はてなキーワード: 潜在意識とは
下記を一切の私情を挟まず実施してください。
①眉を整えます。眉用シェーバをamazonで購入し、一心不乱に全体を薄くしてください。終わったら毛抜きで眉の下部・端の方ををぶちぶち抜いて、2/3まで細くしてください。
②髪を切ります。美容院は妥協せず、青山・表参道・代官山界隈のカット7000円以上のところを選んでください。前日前々日は2徹でハードワークをし、当日は意識を朦朧とさせ、メンタルのストッパーを外していけば大丈夫です。髪型は、あなたと美容師が言葉を通じて意思を疎通するのは不可能ですので、必ず写真を見せて注文してください。一週間前に本屋に行き、メンズ雑誌をモデルの髪型だけに着目して片っ端からスクリーニングしてください。自分の理想に最も近い髪型決めたらiPhoneで撮っておき(雑誌はちゃんと購入してくだいね)、当日はそれを担当の美容師さんに見せてください。数点質問されますが、クローズドクエスチョンは全てYESで、オープンクエスチョンは元気に「お任せします!」と答え、後は泥のように眠っていればOKです。
③雑誌で知識を付けます。昨今メンズ雑誌も沢山ありますが、以下2冊を読めば大丈夫です。
・BEGIN 定番と蘊蓄について吸収します。定期的にベーシック特集が組まれているので、過去3回分位をAmazonでポチってください。短期集中で記載しているブランド名と歴史を全て覚えてください。定番には定番になった理由があります。「何故この服が定番になったのか?」と常に問いながら読んでみてください。
・POPEYE 2014年現在一番オサレな雑誌です。BEGINだけだと大企業の高給エリートが金とガリ勉知識で格好つけた感じになってしまうので、POPEYEで流行とセンスを補填します。POPYEは頭を一切使わずに、繰り返し繰り返し読んで(眺めて)ください。夜寝る直前と朝起きた直後にPOPEYEを読む、というのを習慣化し、潜在意識に刷り込んでください。
④服を買います。お店は、チェーンのセレクトショップの雄であるユナイテッドアローズとBEAMSに絞ります。他は2流です。慣れて来たら新宿伊勢丹メンズ館に行きます。百貨店は、金はあるけどセンスは皆無、みたいな人で溢れ返っているので実は行きやすいです。既に地雷を踏まないだけの土台はできているので、上記雑誌で見たことのあるブランド品を、定番7:流行3の割合で購入してください。サイズは気持ち小さめで。MかLか迷うな?って時はMです。なお、最近はセレオリ(タグにアローズとかBEAMSとか書いてあるやつ)が売り場の多くを占める場合もあるので、タグを見てそれらを丁寧に避けてください。
⑤着慣れます。買った服はガンガン着倒してください。最初は今までの愛着ある服にどうしても手を伸ばしてしまうかもしれませんが、絶対に新しく買った服だけを着てください。今までの服は、買った服の数だけ捨てていき、新陳代謝を促します(理想はさっさと全捨てですが)。人に会う前に、まず家や近場の散歩で丸5日は着るようにします。「今の俺最高にオサレだぜ」感は残酷なまでに他人にビンビン伝わるので、着ている服のブランド名を聞かれても確認するまで答えられない位、服への意識を無くしてください。
以上を機械的に実施すれば、あなたは必ずオサレさんと認識してもらえます。
服装には、ダサい・カッコいいともう一つ、情報収集能力の高さを表す服装というものがあります。ここで目指したのはそれです。あなたの出会う普通の人達の90%(特に女性)は、オサレの認識にグラデーションが無いので、センスのあるオサレと、情報収集能力で作り出したオサレの違いが分かりません。また、一般的に社会人でオサレと言われている人に対しても、上記を忠実に実践すれば、その人がどこで情報を得ていて、どこで服を買っているのか、ありありと想像できるようになり、オサレな人に物怖じしなくなります。
是非お試しあれ。
なんで権力者狙わんの?
自分の人生かけて犯罪するんだぞ?自分のあらゆる不満が、「なんか頭のおかしい人が通行人殺しましたー、おわり、」で済まされるんだぞ
なんで権力者狙わんの?なんで権力者狙わんの?なんで権力者狙わんの?なんで権力者狙わんの?
なんで権力者狙わんの?なんで権力者狙わんの?なんで権力者狙わんの?なんで権力者狙わんの?
なんで権力者狙わんの?なんで権力者狙わんの?なんで権力者狙わんの?なんで権力者狙わんの?
どいつもこいつも、なあ
頭が悪すぎる
なあ、何で増税を決めたやつとか
早くだれかやれよ
tknkとか、よくスレたってるだろ
そいつに反撃したら世の中ひっくり返るぞ
下っ端しか狙わないのがほんとジャップクオリティっていうかさ、
公務員たたきしてるやつってさ
「公務員は悪いけど与党や首相や資本家権力者は悪くない、あるいは眼中にないどうでもいい」みたいな口ぶりだよな
なぜ中枢を狙わないのか本気で理由が分からないんだが
今のとこ俺の選択してる生き方はそんなに悪くないと思う。
資産が(貯蓄額含めw)無いのが時々不安になるが、これは俺の心の師匠、野田知佑先生の
「バックパックに収まる程度」の荷物しか持ってはいけないことになってるので仕方ないことにする。
何より一番大切な部分、今生きててまあ楽しい。
勝ち負けで言うとちょいプラみたいな。
もちろん実際は波があるので日によっては死んだ方がマシと思えるような時もあるが、
全体的にはそういう方向でいこうと決めて、意識の片隅に置いておく。
するとあら不思議、それが意識の水面下でちゃんと潜在意識ちゃんとして機能してくれて
一番大切なことは、死ぬ瞬間にトータルで見たらちょいプラぐらいの人生を目指すこと。
元々人生に意味や価値は無い。意味は自分が作り出す自分専用もの。
価値なんて人に寄ってコロコロ変わる相対的なもので、ますます拠り所にならん。
最近、釣り判定の本が発刊されたせいか、ここでも釣り判定をする人がまたちらほらと増えはじめた気がする。
タイトルが全てなのだが、もう一度言うと、釣りを指摘したコメントをしてブクマやツイートでシェアする行為は、感動を理由にデマを拡散する行為よりもリテラシーが低い。
「よりも」は言い過ぎかもしれないが、少なくとも同等かそれ以上に。
理由は簡単で、釣り指摘シェアは単に「釣りを見抜く自分」をみんなに見て欲しい行為だからだ。
感動シェアにも多分に「感動している自分」を見て欲しいという潜在意識もあるだろうが、彼らは一応、良い話を皆にも読ませたいという彼らなりの善意に基づいてシェアしていると考えられる分、釣り指摘シェアよりは情状酌量の余地がある。
ただ指摘したいだけならば、トラックバックなりコメント欄なりで済むものを、わざわざブクマやツイートで、顕名で拡散するのだからそれは示威行動に他ならない。
念を押すが、釣り師にとっては反応こそ喜びであって、反応は魚だろうが長靴だろうが問題ないのだ。
もし仮に、上の文章を読んで「釣り指摘にはデマをなくしたいという意図があるじゃないか」と思われるのならば、是非、今後はその意図に基づいてスルーすることをオススメする。
好きの反対は無関心とはよく言うが、釣られの反対も同じで、決して釣り指摘ではない。釣り師は、釣り指摘よりもなによりも「無反応」を恐れているのだから。
私は自己肯定感が弱い。
小さな小さな子供の頃には無邪気にそんなことは気にせず生きていたはずで、いつからこうなったのかは定かではない。
しかしち○こが小さいとか、顔が脂ぎっているとか、手汗や脇汗が酷いとかといった身体的な後天的な悩みや学歴、自分でも自覚できる話の浅さ薄さつまらなさ、鳴らない電話が物語る交友関係、人としての器の小ささなどが、より弱くしているのは間違いない。
まずは自己肯定感が弱いとどういう症状で苦しむのかお話したい。
たまには考えたり思い出したりする、あの時はこうだった、ああだったと自分の過去を。考えるだけでつまらない。
つまらないどころか、そのうち後悔や恥ずかしさばかりになってしまう。
