はてなキーワード: 人物とは
最初に断っておくと、秩序を守って生きているLGBTの人たちを否定するつもりはない。
同性を好きになるのは元から自由にすればとしか思ってないし、社会の秩序を守るなら何を自称して何を着ても自由だ。
ただLGBT活動家の唱える概念に納得いかないものが多く、それをゴリ押しされることに嫌気がさしているだけだ。
LGBT活動家によれば、性別の自称は「性自認」として尊重すべきものらしいが、手術を受けて戸籍の性別を変更していないのならただの自称だろう。
自称を他人に押し付けるな。大体年齢や能力の自称が認められず、性別の自称が尊重すべきものと扱われるのがわからない。
さらに活動家の言うには「SOGIハラ」というものがあり、その中には「望まない性別での生活の強要」も含まれるらしい。
自分の望むように扱え、そうでないとハラスメントだ!ということらしい。無敵か?
変態が「自分は女扱いされたいから女子トイレを使う!止めたら差別と訴えるぞ!」と言い出す未来しか見えない。
こんなのが通るなら今から5歳を自称して子ども料金でバスに乗ってもいいだろう。止められたら「望まない年齢での生活を強要するハラスメントだ」と訴えたらよい。
こんなアホらしいことが通るわけがないと常識的に考えたらわかるだろう。なぜ性別だけはそれが通ると思うのか。
優秀な人扱いされたくともポンコツならポンコツ扱いされて、イケメン美人扱いされたくとも顔がブサイクならブサイク扱いされるのが社会だろう。
皆そうやって現実との折り合いをつけながら生きている。性別だけ自称が通ると思うなよ。
性表現というのは「見た目や言動などで表す性」らしい。服装や言動などをいちいち男の表現、女の表現と分類する考え方のようだが、余計なお世話もいいところだ。
スポーティな服を着たら男の表現と言われ化粧水を使ったら女の表現と言われるのだろうか。趣味くらい好きにさせろ一々男だ女だ分類すんなとしか思えない。
別に他人に対して男らしいとか女らしいとか思うのは自由だ。その価値観を押し付けられることにうんざりしているだけだ。
LGBT活動家は異論を唱える者は差別主義者と扱い、激しくバッシングするらしい。「性自認」に疑問を述べただけで大バッシングを受けた人もいるようだ。
我々の言い分をすべて受け入れろ、受け入れない人間は差別主義者だと言い張る集団に好感を持てと言われても無理がある。
LGBT思想のゴリ押しはマスコミの責任が大きいと思っている。LGBT法案に関しても、活動家の言い分は大々的に取り上げて反対意見はスルーするマスコミが多い。これこそ偏向報道だろう。
最近トランプに惹かれる米国人の気持ちが想像つく気がした。こんな調子で納得いかない思想をこれが正義とばかりに押しつけられたらうんざりもするだろう。
「我々はジェンダー・イデオロギーのカルトを打ち負かし、神が男性と女性という2つの性別を創造したことを再確認するつもりだ。男性が女性のスポーツでプレーすることを許さない。そうすることで、女性の尊厳が守られ、女性のスポーツそのものが救われるのだ。」
日本でもトランプ現象のようなことが起こるのを期待してしまう。マスコミが必死で叩いた人物があれよあれよという間に支持が伸びていくのを見てみたい。さぞ爽快なことだろう。
その方(図書禁止法を支持した保守的な親の権利団体の人物)は、聖書を「最もセックスにまみれた書物のひとつ」とし、近親相姦、獣姦、売春、性器切除、強姦に言及している文章を指摘しました。彼らは例のリストを含んでいました。
"聖書は...我々の新しい定義ではポルノであるため、"未成年者にとって深刻な価値を持たない "ことが間違いなくわかるだろう。このPORNを学校から追い出せ!"
こっちの記事だと若干詳しく載ってるけど真偽は知らない
https://newrepublic.com/post/173221/utah-school-district-bans-bible-vulgarity-violence
大竹まことに抗議だ。
「性犯罪の原因は男尊女卑」というフェミニズム・イデオロギーについて
https://note.com/wakari_te/n/n5da4ae31a1c7
根本が違う。
6/6(火) 16:16
https://www.joqr.co.jp/qr/article/91863/
6月6日の「大竹まことゴールデンラジオ(文化放送)」では、性犯罪の加害者が二度と同じ過ちを犯さないよう治療を続けている精神保健福祉士で社会福祉士の斉藤章佳さんに性犯罪の加害者になる人の特徴を伺った。
大竹「たくさんの性加害者と接してきた斉藤さんが見出した性加害者になる人の特徴は?」
斉藤「しっかりとデータを取った犯罪累計でいくと、やはり痴漢と盗撮が日本は非常に多い」
斉藤「多いと思います。特に痴漢に関しては満員電車があるのが日本の特異なところですので…」
斉藤「その中でデータを取っていくと、大多数を占めてるのが四大卒で家族がいるサラリーマンという人物像が浮かび上がってくる。そう考えると私も同じ属性なんですよね。そうすると私と彼ら、いったい何が違うんだろうかと考えました」
小島慶子「自分と痴漢になった人との間にどんな違いがあったんだろうっていうふうに身近に考えやすかったんだってわけですね」
斉藤「答えとしては『特に違いはない』という答えに辿り着きました」
小島「何か異常なモンスターのような性欲の塊のような人がやるのではなく、本当にどこにでもいそうな会社員の人がふとしたきっかけで止められなくなるということがわかってるそうです」
斉藤「もうちょっと具体的な人物像を言うと家庭では家事の分担をしっかりやる。育児に積極的に関わる。かつ職場では、長時間労働も厭わない。そういうイメージの人が非常に多かったなと思います」
ぼうず
@ajvoit
http://24zzz-lgbt.com/blog/2023onegai/
@takitaro2
返信先: @takitaro2さん, @MORI_Natsukoさん, @tobiuokiraraさん
