はてなキーワード: 光年とは
http://anond.hatelabo.jp/20161113003515
文章を見ると子供のころは主観、大人になってからは客観でモノを見るようになったというように見えます。
限りなく客観性を高めて見ると、宇宙は930億光年の大きさで年齢は137億歳で、
世界もしくは地球は、宇宙からすればチリほどの大きさもありません。
時間的にみても、地球はいずれは崩壊するし、人類が移住を繰り返しても、いずれかの年月で消滅します。
最先端の宇宙論では宇宙自体も収縮して崩壊する可能性も半々くらい。遠い未来ではあるけれど。
何が言いたいかというと、限りなく客観性を高めていけば、地球もしくは人の意味なんて、怖くなるほど無に等しいという事です。
一切を疑って、「自分は本当は存在しないのではないか?」とまで疑っても、そう疑っている自分自身の存在は否定できない。
"意味"の話とはちょっと違うけど、共通する部分があると思います。
客観的な視点は重要ですが、意味に関していえば、そこに意味はないと思います。
灯台下暗しです。
はぁ、タクくんに会いたいよォ・・
タクくん・・。
夢叶えるためだからと言って無理しすぎだよ・・
そんな立派なタクくんだから好きなんだけど
そんな立派なタクくんだから離れ離れ・・
はぁ、、、
恋は難しい、、
私もタクくんのいるセルコマスへ行こうかしら
成田銀河空港予約取って放射能線とフレア熱射に怯えながら月で1泊、そのあとワープ耐性テストの適正受かったら30光年に耐えられる薬剤投与、簡易小型カプセルで3週間航宙、2日がかりで500万kmエレベーターGのプロテクタ装着してやっとタクくんに会える・・
無理・・
私には無理だよ・・・・
なんでそんなところに行っちゃったのタクくん・・
あ、泣けてきちゃった・・
会いたい人に会えない技術なんていらない・・
やめようと思ってるけどたまに出てしまう。
こないだは布団に寝てて「帰りたい」と言ってしまい、奥さんに「どこに帰りたいの?」と聞かれ、思わず「宇宙」と答えてしまった。
宇宙ってなんだよ。。。
そのあともシャワーあびてるときとか奥さんが家にいないと思ってるときとか何度か聞かれてしまい、その度に話しを作ってたら、今ではアンドロメダから来て宇宙船が壊れて帰れないことになってしまった。壊れた宇宙船は近所の公園の地下に隠してあって、アンドロメダに故障信号を送って宇宙のJAF的なものが来てくれるまで人間として暮らしてる。250万光年も離れてるので10年はかかるからあと5年待たないといけない。奥さんとは5年前に出会った。
おk、そのような将来のジジババの年金を支えにゃいかんから、子どもたちを支えにゃいかん。そういうご意見はよくわかる。
分からんと言っているのはそこじゃない。疑問に思っているのは、
・性別男である自分も、もし自分も結婚してガキができたら嫁さんに暴力振るうようになるの?
の2点。
あと、いただいたご意見2つを踏まえて追加するならば、
・そういうクソな男の罪と、そういう人だと見抜けずかわいそうな子供を作ってしまった女の罪はどう対処すればいいの?
ということが解決すれば、年金だとか子供に罪はないとかいうご意見に対して、自分みたいなアラフォーが見えてきても結婚できてねー人間が支える形を作るべきだという意見も、1光年ほど譲ってわからんでもない。
その中で、お恥ずかしい話ですが、仕事中に従業員が一人亡くなったという話
原因を突き詰めると、故人の不注意となるのだが、「お恥ずかしい」とはひどくないだろうか
残念にも亡くなった人、あなたの会社はあなたのことを恥だと思っているらしいよ、うかばれないね
貴重な人材を失っておきながら、自ら火の中に飛び入る夏の虫
不祥事を早い段階で公開して、それを教訓として二度と起こらない対策をした方が100万光年マシなのに
こんな感じだからブラックは白くならないし、社畜は減らないわけだ
そんなにトップは頭を下げたくないのだろうか? トップに頭を下げさせないのが組織なのだろうか? 何か逆だろ
なあ、どう思う? その木、何の木、気になる木よ
何年か前に、深夜番組でロンドンブーツの淳と女のタレントと東大の教授の三人が出演していて、宇宙の話をしてたんだわ。
で、東大が、光の速さがなんとかで「137億光年以上先の宇宙は観測できない、宇宙の大きさは137億後年です」みたいな事をいうのな(細かい数字はうろおぼえ)
女のタレントが「観測できないというだけで、その先にも宇宙があるんじゃないですか?」みたいな事を言ったけど、敦は「オレは(東大の言うことが)わかる気がする」って言うのな。
