はてなキーワード: 猟師とは
警察と軍隊に一方的に鎮圧されず対等な内戦に発展するには何人ぐらいが一斉に蜂起する必要があるのか。
前提として警察や自衛隊はクーデターにあずからないとする。その最終的な指揮権者といえる首相や皇族も除外。
また首相をその側近がいきなり絞め殺すような王将にいきなり玉将が置かれるようなケースも考えないとする。
自分の考えとしてはまず格闘家はたくさんいた方がいいだろうなと思う。航空会社の職員も飛行機は神風の手段になるから有力か。
銃を持ってる猟師も貴重だろう。土方だって重機やチェーンソー持ってるし昔のクワぐらいしかない一揆よりは派手に活躍できるだろう。
捜査員がガルテン室内に入ると、その異様な臭いと光景で暫し立ち尽くした。
懐中電灯で照らされた暗い室内には、三つの乳幼児らしき死体が転がっていた。
腐敗が進み、白骨化が進んだ死体を見届けた後、奥の部屋から聞こえてくる打鍵音の方へ向かう。
奥の部屋には、物凄い形相でラップトップのキーを叩き続けるハンチング帽の男がデスクに座っていた。
捜査員員が声を掛けようとした刹那、ハンチング帽の男は突然金切り声で笑い始めた。
狂っている、そう感じつつもハンチング帽の男に語りかけた。
つづく
捜査員はハンチング帽の男に語りかけたが、男は不気味な笑みを浮かべたままキーを叩き続けるだけだった。
ラップトップの画面を覗くと、そこには何度も同じ文字が書き連ねてあった。
ーー何故、ぼくを置いて出て行った?
周囲には空の日本酒のビンが散乱し、ぷーんと酒の臭いが漂ってくる。
改めて懐中電灯で男を照らす。
崩れ落ちた男は白いシャツに花柄のスカートという異様な出で立ちをしていた。
「XXさんでよろしいですね?」
捜査員の問いかけに男はビクッと一瞬反応したが、そのまま動かなくなった。
顔を確認するため、ハンチング帽を取ろうとしたが何かで固定されているのかビクともしなかった。
少し力を入れて更に引っ張ると、鈍い音と共に大量の髪がハンチング帽と共に引き千切られた。
男の頭部が懐中電灯に照らされ、満月を思わせる煌々とした光を放った。
男はぶつぶつと呟き始める。
「ぼくの言う通りにやれば、サクッと月商百万は行きますねぇ。今ならこのnoteも貴方に百円で売ってあげましょう。
どうです?安いものですよ?」
つづく
ガルテンに捜査班が到達したのは、捜査員が連絡した1時間後だった。
ハンチング帽の男は、衰弱が激しいため救急車両に乗せられていった。
証拠品ではあるが、致し方ないだろう。
ハンチング帽の妻には直ぐに連絡が取れた。
麓の宗教団体の宿舎に世話になっているらしく、他の信者の付き添いがいる形での面会となった。
「あの人は家族を省みずパソコンに没頭していました。お酒が入ると豹変するんです。耐えかねた私は家を飛び出し、ここにお世話になりました。半年前くらいのことです。」
彼女は薄っすらと笑みを浮かべて、傍らの信者と寄り添っていた。
つづく
捜査員に鑑識からの連絡があったのは、宗教団体の宿舎を出て直ぐのことだった。
ハンチング帽の妻によると、娘が三人いるとの話だったが、おかしなことになった。
ーーーもう一人の女児がいない?
捜査員は意外な展開になったなと、急ぎ車を走らせた。
「春さん、遺体の検死結果はどうだった?」
袈裟春は神妙な表情で答える。
「ああ、遺体は三体とも他殺だった。
乳児は高いところから床に叩きつけられたようだ。死因は脳挫傷。
残る女児と男児は、共に斧の様なもので切りつけられたようで、死因は失血死だ。」
「他殺……ですか。」
捜査員は肝心の男児と居なくなっている女児について聞いてみた。
今、捜査班で手分けして女児の行方と男児の身元を聞き取り調査しているって話だ。」
袈裟春はそう伝えると、慌ただしく動く鑑識に指示を与え、部屋を出て行った。
捜査員はハンチング帽の男の様子を伺うため、取り調べ室に向かった。
つづく
取り調べ室の隣の部屋から、捜査員はハンチング帽の男の取り調べを眺めて居た。
ハンチング帽の男はうって変わって饒舌に取り調べに答えていた。
「やっこさん、ずっとあの調子なんですよ。
子供のことは全く知らぬ存ぜぬって感じで、自己責任とかよく分からないことを言うばかりで。」
ハンチング帽の男に依ると、子供は妻が連れて行った、自分へ全く知らないとのことだった。
男児のことも長女のことも全くわからないようで、ひたすらに自分の仕事の自慢を続けている。
「狂人ですね……。」
つづく
クラインガルテンから更に奥地にある荒地に建てられた小屋に、闇の中で蠢く何者かの姿があった。
人影が鈍く光る斧を翳すと、目の前の青年は驚きの形相でそれが振り下ろされるのを待つしか術はなかった。
あっと声をあげる間も無く、斧は青年の喉笛に一文字の醜い傷跡を刻みつけた。
その刹那、鮮血が宙を舞う。
崩れ去る青年は何かを掴もうとするように手を伸ばし空を握りしめた。
瞬く間に、物言わぬただの肉塊と化した青年を見下ろす人影。
ーーーこれは復讐……。プロブロガーは存在してはならない……。
そう呟いて、人影は返り血を拭いもせずに小屋を離れ、森の中に消えていった。
そして、荒地に再び静寂が訪れた。
つづく
その一報が入ったのは、捜査員がまだ寝室で静かに寝息を立てている時だった。
けたたましく携帯の鳴る音で安眠を妨害された彼は、不機嫌な声で応答した。
例のクラインガルテンの更に奥にある荒地の小屋に惨殺された遺体を発見したのは、同じNPO職員である森という男だった。