普通の人の「あの時は楽しかったな」が「あんなことしなければ良かった」に変換される感じだろうか、そもそも思い出すのが嫌なことばっかりなのかもしれない。
自己紹介から、ランチでの他愛もない会話で繰り出される「休みは何してた?」から、果ては業務の報告まで、自分にまつわるエトセトラを自分の口から語るのがとことん苦手である。面接での自己PRなんかは地獄である。
ただ苦手というだけではない、汗が出る。それも大量に。
心からつまらないと思っていることをさも価値が有る様に話さなければならない苦しみ、案の定つまらなかったというリアクションを頂いた時の苦しみ、四苦八苦に加えて欲しい苦行である。
その人が面白いとか面白くないとかいい人悪い人関係なしに、「俺が俺が話」とか「俺さんスゲー話」とか「俺さん可愛い話」とか「俺さんイケてる話」を聞くと、あまりの気持ち悪さにいらっとする。
まったくもってこちら側の一方的な都合で申し訳ないと思いつつも、決定的に辛い訳ではないその感情を抱えながら会話を継続するのは結構しんどい。
どうしてそんなに自分に自信が持てるのか、自分を肯定できるのか、自分の行いにうっとりできるのか、一度心ゆくまで問い詰めてみたい願望に心を奪われる。
成功回避欲求とか敗者の脚本と呼ばれているらしい。(http://2chcopipe.com/archives/51559636.html)
後から振り返ってみると潜在意識が悪い方悪い方へと導いている気がしてならない。
最初は失敗を喜ぶ悪魔が住み着いていると思ったがどうやらそうでもないらしい。
恐らく正しい選択の結果に得られる成功体験に耐えられない精神を守るために、潜在意識が制限を掛けているのだろう。云わば幸せの総量規制を忠実に守っているようである。
巷間では承認に対する議論が喧々諤々である。最近ではスラングの一つとして立派?に機能している。
かつては私も他者からの承認が欲しくて欲しくてたまらなかった。自己肯定感の弱さを他者からの承認で埋めたかったのだろう。
まだ若かった頃には今ほどインターネットも普及してなくてSNSなんかまだなかった時代、コミュニケーションと言えばガラケーによる通話やメールだった。
そして私もガラケーを持ったものの、着信音が鳴ることは滅多になかった。
当時のガラケーは通話とメールぐらいしか機能がなかったし、i-modeはパケット代が恐ろしく高い代物で、そのくせたいした情報は得られなかった。
プリインストールされているゲームもすぐに飽きてしまえば、結局残るのは通話とメールだったが、鳴りもしない物に良くお金を払っていたと思う。いつか鳴る日が来ると信じずにはいられなかったのだろう、本当に残念だ。
しかし承認を渇望していた思春期時代が、現代の始終繋がっていることが当たり前の時代と重ならなかったことには少し感謝している。本質的には変わらないだろうと思うけれど、情報伝達の早さと広さを考えると往時より受けるダメージは大きく余計に心を擦り減らしただろうと想像できるから。
今のところ昔に望んだような他者からの承認はまだ得られていないし、この先も得られることはないだろう。
それなりに折り合いをつけて、こんなもんだろうと思えるようになったし、今さら電話やメールがやたら鳴っても面倒でしょうがないし、捌けるスキルも無い。
誰しも若い頃に適量以上の酒を無理に飲んで酔い潰れた経験があるだろう。そんな経験をするうちに自分の適量が分かり、それ以上を欲しなくなる。
今頂けている、ほとんどゼロに近いような承認の量が私には適量なのだろう。それ以上を欲することもなければ鳴らない電話を見ても当たり前の風景に何も感じなくなった。
それでも他者からの承認が欲しくてたまらないならば「承認に足るほど努力できる何か」を見つけ努力することを考えた方がいい。
何もない人には誰も承認してくれないし、例え承認されたとしてもただ空虚なだけで、あなたが望む形の承認ではないだろう。
あなたが望む形の承認を得るには、承認を得たい相手と同じレベルになる必要がある。
努力が実り多くの人から承認されるようになった暁には、きっと求めていない承認に頭を悩ませることになるだろう。
しかしその悩みを乗り越えて、是非とも承認する側に回ってあげて欲しい。他者を承認する資格があるのは他者から承認を得ている人だけだから。
そして世界中の被承認の需要は供給を遥かに上回っているのだから。
この世は人の心を圧し折るには充分すぎるほど不平等で不条理で不合理で、持っている人は与えられてさらに豊かになり、持っていない人は持っている物まで取り上げられる仕組みになっている。
今日も、「荒れる新成人」という毎年恒例の話が出てくる。しかし、新成人に文句を言って嘆く既成人たちは、「なにがなぜ悪いのか」を説明して叱れるのだろうか? 叱責が説得力をもつためには、なにがなぜ悪いのかを説明し、しかも叱る当人が己を律していなければならない。
「人を殺してはなぜいけないのか」という疑問が話題になったことがあったが、「そうした疑問をもってはならない」という社会気質が、この国にはある。何も考えずにただ「殺人=悪」だと言う。しかし、そんな思考停止では、真の倫理観は育つまい。究極的には、刺すか刺されるかの状況になれば他人を刺すものが必ず出るし、「死にたい」と思っている者には「他人を殺すまい」という抑止力はきわめて働きづらい。ただ単に「殺人=悪」だと言って洗脳するのでは、ものごとは解決しない。
この社会にあるのは、道徳倫理ではない。潔癖症なのだ。言い換えれば、怖いのだ。多くの者が、死を怖れると同時に、快適に暮らしたいと思っている。その、自分たちにとって心地の良いような潔癖な社会にしようとする理屈でできているのであって、真に「なにが悪いのか」は考えていない。
「なにが悪いのか」を考えずに杓子定規に順守して、「俺も守っているのだからお前も守れ」と言うのだろうが、そんな理屈ではよくわからない。ところが、いまの多くの人たちは、「俺はこんなに頑張っているのに」「私はこんなに苦しいのに」と言って他人に八つ当たりする。大流行中だ。
古くは、自分でも「悪い」とは思いもよらなかった行為を、偉い人に怒られたり、天変地異の原因になったと思ったりしたから、「しきたり」ができるようになり、いささか不合理な「しきたり」でも杓子定規に遵守するという社会気質ができた。それがそのまま江戸時代ころにはもう全国家的に流布されて、皆「お上」の言うことをきく「踏み絵社会」ができあがっていた。
さて、そもそも、社会的善悪というのは、真の善悪とは異なると思う。社会的善悪というのは、人間にとっての都合の良し悪しだ。自分たちの自我にとって「得だ」と思うことが善になり、「損だ」と思うことが悪になる。だから、死にたくなければ他の生物も殺すし、インフルエンザウイルスであれなんであれ、徹底的に殺すようにしているだろう。昔も今も、多くの生物を殺戮して、しばしば絶滅させてきた。
昔はもっと、「殺生は悪だ」ということが一般的に言われていた。いまは、平気で生物を殺すし、動物がたくさん殺されて食べられている。動物を殺すのを見たくないから食べない、というのではなく、見ずに食べる方法をつくりだして逃げている。ついには、魚肉や鶏肉に骨がないようにまでしている。もはや、生物っぽくなく、便利に食べられる。もちろん、骨抜き魚肉や骨抜きフライドチキンが出てくる以前に、チキンマックナゲットだろうがハンバーグだろうが、骨を意識することはないのだが。いまの欧米人はこの国の活造りを見ると「残虐だ」と言い出すが、我々はもともとは、生き物を殺して喰らっているという自覚をあえてもって、また、ピチピチしているのを見て「新鮮だ」と言って、喜びと有難みをもってきたのだ。反対に、たとえブロイラーにしようがハンバーグにしようが、動物を殺している残虐からは不可避なのだ。例えばマクドナルドなどにしても、全世界的に食肉を大量生産して流通させているが、膨大な殺生をしている。大量の飼料や水を消費して牛を飼い、また、深海魚まで獲っている。それはムダな消費なのではないか?
