はてなキーワード: 世界初とは
就職先がジャパンモビリティショー(旧東京モーターショー)のチケットをタダで配っていた。強制ではないが「勉強してこい」ってことなんだろうなあと思い行ってみることに。
自動車メーカーや部品メーカー(サプライヤー)が新型車やコンセプトカーの展示や新しい技術の紹介を行う催しである。コロナ前は東京モーターショーという名前だった。場所は東京ビッグサイト。
「モビリティショー」に名前が変わった理由は、車以外の次世代モビリティも展示するよ!というコンセプトを打ち出しているから。車だけではなく、車でもバイクでもない新しい乗り物を発表する場というコンセプトが、今回開催されたジャパンモビリティショーだ。
トヨタは新発表のコンセプトカー数台と新型クラウン、ランクル、SUVセンチュリー、そしてモトコンポのような小型バイク(っぽい三輪車)を展示していた。
詳しい説明やプレゼンなどは特にないが電飾などによる装飾は豪華で、イメージ重視な展示だったように感じた。
EVだと見られるコンセプトカー、特にオレンジ色のスポーツカーに注目が集まっていたが、感想としてはかっこいいなあと思うだけ。具体的なメカニズムや開発者の熱い想いが分からないと、正直面白くない。
また、新型クラウンなどもディーラー行けばじっくり眺められる訳で、人混みに揉まれながら見るもんでも無いと思った。
しかしとても良いと感じたのが、「ネオステア」と名付けられた新型のステアリングハンドル。アクセルとブレーキもハンドルで操作できるため、車椅子の人でも車を運転できる。調べてみるとパラアスリートが開発に関わっているらしい。
ネオステアでグランツーリスモをプレイできる体験ブースがあり実際に体験してみたが、これが面白かった。ただ単に足を使わずに運転できる、という話ではなく、だれもが運転の楽しさを味わえるという点でとても良い技術だと感じた。是非市販化してほしい。
唯我独尊、「人馬一体」のわが道を突き進むマツダ。ブースには「だれもが、しあわせになる」というキャッチフレーズを掲げるパネルの前に初代ロードスターが展示されていた。
マツダブースの目玉は、世界初発表のコンセプトカーである「アイコニックSP」。とんでもない人だかりができていて全く近づけず、自分の目で見るのは諦めた。
また、マツダは福祉車両仕様の現行ロードスターを展示。アクセルとブレーキはハンドル左側に設けられたレバーで行い、シフトダウン・アップは右手だけで操作できるよう改造されている。
存在自体は知っていたものの、実際に現物を見たり運転席に座るのは初めて。車椅子のドライバーでも、スポーツカーで運転を楽しんでほしい、というマツダの想いが強く伝わってきた。トヨタのネオステアと並んでとても良い展示だった。
やはり、マツダはエモーショナルな価値観を伝えるのが巧い。「だれもが、幸せになる」初代ロードスターや福祉車両仕様のNDロードスター、そして往年のマツダ車と写る家族写真を何枚も載せたパネルからは、マツダが訴える運転の楽しさや車の素晴らしさがひしひしと伝わってくるし、こちらも感動して目が潤んでしまう。就職先が作る車ではないが、ロードスターだけは新車で絶対に手に入れようと決意した。
スバルはアウトトレック、ソルテラのようなイチオシ現行モデルに加え、新型車であるレイバックを展示。コンセプトカーはEVスポーツカーの一台のみ。
そして、何よりも一番の目玉が「空飛ぶクルマ」であるスバルエアモビリティコンセプト。特大ファンを6つ搭載するドローン型の航空機だ。驚くべきことに、実証実験では実際に飛んでいるらしい。実証実験を含め、世界で公開されたのはこれが初。
一般的にはあまり知られていないが、スバルの前身は中島飛行機という航空機メーカーで、現在も航空機用部品の開発を行っている。「航空機メーカーとしての歴史を元に、陸空で運転の愉しさを提供します」という発表には説得力があった。
また、展示してそれっきりのトヨタ、マツダと違い、女性のコンパニオンが積極的にプレゼンテーションを行い、展示車両を丁寧に紹介していた。スバルの安全と楽しさの取り組みを熱心に紹介していたのが印象的だった。
車以外のモビリティの展示は一切なし。SクラスとCクラスのAMG(セダンにスーパーカーのエンジンをぶちこんだ超高級車)やEVなど、よくも悪くも現実的で普通のモーターショーな展示だった。
注目を集めていたのが、GクラスのEVバージョンであるEQG。Gクラスのデザインをネオクラシックなデザインにまとめており、普通にカッコよかった。
現行モデルを、値段付きで数台展示するのみ。あまり人だかりはできていなかった。
もっとやる気出せ、と言いたくなるものの、出展していただけるだけでも有り難い。
ハイエースなど、トヨタ車の一部の開発を請け負うトヨタ車体。ハイエースのBEVコンセプトカー(グローバルハイエースBEVコンセプト)や、新型ヴェルファイアの4席超高級仕様である、スペーシャスラウンジ コンセプトなどを展示。
ハイエースのコンセプトカーはボンネットが長く荷室もそれほど高さがなかったため、そのままのパッケージングでは日本ユーザーは満足しないだろうと感じた。あくまでもグローバル向け、ということなのだろうか。
日産は現行モデルのほか、R35GT-Rnismo、フェアレディZnismo、スカイライン400Rを展示。そして目玉は、パキッパキデザインのBEVコンセプトカー数台だ。
コンセプトカーは相当未来を先取りしていて正直何を伝えたいのか正直良く分からない。ただ、今後は曲線ではなく面とエッジを多用したデザインを推していきたいんだろうな、ということは感じた。最近のトヨタ(レクサス)やスバルもそんな感じのデザインだし、トレンドなのかもしれない。
日産ホームページを見てみるとFORTNITE とコラボしているらしく、ペルソナとなるキャラクターの説明などもあるが、やっぱり良く分からない。FORTNITEをプレイできれば楽しいのかもしれないが...。
