから最上位機種のうるさら7に関しては再熱除湿を再搭載しましたが、カタログ上はかなり微妙な言い回しをしています。このあたり「再熱除湿でなければ快適な空気を提供できない」とわかっている技術部隊と「造語で消費者をずっと騙してきた」営業部隊の駆け引きが垣間見えます。
最後に、もし増田のお住まいが賃貸でしたら必ず大家さんや管理会社の承諾(できれば書面で)を取ってからエアコンを交換しましょう。無断での交換は現状回復義務を怠ったと難癖をつけられて敷金の没収や賠償金を取られたりします。(このあたりの不動産取引の闇を書くと長くなるのでまた別の機会に)
エアコン交換するほどのコストがかけられないのであれば、コンプレッサー式の除湿機を置き、温度上昇分を冷房で下げましょう。効率は最悪ですが目的は達成できます。アイリスオーヤマの除湿機がコンプレッサー式の中では比較的静かです。デシカント式はゴミなので買ってはいけません。1日でタンクが目一杯になるのを見ると、無から水が発生したかのような不思議さが味わえます。
増田の夏に幸あれ。
1年は続くと予測 (1)
BunkerBoy (1)
FYI (2)
Fuck off (1)
↑↓お前等に (1)
↓下に見本が居る (1)
↓事実じゃん (1)
◯んでくれマジで (1)
「主に二次」は余計 (1)
あたまがわるい (2)
あとで読む (573)
あの変化は皆さん (1)
あほくさ (6)
あほの国 (1)
あらあらまあまあ (1)
ありがとう (1)
いい時も悪い時もある (1)
うわぁ… (1)
おもしろ (5)
お前の目は節穴か? (1)
お前は物忌してろ (1)
お前も大衆なんだよ (1)
お前も銭出せば? (1)
お前らだけです (1)
お前等にうんざり (1)
お前等幼児なんよ (1)
お金だけじゃないよね (1)
お金だけの話 (1)
かなり酷くなったのに (1)
がんば (2)
がんばれ (4)
きっつー (1)
くっさ (1)
こいつの悪は (1)
こころもわるい (1)
こっちにも書いとくわ (1)
こっち見ないでね (1)
この話とはズレるが (1)
こやつめ (1)
こりゃダメだ (2)
これが厨二病か (1)
これ同調圧力なの? (1)
こんな奴ばかり (1)
こんな時だけ (1)
ごめん (1)
ご冗談を (1)
ご愁傷様 (1)
ご自愛ください (6)
ご苦労様 (1)
しかも舎弟も盆暗 (1)
じゃねーよ (1)
すみません (2)
せめて人殺しの顔を (1)
そういうとこやぞ (1)
そういう所ですよ (1)
そしてまたガン無視w (1)
そして真っ先に (1)
そもそもおもろくねぇ (1)
それ「誠実」なの? (1)
それってなに棒? (1)
それ江戸時代の (1)
そんなに難しい? (1)
だいじょうぶ? (3)
だぞ (1)
っこ (1)
つかれるわ (1)
とは (2)
とはそういうこと (1)
どの口が言う (1)
なに目線だ (1)
なんだこれ (3)
の違い (1)
はい2度と (1)
ひとたち (1)
びっくり人間ショー (3)
まさに虫 (1)
まずは隗より (1)
まず保険証を捨てよう (1)
まだ釣られてんの? (1)
まだ電車乗ってるの? (1)
まっくろくろすけ (1)
まともな日本に (1)
まるで中国ですね (1)
もっと頭使って (1)
もないよね (2)
やだダサい (1)
やっぱ幼児やん (1)
やはり賢くない (1)
やる事が常に卑怯 (1)
よかったね (1)
よく訓練された何か (2)
わからん (2)
わかりやすい (1)
わかりやすく (1)
をした訳でもない (1)
アカウンタビリティ (2)
アクセス乞食かな? (1)
アナーキストなの? (1)
アングラでやれ (1)
イキりかっぺさん (1)
ウンザリする (2)
カタコトかよ (1)
キの字 (1)
キモい (1)
コレじゃない (1)
コロコロ変える (1)
コンテキストわかる? (1)
ゴールは何処ですか? (1)
スルーなのね (1)
ソレ妄想だよ⭐︎ (1)
ダサ (1)
チョロい人々 (1)
ドネーションでやれ (1)
ドンキホーテかよ (1)
ナンダッテー (1)
ネット弁慶 (1)
ハハハ (1)
ハマケン大好き (1)
バカなの? (2)
バカなんですか? (1)
バーカ (3)
プライドすらない (1)
プロパガンダだよね? (1)
ホモソ遊びしたいと (1)
ホラー (3)
ポンプは肘で押そう (1)
マジで何なん? (1)
モノ言いはOK (1)
ヤクザと一緒 (1)
ワッショイ (1)
ワレまだ (1)
一事が万事 (1)
上念司 (1)
下がるのですね (1)
下の下の品性 (1)
主体を持ちたくない (1)
互助会とは? (1)
井の中のアレ (1)
人間と言うより虫 (1)
仮想敵だけお好き (1)
何で1 issueで (1)
何も考えてないマン (1)
何処が無辜だよ (1)
何回目だこれ (1)
信頼を毀損する (1)
個人の感想ですかー (1)
党派性の申し子君たち (1)
全てが運否天賦ですぇ (1)
全ては嫌がらせの為に (1)
出会い系だけ (1)
初めてのお使いかよ (2)
利用出来るものと (1)
削除すれば良い? (1)
反論…? (1)
口を開けばカネ (2)
口を開けばカネの話 (1)
哀しい生物 (1)
基準は常にゼニカネ (1)
夜郎自大言いえて妙 (1)
女の味方面の皆様 (1)