まあどうせ昔も、「殺生=悪」という「しきたり」でしかなかったのかもしれないが。だが、きっと、釈尊にしてもそうだし、「無益な殺生をしてはいけない」と言った多くの偉人たちのなかにも、「殺生ばかりをしていたら自分たち人間も生きていけないだろう」と直感していた者が少なくなかったのだろう。ただそれが、日本社会では、形式的にばかり順守される「法令さえ守っていればいい」的な実態になったのだ。それは結局のところが、日本社会のほとんどの人が無教養で思考停止をしているからなのだろう。つまりは洗脳されてきただけだ。
我々が生きていくためには、生物を少なからず殺す必要がある。そうしないと食べていくこともできないだろう。直接にも間接にも、殺生をしている。だが、際限なく殺しまくっていたら、無益な殺生になり、そして殺された生物種がしばしば絶滅する。
自我の屁理屈を超えれば、他の生物を殺しすぎるのは、生態系のつりあいを破ることになるから、我々自身も生きていくことが難しくなる。したがって、無益な殺生は、生きていくという観点でも明らかな悪だ。無益な殺生が悪だということは、合理的に説明可能だ。
いまのこの国では、「本当のこと」が言えない。例えば、政治的な発言が忌避されるのも異常だ。「それはおかしいと思う」と言える社会ではなくなっている。例えば原発にしたって殺生にしたって自殺率にしたって、さらには、インフルエンザだろうがHIVだろうがなにもかもを殺戮して存在を消し去ろうとすることの異様さにしても。
他人を叱れないし、叱る能力(冒頭に書いた通り)がそもそもない人が多いのだろう。なにがおかしいのかを言える雰囲気でもなければ、なぜおかしいのかも言えないからなのだろう。ひとりひとりが叱れない社会だから、マスコミが代弁することで憤懣の捌け口になっているのだろう。
我々は、完全には清廉潔白でいることはできない。殺生をしなければ生きていけないし、他人に迷惑をかけずには生きていけない。
だが、己の穢さを自覚しなければ、不潔であることに対する抑止力は働かないのではないか。
皆がまたぞろ、自分にとって都合のいいと思うことをやりたいから、例えばガソリンなどの資源エネルギーも多用するし、そうして地球温暖化も進んでいるのだろうし、有毒物質もまきちらしているし、将来の資源枯渇へと「ツケまわし」もしている。だが、「それは悪いことだ」とは、ほぼ誰一人として言わない。例えば、「自動車を抜本的に減らせ」とは、ほぼ誰も言わない。乗りたいからなのだろうし、自動車があることで産業があり雇用があるからなのだろう。同じように、「タバコは有害だから禁止すべきだ」どころか「増税すべきだ」と言うことすら、すぐさま自民党などから「葉タバコ農家が〜」という屁理屈が返ってくる。それではきっと、葉タバコ農家は死の商人だね。JTも、その大株主のこの国も、同じ国民から「血を吸って」「肉を喰らい」生きているのだ。
例えば米国人がやっていたら、この国でもやっていいことになる。迷惑駐車でもポイ捨てでもなんでも「他人たちがやっているから自分もやっていい」という言い訳は必ず出てくるだろう。互いに都合のいいことなのだから、みんなして「赤信号も渡る」のだろうし、「崖っぷちへと突撃する」チキンレースをやりもする。
ところで、自分たちにとって都合の悪いと思われる生物を徹底的に殺戮してきたから、HIVが出てきたり、新型インフルエンザが出てきたりしたのだと思う。少なくとも、薬物耐性病原体は、過度の殺菌をしてこなければ出てこなかっただろう。そうして、潔癖に潰しまくってきたから、いわば「テロ攻撃」が他の生物から、地球から、加えられているのだ。
それどころかさらに、いまの我々は、自己の心身にすら欺いて、自我が都合の良いと思うことばかりをしているから、心身の反乱をくらっているのだろう。癌にしても、アレルギーにしても、「精神疾患」にしても。人工的に潔癖な生活空間をつくってきたから、心身にとってかえって不健康なことになっている。
地球の生態系のつりあいも、自己の心身のつりあいも、壊しているからだ。だからかえって危機に陥る。不健康になる。
この国では少子化だと騒がれているが、世界人類はいまも増え続けている。はたして、「人口増=善」なのか? 人類が増えすぎたら、地球の生態系のつりあいは崩れる。すでに崩れている。しかし、自分が生きたいと思っている人たちは、「出産=悪」だとは決して言わないだろう。真実を言わないし、真実に気づきすらしないのかもしれない。
昔から、例えばクリスチャンは「人は原罪を負っている」と言う。また、この国では浄土真宗の檀信徒が最大多数だと言われているが、そもそもの浄土宗や浄土教は、悪の自覚から始まっている。つまり、「自分は悪人だ」と自覚しているからこそ、「地獄に堕ちる」と思い、「どうやったら救われるか」と考えるのである。それに比べると、いまの人間には、悪の自覚が足りない。
自分たちを律することができず、ゆがんでいく。ゆがんだことでトラブルが起こるごとに、対症療法をする。砂糖を入れすぎたから塩を足すかのように、余計なものをどんどんと付け足していき、だからますます錯乱していく。ぐにゃぐにゃにゆがんでいく。
究極的には、己の死に対して覚悟がないとはじまらないのだと思う。人類は、過剰な生存意欲があるからこそ絶滅せずに生きていられたのだろう。だが、だからこそ、生存意欲の過剰さに対する自覚をもたないと、欲望も執着も、いくらでも膨張して肥大化していく。そうして、人類も増えすぎるし、生物も殺戮するし、資源も食い尽くすし、自己の心身さえも傷つける。
異質な他者の存在に対して、多様性に対して、寛容に、しなやかに、ふわっと、受け入れないといけないと思う。究極には己の死に対して覚悟がないと、それはできない。だが、受け入れなければ、「テロ攻撃」が、他人からも、他の生物からも、さらには自分自身の細胞や潜在意識からも、加えられていくのだ。
いまのこの日本社会にしても、やっていることは正反対で、威圧して同調化させようとする傾向があり、それは近年ますます増している。それではきっと、ますます危険で不健康で暮らしづらい国になっていくのだろうと、私は思っている。
http://anond.hatelabo.jp/20130606195333
これ読んで「俺も同じだったー」と叫びたくなった。
でも俺と決定的に違うのは、妻は一切の家事を俺に任せてくれなかった。
「何でも自分の思い通りにしようとして、ちょっとでもそれが叶わなかったらぶち切れ」
は合ってる。だから妻は「(俺に)任せて失敗されて(思い通りにならなくて)、精神的につかれるより、全部最初から自分でやって体力的につかれた方がまし」と言ってた。
逆DVもあった。おかげで「殴られたら本当に鼓膜に穴あくのな!」「漫画みたいに星がみえるって本当だったんだ!」と新発見もあった。
