はてなキーワード: 描写とは
主人公の少女が捕まってるときに「君のことをもっと知りたい」と弁当持ってきた少年がいて、
少年はガンダムの機能テストする生体パーツみたいなものでしかなくてガンダム作ってる企業に殺処分されます。
それで同じ顔に整形された別人が出てきて、主人公が少年に惚れていたことを利用し、無理やりキスしようとします。
同じ顔の「エラン」として登場する人物は3人いて、全員同じ顔をしているけどそのうち2人は本当は別の顔で整形されている。
あと整形や殺処分をしていた経営者は犯罪を裁かれることなくのうのうと生き延びます。追いかけるべきではないです。
ミオリネもシャディクを好きだった頃があるかもしれないという微妙な両片思いが描かれ、
しかしミオリネは別の人と結婚した…というエンディングなのかと思った。
ミオリネがシャディクと会うときだけ結婚指輪を外していて、シャディクと分かれてパートナーのもとに帰るときには指輪をはめていた。
あの、普通に最低だよこういうの。前に好きだった人、結婚はしなかった人、との関係は綺麗にしろよ。
シャディクと会うときは指輪を外しているのだから希望はある、シャディク×ミオリネは不倫関係になれる、
みたいなこと言っている奴もいて本当にどうしようもない。最後の最後に一番不快なことをやられた。
ラウダの性格が悪すぎるのに、ペトラが説明もなく突然ラウダを好きになっていて、見ていて全く理解できなかった。
兄であるグエルと比べて、弟のラウダはパイロットとしての技能・リーダーとしての人望・ビジネススキル・優しさ思いやりなどの全てが劣っていると描かれており、
彼女がいる点だけは弟が兄に勝っているかもね、という非常にしょうもない描き方がされた。
女性のトロフィー化を否定する作品ではなかったんですね。1話を見て勘違いしてしまいました。
グエルがスレッタにプロポーズし、片思いが実らないのは分かったけど、
スレッタがグエルの影響をあまりにも受けずに関係ない人のまま終わるから、丸々カットしても物語に影響がない。
主人公スレッタの物語とスレッタに片思いしているグエルの物語が、同時並行で別の場所で進むのだけど、交わらないまま最終回を迎えた。
グエルに視聴者からの人気が出たから「要らない」とは言われてないだけで、グエルが居なくても全然本筋が成り立つ。
プロポーズシーンがバズっただけで回収がなく、メインストーリーにくっつきそこなった脇道になってる。
まどマギやぼざろの百合はまだ二次創作人気含めて分かりましたが、スレッタとミオリネの関係は普通に意味がわかりませんでした。
スレッタがエランを好きになり追いかけたが、同じ顔の中身別人に差し替えられてセクハラされるようになって嫌いになり、
シャディクがミオリネのことを好きな様子だと思ってミオリネと恋バナをしたくてテンションが上がったものの、
やっぱりスレッタがミオリネを好きになるという過程が何も描かれないから何が起きたかわからない。
それぞれエランとシャディクという前の恋愛対象がいるわけだから、気持ちが移る過程こそ丁寧に描かないと、
視聴者からすると訳がわからずついていけないものになってしまうだろと思うのだけど、
最近出た文春の声優インタビューで、スレッタ役とミオリネ役の声優がそれぞれ
どうして急にスレッタがミオリネに対して重たくなったのか分からないと答えていて、声優すら分かってないのかと笑ってしまった。
演じていてディレクションを受けていても分からないのであれば、誰にも分からないのでは?
そして最も力を入れて描かれている主人公×ヒロインというメインのカップリングすらこんなに意味不明なのであれば、すべて見る価値ないのでは?
最終成立したのはスレッタ×ミオリネとラウダ×ペトラの2組だったけど、はっきり言って「どっちも意味不明」だったよ。
そして過去の恋愛とされたほうの組み合わせも、汚し方が酷かった。
ガンダムに恋愛要素なんか求めるなっていうのは正当な文句だけど、じゃあ恋愛要素以外の部分でどれか一つでも秀逸な描写があったんですかね。
差別・格差・虐待・自由・ガンダムの呪いなどいろいろテーマ出てきましたけど、どれか一つでも回収されて、
しっかりと描き切られたといえるものがあったんですかね?
