はてなキーワード: 火の鳥とは
1/2週目
ケーブルテレビSTBでは見られない場合があるようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・03 ゲーテ
・04 火の鳥
・07 京子
・08 夢(をたくして
・09 [近似値]622
・13 家綱 いえつな
・16 20[チーム
・18 [英語]チャプター
・22 土方歳三 ひじかたとしぞう
・25 夢枕獏 ゆめまくらばく
・26 [3択]第 十一 章
・27 メディチ(家
・29 [あずき]大納言 だいなごん
・33e [2択]ハリ モグラ
3日前ジジババ従兄弟と行ったのが楽しかったのでもう一度行きたいらしい
鹿が見たい、山で食べたレストランにもう一度行きたいと
朝飯を食うて出かける準備をする
JRと近鉄どちらも時間はさほど変わらないので普段使うことがない近鉄にした
京橋駅に火の鳥が停まってた、これに乗りたいと駄々をこねる、全席完売、急行に乗る
奈良公園到着、鹿がうじゃうじゃいる
鹿せんべいを買ってやった、キャッキャ叫びながらせんべいを放り投げる。かわいい
人が食うても構わないと教えてやると最初は怖怖舐めたがそのうちにうまいうまいと残り全部自分で食うてしまった
鹿が恨めしそうに寄ってくる、追加購入、半分は息子が食う
最終的には4束買わされた
そんな事をしながらなんとなく春日大社の参道を歩いていると行例停滞してきた
まずい戻ろうと振り返ると既に後方から人並みが押し寄せ引き返すことが不可能に。
そのまま参詣せざるを得ない状況になった。
息子が沿道屋台の700円の綿飴をねだる
原価10円もしないものは買えない
後日しかるべき店で経済合理性が理にかなった綿飴が見つかれば購入してやる
適切な消費行動、我慢、選択ができなければ資本社会の奴隷になるぞと教育
奈良満喫、息子念願のレストランは場所不明、山の方だと言うが、知らんがな、ちゃんと店名を覚えておけ、闇雲に歩いて見つかるわけが無い
5才児の世界は小さい
山上に到着、遊園地は冬季休園、周辺を散策、寒い、大阪の町を見渡せる
息子は満足、帰る
火の鳥にどうしても乗りたいと蒸し返す
そのうちそのうちと誤魔化す
風呂に入って寝る
夜、近鉄予約サイトを見ると翌日ベストでグッドな時間にポツンとひと席だけ空席があった
予約ぽちっとな
1月3日、火の鳥に乗車
伊勢神宮まで行っても仕方がない、難波から大和八木まで乗車、30分で十分だろう
座席は先頭車一番前だった、予約したときは気にしなかったがなんだこのラッキー、ひと席しか無いので息子が座り俺は横で立つ
乗車前駅員に確認し未就学児の息子の分の乗車券も購入している、駅員に聞いたら特急券は不要とのこと。
検札など来ないことはわかっているがこういう細かい不正やズルは嫌いなのだ。
大和八木で乗り換えて京都へ、二階建て特急の二階席指定も取ってある
昼、京都到着、そのまま大阪に帰るにはまだ早い、さてどうするか、ノープラン。
腹が減ったがマクドナルドしか開いてない、正月からハッピーセット
京阪石山坂本線に乗り換えて終点の石山寺まで、二両編成、河川敷で少し遊ぶ
行き当たりばったりの旅も楽しいよね
小さな駅と小さな列車に息子喜ぶ、山麓で川岸の石山駅は風情が良い
びわ湖浜大津駅から京都市内に抜けて帰る想定だが改札を抜けずに折り返したら不正乗車になるので一旦改札を抜ける
周辺を散策
近くにケーブルカーがあるんだ今度乗りに来ようねと言うと
今日乗りたい、今すぐ乗りたいと言い出す、15時、時間的にギリかと
10分ほど歩いてケーブルカー乗り場に到着。15時半
山上に連絡バスがあり反対側のロープウェイまで行けると教えてもらう。
Googleマップで見るとケーブルカーの降り場からバス停まで結構距離がある
駅員からも頑張って歩かないと間に合わないとアドバイスされる。
息子はスマホでゲームをしている、てめぇが乗りてぇつーたんだろうが、景色を見ろ景色をと叱りつけるとチラ見して「見た」だと。これだから乗り鉄は嫌だ
山上に到着、寒い、16時、日が暮れ始めている、あれ?ちょっとヤバい?