耐えられなくて家を出れば(すぐに冷静になってもどるのだが)、悪いことして勝手に出ていくなんてと言われる始末。
・何でも思い通りにしようとする
・それが叶わないときれる
・やり直しはきかない
・人の好意も素直にうけない
・そのせいで自分が失敗してもひとのせい
一連の行動を分析して、まるで自我が目覚めたばかりの「魔の2歳児」じゃないか!と思った。
でも、これを読んだら、あの時の妻は「境界性人格障害」だと思った。
良く読めば、「離れたくない思いから正反対の行動に出る」ってあるじゃないか。
なるほど、潜在意識には愛はあるんだな。良かった。
今まで生きてきて体験したこと、
自分自身が変わってきた時の手応え、
などを振り返ると
そして変わるためには一定の条件があると思う。
・今の自分ではダメであることを頭で理解し、どのような方向性に変えていくかイメージすること
・変わりたいという強い気持ち、情熱を持つこと
・今までの自己を否定する行動をとること(恐怖を乗り越え勇気を持って一歩踏み出す 往々にして今までやってきたことの逆をやる)
例えばどうしても人の意見を聞けない、反発してしまう、違う価値観を許せない、という人がいたとしたら
・まずは人の意見を聞かず、反発し、裁いていたことを悔い改め、人の話を寛容に受け入れ、プラスにしている自分をイメージする
・そのような自分になりたい、ならなくてはという強い気持ちを持つ
・実際に行動する 今まで反発していたので、それとは極端に逆の行動をまずは行う例えばどんな理不尽なことでも受け入れて、相手の価値観を認める徹底的に自己否定する 自分が自分でなくなってしまうような、恐怖が必ずついてくるけど克服する
ここまでやってやっと新しい自分がかすかに見えてくる。変わる端緒がつかめる。
考えることや分析も必要だけど、ある程度考えたら理屈ではなく気持ちで翔ぶことが必要。
大切なのは気持ちの部分なので考えてばかりの人は絶対に変われないようにできている。
理屈も必要だが、引き寄せの法則やナポレオン・ヒルの思考は現実化するという
理屈ではないので、これを知った所で
感情のパワーを引き出せるシチュエーションに身を置かないと人間は絶対に変わらない。
そして往々にして人の助けや助言厳しい否定といったものが重要なファクターになる。
ここまでの(こんな抽象的な)話でピンと来るなら
読んでいるあなたは変わったことがある人だろう。
そうでないなら変わったことがない人だろう。
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そもそも変わるということの意義と価値だが
変わらないのであれば、生まれ持った才能で生きるしか無い。
つまり変わらない人はポーカーに例えると配られたカードで勝負するしかない状態で考えて生きているようで、実はほとんどルーチンや
惰性で流されて生きてしまっている。
結果が決まってる、運命づけられている。
カードを変えないポーカなど非常につまらないもので最早ゲームとはいえない。
運良く最初から役ができていれば、それでも幸せにやっていけるかもしれないがそれはそれで寂しいし、ワンペアすらできていない
変わるというのは自分の手持ちのカードを上位のものや全く別のカードに切り替えるということで
そのことによってのみ新しい役が完成したり、役の得点が上がる。
簡単にまとめると
変わらないのであれば手持ちのカードで勝負しているだけで予定された運命通りのつまらない勝負を強いられる。
変わるのであれば新しい役が完成して、新しい運命が切り開かれる可能性がある。
これが自分の考える
変わるということの意義と価値。
多分変わるというのは脳科学的には大変なことが起こっているんだろうな…
変わるというのは自分の檻の中から一歩出るようなもので必ず恐怖がついてきてしまい、下手すると人格の崩壊が起こってしまう。
パソコンでいうとソフトウェアではなくミドルウェアやハードウェアをいじるような行為で効果は大きいが失敗した時のリスクも大きい。
だから脳は相当の分析、反省と強い感情がないと絶対にできないようにできていると思う
理屈を知っているとちょっと役に経つけど理屈では絶対に人間は変わらない往々にして人の助けが必要
まとめると
考えてばかりの人間は変われない
記事を知らない人は、先に参照されたし
それで、肝心の治し方だけど、ブコメやら記事では、実際に、中国人・韓国人に会え会え触れて見ろ、っていう意見が多く見受けられる。
たとえばこんな記事
嫌韓中右翼やレイシストは処女厨と一緒 - Hagex-day info
ただこれって、レイシストな俺くんには効かないと思う。
処女厨に非処女とつき合えっていってるのと一緒で、荒療治だし、根本的な解決にはつながらない気がする
処女厨もネトウヨも、偏った思考になってるから、一人の人間としてちゃんと向き合えてないからそんな排他的な言動になってるわけで、
だから、実際に付き合わせたところで、悪い所だけみつけて帰ってくるだけだと思う。
それじゃあ、肝心な簡単な治し方だけど、もちょっと腰を据えて考えてみること。
これでばっちり解決。
大半の人は、そういう思考法ができてるから、レイシストにはなってないのだけど、レイシストな俺くんにはたぶん抽象的でわかりにくいと思うから、もう少し踏み込んで解説してみる。
世界にはいろんな人がいる。当たり前のことだけど、このことについて踏み込んで考えてみる
分かりやすい例で言うと、俺くんが好きで、僕も好きな日本について考えてみる。
日本人って、謙虚で奥ゆかしい面がある反面、空気よめとかめんどくさいところもあるって、よく言われるけど、本当にそうなのか。
実際、そういう人ばかりじゃない。いろんなタイプな人がいる。
まず大きいところで言うと、よく比較される関東人や関西人だって全然違うって言われる。
関西人だって一筋縄じゃない。神戸、京都、大阪、尼崎だって違う。(滋賀奈良和歌山は関西人なのかという議論はひとまず置いて)、
神戸人だって全然一くくりにできない。東灘・灘区と中央区とかと、兵庫区長田区、北区、西区だって全然雰囲気が違う。(東灘区と長田区のグルメ百年戦争や、北区民西区民の俺んとこはおまえのとこよりも田舎じゃない論争などは書きたいところだけど脱線するので割愛)
その中の北区だって、新興住宅地と昔ながらの地域だと全然雰囲気が違う。
もっともっとミクロな視点になって、自分の周りだって、全然違う人で溢れてる。
僕は神戸市北区出身で神戸のとある地元企業に働いているけど、僕の周りにいる人は、ほんと様々だ。
日本人は謙虚?空気をよく読む?関西人は面白い?笑いにうるさい?神戸っこはおしゃれ?
