はてなキーワード: 理不尽とは
親族と、新郎新婦の親友のみの、小規模でしたが良い式だと思っていたところ、
箇条書きにすると
・親族紹介のときに、娘のことを(言う必要もない学歴を)院卒と紹介した。
・式、披露宴中に私語が多すぎる。
・孫(娘の子)に関わりすぎる。
・人のスピーチ中に、いちいちツっこみを入れる。
他にも私だけでなく、新郎側親族(娘にとっても親族ですが)の発言はどれも
無神経極まりない、恥を知れと。
一方的にまくしたてられ頭に来たので、こちらも言い返し怒鳴りあいに。
そんなことを言う娘ではないので、おそらく婿(娘の夫)の差し金だと思いますが
そこまで言うなら絶縁だと返すと、「あっそう、もう会わないから」と娘からも
絶縁宣言がありました。
理不尽な言いがかりをつけられ、一方的に悪者にされた挙句、もう会わない
どうにかして婿に頭を下げさせ、また娘と孫に会えるようにできないでしょうか?
※近年まれに見る気持ち悪い内容です。読後の苦情は不可、まあ匿名だから全然いいけど
さて、BLEACHの話をしようと思う。
と言ったけれど、多分その言い方はあまり適切ではない。これはある意味わたしの一世一代の大失恋の話なのである。そう、タイトル通りです。もう2度とあんな恋はできないと思うなあ、ほんとに。
彼(BLEACHのことですが)との出会いは中学時代だった。当時仲良しだった先輩に貸してもらったことがきっかけで読むようになり、なんだこれ面白い、とめちゃくちゃはまった。
多分本誌はまだ尸魂界編の途中だったかな。とにかく藍染はまだ柔和な笑みを浮かべてるような頃だったと思う。や、死んでたくらいかな。あいつの演技はほんとアカデミー賞もらえるレベルだったよ。
それこそ中学生なので、周りの友達はその頃誰が好きだとか、あの2人は付き合ってるとか、そんな話でもちきりだった。
今みたいに大々的にオタクが人権を持つ時代ではなかったので、わたしはオタクであることをひた隠しにして生きる他なく、恋愛の話題にもちゃんと乗っかり、それらしく擬態してはいたけれど、本当はクラスのAさんBくんの甘酸っぱい恋愛なんかより、わたしはずっと一護とルキアのことを考えていたかったのだ。てか考えてたけど。
驚きの気持ち悪さだと自覚はあるけれど、事実なので仕方がない。あの頃のわたしは、なにより一護とルキアの行く末を思って胸をときめかせ、涙を流していた。
それこそ自分の恋で泣いたことより、2人のことを思って泣いたことの方が多いくらいだ。人生トータルしてもそうかも。だって当時の日記には、一護とルキアの未来を憂う病みポエムまであった。まじでやべえな、我ながら。
作品も、現世編、尸魂界編、ここまではもう最高に大好きだった。今でも一護が白哉を倒し、そこから怒涛のように藍染が天に立つところまでの流れは凄すぎると思っている。
尸魂界編の最後、ルキアが現世には一緒に帰らないと言った時だって悲しくはなかった。一護、いい表情してたから。はいはい、強がっちゃってねとは思ってましたけど。
そしてその後始まった破面編。いやそれだって最初は良かったのだ。あまりに強い敵に心を折られる一護。そこではい登場!俺の光。最高でしたね。
だけど、少しずつ雲行きが怪しくなっていった。
そして忘れもしない、第237話『goodbye,halcyon days.』
もう無理かもしれないぞ?と思った。なんぞこれ?ってなった。でも、まわりの男友達は複数名あのシーン好き!って言ってたから男からしたらいいのかもしんない。5回生まれ変わっても好きになられたいのかもしんない。まじかよ。わたしはどうせなら毎回違う男と結婚したいですけど。
ちなみにその男友達たちにはどうせおっぱいだろ!って理不尽にキレといた。情緒不安定かよ。こんなキチガイと友達でいてくれてありがとう。
ちなみにもはや言い訳になるけど、織姫のことだって最初から嫌いなわけじゃなかった。初期の彼女はすきだったよ、ほんとだよ。
いやわかってる、単純に一護のことがめちゃくちゃ好きなんだってことはわかってる。いい子……なんだとも思う……思いますよ……だけどもう鳴き声みたいに黒崎くん黒崎くんといいだしてからは、どうしてもこれは無理だ……!ってなった。
でもまあ、その後もしばらく読んだんだよね。一応最終章に入るまでは追っかけてた。でもやっぱりどうしても段々と作品自体を愛せなくなり、勝手な批判ばかりが頭に浮かぶようになった。その時もうわたしはこのコンテンツのお客さんではなくなったのだと感じた。
嫌なら見るな、まさにその言葉通りだ。だから読むのをやめた。それでも大好きだった気持ちは忘れられなくて、漫画を捨てることはまだその時はできなかった。好きだったところまで嫌いになる必要はないと思ったし、そんな簡単じゃなかったから。
そのままずっと、みないままでいた。封印してた。
だけど、何事もそうであるように、BLEACHにもやはり終わりはやってきて。いよいよ来週最終回だという噂を耳にした。さすがにどうなったんだろうと思って、ネットを検索した。あれは確か会社からの帰り道、多分木曜か金曜か。そこでわたしはいわゆるネタバレサイトが何かを元にしたんだろうネットニュースをみてしまった。
そこには一護と織姫が結婚して、恋次とルキアが結婚した、と書かれてた。信じない、信じないぞと思いながらも、多分震えてしまってたと思う。
そして来る月曜日。いやーぜーんぶ本当に本当でした。そうして想い出は、粉々に砕け散った訳だ。
ほらね?これは一世一代の失恋と言っていいのでは??自分の失恋なんてもはやほとんど覚えちゃいないのにね。
その後、捨てられないでいた既刊は全てBOOKOFFさんに売りに行きました。わたしはもういよいよ作品の読者として相応しくない存在となりましたので。元々なってたけど!
