はてなキーワード: 潜在意識とは
今までアイドルとか全く興味を持たなかったけど
まとめサイトを見て、ものすごい憤りを感じた。
http://blog.livedoor.jp/chihhylove/archives/4997227.html
スレ内で憶測されているような状態であったなら、
誰がそんなことをさせたのか?
本人が好き好んで晴れ舞台に
自ら仕込むようなことは考えられない。
させられている本人の気持ちを分かって欲しい。
人気票が沢山入ったとしても
仲間たちの嘲笑と馬事を受けながら
表では何事もないように笑って振舞うなんて
とてもじゃないけど出来ない。
今まで全くオシャレに興味がなくて、
ネタにされるの当然なのかも知れないけど…)
結果そのおかげで少しはオシャレに興味を持ったし、
ダイエットもして15kg減少した。
「誰これ?信じられない。」と言われるぐらい容姿は変わった。
ものすごく 億劫になるというか、
なかなか上手い距離感で人と付き合う事が全くできなくなった。
自分の素を曝して 生きていく事が出来ない。
自分を曝け出すと、高校時代の時の様に
嘲られたり、陰口を言われたりするんじゃないか?
そんな風に潜在意識で思っているのか、
なにが原因かなんて分からないけれど、
ものすごい気を使ってしまうし、
なかなか相手にも踏み込んでいけない。
相手から頼られるの逆にすごく嬉しいのだけれども。
酷い嫌悪感に襲われた。
若い女の子たちが集まれば確かに華々しく見えるだろう。
いつも連れ添って、仲が良さそうに喋ってて…
しかしその裏にある、陰湿さなんかを垣間見てて
「ああ、きっと女子高ってこんな感じなのかな」と思った。
ステージの女の子には自分のような苦しみを味わって欲しくない。
なくすことは出来ないんだろうな…。
病的なほどで、集合時間に時間通りに到着することが決してできない。
どんなに重要な待ち合わせにも、必ず5分遅れて到着、ひどいときは1時間も遅刻していた。
時間に縛られることが、自分を否定されているように感じていたことと、
先読みができず、出発時間間際に必ず他にしなくてはならないことがみつかるという悪癖が主な原因だった。
それに、時間にルーズというのは自分の個性だとかたくなに信じていた。
そういう自分の個性を認めてくれる友人こそ、本物の友達だと考えていた。
仕事で遅刻することも多かったが、親友と会ったりデートをするときこそ、余計に遅刻してしまう。
そもそも時間にうるさい女性とはつきあわないようにしていたが(とはいえ、いい顔をする相手は皆無だったが)、
時間にルーズなところを変えようとした彼女には、だんだんと嫌気がさして別れたことがある。
しかし、30を超えてから、ほんの些細なことがきっかけとなり、今では、集合時間の30分前に到着するのが当たり前になった。
人間は変わる。
その自分の経験からいって、彼女のその悪癖は、治すことができる。
まず、増田の彼女が家で片付けをしないのは、増田のことを本当に信頼したいからだろう。
片付けできないことは世間では嫌がられるということは、彼女は知っている。
しかし、だからこそ、それを許容してくれる男性こそが理想なのだと、彼女の潜在意識に刷り込まれている。
このかたくなな思い込みが、片付けできない性格を下で支えている。
そういう人間は得てして、仕事や勉強が優秀なことが多い(自分を認めてもらうために)。
しかし、それなりに仕事ができるようになっても、いつまでも自分に自信がない。
その証が、父親のように、片付けられない自分を許してくれることなのだ。
もしもあなたが「俺は君のそういう点は、嫌なんだ」ということを粘り強く伝えることで彼女の性格を変えたいと願うのなら、それは間違いだ。
彼女の潜在意識は、片付けをできない自分を認めて欲しい、という思い出いっぱいだから。
もしも彼女が好きならば、まずは義父のように、彼女の代わりに部屋を片付け続けて欲しい。
ただ、それだけだと彼女の実家のように、いつまでもそれが続くことになる。
それを変えなくてはならない。
まず、不十分ではあっても、掃除の日を決めて、彼女には掃除をする習慣をつけさせること。
まずは、習慣が必要。
加えて、家庭の中の余計な物は、増田がやる気を出して、すべて捨ててしまえ。
いらないダンボール、いつか使うはずの包装紙、読み終わった雑誌、そのすべて。
彼女が急に片付けを頑張ろうと決意したときに、簡単に始められるように、生活全般をシンプルなものへと変えておくべし。
それから、増田には、彼女に睡眠と栄養を規則正しくとらせ、運動をさせるという、一見片付けとは無関係のことを辛抱強く続けて欲しい。
実際のところ、彼女は夜ふかしをするひとなんじゃないのだろうか?