自分勝手な人も大勢いるし、あえて空気を読まないものもちらほら、芸人みたいに面白い人なんてそうそういないし、笑いにうるさい人ってなに?そして神戸っこでありながら、ユニクロを愛し、なんか気づいたら黒一色の服装になっている僕はおしゃれではない。
ということは、日本人つったって、ものすごい量の様々なタイプの人がいる。
同じように、韓国や中国だってものすごい量の人格のバリエーションがあるって考えるのは自然な発想だよね。
そりゃあ多少地域の色は出るだろうけど、それはほんとゆるーい潜在意識レベルでつながってるもので、
笑い話の種のひとつにするなら、あるいはTV番組のネタの一つにするなら分かるけど、そのことで民族論がどうこうと論じたり、ましてや差別なんかできない。
これでも治らないレイシストのために、もう一歩だけ踏み込んで考えてみる。
さっき説明したように、中国人や韓国・朝鮮人(表現は適切?)にはいろんな人がいる。
だから、よく報道されているような、デモを起こして日本人の商店を襲撃したり、あるいは日本人を敵視して、ものすごい差別意識を持っている人ばかりじゃない
親日家で中国共産党や韓国政府のやり方に疑問を感じていいる人もいるだろうし。
政治的イデオロギーは抜きにしても、温厚な人、普段は斜に構えているけど実は優しいタイプ、どがってるけど隠れて子猫を助けてしまう奴。
いっそこんなステレオタイプに当てはめなくても、日本人に差別意識をもってなくて、付き合ったら人間と居して好きになってしまうような人。
そんな人が、朝鮮人を殺せ!なんかを含む差別的排他的デモや、各種ネットでの差別的書き込み、レイシストな俺くんの「韓国人が苦しんでいるのが愉快で仕方ない」ていう心ない言葉を見たら、ものすごく傷つくとは思わない?
日本語が、日本人にだけしか通じない言語で、翻訳不可能な言語だったら別に関係ないかもしれない。
でも実際周りには、中国韓国からの留学生・出稼ぎ、観光客で日本語が理解できる人もたくさん来ているし、ネットもみてるだろうし、とくに日本には、在日という特殊な立場の人もいる。
そういう人が見たら、ものすごく傷つく可能性がある。だからみんなそういうヘイトスピーチをしないの。
みんな表面を取り繕ってる”いい子ちゃん”だから、ヘイトスピーチしない訳じゃないんだってば。
そりゃ、領土問題とか、慰安婦問題とか、歴史問題とか、どうなんだあの国って思っている日本人も大勢居るだろうし、僕自身、むかつくって思うことは多々あるけど、
でも、不特定多数の人が傷つく可能性をあるから、みんなちゃんと考えて、腹で押さえるの。汚い言葉を。
ましてや、誰がみるか分からない公衆の面前や、ネットでの書き込みなんてしないんです。
以上、ものすごい当たり前のことつらつら、書きました。
ということで、汚い言葉を出す前に、こんな感じのこともちょっと腰を据えて考えてみれば、レイシストになんかならないと思います。
さて、本文では割愛した、神戸の北区はいかに西区よりましかということについて、これから論じ・・・・・、やっぱやめときます。
少し前に悲しいことがあって、まあ他の人には「たかがそれぐらいで」と思われることなんだけど、当の本人としては自殺を考えるぐらい辛かった。
とはいえまあこうして(増田だけど)適当に文章書いている時点でそれはなくて、ってのも生命の危機に立たされたからなのかはわからないけど色々自己啓発的な情報に触れてみた。大体は共通した事柄だったなあと思う。多分その道の認識しとしては途中段階で中途半端かもしれないけど思ったことをなんとなく留めておく。まとまってはいないチラ裏程度なので悪しからず。
1つ目はまあ分かる人はわかると思うけど引き寄せの法則的な本を読んで、理にかなっている?と思った。実体験から言えば確かに悪いことを想像しているとその通りとなってしまったってのがそう。最初の文の「悲しいこと」ってのはまさにそれなんだけど、きっかけがあってこの事を知れて良くも悪くも良かったと思う。
2つ目はまあ引き寄せの法則と付随してってのもあるけど、潜在意識がどうたらこうたら。これは潜在意識ってのを知る前からなんとなく感じてたけど、最初に思ったことが大体うまく行く感じはあるし、ちょっと迷ったとしても結局最初に考えた結論・行動になってるなーと思った。ドラクエの作戦はマジでこれ。ないけど。
3つ目は、そんなこんなでいろいろと端折るけど、まあいま話題の「じゃあいつやるか、今でしょ!?」ってやつ。CMで流れる前に本とか読んで感じたけどそうだなーと思った。ネタっぽいけど本人としてはもちろん本気だと思うし、今思った行動ってのは未来で思った時の行動ってことなんだなあと。何を言ってるかわからねーと思うが、個人的には自分はジョジョが好きなんだけど「明日って今さ!」と「ブッ殺すと思ったのなら!その時「スデ」に行動は終わっているんだッ!」ってのがまさにそのとおりだと思う。わかりにくい。すみません。
4つ目は完全に持論だけど、これぐらいでいいや、って思ったポイントより過ぎた位置のほうがうまくいくなーと思うことが多い。状況(程度)にもよるけど、例を挙げると人に何かを伝える場合、そこまで必要かな・・・って思うぐらいじゃないと案外伝わらない。とはいえこれは結構難しいし、多分自分もなかなかできてないと思う。
そもそも整形がずるいって誰に対してずるいの?