コンセプトカーの中でもひときわめだつのがハイパーフォースコンセプトの名を称したスポーツカー。日産としては「GT-Rかもしれないね、ふふふ...」といった雰囲気を出したいのだろうが、来場者はGT-Rとしか見ていない。
車体側面にゴールド描かれた「4ORCE」の文字は6代目スカイラインRS-TURBOが由来なので全部が全部GT-Rのコンセプトカーではない。日産のハイパフォーマンスカーの歴史と、それを踏まえた未来へのイメージを表したコンセプトカーであるはずだが、ほとんどの来場客がGT-Rとしか見てなかった(であろう)状況は日産がちょっと可哀想だった。
欧州メーカーでおそらく最も気合いが入っていたのがBMW。といっても、欧州メーカーはベンツ、BMW、ルノーくらいしか出展していなかったが。
基本的に発売後、ないし発売間近のBEVモデルが発表の主体。コンセプトカーがどうこうというより、新型車の感触を確かめる来場客が多かった印象。しかしBEVのくせに豚鼻キドニーグリルを採用するのは何とかならんのかと。
BMWもその辺は考えているらしく、次世代BEVモデルと思われるコンセプトカーの「ビジョン ノイエ クラッセ」で、豚鼻から脱却したデザインを披露。ノイエクラッセはBMWが70年代に生産していた大衆セダンで、往年の名車をここで復活させてくるあたりは流石。
直線的なデザインであるものの、写真で見るよりもコロッとしたデザインだったのが印象的だった。フロントグリルは上から見ると大きく湾曲しており、豚鼻キドニーとは違い暖かみがあるデザインだ。4ドアセダンだが、ハッチバックやSUVなど、様々なタイプにも発展していきそうな可能性を感じさせられる。今後に期待したい。
中国からの黒船BYD。ネットである程度情報は仕入れていたが、実物を見るのはこれが初めてだ。
エアコンの吹き出し口やドアレバーなどの意匠は写真で見たことがあるものの、実際に触ってみるとそのアバンギャルドさに改めて驚かされた。atto3の側面のパネルにはウェーブのプレスラインが入っているなど、写真ではわからないような細かい所にも独特な意匠が施されている。リアの「BUILD YOUR DREAMS」のバッジもアバンギャルドだ。はっきり言ってダサい。
(モデルにもよるが)全体的に曲線主体のデザインで、最新を売りにするブランドにしてはデザインの古くささが否めない。私はデザインに関しては素人だが、ダイソンが20年前から続けているデザインと同じ系統ではないだろうか。
アーバンSUVやセダンに加え、レンジローバーを意識したようなラグジュアリーSUV「U8」や、ミニバン「D9」を展示。ゴリッゴリのコンセプトカーは用意せず、現行モデルなどの現実的な車両の展示が主体だった。これは「フルナインナップ戦略で日経メーカーを犯すぞ」のサインだと思った。来年就職の私としては、背筋が伸びるような展示だった。
そんなBYDの真向かいに大きな風呂敷を広げるのがスズキ。展示内容は、四輪・二輪新型モデルに加え、小型船外機や空飛ぶクルマ、小型モビリティなど、まさに様々なモビリティを展示していた。
舞台ではたくさんのダンサーが踊る演出や、MCバトルを模したような内容が含まれるなど、良くも悪くもスズキらしくポップでコッテコテな内容なので共感性羞恥がヤバかった。実用性をめちゃめちゃプッシュするのもスズキらしかった。
四輪のモーターショーと変わらないような展示をする出展企業がいる中、後述するヤマハ発動機やホンダと並び、ちゃんと「モビリティショー」らしい展示内容で非常に好感が持てた。個人的には最も良い展示だったと思う。
特に小型モビリティのブースは素晴らしく、四脚に小型のタイヤを装備し階段も上り降りできる「MOQBA」や、高校生から高齢者まで、荷物を積んで安全かつ楽しく移動できる「SUZU-RIDE」など、いかんとも形容しがたい小型モビリティを多数発表してきた。
形容しがたい、ということは、今までにない形やコンセプトの乗り物で、例えに持ち出せる前例が無いということである。新しい価値をいくつも提案するスズキのコンセプトモデルは素晴らしい仕事だと震えたし、良質な刺激を得ることができたと感じた。
スズキの地元、浜松のお隣磐田市に城を構えるヤマハ発動機も、「モビリティショー」らしい展示で面白かった。
3輪フルオープンEVのTRICERAは3輪操舵のシステムで、自動運転に向かう時代だからこそ運転する楽しさを提案。トリシティのような3輪オートバイのTMWは(おそらく)TW225の改造車で、DIYで作ったような荒削りな車体は、かなりワクワクした。
また、ヤマハ(株)の協力のもと楽器関連の展示もあり、もはやモビリティは関係無いじゃないかと突っ込みたくなってしまうが、何でもかんでも事業化してしまうヤマハ発動機らしい所でもあった。
二輪車は125ccの新型車三台と、かつての伝説レーサーYZR500をモチーフにしたXSR900GPを公開。125ccの三台には列が出来ており、来場者がまたがってサイズ感を試していた。
長いスカートの女性がネオクラシックモデルのXSR125に試乗していたのが印象的だった。コロナで好調だった二輪業界としては、この波に乗って若い女性ライダーを増やしていきたいはず。かわいいデザインでユーザーフレンドリーな車格のXSR125は、ヤマハ発動機がプッシュしたい製品であるだろう。
ホンダも「モビリティショー」な展示が多く楽しめた。浜松にゆかりのある企業がモビリティショーな展示を行っているのは、実に興味深い。
ホンダジェットのコクピットに座れる展示は45分待ち。流石に断念した。