「猿さんが朝になっても戻って来ないので、探しに来たんです。
まさかこんなことになっているとは思わなくて……。」
彼の話によると、前日の夜にお世話になっている猟師の男のところに行くと言って出掛けたという。
死因は大量出血による失血死。
鑑識の話では凶器は周囲になく、犯人が持ち去った可能性が高いとのことだった。
念のためNPOの職員らのアリバイを聴取するも、時間が時間だけにアリバイがあるものはいなかった。
つづく
ハンチング帽の男は正気ではなかったし、その妻も他人事のようだった。
捜査線上に挙がった関係者のうちアリバイが成立したのはハンチング帽の妻のみであった。
三人の乳幼児の殺害方法について、まず脳挫傷の乳児は、ロフトの上から叩きつけられた可能性が高いことが分かった、
残る二人の幼児は、切り口に残った金属粉が荒地の小屋で殺害された青年の切り口のそれと一致したため、同じ凶器であると断定された。
しかし、誰が殺害したのか、行方不明の女児の行方や殺害された男児の身元については一向に掴めなかった。
荒地の小屋の事件の翌日、捜査員は殺害された青年が会いに行った猟師の家を訪ねたが長い間不在のようで彼の足取りも掴めなかった。
その後も、山奥の殺害現場では当然ながら目撃者もなく、徒らに時間が過ぎ去るのみだった。
つづく
衰弱はしていたものの、地下室には食料や水などが十分に用意されていたようで命に別状はなかった。
女児は血まみれの服を着ていた。
照合の結果、その血痕は殺害された三人の幼児のものと一致した。
しかし、女児の体力では斧を扱うことには難しく、殺害に関与することは難しく思えた。
「おとうさんが、みんないらないって。
おおきなぼうでみんなをたたいたの。」
女児の証言能力について認められ、ハンチング帽の男は緊急逮捕された。
彼は呟いた。
ぼくはずっとブログを書いてたのです。
早く、PCを返してください。
つづく
鬱蒼とした森の中、木の枝にぶら下がる人影が静かに揺れていた。
足元には黒光りする斧が投げ捨てられていた。
人影の顔が月明りに照らされると、そこには苦痛に歪んだ老人の顔があった。
その遺骸を見上げる人影が一つ。
彼は老人が確実に絶命しているのを確認すると、そこから離れた位置に落ちている猟銃を拾いその場を離れた。
男は猟銃を抱えたまま、また森の中に消えていった。
つづく
袈裟春は発見人の遺留品から唾液の入ったペットボトルを取り出して、軽くうなづいてみせた。
【作者からの挑戦状】
犯人は誰か?
解決編につづく
解決編1
「またお話をお聞きしたいことがありまして、お邪魔させて頂きました。」
ハンチング帽の妻は、少し怪訝そうな顔で捜査員の顔を見ていた。
ハンチング帽の妻はビクッと僅かに反応したが直ぐに冷静を取り繕った。
「我々がDNA鑑定したところ、長女はあなた方ご夫婦のDNA型と一致しませんでした。
貴女はご存知だったのでしょう?」
「あなた方夫婦に三人の娘がいるというのは、周囲でもよく知られたことだった。
しかし、何故か遺体には男児が含まれ、彼もDNA鑑定からはあなた方の子供である事実が判明しました。
ゴクリと息を飲む気配を感じる。
「多分ですが、生まれた時から女児と男児は入れ替わって暮らしていたのではありませんか?
一瞬の静寂の後、捜査員はこう告げた。
そう言って彼が目を合わせたのは、ハンチング帽の妻に寄り添う信者の男だった。
つづく
解決編2
捜査員は話を続ける。
そして、取り違えが起こった。
信者の男は少し怯んだが、直ぐに元の表情に戻った。
しかし、長女と男児が成長するにつれて違和感を感じるようになった。
そして、奥さんがDVを受けクラインガルテンから逃げ出してここに来た時に気づいてしまった。
そこに事件が起こったのです。
それをもう一人の娘が見ていた。
信者の男は不敵な笑みを浮かべて口を開いた。
「馬鹿馬鹿しい。では、男児も私が殺したと?私が殺す理由がない。」
捜査員は少しうなづいてこう返した。
奥さんと一緒になるにはハンチング帽の男の分身が邪魔だった。」
信者の男は凄い形相で睨み付けた。
「彼女は関係ない!私が彼女の安息のために自らの意志でやったことだ!」
ハンチング帽の妻が何か言おうとしたが、男がそれを遮る。
「神の啓示だ。プロブロガーがいる限り、私達家族に安息はないのだから……。」
つづく
解決編3
信者の男は告白するや否や、入り口のドアを開け部屋の外に飛び出した。
部屋を出た時には、別の部屋に男が飛び込むところだった。
彼が部屋の前にたどり着いたその刹那、部屋の中から銃声が響く。
扉を開いたそこには、猟師から奪ったと思われる猟銃で自殺を図った信者の男の骸があった。
しばらく立ち尽くしていると、ハンチング帽の妻がよろよろとその骸にしがみつき嗚咽し始めた。
つづく
<エピローグ>
事件の残る被害者については、ハンチング帽の妻から事情を聞くことができた。
NPO代表理事は、長女がハンチング帽の男の実子でないことに気づいたらしく、信者の男とハンチング帽の妻を強請ろうとしたために殺害されたとのことだった。
また、猟師の男については、罪をなすりつけるために自殺に見せかけて殺したようであった。
長女は責任能力のない年齢のため、当然罪には問われなかった。
また、ハンチング帽の妻も殺害に協力した訳ではないため、共犯の罪に問われることはなかった。
しかし、気が触れてしまったようで、クラインガルテンの周りを徘徊するのを度々目撃された後、ある日崖から転落してその人生を終えた。
