はてなキーワード: きな子とは
出会いは友達に連れられて行った声優のライブで、気が合ったのであっという間に付き合う事に。楽しい毎日を送っていましたが、彼が推していた声優ユニットが解散し、アイドルオタクに転身してから彼は変わりました
元々オタクする時の熱量が極端に振り切っているタイプなのは承知だったけど、優先順位が完全に
私<アイドル
になったんですね。そしてアイドルのオタクと過ごす生活が楽しすぎて遂には
という図になりました。
彼のことが本当に大好きで大好きで、他の女の子と遊んだり他の女の子が、“私がされたことが無いこと”をされるのが嫌で、しつこいくらい心配しました。重いですね。
私の想いとは裏腹に、女の子の友達はどんどん増えていって、私なんかよりも大切なものがどんどん大きくなっていってるようで、喧嘩する回数も増えました。ほとんど毎日喧嘩してました。
声優とアイドルの違いって、仕事内容もそうですが私のこと好き?かわいい?っていういわゆる色恋があるか無いかという点もあると思うんです。主観ですが。アイドルとはいえ、私なんかよりもずっと可愛いのはわかっているとはいえ、大好きな彼が実在する生身の人間の女の子に、「かわいい」「好き」「会えるの楽しみにしてる」「守ってあげたい」「素直になれない自分が嫌い」と、ガチ恋を拗らせたツイートをしているのがしんどくなってきました。
「私がいるのに、好きな子は他にもいるんだね」と言ったら「それとこれとは違うじゃん」と言われましたが、私がしてもらったことないことも、かけられたことない言葉も全てもらえるアイドルのあの子と私、彼が愛してるのは誰なのか全然わかりませんでした。
私は仕事も学校も趣味も、他人に執着せず淡々と通うタイプなので、心の拠り所としているのが、執着しているのが、依存しているのが彼という存在しかありませんでした。彼は「私と趣味を天秤にかけてどちらかを選ぶことなんてできない」と言っていました。私は既に何も無いのに、1番になれた、信用できるとおもったひとに私が1番では無い、1番にはなれない現実を突きつけられました。会えない時間が増えても、イベントに行く事はやめない。どちらかを選べないんじゃない、もう選んでるじゃん。と思いました。
何度も終わりだとおもった、終わらせてしまいたいとおもった、それでも終わらせられないのは、まだ彼の事が好きだからでしょうか?依存しているからなのでしょうか?
全国の彼女がほしいとおもっているアイドルオタクの皆さんは、彼女とアイドルを天秤にかけてしまうようなら、誰かを幸せにすることなんてできないから、何かを失って犠牲にする覚悟ができてから付き合ってあげてくださいね。
A推しの夢女子と自覚はあるんだけど、夢小説って全然無いので、ABとかBAとかみてたんだよ。たまたま絵の好みなAB書きがいたので他のAB作品も見てたんだけど、それはAB→CBだった。
(Aが家を継ぐとかでBと別れる、表面上は円満、周りは親友扱い、Cはもう一人の親友ポジ)という話で、A推しの自分としては、Aが咬ませ犬っていうか棒扱いかよってことにショックを受けてしまった。
いや、わかってるBLあるあるだってことを攻めの人格は大抵無視されるもんだもんね。シチュエーションありき。大体の人は推し受けにしがちだもんね。
って納得しようとしたけどAが好きすぎて出来なかった。
そんで憤慨して、なんて話だ!Aはもっと頑張れる、Aは好きな子諦めたりしない!きっとBを幸せにできるはず!解釈違いだ!!!って怒りに震えて、気がついたら自分が考える最高に幸せなABを書いてた…なぜ…だろう(だって探しても見つからないから…)