まず、うねってぺったり貼り付く前髪。
みんなから言われる「変な歩き方」。
そして、そういう外見にそぐわないアニメ声。
オタク界隈に行って、容姿なんかどうでもいい! という生き方をしてきたが、たまに容姿を気にする人からひどい侮辱の言葉をかけられるし、困っている人に声を掛けて見た目と声のギャップにギョッとされたり、こっちは助けたくて声を掛けてるのに嘲笑を受けたりする。
縮毛矯正を前髪だけかけられることを大学生のとき初めて知り、飛びついた。
面白いことに、これだけで人は少し真人間に近づけるものだ。人の目線も変わるし、笑われる回数も減る。化粧も最低限覚え、おかげさまで低賃金ブラックだがギリギリ社会人にもなることができた。
ただ、縮毛矯正は、とれる。大体半年くらいの命だ。新しく生えてきた前髪は、うねる。だから私はもう一度「ヤバい人」に戻されてしまう。だから、こまめに縮毛矯正はかけなくてはいけない。実際、前髪がうねり出すと、また声をあげて笑われたりしてしまうのだ。エレベーターのボタン前にいたから「何階ですか?」って聞いただけなのに。「ナンカイデスカ? だってwwwwwww」って。私が頭の中で聞いてる声よりずっと高いところから声を出して笑われる。
しかし、社会人をやっていると、そうこまめに美容院に行けないことも多い。本当はこの化け物と、もっと長く決別したい。永久脱毛みたいに、永久矯正があればいいのに。永久脱毛が必ずしも完全に毛が生えない保証がない、くらいのレベルでもいい。でも、毛が薄くなる、くらいの雰囲気で、前髪もまっすぐ伸びてくれたらいいのに。
本当は整形もした方がいいんだけど、注射嫌い、ピアス開けるのも怖いレベルの人間なので、どうしても「骨を削る」という描写だけでもぞっとしてしまって踏み出せない。
そろそろ美容院行かなきゃな、と思って2週間、通りすがりに「キモッ」と呟かれてしまったので、色んなものが噴出するように書いてしまった。
身バレを防ぐためにぼかして書くけど、先日仲がいいと思っていた同ジャンルの腐女子に心を刺された。
同じ作品で全員バラバラのCPの腐女子が複数集まって通話系のツールで話していた時のこと。
もうすでに最終回を迎え公式がまったく動かなくなった自ジャンルでお互いの好きなCPの考察やら妄想を聞くのが好きだったし、自分も同じく考察やら妄想が好きなタイプの腐女子だった。
※この時話していた人は全員ツイッターなどのオープンな所ではそういったCP妄想を流していないのでエゴサなどで公式にバレないように配慮をしている
だけど私を刺した腐女子は違かったようで、本編の展開や演出を見てCP考察をすると通話内では言わないが「自ジャンルはBL展開を売りにしている作品ではない、自ジャンルをバカにするな(要約)」
といったツイートを投稿していて、むしろその発言は商業BLをバカにしていることにならないか?と疑問に思っていた。
たしかに(私個人の目で見て)腐女子媚びだなという展開があった自ジャンルだったが、どう受け取るかは個人の自由であり二次創作も18禁垂れ流しとかじゃなければ公式に怒られない程度のマナーと節度を持てば自由に二次創作していいと思う。
話は戻るが、腐女子同士の好きなCPの考察、妄想もあくまで「私はこう思う」という会話で「貴方もそう思ってほしい」という思考を押し付けるような物ではなかった。
もちろん私もそれを前提で話をしていたのだが、とある日の通話で心に深く傷をつけられた。
こうなった経緯は私が自ジャンルのとある回でこういう演出と描写があったのは自CPが成立していることを示唆しているのでは?という可能性(当てつけとも言う)を話した時のこと。
その腐女子は「ありえるわけない」「さすがに現実を見たほうがいい」「そのシーンに別のキャラがいたからありえない」「夢見すぎ」と全否定してきたのだった。
前述したことで怒りも溜まっていたのかと今となっては思うが、仲がいいと思っていた相手だったのでそこまで言われるとは思っておらず、何も言い返すことができなかった。(私は同意を求めていたわけではなくただ話を聞いてほしかっただけである)
自分の好きなものを蔑ろにされたのがとても悲しくて悔しいし、考察や妄想なんて個人の思想なので思想まで否定するのがまったく理解できなかった。批判のほうが思想の押し付けとさえ思う。
でもその「ありえない」が彼女の考えなら私の話に頷くこともできないのは同意で、私には私の、彼女には彼女の意見があるんだと思いながら、じゃあこれ以上は分かり合えないなとツイッターや他のSNSすべてをブロックして今に至る。
私は仲のいいオタクの妄想話くらい笑顔で話を聞こうと、いい反面教師になった。
好きなものの話をしている人間の前でわざわざ嫌いだとかそうとは思えないと水を差すのはナンセンスだ。昔からそう思って生きてきたけどそうじゃない人間もいる。
自分よりも長く生きていて人生経験も豊富そうなのに視野が狭い人で残念だな。
そう思うとここで縁が切れて正解だったと思う。
colaboの不正会計問題でよくきっかけとして出てくる「温泉むすめ」って結局仁藤の何が問題だったのか考えても理由が思いつかない
2021年11月15日、女子高生サポートセンター『Colabo』代表の仁藤夢乃が『温泉むすめ』のイラストを用いたパネルが温泉地に設置されていることについて「性差別で性搾取」と指摘した。これに対して、パネル設置を擁護する人々からの反論を受けた仁藤は、『温泉むすめ』公式ホームページに掲載されていた、定山渓泉美の「可愛い温泉むすめが大好きでいつもスカートめくりをしちゃう」、小野川小町の「『今日こそは夜這いがあるかも』とドキドキ」、和倉雅奈の「隠し切れないぐらいの大人な雰囲気の持ち主で、肉感もありセクシー」などの、キャラクター設定の解説文が性搾取的である旨の批判をしたほか、未成年飲酒の描写などもあると述べた。
エンバウンドは2021年11月17日までに、公式サイトに記載されたキャラクター設定を修正し、また、企業及び個人サポーターを掲載していたページから観光庁以外の企業サポーター名・個人サポーター名を削除した。
とあるように、最初仁藤の指摘は難癖だと思われてたけど、掘り下げたら問題がある事が分かって炎上したってのが俺の認識だったけど
どうも他の人はそうではないみたいだ
葬送のフリーレンに関してはどうも海外でエルフはアスペルガー、魔族はサイコパスとか言われてるらしくて、そっちの方が無理だなって思う
アスペルガー(ASD)全然そんなんじゃねーし!って怒りが沸くし
おそらくサイコパスの方も一般的に言われるジャーゴン化した「サイコパス」であって、現実のサイコパスではないよね?
