政治なんて単純化すれば、AとBどちらがいいかという選択の繰り返しなわけだが
「Aにはこんなメリットがある」「でもAはこういうデメリットがありますよね」「それを言ったらBだって」……と議論を続け、AとB両方のメリットとデメリットが出揃った後は、『それでも僕はA(B)がいい』という主観と感情による戦いに行きつく。
そもそもなぜAとBで意見が対立するかと言えば、感情的にAが良いと思う人とBが良いと思う人がいるからである。その感情のひとつに「得をしたい、損をしたくない」という利己的な欲求があげられる。
例えば、農家は、キツネを撃つことで鹿が増え農作物が荒らされるのを危惧して、キツネの狩猟を止めること求めるかもしれないが、猟師は食い扶持のためにキツネを撃つだろう。キツネ狩猟のメリットやデメリットは他にもあるだろうが、それはさておき農家と猟師の対立は感情的な理由に基づくのである。そしてこの感情的な対立に正しい答えというものはない。この答えのない争いを仲裁するのが法である。政治を利害の調整とする見方はここにはじまる。IRはモロに利権が絡む問題だ。
究極的に、全て突き詰めてしまうとこの世に答えなど一切ない。答えを出すためには、ある価値観に基づき、どちらがより良いかを判断するしかないが、何を価値基準にするかというのは話者の感情によって決定する。『政府から適正に合わせた仕事を与えられ、適齢になると出産を要請され、老いると死を促される、少子化も高齢化もない代わりに自由は一切ない』という社会の是非を問うとき「生産性の高い社会こそ素晴らしいから賛成だ」と答えるにしても「自由な社会こそ皆が幸せに暮らせるものだから反対だ」と答えるにしても、そこに自己の主観的感情的判断を引用しないことは不可能なのである。
メリットとデメリット(あとコスト)を数値化して評価するところまで踏み出さないからそうなる
定量したところでどのパラメーターを評価するかというところが結局感情に委ねられるんだよ 最大多数の最大幸福を選ぶことに理由はあるか?と聞かれたら、感情ですとしか答えられな...
社会の是非を問うとき「生産性の高い社会こそ素晴らしいから賛成だ」と答えるにしても「自由な社会こそ皆が幸せに暮らせるものだから反対だ」と答えるにしても、そこに自己の主観...
「個人は自己の幸福増進を基準として選択をする」という前提を置き、個人個人(民衆)の感情にどちらが良いか問う。議論による決定ではなく多数決による決定だ。 つまり民主主義にお...
民主主義では民衆の大半を騙せさえすれば愚策が通るというのはその通りだし その結果、「民衆を愚かにすること」が政治家のインセンティブになるっていう構造的欠陥はあるよ
効用理論も知らないバカは社会に口出しするな