あらゆるWebサービスを使う時にハンドルネームや登録名を要求されたらいつも下品でふざけた名前にしている。
最近子供が生まれたばっかりなので買物に行くのが面倒になり、ネットスーパーの一種とも言える、コープの個配に加入した。
個配のアプリでは、色々なトピックについて、掲示板形式でみんなが話すコーナーがある。
ユーザーの大半は主婦と思われる。日常生活にかかわる穏やかな書き込みが多い。殺伐とした雰囲気は皆無である。
そんな掲示板に私は軽い気持ちで自分の考えを書き込んだ。内容はありふれたものである。ただ、ハンドルネームがまずかった。
書き込んでから半日後、私のメールアドレスに私の本名宛で、公序良俗に反するハンドルネームなので書き込みを削除しましたというメールが届いた。恥ずかしい。
仕方がないので私は新しいハンドルネームに変えて、また投稿した。あからさまに下品なハンドルネームは垢 BAN されてしまうと学んだので、「見る人が見れば分かるような」ハンドルネームにした。
またしても垢 BAN されてしまった。直接的に下品なことは何も言っていないのに…
ギリギリを攻めた良いハンドルネームの案があれば、増田の皆さん教えてください。
追記:インカ・マンコ・カパック国際空港でもダメだったわ… 一体どんな名前なら許してくれるんだよ
追記その2
みんなありがとう。
私が気に入ったのは、
桃のセッ久
送付°状
サトシの愛棒
今度産む
花びら全回転
おまわりさんこ
やんこまりたい
加藤鷹子
性活共同組愛
えずきかなり
個人的な好みとしては、あからさまなやつじゃなくて、「不適切だと思う貴方の心が汚れてるんじゃないですか?」って言い返せる系のが好き。
たまたま日本の"Moe"についての文脈での説明に使われていた・・・というだけのことです。大きなおめめに赤いほっぺ・・・といえば、その最たるものはピカチュウであり、ピカチュウを見て性的に興奮する人は、まず、いないでしょうね。 https://t.co/2hHfe5wL0W— 『ヴァティカンの正体』筑摩新書/岩渕潤子 (@tawarayasotatsu) 2018年11月4日
直接的猥褻表現のないtweetなので引用します…「ピカチュウに性的興奮を覚える人間は、掃いて捨てるほど」いるというのは、私にとっては驚きでした。皆さん、ご存知でした? 子どもたちが大好きなピカチュウが…だったら、ピカチュウの好きな子どもたちにも同じ視線が注がれているということか? https://t.co/zl4kUxLf77— 『ヴァティカンの正体』筑摩新書/岩渕潤子 (@tawarayasotatsu) 2018年11月5日
なるほど、という気持ち。
非常に勉強になった。
一般的にフェミニストたちは感情が先行して結論だけ書くことが多いので、当人がどのような思考回路でその結論に至ったか外側からではよくわからないことが多い。
その結果アウトプットが支離滅裂であることもあり、これがいわゆる「お気持ち案件」が嘲笑される一つの原因なのではないかと思われる。
その点、この元増田は冷静に思考の流れを書いていてくれるので、彼女たちがどうやってその結論に至ったのかがかなり伝わりやすい。
その上で、個人的に感じた元増田の論理の飛躍を以下に数点指摘していきつつ、日本赤十字の擁護をしていこうと思う。
A.) 「誰かに許可なくジロジロ見られない権利」はあるのか?