つづく
<リ・プロローグ>
漆黒のクラインガルテンの中で、ハンチング帽の妻は自分の人生について悲壮感を感じていた。
まるで飯炊きの女中のような扱いが続き、自分の一生はこのまま終わるのかと思うと、涙が止まらなかった。
いつか白馬の王子さまが彼女を颯爽と救い出してくれる、そう願っていた。
そして、あの日。
ハンチング帽の男は一人で外出していた。
先月、徒然なるままに「夫に隠れて寿司を食べている。 anond:20210112213223 」を書き綴ったところ、非常に多くの方から反応を戴けた。
妖怪寿司女なるなかなか的を得た、夫に自慢したくなってしまう名も頂戴してしまいとても嬉しかった。美味しいことは良い事だと常々思う。
しかしその所為で夫が出張から無事に帰宅した今日までの間に何度自分の日記を見せぬようにと我慢したかは計り知れない。
夫は然程怒らないだろうが、この美と背徳の味は私の胸に秘めておいた方がきっと幸せだろう。
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「101」は、恐らく私が初めて覚えた数字だ。青森県から秋田県へ続く文字通り一本しかない国道の名前。
私は大半の大人が漁師か猟師をしながら漁業に務めているような限界集落で育っていた。バブルも弾けた平成前半の事。
故に、なかったのだ。
節分の2月2日、家族揃って恵方を向きながら容赦ない太巻きを無言で食べる文化や概念は、北の外れに存在しなかったのだ。
だから節分とは、玄関に落花生をばら撒き、そそくさと片付け、雛祭りの前祝い程度の雰囲気でささやかな夕食を取る健康的行儀。
私は、節分の2月2日は、お小遣いでお寿司が買える。それに気付いてしまった。
企業努力の賜物である。小学生のお小遣いでも当時は恵方巻が買えたのだ。
しかも、ピンクのでんぷが入っている一番安い太巻きなら、2本買える。2本。
高級感と憧れのハッピーセットというとんでもない行事があると、当時小学生は気付いてしまったのである。
それこそ普段はちょっと高くて、輪切りになっていて、綺麗にパックされていて、なんか微妙に物足りなさもあるサラダ巻が、一年に一度の節分の日だけは威風堂々丸かぶりする事が許される。なんということか。
そのうえ「これぞ西側の文化なり」とでも胸を張って主張すれば、行儀が悪いと窘める母もなにやらおとなしくなってしまう。
そして何故か祖父がとても嬉しそうだったのをぼんやりと覚えている。
そして、現在。
恐らく夫は今日の事を
「海産物や寿司に対して並々ならぬ執念を抱いている妻による年に一度の恵方狩りの日」
とでも思っている。
概ね間違ってはいない。何年も付き合っていれば、この習性はもはや隠せる類ではない。
昼休みには「恵方巻食べれた?」とラインが来た。「夕方から出て、4ヶ所くらい確認できたら良きかな。サーモンサラダ巻、いと美味し」と返事をした。
仕事は早めに切り上げて、大型スーパー2件と小型スーパー1件、近所の個人経営の居酒屋の4件を巡り、先程帰宅した。ふと誰かが、これは増田に書けよと、耳元で囁いた気がした。
エコバッグの中を開けてみると、何故だか少し寂しくなった。
年々、中身が軽くなっている気がするのだ。
豪華な海鮮巻や奇抜な肉の海苔巻が増え、値段自体も毎年上がっているように感じた。
美味しい事は良い事だ。適正価格なら仕方が無い。
今年はウーバーイーツにハマってあまり恵方貯金できていなかったからなぁと思い、取り敢えずサラダ巻とマグロ納豆巻を用意する。
先程、夫から、職場で緊急事態が発生した為、今夜は現場に泊まるかもしれないという連絡を受けた。
会える範囲の友人たちもコロナ禍の下、確かに無言・黙食とはいえ、恵方の飲食に誘うのは気が引ける。平日都会のベッドタウンを過ぎゆく風は、まだあまりにも寒いのだ。
冷蔵庫を圧迫する恵方巻をどういう順で食らおうか、何度も何度も考えていると、だいたいの悩み事はあとでもなんとかなりそうだという気になってくる。
夫からのラインに私は大型スーパーで買ったスパム巻の写真を撮影し、夫に送った。夫は喜んでいるようだ。
しかしこのあと思い知るだろう。恵方巻はスパムだけではないことを。
深夜か明日が、夫が冷蔵庫を開けた時にいかなる反応をするか、本当にとても楽しみだ。恵方 is サプライズ。サプライズ is プライスレス。つまり恵方 is プライスレスということ。
そう考えると、なにやら不思議と強くなった気が沸いてきて、夫の不在を良い事に家事でもするかと思ってしまう。
そして、そのついでに、もう少し遅くなってから、値引きシールのついた恵方巻の散策にでも乗り出そうかと思うのだった。
サーモンサラダとサラダ巻とマグロ納豆恵方巻は、とても美味しかった。
※妖怪寿司女:寿司を食らう量は恐らく人より多い為、概ね間違ってはいない。ありがとう
※落花生:投げる豆が落花生か大豆かで戦争が起きるらしい。自分は落花生派だったが、夫は大豆派である
※99円の海苔巻:あらゆるものが値上げしていく世界で価格を維持してくれる心の友達
※桜でんぶ:桜でんぶは雛祭りと恵方巻と運動会くらいでしか見る機会がなかった気がする。美味しいし可愛いしなんだか嬉しくなる
※祖父:20人くらい乗れる船を持っていた漁師。本名は文字面が「寿司」にかなり似ている
※サラダ巻:ヘルシーじゃないのにヘルシーな気がする