東大は女の疑問に答えずに「これがわかるかどうかで、頭のいい悪いが分かります」みたいな、そうとう失礼なことをさらっと言って、オレも女と同じ疑問を持ったからけっこう引っかかったんだわ。
で、昨日、サイエンスZEROって番組をネットで見たらその番組では「観測できるのは137億年先の宇宙で、その宇宙は現在は470億光年まで広がってます」みたいな話をして、さらにその470億後年先にも宇宙は広がってるって話をしてるのな。
ストレス、悩みを抱えている人たちに、月並みながらアドバイスをしたい。
悩みが頭をもたげ、ストレスで精神を病むようだったら、三鷹にある国立天文台に行こう。
週末に観測会をやっているのでスケジュールを確認して参加して欲しい。
運良く晴れていれば惑星、恒星、星雲、銀河、その時々に応じて様々な天体を観測することが出来るだろう。
天体の美しさや壮大さに感動するかも知れない。あるいはしないかも知れない。
しかし、そんな何億キロ、何光年、何万光年、あるいはそれ以上離れた星々と、あなたの間を妨げているものはなにもない。
天文台で観測できる天体は、確実にあなたの頭上にある。あなたと天体はつながっている。
しかし、つながっているといえど、あなたがどうなったところで、シリウスは暗くなったりしないし、
ブラックホールは自分の重力に押しつぶされることをやめはしないし、もっと近くを見れば、
地球は太陽の周りを公転するし、月は満ち欠けするし、川はせせらぐし、鳥はさえずることをやめない。
アフリカでは赤ん坊が生まれ、日本では老人が死ぬ。電車も飛行機もあなたがどうなったって止まらない。
あなたがどうなったところで、そのことはこの壮大な世界に影響しない。
まったく影響しない。
あなたがどんな悩みを抱えていようと、そんなことは世界にとってはどうでもいいことだ。
だったらあなたも世界を気にせずに生きていけば良いではないか。
何もかも、気にしなくていい。
誰もあなたのことを気にしてないし、あなたも誰のことを気にする必要はない。
何も気にせずに過ごした結果、どうしたいか見えてくればそうするために頑張れば良いし、
それでも何もしたくないと思うなら何もせずに死を待つだけで良い。
とりあえず死にたくない、と思ったら役所に行けば餓死は免れるだろう。
好きなように過ごせばいい。
「そう、それで、男は出てくるのかい?」
君の答えを聞いた途端、僕は二十億光年の彼方に飛ばされる。
………
男が主人公の百合作品、というものを、僕はいくつか知っている。
『僕は友達が少ない』、『マクロスF』、『ロウきゅーぶ!』、『聖剣使いの禁呪詠唱』etc etc...
君がこれらを、百合だと認めないことも知っている。
けれど。
百合、と冠されたレーベル以外の作品を差し出すとき、僕は口ごもらざるを得ない。
「この漫画の1巻は全1023コマ、男が登場するのは74コマ。パーセンテージにして7.1%……」
君だってそんな答えを求めちゃいないだろう。
………
僕は、馬鹿だから、二十億光年の向こうから君に、弱々しく主張する。
「『神無月の巫女』は?」
「百合カップルが男に打ち勝つ唯一の百合作品。あそこまで強固な絆を持った百合はもうどこにもない。『わかばガール』『のんのんびより』『それが声優』……女どうしの恋愛がない作品に百合と呼ばれる資格はないというのに」
「『響け!ユーフォニアム』は?」
「久美子と麗奈の間の引力は、男との恋愛と違って永続するものだとスタッフが明言している!」
………
君はため息をつく。
「たとえば、『ARIA』。アリシアさんの結婚。未だに胸が痛む、手酷い裏切りだ」
僕は分からない。二十億光年の向こうで、僕は、ただ、灯里とアリシアとみんなとのすてきな時間を思い返す。アリシアが結婚したことで、その輝きは消えてしまったのか?
………
「本編が百合とかけ離れている作品の外伝にどう期待すればいい?」
「百合がはじまったとしても、最後まで百合で終わる作品のほうがめずらしい」
「ハーレムもののレズキャラはだいたいがツンデレの亜種であって、男嫌いからの逆転・主人公の特別さを描くだけのもの」
僕に反論する言葉はない。僕は、ただ、ここから一瞬の輝きを見上げる。男を好きになってしまった哀れな女が、百合キャラでなくなる様を。輝きを失うさまを。かつてそこにあった輝きはまだ僕の脳裏に残っているけれど。
けれど僕の喉はもうふさがれている。
君には届かない。
何も。
これな。コンビニとかレストランで働いてる女の子に手紙渡してくる奴、なんなん?