急いでバス停に、徒歩10分と書いてある、延暦寺には興味はないのでパス、てか時間が無い
バス停手前が長い登り坂になっているのだけど坂の途中でバスが走り出すディーゼル特有の排気音が聞こえたので少し焦る。
乗客はわりと居た、外国人の男がバスの運転手に「ちょっとまってくれ、妻がぁ」
女がひぃひぃ言いながら坂を登ってきていた、セーフ
そんなこんなでバスは5分ほど走り叡山ロープウェイ比叡山頂駅に到着
ロープウェイは最終便。既に薄暗い
ロープウェイを降りてケーブルカーに乗り換える、これも最終便。既に日は暮れていた。客は結構いた
息子「世界が見渡せるすごい、あの辺が鉄道博物館に違いない、あそこに夢のEF55があるんだ、今度行こうね」
世界はそんなに小さくは無いぞ
ケーブルカーの車内に建設当時の工事写真が展示されており、息子は屋根なしむき出しの無蓋車がツボにハマったようであれに乗りたいと言い出す。
無い、無いものはない諦めろと諭す
息子は、大金持ちになってこの会社を買収して実現すると宣言、おう頑張れ
ともかくケーブルカーで麓まで降りる、正直山上では若干ビビっていた、真っ暗だし
自分一人ならどうにかなるが親として5歳の息子の安全を担保する責任がある
行き当たりばったりが過ぎたと反省
ともかく麓まで降りればあとは金の力でどうにでもなる
さてこっから京都市内に戻るにはどうすれば良いのか、すぐ近くにバス停がある。
もう少し早ければバスを乗り継いで四条大宮、嵐電、嵐山、阪急のコースだが流石に無理
既に17時
地図を見たら近くに鉄道があった。叡山電鉄叡山本線、たぶん俺も初めて乗るやつ
八瀬比叡山口、改札機も無い小さな駅で待っていると一両のかっこいい列車が来て息子発狂
どうやら8編成のうち1編成だけ特別な観光列車に車体改造されておりこれに大当たり
息子は大興奮で飛び跳ねている、かわいい、3分ほどで冷めてスマホに戻る
始発駅なので余裕で二階席をゲット
パパはホーム側下階席の方が好きなんだけどなぁ、まぁいいや
19時
ママ怒ってる
相当な距離歩いたが途中グズらなかった、成長したなぁ
他所様のキャラクターをパクリ扱いする前に自分がそのまんまのパクリ連発じゃねーか。
フシギダネ→🐸
バタフリー→🦋
スピアー→🐝
ポッポ→🕊
ラッタ→🐀
フーディン→フーディーニー
サワムラー→沢村
レディバ→🐞
ドータクン→銅鐸
オドシシ→🦌
うーん……人のパクリを責める前にまずは自分のパクリについて反省すべきだね。
動植物をカートゥーンに上手く落とし込んでいるキャラクターもいるにはいるが、元の動物のデザインをそのまま流用しておいて「これオリジナルなんでパクらないでください」は流石に苦しいだろ。
人様にパクらないでと頼めるに足る最低ラインのオリジナリティに達してると胸を張って言えるキャラクターだけ作ってるならともかくさあ……。
誰でも思いつくようなものを作っておいて「これなんか俺のに似てるんだけど💢」は例の事件の犯人と同じことしてね?
まあ火をつける所までいかないうちはセーフだけど、オリジナルであるという主張が通らなかったときに暴れ出したら同じレベルやぞマジで?
令和6年能登半島地震とガザ人道危機が痛ましかったので、それぞれに1万円ずつ募金した。
以前調べたけれどヒットしなかった気がするな。そう思いつつ、「училищен час по физическо възпитание 1970」、つまり「体育の授業 1970年」と検索したところ、次のサイトがヒットした。
https://uchiteli.bg/interesting/chasovete-po-fizichesko-vyzpitanie-prez-80-te-godini/2508
明確にブルマー姿の女の子が確認できる。そして、時期は1980年代と書かれている。
記事にはこんなことが書いてある。
Девойките с черно или синьо трико и бяла тениска.
翻訳するとこうなる。
このように、ブルガリアでは黒か青のブルマーが着用されていたことがわかる。また、ロシア語語などの他のスラブ系の言語のように、レオタードとブルマーを区別する語彙が無いのかもしれない。ただし、レオタードと訳された言葉は「трико」であるが、ロシア語では同一の言葉で表現される水着を翻訳すると「бански костюм」(banya kostyum)で、これは別の言葉だ。「костюм」がスーツを意味する。「бански」だけでも水着を意味するようだが、音の響きからして入浴するに関連する言葉だろう。現に風呂は「баня」(banya)だ。
https://www.bgspomen.com/2016/07/4-80_19.html?m=1
グーグルで画像検索すると、類似した画像が出てくるが、それをたどっているとこういうサイトを見つけた。
冷戦時代、ブルガリアの学校ではブルマーが採用されていただけでなく、ビキニで泳いでいた生徒もいたようだ。日本の学校では考えられない。
https://ouhristobotev-mezdra.com/sport.php
(男の子にみえる子がブルマーをはいているようにも見える写真があるが、画質が荒いのではっきりしない)
こちらはブルガリア語のサイトだが、ソ連というかロシアについて扱っているようだ。
まだ見つけられていない。戦間期の運動について扱った記事がヒットしたくらいだ。