いやーーーでもさあなんでああなったかなあ?真咲と織姫が太陽として描写されていたから、こうなるのでは?っていう考察ブログもあったんだけどさ(いやそのブログはまじで凄いんだけど)
結局黒崎一護はお母さんを護りたかったあの日からなにも変わらなかったということでしょうか。井上織姫は母の代わりの太陽ですか?男の子は母親に似たひとを好きになる理論強すぎか??そりゃマザコン男による離婚騒動が永遠になくならないわけだよ。しかもなんだかんだ同じ世界に生きるもの同士でくっついちゃうんですか?お互いに背中を支える月のような彼女ではだめだったんですか?
うん、だめだったんだね。少なくとも、男女として生きる相手にはならなかったんだ。いやしかし、男女の辿り着くゴールが必ずしも性愛であるというのも逆に古いのか?もしかしてわたしの方が固定概念に囚われているのか?
でも最後に負け惜しみを言わせていただくと、わたしはやですけどね!!自分を護ってくれるけれど。そのために何度でも立ち上がってくれるけど!女として愛してくれるけど、家族になったけれど、それでも彼の後ろにはあの小さな背中が一生ちらつくなんて。
ふんだ。
あ、でもね!ただひとつ言っておくけれどBLEACHという作品は今でもすごいなあと思っている。めっちゃ面白い。
わたしはわたし特有のめちゃくちゃ気持ち悪い理由で読めなくなってしまったけれど、あのポエムといい、キャラデザといい、唯一無二にも程がある。
世界の多くの人よ、もしもまだ読んだことなかったら、そして暇だったなら、この何もできないGWにはぜひともBLEACHを読むといいと思う。
あの〜ところで白猫コラボやったら、唯一織姫だけがガチャで出たんですが?これは何かの嫌がらせでしょうか?しかも意外と使い勝手いいじゃねーか、育てちゃったよくそっ
きっかけは母親が「空気を読む脳」を買ってきたことだった。以前からこの人の主張はおかしいと思っていて耐えられなくなりこの人の他の本も読み、言動についても調べた
酷い。矛盾だらけ、エビデンスにならない動物実験ソース、人を見た目で判断することは科学的に正しいという主張、本人の言っていることとも矛盾した倫理観。
彼女がいつも言う「日本人はセロトニントランスポーターが少ないから不安に駆られやすい」という理論、まずこれが怪しい。SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)について知っている人なら奇妙に感じるだろう。この薬は、セロトニントランスポーターの機能をあえて弱めることでシナプス中のセロトニン濃度を増やし不安を和らげる薬だとされている。つまり、彼女の理論とSSRIの作用機序についての理論は正反対なのだ。モノアミン仮説にもやや怪しい部分はあるが、正反対の解釈というのは流石におかしい。神経科学の専門家はどう思っているのだろうか。
「空気を読む脳」で日本人はサイコパシーの傾向が強い人が「どちらかといえば」少ないから内側前頭前皮質が発達していて倫理や美醜の観念に厳しくそれが変わりやすいのだと書いていた。当たり前だがサイコパスの人の数を正確に見積もるのは難しいのであってそういった数字は単なる誤差か診断基準の違いによるものである可能性の方がずっと高い。仮にサイコパスの人が少なかったとしても内側前頭前皮質が発達している人が多いことを意味するわけではない。サイコパスとは行動や心理をもってそう判断されるものであって実際に内側前頭前皮質の機能が弱いとは限らない。内側前頭前皮質の機能が強い人も弱い人も共に少ないということもあり得る。
ついでに「不倫」では日本人は保守的で変化を好まない民族だとも言っていた。それなのに倫理観が変わりやすいらしい。数年前には問題でなかったことが問題になるのは日本に限ったことではないし「日本人の脳」に原因を求めるのは無理がある。
「戦国武将の精神分析」では汚い手も使って勝った徳川家康が今でも日本人の理想のモデルとして存在しているとも宣っていた。日本人は美しい敗者を好むのではなかったのだろうか。美醜の観念が変わりやすいのではなかったか。
美醜の観念が変わりやすいのに何百年にも渡って義経のような「美しい敗者」が理想化されているらしい。
「不倫」でもこういった飛躍がある。たかだか寝かしつけの習慣があるからといって日本人はオキシトシン受容体が多いのだということにしていた。もちろん実際に日本人の脳を調べたわけではなし。スキンシップの総量が他の国と比べて多いか少ないかわからないのである。オキシトシンの多い人は不倫傾向が弱いとも書いていたが、日本人は不倫が多いという同著での主張とも矛盾する。(よくよく見ると厳密には比較不能な国際調査と国内調査を比較していたが)
更に、セロトニン神経細胞にはオキシトシン受容体が存在し、オキシトシンが増えるとセロトニンが増えるという事実は「日本人はセロトニンが少なく、オキシトシンが多い」というモデルとも上手くかみ合わない。彼女もこの矛盾に気付いているのか、週刊新潮 2020年12月17日号での佐藤優との対談でまだ発見されていない要因があるのかもしれないと言っていた。
更に中国や韓国の「反日」まで「セロトニンが少なく、オキシトシンに頼りがちな遺伝的特質」のせいにしているのには呆れを通り越して笑ってしまった。歴史上何度も革命を起こしている中国人もまた、保守的でリスクを好まない形質の持ち主らしい。
「サイコパス」でフロイトはトンデモだという声もあるほどだなどと書いていたが、リビドーや無意識という概念の代わりにセロトニンやオキシトシンや脳部位が万能の説明法として君臨するようになっただけで間違い方に大して違いはない。
この記事でも指摘されているように、彼女は不要な場合でもひたすら専門用語を使って話す。https://anond.hatelabo.jp/20150908145246そういう言葉を用いれば多くの人間は科学っぽく感じてしまうことをわかっているのだろう。