埼玉県の多様性の委員でもある遠藤まめた氏のところ、ツイッターだけ中止すると。
当然彼らは平気で嘘をつく。
1. 当団体が参加者をグルーミングしているという主張について
・グルーミングとは子どもへの性的虐待を行おうとする者が、被害者となりうる人物に近づき親しくなって信頼を得る行為をさす行為を指します。
・にじーずは子ども若者支援団体であり、子どもの権利をベースに活動しています。その中には子どもを危害から守ることも当然含まれます。当然ながら性的虐待を含むあらゆる虐待行為はにじーずでは許容されません。
・LGBTの子ども・若者支援は、特別なことをしているわけではなく、通常のユースワーク(個々の若者の固有性を価値あるものとしてとらえ、主体性や持っている力を尊重し、所属するコミュニティや社会全体の正規の一員として若者が位置づけられるようにする支援)の一貫として行われているものだということをご理解いただけると幸いです
通常のユースワーク(個々の若者の固有性を価値あるものとしてとらえ、主体性や持っている力を尊重し、所属するコミュニティや社会全体の正規の一員として若者が位置づけられるようにする支援)の一貫
一環ですね。誤字。
通常のユースワーク=洗脳です
主体性や持っている力を尊重し、所属するコミュニティや社会全体の正規の一員
活動家ですね。
2. 参加者を身体的な性別移行を推奨している/洗脳しているという主張について
・参加者が毎回全員で確認している「みんなのルール」では「正しさはひとつじゃない/カミングアウトのこと、恋人のこと、性別のあり方のこと、性別を変えるための手術やホルモン治療のことなど「こうするべき!」と押し付けたり、お説教したりするのではなく、お互いのペースや方法を尊重しましょう」と定めています。
・特定の生き方を押し付ける行為はルールに抵触しており、スタッフがホルモン治療などの性別移行のための医療をすすめることはありません。
押付けたり、お説教したりするのではなく、お互いのペースや方法を尊重しましょう」と定めています。
ハイ洗脳です。自分が臨んだと洗脳するので。ホルモン治療ではなく乳房切除ですか。
・LGBTの若年層は、学校でも家庭でも本当の自分を表現できないからこそ孤立・孤独を深めています。
・居場所に参加し、同じような仲間と知り合えることで自己受容できるようになり、学校や家庭などで相談ができるようになる側面があります。個々の状況によるためカミングアウトを一概に推奨するものではありませんが、当団体では、利用者が援助を求められる相手(保護者を含む)をにじーず以外で増やすことを肯定的に捉え、歓迎します。
・保護者が送迎する事例は年々増えており、子どもの表情が明るくなったなど好意的に受け止められています。むしろ保護者から感謝される場合が多く、継続寄付として活動を支えてくださっている状態です。
・大人の見学を認めていないのは、学習目的ないし自分の居場所を求めている大人によって若者の居場所が阻害されたり、加害目的の大人が近づくことを阻止するために講じている措置です。
大人の見学を認めていない…敵対的かつ閉鎖的。アウトですね。嘘をつく気すらない。
さっき生き方を押し付けないとか言っててこれ。めちゃくちゃ矛盾している。
それに「教えていない」じゃなくて推奨する立場にない。っておかしいのです。
※なおTwitter上でのLGBT差別が激化していることから、若年当事者に与える影響を考慮して、当団体のアカウントは本日をもって休止します。活動自体は継続していきます。
で、本当にやっていないなら訴えているでしょう。公金チューチュースキームしてるから。できないのはやっているわけです。
そもそもアメリカでも戦争になっているから。やっていないはずが絶対にない。
@MORI_Natsuko
トランス活動家・遠藤まめた氏のLGBT団体「にじーず」では、子供ばかりを集めてなにかしらの集会を開いている。子供たちには親に嘘をついてでも参加するようアドバイス。でも、これを批判すると「LGBT差別」なんですよね。LGBT当事者の私はかまわず批判しますが。😊 https://t.co/DGZA6Kzm3K
@MORI_Natsuko
このハッシュタグは、トランス活動家・遠藤まめた氏のLGBT団体「にじーず」が、親に嘘をついて自分たちの集会に参加するよう子供たちに勧めるもの。→ #どこへ行くのと聞かれたら
このタグで効果的な嘘を子供たちに募集、それを共有し、使えるようにしている。なんで学校や自治体は問題視しないの?
@MORI_Natsuko
30代半ばの大人が大勢の子供を集めて、しかも交通費として500円を与え、親に嘘をつくよう指導していたら、世間の人は「それ、危険じゃないの?」と疑問の声をあげるはず。だけど、遠藤まめた氏はLGBT活動家なので、世間は「差別だ!」との糾弾を恐れてか、なにも言わない。怖いことだと思いませんか? twitter.com/MORI_Natsuko/s…
@MORI_Natsuko
30代半ばの大人が大勢の子供を集めて、しかも交通費として500円を与え、親に嘘をつくよう指導していたら、世間の人は「それ、危険じゃないの?」と疑問の声をあげるはず。だけど、遠藤まめた氏はLGBT活動家なので、世間は「差別だ!」との糾弾を恐れてか、なにも言わない。怖いことだと思いませんか?
@MORI_Natsuko
トランス活動家・遠藤まめた氏のLGBT団体「にじーず」では、子供ばかりを集めてなにかしらの集会を開いている。子供たちには親に嘘をついてでも参加するようアドバイス。でも、これを批判すると「LGBT差別」なんですよね。LGBT当事者の私はかまわず批判しますが。😊 t.co/DGZA6Kzm3K
「子供や家族連れで賑わう公園が突然の閉鎖。そのきっかけは、子供の声がうるさいという近隣住民からのクレームだった」
そんなニュースを聞いてあなたはどう思う?
――そいつは何て心の狭いやつなんだ!せっかくの遊び場を、どうせ使いもしない奴が文句言いやがって!
――死にゆく老人がこれからを担う子供の遊び場を奪うな!