ttps://adevarul.ro/stiri-locale/alba-iulia/educatie-fizica-si-sport-in-romania-interbelica-1713747.htm
「学校」「体育の授業」「古い写真」「チャウシェスク」「共産主義」「1970年」などのキーワードで探しているが、なかなかヒットしない。youtubeの動画も特にない。
コマネチの生まれた国なので(現在は米国に亡命)、体育は盛んだと思うのだが、情報はないのだろうか。
次で見るように、大学の大会での短パンは見つかったのだが、ブルマーそのものではない。
https://blog.udn.com/fuping3713/15062824
https://nicecasio.pixnet.net/blog/post/559456641
https://opinion.udn.com/opinion/story/11664/3198840
https://www.sohu.com/a/409071189_482071
JK体操服(排球服)としているのはこちらだが、純粋に服装フェチの文脈だ。おそらく当時の名称ではないだろう。元来JKという言葉はアングラ用語だったのに、いつも何かカジュアルに台湾人も知っている言葉になってるってのが何とも言えない。
ttps://zhuanlan.zhihu.com/p/112147262
排球燈籠褲、つまり「バレーボールのブルマ」としている例もある。
何かが「無い」ことを証明するのは難しい。
韓国にはブルマはあったが、訳語が一定していない。訳語のなさそうな台湾だが、スラブ語圏はブルマー固有の名称がないにもかかわらず、ハイレグのショーツ型ブルマーがあったので、これだけで何の証拠にもならない。
同じ英語圏ということで、南アフリカでのブルマーについても調べようと思ったのだが、ヒットしなかった。だが、「south africa physical education 1970」で検索すると、当時の「June and School Friend」という当時の英国の少女漫画雑誌がヒットした。
現在世界に残っているブルマーが写真だけでなく、当時の小説・漫画・イラストでどのように表現されてきたかを調べるもの面白そうだ。
それにしても、性的な意図がなく表現されたブルマーのほうが、なんだか色っぽく感じてしまう。
日本女性向け漫画ではおかざき真理「セックスのあと男の子の汗はハチミツのにおいがする」に出てきたブルマーが何となく好きだった。
これはエロ漫画ソムリエの友人が言っていたのだが「男性のエロ漫画が服の上からでもわかるように書いたおっぱいよりも、女性のエロ漫画家の描くおっぱいのほうが魅力的だ。というのも、女性の場合はおっぱいを特に性的でない身体の一部分としてしか描かないのだが、そこにかえってリアリティがあるからだ」そうだ。似た理屈を感じる。
漫画の中のブルマーと言えば、ブラックジャック第232話『虚像』の中に、明らかに黒く塗り忘れた白いブルマーが出てきたのを思い出す。先生の周辺に楽しそうに子供たちが集まっている場面だ。
手塚漫画、ときどき誤植らしいものもあるよね。角川文庫版の「火の鳥 未来編」のラスト近辺も、すべてのものが生きているという言葉と共に星々や惑星たちが映る場面で、おそらく文字を入れ忘れたと思われる空白があった。閑話休題。
過去の写真のアーカイブの量は、言語によって全く異なっている。
また、ブルマーの形も国によって違うし、採用された広さも違う。
前に書いたように、フランスのブルマはややだぼだぼだが台湾ほどではない、短パンに近いブルマーだった。しかし、ドイツではよりパンツの形に近いし、ソ連や日本ではほぼ下着に近いハイカットになる。
これだけ広いと、ブルマーという言葉で一括りにしてしまっていいのかも、かなり疑わしくなってくる。
他にも、採用されていたスポーツも異なっている。バスケットボール、陸上、ネットボール、バレーボールなど特定のスポーツでのみ使用されていたこともあるし、体育の授業全般でも使われている例もある。
ブルマーの画像だけでなく、こうした経緯についても知りたいのだが、本気になったら外国の図書館にまで出かけなければならない気がしてきた。ひょっとしたら書籍としてまとめられていない類の知識かもしれない。
これだけ長く調べていられるのなら、大学を理系ではなく、服飾史にしておけばよかったとちょっとだけ思う。今の仕事は理系の素養を全く要求されないし。
とはいえ、僕が学生の頃には東欧の言葉を自動翻訳で来ていたかは疑わしい。
本当に不思議なのだ。男はズボン、女はスカートという流れに対抗して生まれたはずのブルマーが、なぜ女性の身体を強調するような、そして下着のような形へと、世界各地で変化したのか。そして、ショーツ型への接近への度合いが地域によって違うのかが。
これは国ごとの倫理観と性規範に原因を求めてもいいのだろうか。
台湾や韓国の女性がブルマーコスプレをしていて、かわいらしくて似合っているんだけれど、ただの紺色の短パンや、白いラインの入ったドルフィンパンツのこともブルマーと呼んでいるのはいただけない。確かにきれいな脚が見えて素敵なのだけれど、フェチの人はそういう際にうるさいのだ。
それとも、ブルマーの下着のような形状にドキドキするのは、日本だけの感性なんだろうか?