目玉は何と言っても新型プレリュードのコンセプト。新型もデートにぴったりなスペシャリティカーとしてきれいにまとまっており、GR86/BRZのようにゴリゴリなスポーツカーではない。今の時代にこの価値観がウケるか微妙だが、セリカやシルビア亡き今、ライバルが居ない立場であることも事実。今後の動きに目が話せない車だ。
SUSTAINA-C Concept / Pocket Conceptはシティ/モトコンポを意識したようなコンセプトカー。テールライトはフルLEDスクリーンで、テールライトのデザインを変えたり、後続車に「Thank You!」などのメッセージを伝えられる。サンキューハザードは誤解を生むこともあるので、是非製品化してほしいアイデアだ。
ホンダらしいと感じたのは、無塗装リサイクルのアクリル外装パネル。素材の発色が良ければ塗装しなくていいじゃん!というアイデアは思いきりが良い。
BEVのコンセプトカーは良く分からん。が、ゴリゴリのバギーであるROVコンセプトと、アーバンSUVのRZをヘビーデューティーにカスタムしたRZアウトドアコンセプトには少し驚かされた。レクサスとゴリゴリのアウトドアはあまり似合わないような気もするが、泥遊びもレクサスでラグジュアリーに楽しんで欲しいというコンセプトなのだろう。
地味に人だかりを集めていたのが、ギガキャストで作られたボディとバッテリーの見本。新型車が置いてあるスペースの裏側で目立たない所だったが、十数人の来場者がまじまじと観察していた。
特にギガキャストのボディは興味深く、スポット溶接が一切無いその様子は異様。さらに、適宜リブを配置されるなど、今までの作り方では不可能な設計も見られた。「柔と剛が調和する」と銘打たれているが、剛性の最適化のためには、自動車づくりのノウハウが強く要求されそうだ。
ダイハツは着せ替え可能な自動車ミーモや、小型オープンカーのオサンポ、市販がささやかれるビジョンコペンなどを展示。展示車両は全体的にかわいらしいデザインで、女性来場者がかわいいと口にする声が頻繁に耳に入った。
近所を散歩するように楽しく移動できるというコンセプトのオサンポは、風を感じられるオープンカー。車高も高めなので、ちょっとした未舗装なら走れそう。買い物の帰りに、知らない道に突撃したくなるようなコンセプトカーだ。
車格は軽自動車サイズなので、オートバイに比べればお散歩の気楽さは無いだろうと感じてしまったが、あくまでも気楽に乗り出せる「クルマ」がコンセプトなのでそういうツッコミは野暮だろう。誰もがオートバイや小型モビリティを望んでいるわけではない。
ビジョンコペンはかなり話題だが、軽規格を飛び出し1.3L、FR、オープンカー、となるとロードスターと個性がだいぶ被ってしまう。超個人的な意見だが、ロードスターとタイマンするのはかなりしんどいんじゃないだろうか。値段次第な所もあるが私ならロードスター買う。
カワサキは二輪メインの展示。目玉はネオレトロのオートバイ、メグロ復活。最近はネオレトロが本当に流行っているが、あらゆるメーカーがプッシュする様子を見ると、ぼちぼち流行のピークなのでは?とも感じてしまう。
また、BEVとハイブリッドのニンジャを展示。カワサキはターボやったりスーパーチャージャやったり、攻めた製品がやっぱり多い。ハイブリッドのバイクは車体重量を押さえられるのだろうか。
「重力は空間を歪ませるんだから物質だろうと反物質だろうと引きつけられるにきまってるだろ」(スターを大量獲得)
ってのは
「正電荷は電場を歪ませるんだから陽子だろうと電子だろうとひきつけられるにきまってるだろ」
って言ってるのと同じやぞ。
場を歪ませたときに、歪みに対して引力を受けるのか斥力を受けるのか、
その歪みのアナロジーは谷なのか山なのか、ってのは測定してみないとわからんということや。
・ 「反重力は存在せず」実験で結論 国際研究チーム - 日本経済新聞
・ 90年以上の議論に決着 「反物質」は重力で落ちる? 浮く?:朝日新聞デジタル
・ 「反物質」に働く重力は「反重力」ではないと確認 直接測定の実験は世界初
どれも間違っちゃいないが本質的でない。
と書くのがよかったと思うで。ほなまた。
月日が経つのは早いですね。
9月もあと一日で終わりです。
やっと涼しくなって来たので、、
先週、一足早く草津温泉に行って来ました。
温泉街の真ん中に観光名所の湯畑があり、硫黄の匂いと湯気で温泉地に来てる感がより増しました。
気温が20℃以下でも、湯気が立ち上ってるので浴衣でも寒さを感じなかったです。
宿泊ホテルは、湯畑の真ん前にそびえ立つ一井ホテルに泊まりました。
温泉は源泉掛け流しで、温度もあつ湯~ぬる湯の三段階に分かれていて、丁度よいお湯加減でした。
大浴場も最近改装されてとても綺麗で清潔感があり満足しました。
ただ、残念だったのは、サウナが無かった事です。
夕食、朝食も美味しかったです。
名物の草津温泉湯もショーは前回見学したので、今回は新設さてたお猿の湯もみショーを見に行きました。
まあまあ楽しませてもらいました。
これからもっと涼しくなり、紅葉も始まれば最高の温泉季節になります。
夏の疲れた体を温泉で癒し、現地の美味しい物を食べてリフレッシュしましょう。
また報告します。
温泉地の観光客も増えていますので、コロナ感染対策は忘れないようにしてください。
細川徳生
個人向けコンピュータメーカーとして成功していたが、いろいろあって創業者が追い出される。
創業者はゲームメーカーのアタリの家庭用コンピュータ部門を買収し、コモドールに牙を向く。
優秀な開発者たちが創業者について行ったため、コモドールは経営が傾く。
しかしamiga社を買収し、このamigaはウゴウゴルーガに使われるなど
クリエイター向けに一定の地位を築くが、Windowsの時代になって倒産。
世界初のゲーム機と名高いPONGを発明し、ビデオゲーム産業を生み出す。
もともとはヒッピー文化の自由な企業だったが、映画会社のワーナーの傘下になりスーツ族の文化に一変。