※恵方貯金:今年は全くできなかったので、800〜1000円クラスの高級恵方巻を買うことはできなかった。でも毎年サラダ巻を中心に色モノ系と定番中心で高級品は買ってなかったから平気だった
※スパム巻:初めて見た
※恵方:南南東。位置的には猫のトイレがある方角の為、細かいことは考えないようにしている
※恵方巻:食品ではなく嗜好品の扱いの為、私の財布から生まれる。結果、食費が少し浮く
※恵方巡り:今年はDQウォークしながらスーパーを歩いてまわった。心から美味しく食べる為には減量大事だと思う
※マグロ納豆巻:もしかしたらこいつは恵方巻じゃなかったかもしれない
※冷蔵庫:恵方巻があると思うとわくわくしてしまい無意味に何度も開け締めしてしまう
※予約恵方:基本現物を見て美味しそうだと思うものだけ買うタイプなので滅多にしない
※居酒屋の恵方巻:今年唯一の予約恵方。お会計をする時に現物見せてもらったらついテンションが上がっちゃって「美味しそう!え、これ、めっちゃ安い!すごい!」ってはしゃいでしまった。店長が笑ってたからよかった
※恵方巻:なるべく早く食べる方が美味しいのは当然だが無理して今日中に食べきらなくてもよいので、2,3日くらいは強い気持ちでいられる
※値引き恵方:学生時代は値引き恵方が中心だったので昔の血が疼いてしまう
※恵方巻:スーパー次第では2月3日に半額で買える場合もあるが、現在住んでいる地のスーパーは2月2日のみ販売を貫いている
※恵方巻:実はあまり魚介系は買わない。漁村出身補正を抜いても、価格に対して合ってないと感じる場合が多い
※野菜:山本ゆりさんや有賀薫さんのレシピにはよくお世話になってます
※恵方巻:しかしながら改めて書き起こすととても二人暮らしとは思えぬ量である。
購入恵方
・サラダ巻 298円
源さん 長さん 清さん 丈さん
を相互に認識できる状態 ローカルネットのIPみたいになってたら相互参照できる
源さん 長さん 清さん 丈さん 仁さん 巽さん
「あのとなりまちからきた仁さんよ」
「あの人仁さんっていうんだ 背がたかいよね」
「いやそれは巽さんだ あの人山向こうからきたらしいよ」
「それって仁さんのこと?」
「いや巽さんが山向こうからで 仁さんは海を渡ってきたらしい」
「なるほどそれで日焼けしてるんだね」
「日焼けしてるのは巽さんのほうだろ」
「だから巽さんの話してる」
「まあそれはおいといて その仁さんなんだが」
このやり取りがローカルネット広域になったとき全員周知か「全員を管理している人」が必要になるよね
管理者なしに出入りがあればいつのまにか仁さんがふえてたり巽さんが消えてたりするわけで
いきなり消えるかもしれない人にお金は貸せないし一日家に泊めたりもできないし家畜の小屋を見張らずに寝れないよね
そうすると最小のコミュニティ情報範囲から外部に所在を確認できるグローバルな呼称が必要になるよね
「海向こうの」仁さんとか「隣町の」巽さんとか
もちろんそれがその土地でも 追跡先でも同じ呼称でおなじ対象に到達できて それを参照する管理者が必要
海向こうの が 海渡 に変わったから苗字ではなかったものが苗字がついたといえばそうなるかもしれないが名前に補足がついてるのが苗字というポジション的にいえば 移動があると苗字がいるということになる
現地の人も呼ばないだけで場所や歴史の予備知識があってそれが苗字になるといえばそうなるかもしれないけど 市外局番略して電話番号かいてる看板とおなじ その地域だと呼ばなくてもこまらない なので実質ないのも同じで済む 外部からの流入があるまでは
流入の頻度が低ければ結果として 新規の受け入れの初期段階だけ外部の個人に苗字的な補足が必要だけど長期的に「移動しない同郷」が定着すると 苗字が必要なくなるよね
政治なんて単純化すれば、AとBどちらがいいかという選択の繰り返しなわけだが
「Aにはこんなメリットがある」「でもAはこういうデメリットがありますよね」「それを言ったらBだって」……と議論を続け、AとB両方のメリットとデメリットが出揃った後は、『それでも僕はA(B)がいい』という主観と感情による戦いに行きつく。
そもそもなぜAとBで意見が対立するかと言えば、感情的にAが良いと思う人とBが良いと思う人がいるからである。その感情のひとつに「得をしたい、損をしたくない」という利己的な欲求があげられる。
例えば、農家は、キツネを撃つことで鹿が増え農作物が荒らされるのを危惧して、キツネの狩猟を止めること求めるかもしれないが、猟師は食い扶持のためにキツネを撃つだろう。キツネ狩猟のメリットやデメリットは他にもあるだろうが、それはさておき農家と猟師の対立は感情的な理由に基づくのである。そしてこの感情的な対立に正しい答えというものはない。この答えのない争いを仲裁するのが法である。政治を利害の調整とする見方はここにはじまる。IRはモロに利権が絡む問題だ。
究極的に、全て突き詰めてしまうとこの世に答えなど一切ない。答えを出すためには、ある価値観に基づき、どちらがより良いかを判断するしかないが、何を価値基準にするかというのは話者の感情によって決定する。『政府から適正に合わせた仕事を与えられ、適齢になると出産を要請され、老いると死を促される、少子化も高齢化もない代わりに自由は一切ない』という社会の是非を問うとき「生産性の高い社会こそ素晴らしいから賛成だ」と答えるにしても「自由な社会こそ皆が幸せに暮らせるものだから反対だ」と答えるにしても、そこに自己の主観的感情的判断を引用しないことは不可能なのである。