その人権の中には、
や、
や、
などが含まれる。
さて、人権は非常にデリケートな問題だ。この一点をもってしてもかなりの議論が必要になる。
誰かに何かをされない権利の存在は、本質的に誰かに何かをする権利の規制になるからだ。
「誰かに許可なく触られない権利」の存在は「誰かに許可なく触れる権利の規制」であり、暴行罪の存在がこの規制をしていると言えなくもないかもしれない。
しかし、誰かを許可なくジロジロ見ることを規制する法律は、少なくとも現時点では存在しない。
ストーカー規制法が近い役割を持っているかもしれないが、今回想定されているシチュエーションは間違いなく異なるだろう。
だからと言って街中で誰かが目に入ることを規制するというのは社会が活動を行う以上ありえないことは自明である。
今回想定されるのは「偶然目に入る」以上「ストーカー行為」以下の「ジロジロ見る」という新しい概念の提唱と、その規制だ。
そして誰かの権利を規制したいときは、規制側に「なぜこの権利を規制すべきか」の立証責任がある。
しかし多くのフェミニストたちが、自分たちが不愉快におもう権利は規制されるべきであると考え、それが自明であるかのように振る舞う。
今回であるならば元増田に、少なくとも「ジロジロ見る」の定義を行い、それが規制されるべき理由を示す義務が存在するが、それすら飛ばされていきなり自明のものとして扱われている。
「萌え絵」とは、エロゲーをルーツに持ち、人間の身体的な特徴をディフォルメし、大げさに描くことで、独特の雰囲気を持つイラスト、とここでは定義する。
そして、そのディフォルメの目的は明らかに、身体を魅力的に描くことであり、さらには、それを見る人の目を楽しませ、性的な興奮を呼び起こさせることである。
「宇崎ちゃん」は、一般的な定義(例えば、Wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/萌え絵)による解説に当てはまるかどうか)でいえば、確かに萌え絵だ。
しかし、ここでの「萌え絵」の定義は二、三行目に記されており、これに従うと一見正しく見えた一行目に疑問が湧いてくる。
試しに、以下のように書き換えてみよう。
「萌え絵」とは、エロゲーをルーツに持ち、人間の身体的な特徴をディフォルメし、大げさに描くことで、独特の雰囲気を持つイラスト、とここでは定義する。
そして、そのディフォルメの目的は明らかに、身体を魅力的に描くことであり、さらには、それを見る人の目を楽しませ、性的な興奮を呼び起こさせることである。
単純に文章の順番を入れ替えただけだ。そしてこれこそ、本来書くべき文章の順序だ。議論のもととなる定義は最初に示すべきである。
「宇崎ちゃん」が元増田定義の「萌え絵」にあてはまる理由の説明がなされていないのだ。
今回の定義の「萌え絵」が一般的な定義の萌え絵を全て内包しているのであれば、
2. 一般的な定義の萌え絵は、全て今回の「萌え絵」でもある。
3. よって「宇崎ちゃん」は今回の定義上も「萌え絵」である。
となるのだが、残念ながらこれは偽である。
一般に萌え絵やアニメキャラがかわいい理由は、それが人間の赤ちゃんに似た特徴を持つからであり(https://www.dplay.jp/article/0000017682)、性的に興奮させられるからではない。
としているが、それなら河出書房新社が発刊する絵本が好きな子供はかなり気色の悪い状態であるということになる。
しかし実際、こうした絵柄が子供達からも人気であることは同社のTwitterアカウントが 2018年11月8日に言及している。
このことからも単純に一般的な萌え絵と今回の「萌え絵」を結びつけ、「宇崎ちゃん」のイラストを「人の目を性的に楽しませる」趣旨であると断定することは軽々にはできない。
C.) 「意図しない隠れたメッセージ」を抽出することは妥当か?
ここまで読んでくださったみなさんには、きっと分かってくださることと思うが、メッセージはときに、発信者の意図しない隠れたメッセージを伝えてしまう。
一般論として、これは正しい。
権力者や公共の場に限らずとも、なんらかのメッセージを発するものは、そこに「誤解」がしばしば発生する可能性には注意するべきである。
それはこの文章を書く私も、元増田も同様であり、「匿名の掲示板だから誤解を招くような不完全な文章を書いてもいいや」とはなるべきではない。
しかしそれは、あくまでも誤解を招くことに注意するべきである、ということだ。
「意図しない隠れたメッセージ」の抽出には誤解以上の「曲解」が入ることも多々ある。
そしてその線引きもまた、簡単ではない。
その気になれば誰かの言葉から「意図しない隠れたメッセージ」を抽出することなどとても簡単だし、それを規制したり撤回させようものなら言論封殺も容易に行える。
力あるものが、公共の場で発信するときに、意図としないメッセージを汲み取って、それを批判する。
これを無秩序に行うことを可能とした場合、例えば以下のような芸当も可能となる。
"""
③フォロワーの多いTwitterアカウントを使って
以上、①②③④の全てが揃ったことにより、太田啓子弁護士は「全てのオタクはセクハラの加害者であり、その人権を規制するべきである」という「隠れたメッセージ」を発信した。
これは明らかなる人権侵害であり、太田啓子弁護士は今回の日赤ポスターの件に関して謝罪して撤回するべきである。
"""
以上の命題が真であるならば、日本赤十字の表現を問題視する声をあげることはできない。
このような奇妙な状態が生まれてしまう以上、「意図しない隠れたメッセージ」の抽出には慎重になるべきだし、誤解と曲解の間にもある程度の区別は設けるべきだ。
それをやらずして、この議論を推し進めていくことはかなり難しい。
仮に上記までの問題をすべて受け入れ、あるいは譲ったとしよう。
なるほど、人には「ジロジロ見られない権利」もあるし、「宇崎ちゃん」は今回の定義上も「萌え絵」だし、「意図しない隠れたメッセージ」を日本赤十字はばらまいたとしよう。
そのメッセージがある空間、そしてそのメッセージが許される社会で、「すべての人には人権があり、その人の体は、その人だけのものである」という意識を、みんなに持ってもらうのが難しくなる。
と元増田はしているが、仮に「誰かの身体を許可なく性的な目で見ることは人権侵害」である世界であったところで、それはあくまで、「誰かの身体を許可なく性的な目で見た」人間が悪いのではないだろうか?