かの有名なアタリショックを引き起こして会社もボロボロになる。
アーケード部門と家庭用コンピュータに分社化し、後者はコモドールの創業者に売却。
かの有名な映画会社。
アタリを買収して駄目にする。
AOLに買収され、『AOLタイムワーナー』になるが直後にドットコムバブルが弾けてAOLがお荷物に。
タイムワーナーを買収したAOLはたった2年でAOL部門に格下げ。社名がタイムワーナーに戻る。
パソコン通信サービスとして始まった、世界最大のインターネットプロバイダ。
ドットコムバブル絶頂期にタイムワーナーを買収し、世界最大の企業複合体になる。
しかしバブル崩壊で業績が低迷。タイムワーナーの一部門に成り下がり、売却される。
インターネットが世に普及した頃に圧倒的なシェアを持っていたポータルサイト。
Googleに押されて影が薄くなった頃にMicrosoftに買収を持ちかけられるが拒否。
その後も低迷が続き、アリババとYahoo! JAPANの株を管理するだけの会社とYahoo!事業を行う会社に分離。
Yahoo事業を行う会社は米国No1シャアの通信キャリアベライゾンに売却。
AOLという響きがもう懐かしすぎる
オスのマウスのiPS細胞で卵子 子ども誕生 大阪大学など 世界初 | NHK
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230503/k10014056161000.html
straychef
2023/05/03
解決するわけねーだろw
tameruhakida
男性が出産できるようになれば、無痛分娩も産後ケアも一気に進化するからぜひそうなって欲しい。
性犯罪でも婦人科の治療でも、女性だけが痛みを被るものは我慢を強いられるだけで全然進化しない
2023/05/03
オスのIPS細胞から卵子作るのとオスが出産するのと全然違う話でハードルも違う。
何か問題解決したいんじゃなくて「みんなに嫌な思いをさせたい」みたいなそういうのってどうかと思うよ
vkara このまま雄が産めるところまでできたら完璧だね。
2023/05/03
SF的な話をするなら
そんな大幅な人体改造するより前に体外子宮が出来て
毎年6月24日や8月6日を不謹慎だ叫ぶ人々や、3月11日を「何らかの記念日だし普通の日とすべき」と書かれたアンサイクロペディア、これら全てに怒りを感じたので増田は何ならそういう日の幸福な側面を扱ってやるというリストを作りました
それがオールラッキーデイズ(All lucky days)です
今日は何の日か分かってるよナ
本番は翌日に発表するゼ
https://twitter.com/kanose/status/126516042754301952
ハックルさんが日垣案件化していると@soylent_green さんがブクマでコメントしていて、最初それは言い過ぎではと思ったけど、最新記事見たら、言い過ぎじゃない気がしてきたよ…
https://twitter.com/raf00/status/126540252662870016
はあちゅうといいべにぢょといいハックルといい、今日は発狂した人たちが大量に湧いている一日だなぁ
ハックルさんの様子見てきた。あいかわらずのアノ押しの強さ、すさまじいなあ。冷静に操り糸引ける参謀なりソロバン弾ける番頭なりとタッグを組めば(組めれば)、広告代理業でも押売営業でも新興宗教開祖でもナンでもやれるだろうなあ。「もしドラ」もそうだし。すごいなあ。そのタッグ相手を、とある会社の経営者K氏へ一方的に因縁つけて白羽の矢刺しまくってる節操の無さも含めて、押しの強さハンパなくてすごい。「もしドラ」チームから放たれて野に返されたとか組む相手いなくなったとかなにかか。いやまあ、まじめに、ああいう、議論とか感性とか倫理とかぜんぶすっ飛ばして、コチラの主張をアチラへ丸飲みさせようとする力押しと心意気、人格としてじゃなくてヤクザな手法として学ぶところあると思いました。
広告代理業でも押売営業でも新興宗教開祖でもナンでもやれる、って書いたけど、そういう押しの強さで商売するのって手品のタネを明かさないことが大事で、インターネット普及しちゃってからは(書評が流布したりして)手品のタネすぐバラされるから、一発屋になりがちだしすぐ野に返されるなのでハックルさんもう文筆ではダマクラかせないんだから、文筆にこだわってるうちは組んでくれる相手あらわれないし、方針転換して筆は折って違う戦場でまた押しまくれば稼げるかもしれないな。あの押しの強さはひとつの才能だもの。ただ本人がベストセラー作家だけどとかやってるうちはアレだわ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%9E%A3%E9%9A%86
マーケティング手法には「電子書籍を日本一売った」「世界初&日本初の有料メルマガ」「5年で所得3倍」「数ヶ月でTOEIC900点超え」など煽るような広告宣伝が多かった。
2006年11月に刊行された「すぐに稼げる文章術」(幻冬舎新書)で盗作騒動が起きた。新潟大学教授(のちに慶応義塾大学教授)の山内志朗による「ぎりぎり合格への論文マニュアル」(平凡社新書、2001年刊)の一節と酷似した内容が掲載されていることが刊行の翌年にインターネット上で指摘され、平凡社が幻冬舎に抗議する事態に発展。問題とされた部分は増刷の際に書き改められた。
盗作騒動の影響か、2007年いっぱいで当時抱えていた連載[5](「新書一点賭け」(文藝春秋)、「MEDIA WATCH 売文生活日記 どっからでもかかって来い!」(WiLL)、「通といえば販!」(週刊現代)、「敢闘言」(エコノミスト)、「日垣隆のどこへ行くのかニッポン!」(日刊ゲンダイ))がすべて終了となった。以降、いわゆるマスメディアへはほとんど登場せず、ツイッターやフェイスブックなどのSNSによる情報発信、有料メルマガ、電子書籍による自費出版を盛んに行っている。