幼いころの記憶は、2歳ぐらいから残っている。初めて乗った三輪車、初めていった遊園地でのヒーローショー、流行に乗って買ってもらったローラースケート、ファミリーコンピュータ。皆覚えている。
幼稚園の頃には、既に自分が他者とは異なる存在であることを認識していた。
幼稚園でやることは何もかもが退屈だった。何度同じことを教えてもらっても文字を読めない、たとえひらがなであっても自分の名前を書けない。そんな同い年の園児達に辟易していたし、先生の言うことも最終的に言いたい・結論の読める、そんな通り一辺倒の話しばかりで、毎朝幼稚園に通うバスに乗る時には苦痛を感じていた。
ある日、そんな苦痛の発生源から「近所の公園で落ち葉拾いをして、その落ち葉でちぎり絵を作りましょう!」と言われた。他の園児たちは落ち葉をかなり細かくちぎって、造形でギリギリ判別できるかどうかの「おさかなさん!」「おはな!」「おかあさん!」といったの作品を作って先生に持って行っていたが、俺は「いやいや、落ち葉で作るんだから落ち葉である事を活かせよ」と思い、少し捻くれた形をしたカエデの落ち葉を1枚と、他にも大量の落ち葉を拾って、「人喰いおおかみをやっつけた人が、その証としておおかみの右手をバイクに積んで村に戻っているところ」という作品を作った。
作ったちぎり絵を先生に見せた時、「これは・・・バイク?・・・と・・・手?」という反応をされたので、それは人の手では無く、怖くて悪い人喰い狼だと説明した。その際に俺は「これは他の人間にも説明が必要だな」と何故かひとり勝手に確信し、画用紙に黒のクレヨンで物語を描き始めた。最初は延々と文字だけで説明していたが、文字だけだと寂しいので、余白に挿絵もつけた。
「悪くて怖い人喰い狼が現れて困っている村人たちのところに、腕利きの猟師がやって来て・・・」という、何とも陳腐な筋書きではあるが、画用紙を10枚以上使ったと記憶している。
俺のちぎり絵と物語は幼稚園で話題になり、その年のお遊戯発表会の題材にもなった。先生は「やっぱり主役の猟師役は増田君がやるべき」と言ってくれたが、主役はガキ大将のS君に決まった。かけっこなどの身体を使う類いのことはからっきしだったので、俺はそれで良いと思った。
発表会は結構うまくいったようで、いつの間にか俺の「作品」達は、「画用紙に書いた物語と一緒に区役所に飾ろう」という話まで出て来ていた。
その事で幼稚園側と区役所側の担当者が何度か話し合いを持ったようだが、結局絵だけ飾る事になった。
区役所に絵を飾る事になるまでの一連の話を幼稚園から説明された両親は、たいそう喜んでくれた。
両親は平凡だった。見合いで結婚し、中庸であることを良しとし、毎日を善良に暮らし、一人息子である俺にもしっかりと愛情を注いでくれる。そんな両親だった。
ただ、そんな両親が、幼稚園側が区役所の絵画の話を交えつつ、「増田君は本当に優秀です。才能があります。小学校は是非とも私立を考えられては・・・?」と強く推した途端、「いえ、結構です。ウチは公立の小学校に行かせます」と、頑として譲らなかった。理由はわからない。金銭的な問題だったのかもしれないし、中庸を良しとする生き方に反していると考えたからかも知れない。
俺は単に「人間関係をリセットして、見知らぬ土地でまたイチからやり直すのは苦痛である」などとぼんやり考えており、小学校は地元の公立のほうが良いように思えた。
幼稚園の中に友達と呼べるような存在はいなかったと思うし、毎朝の通園バスも苦痛ではあったが、それでも何とか周囲の人間の為人を把握して対応方法をほぼほぼ確立していた矢先の話だった。小学校とやらに行く事になれば、公立でも私立でも「周囲の人間の数」は増えるのだろうが、私立でゼロから再構築するよりは公立のほうが幾分マシだろうと思っていた俺は、そのように両親に伝えた。
両親と俺の希望が一致していたので、当然小学校は地元の公立小学校に入学することになった。
小学校に入っても、特に俺自身の変化はなかった。小学校に入ると本格的に「勉強」というカリキュラムがはじまったが、先生が言っている事を聞いて、板書をして、家に帰ってから宿題を済ませた後に復習・予習をしていれば、テストの点数は取れた。
この頃になると、自分の状態を客観的に捉えた上で、自身についての考察ができるようになっていた。
俺は結論として、「俺は天才である」と考えた。井の中の蛙どころの騒ぎではない。加えて、空の青さも知らないとなればもはや滑稽を通り越して害悪であるが、俺の周囲には俺より優れた学力を持つ者も、俺を諫めようとする者もいなかった。
言い訳がましいが、物差しが少ない小学生の時分である。「学力」という物差ししか持っていなかった俺は増長し、慢心し、周囲を哄笑した。将来は俺のような人間が、東京大学のような「賢い一流の大学」に入って、「でっかい一流の会社」に入社して、いずれは社長になって世の中を動かしていくと、本気で思っていた。
何より、公立の小学校は毎日がヒマだった。普段から見下している同級生とは、恐ろしいぐらいに会話がかみ合わなかった。俺にコミュニケーションスキルがあれば、「会話をあわせに行く」「自分の会話ができる場を作る」といった芸当も可能だったかも知れないが、ご多分に漏れず俺はコミュ障だったし、そもそも会話を合わせるという発想もなかった。
「名のある企業に入れる」「いずれは社長になる」などと思いこんでいるような人間がコミュ障というのは、その時点でもう既に色々と破綻しているような気がしないでもない。