現実のサイコパスって寧ろその特質によって経営者や政治家などで成功している人が多いし、
アスペルガーに関してはよく巷でいわれる感情がないだの人の気持ちが理解出来ないだのは全くの間違いで
寧ろ定型よりも感情は豊かで人の気持ちは分かるからこそ社会に適応出来ずに困っているんだから本当に的外れ
個人的には葬送のフリーレンの魔族の描写って、どちらかというと排外主義を感じるなーと思う
見た目が人間とほぼ同じで同じ言語を話す相手を「理解不能な化け物」と切って捨てる設定には、在日韓国人差別とかそっちの文脈を感じる
母親を慕うか弱い子供の擬態をして生き延びようとするエピソードとかね、子供のように見えるけれど騙されるな、非常になれ、というのが強調されているのが示唆的
普通のファンタジーだと魔族ってもっと上位者として君臨するか騙すにしても戦略的なイメージがあるので、特徴的だなーと。
強くて名誉もある男の尊厳を破壊取る描写としてワンピースは有名だと思うけど、マクロスFの、シェリルとランカの2人もお互いに自尊心ボコボコにしまくってると思った。
単純にストーリー追ってたら有りがちなラブストーリーみたいな感じだけど。
アイドリッシュセブン(アイナナ)を知って今日でちょうど100日経った。
我ながらもの凄いハマりようなので、心が荒んだおっさんにこそアイナナを薦めたい。
アイナナは女の子向けのコンテンツとして男が疎外してしまうのは、非常にもったいない。
だから、主にこの文章はおっさん、そして特に子持ちのおっさんに向けて書くものになる。
何を書けばよいのか全然まとまらないうちに書きはじめたし、そこそこ酔っていることもあり収拾が付かない可能性が高い。先に謝っておく。
まずは簡単に自己紹介をしておこう。私は30代の2男1女の子どもを持つマネージャー(アイナナファンの通称)だ。
アイナナの存在を知り、メインストーリを6部まですべて読んだ後、アニメを3期(53話)最後までみて、ムビナナ(先日千秋楽を迎えたアイナナの映画『劇場版アイドリッシュセブン LIVE 4bit BEYOND THE PERiOD』)に8回通った。アイナナを知ってから全部一ヵ月以内のことである。
もちろん仕事はフルタイムだし、土日は家族サービスDayである。なにか狂気的なもの感じるかもしれないが気のせいだ。大したことはない。ムビナナに関してはもっと行っておくべきだったと反省すらしている。
仕事関係者も見ているTwitterで一ヵ月アイナナのことしかツイートしないなど大事故を起こしたのも懐かしい。(今はアカウントわけたよ)
そんな私がなぜアイナナになぜハマったのかを説明する前に、何故アイナナを知ったのか。まずはそこから説明させていただきたい。
今まで私は重課金されるようなゲームを触ったこともなく、重課金税の気持ちがわからないでいた。いわゆる落とし切りのゲームしか知らなかったのである。
このままだとなんだかビジネス的にもエンタメ的にも機会損失しているような気がしていたので、何かしらやってみたいとは前々から思っていた。
「ウマ娘は競馬のことよくわらかんし、とりあえずアイマスは聞いたことがあるからアイマスやってみるか」とアイマスをAppStoreで調べはしたが、アプリが複数出てき、そこで挫折した。まさにおっさん。
若いころはOSのアップデートなんて嬉々としてやっていたが、年を取った今、OSのアップデートなんて恐怖の対象になってしまうようなお年頃なのだから仕方がない。
身近にアイマスのことを聞けば教えてくれる知人は数人思いつくものの、そこまでする必要はないと思い続けてきたからこそ、今まで手を付けられなかったともいえる。
ちょうどそのタイミングで知人同士(この先輩マネの存在がものすごく大きかった)がアイナナの話で盛り上がっていた。「じゃあアイナナにしてみるか」とアイナナを調べたらアプリが一つしか出てこなかった。
さあこれで第一の難関である「インストール」をクリアしたわけだ。
インストールしたはよい。何をやればよいのか。やたらとメニューがあるぞ!これは冷静に考えれば当たり前で、当時は知らなかったがアイナナは8年前にリリースされたアプリだ。
そこで先輩マネージャ達が「とりあえずストーリーをやれ。ただし〇部の前にこのサイドストーリを読め」と初心者が陥りがちな罠をあらかじめ封じてくださったのである。(アイナナはストーリー+音ゲーで構成されているゲーム)
もうここまでお膳立てされたなら走るしかない、見つけ出したチャンス絶対逃せない!
ゲームシステムの解説だったり、各種グッズ関連(代行注文してもらったり映画の半券を譲ってもらったり)、過去イベントの解説をしてもらったり、過去の8年間と今をつなぐようなフォローをいまだにして頂いている。
つまり、よき先輩マネがいたことがとても大きかった。これは私の最大の奇跡だったといってよいかもしれない。その二人の存在がなければ私はアイナナを知ることすらなかったし、知っていたとしても挫折していたに違いない。
ストーリーは無料で最後までフルボイスで読めるので、ぜひお時間がある人には読んで頂きたい。最悪、相性が悪くても溶けるのは自分の時間だけである。推し活につながるかもしれない期待値に比べればたかが知れている。
掻い摘んで言ってしまうと、16人のアイドルが自分の過去を乗り越えたり、芸能界の荒波に揉まれながら成長し輝いてく物語である。
ストーリが完璧にできているかというと必ずしもそうとは言えないのだが、16人のアイドルが個性的で実に良いのである。
「16人?多すぎじゃね」と思ったそこのあなた。そう、最初は多く感じる。私もそうだった。名前すら覚えられなかった。しかし、それを乗り越えるための仕掛けが名前や音楽記号(キャラクター毎に音楽記号が割り当てられている)等にちりばめられている。しかも声優の仕事が良いことも相まって自然と覚えることができる。おっさんでも覚えられる。心配しなくてよい。ポケモンに比べれば全然少ない。昭和生まれのおっさんでも151匹程度は覚えただろ?