とか文句は垂れつつ、youtubeの短パン姿のチアはかわいいと思ったりしている。
Youtubeは(政治的に偏っているとか陰謀論とかそういうのとはまた別に)結構無法地帯で、全裸の女性にボディペインティングをしていく様子とか、アマゾネスの戦士という設定でお尻丸出しで戦う女性とか、ドイツ語圏の祭りらしくぐるぐる回る遊具でふざけてパンツ丸出しになる女性とか、ほぼ全裸の台湾のコスプレとか、乳首だけ隠して踊るカーニバルの女性とか、前衛的過ぎて全裸でやる現代演劇とか、隠す場所が丸出しのファッションショーとか、アニメのパンツ丸出しのシーンとかが載っている。
そういう場所では、「men of culture, we meet again.」というコメントが散見される。英語では変態紳士のことを「man of culture」と呼ぶことを知った。
あと、ときどきオススメ動画にジュニアアイドルが出てきて、すごくかわいいと思うと同時に不安になることもあるんだけれど、ブルマについて調べている人が批判するのは難しい。
性を感じることと、かわいいと感じること、もっと知りたいと感じること。その境目がどこにあるかは、人間の心に対する深い理解が必要だ。
例えば小学生の競技ポールダンスを見ると不安になるけれど、それは僕のポールダンスという文化に対する偏見かもしれない。不安に感じては、真剣なスポーツをやっている人に失礼かもしれない。じゃあミニスカートのチアダンスならいいのか、日本舞踊ならいいのか。ではアイドルはどうか。問題は際限なく拡大する。
そうなると、幼い頃からスポーツをやらせるのはどうか、能や狂言を覚えさせる家柄はどうなのか、受験はどうなのか。判断力の未熟な子どもにどの程度人生を選択させるのか。
完璧な答えを求めようとすると、完全に倫理的にふるまうことが僕らはできないと気づく。少なくともこれだけはやってはいけないと法で制限する以外の方法を、今日のところは思いつかない。
誰かを推すこと・応援することへの責任が問われていくのかもしれない。
それからもう一つ。昔投稿した記事の参考資料とした動画やサイトが消えていることがたまにある。動画や写真は難しいとしても、せめて文章だけはweb魚拓を取っておくべきなんだろうか。
ブルガリアでもブルマーが採用されていた写真を見つけることができた。ただし時期は1980年代。
今後は旧ユーゴスラビアやコーカサス地方のブルマーについて調べるかもしれない。
以上。
あまりに衝撃的なことに気づいてしまい、誰かに聞いて欲しかったのではじめて匿名ダイアリーを利用する。半年ROMってる時間がなくてごめん。
子どものころから漫画が好きで、アニメもまあまあ好きで、大学は文学部いって、自分はオタクだと疑うことなく40年生きてきた。
でも、ワンピースも鬼滅も通ってない。巷に溢れた異世界転生にまったく興味ない。
幼稚園児で火の鳥を読み、家にある手塚治虫を読み、父親の買ってくるビッグコミックを読み、岡崎京子を読み、ルネッサンス吉田を読み、岩浪れんじを読んで生きてきた。最近は昔から興味がある学生運動の知識を広げたくて、重信房子の本を読んでいる。(思想性の問題ではなく、子どものころからエンタメとして学生運動への興味がすごい)
自分はもしかして、オタクではなく、サブカル女なのではないだろうか?!
今まであらゆる努力をしてオタク仲間やオタクな彼氏を作ろうとしてきて撃沈してきたのは、そもそも自分がオタクではないからなのでは?!
と、今この瞬間気づいた。人生半分以上来たところで気づいてしまった。地方都市に住むサブカルおばさん、これからどうしたらいいだろうか。
先に行っておくけど、手塚治虫本人や創作物を否定や批判する気はない。
でもほかのやつは俺に合わなかったのかそんなに面白くなかったんだよなあ。
漫画の神様だの天才だの言われてるけど、そこまで評価されてるのがよくわからない。
漫画のひな型を作ったとかも言われてるけどそれは違うって意見もある。
特に縦漫画が出てきたから、なおさらひな型だのの評価は難しくなってるよね。
確かにすごいことだけど、それと漫画がすごいのはまた別だよね。
ブラックジャックに経験は生かされている点は評価すべきだけど、医学博士の勉強と漫画家両立がすごいってのと
漫画がすごいっていうのは直接はつながらない。ただ単に、二足の草鞋はけててすごい。って話じゃんって思うわけ。
葉巻のケースwwwwwwwwwww
Mさんは若かった。とても若かった。同い年の多くは働いていない。
初めに電話で話した時はそのことに驚いたけど、実際に会ってみるとさらに驚いた。
率直に言ってしまうと、見た目がよかった。かわいいとか美しいとか、そういうタイプではない。