ともあれ、この頃の俺は毎日退屈な授業とかみ合わない会話をする為だけに、日帰りの監獄に通っていた。全国の小学生がこの地獄を味わっているとするなら、文部省は滅ぼさなければならないと本気で思っていた。その為に文部省に入って俺がこの国を変えてやるんだと、鼻息だけが荒い小学生だったと思う。
─────「良い会社」に入るには「良い大学」に行かないといけないらしい。
─────日本一の大学は東京大学というところらしいが、真の天才であるならば京都大学に行くらしい。
そんな情報を入手したのは、忘れもしない、小学4年生の秋頃である。いかにも小学生が摂取しそうな、狭い世界のテキトーな話である。だが俺は何故か純真無垢にその与太話を信じた。つまり、「将来は絶対に京都大学に入ろう」と思った。
そこから俺は色々と京都大学の情報を収集しはじめた。「学部」など、小学生の俺の辞書には登録されていない概念に触れる度に興奮しつつ、どうやったら京都大学に入れるのか?という情報を求めて方々に聞いて回った。まず一番初めに、俺にとってもっとも身近な「大人」である両親に「どうやったら京大に入れるのか?」と尋ねたところ、「知らん」と言われて会話を打ち切られてしまった。仕方なく学校の先生などに尋ねたりしていたが、小学生の調査能力などたかが知れており、当時はまだインターネットなども普及していなかったので、俺の京都大学情報収集はかなり早い段階で終止符を打たれることになってしまった。
しかし、京都大学に入れたとしても、大学入学までは今からでも約8年かかる。京都大学に入る方法とは別に、一刻も早くこの日帰り監獄から抜け出す方法はないものか・・・と模索していたところ、どうやら「私立中学」というところに通えば俺の退屈な生活におさらばできるようだという情報を得た。
日帰り監獄の看守たる先生も、たいそう熱心に「増田君は灘中学か東大寺学園に行かせるべきです。」と言ってくれた。特に小学6年生時の担当看守だったK先生は熱心で、何度も両親と懇談して、俺を私立に行かせようとしてくれた。
だが、ここでも両親は「ウチはあまり裕福ではなくて・・・。本人は成績も良いので、公立中学から北野高校にでも行ってくれたらいいと思っておりまして・・・。」と、俺を私立中学に進学させることは明確に拒否した。
看守は
「経済的に難しいと思っておられるなら、公立中学以下、なんなら増田君の学力ならおそらく無料で通える」
などと食い下がったが、両親は「もう公立に決めてますので・・・」と固辞した。
この頃になると、小学生の俺でもさすがに両親の言動に疑問を覚えるようになった。両親は「経済的に困窮しているから私立は行けない」の一点張りだったが、看守は「困窮していても通えます」という。イヤさすがにそれはちょっとヘンだろ、矛盾してるだろと思っていたが、当時の俺はそこまで頑なな両親を説き伏せてまで日帰り監獄から抜け出したいとまでの強い意志は持ちえなかったし、天才・秀才・英傑達と机を並べて学びたいという願望も希薄だったし、それらの一連の俺の態度が招くであろう結果も、特に深くは考えてはいなかった。
当時の両親の真意が奈辺にあったのか、今となっては分からない。草葉の陰から、声は聞こえない。
そうして地元の公立中学校に入学した俺は、特に変わり映えのしない日帰り監獄生活を送っていた。そんな俺だったが、中学生活の半ばに差し掛かろうという頃・・・具体的に言うと全国模試を受けたあたりで、「んん?あれ?・・・どうも俺って天才じゃないな、これは・・・」と薄々感づき始めた。全国模試の偏差値が出るからである。
そりゃもちろん、俺の偏差値は全国平均より遥か上には位置しているのだが、自分なりに努力をしてみても、偏差値的に灘高校にも東大寺学園高等部にも届かないという事実を突きつけられた。これは結構俺にとってはショックで、小学校の頃は「余裕で入れる」と言われた灘にも東大寺にも入れないという事実は俺に重くのしかかった。「このレベルの高校が無理なら、こりゃ京大や東大なんて夢のまた夢だろ、どうしよう・・・俺の人生、どうなるんだろう」と、本気で思い悩んだ。
悩みぬいた俺は中学2年の夏、両親に「塾に行きたい」と言ってみた。しかし結果はやはりというか順当というか、頑強に拒まれた。曰く
「成績がいいのに何故」
「塾はお金がかかる」
「家でも勉強はできる」
小学生の頃の俺なら諦めていただろうが、中学生になっていた俺は己の目標を達成する為に食い下がった。模試の結果を伝え、行きたい大学がある事、だが自分の今の成績ではそこに至ることができない事、自宅での自己学習には限界がある事などを説明した。
また、塾が無理なら定性的定量的に評価が可能な代替案の提示をせまった。塾の代金は高校に行ったら必ずバイトして返す、なんなら今から新聞配達をして払うと、土下座までして塾に行かせてくれとせがんだ。
半年ほど前に未亡人となった母はなんだかやつれて見えたが、当時の俺は塾に行けることが嬉しくて嬉しくてしょうがなくって、あまり母親のことを注意深く見ることはできなかった。今思えば、当時の母は様々な事に疲れ切って倦んでいたのだと思う。塾に行く許可も、根負けというよりかは思考放棄といったように俺には映った。