人間でもそうだという根拠にならない動物実験をたびたび引用して人間の話に繋げる。キツネ、マウス、プレーリーハタネズミ、サバクトビバッタと…
「脳・戦争・ナショナリズム 近代的人間観の超克」(嫌な部分が剥き出しで、是非お勧めしたい本だ!)で人間に何世代も飼いならされたキツネは容姿が変わってくることを挙げて人を見た目で判断するのは科学的に正しいのだという主張に持っていっていた。少し脱線するが「空気を読む脳」でもたかだか0.126の相関で「容姿と知能に関係がないとは言い切れない」などと書いていた。それだけの数値なら関係ないかあったとしてもごくわずかな関係しかないというべきだろう。
「戦国武将の精神分析」でマウスを取り上げて人間でテレゴニーが起こらないと証明されきったわけではないなどと立証責任を押し付けた。確かに人間にもマイクロキメリズムはあるがそれはテレゴニーとは違うものだ。それにしても不倫バッシングを批判する中野がヒト・テレゴニー説に対して好意的なのは面白い。
「不倫」でプレーリーハタネズミのAVPR1a遺伝子を操作すると生殖行動が変わり、AVPR1a遺伝子が人間とボノボで「ほぼ」同じだからといって人間も本来ボノボのように乱婚的だと示唆した。
そのわずかな違いが重要な違いである可能性はあるしAVPR1a遺伝子も実際は空間記憶能力に関わる遺伝子で空気記憶能力の高いプレーリーハタネズミは行動範囲が狭く単婚的になるというのが実際のようである。https://www.eurekalert.org/pub_releases_ml/2015-12/aaft-_4120715.php中野はかなり単純化・歪曲して解釈している。
「空気を読む脳」で書いていたサバクトビバッタに至ってはなんとセロトニンが多いバッタが集団志向になるのだそうだ。同著での主張とは真逆だ。
文藝春秋4月特別号の「脳科学者が小室圭を「分析」する 世間の常識はなぜあの母子には通じないのか」でゴールドウォーター・ルールに触れておきながら小池百合子やドナルド・トランプがサイコパスだなどと言っている。精神科医ですらない人間が直接の診察もなしであの人はサイコパスだなんだと言っているのである。
「ペルソナ」でセクハラを告発していたが、「脳・戦争・ナショナリズム」では以前なら当たり前だったことも「セクハラ」「パワハラ」にされてしまうなどと言い、今日かわいいねと言ったら今まではかわいくなかったってことだと思って泣いた子供を批判的に取り上げて世の中が過敏だというニュアンスを込めて論じていた。以前とは考えが変わったという見方もできようが最近でも「昔は乱婚だった、現在の倫理を相対化すべきだ」という主張を繰り返している。当たり前だがある倫理が新しいことはそれを否定する根拠にはならない。私は乱婚社会を悪だとは思わないが。
「ペルソナ」の話に戻ると、親と子の関係に他人が口を挟むなとも書いていた。虐待の温床となる態度である。旧式の価値観に従っていい子でいるくらいなら~などと宣っているが、旧式の価値観にしがみついているのは彼女自身である。
そして最後に「不倫」で書いていた、不倫は遺伝子によって決定されているのだからそれを断罪することは差別や優生学に繋がるという主張について批判しておこう。
別に不倫遺伝子とはあれば絶対に不倫するという因果律を支配する魔法のようなものではない。ある人はない人に比べてその確率が高くなるといった程度のものなのだ。もし殺人やレイプのような重犯罪についてもそのような遺伝子があれば殺人やレイプも断罪してはいけないことになってしまうだろう。不倫バッシングも遺伝子のせいだとすれば不倫バッシングを差別だ優生学だと断罪することもまた差別ということになり自己論駁に陥る。「あなたの脳のしつけ方」では後天的に脳を変えることもできるのだと書いていた。この頃はまだまともな内容を書いていた。
思うに、彼女の本がベストセラーになるのはこういった免罪的側面のせいなのだろう。そういった遺伝決定論に従えば不道徳な行動も遺伝のせいになり免罪される。世の理不尽なことも「脳や遺伝子のせい」とわかった気になれる。
橘玲の本のレビューにも「遺伝によって決まっているのだから学生時代あんなに頑張ることはなかった」とか「子育てするお母さんに読ませたい」というものを見た。遺伝率とは集団規模での決定係数のことであって個人のレベルでは親のIQから予想された数値より高かったり低かったりして当たり前でどのくらい予想された数値と違うかも個人によるのだが。
この記事におかしなところがあったら、具体的な反論をしてほしい。私も流石に脳や遺伝子についてそこまで詳しいわけではない。中野の本を読み、関連する内容を調べた程度なのだ。それでもこれだけ矛盾が見つかる。
追記:2021/5/8
https://next49.hatenadiary.jp/entry/20161220/1482228666
“2000年の論文で「この損害回避とセロトニントランスポーターのプロモーター領域の遺伝子多型との関連を支持する研究と支持しない研究が存在し,今後さらなる検討が必要である」とあり、2009年のメタ分析の論文で少なくともフィンランド人のサンプルにて不安遺伝子を持っているかどうかと損害回避性(harm avoidance)と神経症的傾向を持っているかどうか調べたところ関係があるという証拠はないという結果がでているのだから、セロトニントランスポーター遺伝子が少ないから損害回避的にふるまう傾向があり、そのため、「上位の人間に対して勇気を持って行動できる性質」が日本人にないというのは適切でない主張。”
https://www.ncnp.go.jp/nimh/pdf/kenkyu59.pdf
“さらに、この S/L 多型は、PET により測定される脳内 5-HTT 結合に影響しないこと、前述したように、5-HTTLPR の多型は S 型と L 型の 2 つではなく、14 種類のアリルからなり、それぞれの機能の異なる複雑な多型であることからS 型、L型の2分法での研究自体に疑問が生じているのが現状である ”