1/10だ。
メインとなる16人のアイドルは年齢で言えば高校生~20代前半というのも良い。数年後の自分の息子達と重ねてしまうし、新卒で入社してくる子たちと大差ない。
つまりストーリーを読むということは子どもたちや新卒の子たちのプライベートを見守るのと同義で、荒波に揉まれ、過去の自分と対峙している姿をみれば「頑張れ!」と応援してしまうのは必然なのだ。
そして、彼らには我々おっさんが仕事で目にする人間の汚さというものが全くない。清いのである。清すぎて尊いと言っても良い。メンバー同士で喧嘩していても名言が出てきてしまうくらいに相思相愛な彼らだ。自分の子どもにもこんなに思いあえる仲間ができてほしいと思ってしまうくらいだ。
そうなると、もう彼らは自分の子どもと見分けがつかないくらいに愛おしく感じてしまうのは時間の問題で、かくして私には新しく16人の息子ができたのである。きっとあなたにもできる16人の息子。
さぁ、そんな各アイドルのキャラクターも良いのだが、極めつけがムビナナだ。先日千秋楽を迎えたが、まだ上映している劇場はあるらしい。
あの映画の完成度はおかしい。狂気と言ってよい。千秋楽を迎えた後の今いうべきことではないかもしれないが、絶対に大画面で見るべきだし、欲を言えばドルビーシネマで見てほしい。
映画といってもストーリーなんてほとんどない。16人が歌って踊って合間にちょっとMCをはさみながら、ひたすらライブとして彼らがアイドルをしている姿を観る映画だ。後述するが20~30回程度見てからが本番であとは観れば観るほど寿命が延びるようなシステムだ。
子持ちのおっさんなら子どもの授業参観というイベントには参加したことがあるだろう。こんな友達とこんな環境で勉強をしているのかと色々な発見があって楽しいイベントだ。
では、もし自分の子どもが仕事をはじめたとして、仕事参観ができるとしたら?本当にしっかり仕事できてるの?お前の能力は発揮できてる?授業参観とは比にならないくらい色々と見てしまうはずだ。いろいろと思うところもあるだろう。でも現実的ではないんだよなぁ。
しかし!!!それを実現しているのがムビナナだ。おわかりか。子どもたちが目の前で仕事をしているんだよ。それも、とてつもなく素晴らしい仕事を。凄い演出と音楽と舞台とで。そうなると自分の子どもを引き立ててくれるすべての関係者に感謝を覚えるようになり、それが生きとし生けるものすべてに感謝できるだけでなく、それが存在するこの宇宙に感謝。そして、それらを育んできた過去の全ての出来事に感謝できるようになる。つまりムビナナを見るということはアルファからオメガまで感謝できるようになるということだ。
故に全てのストレスから解放される。だから寿命が延びる。ムビナナおよびアイナナは決して沼なんかではなく名湯であるとここに明記しておこう。
話を戻す。
ムビナナは狂気と言った。どこまでこだわればこんな作品ができるのかいまだに理解できない。
「個性的な16人」と前述したが、立ち絵のストーリしか見てないのに、ダンスの動きを見るだけで誰のダンスか見分けることができるほどの個性であることをあなたはまだ知らない。
意味が分からないかもしれない。だがストーリーを読み切った人に「ダンスで一番動きが大きそうなキャラは?」と聞くと多くの人は三月と答えるだろうし「ステージから客席に手を振るときに両手で振ってるのは?」と聞けば環と答えるだろう。
ストーリーにダンスの描写なんてほとんどないにもかかわらず各キャラクターの「らしさ」がストーリーにはふんだんに埋め込まれている。それをとことん回収していくのがムビナナなのである。モーションつくったソリッドキューブの仕事がマジ凄い。
それを16人やってのけている。驚異的なことだ。あなたは思ったかもしれない「だったら16回見れば良いの?」と。全然違う。違うんだよ。素人は黙っとれ。
私のムビナナの初回の感想は「目が足りない」だった。アイナナだけでも独立する眼球が最低でも7つはないと全く追うことができないなと。
彼ら自身も十分に魅力的ではあるのだが、同時に彼らの「関係性」もまた美しく尊いのだ。
つまりムビナナを楽しむためには人類を超越した何かにならないとならない。
しかしそれは叶わない。何かをササゲても叶わない。だから数をこなすしかないのである。
故に20回くらいは普通に超えてしまうものなのである。むしろ20回を超えたあたりから、ようやく2つの眼球で見るスタート地点に立ったといってもよく、そこからが本来のムビナナを楽しめるといっても差し支えない。そこ、脳筋とかいうな。
ムビナナに通っていると、自分の精神状態を大きく二つに分類することができるようになる。「ムビナナを見ている自分」と「ムビナナを見ていない自分」だ。
ムビナナを見ている自分は大体「尊い」の感情に支配されている。そして見ていないときは「ムビナナが見たい」という思いに支配されている。
それに気が付いた私は思った。「あ、自分って単純」と。そう思えると、今の自分の悩みなんて大したことはないんだと、ムビナナのおかげで気が付けるようになる。
だが、寿命が延びるなら治療する必要はあるまい。むしろ大いに歓迎されるべきではないか。公衆衛生の観点から言えば、ムビナナ鑑賞券は国民皆保険制度の適応対象とすべきだろう。厚生労働省は仕事しろ。
言いはぐっていたが、実はアイナナは音楽もよい。すごくよい。ランティスだ。何十回だって、何万回だって聞ける。
楽曲提供は小室哲哉やヒャダインもいるし、先月の新曲はANCHOR、今月は浅倉大介だった。つまりマネージャがお金を落とすサイクルを確立しているコンテンツなので、楽曲にも力が入れられる強者の運用をできるのがアイナナだ。
故にストーリーなしで曲だけ聞いても楽しめる。全方向からのアプローチを受け止めらるアイナナ凄い。あやかりたい。
このように楽曲にも恵まれ、8年という時間も相まって100曲以上の楽曲をリリースしてきたという実績がアイナナなのである。
書きたいことの5%も書いてないし、終始取り留めない文章になってしまったが、時間も時間なのでこのあたりで勘弁してやる。いえ、勘弁してください。
何か思うところがあったらアイドリッシュセブンをぜひインストールしていただきたい。掴み取れば明日は何色にも変わることをおっさん達に知ってほしい。
その後はこちら
う~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん。。。
並アニメ?