バランスに欠けた人格や思い込み、異常な空間認識等は、脳みそがうまく働かず、精神的に不安定だったことが大きな原因になる。
私が時間を守るようになったのは、
遅刻に寛容な友達と仲良くするようになり、数年ののちに、遅刻をすること=自分を認めてもらうことではなくなったこと、
(なぜかある時、急に楽になったのだ)
睡眠の重要性を知って、規則正しく同じ時間に必ず7時間、とるようになったことだった。
一時期、ADHDだと信じ、自分の時間にルーズな性格は治らないと諦めていた。
しかし、それが変わった。
幸運を祈る。
おそらく名目上は独立を保つのだろうが、経済的、社会的、政治的、そして、もしかしたら軍事的に、
具体的な内容は、こんな感じ。大きな五星紅旗をそれぞれ手に持ち行進する中国人らしき集団が見える。
ここで場面が変わり、東アジアの地図が眼前に表れた。中国の領土が真っ赤に染められている。
左上のほうには金の星が見える。どうやら、国旗の五星紅旗が中国の領土の形に描かれているらしい。
すると、中国領の赤い色が下方に染みてゆき、ラオスの縦長の領土を完全に赤く染めてしまった。
地図は好きなほうだが、ラオスが中国と国境を接していることは、このときまで不覚にも忘れていた。
でも、その赤くなった国がラオスだということは、どういう訳かインスピレーションで分かった。
晴れてラオスは中国の一部となり、この小さな国の出来事をきっかけとして、国際社会は衝撃を受け、
これまでの中国への見方を改めざるを得なくなる。そうした事が全てテレパシーのように伝わってきた。
かつての大日本帝国ほどではないにしても、現在の中国の本質は帝国主義であり、ファシズムなのだ。
「行って警告しなさい」
声のような思念のようなメッセージで、そう訴えかけられるのを感じた。
最後に、「ラオスがなぜか中国に併合される」と、自分がPCに向かって打ち込んでいるところで、
その奇妙な夢は終わった。
これは、いわゆる予知夢なのだろうか。東南アジアで中国の影響力が急速に強まっていることは、
あの地域の事情に疎い自分でも知っていた。今年の初めにも、ラオスの地デジ放送が中国政府や
資本の協力で始まったという話を、WBSで見たばかりだ。これが潜在意識に影響したのだろうか。
それでも、まさか国の併合にまで話が飛ぶとは…。
自分は、右翼のような中国脅威論者ではなく、中国との関係はどちらかと言えば楽観的に見ていた。
とくに、中国の諸々の問題は体制によるものだと思っていた。けれども、そう単純ではないらしい。
体制という「上」からの影響だけでなく、大衆心理という「下」からの作用もあるのかもしれない。
つまり、大衆の即物的な欲望であり、愛国心教育、民族主義教育で植え付けられた自民族中心主義だ。
冒頭の五星紅旗を掲げた中国人と思われる群衆は、そうした大衆心理のメタファーのように感じられた。
中国との交流が進むことは善いことだ。中国を変えられるものは、隣の日本との交流以外に無いだろう。
排斥は、より強い憎悪として返ってくるだけだ。そもそも、もはや中国なしで日本の経済は成立しない。
でも、目先の利益だけを考えて中国依存を進めていけば、夢で見たラオスのようになるのかもしれない。
日本は、もっと色々な国と深く付き合うべきという事なのか。例えば、他の新興国であり、EUであり、
隣の韓国やロシアだ。ちょうどこの夢を見た25日、思いがけず、ASEANの外相らが陸路でラオスを通って
中国詣でに出掛けたらしい。とくに、ラオスは、資源があり、ここ数年、中国の援助や投資が凄いようだ。
ちなみに、自分としては、ラオスの夢よりも、この夢が終わった後の神秘体験のほうが印象に残っている。
目が覚めていて、意識はあるのだが、身体が動かない。部屋はほぼ閉めきっているはずなのに、
何か風のようなものを四方から強く身体に吹き付けられている感覚がする。これが暫く続いた。
科学的に説明できる錯覚なのかもしれないが、自分にとっては恐怖体験としか言いようがなかった。
世の中には二種類の男性しかいない。
何故か?
結婚は言わずもがなで理性的に考えればリスクとコストの塊である。
三次元の嫁は年々劣化するし、
いくら愛を信じても不倫や熟年離婚などのエグイ裏切りもありえるし、
子供を育てるのはしんどいし金がかかるし、
子供がダウン症とかDQNとか犯罪者とかニートとかになるかもしれないし、
その程度のメリットの代替物は金で買える。
家事が面倒であるならば家政婦を雇えばいい。
老後が寂しいなら、老後に老人ホームにでも入って友達を作ればいい。
性欲だって毎月風俗に行くほうがコストもリスクも安いし大きく満たされる。
理性で考えれば男は結婚などしないのである。
これが定説。
理性的に考えればしないはずの結婚をしてしまったのはどうしてだろう。
それは子孫を残したいというオスの本能(エロ含む)に負けたからである。
理性が本能に敗北したので、結果的に既婚者という名の敗北者になった。
やっちゃたらできちゃったという知らない間に決着がついていた敗北である。
近づいてきて結婚してしまったのも、女の思う壺である。
完全に敗北である。
勝者にも二種類いて、
全くモテたためしなく結婚のけの字もなく不戦勝中の「不憫な勝者」と
いつ討ち死にするかわからない。
戦い続ければ必ずいつか討ち死にする、それすなわち戦士の宿命である。
一方で「ラブプラス最高~」とか
はじめとする「不憫な勝者」は強い。
彼らはその気持ち悪さゆえに
生身の女性には全く相手にされないので(されても色々問題あるので)
上記の理性と本能の戦いが生じる隙がなく、
持っているのでいつでも幸せである。
「不憫な勝者」はネット上で非モテ・非リア充・童貞・キモヲタなどと
罵詈雑言を浴びせられ、世の中では虐げられ蔑まされている存在であるが
この考え方によると無敵であると言わざるを得ない。
ということで
人間の心には、混乱や脅威をもたらす刺激から、自分を守ろうとする働きがある。こうした心の防御機構があるために、私たちは、一見、混沌とした印象をあたえるこの宇宙の中で、秩序感を保ちながら生きることが出来る。人間の脳は、毎瞬毎瞬、諸々の刺激に曝されている。膨大な刺激が生み出す情報を処理するとき、脳はまず日常生活の中で馴染みのあるものから処理していく。
しかし、日頃は接することのない新しい刺激に曝されたとき、脳はどう対処するのだろうか? 脳はそれ自身にとって馴染みのある現実の枠組みに沿って情報を処理する。そのために、脳にとって「異質」と見なされる情報は、後々の処理と分析のために、まずは潜在意識に入れられる。しかし、こうして潜在意識に入れられた情報の大半は、そこに保管されたまま決して顕在意識には送られない。顕在意識が日常的な現実への対応に追われて忙しいために、潜在意識にある情報に注意を振り向ける余裕が無いからである。
人類はこうした現実認識の仕方を、過去何千年にわたって続けてきた。実はそれによって、私たちは数多くの新しい体験に気づく機会を取り逃してきたのである。
異質な情報に出会うと、人間の脳はその情報をすぐに潜在意識にしまい込む。自我はそうした体験が起きたことを受け入れようとしないのだ。もし人類のこうした情報処理の仕方が、今後も変わらずに続いたとしたら、私たちはごく限られた現実の領域の中で起きる出来事だけしか自覚できずに生き続けることになるだろう。
脳は、それ自体に混乱を与えるデータを隠す術に長けてるとも言える。異質な刺激を防ぐための脳の防御機構とは何か?