そう感じるだろう?俺も同感だ
子供はしっかり外で走り回り、きゃっきゃと声を上げ、草や土を掴み、全力で遊ぶのが何よりだ。本当に心からそう思う。
だが、そんな俺も公園を管理する市に対してクレームを入れたことのある1人なんだ。勿論、騒音について。
つまり傍から見れば、俺は「公園で大きな声を上げて遊ぶ子供を愛しながら許容しない」不思議な存在だということになる。
日本各地にあるこの問題、まず確実に言えることがある。
「公園クレーマーと非公園クレーマーが見ている公園の姿は違う」。
そして、「現状、公園クレーマーたちはクレームを上手に世間に伝えられていない」。
次に、これを読んでいるあなたが「公園クレーマーってちょっとオカシイよね」と思っていることを前提に、以下の事実を列挙したい。
・公園クレーマーは必ずしも子供の声が無条件に嫌いな偏屈ジジイではない。
・非公園クレーマーが公園クレーマー化するのは、一部の非常識な利用者のせいである。
・非常識な利用者だけを除外する仕組みを、行政は持ち合わせていない。よって、公園クレーマーは全ての利用者を敵視するしかなくなる。
・公園クレーマーは、クレームをつける行為に負い目がある。
さて、じゃあ早速冒頭の文章をニュース原稿だとして、続きを想像してみよう。
――子供や家族連れで賑わう公園が突然の閉鎖。そのきっかけは、子供の声がうるさいという近隣住民からのクレームだった。
とすれば、次に来るのは男性ナレーションの低音ボイスであえて野暮ったく読み上げられる次の語句だ。
――「子供の声が、うるさい」
その次は行政の記者会見のシーン。
――「近隣の方との話し合いを続けてまいりましたが、双方の納得には至らず、やむを得ず閉鎖の判断を致しました」
で、そこからが問題だ。恐らくここで、普段の公園の様子か、或いはイメージ映像などで、元気よく遊ぶ小さな子供たちが映し出されることになる。
――「家族連れで賑わう平和な公園で、何が?」
これが大問題なんだ。
少なくとも俺は、こうした元気よく遊ぶ小学生、保育園児、幼稚園児は、好きなんだ!癒される!
きゃっきゃきゃっきゃと楽しそうにおいかけっこをして、たまにミ゛ャー!と寄声を発して、あーあーと泣き出して、しばらくすれば何でもなかったかのようにまたギャーギャーと走り回って…
心から平和を感じるんだ。
精一杯走りたまえ。あーあー、転んじゃって。大丈夫?
俺はこれを、うるさいとは思ってはいないんだ。
じゃあ、「子供の声がうるさい」と言ったクレーマーの気持ちはなんなんだ?
俺はそのクレーマーの気持ちを理解しようと努めることができる。恐らくその人も、最初からそれがダメだったわけではないんだ。「ダメになった」んだ。
(一応補足しておくが、この日記では「俺」と「公園クレーマー」という主語をほぼ同一として扱う。いわゆる「主語がでかい」状態だが、便宜上許して欲しい)
俺が公園クレーマーになった原初のきっかけは、とある夜のことだった。
当然すぎて端折っていたが、俺の家の目の前には公園がある。住所はとりあえず北関東ということでボカさせてほしい。
大きくはないが、追いかけっこは勿論、キャッチボールやフットサルくらいなら十分できる広さがある。
2階の窓からすぐ見下ろせるところにベンチがある。そこに、夜な夜な中学生か高校生くらいの男子連中がたむろし、談笑しながらボール遊びをするようになった。
変声期を終えた男子の声は、かなり通る。そして、ボール遊びの中でもとりわけサッカーボールを蹴る音というのも、実はかなーり、通る。
少なくとも俺の家の窓は全く防音性という面で貢献しなかった。
ボン、ボン。ギャハハ。ボン。ボス。ギャハハ。ボン。
不規則なリズムで、しかし短い間隔でリビングに響くその音を聞いていると、30分も経たないうちにまるで面白半分に自分の頭を蹴られているような気分になり、怒りが湧いてくる。
ここで、自明の事実を書く。
こうしたたむろ連中は、必ずしも「迷惑をかけるつもりで」やってはいない。
彼らは、「自分達の発している音が、目の前の家の中にまで達していることを想像できない」のである。
壁を隔てた向こうに、自分たちの存在が察知されていることを知らないのである。
これは誰しもが陥りがちなことであるが、どうも人間と言うのは「見えていないならば聞こえていない」と認識しがちである。
自分から見て、近くの家の中など当然透視はできない。ならば聴覚も届かぬ場所であると錯覚するのだ。
要は、「想像できないことは認知できない」のである。
結局その日は警察を呼び、お帰り願った。(夜9時台だったので世間一般的にも迷惑案件だと判断した)
翌朝、その場所にはペットボトルやカップ麺などの大量のゴミが散乱していた。
夜の騒音はその日で終わらなかった。
ここでのポイントは、「同じ連中が毎晩たむろしに来るわけではない」ことである。
とにかく色んな人が来る。
金もなく公園に行くしかないカップル。
夜しか時間が取れないのであろう、子供を引き連れてバッティング指南をするおっさん。
花火をしに来た家族連れ。
先程の件と別の男子学生グループは幾つもいた。
中には缶チューハイで酒盛りする中学生男女グループというのもいた。世の中的に見れば全く珍しくもない、可愛い非行の一種だが、目の前で見せつけられるのはさすがに弱った。
そしていずれの人達も、当人らが思っている以上にその声や動作音は聞こえてきた。
中にはTikTokの流行りの動画を大音量で流す奴もいた。
ただ、それですら、彼らはこちらのことを認識していないのである。
単に「流行りの音楽を好きな音量で鳴らす俺」という環境を欲しているのであり、それが他者に聞こえているとは思っていないか、考えたこともない。
彼らにとって俺の家は書き割りの背景と同じなのである。
そのうち、夜に公園に来るすべての人間がバカに思えてくるようになった。
先ほど書いた通り、「自分の出した音がどのくらい遠くまで聞こえているか」「それが思いもよらぬ誰かの耳に届いているか」というのは「想像力」の話である。
なので、彼らは「想像力の無いバカ達」だということになる。
一方こちらは常に公園の音が耳に入ってくる。
自分の感知エリアの中に公共の場があるのだ。自分の感知エリアの中にバカが入り込んでくる可能性が常時あるのだ!