わたくし、音楽アニメ(ぼっちとかけいおん)を嗜まないのでよくわかりませんわ。
この世界では音楽が全てで、ここの生き物というかミュージシャンは音楽のスキルはもとより演奏で観客を魅了して観客からなんかクリスタルパワーを受け取って自分のクリスタルを強化しよう!って話だったと思う。
んで横道だけどこのクリスタルっぽいのが感情と連動してるから濁ったら闇落ちするソウルジェムみたいな演出ね。
音楽上手くなる→演奏で魅せる→クリスタルキラキラー。。。で?
忘れちゃったのかもだけどだからどうしたのと。なんかそこから先が広がらない。
多分戦闘力が上がるんだと思う…。
アニメ作中じゃあこのクリスタルっぽいのは初登場を除いて闇オチと浄化ぐらいにしか使われないのよ。
各バンドも有名になりたい、いい音楽を届けたいみたいな動機で。観客からパワーもらいたい!とかパワー枯渇して死にそう。。。とかもない。
単純に観客の盛り上がりのパロメーターなのか?となるけどそうでもなさそうなの。
これだけ観客の心(クリスタル)を奪った!とかないない。対バンは投票というしごく現実的な数値で決せられる(まあネット投票もあるから現場のクリパワオンリーにはできないだろうけど)
じゃあ戦闘力アップパワー要素だとしたら?この仮説もねー。
モンスターとのバトル展開もありますからね、ピンチに陥ったら演奏を始めて、観客のパワーをもらってパワーアップ!これが俺たちの音楽の力だ!
・・・これもない。なんならバトル展開は異次元につれさらわれてバンドマンだけで展開するから。音楽の力は自分たちだけにかける自己バフだから。
ついでに言うとめちゃくちゃ支持されてるわけでもない知名度低いシンガンクリムゾンズがモンスターを倒しちゃったからマジでクリスタルはガンダムSEEDの種並みに無くてもいい演出。
主人公シアンも悪を倒すために求められてるのは音楽スキルの向上で、バンドの絆とか知名度アップでもないんだよね。
致命的なのが最終回。ラスボスをどうやって倒すのかと思ったらシアンが覚悟きめたら衣装が変わって弦を弓に見立ててキューピッドアローシュート!
っておい!
それはないでしょ。音楽の力0かよ!
あの世界は、音楽世界は、知名度やバンド人気は副産物。演奏スキルのあとからついてくるものなのでしょう。きっと。弱肉強食やね。
それとそもそもの音楽演出についても、尺がないとはいえ数十秒の演奏シーンでバンドの魅力を紹介・あるものとするのは厳しく感じた。
と聞かれたらシンガンクリムゾンズとこたえるでしょう。
主人公たちと所属が同じで、最初はガールズバンド以外に女性向けのこういうバンドもありますよー的なモブキャラたちだと思っていました。
しかししかし各キャラ非常にキャラが濃く、メンバー間の関係性もすっかり出来上がっている。鉄板の流れが複数あり、さらにドラムのロムはスター性抜群のシュウ☆ゾーとなにか因縁が…。
と盛られに盛られまくっている。12話という単話数のなかでシンガンクリムゾンズにそんなに尺を使うのか!?とびっくりした。面白いからOKなんだけどさ。
画風がパロディで変わる演出とかも多用されて、製作の愛といいますか優遇されてるといいますか。バンドメンバーでダークモンスターを倒す展開も本来は主人公たちがやる話だったし主人公メンバーが闇オチ脱退する前にシンガンクリムゾンズが先に同じく闇オチ脱退する話をしちゃったから薄まっちゃうよね。
とかなーり主役を差し置いて前面に出ていた彼ら。サンリオのメインターゲット層を考えればガールズバンドはアニオタを釣る撒餌で本命の主顧客には彼らをお出ししたかったのだろうか。男性にも受けるだろうし再度言うけど面白かったからOKなんだけどさ。
そんなシンガンクリムゾンズのあおりを受けに受けた我らが主人公シアンが所属するプラスマジカ。
オフのシーンがほとんどなくて、大体のシーンが上手くなってるのか(音的に)わからないバンド練習の場面ばっかり。
シンガンクリムゾンズはラーメン食べにいったりしてるし(食事シーンや就寝前の話し合いとかはあるけど)、そういう休日に街に遊びに行く4人ないし二人のシーンとか入れてくれないとキャラ間の掘り下げができない。
どうしても社長に集められた4人の職業的バンドのイメージがある。初期はそれでいいけどそれは打破して打ち解けるためにある壁なのに、なんか練習シーンだけでどんどん仲が良くなっていって感情がついていかない。(レトリー回はその仲良くなるための話だったのだろうけどそれだけ?)