女の春=男の命だよ (1)
子供に手を出すのは (1)
安倍内閣お前のこと (1)
宗教だよね (1)
実際は安倍にもある (1)
寄らば大樹だ (1)
寄らば大樹でモラルも (1)
密すぎワロタ (1)
山口敬之 (2)
幻聴等出るのですが (1)
幼稚 of 幼稚 (1)
弱いなら吠えるな (1)
当然手も洗うし (1)
御目出たき人々 (1)
微温的日本 (1)
性にだけ知能指数が (1)
恥ずかしい (1)
恥を知ってどうぞ (1)
恥を知れよ (1)
愛せない人々 (1)
成人して受験自慢…? (1)
或は地回りヤクザ (1)
戻したいだけ (1)
指摘も多様性だろ (1)
播州はどの国? (1)
教養主義の敗北 (1)
既知の外のひと (1)
日本人にも (1)
日本語に失礼 (1)
早く人間になって (2)
早速ネトウヨが (1)
星なくても書くが? (1)
星付けてるでしょ (1)
星付けてる面々… (1)
時事通信 (1)
書き換えました (1)
最近じゃない (1)
本当ウケるよね (1)
本題には反対 (1)
楽しみにどうぞ (1)
楽だからね (1)
止まらない (1)
此は藁人形じゃないん (1)
此方にも書いとくね (1)
殴られ飽きたわ (1)
毎度毎度ウンザリ (1)
浅いサブカルの (1)
無視すんなよ? (1)
特攻隊は基本 (1)
猿山の住人 (1)
生きてるの? (1)
生きて戻らないので… (1)
生きとったんか↓ (1)
男は自浄作用ないの? (1)
男も同じ傾向 (1)
皆で育てた増上慢 (2)
皮肉かな? (1)
盆暗の見本 (1)
知能()自慢とは? (1)
石の裏のアレ (1)
石の裏へお帰り (1)
確定申告したくねぇ (1)
私はハマケン派 (1)
私もバカは嫌いです (1)
私理系なんですけどね (1)
秒速非表示にw (1)
税金も要らんやろ (1)
笑わせてくれて (1)
素直に言えば? (1)
終わってないですよ (1)
終わる終わる詐欺 (1)
絶対いけないのは前提 (1)
美貌じゃないけど (1)
脳味噌詰まってる? (1)
腹いたい (1)
臍で茶が沸きそう (4)
自己紹介かな? (1)
自治体あたりの例です (1)
自浄作用どうぞ (1)
興味ないでしょ? (1)
舐めてるねぇ (1)
良いところがない (1)
茶番 (1)
表層的なのは誰なのか (1)
補償はしてあげて (1)
見本市 (1)
視野狭いスよ (1)
言ってんだよ? (1)
訂正しました (2)
読んでない (4)
誰だよコイツ (1)
謎 (1)
警戒は必須だが (1)
貴方ほどでは (1)
足立康史 (1)
軽蔑できないと (1)
農民にも言える? (1)
退職されてるそうです (1)
都合が悪いとガン無視 (3)
鈍さ自慢にウンザリ (1)
鏡しか見ない人々 (1)
闘う彼女は美しい (1)
防疫より (1)
面の皮1mありそう (1)
頭の悪さは天井知らず (5)
馬鹿なんだろうな (1)
駆けつけてくる (1)
鰹は人間じゃないよ (1)
黙ってろ (1)
鼻から? (1)
(こりゃダメだ) (2)
(すごい(すごい)) (1)
??? (1)
????? (1)
大野晋 日本語は、もともと関西で発達したんですね。〔……〕関東はね、元来、別の言葉をしゃべっていた。そこへ日本語が入ってくるわけです。だから発音の習慣だけは以前の言語の習慣が残り、関東は母音を落とす。関西は母音が多い。母音を落としちゃ、日本語はいけないんです。〔……上方漫才は……〕日本語の正統な流れなんですよ。
司馬遼太郎 『日本書紀』の天智〔……〕五年〔665〕に「百済人二千余を東国に置く」、天平十八(七四六)年に「新羅人を武蔵に置く」。この聖武の時代あたりが関東のあけぼの〔……〕。それが大きな集団なものですから、坂東武士の先祖は、やはり入植渡来者と非常に関係があると思うんです。
〔……〕日本人は、とくに上方の人間は、子音が詰まった形では発音出来ない。ところが東京の人は、それを平気で発音出来る。「なんちゃって」と言うでしょう。そしてトゥングースの言葉も子音を子供のときからどんどん言うんですよ。
永井路子 やはり気候の差があると思います。関東のからっ風というのは、特殊な作用をしている。はっきり言えば、口を開いていられないんですよ。〔……〕口をまともに開けてはしゃべられない。話をするにも、優雅に母音を発音しているひまがないくらいに、タッと早く喋るわけですね。ですからだんだん詰まっていく。
「口をまともに開けてられんなら、まともに笑うこともできん。まともにしゃべれん、笑えんとなると、思考も感情も育ちにくい気がするけど……いわゆる標準語は、旗本の言葉に切り貼りした人工日本語。戦争演説に適した『ジークジオン弁』。大阪の児童の学力が低いて言われるけど、『欠陥語』教育に本能的に反発した結果ちゃうの?」
「『普段正統な本物の日本語話しとるのに、何でデチューンした偽物の日本語教わらなあかんねん』て、感覚的にわかるんやろなあ。どちらを標準語に採用すべきやったかというと……」
「小籔さんを起用した例の厚労省『人生会議ポスター』が中止された時、こんな意見が報じられました」
死や死にゆく人を茶化すような表現は、関西弁を使ったり、お笑いの人が登場したりしていることを考えてもおかしいですし、関西の人だって死や病気になって生きることに真剣に向き合っているはずです〔BuzzFeed News〕