そんな母を尻目に意気揚々と進学塾に入った俺は、成績順のクラス分けで上から2番目のクラスに入れられた。正直、体が震えた。自分よりはるかに勉強ができる人間が、天才が、焦がれる存在が、今まさにすぐひとつ上のクラスにいるとリアルに感じられるのである。そして、その人間たちと同じ程度の授業を、自分も受けることができるのである。これがアニメだったら俄然燃えるBGMが聞こえてくるようだった。実際、あの時の俺には、何かが聴こえていたのだろう。俺は一心不乱に机に噛り付いた。机に歯形があるんじゃないのってぐらいには噛り付いていたと思う。
その甲斐あってか、入塾後すぐのクラス替えで、あっさりと一番上のクラスになれた。ここで俺は生まれて初めて、圧倒的な勉学の才能をもった人間、すなわち「天才」と直に出会った。それも一人や二人ではない。そんな輝ける才能がひとつの教室に雨後のタケノコのようにポコポコと存在している、そんな環境で学べるという喜びにも出会った。
毎日がただ楽しかった。自分は天才ではないのかも知れないけど、努力すればちゃんと数字が、成績がついてきてくれた。
幼少の頃、毎朝幼稚園に行くバスの中で感じていた苦痛や、小学生の頃に感じていた疎外感は、もう無かった。
高校は公立の北野高校というところに入った。維新の橋下弁護士とか、日本マクドナルドの創業者の藤田田(ふじたた、ではなく、ふじた・でん)とか、漫画家の岡田あーみんとかが通っていた高校である。
本当は東大寺学園に行きたかった。学力や模試の偏差値は足りていたと思う。赤本の自己採点でも余裕で合格圏内だった。だが、中学3年時に入塾した際に母親と交わした「高校は絶対に公立高校にする事」という約束を守った。その約束をした時点では「受験までにどうやって説得するか・・・」などと考えたりもしていたが、塾での公立中学では考えられない授業スピードについていけたことや、並み居る才能たちと交わした会話の中で、「公立高校からでも京都大学は狙える」という感触を、俺は確かに掴んでいた。
中学の頃はあまりよく理解していなかった奨学金制度は、高校に入ると同時に申請した。家計を理由に俺の私立進学を拒んだ母親は、中学時代に俺の奨学金を申請していないこともその時に知った。俺はそんな母親を信用せず、奨学金の申請手続きを自分自身で済ませた。
北野高校の授業の質は高いと思った。だが俺は油断せず、予備校にも通うことにした。私立中学入学組の連中は、少なくても俺より3年は早く走り出している。そいつらに追い付くには、そいつらと同等、いやそれ以上の勉強が必要であると思ったからだ。
俺は詐欺師丸出しの口調で「高校の学費が浮いたんだから、もともと払うつもりだった学費は予備校に回してほしい。予備校とバイトを完全両立させるのは時間的に難しい。学力的に、俺は中学までの借金がある状態。プラスに転じるには積み上げるしかない」などと母親に申し入れたところ、すんなりと受け入れられた。
この頃になると、奨学金の申請だけでなく、家の中の一通りの事は全て俺がやっていた。
「自分でできるようになったから」というのももちろん理由としてはあるが、母親が炊事・選択の家事全般を筆頭に、日常生活の様々な事をほぼ全て放棄してしまっている事のほうが、より比重の大きい理由だった。母親が予備校行きを認めたのも、「認めた」というよりは「俺が『予備校に行きますよ』と報告した」といった表現のほうが正しいように思う。
俺が小学生や中学生の頃には確かに存在していた、「理由なぞはよくわからないがとにかく自己の主張を持って論陣を張る頑強な”母”たる人間」は、もういなかった。朝起きて、TVをつけて、ご飯を食べて、夜眠るだけの人間がそこにはいた。
家計はほぼほぼ俺が全部見ていた。入ってくるカネと出ていくカネを計算して大幅なマイナスにならないと言う事だけを気にしていたので、一般的な家計管理よりはラクだった。現に、今つけている家計簿よりは簡単だったように思う。父親の遺した資産が多少あったので、その管理も俺がしていた。
高校生活は楽しかった。学力差のある人間を十把一絡げにして地域ごとに押し込める日帰り監獄では味わえない切磋琢磨がそこにはあった。同程度の学力を持つ者同士が集まった結果としてのシナジーがあった。今までは暗い色で塗りつぶされていた「学校での生活」に色が付き始めた。毎日学校に行く事が楽しかった。対照的に、毎日家に帰るのが億劫になり、やがてそれは苦痛に変わり、それに伴い、家の中が暗い色で塗り潰されていった。
昔、母を名乗っていた人間は炊事もしないので、学校帰りは毎日スーパーに寄り、食材を買い、俺が晩ご飯を作った。予備校のない日は二人で食事をするようにしていたが、食事中に会話のようなものはなく、TVから流れるバラエティー番組の下らないやりとりだけがBGMだった。ご飯の味はしなかった。たぶん、母だった人も、ご飯の味はしていなかったと思う。
もしかすると、家から目を逸らそうとして、無理に高校での生活が輝いていたんだ、良かったんだと自分自身に言い聞かせているだけなのかも知れない。我が事ながら、この頃の記憶は妙に混濁している。
大学入試は当然のように京都大学一本にした。学力も模試結果も問題無いと判断したし、何より俺には京都大学以外の大学に通う価値を見出せなかった。入学できるまでは何浪でもするつもりだったが、幸いにも現役で合格することができた。
ひとり身になったから身軽だったし、しばらく大阪から京都大学に通ってみたものの、さすがに京都の外れまで毎日通うのはちょっと辛いなと思った。何より、暗い色で塗り潰された、大阪のあの家に帰るのは嫌だった。もうTVの音は聞こえなくなったけど、あの家で目をつぶって眠るのが、怖かった。