シアンに一目ぼれしたレトリーはともかく、同じく隠し事してるモアや踏み台のつもりが情が移っていくチュチュはもうちょっと丁寧に描写してほしかった。
チュチュなんて天才が加入したバンドのまとめ役としてリーダー張ってたまあまあの才能な初期キャラ。きっと主人公の才能の輝きとそれでも(天才はおっとりor引っ込み思案な性格だから)リーダー・ひっぱり役しないといけない苦悩で鬱屈していくっつー初登場からなんとなく見えてるシナリオじゃん?
それが前述したけど闇落ちがシンガンクリムゾンズにさき越されるわ、その展開も一話と前話ラストちょっとで済まされるわ、扱いも闇オチして抜けます宣言→メンバーの演奏と言葉で浄化となんの盛り上がりもなくその場で一瞬で解決する始末。あんまりだよっ!あげくラスボスからもチュチュを堕としたのは余興あつかい宣言されるしよぉ。
バンドとしてもライブ数が少ない。対バン2回にシアンが突然抜けたフェスは…3人でやったんか?それとラストの大フェスか。
まともなのは対バン2回で、最初と終盤だからその中間は(実績無しと審査されるぐらい)なにもないんだわよ。
ライブの喜びや観客との関係性とかが薄い。それでいて繰り返される練習部屋のシーンでメキメキ腕前は上昇しているらしい。
正直、なんで居るの?シアンの音楽スキル上げるだけならソロデビューでもプラスマジカ以外でもいいでしょこれ。
チュチュが踏み台扱いしてましたって白状しても視聴者の自分だってそう思うよ。アニメで登場した全バンドで一番メンバーの関係性が薄いのがプラズマジカだと思う。シュウ☆ゾーにくっついてるだけのツインズとどっこいどっこいよ。
シアンの秘密を打ち明けたメンバー結束の合宿回も正直、シンガンクリムゾンズに取られて印象薄い。あの話でそこまで劇的に進展したかなぁ。そう感じなかった自分が変でそれ以降のずれの原因かなぁ。
最終的にシアンがシュウ☆ゾーとダル太夫並の実力になれたのかもよくわからなかったし。
最終的には(キングを除いて)トップの実力を持つシアンとシュウ☆ゾーとダル太夫を組ませて音楽世界を音楽の力で支配する
そのために三人はダークモンスターや自分で襲う?成功してたらのち洗脳か。(キングの新曲を使う?)
アニメだから話に区切りは必要だけどイマイチ何がしたかったんだって話よな。
ラストは作らせた新曲と主人公たちとの音楽バトルになるかと思ったらまさかのラスボスの物理襲撃。対して主人公たちはとくに音楽の力もなく撃退。
最初からラスボスは誰か経営陣はわかってたけど野望を打ち砕くにはフェスで音楽で勝負だー!となってたわりには音楽要素が薄くてですね。
ボスも序中盤まごまごしてたのは新曲待ちかなと思ったらそうでもなくて、そもそもなんでキングは新曲上梓しちゃったんだよってのも謎で。
まあシアンがリアル世界からこっちに来るためだけの舞台装置だったなという所に評価は落ち着いた。別に田舎出身でひたすらフェストップを狙う話でもよかった気もする。
あれだね、音楽世界、音楽生命体って設定がひたすらふわっふわしてたのが悪いわ。世界の描写が足り無すぎてそれがボスの野望にまで悪影響でてるわ。
この世界の住人ミューモンはケモミミ形態からSDのサンリオ系二等身になれる(ただしくはテンションが上がると頭身が伸び擬人化するらしい)んだけど、演奏中や戦闘中のSD状態は3Dで描かれるんだよね。
SD形態も可愛いし口がなくなるから演奏形態なのに口パク不要と省力化できてほかに力を入れるかな~と思ってた。
ん~しかし目を惹くほどすばらしい映像はなかったかな。達磨は好きなんだけど。製作はボンズじゃなくてStudioGOONEYSってところらしい。SDキャラはよかったよ。EDも好きだし。んーまあ、TVアニメならあんなものか。こっちが意気込みすぎた自覚はあります。しかし戦闘中が観客とかもいなくてとても寂しいんだよね。華やかな世界なのに3Dであの寂しい風景になっちゃうのはねー。対比にはなってるけど省エネイメージ。まあディバインディングドライバーと捉えることにしよう。
あざといのに負けた。最初は引っ込み思案の主人公のバンドに同系統のコミュ障を入れるの!?とびっくりしたけどいきなり一目ぼれしだして脳を焼かれた。
プラズマジカの日常シーンを増やせという要請はレトシアのためにある。
ただし!水着シーンで胸を盛りすぎたのはゆるせねー!もっと平らいはずだろうがよぉ!
