なんとなくwebをぶらぶらしてたら、以下の記事を見つけた。
小学校だったか、高校だったか、いつからか「何のために生きてるのか」って事をずっと考えてた。
いつ答えがはっきりしたかは忘れたけど、今の自分には自分なりの答えがなんとなくあるので、増田。
以下あくまで個人的な考えです。
「何のために生きてるのか」に対して、いろんな角度から見る事ができると思う。
きっかけになった記事もタイトルが「人は何のために生きているのか。」なので、主観・客観なら、客観的視点よりかと思われる。
大学時代、物理を専攻していたのだけれど、その研究対象の中に宇宙がある。
宇宙の大きさは半径約450億光年の球状。(ちなみに地球と太陽の間は9兆4600億kmで、0.00001581光年)
宇宙の年齢は約137億歳。(ちなみに地球が約46億歳、50億 - 70億年後には太陽が地球の公転軌道に近い大きさにまで膨張するらしい。人類誕生は800万~500万年前くらいらしい)
宇宙スケールで「人の生きる意味」を考えた時、ほぼ無に等しいと思う。
今生きている意味を考えるとすると、宇宙スケールと比すればほぼ無に等しい。
死後残るもの(子孫とか遺産とか歴史とか)から意味を見出すとしても、
宇宙から比べれば、人類そのもの生存も怪しいし、地球もいずれ消えるとすると、歴史も消える。
仮に未来の人類が宇宙に出るとしても、銀河だっていずれ消滅するし、
宇宙も今の所、最終的には消えるか残るか微妙な所だったと思う。
主観を排して、客観から見る時、どこから出発したってどこかで宇宙スケールからの視点にぶつかる。
じゃあ「人が生きる意味」はないのかと言うと、そうは思わない。
ここまでの話は、あくまで客観から見た時で、主観を完全に排して考えた時。
人間が感情を持たないロボットならガンジー、マザー・テレサも無に等しい。
人に幸福・平和を望む「思い」があって、その人たちにとって、ガンジー、マザー・テレサが遺したものには意味がある。
同じように、そんな人の思いを叶えたいというガンジー、マザー・テレサの「思い」があって、ガンジー、マザー・テレサの人生には意味があった。
「生きる意味」というのは「~したい」、「~したくない」、「~であってほしい」という「思い」にあるというのが私の結論です。
「~になりたい」「~したい」でも、もっとアバウトに「死にたくない」「生きていたい」「家族を悲しませたくない」でも、その思いそのものが「生きる意味」だと私は思います。
ふだん、自分の「思い」だとか「生きる意味」だとか考えて生きている人は少ないと思います。
逆に「なぜ生きているのか」を考えたとき、それは無意識か普段考えていないどこかに「思い」があるからだと思います。
ネガティブなように見えて、存外「生きている」ことそのものが「生きる意味」で自分の「思い」を叶えているのだと思います。
「生きている」なら普段考えていないだけで「思い」=「生きる意味」があるんじゃないかと思います。
「思い」をブラックボックスにして考えるなら、「生きている」なら「生きる意味」がすでにある、といえるんじゃないかと思います。
長文になりました。
あくまで、個人的な考えです。
♪何のために生まれて〜 何のために死んでゆく〜? 解らないのは『自分』〜 そ〜んなのが お〜れだ〜