異質な刺激や情報に接したとき、私たちは理由のない不安に駆られるなどの、無意識レベルの抵抗を味わう。不快感を伴なう感情的な反応は、「心の奥深くにあるものを探りたい」という私たちの探究心を阻む赤信号のような働きをする。もしこうした妨害さえ無ければ、私たちは心の深部の探求を通して、数多くの驚くべき発見をするだろう。
私たちの心には、自我のレベルでは自覚できない無意識の抵抗が数多く潜んでいる。それらは、私たちが大いなる現実に心を解き放つことを妨げる「心のなかの壁」である。
関連:
モンスターの正体:
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2010/07/post-5989.html
絵が描きたいのに、ヘタなのでどうしよう、って悩んでる人へのアドバイスだけど、見方を変えると、これって例えば「カラオケで歌いたいけどヘタ」っていうのと一緒だと思った。
ありがちな悩みとしては「音痴・音が外れる」・「自分の歌い方がなんかキモい」ってのがあると思うけど、つまり「歌のエッセンスを吸収・理解してない」って事だから、そこをまず、自分の自意識というか潜在意識の中に刷り込む、という作業が必要になってくる。
よく言われるのは「バケツをかぶって歌う」という方法で、つまり『自分の喋る・歌う声を、自分の意識で「ちゃんと」認識する』ための回路を、自分の脳味噌の中に作りあげるための作業だ。バケツをかぶるのはさすがに恥ずかしい、という人は、右でも左でもいいから、自分のしゃべった声を片方の耳でよく聞こえるように、片手で『耳を大きくするような』感じで覆うといい。お勧めは、左耳(感情をつかさどる右脳と直結してるから、というのがその理由らしいけど)。
それができたら今度は、「自分の歌った声をまず録音し、再生して自分の耳で聞いてみる」というプロセスを経験してみる。『自分の行動を客観的に捉える』という作業で、大概の人はここで「自分の声のキモさ」というものに悶絶するようだ。つまりそれだけ、普段は自分の声や喋り方について、無頓着というか、意識して発声している人が少ない、ということ。
そこで目(?)をそむけず、どこがどうおかしいのかって事を、きっちり意識する。上手くなりたいのなら、一連の歌声の中で、自分で気づいた点について、ノートを付けてみるといい。
本当はここで、楽譜が読める(音階を視覚的に認識・置き換える)だけの知識があればいいんだけど、それは特に無くてもかまわないと思う。歌詞カードの部分に「ここで一瞬、タメを作る」とかメモを書く程度でも、とにかく「歌う際に、歌詞で気をつけるべき部分」を自覚的に理解しておく。
あと、「俺、滑舌が悪くて、何言ってるのか分からないってよく言われるんだよね」って人もいると思うけど、そこらへんは「お年寄りの人に、大声で、ハッキリ・ゆっくり語りかける」つもりで、歌詞を読み上げる練習をやってみると、あんがいと解消が早い、と思う...