https://neurophys11.hatenablog.com/entry/2016/03/01/223747
”ざっとこんな趣旨の記事だが、先に書いたようにそんな気質そのものがたった1つの遺伝子で決まるものでは無いんである。このセロトニントランスポーターが気質を決めるというのは実は結構な前から沢山の論文が発表され、ある程度そう言える部分はありそうなのだが、それでもその決まる程度は極僅かで、決して「日本人気質」を作ってなどいない。
こういった「1つの遺伝子が性格を決めている」系の話は、すべて科学漫談として楽しんでおけばいい。特にセロトニントランスポーターが気質を決めるという話は良く出てくるが、そんなにすごい力コレだけにはないですよ。”
https://www.amed.go.jp/news/release_20160128.html
”SNPの品質管理などから、最終的に1088名について解析を行いました。その結果、BMP2遺伝子近傍のSNPとストレスフルライフイベントの相互作用が、統計学的に有意にうつ状態と関連することを見出しました(図2、図3)。そして、抗うつ薬の作用点であるセロトニントランスポーターなど、古くから知られる候補遺伝子には、有意な関連は認められませんでした。”
どうやらセロトニントランスポーターが「日本人らしさ」を決めているというのがトンデモだというのはまともな研究者ならすぐわかる話のようだ。中野信子はあまりにも本を流行らせ過ぎた。研究者はもっと積極的に反論するべきだろう。
脳が老化すると前頭葉の働きが衰えて、理性的でなくなり、怒りを抑えられなくなるってのを聞いたことがある。
つい最近、自分もそうなりつつあるんじゃないかと思って不安になったので、ここで吐き出しておく。
今まで利用したことのない某サービスを利用してみようとウェブサイトから申し込みを行なった。
いくつも店舗があるのだが、自宅から行きやすそうな店舗を選んで初回予約の申し込みをしたところ、
(主な利用客は女性なので)男性にサービスを提供している店舗は限定されているようで、当該店舗では取り扱ってないとのことだった。
「取り扱いしている店舗に問い合わせてください」という回答で、店舗一覧ページのURLを案内されたのだが、
その店舗一覧ページを見ても、自分がサービスを受けられる店舗がどれなのかは掲載されてない。
この時点でちょっと腹が立った。
サイト内を回遊して、何とか男性の取り扱い店舗一覧を見つけて、別の店舗に申し込んだところ、そこでも取り扱っていなかった。
どうやら名称の似た別の店舗と間違えてしまったようだ。(「東急渋谷店」は「渋谷店」とは別物だったみたいな感じ)
そしてまた、「取り扱いしている店舗に問い合わせてください」という回答で、またウェブページを案内された。
今度は、必要な情報の載ってない店舗一覧ページではなく、男性の取り扱い店舗一覧ページだった(さっき自分が見てたページ)
たらい回しにされた感じがして、また腹が立ってきた。
店舗名を見間違えていたのは私のミスなので仕方ないのだが(それでも誤認しやすい店舗名の付け方に問題はあると思うが)、
なぜ他の店舗に問い合わせよと言う回答に、「○○店や◆◆店であれば取り扱っています」などと近隣で取り扱いしている店舗を具体的に案内してくれないのだろう。
多店舗展開している事業者だから、実際に受付対応しているのはアルバイトの人なのかなと思うと、そこまで気の利いた対応を求めるのは違うとは思う。
それでも求める情報が掲載されてないページを案内するだけで済ませるのは仕事が適当すぎる。
苛立ちが収まらないので、お問い合わせフォームで苦情を入れた。
上述の経緯、対応している店舗がどれなのかサイト上で探しにくいこと、店舗名が紛らわしいこと、ウェブページを案内するだけでなく近隣で利用できる他店舗を具体的に示して案内してほしかったこと。
怒りを感じながらだが、きちんと丁寧語で書いた。業務の改善には役立つ情報になるだろうとも思いつつ。
自分は、手厚く待遇されることで満足感を覚えるタイプの人ではないと自認している。
人を持ち上げたり人から持ち上げられたりするのは好きじゃない(ので、フリーランスで上司も部下もいない仕事に満足している)し、買い物するときには用があるまで絶対に話しかけてほしくない。
それなのに、ぞんざいな扱いを受けたような気がして腹が立ってしまったことにちょっとした衝撃を覚えている。
今回の先方の対応は、通り一遍のシステマチックな対応だったというだけであって、特段失礼と言えないものだったのに。
メールだけのやりとりなので、相手に対して声を荒げたりあからさまに高圧的な態度を取るということは起こらなかったけど、対面だったら穏やかに振る舞えただろうか。
最近女性の自殺率が例年の数倍に跳ね上がっている、という嘆かわしいニュースを見た。
本来なら穏やかに生きていける筈だった女性が自ら命を絶つという信じられない悲劇が、最近の日本では急激に増えている。
私と一緒にニュースを見ていた母も、「幾ら何でも数倍って異常じゃない?」とこの残酷な現実に憤っていた。
このはてな匿名ダイアリーでもよく目にする、「日本人の自殺率は女性より男性の方が高い」という話題だ。
「男性の方が自殺率が高く女性は低い、なので男性の方が不幸で苦労している」という風潮を身近な人はどう思っているのか気になっていた。
母の答えは明瞭だった。「男の方が弱いから追い込まれるとすぐ自殺に逃げるんでしょ」と、ズバッと言ってくれた。
男の方が女より弱い。これは肉体的な意味ではなく、きっと精神的な意味で、という事なのだろうか。
つまり、負荷をかけられた際に耐えられる強度が女性より男性の方が低く、女性なら耐えられる事も男性なら耐えられず死を選んでしまうのだろうか?