これは結構大変なことで、つまり自分自身が「公園の24時間警備システム化」してしまったのである。
これは良くないと思い、市に電話を入れた。
クレームではない。「夜間の大声やボール遊びを禁じる看板を立てられないか」という要望としてだ。
「あくまで自分は要望のつもりだったんですがねえ」と言い訳したいのではなく、あらゆる体裁において実際要望として伝えた。
いわゆる公園クレーマーとしての立場になりたいわけではないし、日中の利用のマナーは良く感じているというようなこともできるだけ言った。
結果、1週間内には夜間早朝のボール遊びや集会、騒音を立てる行為はご遠慮ください、といった旨の即席看板が立った。
この看板にはある程度の効果があった。
ありがたいことに地域の全体的な民度は低くなく、夜の利用者がこの看板を見て「もう1個の広い公園行こうか」などと発言する様子も見られた。
だが、それでも無視する者も少なくなかった。
そして、俺ももう手遅れだった。
警備システム化した神経は、最早日中の音ですら気になるようになってしまったのだ。
常時テレワークであるため、在宅せざるを得ない中、ボールを蹴る音や子供の騒ぎ立てる音が聞こえる。
いや、それでもやはり冒頭書いたような、「小さな、天使のように朗らかな子供たちの駆ける音」は何の問題もなかった。
中高生男子の声とサッカーボールの音が、いかにもたむろ連中を想起してしまい、聞くだけで頭痛がするようになった。
大半の少年たちは育ちが良く、騒ぎ立てはするものの、辺りが暗くなればささっと帰ってくれる。
だが恐ろしいことに、「そもそもいること」が許せなくなった。夕陽が沈みかけ、薄暗くなったあたりで「早く帰れ早く帰れ」と念じるようになった。
そして――どうにかベンチを撤去出来ないか?一部の区画だけでも閉鎖できないか?
いつしか「クレーム」を入れるようになったのだ。
ここで、非公園クレーマーであろうあなた方に問いたい。
あなたが想像する公園クレーマーが「子供の声がうるさい」と言った時、あなたが想像する声の主はどんな姿だろうか?
小学生や、幼児たちを想像していないだろうか?
そのうえで「まさかこんな子供たちを排除するなんて!」と憤っていないだろうか?
また、「勝手に昼間で想像している」のではないだろうか?
違うのだ。
もう少し上の年齢の、「自我が目覚め、夜遊びもしたい、生意気盛りの子供たち」なのだ。
そして、俺には今自宅の目の前にいる利用者が「良い利用者」なのか「悪い利用者」なのか判別がつかない。
全ての音を拾うしかないのだ。
そうなれば俺が言うことはただひとつ、「子供の声がうるさいんだ」である。
しかしその言葉から逆引きされる「子供」とこちらのいう「子供」には隔たりがあるし、経緯はいっさい伝わらない。
さて、そろそろあなたには幾つかの疑問、というより「ツッコミ」が生じていることだろう。
――引っ越せばいいのでは?
――家の防音性能を上げればいいのでは?
――イヤホンとか耳栓でなんとかならない?
――他の住民が気にしてないなら気にし過ぎなのでは?
引っ越しはそう簡単にできるものではない。膨大なローンが残っているし、自分ひとりの問題ではなく家族を巻き込んだ話になる。
窓を増設するという手がある。しかしこれも公園に面した各窓に処置するだけで100万円はカタい。マインクラフトみたいに素材があればポンと設置できるものではない。
イヤホンや耳栓というのは応急処置として有効である。しかし「自分の家で行動を制限される」ストレスの方が強い。なぜ自分の家で、家族との会話もシャットアウトし外界の音に我慢させられているのか、ということになる。
それに、これはまた派生的な「症状」なのだが、俺のようになると音だけでなく「窓を開けたら人がいる」という状況ですら悩みの対象になるのだ。目の前のバカがいつバカをやり出すかわからない恐怖が発生してしまうのだ。
大体、「夜間の集会はご遠慮ください」という看板がある状況で集まっている時点でそいつはルールを自己都合で無視できる人間なのは確定しているのである。
そんな奴が自宅から10m強先にいること自体がストレスになってくるのだ。
そして最後。
ここがまた、公園クレーマーと非公園クレーマーの隔たりの原因である。
公園クレーマーとは、恥ずかしいものなのだ。
だって、公園は良いものである、という世間の認識があるのだから。
そして既に、公園にクレームを入れるのは「わからずやの偏屈ジジイ」だとする一般通念があるのだから。
俺だって、もし街を歩いていてテレビの取材にあたり、「公園にクレームを入れるのってどう思いますか?」と聞かれたら、
「ウフ、うん、まあその、公園って子供たちがねえ、元気よく遊び回る場所だからねえ、その、それをねえ…」
などと口ごもるだろう。
「アッ、こいつ公園クレーマーの仲間だぞ!」と思われたくないので。
恐らくだが、インタビューで公園の騒音を肯定的に捉えている人の中にも、「実は参ってるんだけどね…」という人がいる可能性はゼロではないと思う。
こうして、公園クレーマーの印象は「誰にも理解できないキチ○イ」へとどんどん先鋭化されていく。
とはいえ、この日記では解決策を示して欲しいわけではない。
あくまで公園クレーマーとは何なのかを公園クレーマーの立場から書いているだけである。
ということで長くなったが、それでも、俺のような公園クレーマーに対して「偏屈」「気にし過ぎ」と感じる人は多いだろう。
それはそれで問題ない。何せ事実、神経過敏になっている。
最早俺は、バカが来て騒音を出すのがダメなのではなく「常にバカが来て騒音を出す可能性がある」ことがダメになっている。
もしかすると、今はまだ俺が愛おしく思っている小さな子供たちすら、今後は煩わしくなっていくのかもしれない。
そうなれば、次にニュースに登場し、世間から罵られるのは俺ということになるだろう。
だが、非クレーマーたる皆さんには、少しだけ想像をしてもらえないだろうか。
あなたがイメージする「公園」「公園の騒音」は、クレーマーの思うそれとは時間帯も対象人物も在り方も違っていないだろうか。
また、あなたは公園の目の前には住んでいないのではないだろうか。
ならば、「自分が自宅に居ながら公共の場の音を感知する警備システム化する」という感覚を知らないはずである。
何も公園クレーマーを理解しろとは言わない。
ご推察の通り、精神疾患的な症状は少なからずあるので、そこを含めて理解しろというのは傲慢であろう。
ただ、公園の騒音という社会問題について何か語ろうと言う時、少しだけ、想像をしてほしいのである。
最後に余談として。
あなた方が考えるツッコミにはもう一例あると思う。
――自分が若い時もやんちゃしたのに、今の若い子のそれは許せないの?