せっかく努力して(例:他のライバルを押しのけて)美形を選んで子供作ってみたら、
その子供はパートナーの「美形」たる部分を何も受け継いでいなかった。
あとで聞いてみたら、その「美形」たる部分は美容整形によるものだった。
その子供が遺伝的にできるだけ有利になってほしい、っていう潜在意識があるからじゃないかな。
人一人のリソースは限られてるから、そんなにたくさん子供が作れるわけじゃない。
せっかく作るなら、なるべくその人にできるベストのものをつぎ込みたいじゃん。
そういう観点で考えると、上のような事例が非常に高い確率で起こりうるわけで、
整形はやっぱりずるいよね。
特に、その人を選ぼうとするパートナー候補や、結果的に選んだパートナーに対して。
生まれてきた子供にも同じ整形をすればいい、という意見もあるかも知れないけど、
少なくとも安全に整形が受けられる年齢に成長するまでは、
そのパートナーの落胆は簡単に回復しないと思うよ。
いざというときの自分の誠実さや慎重さが当てになりません。だから、ここぞというときや心が浮ついて動揺したとき、潜在意識に自分の身を守ってもらう為に、私は車のいない赤信号でも止まって待つよう心がけています。
きっとさんざん議論され尽くしているだろう。いろいろな考え方を目にしたり耳にしてきた。それでも未だにつらつら考える。何も考えていなかった頃、信号が赤なら渡ってはいけないと無条件で従ってた。自分の周りもそうだと認識してた。みんな信号を守っている世界が自分の見ている世界だった。思春期、ちょっと大人びた同級生がいた。車が来ないと分かっているのに待っているのは頭を使っていない証拠だよねと貶された。その瞬間から自分は車が来ない赤信号の意義を絶えず意識してしまうようになった。馬鹿にされたことがきっかけだったから、自分は意地になって渡らない理由を探し求めた。見つけた答えは「人間の脳は誤作動する。赤信号で車が向かってきても渡ってしまうような過ちを犯す。だからフールセーフティーのために渡らない習慣を普段から養う」だった。時が過ぎ、海を渡り、時代が環境が変わった。気付けば、今度は信号が赤でも渡れるなら渡ってしまう人ばかりが周りにいた。そしてまた考える。みんなが渡っている中で、自分だけ渡らないでいるのはなぜだ?集団心理として、周りの行動に揃えて動こうとする自分がいた。みんなが渡っているから自分も渡ってしまっていいんじゃないか。渡らないと外国では信号が赤でも安全確認できたら渡ってしまうよと、なぜ日本人は馬鹿みたいに立ちすくんでいるの。そんな意見もよく目にしてきた。でも誰かがやっているからやっていいなんていう理屈では、集団心理で動くメンタリティそのものだ。
映画「サトラレ」の主人公は、天才的な手術スキルを通して患者を直接救う道と、その人並みはずれた知能でもってより多くの未来の患者を救う研究の道と、進むべき道、進みたい方向で葛藤するけれども、仮に手術の道で数千人救えたとしても、研究の道でもし数万人の人を救えたのだとしたら、そしてそれが約束されたものだったなら、彼は救える人を救わなかった人殺しなのだろうか。何も知らずに決断したときには罪の意識はないけれど、全てを想定した上でなお万の命を諦めて、数千の命を助けようと決断したのならば、それは罪ではないのだろうか。許されるかどうかは別として。
そのような決断は誰もがしているはずで、自分の力をどこに注ぐか、その決断如何で未来が大きく分かれることを予想した上で影響の小さい方を選ぶのは正しいのかどうか。
「怒りを覚える」だけがupsetの意味じゃなく、「動揺する」リアクションのほぼ全般を指している単語だと理解したとき、とても腑に落ちた。動揺して泣き出す人もいれば、あまりのことに笑い出す人もあったりして、そのへん喜怒哀楽の感情と心が動揺することの間には線が引かれてる、つまり別ものとして認知されるべき。
人の個性なんて、1) 五感から取り込む情報への感度と2) それに対する心の処理と情動、3) そしてそれをどう発散するか、おおざっぱに三つ区切っただけでも無限のパターンができあがってしまう。
ところが、他人の個性を認識するには、その人が受け止め抱いた感情をどのように表現したかでしか認知出来ない。しかも、互いに相手の個性もまた一つの情報として自分は受け止めるわけだし、それをもって己の感情表現が現れるのだから、もうこの世の中、お互いの認知の順序はすごく入り組んでぐるぐるしてる。
例えば、脱いだ靴を思い出させる不快な臭いを嗅ぎ取ったとして、で臭いの元をたどったらそれが納豆だったとして、そこで許せる人と、許せない人といる。本能的に正常でない音を耳で受け取って、避けるべき事態が起こっていると認知すると、それに応じて臨戦態勢なり避難態勢に入るべく感情のモードが変わる。その後で音源が赤ちゃんの泣き声だと分かって許せる場合と、そうでないケースが人それぞれにある。一方で、無意識でも意識的にでも五感から伝わってくる情報というのは、赤ちゃんが鳴き出す前からたくさんあって、これもまた人それぞれ取捨選択して自分の感情や態度、心構えを状況に合わせて整えている。赤ちゃんの存在を認知して、飛行機内の気圧の変化やノイズ、温度や湿度、明るさや周囲の人との距離感など、さまざまな情報から、事前に赤ちゃんが泣くことを想定できている場合とそうでない場合がある。それが想定出来ていたとして、いざ赤ちゃんが鳴き出しても動揺しないでいられる体調、分かっていても我慢ならないコンディション、はたまた予想の段階から動揺してしまい、いざそうなったら腹が立ってしまうなんていうメンタリティもありうる。
マジョリティー・マイノリティーなんていうのは、あくまで一つの側面で多数派少数派となるだけで、ちゃんと全員が自分の認知模様を理解して分類し始めたときに、初めて、どちらが当たり前かなんて話題そのものの無慈悲な単純さが見えてくる。分類しちゃえばみんな孤独なんだって受け容れられて、ようやく多様性への理解が始まる。多様性への寛容さとどちらが多数派なのかという数の工作とマイノリティの保護と、いろんなこと分別なしにごっちゃにしたまま、正しさなんて主張出来っこないし、ましてやルールなんて出来上がる訳が無い。
もし、今の記憶や能力のまま10年前に戻ってやりなおせたらなあと思っているなら、今の自分は、10年前には持っていなかったやる気や能力を手に入れているか、今やっていることに意義を見いだしているか、もっといいやり方を知っているということ。ちっとは信じなくちゃな、自分の成長を。
勝つため(一番になるため)には、既存の枠に収まらない力が必要。それを勝つ力にするために二つのやり方がある。枠に収まらないアイディアを枠に収めて、ルールに則って勝つ方法と、枠に収まらない新しい発想で勝てる競技を生み出して世界に広める方法があるのではないか。
何をしているのか謎でふわふわした存在だけど、何となく社会にとけ込んでいる。そういうポジションで生きていける世の中であるというゆとりの証として存在している。そのような人がそこかしこにいて目に留まると、なんとなく誰もがその社会に安心し、ほっと息をつける。自分の所属する社会が「何をしているかいまいちはっきりしないけれど欠かせない人」を支えていけるゆとりある世の中であるために頑張れるなら、優しい空気が循環する世界になりそうだ。
息をするように剽窃を繰り返す、っていうか癖なんだろうな。
ラップ(rap)とは、音楽手法、歌唱法のひとつ。小節の終わりなどで韻を踏みながら、あまりメロディを付けずに、リズミカルに喋るように歌う方法の事である。ヒップホップ四大要素の一つ。稀にMCingと呼ばれることもある。
ラップ(rap)とは、音楽手法、歌唱法のひとつ。小節の終わりなどで韻を踏みながら、あまりメロディを付けずに、リズミカルに喋るように歌う方法の事である。
念のため2012年10月1日 (月) 12:58付の版も張っておく
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%97&oldid=44410976
私たちの潜在意識は「寝ても覚めても」というもので、常に心の中にある。
これを聖胎といい、それが、時あってパッと出てくる。
全生命、全身全霊を打ち込んで事にあたれば、そこには非常に神秘的な知覚が働くのだ。
http://sisoutetsugaku.blogspot.jp/2012/12/blog-post_747.html
私たちの潜在意識は「寝ても覚めても」というもので、常に心の中にある。これを聖胎(せいたい)といい、それが、時あってパッと出てくる。全生命、全身全霊を打ち込んで事にあたれば、そこには非常に神秘的な知覚が働くのだ。
b:id:tettchan氏のアメブロはnice to meet you(http://ameblo.jp/pco89373/)。上のアメブロは南たかし氏(http://profile.ameba.jp/norinaga-suzunoya/)でありまったく別人と思われる。
福島の原発事故は確かに痛ましい事故だけど、結局あれだけの大事故が起こっても、首都圏には何も被害がなかったということが証明されたに過ぎない。
もともと原発は爆発するかもしれないリスクがあるからこそ、爆発しても問題ない僻地に作ったのであって、そのリスクヘッジが見事に効いたってこと。
原発は絶対に爆発しないワケがないのに、それが途中から原発は絶対に爆発しない、と言わざるを得なくなった社会背景には一定の同情の余地がなくもないが、だからこそ、ぶっちゃけて原発は今後も爆発する可能性が少なからずあるけど、仮に爆発したとしても大都市圏の生活を脅かすことはなく、つまりは日本は安泰です、と国民が潜在意識として理解する必要があるんじゃないかな。
こんなことを言った瞬間にマスコミからは叩かれ、選挙では間違いなく落とされるけど、爆発しようがしまいが関係ない地域に住んでいる人にとっては、単純に電気代が上がる方が遥かに嫌なんですよ。
もう日本国民の大多数が大都市圏に住んでいる現状を考えると、大都市圏の生活者こそが多数派なのだから、イロモノの候補者ではなくて、真っ当に日本の将来を考えてこうしたメッセージを冷静に発信する人が出てきてもいいんじゃないだろうか?