あと、カラオケがうまくなるには、歌手の歌い方のモノマネをするのが有効だ、っていうのはよく言われる話だけど、声のトーンをたんに真似るだけじゃなく、例えば「歌手の表情や姿勢」まで真似てみるというのは、本当に有効。だから歌を聴くだけじゃなく、できればPVとかで歌手の細かいしぐさの格好まで徹底的に真似るのも、いいと思う。
それから、たまには目をつぶって「耳に神経を集中させて歌声を聞いて」みて、歌ってる人がどういうアクションをしてるのかを、想像してみる。なーんとなく曲を聞くんじゃなくて、「歌い手の表情を想像」できるように、意識を高めて聞いてみる。そうすると、真似る対象のイメージがすっと頭に浮かぶ→あとはそれを真似て歌う、というプロセスが自然に出来るから、そうなれば歌う事はぜんぜん苦じゃ無くなる。
それができたら、今度は筋トレに相当する「ボイストレーニング」も、簡単なものでいいから並行してやってみるべき。歌う際に腹筋を使える(腹式呼吸)のと使わないのとでは、それこそ雲泥の差がつくし。
ここで高音や低音の部分の声が出ない、という悩みについてなら、高音部分はファルセットというか裏声を使えるならそれで誤魔化す方法もある。低音の場合だと、多少は体格の問題が出てくるけど、秋川雅史(「千の風になって」の人)のような感じで、腕を広げたりして姿勢を変えると出易くなる、気がする。ま、このあたりは、興味があるなら専門家にちゃんとした指導を受けたほうが早いよ。
もちろん、絵が上手く描けなくて悩む人よりは、歌が上手く歌えなくて苦に思う人って、タイプとしては少ないとは予想する(絵が下手なのは見てすぐ分かる事だし)けど、苦痛に思ったりしながら歌の練習をするっていうのは、やっぱり間違ってると思う。だって、気持ちよく歌うことって、単純に楽しいじゃん。上手く歌えたら、かっこいいじゃん。
でもよく、芸能人カラオケ大会とかの番組で、ブサイク芸人が酷評されたりする場面もあるけど、あんなのは無視していいと思う。ジャイアンリサイタルじゃない限り、誰かが歌う事が他人から非難される事って、あまり無いはず、だし。
それと、英語の歌を歌いたいなら、もちろん原曲を何度も聞き込むのは大事なことだけど、簡単な英会話や文法も勉強するとさらにいい。もっともここらへんは、歌える人にとっては「何を今さら」な事かもしれないけど、歌詞の内容を熟知したうえで歌うのと、そうでないのとで、これまた曲の深みがぜんぜん違ってくるのは、言うまでも無いよね。
健闘を祈る。
経験人数3桁の俺が語ってやろう。
男女の友情は存在するよ。ただし当然のことながら「SEXした友達」か「SEXしてない友達」の2択になる。
自他共に性的対象と見られない人のみ「SEXしてない友達」になる、ほんのわずかでも性的対象と見られたり潜在意識的に性的対象と認識してしまった
場合は「SEXした友達」か「SEXしたい友達」になる。男女の友情とSEXは切り離す必要もなく問題ではない。
また「SEXしたら友達ではない」というのは誰かが勝手に決めた事である。
つまり「男女の友情はあり得ない」というのはまったく問題ではなく、議論に上げる必要すらない。
結局のところ「この人と友達かそうでないか」、「SEXしたいか、したくないか、したか、しないか」の2つはまったく別の事実と欲求であり、
なんら関係なく時には片方のみ、時には同時に存在しうる。
振り返ってみると、私の父と母はあまり折り合いが良くなかった。だいたい顔を合わせると罵り合っていたように思う。共産党の専従だった父は実に「野党精神」旺盛な人で、家庭のことで何か気に食わないことがあると(家庭を顧みない自分を差し置いて)いつも母を詰った。共産党員らしい几帳面さで問題点を洗い出して問い詰める父に、血の滲むような努力で仕事と家事を両立し、暮らしを支えてきた母は激昂し、時には皿が飛び交うような諍いを繰り返した。それに自分がどう反応していたのかはよく思い出せない。子供なりの頓珍漢なやり方で、父や母に何か気を使っていたような気がする。(帰ってくると笑顔でお帰りを言いに行く、積極的に肩揉みをする等)ともあれ、そういう諍いに巻き込まれるのは恐ろしいことで、彼らのご機嫌をとることが生活の指針になっていたことは覚えている。概ね幼少の頃は良い子であろうとした(客観的にはともかく、主観的には)。
父はおよそ仕事に熱中する人であったが、家庭内のことに無関心というわけではなく、むしろほんの些細な出来事にまで拘り、様々な形で命令を発し、物事を支配しようとした。家庭は彼の王国だったと言ってよい(いや、人民共和国と言うべきなのか)。彼の築いてきた学歴と自信に比して、彼の党内での立場というのは実に弱々しいものであったようで、それを埋め合わせようという願望もあったのかもしれない。家庭内のどんなものにも彼は権力を振るいたがったし、自由にさせていることであっても、不満が感じられたときにはいくらでも介入し、彼の満足行くように改めさせた。彼はまさしく闘士だった。向かう方向はまるで見当違いだったが。それでも、彼が母や子供に暴力を振るうことが(記憶にある限り)さしてなかったことは、彼の美徳と言っても良いかなとは思う。しかし、彼が子供と自分の自我を分離できなかったことは、子供の成長に大きな悪影響を与えたと私は確信している。子供が何をやりたいか、ではなく、父が何をやらせたいか、子供が何に不満を感じているか、ではなく、父が何に不満を感じているか、それだけが問題になった。そこから子供が外れようとすれば、恐ろしい査問が始まることになる。今でも、そうやって査問を受けたときに感じた恐怖と屈辱の念は忘れられない(ただ、彼がそのように振舞わざるを得なかった背景について整理して考えると、彼を非難する気持ちはどんどんしぼんでいってしまう。結局、彼もまともな家庭で育っていないのだ)。私よりも数段優秀だった上の兄弟が某国立大学の受験に失敗して、それでも某有名大学に入ったときの騒ぎなど、見ているこちらまで頭がどうかしてしまうぐらいだった。優秀であっても、努力をしても、結果は真っ黒に塗り潰されている――彼との生活から、私はそういうメッセージを受け取った。