これはこれでデカいテーマなので書くなら別の日記として書くべきだろうことだが、正直に言えば「許せない」が「心の慰めにはなっている」という程度だろうか。
俺も学生のころ、男子連中で友人の家に寝泊まりし、近くの公園でバカ騒ぎした記憶がある。
下校時に彼女を連れ立って、公園の木の陰でいい思いをしたこともある。
迷惑をかけたし、その近隣の住民に我慢を強いたうえで「仕方なく許された」のが今の俺であることは解る。
実際それらは個人的には「いい思い出」として処理されているし、懐かしく思うこともある。
だが、「ならば自分も許そう」はそもそも道理でない。単に個人の思想の一種でしかない。
あえて極端な例を言えば、過去にゲーム感覚で万引きをした経験のあるヤンチャ坊主が成長して小売店の店長になったとして、自分の店の万引き犯に対して「でも自分もやったことだしなあ」と許せるかという話である。
学生の頃イジメを働いた人間が社会人になって会社でイジメられて「でも俺もイジメっ子だったしなあ」となるかという話である。
そういう因果律で人生を捉える人がいてもいいが、それがイコール正しい考え方ではない。
なろうみたいなアホ向けじゃなくて、ちゃんと芸が細かくてしっかり作り込まれてて安心感がやばいし面白いよ
クソみたいななろう漫画原作アニメって、適当に描かれた会社(笑)が異次元ムーブして魔法で解決して終わるからガッカリするんだよな
大人が楽しめるようなストーリーにしてくれるところ、世界観も戦争もすごくディテールをしっかり描いてくれるところがいいんじゃん
総集編でも見ればいいよ
子どもは自分の人生をやり直す(自分を育て直す)ための道具じゃないです
✨脱アダルトチルドレン✨とか言いながらドヤ顔で虐待繰り返すし、
この増田(anond:20230606200018)や、激寒ポエム書いてる増田(anond:20230120195725)みたいにその自覚ないから
あと、お寒いポエムを吐いたと思ったら、どぎつい言葉で実家や周りの人物を罵ったりもするぞ
この見本(https://anond.hatelabo.jp/20230121065030#)もそうだけど何ひとつとして腹に落ちちゃいないからな
助けてくれなかった世間に復讐するためキラキラ見せてる・・・つもりなだけだから
あとこれもお送りしますね。増田の風俗嬢・アプリの立ちんぼメンタルのそれらしさはズバ抜けている
https://anond.hatelabo.jp/20200304103252
引きこもり男性のような、あからさまに態度がヤバくて入り口で拒否されるパターンではなく、
数か月した頃に「こいつ、うまく言えないけど、なんかイラつくな…」みたいになるから言語化・可視化しづらく厄介というか。
こういう子は、最初はみんな愛想よくしてくれたのに、数か月するとみんな冷たくなるという経験を何度も味わっている。
そのせいで、子供を欲しがるんだよね。子供は母親から逃げていかないから。
同世代からするとイラッとくるような人でも、子供はママしか頼れないし、ママ、ママとなつく。
だから可愛い。大人はすぐ冷たくなって離れていくけど、子供は長い期間を母親に執着するから、母親が子供に依存してしまう。
そうして、子供を作ったはいいけど夫がイラついて離婚されて…、養育費は払われず…、世代をまたいで連鎖してしまう…。
女性の弱者は初対面で好意的に接してもらえた成功体験があるのか、男性よりも孤独への耐性がなくて我慢できないのか、
人懐っこい態度や、縋りつくような態度をとることが多い。(媚びや縋りつきと同時に不快な言動もある…)
モラルがある男女からは「居心地悪そうな苦笑い」と「そっと距離置き」、
モラルない女性からは「イジメ」、モラルない男性からは「ヤリ捨て」「孕ませ捨て」をされる。
そして「悲しい」という気持ちでいっぱいになってしまって、食べ物・アイドルやアニメなどの力で悲しみを乗り越えて……
……同じことを繰り返す。
ギャグのつもりなんだろうけど、古典落語のような昔のものは余裕で身体障害者を笑うような演目があるので、結構難しい問題なんやで
この前某有名落語家の独演会に行ったときに話していたけど、某会場では客席に障害者がいれば、楽屋の噺家に通知が行くそうだ
ただ、例えば目の見えない方が、目の見えない人物が出てくる話を、自分事なので聞きたい、と思うこともある
実際に、目の見えない方本人に、なあ、そういう演目があるって聞いたんだけど、なかなか当たらないんだよなあ、と言われて返答に困ったという話をしていた
しかし配慮が必要なためそういう方がいれば話せないので、その方は永遠に寄席で聞くことはできないそうだ
この需要と配慮とポリコレが交錯しまくってるのがいまの寄席の現状らしい
こういうことを言う奴は東大ヒエラルキーの中では底辺の印象しかないんよな…
東大の中での上の方の人物は周囲がずっと優秀だし、いちいちこんな凡人は才能ある者にストレスとか考えてないからさ
まずこれだけは言っておく。
私は!TRPGが!大好きだ!!だから嫌いになんてなったことはないし、これからもそう。一生の趣味になるであろう。
……とここまで前置きしたところで。
言葉遣いが少し悪くなるので、苦手な人はブラウザバックをお勧めする。だが卓修羅のお前。お前はブラウザバックをするな。最後まで読め。そして反省しろ。