なるほど。明確な根拠は無いけれど私より長く生きてきた母の言う事だから、確かに全てが間違っているとも思えない。
女性は出産の際に、鼻の穴からスイカを出すような激痛に耐えて子供を産むらしい。その痛みに男性は耐える事が出来ず死んでしまうそうで、女性の方が痛みに対する耐性は高いそうだ。
それに、女性は毎月自分の意思に関わりなく気分が落ち込んで体調を崩す人生を否応なく送らされている。そうやって理不尽に対して耐える能力が自然と鍛えられているのかもしれない。
私の母は妻として、仕事のストレスに耐えられず体を壊すまで酒や煙草に逃避し、家族に暴力を振るい家の外に女を作った夫を見てきた「経験」からその事を学んでいたのだろうか。
勿論この母の答えが絶対の真理と決めつけようとは思わない。
だけど「男性の方が自殺率が高いから女性は男性より恵まれている」という論法を見た時に対する受け取り方もまた少し変わってくるかもしれない。
「それは男性が女性より辛いからではなく、単純に男性が女性よりメンタルが弱いからじゃないかな?」と、こういう考え方があっても良いのだと思う。
【追記】
「男の方が女より弱いからすぐに自殺する」という言い方ではあんまりに思った男性が怒るんじゃないかな?と、私が母に尋ねると
「どんな男も母ちゃんのお腹の中で育って産んでもらって生きてるんだから偉そうな事を言わない方が良い」とこれまた明確な答えが返って来た。
全ての生き物、全ての人間は皆母親から生まれてくる。そりゃあ「母親」って強いよな…と思わずにはいられなかった。
【追記2】
コメントやトラックバックの中に↑の文章の中から正確に私の母の情報をプロファイリングしている方が何人か居て驚いた。
“男の方が女より弱い”←家父長制で虐げられてきた女性が溜飲を下げるための自己暗示では。こう思うことで主観的な辛さが軽減したとしても、構造的に不利な立場は何も変わらない、そのことがもどかしい。
どうも母は長年連れ添った夫に愛憎入り混じった感情を抱いてるようで、その姿を見て恨みも込みで「男は弱い」論者になったんじゃないか、と思っています。
増田の母世代、おそらく60代くらいの女性って自立できないから夫に何されてもただ我慢するしかなかったから増田の母はおそらく夫をはじめとした男性全般のことを嫌いなんだよ、ただそれだけだ
ボケがあああああああああああああ!!死ねやあああああああああああああ!!
って心の中で常に叫んでいる。これ書いてる時もな。定期的にキーボードのキーが吹き飛んで困る。
赤ん坊が泣いてればうるせえから憎いし、赤ん坊が静かにしてれば赤ん坊らしくなくて憎い。
ものを知らない中年が憎い。知識でマウントとってくる中年も憎い。
無駄に力を持っている老人が憎い。か弱い老人が憎い。
何より社会が憎いね。俺が5000億円持ってて、全ての人間を奴隷扱いできない社会は間違っていると真面目に思ってるよ。
俺は1000年生きたいし、この世の全ての場所に行ってみたい。美味い物を喰って面白いこと全部やって、綺麗な景色も全部見たいね。
そんなんだから、スティーブ・ジョブズが死んだ時、「ざまああああああ!!」って手を叩いて喜んだね。
俺はあの、俺より稼いでて尊敬されてた、いけすかねえハゲ野郎が知らない世界や未来を見られるんだからな。
一面的に、俺はジョブズに勝ったと思った。嬉しかったね。祝杯あげちまったくらいだ。ま、祝杯用に温存してた山崎の焼酎が不味かったからそこの酒は二度と飲まねえって決めた日でもあるが。
人間なんてのはこのくらい身の程知らずで、自分勝手でいいんだよ。
高望みしろよ。お前達に足りないのは原初的なエネルギーだ。根本的に、世の中のためだとか人を喜ばせようとか、そういう、クソみたいな意識があるからだめなんだ。
自分を満たすために生きろよ。自分の不足を憎め。他人の全てを憎め。人を憎んで、世界を憎めば人生はよりよくなる。
ゲームがつまらないとか言ってたけど、要は憎しみが足りないからつまらないんだ。
俺はゲームが面白いよ。ミスったら自分を憎んで戦えるし、自分より上手いやつの存在が憎いからやりこもうって気になる。
ゲームなんてのはキャバクラみたいなもんだろ。ちゃんと俺を接待しない製作者も憎いね。
わかるか?お前達の人生に足りないものは憎悪だ。憎悪が人生を豊かにする。
俺はずっとコンプレックスを抱いて生きてる。他人は俺より恵まれていると感じる。その衝動が俺の人生を突き動かしている。
この世は不幸に満ちていて、世界の人々は理不尽に晒され続けるんだからな。
不条理が他人を焼いていると思うと、心の底から俺は幸福を感じる。
だからこの世界は俺を喜ばせるために存在しているかのようだ。でも、そんな倫理観の無い世界が憎い。
赤の他人を心の底から憎めるようになれ。そうすれば人生張り合いが出てくるもんだ。
まあアレだ。正しいとか間違ってるとか、そういうレベルの低い話じゃねえんだよ。
人生なんてのは死ぬまでのゲームに過ぎないんだからよ。せめて自分の楽しいゲームにしなきゃだめだろって話だ。