結構期待値高めて視聴したものの、さほど振るわなかったなぁ。6話までじっくりやって、後半はっちゃけていく可能性を(マイメロとかから)考えてたけど、しごく全うに進行してしまった。1クールで複数バンドを顔見せさせて、各サブバンドも主要キャラ1人に絞ってキャラ立たせて、としても忙しかった。そのわりにシンガンクリムゾンズが尺をとって…。と各話は悪くないものの1クール通しての構成は甘い気がした。(ウワサノペタルズもこれ書きながら調べて初めて知ったけど前提知識無しだと知らん田舎のモブに時間食われただけで邪魔でしかなかったし)
世界やキャラの魅力もだいたい底打ちしたか、続きを見たいとは今のところ思わない。
全編3Dで動くアニメならちょっとみたいかも…?ケモナーには物足りないかもしれない。余談だけどOPのラストカットは巨女っぽく感じる。需要ありそう。
なんだろ、アプリ知ってる人向けのアニメだったかな。無勉強で入るのはもったいない作品だと思うから、予習をオススメします。そういった意味でも自分はスマホゲーしないから2期以降はやっぱなしかな。
暇空氏への名誉棄損訴訟で「ヘイト男性どもが訴えられて終わりで勝利で完全解決」といったブコメが多いのに驚いた
強い言葉を使いまくってるのにそんな浅くしかこの問題をとらえられてないの?
この問題の根源は「性表現はくだらない害悪だから雑に焼き捨てられるべき」というフェミ側の態度からきている。
創作を人生の拠り所にする人間にとってそれは「お前はゴミ扱いで処分されるのがお似合い」と言われてるのに等しい。
そんな態度をとられて腸が煮えくり返らない人間がいるだろうか
想像力がない人間は「過激な表現などを指摘されただけでしょ?それだけ修正すればいいじゃん」と言うが
自分の家の間近でガソリンを撒かれた状態でゴミを燃やそうとしてる人間を止めない人間もまたいない。
それが相手が「こんな集落全焼してもかまわない」という態度ならなおさらだ
「これも燃やしたからあれも燃やしていいでしょ?」と次々と他の集落を焼き尽くす意欲すら隠されていないわけで
主人公の性犯罪描写があるドラえもんすら、可能であれば燃やし尽くして手柄にしフェミニズムの権勢を誇示したいと考えているだろう。
万全の配慮を持って都合よく部分を燃やせるわけがないのをわかってるからこそ、性表現を愛好しない人間であっても危惧の声をあげてるわけだ
もちろん「最初に女性を傷つけたのは性描写だ」というのも敵側の大義名分として一理ある。
だからと言って「表現を拠り所にする人間をゴミ処理感覚でジェノサイドする」というのはあり得ない。
殺すと意識する価値もないほどくだらないもの、というのは軽視が過ぎている。
「ゴミ処分のように殺される」という危機感の表現は創作を職業や拠り所にしてる人間にとって過剰ではない。
まさに人生そのものであったり魂であったり生きがいであったりを「こんなくだらないもの飛び火で燃えてしまってもかまわないよね?」と扱われてるからだ。
殺されるかどうかならどんな手段であっても使われても本来はおかしくない。
そういう状況で現れたのが暇空氏で、全体の危機感や怒りからしたら氏のやり口はだいぶ穏当で
グレーゾーンにつっこんでいるのは確かだが合法といえる範囲で対抗活動を成立させている。
もちろん話し合いだけで解決できるのが何でもあっても理想ではあるが、
そもそも相手はゴミ処分気分なので、ジェノサイドをしようとしてる自覚がなく話が全くかみ合わない。
ゴミ処理感覚で人を殺そうとしてる話が通じない人間を止められるのは力関係だけだ。
その点で暇空氏は「このゴミ、うかつに手を出すと厄介だぞ」との周知に成功し、ようやく放火を躊躇する状況をつくりだした。
Colaboを逆に追及される側にすることで、追及される側の模範態度どころか、暴言や醜態をひきだしたのも小さくない。
氏個人にとってはアンフェ内でも賛否両論はあるがこれは氏のすでに挙げて確定した功績といわざるをえないところだろう。
名誉棄損が成立するかどうかでそれは変化しない。
「ゴミ処分感覚で殺される」という怒りと危機感という巨大な下地があったからこそで、
暇空氏がいなければ「殺されるよりは」ともっと暴力的な出来事に発展してた可能性すらある。
あまりに都合がよすぎる無敵の人が現れたのは双方にとって幸運とすら言えるだろう。
暇空氏がいなくなったとしても、第二第三のより酷い暇空氏が発生し、この戦いは続いていくだろう。
ひょんなことから普通の青年が戦いに赴かなければならないとなる物語は多々ある
しかし殴られたり斬られたり撃たれたりすることへの恐怖は描かれるが
自分が相手を傷つけること、死なせるかもしれないことの恐怖は描写が甘い、もしくは無い
普通の人間の多くは魚ですら生きているところをシメて捌くのに躊躇する
無料で読めるなろう漫画を人気な順にちょいちょい読んでるんだが、ヒロインに処女が多すぎるしSEXの描写が結構ページ割いてあるのにマジで前戯全然しないどころか描写されなさすぎるし、初っ端から痛がらずによがるってパターン多すぎる、書いてるやつも読んでる奴も童貞だから違和感覚えないんか?