なあ? どんな音楽が好きですか昨日は何を食べましたか友達からはじめましょうみたいな。オイ、友達じゃねえんだよ。
一億光年譲ってテメエみてえ中年のオッサンが若い女子に交際を打診するのは、まあ勘弁してやるにしてもよ。
無職生保みたいな社会の糞虫たる健常な障がい者のおまえ達が何を抜かしてんだっていうね。
あのね。若い女子を所有したいセックスしたいっていう本能は理解できるんだけどもね、糞虫には不可能なの。
相手の生理的な嫌悪感をねじ伏せるほどのうなるような大金を積んで、低脳かつメンヘラ傾向のバカな女に付き合いきれるほどの辛抱強さを持ち合わせた、薄汚い欲望を恥ずかしげもなく周囲に晒しだせる浅ましい神経を持ったオッサン達だけが為せるわざなの。
それでな、おまえらが手紙とかに限らず声かけした女の子達ってのはとっても怖い思いしてんだよ。
気持ち悪いだけじゃないの。恐怖も与えてんだよ。そりゃ誰だって怖くもなるわ。失うものがないオッサンに目をつけられたんだから。何すっかわかんないからね。そもそもが絶対超えられない壁を越えようとしてくる連中なんだし。
だから何が言いたいのかっつうとよ。
女の子に恐怖を与えちまった自覚がある奴は、その子達に分かるようなところで自殺しろってことな。
まあ俺も鬼じゃないからよ。一週間だけ待ってやるよ。
これまでに得た情報
・登場人物:「おしゃれ」でない女子A、「おしゃれ」な女子B、セクハラメガネ
・「変わる」話である。
・「おしゃれ」でない女子と、「おしゃれ」な女子は同一の役者が演じている
http://pokonan.hatenablog.com/entry/2015/03/20/000637
これだけの情報が揃えば、第二話を予測するなどアメリカのドラマの展開を予測するより簡単である。
[駅のプラットフォーム]
アナウンス「ハクスリー駅〜ハクスリー駅〜お降りの際はお忘れ物がございませんよう〜……」
人影のない構内で彼女がぼんやりと乗り継ぎの電車を待っていると、
少し離れたところで彼女に背を見せ、泣きながら衣服やハイヒールを脱いでいる茶髪の女性を見かける。
同僚の女子B……? なぜこんなところに……? でももしかしたら違う人かも……。
振り返った茶髪女性を見て、女子Aはおどろく。髪がざんばらになり、化粧が落ちてうつろになったその女の顔は――
言葉もなく見つめ合ったのち、謎の茶髪女性はぷいとそっぽを向き、列車の迫る線路へと歩み出す。
騒然とする構内。飛び交う駅員の怒号。
彼女はとっさの判断で、謎の茶髪女性が残したハンドバッグを掴み、プラットフォームから走り去る。
ハンドバッグから出てきた免許証によると、やはりあの茶髪女性は同僚の女子Bであったらしい。
いつもはまともに相手しないのだが……。
女子A「セクメさん、女子Bさんのことですが……私と似てるな、って思ったことありません?」
質問の仕方がわるかったか……女子Aはきゅうに恥ずかしくなる。
女子A「すいません、ごめんなさい、なんでもな……」
女子A「え?」
野暮ったいメガネをかっこ良く外すセクハラメガネ。その素顔はイケメンだ。
地下四階行きのボタンを押すセクハラメガネあらためセクハラ慎太郎。
女子A「地下四階……一般社員は出入りが禁じられているはずでは?」
メガネをテイクオフしたセクハラはいつもの軽い調子ではなく、どこか威厳ようなものを発していた。
セクハラ慎太郎「いつか言ったことがあったよな。『君と彼女では需要が違う』と。どういう意味だかわかるか」
女子A「それはあのコが職場の華で、わたしは単なる仕事仲間…‥」
セクハラ慎太郎「違う。『需要』とは、ふつう、商品や消費物に対して使う言葉だ。つまり、そういうことなんだよ」
そういうことと言われても…‥
女子A「あの、なにをおっしゃっているのかさっぱり……」
エレベータが地下四階に到着する。重い鉄の扉が開く。
女子A「こ、これは――」
会社地下四階。多数のポッドのようなものが敷き詰められており、その内部には緑の液体のなかでチューブに繋がれた……
女子A「"わたし"が……こんなに……」
セクハラ慎太郎「そのとおり。『君たち』は、いわゆる、『クローン人間』だ」
女子A「なんで……どうして……」
セクハラ慎太郎「君も知っての通り、我が社はバイオ医療技術の開発に力を注いでいる。『臓器倉庫』という単語はご存知かな? なんらかの病気や事故で損傷したり、老化で弱った内臓を、クローンで作った『若いころの自分』の健康なそれと入れ替える」
女子A「なんかそれ、アメリカのダメなSF映画でいっぱい観た」
セクハラ慎太郎「これは現実だよ、君。某大型百貨店のイメージキャラクター、ルミ姉さんが二十歳から年をとらないのを不思議に思ったことがないかね」