私はこの世界を作りこの世界の法を敷いている創造主のことを信仰していないのだなと気づいた。創造主はただの創造をした人であり、それだけの特に担ぎ上げるような、何か頼りになる人間ではないのだ。
私がこのようなことを言うのは、私が中学生の時に負ったトラウマ故である。私は時の巡り合わせで治安の悪い学校で嫌な思いをし続けた。それで自分はそこで真面目な生徒としてやって来た(まあ怖い先生がいたのもあるが)けども「悪魔」は私の心をすり減らした。そして一時自傷行為に走った。
学校を卒業した後もトラウマは残り、他人への不信感なども残った。そしてそのトラウマを逆撫でするような理不尽なことも少なからずあった。そして、それに対し現実を受け止めろといった人もいた。
私はその度に法を敷いた想像主を憎んだ。想像主は最初から私の運命を予定されて、辛く惨めに恥をさらして生きることを天下世界に公約したのだと。私はその創造主を殺したいと思ったし、その殺意は自分を合理主義や快楽主義に走らせた。創造主すなわち神は石ころのようなレゾンデートルと同じく本当に絶命しろと呪った。
しかし不思議と私は神社にお参りすることは続けたし宗教は否定しなかった。単なる世俗的行事とか、精神的行為として考えてたのだろうが、不思議とそれが私の創造主殺しと矛盾すると考えなかったのだ。
とはいえ結局これが私の心のなかで完結している、人に説明できない事象としてあり続けるのも違和感はあった。そしてその違和感に答え違和感を解消したのは遠藤周作の本であった。自分の心の中の「妄想」を語ってくれて名誉回復をしてくれた気分であった。「海と毒薬」「沈黙」では信者の信仰上の苦悩や矛盾を唾棄する世界の法やそれに対するキリストの愛を語った。「イエスの証人」では、卑怯な世界の法を変えられずとも、広く深い満ち溢れる愛を振りまいてきたキリストの姿を描いた。そして、「深い河」では何者をも包摂する存在が残酷な法理の世界にもあることを示してくれた。
私はそれらを読んで、私が創造主を憎んでからも、心の縁としていたもの=神の正体を知り安心した。
今はコロナ禍という創造主がずけずけとでしゃばり図々しく存在を示すことが出来て下品な笑いを上げている時である。私にとってはさもありなんと思うが、私は自分を支えるものを知っているし信じている。それは私を今日まで勇気づけてくれたものである。私はそれを神と呼び、自分が生きたいと望むときに神は現れる。
そもそも既婚女性の何処が奴隷なのか分からない、独身女性の方がよっぽど経済的に貧しくて奴隷だ…と思うし
何つーか、他人への蔑称として「奴隷」という言葉を使う神経が分からない。
「社畜」も割とそうだけど。
自分を含む人間がこんなに理不尽な待遇を受けていて辛いですっていう、抑圧者や社会全体に対する糾弾として
そうじゃなくて他人を叩く意味で使う人達ってどういう神経してんの。
これだから従軍慰安婦を「性奴隷」と呼ぶ事にも賛同できないんだよな…今以上に被害者叩きの方に向かうのが目に見えているから。
ソシャゲってちゃんとやればちゃんとむずくて、頭使うんだよな。
ソシャゲはキャラが多い割にシナジーを考える必要があって、メタもちゃんと考える必要があって、そこまで踏み込むとかなり深い。まぁランキング上位狙わないなら、ネットテンプレで間に合うけど、それって他のアタマツカウゲームでも攻略サイト見てパクればクリアは簡単なのと一緒だしな。
まず、コンシューマゲーム市場が一度成長しきってしまって、今は縮小してるから、ゲーム難易度を高くして偏狭なアタマツカウゲーム大好きオタクにリーチする意味がないんだよな。
もうとっくにゲームはメジャーな物になって、その中で非ゲーマーをいかに取り込むかのステージなんだよ。
だから(何故か偏狭オタクは「高難易度だ!」と称賛する)古き悪しきファミコンゲーみたいな理不尽所見お断りのシステムだと売れる訳が無いんだよな。
ここは同じ感覚だわ。
ただ、任天堂に対して「キャラを好きにさせて~」みたいなのは間違いじゃないけど、ちょっと片手落ちだと思っちゃう。任天堂はもっと凄いと思ってる。
任天堂がやってるのはゲーム体験の拡張だよ。現実とのゲームをリンクさせて、ゲームを画面の向こうからこちら側に引きずり出そうとしてる。(リングフィットとか分かりやすい例だな)
今までのゲームもそれを通じて、生活の見方を変えたり、友達と協力したりって言う画面を超えた体験はあったけど、任天堂はその体験をもっと拡張しようとしてるんだと俺は見てるな。
逆にソニー(プレステ)は画面を通じて伝える事の解像度をあげようとしてる感じがする。
どっちもすごく楽しみだよ。ゲームの未来はまだまだ明るくて、ソシャゲも凄いけど、ソシャゲじゃ出来ないことをやってくれる予感がしてる。
2010年、2015年がインディーズの台頭で、ゲームの中の多様な感性を拡大して、ゲームというものの彩りを増やしてくれたのだとしたら、
20年からは今までのゲーム会社の再興で、ゲームの解像度が上がって、より広い人にゲームがリーチされて、より大きな感動を与えてくれることになると思ってる。
読みたい本は山のようにあったが、なんとなく暇つぶしに端末に読めるもの、読み返しても面白いもの、を基準に選んだ。
