はてなキーワード: マウンティングとは
ソーシャルブックマークというよりはクラウドマウンティングだよね
http://anond.hatelabo.jp/20161123235437
意外とゲイと女装って別のコミュニティで、女装は一見すると普通で地味な人が多い。
深く話すまでは、趣味で女装していて、実は良識人で知的なんですよというフリをする。
女装する人たちの欲望は内向きなもので、ナルシストな人間が非常に多い。
自分の美しさを証明する、自分の優位性を確保する、そんな目的で女装している人間が多いと思う。
社会では不当に自分は扱われていて、自分はちやほやされるべき存在。
時には、女性への恨みが深く、恋愛市場で不遇な扱いをしてきた彼女らよりも、女性的な魅力を持っていると確信することでその復讐を果たそうとしている人間もいる。
自分より綺麗な女じゃないと付き合えない、なんてセリフは掃いて捨てるほど聴いた。
ゲイは経験人数が多いのが特徴とあるが、女装は援助交際の割合が非常に多い。
どんなにおとなしそうでも、どんなに女装が似合っていなくても、パパのような人がついており、
服を買ってもらったり、コスメを買ってもらったり、女装やハプニングバーのイベントに連れてってもらっていたりする。
趣味で始めたと公言していた子持ちの中年も、半年後にはSNSで「アナルマゾ奴隷です。男のご主人様を募集しています」だなんて書き込んだりしている。
子持ちだろうが既婚だろうが関係無い。猫をかぶっていても、最初はノンケだって言っていても一年以内には男性経験豊富になる。
若い年代に限れば、その世界は完全にルッキズムに支配されており、容姿が女性的であるかどうかがヒエラルキーを決める。
特定の地位までいけない者は女装の世界に敗れ公の場を引退をし、個人間のやり取りで別のパパを探し続ける。
ある程度以上の者のうち何割かは、認めてくれている世界の自分こそが真実の自分だとおもうようになり、性転換まで行き女性の世界で一般人に逆戻りする。
中途半端な者はその世界にとどまり続け、経験が長い分女装評論家を気取るようになる。
ルッキズムが染み込んでいるので、時には、性同一性障害である人々を見下し、矮小な者として扱うようになる。
時々、本当の性同一性障害のコがその世界に迷い込むが、繰り広げられている惨憺たる光景を目にすると、すぐにその場から逃げていく。
ルックスという戦闘力でマウンティングを繰り広げるその世界は、さながら男性的な世界とも言える。
一時期、女装がブームだなんて言われていた時期もあったが、その実情を目にした時、嫌悪感を抱く人間が続出することは想像に難く無い。
表面では仲良くしていても、コミュニティの裏側やネットの掲示板などでは醜い貶しあいを続けている。
知り合うことで損をする人がたくさんいる。
一見すると特異で面白そうな人間に思えても、本当に関わらないほうがいいだろう。
で、楽しさ度数は変わると思う。
あれ原作からして説明しないことが多いのだが、アニメもかなり説明しない。
感想検索したらある漫画家?が「原作にあった妊娠シーンが無くて」とか書いてて「ファッ!?」となった。
と、すると…やはりあの作品からどれだけの情報量を読み取れたかで、感想も少し変わるし、疑問点も変わりそうだ。
(君の名は。とかもそんな映画だったな。説明せずにガンガン進んでいく。おばあちゃんがパパを説得してたシーンとか)
アニメシナリオ作家に多い典型的欠点である『説明過多』がむしろもう少しあっても良いほど無い。
でも君の名は。もそうだが、そんなものを望んでたのかもしれない…。果たして自分は、いつも身の回りにある全ての物を理解して生きてるだろうか。
例えばこのシーンが理解しているかで、解釈が変わるのではないか。
全然書き切れてないけど、つまりこういう映画で情報量が半端ない。正直自分も全然把握しきれていない。
説明はしてくれない。だから一度見ただけじゃすべてを捉え切れない。
あのEDロールでアレが周作だと気づかない人も居るとか。
欲を言うなら円盤の方で監督のオーディオコメンタリー(解説説明)をつけて販売してほしいです。
※追記 わかりやすく訂正
リンについては読者は「分からない」って言うだろうけど分からない人は原作見たくなるし
映画だけでも注意してみれば察することができるようになっている
早くに結婚して子供もいてバリバリ働いているが、学歴がないことと離婚してるのと、モテ偏差値が53くらいなのがコンプレックスらしく、
私の顔を見るとひたすら自分がどれだけすごいのかを語ってくる。
しかし大してすごくない。
言うなれば「そんなこと普通にあるよね」程度のことを大げさに伝えてくる。しかも大半が自分の武勇伝。
最初はすごいすごい褒めていたものの、あまりに毎日になってくるので冷静で客観的な意見を述べるようにしてみた。
「あ、こいつは自分のこと褒めてくれないな」と一瞬気づいてくれるけど、次の日には忘れている。
気性が激しく、世の中の若い女全てに嫉妬しているのか芸能ニュース見ては「意外とこの女優ってブス」だの日常会話は主に嫉妬にまみれている。
結婚失敗して、子供の母親でしかない自分に疲れてるのはわかるけど、私はあなたの部下であって都合のよい友達ではない。
「ごめんなさい、それ大してすごくないですよ世間的に」って言うわけにはいかない。
でも心の中では毎日思っている。自分を客観視できない女上司が可哀想で。
自分をハイスペック(だった)と勘違いしちゃう中年女性は、ぜひデリバリーホストとかで男買ったりしてストレス発散したほうがいいと思う。
20代半ばまでいた会社では事務の仕事をしていて若いからという理由だけで許されることも多かった。
しかし、資格試験に合格して転職。当然仕事は専門職で能力重視に。
しかも経験がものを言う業界に入ったために、若さに価値がないどころか年を取っているほど一目置かれる。当然なんだけど。
おそらく、これは20代半ばでいたあの会社でも総合職の人は、若くとも同じ思いをしていたんだろうなあ。
男性と同じ能力が要求される仕事場では、若さなど足をひっぱる要素でしかない。
なんで世の中は<女の価値は若さ>なんて言い続けているんだろうと考えたけど、それは結婚対象として見たときだけだよね?