日本では'76年に、フィレス・レーベルの作品がまとめて再発売されたことがありましたが、ボックス形式としては本邦初で、しかもCDのボックスとしては今回が世界初ということになります。また同時に、<ヒーズ・ア・レベル>という、関係者のインタビューを中心にした本が白夜書房から発売されます。それを読みながらこのBOXを聞きますと512倍楽しく聞けることを保証致します。
1958年、17才にして彼は”スター”でした。この後ポップスの歴史を彩ることになるクリスタルズやロネッツ、キャロル・キングやバリー・マン、ビーチ・ボーイズやビートルズの誰よりも先に<NO.1ヒット>を持っていた!、このことが良くも悪くもスペクターのその後の人生を決定づけたと思います。ポップス史上、#1ヒットを星の数ほど作り続けたリーバー&ストラーや、ジョージ・マーチンも、自らの#1ヒットはなく、このことが彼を単に<プロデューサー>の範疇では捉えられない最大の理由です。<彼を知ることは、彼を愛することだ>というデビュー曲の<彼>は、もちろんスペクター本人の意味で、そこには強引さ、傲慢さも感じられますが、実はそれが力強くもあり、<スターの要素>そのものだともいえます。彼の仕事ぶりを評して、全てを自分一色に染めてしまう、という批判をよく聞きますが、これはことの本質を理解してい居ない人の発言です。かれは<裏方>ではなく<スター>なのです!それを、アーティストの持ち味を引き出すのがプロデューサーの仕事だ、という常識的な意味で彼を捉えようとするから批判的になるのです。彼こそが<スター>で、誰が歌おうか演奏しようが、他の人は全て脇役なのです。単に映画監督と言う視点でヒッチコックを捉えるとおもしろい解釈は生まれない、というのにも似ています。(誰が主演でもヒッチの映画になります。黒沢さんもそうですね。)
デビュー・アルバム「TEDDY BEARS SING」のB-1「I DON'T NEED YOU ANYMORE」の<ステレオ・バージョン>はナント、リード・ボーカルの女の子の声が左で、真ん中がフィルのコーラス、しかも、ところどころリード・ボーカルの3倍くらいの大きさでコーラスが<邪魔をする>といってもいいほどの前代未聞のバランス!です。
デビュー前からしてこうなのですから、自己主張とかワガママなどという、なまやさしいことではないのです。
SCHOOLもの
のちにブラック・ミュージックにのめり込んでいった彼ですが、スタートは白人ポップスでした。まずは自らのヴォーカリスト、ギターリスト、および作曲家としての才能を試すところからはじめた、というところでしょうか。'50年代後半は、まだ黒人音楽は一般的ではありませんでしたが、若者の間では熱狂的な指示を得ていました。スペクターもいろいろな黒人アーティストを聞いていたようですが、こと自分のデビューに関しては、世間的に穏便な方法をとったところなど<奇[...]
また'50年代中期には「暴力教室」をはじめ「HIGHSCHOOL CONFIDENTIAL」など<怒れる若者>をテーマにした映画が続々と作られ、その代表としてJ・ディーンが登場し、代表作が「理由なき反抗」-REBEL WITHOUT A CAUSE -でした。このように、当時の若者のキー・ワードの一つは<REBEL>であり、「乱暴者」のマーロン・ブランドのような皮ジャン、サングラス、バイクというスタイルが流行しました。
彼のでデビュー・ソングはたしかに<学園もの>でしたが、それまでの、例えばドリス・デイの「先生のお気に入り」調のホンワカしたものではなく、女の子が自分の想いを直接的、また積極的に<ナゼわかってくれないの?>と切々と歌い上げるというのは冬至の若者のフィーリングにピッタシきたようです。実はこの手法、スペクター特有の<ソフィスティケーションの中の直接性>というもので、彼を理会する上で大事なことなのです。
ある程度、あるいはそれ以上の音楽の素養がなければミュージシャンや作曲家になれなかったジャズと違って、ギター1本あればだれでもロックンローラーになれる、というのがロックの時代でした。子供が技術を会得して成長し、大人の仲間入りをするのがジャズだとすると、ロックは、子供が子供のままで音楽ができるというのが特徴でした。ヒョットしたらオレにもなれるかもしれないと、多くのシロウトがわれもわれもと参加したことが、音楽の単純化に拍車をかけました。ジャズが豊満でふくよか、とすると、R&Rは骨と皮だけといえましょう。ジャズが大人の音楽で、背景はナイトクラブと女性とお酒が似合いましたが、子供の音楽として誕生したR&Rの背景に一番ピッタリだったのはナント、<ガレージ>でした。
麻雀同様4人(あるいは3人)いればすぐにできたのがR&Rの特徴でしたが、ニュー・ヨークのようにせまいところで大声を上げれば、お母さんに怒鳴られるだけですからストリートへ出るわけです。50'sのDoo Wapブームの背景は街角-ストリート・コーナーが似合ったわけです。
それにくらべて土地の広大な中西部や西海岸は車がなければ不便なので、当選、どこの家にもガレージがあり、ここが若者の格好の練習場所となりました(蛇足ですが、今の日本のロックのサウンドの背景は<貸しスタジオ>--密室--ではないでしょうか?)。さて、楽器は感覚でどうにか弾けますが、作曲というのは簡単そうでもやはり多少の音楽の素養は必要です。しかし、若者の、なんでもいいからR&Rをやりたい!という想いはこんなことではくじけません。骨と皮だけのロックを、さらに皮も捨てて骨だけにしたのです。それが<ギター・インストゥルメンタル>でした。これは、楽器を感覚的にかき鳴らすだけですから、とりあえずだれにでもできました。ジャズの単純化がロックとすれば、これはさらに、ロックの単純化で、その極致であったわけです。