例えばギャラリーフェイク、例えば蟲師、例えばファウンデーションシリーズ。
それでも100冊までは余ったので続きが気になってるけど買ってはいなかった本を買った。
で、それが違国日記。
7巻まで出てる。
どんな漫画かっていうと、姉夫婦が突然死んでしまい姪を勢いで引き取ってしまった少女小説家の話。
へんくつな少々コミュ障気味の小説家の話す言葉、つまりは語彙が姪にはむつかしくて、違う国の言葉に聞こえる、と言う。
ちょっとこの漫画の少女小説家の思考方法には、うなずけるところとそうでないところがあって、実のところそれについては
語りたいのだけど久しぶりにここに書きたくなったのは、その最新刊、35話で、姪の同級生の女の子のエピソードを読んだせいだ。
彼女は医学部志望で、例の医学部女子受験生は男子と違って下駄はいてない、というニュースに激怒する。
自分は生き方を否定された、と絶望して学校に一時期いけないのだが…
男子が下駄はいている理由は「医師が体力勝負で、24時間対応が求められることもあり、女性という生物学的機能(妊娠・出産)に
よる離脱が想定されうる」ので、「男性医師が欲しい(同僚としても部下としても社会的にも)」という理解でいたのだが(認識が
違っていたらごめんなさい)、作中の彼女は「人間扱いされてないってことだよね!」と叫んでいる。
両親が医者で病院を継ぐことが目的で夢で存在理由なそんな彼女が、女ってだけで不合格になる、それは理不尽だと思う、思うのだが…
少し「もやっ」とした違和感があった。
作中の彼女は15歳で、その子に現場のニーズでそうなってしまったんだ(正しくない選択だとは思うけど)、とつい言いたくなって
色々もっと方法があったかもしれないが、「入口で障害を作るしかない」という「悪手」を取ってしまったのは彼女を否定したいわけ
でも受ける資格がないとでも言ってるわけでもないはず。
…とはいえ、ここまで書いてきて思ったが、ニーズがない、と言われたと彼女が取った、のかもしれない。
男が怖いから世の中の男全て消えてしまえ、みたいな文章に出会ったときと同じように、少しもやっとする。
…自分が物書きのくせに言語化できないのは修行がたらん気がする。
しかし医学部志望の子のエピソードは、なぜかちょっと違和感があったのだ。
個人のありよう生き方は社会と関連するとはいえ、内面だけ深く深く掘っていく漫画であってほしいな。
勝手な読者の言い分だね、まったく
ウマ娘のプレイヤー、ストーリー見るのを惜しんでプレイはしているがプレイ中ほとんどスキップしまくりで暇だから俺の作った切り抜き動画を見ながらプレイしてるらしい。
おかげでめちゃくちゃ再生数がつく。
例えば新章が追加されたウイニングチケットについてシナリオを切り抜きしただけの動画を短く切り貼りして投稿するとする。
規約回避のためにそうしているだけで創作性があるなんて自分でも思っちゃいない。
いいわけではないが俺はまだましな方で、単純にキャラストーリーをそのまんま上げてるだけの動画でも収益化承認されている。
俺はチキンだから一応手を入れてるがそれすら必要ないのかもしれない。サイゲームスはとんでもなく寛容なのだろう。
普段作ってる動画には1週間かけてちまちまと数時間の作業してようやく1本作れるのに対してこちらの制作時間は15分だ。
テンプレ化してるから文字と画像の入れ替え以外はほとんど頭使ってない。
こんな手抜き動画が10万以上再生されたりする。特に需要が高いのは誕生日メッセージをつなげた動画だ。見逃した人や自分でホーム画面を変えるのがめんどくさい人がわらわらと群がってくる。
動画再生数がようやく1000くらいの時は広告がついても10円にもならなかったのに
再生数が伸びるととなぜか単価も良くなるらしい。それともウマ娘動画の広告費だけ競争状態で高騰しているのか?これだけで3万円の収益になったこともある。
今のところ収益化制限の警告すら来ないので公式的にも問題ないと認識してくれてるみたいで非常にありがたい。
しかも、こんな手抜き動画に対してみんな動画ありがとうと言ってくれたり動画内容についてあれこれ考察してくれて完全にWinWin。
承認欲求も満たされるしお金も手に入るしみんあも喜ぶしいうことなし。
…そう思っていた時期が俺にもありました。実際は複雑な気持ちだ。
普段死にそうな思いでなんとか納期に間に合わせてそれでも毎日のように上司から嫌味を言われる仕事って何なんだろう。
今まであれこれ工夫しながらちょっとずつチャンネル登録者数を増やしてきた3年間は何だったんだろう。
なにもかもが理不尽に感じる。
切り抜き動画の再生数が伸びてもチャンネル登録者数が伸びてないからこれで仕事辞められるなんて思ってない。
でもあまりにも急に大きな幸運が舞い込んできたせいで、今は切り抜き動画のことしか考えられない。
俺はウマ娘のブームが去った後でもめぼしいゲームやらVTuberに目をつけて乞食みたいに切り抜き動画を作って生きていくのだろうか。
そして運悪くなにかで事故ってアカウントがBANされた時に自分は果たして立ち直ることができるのか。