佇まいや体型、身のこなしから、「ただ者でない」ことが伝わってくる。漫画のキャラクターで例えると、手塚治虫の漫画に出てくる女の子みたいだった。火の鳥の未来編だった気がする。
見た目の感じは……健康的な細さと不健康なそれの中間だが、どちらの脆さもまったくない。代わりに気高く甘い、葉巻のケースの杉の香りのような雰囲気をそこはかとなく感じる立ち姿だった。
肌の感じは乾いたものではない。むしろ、ステンドグラスみたいに深い、どろりとしたみずみずしい煌めきが漂ってくる。そんな印象だった。
子供の頃から死ぬのは苦しそうだという恐怖がパラノイアのようにまとわりついていた。ある時気絶を経験してみて、死なんて案外こんなものなのかもしれないと思った。睡眠は死のイトコとはよく言ったものだ。身体的な苦痛に対する恐怖は薄れていった。恐怖は抽象的なものへスライドしていった。
「無」になることが怖くなった。
意識の断絶。経験したことのない状態。体験した者は一人残らず口が聞けなくなっている。これはどういう思考の過程で恐怖が薄れたのか忘れてしまった。どう足掻いた所で避けようもない。火の鳥や吸血鬼はきっと存在しない。ならば不安になったって仕方がない。考えるのをやめることでいつしか怖くなくなっていたのかもしれない。
存在を忘れられることが怖くなった。
無になっても、他人を介して自分に存在を繋ぐことが出来るのではないかと考えるようになった。それが成し遂げられないことへの不安だった。
大抵の人がそうであるように、自分という存在もまた忘れられれば初めから無かったかのようになってしまう。結婚して子供を残せば自分の存在を残せるかもしれない。でも4代5代も先になれば、誰も読みやしない墓石に刻まれた文字だけの存在になるだけだ。遺伝子を残した所で、それが自分のアイデンティティを為すものだとはどうしても思えなかった。それはただのモノだ。いつか朽ち果てる墓の中の骨と変わらない。そこに自分の考えや言葉や性格は何もない。そもそも血が途中で絶えない保証なんてどこにもない。
思春期の自己実現への焦燥感や全能感と合流して、偉大な存在になれば望みは果たされるだろうと思うようになった。教科書に乗るような存在になれば永遠になれる。誰も自分を忘れない。
しかし自分が大それた存在ではない事を薄々受け入れていく内に、この望みも薄れていった。ビートルズだって数百年先も人々の記憶に残っている保証はない。バッハだってカエサルだって仏陀だって、いつかは忘れられるかもしれない。
生きている間だけ存在し続けるのも、死後せいぜい数十年、数百年、数千年の間人々の記憶に留まるのも、永遠に比べたら誤差のようなものだ。それに身も蓋もない話をすれば地球だってどうせいつかは爆発するらしい。他人を介した方法でも、永遠の存在になろうとすることは諦めた。今思えば、地球がなくなっても宇宙へ住処を広げない可能性がないとも言い切れないけれど。
これらはすべて理屈の問題というよりは納得、受容の問題だった。
後悔を抱いて死ぬことが怖くなった。今に至るまでこれだけが怖い。
死は避けようもないが、しかしたった一度きりの生があるのもまた事実だ。
生きる意味などどこまで考えても見つからなかった。理詰めで問うていけばどれもこれも絶対的な地盤などなく、あやふやなものの上に成り立っていた。宗教というものの意義が肌感覚で理解できた。しかし自分なりに意義を見出す事は出来るはずだ。ならば心からの納得が欲しい。
死ぬ間際に人生こんなんで良かったのかという思いが頭を過る事に対して、強迫的な焦燥感を抱くようになった。
映画を見漁っても、友達付き合いをしていても、方々を歩き回ってみても、楽器を弾いてみても、曲を書いてみても、心からの納得は得られない。
それを振り切れるほどの情熱もないままに、存在の不条理なんていう目を向けてはいけないものを凝視し続けて頭がおかしくなってしまった。
情熱を持って生きるか、それが出来ないならせめて日々の気晴らしにかまけて人間存在の不条理など忘れ去ってしまった方がいい。
くだらない考えもほどほどに目の前の生活を淡々と送る。それが地に足のついた人生であり、そういうバランス感を模索していく事が人生の中で生き甲斐を見逃さないための誠実な生き方というものなのかもしれない。
そう頭で思っていても、情熱の燃料にもならない湿った焦燥感がどうしても捨てられず、後生大事に抱えている。これを捨てたら比喩ではなく石ころと同じ存在になってしまうように思えてならない。石ころと同じ存在になってしまうのはとても恐ろしい。仏教はそれを肯定しているらしいが、何をやっても納得してくれない心がそれだけは強く否定している。