大阪での様々な残務を片付けると、それらの結果や、これからの事、感謝の気持ちなどを両親の墓前に報告して、俺は京都に移り住んだ。
後編に続く
それこそ完全に歩合給のカモ猟師じゃん
明治初期に成立したこの文学には令和にもフォロワーが多く、人気ジャンルとなっている。
物語のキャラクター性にデカパイを加えるだけで千変万化するこのジャンルへの関心はなおさら高くなっている。
さて作劇の都合上、ここで二人の猟師が登場する。
ある2人の若い淑女が猟犬を連れて山に狩りに出掛けた。しかし、待てども暮らせども何の獲物も出てこなかった。
あまりの山の奇妙さに、案内人とははぐれ、猟犬は泡を吹いて倒れてしまう。
「何の獲物も捕れず、犬も失うとは大きな損失だ」と下山を決意した2人の前に、突然、立派な洋館が現れる。
「ただでうまい料理が食べられそうだ」と腹をすかせた2人は「デカ乳亭」の中に足を踏み入れたのだった。
入った2人を待っていたのは「デカパイや若い人は大歓迎」という看板。これを見たナイチチは「これはセクシュアリティへの差別であり、到底容認できるものではない。裁判にて決を取ろう」といい、腹が減っていたデカパイに連れられる形で踏み込んだ。
進んでも進んでも店の中は広く、なかなか奥までたどり着かない。
そのうちに「髪をとかして泥を落としてください」「鉄砲を置いてください」「服とブラとをお脱ぎください」などの指示が現れた。
「これはよほどエロい人が来ているに違いない」と都合よく解釈し、指示通りにしていく。
しかし、最後の指示は「二人でバージンオイルを塗り合え」というもの。
さすがの2人も自分たちがレズビアンを強要されていることに気づき、作品のコンプライアンス的問題に気付いてガタガタ震えだす。
おしまいには淑女百合を見れなかった猫が喚いて終わると言うものである。
こうしたデカパイ小説は30分ほどでかかれることも多いため、荒が多い。
しかし、そうしたあらを愉しめることがデカパイ文学者には求められる資質である。
以上。
ある日、この世で一番かわいい真っ赤ずきんちゃんのお母さんが、絶世の美少女真っ赤ずきんちゃんに言いました。
「ありえんレベルでデカイおばあさんに六万キロの激甘お菓子と度数百億度のガチすごいぶどうしゅをなるはやで届けておくれ。クソ寄り道をしてはいけませんよ。」
「超マジわかったわ。」と、爆裂かわいい赤ずきんちゃんはそういってさっそく光速でバカでかいおばあさんの山みたいにデカイ家に音速ででかけました。
クソバカデカイぐらいデカイおばあさんは大陸並みに広い激ヤバい森の奥に三億年住んでいます。
超かわいい真っ赤ずきんちゃんがこの世の終わりぐらい広い森の入口に着いたとき、見上げると首が折れるレベルでデカイ狼が出てきて、
「ありえんくらいかわいい真っ赤ずきんちゃん、超巨大なしみったれたおばあさんの所に行くんだろう。それなら、1677万色ぐらいある花をバカみたいに摘んで行きなよ。」
ガチ海くらいデカくて広い森には、九億本の鬼大量の花がこれでもかと狂った量咲いており、
情熱のマジ真っ赤ずきんちゃんが、クソ寄り道をして花を二トン摘んでいる間に、超悪どい性悪クソ狼は世界一デカイしみったれたおばあさんの所に行きました。
そして、下手な星よりビッグなおばあさんをマッハでぺろりと飲み込んで、引くぐらいデカイベッドに五千回潜り込みました。
爆裂真っ赤ずきんちゃんが、超絶大サイズの惑星おばあさんのマジめっちゃ銀河オブ銀河な家に着きました。
やたらめったらものすごいデカめのおばあさんはベッドに寝ていました。
「デカおばあさんの耳は滅茶苦茶に大きいのね。」
もはや赤そのもの真っ赤ずきんちゃんが聞くと、とち狂ったデカさのおばあさんに化けたこれまたクソデカバカ狼は、言いました。
「耳が壊れるくらいバカ大きなお前の声を聞くためさ。」
「目も月みたいに大きいのね。」
「お前をめっちゃすげーよく見るためさ。」
「どうして口がそんなにガチで大きいの。」
「それはお前を超早くもりもり食べるためさ。」
めっちゃ悪い狼はそういうと、鮮烈な真っ赤ずきんちゃんをぺろりと超簡単に神速で飲み込んでしまいました。
その時、一人の史上最強のバカ強い猟師が超近くを通りかかり、バチクソでっかいおばあさんのさらにデカイ家の無駄に広い庭で、絶凶悪なクソ頭悪い狼が意味わからんくらいぐっすりと眠っているのを見つけました。
「ありえんデカみのおばあさんを食べたな。」
爆裂強い猟師(マジで強い)はそういうと、腹も超デカくなった狼のお腹をたぶん八光年ぐらいあるはさみで粉々に切り刻みました。すると、まずズバ抜けてかわいすぎる史上最高真っ赤ずきんちゃんが出てきて、続いて山よりデカイおばあさんもズルズルクソ汚いなんか変な液と一緒にエグい感じではいだしてきました。
超最強のスーパー猟師はかわりにザコバカ狼バカのお腹に、キチガイみたいに九万メートルの岩石を九千万個つめました。
マジアホな狼は目がさめると、そばに超至近距離でマジギレのピキった猟師がいるので、あわてて超ダッシュの死ぬ気フルパワーで逃げ出しました。 でも、お腹に五兆トンの石が入っているので、うまく歩けず、バランスを一万回回転するぐらい崩しクソ馬鹿デカイこの世の終わりみたいなエグ深い川へ高速落下してしまいました。 伝説級のかわいさ爆発の真っ赤ずきんちゃんは、ガチで引くほどデカイ胃液ネトネトおばあさんに言いました。 「もう無駄に広い森で寄り道は絶対二度と神に誓ってしないわ。この世の悪を煮詰めたような狼に死ぬほど食い散らかされちゃうものね。」