一方、母は「みんな我慢している。楽な生活なんてない」と子供たちを叱った(今でもたまに口にする)。私は恐ろしかった。超人的努力で家庭を支え、苦しみに堪え、そして報われずに生きる母の姿には、まるで生きる希望も喜びも見出せなかったからだ。正直、その言葉は、子供を教え導くためというより、家庭内で一番我慢を強いられてきた彼女の自我を守るためのものだったように思う。(「私はあなたのようには生きられない」と訴えたときの母の怒りたるや、凄まじいものだった。状況に押し潰されて、意味を考える暇もなく「我慢」の結婚生活を強いられてきた彼女には、「我慢したくない」「我慢に何の意味があるのか」という主張は自分の人生の否定にしか映らなかったのだろう。)そういう潜在意識の透けて見える姿で、子供たちに「我慢」をさせようとする母は、とてもとても恐ろしかった。今でも、我慢するしかない、という言葉を聞くと、自分の中で、明日への希望が全く消え失せていくのが分かる。「明けない夜はない」でなく「明けない夜を生きていけ」という教えには、人から長期的展望を奪い、刹那的な生き方へと誘導する力があるのではないかと思う。私は何か希望が欲しかった。結局縋る先は間違えた訳だけれども。
奇行が目立つ子供だった私は友達も少なく、専ら空想の世界に親しんで暮らした。願望を実現するために計画を立てて行動する、という発想もなく、誰かがいつか自分を拾い上げて夢の国に連れて行ってくれることを待ち望んでいた(当然、そんなものは実現しない)。現実に対して何か求めても無駄、何かやってみようとするだけ無駄、という無力感と、両親の叱責に対する強い恐怖感に私の思考も行動も拘束されきっていたのだと思う(流行の玩具を持っていない私を不憫がって、友人が「余りをあげる」と申し出てくれたときも「両親が怒るかもしれないから」と断ってしまうぐらいには)。もちろんそのような抑圧の下にあっても、子供らしく欲しい物を求めることはあったし、客観的に見れば我侭としか言いようのない要求もしてきたと思う。だが、そうした要求を口に出すことにハードルがあったし、また、そうした要求が聞き入れられることにもまた、高いハードルがあったし、要求が聞き入れられても、「聞き入れてやったこと」の恩に応えるよう求められ続ける、というさらに高いハードルがあった。無論、共働きにも関わらず決して豊かとは言えなかった我が家の台所事情を考えれば、何でも子供の求めたものを買う、なんてことはできっこなかった。だから、ことあるごとにカネ・カネ・カネと言われたのも止むを得ないところはある。ただ、父や母の不和と、それが生み出す強い緊張感、暗黙の強い要求と支配は、子供が自分自身の財産(小遣いやらお年玉やら)をどう使うか、という計画性や、正常な欲求の発達までも妨げたと思っている。どんなものに、どんな風にお金を使うのか。どう資産を運用するか。どう節約するか。何に使うか。そのことについて子供の頃に落ち着いて考え、学ぶことができた人のことを、私は羨望している。もちろん、必要を感じたなら今からでもやるしかないことではある。ただ、願望や欲求の正常な発達なしに、必要性だけでそれを手に入れようとすることはとても難しい。
私は小学校から中学校に至るまで、勉強だけはよく出来た。きちんとした学習の習慣があったわけではなく、単純にそういう方面に適性があったのだろう。テストの点数以外のあらゆる要素において、私はほとんど完全な劣等生と言ってよかった(宿題は全くやらない。ノートも全くとらない。授業中に騒ぎ出す、他の生徒と流血沙汰を起こす、等々)。行動・努力することに対する無力感と、テストの高い点数が自分自身の可能性を証明しているかのような小児的全能感とのせめぎあいが、私を同級生達と比べて圧倒的に情緒不安定で幼い人間としていた。私には何の目的も方向性もなかった。自分がどんなことをやりたいと思うか、そのためにどう努力するべきか、そういう意識は全くなく、ただ目の前にある面白いことに飛びついていただけだった。中学・高校以降はさらに反抗精神が加わり、叱責されたことに対する敵意と憎悪と、命令に対するボイコットがそれに加わる。私は自分の意思が奪われることに強い憎しみを持ち、それに抵抗した。実際に論理立てて主張をするなどの一部の行動は、それなりにまともな態度だったと評価することもできるが、「私の現在と未来は、彼らが自由にできる物ではない」と訴えるために、私自身の現在と未来の可能性を自ら破壊したことは、実に実りのない行為だったとしか言いようがない。結果は当然惨憺たるものに終わった(せめて前者の比較的穏健な訴えが当時もう少し受け入れられていれば、と思うときもあるが、それはこういう結果を招いた私自身の責任を軽くしようという、下種な欲望の表れなのだろう。私がそのような道を選んだことの責任は免れ得ない)。