思えば初めからそうだったのかもしれない。子供の頃から、普通に楽しく生きていれば、生きている実感を見逃さなければ死になんて目も向かなかったかもしれない。鬱病の素質があっただけかもしれない。
世の中の人間は意識的にでも無意識にでもこんな事は踏まえた上で、バランスよく自分なりの賢い生き方をしているのだろうか。まあ他人のことはどうだっていい。
といったような考えに10代の大半と20代の少しを費やしたが、同じような内容が大学の哲学系の講義でサラッと語られていた。
読書をしていればこんな考えに時間を浪費する事もなかった。車輪の再発明だ。無学の悲劇だ、と笑われそうだが、自分はそう思わない。そこには単に理屈だけではない実感が乗っている。価値観のDIYのようなものだ。拙くとも自分で辿り着いた事に意義がある。今更のポジショントークなのかもしれないし、それのせいでバカみたいに勝手に苦しんでるんですけど。
なんだかんだ覇権らしいので見てみるかと思って見始めたけどおもしれーわ
これって要するにみんなが好きな「トップを狙え」的な時間断絶と
「ワンパンマン」に出てくる強ヒーローものをファンタジーに合わせたものだよね
よくできてる
昔からよくやられる手法(時間断絶)を流行(強ヒーロー)に載せてきたって感じ
まぁ映画とかでもよくある手法だしDr.Stoneでもやってるし鬼滅のラストも似たようなもん
一方で強ヒーローは最近流行だけど、実は主人公が最初は激弱で少しずつ成長していく、っていう方がマイナー
ドラゴンボールだろうがHUNTER×HUNTERだろうがコナンだろうが最初から強くて無双するとこがスタート
途中で挫折して修行して、友情・努力・勝利をするのがジャンプ系っていう感じ
「ワンパンマン」の最大の発明はそういう努力とか無しで十分面白いってとこにあって
最初から最強武器持ってて無双できるから面白い、みたいな感じで
フリーレンはこの2つを「エルフ」「魔法使い」を組み合わせることで
すごく自然に表現してるところが優れてるし、売れてる理由なんだろうし、実際おもしろい
ストーリーそのものもファンタジー系によくありがちな設定を覆したり、逆に補足したりしていてよくできてる
指輪物語とかハリーポッターとか著名なファンタジーは世界観が破綻しないように緻密かつ綺麗に設計されているのに
それに乗っかるようなラノベ系ファンタジーって薄っぺらいので簡単に破綻しちゃってるんだよね
それに対するアンチテーゼみたいなものをフリーレンからは感じる(この先は知らんけど)
あと、ネットミームとかの二次創作ってこういう背景情報や面白いと感じる部分を言葉にしなくても共感できてないと楽しむことは難しいと思っていて
あの状況になるまでの露伴と仗助の関係性、ハイウェイスターの強さ、露伴の性格、その手前の「ほんとに・・・ぼくの命は助けてくれるのか・・・?」っていう命乞いまで含めてからの「だが断る」なので
それらを分かって無い人が使うネットミームの「だが断る」はだいぶ薄いんよ
昔は結構分かって使ってる人多かった気がするけど、有名になりすぎてほとんど見なくなった印象
フリーレンのネットミームはこれからたくさん産まれるだろうけど
そういう背景情報知らないで承認欲求得るためだけのネットミームが増えるんだろうし、その波に乗りたいだけの視聴者も増えるんだろうね
かの有名な「ドラえもん」というSF日常ギャグマンガに「のら犬『イチ』の国」というエピソードがある。
のび太が拾ってきたノラ犬に知性を植え付けて過去のどこかの土地で、捨てられた動物の国を作らせて問題解決、というあらすじだ。
このエピソード、昔からなんとなく苦手で、知性をもったイチの描写が怖かった点も大きいのだが、そのまま歴史が進んだら人類社会誕生しないんじゃね? という妄想に発展するのも大きいな、
と考え直していた。
そうすると、特別にドラえもんが好きというわけでもないが、「ガラパ星から来た男」も似たような部分がある。
または「パラレル西遊記」もちょっとばかりではあるが、似たニュアンスの描写があることに気づいた。
さて次の段で、他の作家、作品はどうかなー? と進んだのだが、たまにSFを読むくらいの自分には、ほぼ全然これが思い当たらない。
というわけで、掲題のとおりなのだが、過去を改編するタイプのSFで、そもそも地上に人類種がまったく、あるいはそんなに反映しなかったってタイプの作品、なにかありますかね。
【追記】
はじめて増田に記事を書いて誰も読んでないかなーと放置してたらメッチャ反応してくれてました!
ありがとう!やっぱ増田は SF に限る! 以下、自己満足のレスです(主に作品について)。
はじめて増田に記事を書いて誰も読んでないかなーと放置してたらメッチャ反応してくれてました!