あのゾンビめいた声が脳内に蘇る。今なら10%、オフッフッフッフッ……
セクハラ慎太郎「正解を言ってしまえば、彼女は五十六歳だ。移植は内臓だけでなく、皮膚や頭髪も可能だからな」
女子A「私も、クライアントのための臓器倉庫ってわけなんですね」
セクハラ慎太郎「いいや。さっきも言ったろ。『需要が違う』と。君は『製造』されたときから臓器の内部に疾患を抱えていた」
たしかにそうだ。そのせいで低血圧がひきおこされ、いつも朝に元気が出なかった……。
セクハラ慎太郎「商品としては不適格だったわけだ。欠陥に気づいた研究員たちは君を即刻処分しようとしたよ。……だが、私はアウトレット品が好きでね。このメガネもtwitterで宣伝されていたレイバンの激安品だ」
セクハラメガネ「私は独自のプロジェクトチームを立ち上げ、君を実験材料にすることにした。教育を施し、記憶を捏造し、うちに社員として迎え入れ、セクハラをはじめとした様々な負荷をかける……」
女子A「その記録を撮る……いつも私にまとわりついていたこのカメラはそのためだったんですね」
セクハラメガネ「察しがいいな。だが、ストレステストは会社をだますための方便にすぎない。私の目的はもっと別のところ、高い次元にある」
セクハラメガネ「革命だよ、君。変わりたいなら、変わらなければ」
飢えにあえぐ子どもたち。泣きながら子供を死体を抱く母親。すべてを警戒するめつきの男たち。何もかもが絶望に塗りつぶされている。
女子A完全体「セクハラさん……これがあなたの望んだ世界ですか……?」
女子A完全体「まさか……わたしの願いがあんなことを引き起こすなんて……」
セクハラメカメガネ「後悔しているのかい? でも、これで宇宙の寿命は延長された。人間という種はよりよく改良された。きみは正しいことをなしたんだよ」
女子A完全体「でも、そのせいでルミ姉さんは……」
セクハラメカメガネ「彼女のことは忘れろ。必要な犠牲だった。革命には常に英雄を必要とするものさ。人間は物語を欲するんだよ」
女子A完全体「でも私達は……人間以上の存在になってしまった」
セクハラメカメガネ「君は自分が望むところへ、望む時代へ、いつでも行くことができる。君はその能力がある」
女子A完全体「そうね……わたし、昔から行きたい場所があったんです。新宿にある大きな百貨店で……名前はLUMINE」
セクハラメカメガネ「ほう。1976年3月10日に開業し。地下2階・地上8階の建物。8階にはたかの友梨ビューティクリニックをはじめとする美容関連が中心のフロア。7階から6階はカフェ・レストラン、5階は雑貨と書店、4階から地下1階まではアパレル店が大半を占め、地下2階はスイーツ・レストランのフロアになっていて、連結するルミネ2の七階にはお笑いの聖堂ルミネよしもとがある、カップルから家族づれまで、休日を過ごすにはうってつけの文化の発信地、あのルミネ新宿か」
女子A完全体「いっしょに来てくれますか、セクハラメガネさん」
セクハラメカメガネ「もうセクハラメカメガネだけどね。いいだろう、行こう。行って、一緒にこの終末を楽しもう。ルミネは、とてもすばらしい場所だから――」
Twitter を見てると、太陽系の天体が螺旋運動するこのデマ動画が、いまだにRTされたりして拡散しているのでうんざりしてきた。
「太陽系 公転」「太陽系 運動」「太陽系 移動」「太陽系 回転」などで検索すると、この動画を真に受けて紹介しているブログなどが検索上位にヒットしてきて、さらに誤解を広める一因となっている。
あまつさえニコニコ動画にも転載され、字幕までつけられている。
結論から言うと、これはトンデモ信者が思い込みだけで作った信憑性ゼロの動画である。映像の出来だけはよいからか、昨年の3月頃からかなり広まっており、天文学者フィリップ・プレイト氏がブログでその間違いを指摘した記事を出している。プレイト氏は『イケナイ宇宙学 間違いだらけの天文常識』の著者で、世にはびこる間違った天文・宇宙ネタを斬って解説するブログ Bad Astronomy で知られている人。
この記事の和訳版が以下にあり、大変ありがたいのだが(動画が話題になってすぐのタイミングで和訳まで出たのは本当に感謝している)、残念なことに誤訳が目立つという指摘があり、いまもって修正されていない。
翻訳が不自然な箇所を以下にテキストで逐一指摘してくれている方がいたが、行きつ戻りつ確認しながら読むのが大変なので、勝手ながら指摘箇所を中心に翻訳を修正して以下にまとめ直した。いまだに信じて動画を広めてしまっている人に「それ間違いですよ」と指摘しようにも、記事の誤訳が多かったりするとちょっとなぁ、となるので。