本当は、両親に何かを期待するのではなく、正確に現状を認識し、自分自身の能力でそういう状況を切り拓き、逃れ、先へ進むための方策を考えるべきだったのだと思う。しかし、私には出来なかった。自分の願望を達成するために、自らの意志で計画を練り、主体的に行動していくこと、そこからフィードバックを得て、自分自身を変革し、成長していくこと、こうしたやり方から遠く離れた生き方を選んでしまった。そのことが、今も自分の人生に大きな影を落としている。そうできる可能性がなかったわけじゃない。高校時代にはそれを達成することが出来たかもしれない出来事や、出会いがあった。多分、妄想や空想でない希望があった。しかし私はそれを生かすことが出来なかった、それどころか、気付いてすらいなかった。そして、その失敗を乗り越えることなく無駄な人生を続けてきた。今更そう理解することで、私は過去から復讐を受けているような気持ちに苛まれる。今からでもあの希望に立ち返って、取り戻すことが出来たなら。それがもうとっくに手遅れで、今や子供の頃に散々お世話になった妄想とほとんど変わらないしろものだと分かっていても、そういう蜃気楼みたいな希望に縋らなければ、今は前に進む気力すら保つことが困難なのだ。
だが、そうやって、取り戻せない過去に縋りつく自分の姿はあまりにも亡霊じみていて、客観的に自分を省みる度に、鋭い痛みが走る。幻を支えにする自分の耳元で、お前はもっと建設的に、現実的に生きなければならない、と理性が囁く。多分それは正しい判断なのだけれども、私には、その囁きがおぞましいものにしか聞こえない。その声が、かつて両親が私を縛り付けた言葉を思い起こさせるからだ。親が私を支配し、縛るために使った言葉と、私自身が自分自身の意思と判断で下すその言葉は同じ手段を示していようと、同じものではない、理屈ではそう分かっていても、どうしようもない無力感に、呑みこまれそうになる。私は、どこにも逃れることができず、多分このまま檻の中で一生を終えるのだという確信。
もちろん、わざわざ自己憐憫めいた口を利くまでもなく、こんなことは世間にありふれているということはよく知っている。私はその中の、ごくつまらない例の一つにすぎない。もっと建設的に、もっと現実的に、もっと合理的に生きなければならない。さもなければ、明確な意思と主張をもって戦い抜くか、死ぬか。私には後者をやるほどの強さがない。よりよく生きなければならない。嗚咽はどこかに押し込めて。古傷はどこかに包み隠して。自己憐憫はどこかに放り捨てて。そして如何にも楽しげに。人生を満喫しているような素振りで。きっとうまく騙せるはず。
不具合を抱えながら、私は私を騙し騙し動かしている。オーバーホールできる場所まで走り続けられるのか。途中でエンコしてのたれ死ぬことになるのか。死ぬまで騙し騙し動かし続けることになるのか。恐らくは三つ目を選ぶことになろう。多分、世間に一番多いのもそれだ。そういう人生にも、そういう人生を送る人物にも、私は価値を見出すことが出来ないが、そういう人生も、そういう人生を送る人物も、痛ましいなとは思う。恐らく、もっと苦しい状況を生き延び、自己実現を果たした人々にとっては鼻で笑うような話だろう。いや、是非鼻で笑っていただきたい。勝利はあなたたちのものだ。心から、それを祝福したい。私はその隣を、びっこを引きながらとぼとぼ歩く。時折、同じ道を歩く者同士が石を投げ合うのを見る。「不幸な自分をそんなに哀れんでもらいたいか、乞食め」と。何もかもがひどく虚しいが、そう思うことさえも、ごくありふれた、つまらなく、くだらなく、何の意味もないことだと感じる。勝者の説諭も敗者の同族嫌悪も首をすくめてやり過ごし、びっこを隠してとぼとぼ歩こう。何も無い道を歩きながら願いを呟く。私と同じ道を歩む者が今後少なくありますように。同じ道を歩む者たちにささやかでも幸せがありますように。いつか全ての人々の夜が明けますように。
そもそも、もう結婚はいらないんじゃない?って発想が一部である。
過去に結婚がどうしても必要だったのは、食べ物を作る人員を確保するために絶対最低限の人間の数が必要だったから。
だから、どんなブサイクでも、ろくでなしでも、最低限の仕事さえしてれば結婚できてた。そして子供に後を継がせる事が目的だった。場合によって、子どもができない場合は拾ってきた子供を跡取りにしてるケースも別に少なくない。
でも、これらは全部、人が食料生産や生活に必要なものを生産するのに多大な人員が必要だった過去の話しで、機械化された今は必要な分の食料は作ろうと思えば全然作れる時代になってる。
そうすると、無理やり結婚して跡継ぎをとる必要がなくなってきた。
農民には跡継ぎの発想がまだ根強いけど、サラリーマン家庭では跡継ぎの発想は農民ほど強くないのは、きっとこのせい。
そのままシステム化された社会がひろまっていって、今では人類滅亡しない程度に極端に、極端に子孫が居ないと困るけど、そんな人間全員が「子孫作りたくありません!」ってなるわけもないから、そもそも結婚する必要性ってないんじゃない?って考えが一部で出つつある。
あくまで合理的に考えて、な。
セックスがしたいだけなら、風俗でもいいわけだし、それこそフリーセックスのように肉体関係だけの友達を作ってもいいし、実質すごく信頼できる恋人と同棲していたとしても別に結婚して跡取りに必死になる必要性はどこにもなかったりする。
同じく、です。