まず罰し、規制するべきは「誰かの身体を許可なく性的な目で見た人間」であり、日本赤十字のポスターではない。
そもそも論として、こうしたポスターが存在することにより人権意識が希薄になってしまうということがすでに論理の飛躍だ。
それを示すデータはどこにもないし、数字には見えないなどといって逃げることも許されるべきではない。
オタクコンテンツは昔から、「ゲームをするとゲーム脳になる」「ひぐらしのなく頃には暴力事件を誘発する」などとあらぬ批判を受けてきた。
だからこそオタクは、何の証拠もなくそのコンテンツを規制されることに大きな抵抗を覚える。
真に人権意識を改善し、適切に規制を行いたいのであるならば、こうしたエビデンスを示していくことが規制派に課せられた義務である。
以上、ざっと目に止まったところを書き出してみた。
小中ずっと秀才キャラだったのに高校でコンタクトデビュー以降容姿を褒められるようになった
中学の仲良しグループで集まると昔から綺麗な子はかわいい扱いで私はそうでもない
兄は何度か褒めてくれたけど母に顔褒められたことは無い
ただ今どきの顔って感じじゃない
鏡見るときは脳内補正が入る説を信じてるので、調子いい時は自分イケるじゃん!ってなるけど現実は3割減だと言い聞かせてる
冷静に考えて七十点くらいのパーツがあるべきところに付いてる顔って感じ
色白細身で加点されてるのはありそう
でも垢抜けてる気はしないんだよな
とりあえずブスではないのかもしれない
褒めてくれるの嬉しいけど言われ慣れてないから勘違いしちゃうよ
若い女性はお世辞なり社交辞令なり美人やかわいいって言われると思うんだけど、みんなどうしてるんだろう
私は褒められるの嬉しくて全部覚えてる
すれ違う時に急ブレーキかけたと思ったら「かわいいね!」って言ってきた自転車おじさんとかレジで「あなた綺麗ね」って話しかけてくれたマダムだとか、友達の親とか教師とか全部
友人知人だとお世辞を疑って交わせるんだけど知らない人が難しい
私は知り合いでもない人にお世辞なんか言わないから、ひょっとして美人なのかもって勘違いしそうになる
小学生と言えど高学年になるとカップルが生まれ始めてて、勇気ある男子は好きな子に告白してた
ある日男子に告白されたことあるか聞かれて「あるわけない」と言うと意外そうな反応で理由を聞いたら「顔がいいから」と返ってきた
本当にびっくりした
「クラスで三番目にかわいい」って言われたのはそのときで、そのあと一番目と二番目は誰か聞いて確かにかわいいよねって話したのを覚えてる
あれから何年経った今改めて思うけど一番が芸能人、二番がサロンモデルやインスタグラマーだとして、私は三番目なんだよ
三番目ってのはあくまで喩えなので本当はもっともっと後ろの方にいるのは分かってる
要するに中途半端なんだよね
謙遜しすぎるのはウザイけど受け入れすぎて勘違いブスになるのは辛い
いやもうなってるのかな
お世辞って嫌だな
3日or5日分の献立とレシピ、必要な食材が届くサービス。大人2人分だけど量が多いので大人2人+子ども2人(未就学児)までなら平気だった。
3日分が4022円(税込)、5日分が6437円で、1食で1300円くらい。
2030年、キャッシュレス化100%を達成し、一億総キャッシュレス社会を実現した日本。
消費税20%に耐えられなくなった国民の支持率低下に悩む安倍首相(8期目ぐらい?)は大胆な政策を打ち出した。
物を買えば、使った額の10%がキャッシュバックされる仕組みだ。
初めのうちは歓迎していた国民だったが、よくよく考えると使える原資が多い方がキャッシュバックも多く受けられるということで、