どの場合も二酸化炭素が一定量超えると死ぬのでその吸着をフィルターでやってる
アポロ13なんかは事故った時にフィルターが使えなくなって、本来使うはずじゃなかったものをありあわせのもので無理やり使えるようにして生還したのが映画で描写されてて面白いよ
キャラデザ、メカデザイン、声優、主題歌、劇中音楽等々はいい仕事してたのにほんとストーリーだけがスカスカなんだよなあ
「最終回が『祝福』の歌詞と合ってない(毒親問題や経済格差の問題が解決してない)」とも言われてるけどその通りだと思う
ならキャラの恋愛くらいはまともに描けてるのかと言えば、公式カップルのはずのスレミオもラウペトも(特にラウペト)イマイチ関係性の描写が足りてないので
個人的には百合さえ描けてない、つまりほぼ何も描けてないんじゃないか?って思ってしまう
せめて劇中の演出にどういう意図があったのか、声優じゃなくて監督や脚本家がもっと表に立って説明するべきだよ
個々の要素は良かったのが惜しいから同じキャラデザや声優で劇場版なり続編なりを作ってほしいくらいだが、まあ難しいんだろうな
○ご飯
朝:ナポリタン。昼:アルフォート。夜:ナポリタン。温泉たまご。モヤシとニンジンと椎茸のスープ。間食:チョコ。アルフォート。
○調子
和風伝記百合ゲームアカイイトと世界観を同じくするアドベンチャーゲーム。
剣道部の夏合宿でとある田舎にやってきた小山内梢子が、砂浜に漂流していた記憶喪失の少女と出会うことから始まる。
序盤は学生の主人公たちの楽しい交流シーンが丁寧に描写される。
衒学趣味がたっぷりボリュームあるのは賛否両論がありそうだけど、僕はそこは楽しかった。
僕が苦手な歴史のエピソードも丁寧に説明してくれるし、衒学趣向あるあるな語源の話も嫌いじゃない。
食事のシーンですら味の描写はそこそこにメニューにまつわる歴史や宗教の話を延々と喋るのは徹底してて好き。
しかし、その序盤を終えて個々のヒロインのルートの入ると途端にクオリティが落ちる。
まず文章の量が全く足りていない。
ヒロインと主人公の恋愛パート、和風伝記として序盤に前振りしていたバトルパート、記憶喪失の少女やその田舎の風習にまつわる謎解きパートなど、全てがあっさりさくさくまるで粗筋を読んでいるかのように進んでいく。
そのくせ、衒学趣味自体の一貫性はあるので、バトルパートで敵と向き合ってるときにすら語源や歴史の話をしだしてそこはしっかり文量が確保されていたのは笑ってしまった。
スチル絵の整合性を合わせるために無理やりなストーリー展開が多発するのもよくなかった。
また個別のヒロインルートが始まってからも、日常的な遊びのエピソードが唐突に挟まるせいで、遊んでる場合じゃないだろ感がキツかった。
そのせいで攻略可能なヒロインよりも、日常パートの非攻略ヒロインの方が思い入れが強い。
とはいえ、別にそれらのキャラも雑談のシーンがあるだけで好きにはなれなかった。
結局、僕が好きになれたキャラクタが残念ながら一人もいなかった。
攻略ヒロイン5人のルートを終えると読めるグランドエンディングも、ツギハギ感が強く楽しめたところが無かった。
システム的にも選択肢とフラグの立ち方の因果関係が飲み込めず、やたらと多いバッドエンドに納得がいかず不快だった。
またやたらと複雑な分岐に制作者も振り回されてる感があり、選択肢で開示される設定を整理しきれていない感があった。
前作のアカイイトがめちゃくちゃ面白かったのでハードルが上がりすぎていて、ちょっと期待度のコントロールを間違えたのかも。
ずいぶん腐してしまったが、序盤の共通ルートのワクワク感は楽しかったし、歴史に学がある人なら僕が気付けなかった隠喩や伏線に唸るシーンがあるのかもしれない。
(最後、唐突に右腕が伸びるやつは多分何かの歴史的文脈があるんだろうなあ、僕は知らないからなんか伸びた! って思っただけだけど)
CODAの話を出した増田だが、これも含めてCODAの大変さを表してたんだろうなって感じがしてきた。
多分、映画中にスマートフォンの描写が無かったと思うので、それらが出る前の時代なんだと思う。
そしたら、その場合のろう者の連絡手段は実際にそこに行くか手紙かFAXかくらいしかなかったと思うんだな。あの時代、リレーサービスは無理でしょ。
聴者の常識だと、遅れそうだなと思ったら、「遅れます」と電話を入れるものって感じがするけど、その常識が無かったのではと。
だから、先生はいつも無断で待たされてた。(いや、聴者の子でも17,8歳でそういうのちゃんとできる奴がどの程度いるかはわからんけどさ)
最後にブチ切れられる前のところでは、いつでも使える通訳としての立場を家族に期待されるというCODAの事情もあったんだろうな。
最後はろう者の家族も主人公の才能に気づき、主人公は有名音楽学校に進学し大団円なんだけどさ、
別にCODAじゃなくてもヤングケアラーや搾取子みたいな家庭内役割が重い子供に共通するつらさや闇みたいなものを多少感じる映画だったな。
・ピッコロさんがボコられてマジ覚醒する悟飯さんヤバ 赤い眼…
これは萌えざるを得ない
・opからキャラクターの性格がスピーディかつ的確に伝わってくる…
さすが創作神
・ガンマ2号の攻撃した後に効果音がでる描写、スパイダーバースっぼくて
すごい良かった ガンマ1号2号の声が良すぎてビビった
「ガッ」とか「ギュッ」とか力の入る感じの掴み?とかを
戦闘無知民でも分かるようさりげなく強調する演出がすごい散りばめていただいてて「動き」ってかっけえ!と
思わさせて頂いた感じする
+シンプルに体術かっこいい+空飛べるから空中を縦横無尽に動くスピード感
+舞台が壊れて瓦礫が空中を散らばったりブラックの固まりが落ちながら砕けたりするとかすごい工夫が
こめられまくってて面白え!って感じた
理想の老後やんこんなん…
でも少年漫画だしな…戦闘が世界の理であるドラゴンボール世界だから
いいんだろうウン
・ドラゴンボールってそんな軽い感じで集まるんだ…
願い、3つ叶えてくれるんだ…