なお、もし元の翻訳記事が適切に修正されれば本記事は消すつもりだが、和訳した方は当時Twitter で指摘されてこの校正テキストを読んだはずなのに、もう1年半ほど放置されているのであまり期待していない。
間違いを打ち消すために、まともな太陽系の公転運動を描いた動画があれば知りたいものである。
なめらかな動きでコンピューターアニメーションが太陽の周りを周る惑星の動きを、天の川銀河を周る太陽軌道のように解説する動画について、ツイートやメールがたくさん来ている。とてもきれいな動画に、説得力のある音楽、ていねいな作りの画像。
しかし、問題がひとつある。間違っているのだ。間違いは表面的なものではなく、間違った前提からきた根本的なものだ。中にはいくつかの有益な視覚情報があるが、私は(銀河サイズの)話題のタネだと思っておくよう警告する。
なぜか? 彼の主張の基礎は、「惑星は太陽中心の軌道を描いているのではなく、銀河の周りを渦巻き状に移動している」というものだ。
私は普段、こうした話題の間違いを暴くような面倒なことはしない。奇抜な主張はいつでもあるし、たいていは自滅していくからだ。しかし、この件についてはたくさんの人が私に知らせてきたし、明らかにかなり人気を博している――たぶん表面上は正しく見えるし、画像も大変きれいだからだろう。また、科学を知りつつもそこから離れて久しい人たちによって広まっているのではないかと見ている。このような話題を扱うときには、いつも少し深く掘り下げる手間がかかる。
そこで、シャベルを取り出してみよう。
動画の作者DJ Sadhuは明らかにコンピュータグラフィックスの才能がある。しかし科学は……まあ。私にはすぐさまこの動画が何を目指しているのかわかった。彼は率直に、太陽系の太陽中心モデルは間違っている、と述べている。しかしながら、この Sadhuの主張ははなはだしく間違っている。重力は存在しないと言っているようなものだ。
地動説とは、太陽が太陽系の中心にあるという考え方で、惑星はその周りを周っている(他にもいくつか大事なことがあり、たとえば惑星の軌道は楕円であるとか、軌道は同一平面上にあるのではなくて互いに傾いているとか)。この考え方は、地球が太陽系の中心だという古い天動説にとってかわった。天動説は、それをちゃんとした物理のモデルだと考えると、あらゆる種類の奇妙な仮定をしてやらないとちゃんと機能しない、とてつもなく複雑で考えすぎの物理モデルになってしまう(タイレノールなどの頭痛薬があるなら、epicyclesの項を見てみよう)。地動説はそれよりもずっと物理的に正しいし、ずっとうまく機能している。
私は、どちらのモデルにもそれぞれの使い道があると言いたいのだ。もし特定の惑星が天のどこにあるのか知りたいなら、天動説の座標を使うことになる。われわれは地球に住んでいて、地球は動かずに天の車輪が頭上を回転して動いているように見える、それは理にかなっている。しかし、もし惑星へ宇宙探査機を送りたいなら、太陽中心のシステムが必要なのだ。地球も惑星も両方とも動いていると考える方が、はるかに計算は簡単になる。
Sadhuは、地動説が間違っていて、実は惑星は渦を描きながら太陽を周る動きをしているのだと主張している。彼が実際に言わんとしているものは、渦ではなくらせんである。この2つは名前が違うだけでなく、物理的な動きもその特徴も全く異なる。らせん軌道を描く粒子は、太陽系のようにお互いには干渉していなくてもよいが、渦を描く粒子は抗力と摩擦を通じて互いに干渉している。
しかし、意味論的な論争はよそう。もう一度動画を見てみよう。Sadhuは太陽が惑星を先導しているかのように、太陽が惑星よりも前方に出て銀河を回っているかのように描いている(2番目のビデオだともっとそれは明白だ)。これは単に誤解を招くだけでなく、完全に間違っている。惑星は、われわれが銀河系の中を巡るとき、ときどき確かに太陽の前に出たり、ときどきその後ろをついてゆく(太陽を周回する軌道上のどこにいるかによる)。実際に夜空の惑星を見たことのある人にとっては明白な真実である。なぜなら夜空の一部は、地球や太陽が銀河系を周るときの進行方向にあたるわけだが、惑星はその部分にだって観測されるのだ。
ここでも、細かいことをあれこれ議論するのはやめよう。後述するように(「こうした考え方はどこからもたらされたのか?」の項)、惑星が銀河系内を動くときに太陽の後ろをついていくという考え方は、Sadhuがらせんについて述べるときの思考基盤となっている。しかしまずは、もうちょっと見てみよう。