ありがとう!やっぱ増田は SF に限る! 以下、自己満足のレスです(主に作品について)。
srgy 条件に合うかわかんないけど、ジーンダイバー(の前半)は人類が存在しない歴史に改変しようとする 齧歯類が進化した種族を、主人公が阻止しようとする話
他の方も挙げてくださってましたが『ジーンダイバー』。アニメか! おもしろそう。世代にはあたっているハズなのに記憶がない…。ありがとうです。
mujisoshina 過去改変とは違うが、火の鳥未来編で電子頭脳による核戦争で人類が滅亡した後に、知性を持ったナメクジによる文明が発展してしまう話は記憶に残っている。
未来編も多かったですね。やっぱり異種の文明なりが発展するというのがインパクト強いのかな。
kotetsu306 過去改変で人類の存在を無かったことにしようとしてくる異種族と戦うお話なら、小川一水「時砂の王」かな。小林泰三の短編「時空争奪」もSFホラーで良い
「時砂の王」そんな感じなんですね。読んでみます。小林泰三も触れたことないんで、これを機に…。
コードウェイナー・スミス! 名前は知っていたがこちらも未読。リストに入れておきます。
aaa_too_zzz エブエブみたいな平行世界、マルチバースものなら人間とちょっと違う生物が繁栄していたり、まったく生物がいない世界が描かれることはよくある
「エブエブ」避けたんすけど、そういう描写があるんですね。確かにマルチバース系だと可能性のひとつみたいな感じで出てきますな。
『虚構船団』第2章いいですよね。第3章の落差がまたいい(第3章がいいとは言ってない)。
こちらも挙げてくだった方が多いが、やはり「猿の惑星」のインスピレーションとバリエーションはありますよね。
x100jp 『なぜ僕の世界を誰も覚えていないのか?』は、"地上の覇権を争う五種族の大戦が、人類の勝利に終わった時代。だがその世界は、少年カイの目の前で突如として「上書き」された。"とのこと。
これ! 最近は追ってないですが、よい(よかった)ですよね。
nomitori アメコミだと、征服者カーンが毎回毎回そういうことしようとしてアベンジャーズに退けられているな…。もっと上手くできたやろって思ってしまいがちなのでこの手の話はあまり好きでない。
アメコミなるほど。「やりようあるだろ」という感想を抱きがちなのもわかります。
IvoryChi 人類の大半が「変わって」しまった話ならSCP-3936【職務に忠実であれ】がいいよ。非人間型とされる生き物の特徴が明らかに普通の人間なのがこわい
SCP というコミュニティを知らなかったです…。こわい…。
kotaponx 過去改変というか未来から過去を改変するためにやってくる……といえば、スティーブン・バクスターの時間的無限大かな。ジーリークロニクルの中では一番好き
こちらは作家も作品も知らず。ハヤカワ文庫で95年の作品ですか。ありがとうございます!
zeromoon0 その流れなら「竜の騎士」を外しちゃいけないし竜の騎士をなかったことにして新恐竜を「恐竜映画3作目」とかほざいたドラえもん公式を私は許さない。
他の方も挙げてくださっているが「竜の騎士」は、「それでも恐竜は救えなかった」からの反転がキモだと思っているので、入れませんでした。「新恐竜」の元ネタの贅沢さに比べた完成度はね。祈りましょう。
wdnsdy 未来→現代だけど、漫画「BLACK BRAIN」が未来の人類種の覇権を賭けて現代(連載が90年代なので90年代)の主人公が無理矢理戦わされる話。ただしかなり人を選ぶエログロな作風。正直人類が覇権取る世界もどうなんだと思う
こちらも作品を知らず。ありがとうございます。「正直人類が覇権取る世界もどうなんだと思う」いいですね。
azumi_s ソシャゲの「ブラック★ロックシューターFRAGMENT」がわりとそんな感じ。世界線が爆発的に分岐した影響で知性を持った野菜が支配する世界とか色々出てくる(そんなんばっかではないが)
へぇー、あのゲームってそんな感じですか。ソシャゲはストーリーの都合上、マルチバース取りがちですね。
たしかに『創世のタイガ』もこの気はある作品ですねぇ。いまはWebだけでしたっけ。
いや! まさしくそのイメージです! 思いついてたんですが、ゲッターをちゃんと補給したことなくて…。
dada_love FGOの第二部がまるっとそんな感じなのでおススメ
FGOもそんな感じなのかー! でもFGOは多分やらない…。ありがとうございました!
豊田有恒もこの手の作品を書いているんですね。あとはやっぱり恐竜系は多いか。
『地球の長い午後』ってそうなんすね。たしかに話題の趣旨から外れるけど、これはかなり読みたい。
Machautumn パラレルワールドものなのでちょっと趣旨と違っちゃうけど、ロバートJソウヤーの『ホミニッド-原人』はネアンデルタール人が支配する世界の話だったはず (未読なので作品の評価は控える)。
一緒に読みましょう!
イーガン、読んだり読まなかったりですが、『順列都市』(積読)ってそんな! ありがとうございます!
これね!
tcmsc 『アーロと少年』『サウンド・オブ・サンダー』
bokukanochat 銀魂が思い浮かんだ。いい設定だよなぁ
これもいくつか挙げてもらったけれど、そういえばそういう設定だったですね。江戸時代の改変モノは割と面白いですよね。
tomoP ネタバレになっちゃうけど、『Holy Brownie』では一番最初にホモ・サピエンスへ分岐した個体を殺しちゃうことで人類が絶滅する。その結果の世界が『エクセル・サーガ』
六道神士。すんなり読めるときと入り込めないときがあるんですが、なるほど。機会を探してみます!
hate_flag 地球人はじつは侵略者で、原生地球人たちは海底に生き残っていたというのがウルトラセブンの『ノンマルトの使者』(そして海底も侵略しちゃうんだ地球人…)
やっぱりウルトラセブンは避けて通れないんですね…。ありがとうございます。
rider250 ちょっと趣旨が違うけどバクスターの「タイム・シップ」(ウエルズの「タイムマシン」の続編)で時間旅行ポンポンできるようになった人類が恐竜時代より過去に遡って月まで開発してしまうのは壮大だったなあ。
pptppc2 ブコメで出てるクロノトリガーの数あるマルチEDの一つ「恐竜人が支配した世界」は、実は続編のクロノクロスでかなり重要な役割を持ってたことに驚いたよね。気になる人は是非クロノクロスをプレイしよう!(ダイマ)
もとひら先生はほんとうにすごい!