異論、反論、もちろん大歓迎です。
http://anond.hatelabo.jp/20120422185333
他人事なので無責任に言い放つけれども、人から人へ伝えられる事柄はほとんど全部、親切な誰かがWeb上で共有してくれている。なので、指導者や先輩から放任されていても必要な手順を知る手がかりが得られるよ。発表の仕方、データのまとめかた、論文の読み方、テーマの選び方、コミュニケーションの取り方、資料の探し方……日本語で書かれたものもたくさんあるけれど、もし英語でも探せるならそちらの方が圧倒的に見つけやすい。アメリカの大学では、学び方や研究の仕方に関して、体系立てられたノウハウが蓄積されているのかなあ、整理されたものを探すなら断然英語で。日本でならば、発声練習さんが、かゆいところまで手が届くほど丁寧に親切にまとめられていて素晴らしいと思います。定期的に訪れて、気になる記事に目を通すだけでも気持ちを落ち着ける効果が得られるのではないでしょうか。
あなたの文章を読む限り、何が欲しかったのか何をすべきだったかを考えるのに充分な思考力を持っていて、それを言葉にする能力もある。多分、時間さえ費やせば何でもできる人。でもどんな万能な人であっても、残り時間で最大限の努力をする以外に取る道はありません。ところが人間ってやつは誰でも無意識に、楽な方を選択するし、知らないことには怖じ気づいて手をつけないし、他人に頼れるものなら頼ろうとする。知らず知らず何にでも許容範囲を想定していて、許される基準を探ってる。気持ちが追い込まれる程そういった意識が強く働くようになります。ひょっとして、さしあたり合格ラインさえ越えていればよしとする潜在意識が働いていたりしませんか。合格ラインを越えているかどうかの判断は、他人がやってくれる。経験のない人がよく分からないままに合格ラインを設定したところでしんどいだけだから、そういう作業はやらない。自分の能力で最大限にこなせることを成果として披露するまでだと割り切る。つまり、あなたが考えるべきは、己のベストスコアをどうやってたたき出すかということ。要は全力を尽くすのみ。そして、いつどの瞬間から始めても成すべきことは変わらないから、残り時間を目一杯有意義にしてやりましょうよ。そのためにはまず戦略を持つこと。それには、1)残り時間を正しく見積もって、カウントダウンを始める。2)修論をあげるために片付けるべき作業を数え上げ、それぞれの所要時間をとりあえず見積もる。3)それが期限までに間に合うように、できた作業はとっとと切り上げる。できないことは切り捨てるかアウトソーシングする。そうすることで、全体を捉えたビジョンが描ける。全体を仕上げることなしで、手持ちのパーツをどれだけきれいに磨き上げても完成には一歩も近づかない。まだ手をつけていないことこそを知りたいと思えるように、気持ちを盛り上げていくしかないのです。それには、知らなかったことを知った喜びを体に刻むのが一番。こればかりは自分でやるしかない。自分を知ることは、人から教えられて学べることではないから。
研究というのは、条件を追加して宣言をどんどん限定していく作業。積み上げるというよりも、切り捨てて削りだしていくプロセスと捉えていれば、大きく外れることは無いし、だいたいの方向性も絞り込まれてくる。あなたが研究生活で得られた教訓も、もっと条件を絞り込んでいくほどに価値が上がっていくと思う。
「(修士の学位を取ることが重要だと考えるならば)テーマよりも教員との相性等を重視したほうがいい」
「(答えの無い問題に自分なりの答えを出す・未知の作業を自分で完結させる、そういった能力を身につけたいなら)自発的に進める」
というわけで、ネガティブに考えている暇はないですよ。どっかに散らばっているヒントを見つけにいかないと。扉はちゃんと開かれているし、誰かがきっとどこかで手を差し伸べていてくれる。著名なものばかりでもうご存知かもしれませんけれど、探し物の旅の入り口をいくつか。
http://www.shiga-med.ac.jp/~koyama/analgesia/subs-transm.html 痛みと鎮痛の基礎知識 - Pain Relief ー伝達物質]
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http://logsoku.com/thread/life7.2ch.net/utu/1152812631/ セロトニン・ドーパミン・ノルアドレナリン 2]
kyupinの日記 気が向けば更新 (精神科医のブログ) http://ameblo.jp/kyupin/
SSRI離脱症候群 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/SSRI%E9%9B%A2%E8%84%B1%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4
ベンゾジアゼピン - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%BE%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%82%BC%E3%83%94%E3%83%B3
ベンゾジアゼピン系薬物からの離脱その14 http://toro.2ch.net/test/read.cgi/utu/1339771034/
ベンゾジアゼピン系 離脱症状 薬物依存 http://www.sam.hi-ho.ne.jp/tootake/s6361.htm
セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AD%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%83%B3%E5%86%8D%E5%8F%96%E3%82%8A%E8%BE%BC%E3%81%BF%E9%98%BB%E5%AE%B3%E8%96%AC
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http://anond.hatelabo.jp/keyword/%E9%9B%A2%E8%84%B1%E7%97%87%E7%8A%B6 離脱症状
ジェイゾロフト・トレドミン減薬に伴なう離脱症状の記録 - おもてなしの空間 http://d.hatena.ne.jp/amt/20090712/Tredomin
LDC1E31FF8/ref=cm_pdp_rev_all?ie=UTF8&sort_by=MostRecentReview 精神科臨床医さんが書き込んだレビュー
http://anond.hatelabo.jp/keyword/%E7%B5%B1%E5%90%88%E5%A4%B1%E8%AA%BF%E7%97%87 キーワード統合失調症
http://anond.hatelabo.jp/search?word=%E7%97%87 キーワード症
http://anond.hatelabo.jp/search?word=%E9%9A%9C%E5%AE%B3 キーワード障害
http://anond.hatelabo.jp/search?word=%E3%82%BB%E3%83%AD%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%B3 キーワードセロトニン
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http://anond.hatelabo.jp/keyword/%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%9F%E3%83%B3 キーワードドーパミン
http://anond.hatelabo.jp/search?word=%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AB キーワードメンタル
http://anond.hatelabo.jp/search?word=%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%A7%91 キーワード精神科
http://anond.hatelabo.jp/search?word=%E5%BF%83%E7%99%82%E5%86%85%E7%A7%91 キーワード心療内科
http://anond.hatelabo.jp/search?word=%E3%83%93%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%83%B3 キーワードビタミン
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http://anond.hatelabo.jp/search?word=%E5%91%BC%E5%90%B8 キーワード呼吸
http://anond.hatelabo.jp/search?word=%E6%A0%84%E9%A4%8A キーワード栄養
http://anond.hatelabo.jp/search?word=%E3%82%B5%E3%83%97%E3%83%AA キーワードサプリ
http://anond.hatelabo.jp/search?word=%E4%BD%93%E6%93%8D キーワード体操
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http://anond.hatelabo.jp/search?word=%E8%AA%8D%E7%9F%A5 キーワード認知
http://anond.hatelabo.jp/keyword/%E6%BD%9C%E5%9C%A8%E6%84%8F%E8%AD%98 キーワード潜在意識 顕在意識は無し
更にあとで追加とかすると思う。
早起きに挑戦しようと最初に決意したのは、もういつの頃でしたっけ?あなたはいつまで経っても、起きる時間が変わっていませんよね。また月曜から、懲りずに4時〜6時の間くらいに起きるつもりなんですか?