太陽が銀河の中を移動していく様子を示している、彼が二番目に公表した動画では、もっとひどい状況だ。
公平のために言うと、今回彼は惑星の動きについて「らせん状」だと正しく記述している。しかし、まだ惑星が太陽の後ろをついていくように描いていて、これは間違っている。また特に動画の冒頭では、太陽中心モデルと、らせん運動についての彼の説明を具体的に比較しており、誤った「太陽主導」の考え方を補強している。
彼の動画における太陽中心モデルの動きを注意深く見てみよう。銀河を周る太陽が動く方向は、惑星の軌道平面と同じに描かれている。しかし、こうではないのだ。太陽系の平面は、車の前方への動きに対してフロントガラスが作る角度のように、銀河系に対して約60度で傾いている。
これは本当に重要な点だ。らせんモデルでは、銀河を周る太陽の動きにあわせて、太陽を垂直に周回するような惑星が描かれている。お好みなら「正面向き」といってもいい。これが間違っている。なぜなら、惑星の軌道は60度で傾いていて、90度ではない。惑星はときに太陽の前に、ときに後ろになる。これだけで、らせん描写が正しくないことがわかる。地動説という現実のモデルにおいても、順行-逆行運動というものは存在し、現実の空できちんと観測できる〔訳注:詳しくはこちら参照〕。
しかしそれだけではない。動画では、太陽が銀河を周ることを見せていて、らせんに沿って上昇、下降している。最初の動画のように、一部正しいところもあるが、大方は事実からかけ離れている。
われわれの銀河は、中心部が膨らんでいる平たい円盤で、端から端まで約10万光年の距離がある。この円盤は無数の星を内包し、その重力が合わさって、銀河中心を周る軌道に太陽を留めている。ちょうど、太陽の重力が惑星を軌道に留めているのと同じだ。
太陽が銀河系を一周する軌道の長さは、およそ2.4億光年ではない。銀河を周回するときには、だいたい動画にあるように、太陽は実際ぴょこぴょこアップダウンを繰り返している(とはいえ大体1周につき4回ぐらいなのに、Sadhuは動画内で数十回もアップダウンするように描いている)。〔訳注:太陽系が銀河系内を周回する軌道の図参照(垂直方向は強調されている)〕
このような運動が起きるのは、銀河円盤での重力の働き方のせいだ。ここが非常にクールなところだ。円盤よりほんのわずか上にあるものは、円盤に向かって全体的に下へと引っ張られる。円盤が巨大な物質の板であると想像してみて、太陽がその円盤よりも上にあるとする。円盤の重力は太陽を下へと引っ張る。星と星の間は遠く離れているので、太陽は円盤の間を通り抜けて下へ降りていく。そうすると今度は、下に来てしまった太陽を円盤がまた引っ張り上げる。このとき、太陽の動きはだんだん遅くなり、そして止まり、向きを逆にしてまた円盤へと急激に突入する。太陽は、銀河円盤の中心から上下にそれぞれ200光年ぐらいの浮き沈みをするが、円盤は1000光年の厚みをもっているので、結局私たちは銀河円盤の中にしっかり留まっている。しかしこうした摂動は永遠に続き、太陽は大海のコルクのように浮き沈みを続ける。
太陽は銀河を周回しているので、合わさった動きはすてきな波のパターンになり、浮きつ沈みつ回転木馬のようにまわり続ける。ゆえに、Sadhuはこの部分に関しては(多かれ少なかれ)正しい。
だいたいはね。しかしここに3つ目の要素が加えられている。ひねったらせんを描く太陽の道筋を、彼は歳差運動の性質だとしている。この部分は間違っている。非常に間違っている。
歳差運動は物体が回転するときにてっぺんをぐらぐらさせる動きで、回転の中心軸からずれた向きの力をてっぺんに加えたときに起きるものだ。コマのてっぺんを突くとぐらつく、それが歳差運動だ。地球自身も太陽と月の重力に引っ張られて歳差運動をしており、その軸の1回の揺れ周期は2万6000年だ。
明らかにSadhuは、動画の中でこれを表現している。しかし、ぐらつきは太陽にまったくなんの影響も与えていない。それはただ、地球が何かしているだけだ。しかし、Sadhuは銀河を周る太陽の動きに付け加えていて、それは意味をなさない。動画では銀河を周るコークスクリュー(コルク栓抜きのような螺旋運動)を描いているが、ときには銀河の中心に寄り、ときには遠くへ離れる動きを何度も何度も繰り返している。回転木馬のたとえでいえば、馬が真ん中で回って、上下に、また左右に動いているようなものだ。しかし、それは太陽の本当の動きではない。左右の運動なんてない(軌道ごと何度も銀河の中心に向かったり離れたりするなんて)。Sadhuの示すコークスクリューパターンは、間違っているのだ。