これが<ガレージ・サウンド>の正体でしたが、この時代に呼応するかのように、新しく生まれた現象がありました。それは、録音機が少しずつ普及し始め、ガレージや居間などでの<ホーム・レコーディング>が行われるようになったことです。そして、デモ・テープのような、ある意味では乱暴
チャートに登場するようになり、まさに音楽の大衆化が、内容だけではなく、音質までにも及んだのです(エルビスもバディ・ホリーもデビュー曲は地方の、オヤジさんが社長、オカミさんが専務、というような町工場風のスタジオで録音したものです)。
それまでの録音は、演奏者と録音技師はガラスを隔てて別々の仕事場でした。技師が演奏者にマイクの使い方を指導することはあっても、演奏者の方が技師に注文をつけるというケースはめったにありませんでした。しかし、ホーム・レコーディング特有の、機械いじりの好きな少年の思い付きや、また機材不足からひねりだした斬新な工夫は、新しいサウンドの母体となるのです。
スペクターは、テディー・ベアーズの録音の時から、スタジオ内と調整室を行ったり来たりして、録音技師を困らせていたようですから、コダワリの姿勢は最初からのようです(口述しますが、後年よくいわれるワグナー好きやソウル・ミュージックの追求というのは、スターにありがちな<後付け>である、と私は考えています)。
このホーム・レコーディングが、実は<スペクター・サウンド>の根幹なのです!<BACK TO MONO>の意味もこのことなので、一つのかたまり、大人数、熱気、乱雑の中の整理、複雑の単純化、そして<ホーム>、これが彼の求めたものでした。かたまりは<MONO>、大人数はミュージシャンの数、熱は<ハル・ブレインのドラム>、整理は<J・ニッチェのアレンジ>、単純化は<L・レビンのミックス>、そしてホームは<西海岸>、これがスペクター・サウンドの中味の分析ですが、詳しくはこれも後述します。
この当時のロックンロール少年と同じく、スペクターもギター少年でした。本名のフィル・ハーヴェイとしてインスト・レコードも発表しています。また'58、'59年はインスト・ロックの当たり年で、チャンプ栖の「TEQUILA!」が#1になったり、B・ホリーのインスト版ともいえるファイヤーボールズ、リンク・レイ、そしてジョニーとハリケーンズ、サント&ジョニー、サンディー・ネルソン(「TO KNOW HIM~」のドラムはデビュー前の彼です)、そして極め付きはギター・インストの王者、デュアン・エディーの登場でした。
日本ではなぜか、ほとんど評価されませんでしたが、ギターリストとして一番の人気とヒットのあった人で、そのサウンドのユニークさとポップ・シーンへの影響は大きいものがありました。またイギリスでの人気は特に異常で、'60年の人気投票では1位でした(すごい!)。近年リバイバル・ヒットした「PETER GUN」などは後の<007シリーズ>や<バット・マン>のもとになったともいえますし、日本では未公開の映画「BECAUSE THEY'RE YOUNG」のテーマは、彼の"トワンギー・ギター"と流麗なストリングスとのコンビネーションは、すぐアル・カイオラが取り入れて「荒野の7人」となって登場、西部劇のインスト・テーマの基本形となりました。また「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のジョージ・マーチン楽団の「リンゴのテーマ」も、まさにD・エディーのマネジャー兼プロデューサーがレスター・シルで、テディー・ベアーズの録音の際、隣のスタジオで仕事をしていて知り合ったといわれ、この人と出会ってなければ<スペクター・サウンド>はこの世に存在しなかったといえるほど重大な出会いでした。
シルはこの時すでにスペクターがプロデューサー向きであることを見抜き、早速契約を結び、最初に買った曲のタイトルがナント「BE MY GIRL!」。
スペクターについては、まわりにいた人に才能があったので、本人にそう才能があったわけではない、という人もいますが、これは間違いです。確かにまわりにいた人々は有能でした。しかし、彼はプロデューサーとして一番重要な要素である<何をやりたいのか>ということが明確にありました。それは前にも述べましたがいろいろな意味での<直接性>というテーマを持っていたことです。これはもちろんR&Rのイディオム(佐野元春調)ですが、荒々しいサウンドの中の直接性より、スペクターがポップスに折り込んだ直接性の方がより<暴力的>ですらありました。
例えば、R&Rの時代になって<BE>という動詞で始まるビッグ・ヒットは「BE MY BABY」が第1号です(BE CAREFUL~などの慣用句を除く)。簡単なようですが、作る側にまわってみると、これが簡単に言い切れるものではないのです。まさにこれをスパッと言い切れるのが<スター>なのです。「TO KNOW HIM~」の断定と「BE」の命令。このシェイクスピア調の、時代がかったともいえる口調が、逆に新味を呼んだのではないでしょうか。この大時代的で、且つ直接的な手法は「I WANT TO HOLD YOUR HAND」(ユーモアの点ではJ&Pの方が数段上ですネ!)に共通したものを感じます。
シルと契約直後、スペクターはD・エディのセッションを見学しています。さっそく実地訓練をさせようというシルの計らいで、時は'59年の4月の後半でした。この年のエディーの最大のヒットは6月に発売された「FORTY MILES OF BAD ROAD」(9位)で、この曲はナント<ベース・ドラムだけをイントロでフィーチャーした、ポップス史上初のヒット曲>なのです。さて、ベース・ドラムのイントロといえば「BE MY BABY」ですが、この2曲の因果関係についての疑問を、10年ほど前の<ニュー・ミュージック・マガジン>で発表したことがありましたが、時期的にはこの推論が成り立つようです。が、モチロン、その因果については全く憶測の域は出ておりません。