今回もこの記事読んだんでしょ?
『早起きの常識を覆したら、毎朝5時に起きられるようになったお話』
そして、この部分。
つまり、「早起きは"目を覚ます問題"ではなく、"立ち上がる問題"である。そのためにはハードウェア(目覚まし等)ではなく、理由(ソフトウェア)が必須である」と問題を再定義しました。
を読んで、あなたはどう感じたんですか?こういうアプローチを考えたことすらなかったですよね?そしてあなたは、この記事の学びを生かして「今回の『立ち上がる!』を意識すれば、思考は現実化して、きっと早起きできるはず!」と意気込むんでしょうね。もちろん数日は予定通り起きられるでしょう。でもあなたはいつの間にか二度寝するようになって、ギリギリに朝支度するようになりますよ。やっぱり駄目なもんは駄目なんです。
一ヶ月に一回くらいホットエントリ化される定期的な早起き記事を、あなたはまたしても題名に釣られてブクマしちゃったんですね。本当に可哀想に。社会人の典型的な挑戦と挫折は、貯金とダイエットと早起き(追記:と英語学習)です。あなたもその典型例であり、相変わらず同じ失敗を繰り返しそうですね。「月曜の朝からは、起きた瞬間絶対立ち上がる!」とか考えてるだけで、本当に早起きの習慣が身につくとか、そんな美味い話がある訳ないじゃないですか。
そして寝る直前に部屋を暗くしたって駄目。シャワー浴びるつもりでも、朝に運動をするつもりでも、結局また挫折するんだから。一週間もすればiPhoneのリマインダがうざったく感じます。“Quit 1 thing”したはずのTV視聴も、無意識にTVでアメトーークとか観つつ、「いやー、今週の〇〇芸人は絶対観なきゃ!今日は特別な日!」などと言い訳を重ねて、いつの間にか24時を過ぎている現状に気付き嫌気が差すんですって。
そしてその時、結局早起きを継続できてない現状と、それまでに挑戦と挫折を繰り返した過去の経験を重ね合わせて、あなたはこう思うんです。「やっぱり早起きは自分に向いてない」と。
考え方や、やり方ばかりに目を向けても、所詮成功者の話を聞いたり、本やネット記事を読んでメモ(クリップ)する自己啓発オタクと変わりません。よくよく自分の現状を見つめて下さい。数ヶ月〜数年前から全く何も変わってないですよ。“変え方”を知っても、“変えた”ことにはなってませんよね。
そもそも早起きをすれば、きっと仕事の効率が上がって、夢や目標を確実に達成させるスペシャルパーソンになれる!みたいな願望があるんじゃないですか?でもそれってただの願望ですよね。
もし「朝の時間を活用したい!」などの単純な理由から早起きに挑戦している人は、なぜ「早起きすれば、それだけ時間を有効活用できる!」と考えているんですか?早起き=良い習慣なんですか?
そしてその返答に「健康に良い」「朝は静か」「成功者はみんな早起きしてる」とか誰もが述べてる抽象的な理由を自分の理由に当てはめないで下さい。正直聞き飽きました。
“早起きへの気持ちを導いた、あなた自身が考え抜いたメリット”って説明できますか?
本当に早起きしたいんですか?じゃあなぜ自分は早起きすべきか、早起きを推奨するビジネス書やブログ記事の内容を思い出さずに、自分の心に問いかけながら即答できますか?
まず私が言いたいのは「『早起きが良い(と言われている)』からあなた自身も早起きに挑戦してないか、もっとよく自分に問いかけた方が良いですよ」という点です。あなた、自分の気持ちに無理してませんか?
上記のブログ記事を参考にして言葉を拝借しますが、もし早起きに挑戦したいなら、まず「早起きは立ち上がることだ!」を“知る”のではなく、「定義を変えられる人間」に“なって”下さい。自分の常識をいつも打破構築する人間になって下さい。
あなたの常識(現状)は「早起きの習慣を確立できず、はてブ記事を読んでは丁寧にブクマする」であり、「結局早起きのために何も変化を起こせず、起こしても継続できず、最終的に達成できてない人」です。自分は早起きできる人間だという“妄想”を捨てて、現実を直視して下さい。
「何となく早起きって良さそう」といつも通り思考を流され、その早起きの「定義」「やる意味」「方法」まで人に頼ってしまう早起き願望者のあなたには、正直、早起きなんて向いてません。
そもそも人は信奉する自分の定義に従って生きる動物です。人生という物語を、聖書の定義に従って生きる人はやっぱり悩んだ時は聖書を開くんです。教会に行って説法を聞くんです。それがその人にとっての当たり前なんです。
早起きに関しては「どうせ自分は早起きに向いていない」「本当は夜型人間なんだ」などという、潜在的に思い込んでいる定義に従って、強固に生活習慣が構築されています。
まずその定義を変えられる人間になりましょう。そのために、「早起きとは両足で立ち上がる」なんて人から聞いた定義を自分に当てはめることなく、自分で自分の定義を発明しましょう。
成功例を頭に入れてばかりで、望んだ結果を導けず習慣化できない人。彼らはいつも「なぜできなかった」のか原因分析ばかりして、できなかった過去の印象に囚われてしまい、何か悪いキッカケが起これば言い訳をして続けられません。彼らの潜在的な意識は常に「今でも、私は変化できていない(そして将来もきっと変化できないだろう)」です。
しかし、現状を見つめて常に行動が早く、成果の段階的な向上と持続を習慣化できる人。彼らはいつも「どうすればできるか」と改善策を構築して、明確な未来像(この場合早起きしている自分の様子)を現在に具現化していきます。彼らの潜在的な意識は常に「今、私は変化できる(そして将来も変化し続ける)」です。
つまり、早起きの記事をブクマなんかするから早起きできないんですよ。その継続的なブクマの習慣が、何も変化できてないあなたの強固な潜在意識を物語っているじゃないですか。
大切なのでもう一度言いますが、「早起きの記事をブクマなんかする暇あるなら、自分で工夫して早起きしろ!」ということです。
さて、早起きしたいあなたへ。まず、この記事を最後に丁寧なはてブ行為は辞めましょう。そしてTwitterのつぶやきやFacebookのコメントで「この記事は〇〇だ」みたいな批評もせず、すぐにネットを閉じて下さい。そしてこの記事を読んで感じた気持ちに素直になり、その気持ちをすぐに行動にしてしまいましょう。
早起きが身に付くまでネットで情報収集なんてしなくて良いです。『インターネットやめたほうがいい』ですよ。そうすれば、きっとあなたは早起きできますから。
6/3(日)の4時半頃に投稿したこの記事。
私はこの記事を夜更かしして書いたのでしょうか。それとも、早起きして書いたのでしょうか。