動画と解説文において、Sadhuはかなり頻繁に、座標系と力と運動を混乱させている。
彼はなぜこんな正しくない運動を描くのだろうか。それを掴むため、彼が元にした文献をあたってみた。
動画と彼のサイトによると、SadhuはPallathadka Keshava Bhatという人から学んだそうだ。Bhatによる「らせんの渦巻き:太陽系の動的プロセス」(“Helical Helix: Solar System a Dynamic Process”〔リンク切れのためこちら参照〕)と題された文章にこの考え方はすべて説明してあり、細かすぎる点は指摘しないが、ちんぷんかんぷんなものだった。まじめな話、どれもまったく意味をなさない。Bhatは地動説は間違っていると主張しているのだが、その主張を補強するために、虚偽のアイディアを次から次へと用いているのだ。彼の主張の間違いを暴くためにページを割くこともできるが、ここは短くまとめてみよう。
私はBhatの主張を何度も読んで、可能な限り好意的に考えようとした。私がかき集めたところでは、彼が言っているのは、太陽の動きによって、太陽を先頭にして惑星が後をついていくという形で、惑星は銀河系内でコルク栓抜き状のらせん運動をする、よって地動説は間違っているというものだ。Sadhuの動画の解説文によると、こうした動きをうまく描いているという。しかし、どれも完全に間違っている。もしそれが正しいのなら、外惑星(太陽から地球よりも遠くにある、火星や木星など)は太陽の反対側に遠く離れて見えないだろう。しかしいつだって、私たちには見えている。
それに、私たちは何度もほかの惑星へ宇宙探査機を送っていて、どれもいまだその軌道上にある。もしBhatがいうように地動説が間違っているのなら、探査機はいつになっても目的の惑星に到達できない。探査機を送るための軌道計算が間違っていることになるからだ。探査機の道筋を計算するときに銀河を周る太陽の動きを考慮する必要なんて全くないから、Bhat氏のいうことは正しくない。
太陽が太陽系の先頭で、惑星はその後ろをついていくという主張も、明らかに間違っている。太陽は、Bhatが主張し(Sadhuが動画で示して)いるように、銀河系を突き進む弾頭のように太陽系を主導したりしていない。惑星は太陽の周囲を周り、全体が一つのユニットとして銀河系を60度の傾きで移動している。これは、銀河の軌道に沿って惑星はときに太陽の前になり、ときに後ろに続くということだ。
これはそう、道を歩くあなたの頭の周りを、端にボールの付いた紐がぐるぐる周っているようなものだ(この円は60度傾いている)。ボールはときに頭の前になり、ときに後ろになる。道を歩くときには常にあなたと一緒だが、歩く速さには関係なく、相対的にはあなたと同じ速さでいつも移動している。あなたが自分の動きを線で表すとすると、ボールは傾いたらせんを描くだろう。これこそBhatとSadhuが説明しようとしたことなのだが、しかし間違った説明になってしまった。
Bhatは、その文章の中でいくつもの間違いと論理的誤ちを犯している。たとえば、Sadhuの地球歳差運動の誤用についてBhatが何と言っているか読み取ろうとした。しかし、とても不明瞭で(それに単純なミスもあり、彼は歳差運動の周期を22万5000年としているが、実際には2万6000年)ゴルディアスの結び目を解いているみたいだった。まだほかにも。彼は、もし地動説が正しいなら、日食は1カ月に1回起きなければならないと考えている(46ページと134ページを参照。ちなみに日蝕が一ヶ月に1回起きないのは、月の軌道が傾いているため)。また、彼は「太陽中心軌道は不可能であると意味しなければならない」と結論付けた部分で、地球が太陽の周りを周る回転について根本的な勘違いをしているようだ(文書の30ページを参照のこと)。実質、私が読んだ文章の1ページごとに基本的・根本的な間違いがあった。
そしてこれが、Sadhuの(間違っているにしてもステキな)動画が基礎としているものなのだ、いいかい? いっておくが、もしSadhuのサイトをのぞいてみたら、あらゆる種類の……んー、おかしな陰謀論……9.11陰謀説から、ケムトレイルから、デイヴィッド・アイク(本気で爬虫類型異星人がデンバー空港の地下に住んでいて世界を支配していると主張している)が怒り狂いそうなのから、名前しかない程度のものまで見つかるだろう。私は、彼のほかの考え方を念頭に置くことにした。
DJ Sadhuの動画は、とてもステキで、そのうちいくつかは真実を元にしたものだ。しかし、私の意見ではBhatのゆがんだ宇宙に対する見方のせいで、その核心が失われてしまっている。