TRPGには「卓修羅」という概念が存在する。これは何も有名なCoCだけではない。卓修羅というのは、「卓(セッション)を詰めすぎて、(数か月先まで)空き日程がない人」のことを言う。まぁ日程がぎっちぎちになるのは自己責任の範疇だ。勝手にやっていろ。問題はその後だ。例えばリスケ(日程再調整)になる、新たに卓を入れる、等。この場合、卓修羅はそうではないPLに合わせることができない。何故ならもう空き日程がないから。
バカだ。アホだ。
TRPGは楽しい。それはわかる。しかしせめて一か月の内、どこか一週間くらいは空けておくのが普通であろう。そうではないと、日程すり合わせで卓を立てる場合、そいつのせいで一向に日程が決まらないということがある。正直言って、卓修羅は迷惑以外の何物でもない。他の人が「ここは卓やるかも……」と空けておいた日程を、あとから日程を入れる卓修羅は簡単に踏み躙って、調整ツールに思いっきり「×」をつける。「すみませ~ん、そこら辺の日程、他卓で空いていなくて……。〇月なら出来ます!」などとぬかしやがる。
それでも翌月が空いているのならば、まだ希望はある。日程調整が終わるまでに、バカが翌月にぎっちぎちに卓を入れなければ、の話ではあるが。更なる問題はこれ。
とんでもねぇ未来日程である。中には新規卓が2年先、3年先のPLもいる。
私はゲームマスター(GM)をする人間だ。だから卓を立てたいと思っているし、準備だって喜んでやる。それなのに卓修羅のせいで、空き日程が全部潰れた挙句流卓させるこっちの身にもなれ。クソがよ。他PLまでもが悲しんでいるのを見たくない。
あのなぁ、卓修羅って自覚があってもなくても、当月のカレンダーの空き日程が二週間を切ったあたりで新規卓には挙手をするな。それでも挙手をするのならば迷惑だからこの村から出ていけ。仕事で中々卓を入れられないのならまぁ百歩譲って許そう。それでも繫忙期は挙手をしないくらいの心がけは必要だが。だが卓修羅、お前は別だ。他の卓で埋まっている。私は悲しいよ。お前が挙手したこの卓よりも他の卓のほうが大事なのかもって、な。
あぁん??お前が別卓をやるときにはちゃんと出来ている??リスケしてもすぐに立卓できる??それは他PL/GMがお前に合わせているだけだ。卓修羅ではないPL/GMが頑張っているんだ。お前の日程が少なすぎるのをみて驚きながら、それでも卓をしたい、と願って頑張って調整するんだよ。良かったなぁ、良い仲間に囲まれて。そうしてお前は甘やかされたという勘違いもできないでいるままに愚かにもまた別卓に挙手をするんだ。そうして空き日程の無さをTwitterで自慢する。
卓修羅は、自ら「私は計画性がなく、簡単に卓を入れる能無しです」と言っているようなものだ。だがしばしば、卓修羅という言葉は一部でまるで「誉め言葉」のように使われることがある。以下が例である。
卓修羅B「え~Aちゃんすごーい!まさに修羅じゃん!私なんてまだ3日空いているww」
など。
良いか、よく聞け。卓修羅は誉め言葉ではない。バカを全世界に露呈しているのだ。普通の感覚であれば、予定を詰めるなんて恐ろしくてできない。だって人生、突然何が起こるか不明だからだ。そういう時にリスケが出来なくなったらどうする?「来年にしてくださ~い!」もしくは「すみませ~ん、できそうにないのでこの卓はなかったことにしてくださ~い。また機会があればよろしくお願いします!」とかほざくんだろうな。他PLがどう考えているかなんて気にもせずに。
まぁでもどうせ卓修羅なんて、自分で挙手をした卓を自分の都合で壊すことに、何の抵抗も無いんだろうな。だって卓修羅だから。お前の遊べる卓は他にもあるから。でもな、お前以外にはその卓しかねぇんだ。楽しみを奪って他の卓を入れたときの飯は美味いか?美味いだろうな。だって自己中心的だからだ。
卓修羅に他のPLのことを考えろなどと言ったところで、聞く耳を持たないのは分かっている。こちとら何十人の卓修羅を見てきたと思っているんだ。皆、自分の都合でリスケする・流卓することに何の抵抗も持たないバカばっかりだ。そしてそいつのせいで流卓が決定しだい、謝りもせずに真っ先にグループチャットから抜ける。「ごめんなさい」の一言ぐらい言えないものか。自己管理の出来ねぇ人間は、一つの卓の日程調整中に別卓の調整をしないでもらいたい。どうせその別卓の調整を優先するんだから。わざわざそこまで遊びたくもないシナリオに来ないでもらいたい。他の遊びたい人に迷惑だ。
ここからは個人に向けた愚痴だ。それぞれの段落は別人物に向けたものになっているから、該当者は自分の段落だけ脳内に入れればそれで良い。
私はお前のTwitterを見たぞ。お前が「○○(仕方のない事情)のため、卓ができません。なので流卓でお願いします」と言ったその日、明らかに家にいてオンラインゲームをしていたよな。フォローをしていないからって、私のアカウントが無いと思うな。ゲームをする余裕はあるようで良かったなぁ。へぇ、その仕方のない事情なのは噓だったのかな?お前のせいで一年近くも日程調整をしたのに?他PLに迷惑をかけてまで「ごめんなさい」の一言もなくグループチャットを抜けるのか???
私はお前のカレンダーが死んでいるのを知っている。だけど当時は「ここなら空けられるかな~?」って思って日程調整を作ったのだ。まさか2ヶ月先まで予定が詰まっているなんて思わないだろう。だったら挙手をするなバカタレ。こっちだって仕事があるんじゃい。だから日程調整を出すのが遅いけど、そこまでは別卓を入れない、ってことくらい出来ないのかぁ?この卓の調整をしてからでも遅くはないだろう?