その結果、翌年には「ランダム消費税」が導入されることになった。
マイナンバーによって捕捉された資産と収入により、国民を10段階の階層に分けた後、
階層ごとに出現率を変えた消費税をガチャによってランダムに振り分ける。
最も富める階層には、消費税マイナス100%~300%が適用される。
【悲報】好きな子とのデートに奮発して高級レストラン行ったら消費税20%だった…ショック
家買ったら消費税マイナス100%!!ついでにもう一軒買うべき??
ギャンブル中毒と買い物中毒を足して割ったような「キャッシュバック中毒」の患者も増えてきた。
大規模なシステム障害の時には「詫び税まだ?」なんて声が聞こえる始末。
あぁ、どうしよう
思い込みが激しくて、いつも小さなことから大きなことを想像して落ち込んでいた。
でも、その人に近づくほどに、小さなことで自分のことを嫌いになったのだと考えてしまうようになった。
ああ今日は挨拶してもそっけない気がした、LINEの返事が遅かった、誘いをたまたま断られた、とか。
冷静に見ればだんだん仲良くなっているのに、この嫌われてる妄想はどんどん膨らんでいた。
嫌われているかどうか、確認したかったけど、重いやつだと思われそうで聞けなかった。
そこには、自分のことが嫌いかどうかを尋ねた結果、状況が進展したことが書いてあった。
よし、聞いてみよう。
怖いけど、これぐらいで仲が崩れるならかえって割り切れるし、そんなものではないはずだ。
相手にだって本当の自分のことが伝わるし、その方が相手も喜ぶだろう。
そしてきっと、付き合えるような間柄に成長出来るだろうと。
言おうと思ったのが昨日。
そのバイトで、先輩と仲良く話してるその子の姿を見て、何にも根拠はないけどその子はその先輩に気があるのだと感じた。
昨日の時点でタイミングとか考えず、言っておけばよかった。
半分諦めたような気分で言っても意味ない。
また振り出しに戻った。
そんなつもりはなかった。
元々ゲームが好きだったから、休みの日に仲の良い男友達と集まってモンハンやったりスマブラやったりしていた。
周りの女友達はゲーム好きな子がいなかったから必然的にそうなっただけだった。
でもある時から「オタサーの姫」という言葉が流行りだして、しかもそれが侮蔑的な使い方だった。
わたしも男の集団の中に女性1人だったから、確かにオタサーの姫に該当するような集団だったかもしれない。
でも本当にそんなつもりはなかった。
だけど、その言葉が流行りだしてから、皆遊んでくれなくなってしまった。
「そりゃ、世間でバカにされてるから、そうだよね。そう見られたくないよね」と諦めも納得もしたけど、やはりどこかショックだった。
妊娠していた。
ある程度育ってはいたが、心拍が止まり、死産した。息のない子を産んだ、すごくすごく小さかった。
第一子も、この死産した子(戸籍には残らないが、第二子だ)も、いずれも不妊治療をして授かった。
そのため死産後も、母体の回復を待ち、また治療を再開している。
以後タイミング(治療の際にはこう称するが要はセックスのこと)を取っている。
子供を作るためだけじゃダメだろう、と思い、時々意味もなく普通に誘うこともある。
仕事で疲れているとも思う。それに私も、結婚した当初より年を取り、醜くなっているのかもしれない。気を付けてはいるつもりであるが、彼にとっての美であるかどうかはわからない。よそに女性を作っていたらそれはそれだが、今は置いておく。
なんとなく、彼が達しないのは、死産のことが関係しているようにも思った。