彼の動画は正しいように見える。クールであるように見える。ものごとはこうでなくっちゃ、というセンスに訴えかけるものがある。しかし、物事がどうあるべきかと、実際にどうなのかということはいつも重なり合うわけではない。宇宙は本当にクールな場所で、とてもよく出来た一連の法則に基づいて動いている。私たちはこうした法則を「物理」と呼んでいて、それは数学で記述されている。そしてそういうこと全部を理解しようとする試みが、科学である。
クールなものがすべて科学ではない。しかし科学の全てはクールだ。これは普遍的な法則ではないかもしれない。けれども、私の見てきた限り、これは真実なのだ。
3年も前のツイートが今頃RTされておれのタイムラインに表示された。内容はこうだ。
おいスーパーの短冊で「彦星爆発しろ!」って書いた奴。マジレスすると17光年程度しか離れてない彦星ことアルタイルが何を間違ったか「よーしいっちょ超新星爆発してみっか」と要らんやる気出したら半径5光年は即死、50光年先まで壊滅だ。宇宙なめんなよ、お前の願いで近所のスーパーがノヴァい。
おもしろい。でもちょっと待てよ5光年は即死っておかしいだろ。超新星爆発は光速を超えるとでもいうのか。いや、ニュートリノは超えるかもしれないが、即死は言いすぎだ。
これをリツイートしてる連中はそういうの気にならないのかな。
http://anond.hatelabo.jp/20140421200127
なんとなくwebをぶらぶらしてたら、以下の記事を見つけた。
小学校だったか、高校だったか、いつからか「何のために生きてるのか」って事をずっと考えてた。
いつ答えがはっきりしたかは忘れたけど、今の自分には自分なりの答えがなんとなくあるので、増田。
以下あくまで個人的な考えです。
「何のために生きてるのか」に対して、いろんな角度から見る事ができると思う。
きっかけになった記事もタイトルが「人は何のために生きているのか。」なので、主観・客観なら、客観的視点よりかと思われる。
大学時代、物理を専攻していたのだけれど、その研究対象の中に宇宙がある。
宇宙の大きさは半径約450億光年の球状。(ちなみに地球と太陽の間は9兆4600億kmで、0.00001581光年)
宇宙の年齢は約137億歳。(ちなみに地球が約46億歳、50億 - 70億年後には太陽が地球の公転軌道に近い大きさにまで膨張するらしい。人類誕生は800万~500万年前くらいらしい)
宇宙スケールで「人の生きる意味」を考えた時、ほぼ無に等しいと思う。
今生きている意味を考えるとすると、宇宙スケールと比すればほぼ無に等しい。
死後残るもの(子孫とか遺産とか歴史とか)から意味を見出すとしても、
宇宙から比べれば、人類そのもの生存も怪しいし、地球もいずれ消えるとすると、歴史も消える。
仮に未来の人類が宇宙に出るとしても、銀河だっていずれ消滅するし、
宇宙も今の所、最終的には消えるか残るか微妙な所だったと思う。
主観を排して、客観から見る時、どこから出発したってどこかで宇宙スケールからの視点にぶつかる。
じゃあ「人が生きる意味」はないのかと言うと、そうは思わない。
ここまでの話は、あくまで客観から見た時で、主観を完全に排して考えた時。
人間が感情を持たないロボットならガンジー、マザー・テレサも無に等しい。
人に幸福・平和を望む「思い」があって、その人たちにとって、ガンジー、マザー・テレサが遺したものには意味がある。
同じように、そんな人の思いを叶えたいというガンジー、マザー・テレサの「思い」があって、ガンジー、マザー・テレサの人生には意味があった。
「生きる意味」というのは「~したい」、「~したくない」、「~であってほしい」という「思い」にあるというのが私の結論です。
「~になりたい」「~したい」でも、もっとアバウトに「死にたくない」「生きていたい」「家族を悲しませたくない」でも、その思いそのものが「生きる意味」だと私は思います。
ふだん、自分の「思い」だとか「生きる意味」だとか考えて生きている人は少ないと思います。
逆に「なぜ生きているのか」を考えたとき、それは無意識か普段考えていないどこかに「思い」があるからだと思います。
ネガティブなように見えて、存外「生きている」ことそのものが「生きる意味」で自分の「思い」を叶えているのだと思います。
「生きている」なら普段考えていないだけで「思い」=「生きる意味」があるんじゃないかと思います。
「思い」をブラックボックスにして考えるなら、「生きている」なら「生きる意味」がすでにある、といえるんじゃないかと思います。
長文になりました。
あくまで、個人的な考えです。