私はお前から依頼されてGMをやったんだ。まさか依頼者当人が日程調整に〇を付けられる日が一週間もないなんて思わない。お前がそこ以外に卓ができないって言うし、私もGMをしたかったから流卓にできなくて申し訳なかった。だけどな???Twitterで「卓修羅をしているときが一番生を実感できる。卓修羅で幸せ♡」とか言うな。お前のせいで他PLが一日でキャラシを書き上げたんだぞ。GMも結構準備大変だったんだぞ。だから卓修羅なんてやめろ。他に迷惑をかけてばかりいるな。
何故だか知らんが、私の周りには四六時中暇で(まぁ暇ではなくとも)、卓をぎっちぎちに詰められる人間が存在する。皆が皆お前と同じ境遇だと思うなよ???私が誘おうと思ったらお前の新規日程がとんでもねぇ未来で、別PLを誘うこともあるんだ。私はお前とも遊びたいのに。
かく言う私も、TRPGというものを知ったばかりのころは、楽しくて毎日のように卓を入れていた。それこそ一ヶ月の空き日程が5日しかないなどということもあったのだ。そう、TRPGは「楽しい」。これこそがこのゲーム最大の特徴である。楽しいからこそ、半ば依存してもやめられない。ここは自分でどうにかするしかないのだ。自分でできないのならば、カレンダーを誰かに監視してもらえ。最初は毎週〇曜日を空けるだけでもよい。これで最低四日は空く。
もう私は日程を決定してから卓にするか、一番の修羅に調整を作ってもらっている。
シナリオは逃げない。大丈夫だ。体験しなくたって死にはしない。そして、ほいほい挙手をするな。ちなみに今まで言ってきたことは、卓修羅がGMをやる際にも当てはまる。ある程度の権力はあるとはいえ、それはGMの横暴だ。PLに迷惑をかけるな。
これにて〆だ。最後にもう一度。
真面目にそうだぞ
冗談抜きに子どもを産んでは養護施設に入れてまた産んでってやってるヤツとかいる
でも逆にこう言うレベルの親は行政が動いて養護施設に預けることになるので、逆に救いがあるかもって思う
親にまともに愛されずサポートもされず親に負担だけかけられたやつは、
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追記:
mutinomuti 親にまともに愛されサポートされ負担がなくても犯罪者にもなるし自殺もすることは念頭に入れるべき(´・_・`)
https://b.hatena.ne.jp/entry/4737537501068751077/comment/mutinomuti
病気(内科的疾患による症状など) と 犯罪巻き込まれを除いて、
自死を選ぶほどに精神を病む人物のご家族は例外なくどうかしているぞ。
文部科学省もちゃんと認識をしていて『特別な支援を必要とする 児童生徒』として取り組み自体はあるよ
発達障害の枠組みに入ってるけど、
CU特性
共感性が低くたって感情がないわけでも知能に遅れがあるわけでもないのだから、
教えれば、『自分の感じ方は人とは違う』『思いやりのない行動をしたら自分が社会的に損をする』くらいは理解出来るのだわ
問題は極めて遺伝的要素が強いので親も似たようなタイプで子の特性に気付かない・無関心・現実逃避するパターン
例えば、発達障がい、中でもアスペやCU特性(Callous-Unemotional Traits:無感覚非感情的特徴)など
ただ強制じゃないので、親の意識が相当高くないと、大学や国立病院に足を運ぼうとはならないと思う
そもそも、親がこれだけ意識が高ければ、子が犯罪者になるとは考えにくい
なので端的に親の養育・療育が悪かったで終わる。少なくとも人死が出ているのだから
CU特性があるかどうかは近くの専門医に診てもらえと言いたいが、日本は遅れてるからどこでもやってるわけじゃ無いみたいよ
https://sites01.lsu.edu/faculty/pfricklab/wp-content/uploads/sites/100/2015/11/ICU-Youth.pdf
↓
https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-23659359/23659359seika.pdf
「CU特性」とは,ニューオーリンズ大学のフリック博士が提唱しているCallous-Unemotional Traits の日本語訳です.フリック博士によれば,CU特性はサイコパスとも関連のある特性で反社会的行動を表す児童に特徴的なものだとしています.また,注意欠如多動症(Attention Deficit / Hyperactivity Disorder; ADHD)との関連も報告されています.