エディーのスタジオは1トラックのテープ・レコーダーが1台しかないという粗末な設備ながら、そのエコーを駆使してのサウンド作りは、特に録音にはうるさかった若き日のスペクターには刺激的な体験だったと思われます。トワンギー・サウンドの秘密であった水道管やドラム缶をエコーに使用するという一風変わった手法は(そのためシルは何10個もドラム缶を買い、しかも一番響きのいい缶を探したといいます)スペクターが興味を持たなかったはずはありません。
そのような多彩な録音技術を駆使していた人は、D・エディー・サウンドの製作者<リー・ヘイズルウッド>でした(エンジニアはエディー・ブラケット)。ヘイズルウッドといえばナンシー・シナトラとのデュエットやアストロノーツの「太陽の彼方に」の作者として日本ではおなじみですが、エディーのプロデューサーとして最初に評価された人なのです。
~
中したスペクターは、一瞬たりともヘイズルウッドの背後から離れなかった>と発言しています。
その後シルは、スペクターをプロデューサーにすべく、今度はニュー・ヨークのリーバー&ストラーのもとへ送り込みました。’60年代の代表的なコンビがレノン&マッカートニーとすれば、’50年代はリーバー&ストラーの時代で、ロック・ビジネスを目指す人々にとっての目標でした。スペクターの学校の先輩でもあった彼らのデビューに一役買っていたのが、これまたレスター・シルでした。シルがマネージャーをしていたコースターズをきっかけに、ドリフターズ、そしてエルビスへの曲提供やプロデュースを行い、初のR&Rにおける独立プロデューサーとしての地位を確立したのがこの二人なのです。
スペクターにとって、このニュー・ヨークでの修行時代の最大の収穫はベン・E・キングのヒット曲「SPANISH HARLEM」をJ・リーバーと共作できたことでしょう。これはR&Rビジネスへの切符を手に入れた、つまり、お墨付をもらったということ......って、最大の自信となったことは疑う余地はあり.....
ま.... ドリフターズの「THERE GOES MY BABY」...にストリングスをフィーチャーする手法を....ことも<スペクター・サウンド>への引金になったと、私は思います。その手法でプロデュースしたジーン・ピットニーの「EVERY BREATH I TAKE」は、全くドリフターズ調でしたが、すでに<スペクター・サウンド>は出来上がっていた、ともいえる、本家を凌ぐ作品でした。<ゴフィン&キング>との最初の作品でしたが、この日のセッションにはリーバー&ストラーをはじめ、B・バカラック、B・マン&C・ウェイル、アルドン出版社の代表のD・カーシュナーら、そうそうたる顔ぶれが集まったといいます。そしてこの作品が、ここに集まった全ての人にスペクターの印象を強く与えることとなり、一緒の仕事が始まるわけです。特にこの曲で印象深いのはドラムのフレーズですが、G・ゴフィンの証言によれば、フィルはドラマーのゲイリー・チェスターに指示をして、それが実に的確だった、ということです。
この修行時代にすでに、J・ニッチェやH・ブレインがいなくても、これだけのものを作っていたことは見落とせません。スペクター・サウンドを作ったのはやはり彼なのです。
この曲は残念ながら大ヒットにはなりませんでしたが、来たるべき<スペクターの時代>の幕開けを飾るにふさわしい素晴らしい曲でした。
また、この頃、レスター・シルとリー・ヘイズルウッドは共同活動を解消、スペクターは新たなパートナー、いわば後釜としてシルと関係を結び、それが二人の頭文字を合わせた<PHIL+LES>の誕生となりました(シルとヘイズルウッドのレーベル名は二人の息子の頭文字から<GREG+MARK>というものでした)。
「本田宗一郎」はマンネリで視聴者が激減した大河ドラマの再起をかけ、2056年に主演 田中誠人で大河ドラマとしては初めて経営者を題材として製作された。
「本田宗一郎」は世界平均再生回数1億回を達成し、見事に大河ドラマの人気は復活した。
この「本田宗一郎」を皮切りに大河ドラマで歴史的な日本人経営者を取り扱うようになり、2058年「Fun to Drive」(主人公:豊田章男)、2060年「トランヂスタラヂヲ」(主人公:井深大)、2063年「Direct」(主人公:岩田聡)と立て続けに経営者シリーズが製作し、ヒットを繰り返した。
しかし、2086年「太閤記」(主人公:永守重信)で人気は急落、以降停滞が続く。
そこで、2100年に再再起をかけ、「それってあなたの感想ですよね?」(主人公:ひろゆき)では、悪役を主人公とする新たなチャレンジを実質し、2ちゃんねるが社会にもたらした悪影響、賠償金を踏み倒すスキーム等、氏の起こした数々の問題を批判的に取り上げ、空前絶後の大ヒットとなった。
また、それを受け、没後Vtuber化したAIひろゆき君が名誉毀損でNHKを訴訟する事態に発展し、世界初のAIが原告となる裁判が開かれることとなり、ドラマ内外で話題を呼んだ。
書きかけの増田なんだけれど、たぶん書き上げないだろうからそのまま投稿する
供養
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世界初のOVA「ダロス」をリアルタイムで見た、おじい増田だ。
その頃はまだ生きていた兄と一緒にグゴゴゴゴカガガガガ!!!すげええぞこのアニメ!!!薬莢が!!!階段を!!!川の流れのようだ!!!と感動したのを昨日のように思い出す。