立ち会ってもらったわけではないが、死産届であるとか、役所に提出するものとか、あとは火葬場の手続きもしてもらった。もちろん私が産んだ、手のひらに乗るくらいの小さな子も、彼は見た。
もしかしたら、私よりもショックだったのかもしれない。
ベッドでぼんやり時間を気にせずに泣ける私とは違い、彼は忙しさのなかにあり、ただ心の内側に溜め込んでいたように思う。
そして遂に、セックスを断られた。
誘って、悪かったな。
そうだよな、眠たいよな。
子供がもうひとりほしい。その話はこちらから聞き出すでもなく、向こうからそう聞いている。
でも、すごく、辛かった。断られるのは、辛かった。
不妊治療って、しんどい。喜んで内診台にあがれる人、一人もいないと思う。筋肉注射、お尻出して打たれるのが二年経っても慣れない。
私なんてたかだか薬物療法だ。人工授精や、顕微鏡授精をしている人は、もっともっと痛いことも多くて、辛いと思う。
二人目を、という周りからの圧が今もある。特に同居している義父母からは大きい。
子供からも、弟や妹がいたらいいのにな、と言われる。赤ん坊のことが好きな子だから、そりゃあそう思うんだろう。
田舎だから、旦那が長子だから、あれこれあるけども、やっぱり自分自身が二人目をほしいと思う。
でも、無理かもしれないな。
なんか今夜、漠然とそう思った。
彼と二人目を作ることは、たぶん無理なんじゃなかろうか。
誰にも話せない。
親にも、友達にも、誰にも話せない。
今までこんな話、創作物やエッセイのなかでしか見たり読んだりしたことがなかった。だからどこか、他人事のように思っていた。
書いたらスッキリしてきた。
1ヶ月程前にインスタをやめた。
やめてみて、結論から言うと弊害はなく、むしろメリットばかり感じている。
そのメリットについて書く前に、少々長くなるがやめた経緯について語る。
学生は夏休み。かくいう私も3週間という短い夏休みを得た矢先であった。
インスタのストーリーに流れてくる大量のリア充、リア充、リア充。
友人と遊びに行きました、飲み会、サマフェス、海、山、ドライブ、デート、部活遠征、帰省しました、旅行です等々...
よくもまあ毎日それだけ投稿するものがあるもんだと思う反面、自分が実家のベッドで寝ころびながら
友人のそればかりをスクロールしては眺め、スクロールしては眺め、を繰り返しているうちに気分が沈んだ。
夏休みに入る前から若干気分障害じみた気配はあったが、それが休暇を境にどっと来てしまい、
皆が外の世界でわいわいキャッキャ遊んでいる時間に私は過眠をかまし目が覚めても傾眠、
親にその自堕落を指摘されればブチ切れ物を壊し、暴言を吐き、ひとしきり暴れて泣くという行為を繰り返していた。
それでもやめられなかったのは人の輪から外れそうで怖かったからである。
大学に行っても「ねえ、昨日の○○のインスタ見たー?」という会話がほとんどで
休み時間がくればインスタを開きその話題でひとしきり盛り上がるのであった。
今や同学年のほとんどはTwitterでもFacebookでもなく、インスタで繋がっており、なんならLINEを超えちゃうんじゃね?という感じだった。
辞めることで他人を知れないことが怖かった。
今思うとインスタでしか繋がりのないような人間がどこで何をしていようが私の人生には全く徳も損もないのに、その時は繋がりを切ることが怖かったのである。
その繋がりに固執しつつ、他人の楽しそうな様子を見て気分を滅入らせ、どんどん自分を嫌いになっていた頃であった。
多分これ、好きな子いる人には分かると思うんだけど好きな子の投稿って無駄に細部まで見てしまうことない?