ありきたりな分析だけど、やっぱり学生時代を終えて格段に「人生の可能性」がなくなったからだと思う。
学生のうちは、のんべんだらりと過ごしていても、いつか何かしら劇的な出会いがあって人生が大きく変わり、そこから何かしら明確な人生の目標ができるかも。って、普段から強くは思わないまでも、潜在意識化でひそかにあった気がする。そしてそれが、心にある意味ゆとりをもたせていて、未来に対して希望ももてていたように思う。
社会人になってしまうと、それはもう仕事は忙しいし、現状を変えるには体力的にも時間的にもきつい。ローテーション化していく業務の中で、自分の小ささを自覚していき、そんな中で彼女もいなくて友人も少なければ、なんで生きてるんだろうって疑問に思うのは不思議じゃないよね。
…という自分語りでした。
<追記>すいません、何か元増田さんの書いていることとはズレたレスポンスになってしまってますね。。。気にしないで下さい…。
同い年の人より、歳の離れた人の方が話しやすいってどうなんだろうな。
職場には同い年の人がいない。それが案外心地いい。
30歳近く歳の離れた人と隔てを感じることなく、他愛のない話をすることができる。
多分、話が合うか相手に気を遣って貰っているかのどちらかなんだろう。
(後者だったら大変申し訳ないのだが)
むしろ、余程趣味嗜好が合わない限り、同年代と話す方が、歯車が合わないようでイライラしていた。
胸の奥に鋭い小骨が突っかかって、ずっと取れないような違和感を感じていた。
同い年なのに、何でこんなに気を遣って話しているんだろうと潜在意識の奥底で浮かんでは落ちていく疑問。
そんな少し前の学生時代は、自覚はしていないけど窮屈だったのかもしれない。
思い返せば、教授と趣味(主に自作PC)の話をしている時はとても楽しかった、と思う。
思い出補正がもう既に入り始めているからそう思うのか。
人のいいところ(厳密に言うと違う気がするが)を探す癖
素晴らしい。
是非ともその癖をなくさないで。
「褒める=かっこつけ」という潜在意識
今度は「褒められて喜んでいる相手を想像する癖」をつけるんだ。
宮崎正弘『トンデモ中国、真実は路地裏にあり』(阪急コミュニケーションズ)
ウィグル自治区で殆どのモスク(イスラム寺院)は静謐そのもの、宗教活動は地下へ潜ったと見られる。
新彊ウィグル自治区は地理的にみると中国の西北に位置し、その面積は百六十四万六千八百キロメートル。じつに中国総面積の六分の一を占める。日本の総面積の四倍以上だ。
大半が砂漠である。だから中国は平気で核実験場としてきた。そのうえ新彊ウィグル自治区とカザフスタン、キルギス、アフガニスタン、パキスタンなどとの国境線だけでも五千七百キロに達する。
国境警備にも力点をおくわけだから長大な防衛戦において兵站の確保は並大抵ではなく、どこからでも駱駝は進入できる。ビンラディン一派に通じるイスラム原理主義過激派のゲリラが武器を中国国内に運びこむのもさぞ容易なことだろう。
極めて厳しい自然環境、乾燥した気候である。とても住み良い、暮らしやすいという環境ではない。砂漠では水の確保も簡単ではない。広大であっても貧しいこの地域におよそ千六百六十万人が住んでいる。そのうちウィグル族が約九百五十万人、言うまでもなく大半はイスラム教徒で、古くからマホメットを信仰している。
中世から近世にかけて現在の中国北西部を収めていた元は原住民のイスラムの信仰には介入しなかった。近代になっていまのカザフスタンから新彊ウィグルにかけて「東トルキスタン」が建国されると、復古を主張する地下運動が盛んになり、血の弾圧に屈しないばかりか、ますます闘志をかき立てて原住民は漢族に立ち向かうようになった。
新彊ウィグル自治区の党書記・王楽泉(山東人)はすでに十年以上(駐 執筆時点。いま現在は17年)に亘って、この地域の党書記として君臨している。
あたかも欽差大臣のごとく居丈高に振る舞っているが、九八年九月二日の記者会見で!)宗教の管理をさらに強める!)共産党員はイスラム寺院に行ってはならない!)女性が顔を隠すのを禁止する!)ウィグル青年が長期不在となれば「過激分子」とみなし「宗教の自由」を剥奪する、などと時代錯誤の対策を語った。
ウルムチへ入った。ウルムチ市内には西安やチチハルの清真寺のように迷路の奥の路地裏の、さらに裏にこじんまりと立つ小規模なモスクもあれば、福建省泉州のように街の真ん中に公園化した瀟洒なモスク(漢字で「清真寺」を一般的に充てるが、泉州だけは「清浄寺」という)もある。道路沿いに多くの信者が住んでいるが、各地で表向きの信仰生活がみられない。公安の警戒を懼れ、モスクに信者がちかつかないのだ。
冷戦終了直後に旧ソ連領のカザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタンを歩いた経験があるが、随所で早朝から大きなスピーカーで「アッラー、アクバール」とコーランが流れているのを聴いた。
ホテルでこの聖なる音に目覚め、やおら窓を開けると、♪アラーは偉大なり♪
イスラム圏のまっただ中にいるという旅情がわき上がってきた。バグダットでもイスタンブールでも、エルサレムのアラブ街でもサマルカンドやタシュケントでも同じ情景があり、必ずそこに宗教音楽が付帯した。
しかし中国は違っていた。宗教音楽はおろか公然とした祈りさえないではないか。
一方でアルカィーダ秘密基地に「東トルキスタン独立」を掲げたイスラム原理主義過激派が訓練を受けていた。