そのOVA「ダロス」の基本ストーリーは、月の開拓民3世のレジスタンス達(テロリストとも言う)が地球の支配に対して反旗を翻し武装闘争を繰り広げるというものだ(初代ガンダムブームの余韻燻る時代だからこういう企画が通りやすい時代だったんですね)。
さて、ここからが本題。
このアニメの中で登場するメカのネーミングで兄と言い合いになった。
月の公安警察が使用する空を飛ぶパトカー(ブレードランナーの空飛ぶ車みたいなの)で下からフラミンゴみたいな足がニョッキリと出てきて
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「お互い歳をとったなあ。」
映画館にいる面々を見て、まずはそう思った。
年齢層が高いな、と思ったが
それよりも何よりも若いファン層を獲得するために様々な努力をエヴァしてきたんだろうなということをあらためて認識した。
全く成功していないのだ。
女性客も少なくはないのは
この映画は言うまでもなく
以前、マンガ夜話でも取り上げられていたが
そのこだわりがページを埋め尽くさんばかり
そういった音を実際に耳で体感できるのだ。
騎士が飛ぶように走る様子、
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・見てて恥ずかしくなる映画
・音を聞きに行く映画
・最後の恥ずかしい声優紹介も含めてニュータイプコミックを映像として再現するとこうなる
・最後の少し、えっ?と感じるところまで含めて
・メディア化しない理由というのを色々と理屈付けしてるがただ単にメディア化したくないからメディア化しないというのが真相だろう。
こういう作家の意図的なマイナー思考をどうやって無理くりに変化させるかがプロデューサーの仕事だとおも
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■息子と、飲む。
いつかプリキュアのキュアレモネードが変身した日にパニエを履いていた話を思い出す。
栄町のコンビニは華やかはあれど、明治の香りが煙たく漂う古臭い場所だった。
まるで、よっちゃんいかのような。甘酢の強さが強調された力強い雰囲気がある。私が過ごした40年前と大して変わらない空気。
するめいかが持つ甘さは、そこに一切存在しない。うまい棒コンポタの煙たい臭い。それが好きな人間しか受け入れられない古臭い匂い。お菓子売り場に連れられた私はそんな妄言を考えていた。
カップ麺売り場の棚が、かつて持っていた世界初の乾麺の威厳が薄れゆく中で、往時の輝きをあいも変わらず放つのは袋麺なのだろうか。
私と息子は行きつけの総菜コーナーに向かう最中に味は変わらないとの言葉を仕切りに話していた。
どの味も変わらないと。
目印的存在であった切り身魚の真空パックが売り切れてしまっても、私らは何喰っても変わらないと口にする。
おにぎりコーナーを抜けて、すぐの総菜パンとデザートの棚は永遠と広がる夢のファンタジーである。
今では5段重ねの立派なミルフィーユに生まれ変わっていたチーズケーキ。されど、心の中は小学校当時のままだという。
あぁ、中学一年生の頃に、ここの小学校のプールによく入っていたなぁ。そう話す私は立派な犯罪者だった。
それでも紅潮する息子の顔はとても粋だ。私は新装の日にホットスナックを頼んで、仲良くなった店員が今日一緒に飲む友人なんだ。
キザすぎるセリフを真実として話す私は最高にかっこつけで、かっこよく見える。
腹が出ていて、癇癪持ちに見えて、陰謀論者の私も、今日ばかりはトップガン・マーヴェリックのトム・クルーズよりもはるかにカッコよく見えることだろう。
普段は、近くにいたくもないと思える私も、なんだかきっと息子の憧れだろう。
息子が私に連れられたレジは、ホットスナックの棚に何が残っているのかもよくわからない場所だった。
入店から歩いて8分程度。大型冷凍庫の横にある、普通なら人が寄りつかないような小さなところ。
私と友人はここに100回以上来ているんだ。詭弁に思えるセリフも、今日は不思議な説得力を持って聞こえた。
どうしても話したかった話があるという。
息子が中学進学してようやく話す時がやってきた。
それは隣にいる友人の父親の話で10年以上温めておいた逸話なんだ。
自信を身に宿して、私は満を持すを体現するように話を切り出した。
その話は友人の結婚式でも話して、今日お前に話すために温めておいたと言っても過言ではない。
じゃあ今から話すぞ。友人の父親は有名な証券会社の役員だったんだ。ちょうどバブル期の頃、ボーナスが数百万円って世界で随分金回りが良かった。
だから友人は成人した時に、父親に銀座のキャバクラに連れられてったらしい。
酔っ払った父親に友人は何を言われたと思う?
その時に俺は、コイツはなんで人生の成功者なんだって思ったんだ。友人の父親がだよ。
友人は自分の父親に自分がマザコンであることを突き付けられたと感じたらしいんだが、俺はとにかく感銘を受けた。
これが人生の成功者なんだって。以来、私は母さんを俺の中の一部だと尊敬している。だからこそ決して母さんの悪口を私は一切言ったことがない」
その言葉を受け止める息子の瞳は、普段とは違った熱がこもっていて、80年間生きてきた中で、私が一度も見たことがない息子の姿。
振り返れば、完全に惚気にしか聞こえないよね。カッコつけられて、かっこいいと思わされちゃったかな。
そんな私が、私はなぜだか愛おしかった。
■
少子化ヤバすぎやろ
人数が減るって事は労働者も減るって事だけど、
もしくは、賃金の安い外国人労働者か非正規雇用で穴埋めしようとする。
そうなると、単価の安い外国人労働者を重宝しだして、日本人が外国人と椅子取りゲームする羽目になる。
今の政治家はそうなる前に逃げ切れるから、少子化対策に本気になってないように見える。
というか、政治家全部が影響が出て致命的になる前に逃げ切れる(その頃には生きてない)から、将来軽視の点数稼ぎしてるイメージ。