料理の写真の対面に皿が写ってるとか、他人を伺わせる内容が書いてあるとか。
なんなら怪しいと思った女の投稿まで全部監視してる系の女だったんだけど。
7月の終わりに好きな子が投稿した料理の投稿にさ、「○○ちゃんとの合作」みたいなの書いてあって
「#合宿」みたいなのが書いてあったわけ。
それでもう5月くらいからマークしてた女がタグ付けしてあったからその女の投稿にとんだら
「泊めてくれてありがとう」みたいなのが書いてあったわけ。
んでストーリー見返したら(ストーリーって足跡つけずに見られる方法あるからそれ使ってたんだけど)
好きな人のベッドに寝転がって間接照明で遊んでるっていう投稿がでてきたわけ。
てめー、24時間で消えるからって付き合ってもない男の家に上がり込んだ投稿するとかどういう精神?
それ「私やっちゃいましたよナマステー」って言ってるようなもんじゃね?
ああナマステ―はそいつらが作ってたのがカレーだからなんだけど。
って思いながら即トイレで吐いた(ストレスで胃炎も起こしていた時期だったので簡単に吐いた)
それでひとしきり泣いた後、自分が圧倒的にダメになっていっていることに気づき、
「インスタをやめたら人生が好転するのか?」という記事を2時間近く読み漁り、
どこの誰が書いたか分からない記事に背中を押される形で私はインスタを消した。
やめて2,3日は他人の行動が伺えないことが怖かったけれど、1週間も経てばどうでもよくなった。
あれだけ執着していた好きな人の動向伺いもできなくなってしまったけど、それは2週間くらいで「まあいっか」と思えるようになった。
3週間経過したころから、勉強する内容や人との会話が以前よりも頭に残るようになっていることに気づいた。
思えば人と話している時も、勉強している時もインスタで見てしまった内容について考えて気分が塞いだり、今何してるんだろうって気になって
しょっちゅうインスタを開いたりしていた気がする。
あとは、お父さんに言われたんだけど、結局人間の脳もスマホのパケットと一緒で、
動画はデータ量が多いから、1日に人間が記憶できる容量を圧迫してしまい
ゴミみたいなストーリーの映像ばかり残ってしまうのではないか、と。
(この理論だとYouTubeやネッフリでみている動画も容量食っていることになるがそれは認めたくないなあ)
だからその容量が解放された分、記憶力が向上しているのではないか、と。
まあ記憶が必要な仕事や試験がない人には関係ない話かもしれないけど
近いうちに大きな試験を受けることになる私にとってはとても助かることであった。
現実世界の楽しいこと、綺麗なこと、些細なことにスマホのカメラじゃなく自分の眼を向けられるようになったって感じる。
でも逆に言えば、「いいな」って思ったことは誰にも評価されない。自分の「いいな」で完結できる。
ちなみに私がインスタをやめたことなんて誰も気づいていなくて、
「○○のインスタ見たー?」とか言ってきた友達数人に「もうやめちゃったんだ」と伝えて全員が知らなかったレベルなので
まあそんなもんです。やっててもやめてても気づかれないんですよ。
自分が「いいな」って思ったストーリーを適当に流されて、投稿に適当に「いいね」押されてるに過ぎないんですよ。
押してるくせにどこ行ったか覚えてない奴なんて山ほどいるし。
友達も減ってないし、相手は変わらないだろうけど私はその人達に全力を注げるようになった。
だって喋りながらインスタ眺めることがなくなったんだもん。対峙しているその人との時間がすべて。
そんなわけで。タイトルはインスタをやめたら頭が良くなったっていう一面しか紹介できていないけど
実際はすごくいいことがたくさんありました。
何よりも自分が好きになれました。
そういえば。好きな子のことはまだ好きです。ここでは話ずれちゃうからしないけど、この記事だけじゃどう見てもクズ野郎ですが
どうしようもなかった私をたくさん助けてくれた人です。
でもその人は今インスタで毎日自分の作った料理を投稿するのに必死で、少しかわいそうだな、と思いますが
そんなことに執着している時間を使って、私はもっと賢くなって、綺麗になってやろうと思います。
最後に。インスタ辞めたってお母さんに言った時の言葉で締めようと思う。