ちょっと変化球気味な気もしますが、たしかに!笑 永井よ永遠に。
kou-qana ちょっと違うかもだけど「天のろくろ」は…うーん、全然違うか。「今・この現在」が、なかったことになる感はあると思うけど進化史レベルではない…。パラレルワールドものにはありそう。
参考にさせてもらいます!
『星を継ぐもの』も似たようなニュアンスでしたよね(うろ覚え。『さよならダイノサウルス』ありがとうございます。
これSCPですか?
debabocho 意外と難しい。ソウヤーの『ホミニッド』は人類の代わりにクロマニヨン人が文明の主役として進化したパラレルワールドと行き来する話だけど、歴史改変じゃないし乗っ取られるわけでもないからなあ。
ROYGB 親殺しのパラドックスの種族版と考えれば昔のSFでありそうな気はする。新しい方のスタートレックの映画で、過去に戻ったボーグによって全人類がボーグになってしまい、それを阻止するのがあった。
スタートレックも押さえてそうなネタですよね。新版ではあると。
たしかに! そういえばそうでした! 光永康則も藤子・F フォロワーですからね。ありがとうです。
なるほど。ここまで挙げてもらった作品でも侵略側がっていう視点は少なかった。ありがとうです。
これはね、そうですよね。『創世のタイガ』の元ネタのような気もします。小松作品だとややズレますが『ホムンよ故郷を見よ』は似たような驚きをくれますね。
ザ・クリエイター観た。
スターウォーズをひとつまみ入れたサイバーパンク世界で、火の鳥の語り口で湾岸戦争をやるような……
冒頭の世界観説明のニュース映像は皮肉っぽくて、アメリカの映画でもこういう描き方するんだな〜って思ったけど脚本監督の人アメリカ人じゃないんですね。AIロボットを潰すためにはAIロボットを使うのも辞さない。アメリカだね〜と思ったけど適性言語とか言って洋服着てた日本軍も似たようなもんか。
脳みそスキャンしてロボットに降霊させる唯物論的なイタコ芸をするのは面白かった。逆に人間のコピーであるロボットは身体が鉄でも信仰のようなものを持つし、死人を悼むし自殺もする。JDワシントンが義肢使ってるのも「人間の定義とは?」的な要素なんだろうか。
メカは最近のスターウォーズ作品のドロイドっぽくてかっこよかった。特攻ロボットはなんかかわいかった。
アイスの配達かと思って開けたら爆弾だった所で「マジか……」みたいな感じで死ぬ(?)とこがなんか良かった。警察の投げた爆弾を犬が返しに行く所もなんかコミカルで良かった。あれが人間だったらやはりもっと神妙な空気になってしまうんだろうか。
ただブレードランナーみたく人間とロボットの境目みたいなのが軸にあるというよりは、あくまで最終兵器のブチ壊し合いというエンタメ的物語が本筋で見やすい作品だったと思う。ブレードランナーの方も別に作中でハッキリと何かを断言する事はなかったしな。
風呂場をサウナ化するにはどうしたらいいか。暖房つけてスクワットして限界を迎えたら水風呂に飛び込むのも悪くはないけど、中々しんどい。
やかんでも沸かし続けるか。ちゃんと石焼いて水をかけるか。何にしても熱源はいる。
水回りで電気を使うのは不安だ。そもそも石を焼ける電気ストーブ?なんかあるのか。
ガスコンロでも置いてみるか。酸欠が心配だ。煙突的な装置がいるのではないか。煙突って横向きにしても煙は通るのかな。ああ、新しく発生した煙に押し出されるから大丈夫か。煙は上に登るものだと思っているけど、実は上昇気流?的なので上に行っているだけで、実は本来四方に拡散するものなのではないな。粒子の粒まみたいなものだと思うと、そのイメージの方がしっくりくる。
昔火の鳥読んでた時、焚き火を囲んで雨乞いをする縄文弥生時代辺りの人らを見て「神様なんか関係なくて、ただ上昇気流がアレして雨雲が発生したただけなのに……」的な事を言いながら、主人公がサイエンスの顔つきでヤレヤレしてたな。焚き火程度で天気を操れたら訳ないだろ。当時もおかしいとは思ったけど、いや手塚治虫の描いた漫画だ、間違いはないだろうとか思ってたな。
あとサウナはキッチンで網カゴにでも入れて石焼いて、都度持っていくのが一番現実的な気がする。床が溶けないようにタオル敷くなりして。
そもそもガスコンロで石を焼くにしたって、別に煙は出ないだろ。じゃあ換気ってどうすんだ。風呂場の換気扇だけじゃあかんのか。そもそも換気したらせっかくの熱気が逃げるだろ。電気式のサウナの仕組みでもググってみるか。