私は常々『腐女子は受けキャラを優先する』論に否定的で見かけるたびに歯痒い思いをしてきた
当方CP雑食で、推しのことなら攻めCPも受けCPも好きだからだ。決めつけられてムッとなることが多かった
今回やっぱりそんなことはないと思える出来事があったので書く
(なお今回例に挙げる推しキャラはどちらかというと攻め解釈の方が若干好き派)
原作はそろそろクライマックス、推し(以下A)のおそらく最後で最大の見せ場回が来た
ここのところAを中心としたエピソードが続いていて、今回はサブタイトルもAについての集大成だとはっきり示すもの
個人的な感想は推しの魅力が凝縮されてて最高の回。10回は読み返したし、号泣しすぎて頭が痛くなるほど感動した。推し一生しゅき…
結果それぞれのCP者の反応
・A×B界隈:大盛り上がりで長文感想ツイートが大量に流れ、解釈ツイートのRTがどんどん回ってくる。
・A×C界隈:ちらほら本誌読んだ報告、感動した等サラッと言って終わる人がほとんど。
むしろ本誌内容と関係ない自カプシチュ語りや同人告知を流し始め感想自体があまりにも少ない
・C×A界隈:ここも大盛り上がり、こちらはAの行動自体は大絶賛されつつ、
このセリフはこう言ってほしかったな、などの解釈違い評価も有でABとはまた質の違った雰囲気
それぞれ描き手を50↑人ずつ程フォローしてるので(なんならAC者が最もフォローしている数が多い)
※ちなみにA×D、D×A界隈も盛り上がっていた。
※いわゆる"ジャンルの最大カプ"は推し関連のカプではない。挙げた3つのCPはおそらく同じくらいの規模
(ただ当方推し以外の総受けが地雷なためBとC総受け界隈のことはよく知らない)
これを受けて
CP者議論において"攻めの扱いが軽んじられている"法則はデマ、しかし特定CPにはそういう傾向があることはある
が私の中での結論となった
そしてちょっとというかかなりAC者には萎えてしまったので心境は複雑です…元々あんまり原作の話しない人多いなと思ってたけどさあ…
オタク女界隈で社会的にその表現がどうなのよ?という話になった時に「なんであれを受け入れるの?声をあげないの?」問題にぶち当たるわけなんですけどその描写にまつわる問題が理解出来ていないという訳でなく、私が脛にデケー傷を抱えてるからに他ならず「描写の社会的な正しくなさ」を発信する時に私はいつも「自分自身の社会的な正しくなさ」にのたうち回っているうちに発言するタイミングと言葉を見失っているからです。
どういうことだよって言うとつまり、私はニ次元的なフィクションにおいて「チャイルドマレスター的な想像」を好んでいるオタクなわけですよ。
「未成年の少年」のニ次元キャラクターをバリバリに性的に搾取しているんですね。見た目が大人っぽいから大丈夫でしょなんて言い訳効きません。私は彼らが未成年であるという設定から生まれる状況に興奮しますし彼らが未成年であるということは彼らを構成する大事な部分と私は捉えています。
あまつさえその年齢の彼らの性的なフィクションを制作しているのですからどう考えてもニ次元に対して私は性倒錯者で小児性愛者と言えるでしょう。その上私は自身がヘテロセクシャルの女性であるにも関わらず同性愛者のセックスを想像して創作する搾取者でもあります(もちろん私は私の空想の中では自分を彼らと同い年の少女だったり建物の壁だったりと想像しますがそれでも現実の私は一介の成人女性であることは変わりません)
この事実は私に社会的正しさを口にする瞬間のジレンマを発生させます。
私は私自身が楽しく創作物を楽しむ時に自身の正しくなさに積極的に目をつぶっていますから、創作物の正しく無さに言及する時にその自身の正しくなさとも向き合わなければいけないし向き合っても正当化できるところなど1ミリも無いわけでそうなるとそんな創作物を愛好するのやめなよというとこにしか答えはなくなってしまうわけです。
罪のない者だけが石を投げなさいと別に誰に言われた訳でもないのに頭の中でそんな声がしたような気がします。
子供に対する性暴力、同性愛者に対する差別、トランスジェンダリズムへの無理解そういったものはあってはならないものと考えていますし現実ではそういった自体が発生すれば改善しろと働きかけていくべきと考えています(現に署名などは行っています)(しかし書きながらこの文面の言い訳めいた様本当に醜いなと我ながら引いた)
しかしこと二次元、漫画や小説のフィクションの中になると私は自身の暴力性を隠せないようなものを愛好し楽しむのです。そしてその描写の正しくなさを理解はしているので喜びと同時にこれは大丈夫なのだろうかと不安も抱えているのです。
時折ジョジョ4部における吉良吉影の人を殺さずにはいられないが静かに暮らしたいという自分勝手さに同調しそうになります。
私は彼を悪辣な人物だとよく理解しているし唾棄すべき人物だとは思いますが彼の望んでいるものは今私が望んでいるものなのかもしれないと。
まあその辺結局自分の中で乗り越え解決すべきところが見つからぬまま今を生きているのです。
しかし人間という生き物これでいいやと思って悩むのをやめてしまうのが1番正しくない生き方だと思うので変わっていく社会と社会的正しさの中で悩み正しさを模索して生きることだけが正しくない生き物である私の唯一の正しさであると信じて生きていくしかないのでしょう。
※どうでもいいような良くないようなそもそもこの文面を書こうと思った元々の話というか、今月プライド月間があってBLに関わる人は声あげてみたいな話が流れてくるのを見て、BLを愛好するヘテロセクシャル女性である私が「同性愛者もすべからく法律によって結婚が出来るようになった方がいい」を主張するまでは良いことだと考えるのですが「私はあなた達を理解し同調し連帯します」まで寄っていくとどう感じられるものなのかということはずっと悩んでいて「そうしてほしい」と望む当事者もいれば「寄ってくんなセクハラだぞ」と思う当事者もいるでしょうBLを愛好するヘテロ女性に対して嫌悪感抱く当事者はいて当然でしょうしそういった方から見ればもし自分がそういった理解者然とした態度をとる姿は家出女児に「危ないねウチくる?」ていう児童に性的悪戯を加えようとする輩のように見えているのでは無いかとずっと考えているのです。私は私の持つ私には分からない暴力性が怖い。
Twitterのおすすめタブをするすると眺めてたら、なーーーんか逢ったことあるような女の子が見えて、プロフィールやツイートを見てみたところ、昔ちょこちょこ通ってたコンカフェにいた娘が、風俗嬢になっているっぽいなという自分のなかでの結論に至った。
(源氏名が一緒だったり、コンカフェ嬢の頃と今載せてる自撮りの見た目もほぼ一緒だったり、多用する絵文字もかなり同一のように感じた)
同一人物かだけどうしても気になりすぎるので、次の出勤日に予約の電話してみて、なおかつ電話口で「もしかしたら面識ある人かもしれない」と正直に吐いてみようと思う。
そっとしといてやれよが一番正解なのは頭で分かってるけど、彼女の周りの人たちに「◯◯って今何してんのかなー?」などと聞くわけにもいかず、「これって◯◯だと思う?」と見つけた画像を見せるのも当然非常識だし、でもなんか同一人物かだけ知りたすぎる好奇心だけが抑えられない。
もし似たような経験をした・聞いたなどあればコメントもらえるとありがたい。
【以下追記】
直接の対面前に弾かれるかなと思ったら対面した瞬間に超でかい声で「え~~~~~」って言われてしまったので、店から出るときに黒服さんに凄い険しい表情で事情聴取されました(汗)
お店側の不手際でもあるとのことでなんとかご理解はいただけた模様。
近況報告や懐かしい思い出話をしてお時間いっぱい。