今は間違いなくハッピーなのに将来のことを考える時が重い。最近躁な時と鬱の時の気分の変動が激しくて吐きそうだ。
どうしたらいいんだろう。
現地企業勤務だから日本人駐在員様から見たら鼻で笑われる額だが、それでも現地の肉体労働者に比べたら3倍近い給料を貰ってる。
喧嘩も多いし子供もまだだが、一回り下の妻もできた。妻は日本語も少々できるから給与も標準の5割り増し程度で、共稼ぎ4.5人前くらいの収入になってる。
こっちの言葉もなんとか困らない程度に話せるようにはなってきた。言っておくが、血の滲むような努力の結果だ。話が通じなくてキレそうになったり、涙で枕を濡らす夜も数え切れない程だった。
勤務先はワンマン企業だから理不尽なことも多いが、最近やっとあれこれ手続きしてくれて不法就労者じゃなくなった。
妻の実家は農村で大量に親類縁者がいるから、何かあってもそっちに引き込もれば食うだけなら困らないだろう。
あとは大きな病気に気をつけて、早く子供作ることかな。まぁ日本のブラック企業でパワハラ受けて精神病んで引きこもってた数年前に比べたら何もかもマシか。人には到底オススメしないが……
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/topisyu.hatenablog.com/entry/2021/04/28/073000
>> 中学まではすくなくとも公立に通ってほしいんだよな。いろんな人が世界にいることを知ってほしい。 <<
公立中学行ったくらいでいろんな人が世界にいることを知れるとも思えないし、私立にだって貧しい家庭以外のいろんな人がいる。
本当に見せたいならボランティアに参加したり、世界中を旅して現地の人と交流する機会を作ればいい。
>> 子供が受験勉強をマネージする能力がないから親がマネージするしかないって受験の意義ないやん。自己マネージの経験積ませるのが受験ってやつでしょう <<
ほとんどの大人は自己マネージなんかできないから上司からマネージメントしてもらっている。
公立中学の先生は全く頼りにならないし理不尽だし、内申書というクソシステムがある。
全員当たりとは言わないが、当たりの先生に出会う確率が全く違う。
同級生の質も同様。
その親の質も同様。
ホワイト大企業とブラック零細企業では、素晴らしい上司、同僚に出会う確率が違う。
それと同じだ。
・離職や再就職の際の理不尽さの改善によって、男女ともに上昇婚に最適化した現状のキャリア設計からの解放
要はあてがえってことですね。
あんなもの男は強者も弱者も誰一人リアリティのある話だとは思ってないだろ、それこそすももや白饅頭にいたるまで。
一方でフェミは、弱者男性キモいという気持ちが前に出すぎて、一番最悪なキモくて金のないおっさんにむりやり搾取されることをリアルに想像してしまう。マゾか。
あてがえ論に見えるのは二段階あって、最初のひとつは「男女の人生設計に非対称性があってマッチングがうまくいっていない」という現状の確認。これは単に社会的な課題。
次の段階はこれをどう解決するかの話、ここで「女性の意思を無視してむりやり男にあてがう」なんて話を一足飛びにしているのはフェミだけ。
現実的な案はまだ十分コンセンサスがとれていないので人それぞれだろうけど、たとえば次のような方法で間接的に国民全体のマッチング成功率・満足度を上げるということ。
・離職や再就職の際の理不尽さの改善によって、男女ともに上昇婚に最適化した現状のキャリア設計からの解放
・婚活サービスなどのマッチングの仕組みの改善によって、男女とも満足度の向上
・テレビ番組や広告などのメディアに通底するルッキズムからの解放
これらが「あてがえ論」だと言うのならクソして寝ろとしか言えない。
本件、「俺はあてがえと言ってない」という論調にはなれど「あてがえ論は非人道的で差別的だから止めろ」にならないのはなぜなのかとブコメ見て思う。アレは本当に不快でしかないから誰だろうがやめてほしいのだが
上に書いたとおり、パートナーがほしいと切実に思っている人が多いとか、上昇婚志向であぶれてしまう男女が多いことは社会問題として解決すべきだとは思っても、女性の意思を無視して強制的に誰かと結婚させるなんて策がとられるはずもないと思っているので、差別とか人道とか全然関係ない。
よくありがちな誤解で、
業務知識がある ということと、それを他人に教え育てることができる スキルは全く別物なんよ。
それを理解できない経営層が、経験の浅い30代を教育担当にして、
お前ももう一通りの業務は知ってるから、教えられるやろと任せてしまって悲劇が起きる。
教え育てるスキルに不可欠なのは、相手の理解度を正確に計れること。
経験の浅い30代は、優しく「分からないことがあったら何でも聞いてね!」
なんてすばらしい経験の浅い30代の先輩なんだ。
だがそれは間違えて覚えていたたやり方だった。
経験の浅い30代は、「分からなかったら、ちゃんと聞いてよ!」と怒鳴りつける。
新人はただひたすら謝る。
これが繰り返されると新人は辞めてゆく。
経験の浅い30代は、「あれほど、分からないことがあったら聞いてと言ったのに。。。」と嘆く。