寧夏回族自治省のみならず新彊ウィグル自治区のトルコ系住民のなかにイスラム原理主義が拡大している事態の到来は、五輪をひかえた北京中央にとっては鮮明なる脅威という認識である。
北京は「9・11事件」の事後処理に便乗し、ウィグル独立運動を「テロリスト」とそそくさと規定した。そのうえで米国に圧力をかけ、容赦ない弾圧を新彊ウィグル自治区で強化した。911テロ以降も一万人もの「テロリスト容疑者」を拘束、一部を拷問にかけた。
イスラムの動きに鈍感で敵対心を潜在意識に潜ませる欧米諸国は、ウィグルに関してはチベットに寄せる同情心と較べるとやや薄い。まして米国は02年八月にアーミテージ国務副長官を訪中させた際に「ウィグル独立運動」を中国が要求するまま「テロリスト」に認定し直した。イラク包囲網を実行し国連で武力容認決議を急ぐあまり米国は拙速にも北京と妥協したのだ。
(中略)
村全体がウィグル人だったりする農村では、当たり前のようにモスクに集う人々の姿がある。また西安のような大都会でも、中心部のイスラム寺院「清真寺」には人々の礼拝が絶えない。モスク近くでコーランのテープやCDを買おうと尋ねてみるが、一枚もない。一軒だけコーランの経文を売る店がトルファンにあったが。。。
あまりの弾圧ぶりに、宗教活動は地下に潜ったのだ。年齢によって差はあるが、人々の服装を見ても若者の一部はイスラム帽もかぶらず、ピアス、茶髪、ショート・パンツが珍しくない。ウルムチにさえディスコやカラオケがあって暴走族がいる。カザフ・カラーという独特の模様の民族衣装はかろうじて残るが、TVと新聞を北京に握られている以上、イスラムの主張は宥和的、微温的にならざるを得ないようだ。
ウィグル族の首都であるにもかかわらず、ウルムチには圧倒的に漢族が多い。動物園にはパンダ、市民の公園、遊園地も漢族の家族連れが目立った。いまやウルムチは「ウィグルのチャイナタウン」ではないか。
街の看板は漢字とアラビア文字が併記されている。ところが目立つのはカラオケ、瀟洒なビジネスビル。大通りに溢れるのはトヨタ、日産、ホンダの車である。
服装もあか抜けしたデザインが主流で、ウィグルカラーの民族衣装を着た人は少数派になりつつある。自転車が道に溢れ、商店の物売りたちの活気ある呼び声。バザールの喧騒。中国全土のどの都会にも見られる風景で、設計思想は似通っている。
最近のおびただしい漢族の入植は、この地にも工業化をもたらし、経済的な発展を遂げた。生活が少しでも豊かになれば物質的な欲望が果てもなく拡大するのは致し方のないものであろう。
都会のウィグル人の若者は懸命に北京語を学んでいる。言葉ができないと官として出世は望めず、給料も上がらないからだ。
中国沿岸部の人たちは競って英語か日本語を習得し、外資系企業に勤め、うまくすれば外国人の伴侶を見つけて外国籍をとりたいと考えているようにムスリムのあいだにも漢族と同化し暮らしを豊かにしたいと考える若い世代が増えている。むろん村の古老たちはこうした現象を苦々しく見ている。
~~~~~~~~~(中略)~~~~~~~~~~~~
「交河古城」は岩の大地を上から発掘して造った、世界でも珍しい彫刻都市である。
南北一キロ、東西が三百五十メートルの大地の真ん中を道路が貫いている。寺院、仏塔、住居跡が掘り起こされていて壮観であるが、どんな理由があってこんな苦労をして大地の中に都市を閉じこめようとしたのか。異民族の進入を防ぐための秘密都市だったのだろうか。
交河古城はそうした思惑の通りには行かず、漢族に滅ぼされ、城は徹底的に破壊され、新たに建てられた高昌城にとってかわられた。その高昌城とて後年には唐の大軍隊が侵略してきて滅ぼされた。数千年の間、仏教とイスラムの苛烈な戦いが繰り返された新彊ウィグル各地の仏教遺跡には、一つとして満足な仏画、仏像がない。偶像崇拝を禁ずるイスラム教徒の手によってことごとく破壊されたからである。
嘗てタリバン支配下のアフガニスタンではヘラートに近いバーミャンの石仏をイスラム原理主義過激派らはミサイルで破壊した。「世界遺産」であれ、なんであれ狂信的教徒は他宗派を認めない。それは共産主義も同様である。
南に天山山脈を挟むクチャ、カシュガルともなるとイスラム教は俄然、強い色彩を帯びる。カシュガルのエティカル・モスクは中国のイスラム教徒のメッカだ。ここに巡礼を果たしたイスラム教徒は仲間の尊崇を集めるという。
現代の宗教の一つである共産主義は他の宗教指導者を逮捕し、拷問にかけ、北京に刃向かうと見れば次々と処刑した。モスクを物置にされたイスラム教徒の怨念はなまなかなものではなかろう。
血の弾圧を受けた新彊ウィグルの民は、チベットと同様にイスラム教への信仰をひたすら内面に押し込めた。その分、人々は心の中に蓄積された漢民族に対するルサンチマンを歪んだ形で膨らませだ。歴史的に蓄積されたこの反漢感情のエネルギーに火がつけば予想外の炎となって燃え広がるのは明らかである。
イスラムの歴史と文化は漢民族に蹂躙され、独自の文明は形骸化した。イスラム教は地下に息を潜めている。したがってもしイランのホメイニ師のごとく強靱な精神的指導者が現れたなら、かつてシャーを打倒したイラン革命のように漢族に対する一斉蜂起が起こるだろう。
(拙著『トンデモ中国 真実は路地裏にあり』(阪急コミュニケーションズ)からウィグル箇所をダイジェストしました。同書は全33省を寄稿した、おそらく日本で唯一の本です。アマゾン ↓)