仕事バリバリしてるキャリアウーマンのみなさん、ちょっと年下だからってマウンティングしてこないでください。あなたのほうが仕事できるんだし、認められているんだから。
仕事をしている中年女性たちが、年下の世代に「もうあなたは年だしね」って鬼の首を取ったように言わなくてもいい世の中になりますように。
「恋愛はコスパが悪い」という意見がある。賛否両論だと思うが、この概念を前提にじゃあどういうことが言えるのかを考えてみる。
①不細工、チビ、ハゲ、低収入男→小学校のトイレ掃除。2割くらい
③イケメン→お年玉もらいに金持ちの親戚の家にいく。2割くらい
④ブス女→学級委員長で頑張れば先生に誉められるかも。2割くらい
しかし、③になれば、「お年玉もらいに来てやった、会いたくない親戚には合わない」とか言える。
女の場合は、④は努力するか微妙だが、⑤,⑥は張り切って当然。
じゃあ、①、②の奴は努力するろうか。
まず、チビとハゲはおそらく努力無駄。ハゲはカツラがあるが、チビはもうどうしようもない。
低収入は努力うんぬん以前に生きることが困難になるから、こりゃ努力するしかないね。
フツメンについては、チャンスが来たときに目立てる可能性があるし、運動会で足が速ければクラスの女子にモテることもあるだろう。1芸にかける気持ちで頑張ろうと思えば頑張れるんじゃないか。
現実的に考えて、①の奴は、おそらくゲーム性が低い。生まれた時点で、ほぼ詰み。やれることは無い。この層が努力うんぬんとか言うのは意味がない。おとなしくほかのことで頑張ろう。
②の奴が努力するかしないかってのが、コスパ論を語って意味があるランク。男の6割くらいか。
③の奴は、努力どうこう関係ない、いわゆる恋愛工学でメンタルがどうこう言ってる人たち。女性が恋愛カウンセラーしだすと、だいたいこのランクの奥手男性に対してのアドバイスばかりになる。でも、この層の奴等にアドバイスとかしても、そもそもモテてるから意味がないよねw
④で努力しないのは、ギリギリセーフかアウトか微妙なライン。男で言えば、②と③の真ん中くらいに下駄はかせてもらって、これで努力したくないなら、しょうがないね。
⑤の場合、努力しないのはバカなんだけど、③レベルの男には捨てられるラインだから、いわゆるこじらせ女子ってやつになるタイプか。こじらせ女子って、意訳だけど、「低ランク男は相手にしたくないけど、高ランク男には愛されたい、だから優越感得るために低ランク男をバカにして溜飲を下げてる」って女だと思うけど。このランクの女が調子に乗るから、②ランクの男がやる気なくなる。最近の恋愛離れの原因層。
⑥の場合、特になんの障害も無い。④、⑤の女たちに勝つ優越感があるため、マウンティングしまくる。これに対してムカつく⑤の女が男をバカにしたくなる。自ら燃えることは無いが、⑤の女に火をつけて楽しむ奴が多い。
ヨッピーの尻馬に乗ってるだけの雑音が多すぎ
ヨッピー「分かりづらいという意見にはもっと耳をかたむけるべき!」(謎の義憤)
結局ハンドブックの内容はさておき、お前の言い方態度が気に入らねえってなってるだけじゃん
ヨッピーの唯一の長所はああいう小難しいものを茶化しつつ分かりやすく説明させるところだろうが
初めに断っておくと、僕は広告業界の端っこの方で生きていて、そしてよっぴー氏の大ファンです。
http://yoppymodel.hatenablog.com/entry/2016/11/10/111014
の件について、ファンの僕にしては珍しくよっぴー氏の主張に全然合意できない、というか氏の主張に明確な誤りがある、と感じたのでまとめてみました。
広告業界のエラい人たち、よっぴー氏の言葉を借りれば蹴鞠おじさん、たちにとって「ライター」が「公共の場」でつぶやいた<「ネイティブ広告ハンドブック2017」が取扱説明書レベルに読解大変で涙です>というツイートは、「もっと読みやすくしろよボケ」というクレームとして捉えられた可能性が高いです。よっぴー氏はその後の藤代氏とのやりとりに付記して<「素人でいい」なんて誰も一言も言ってないし、「わかりやすく説明しろ」も誰も一言も言ってない。>と語ってますが、彼らにはそうとしか読み取れないのです。
なぜならばこの人達は世代的にも階層(広告業界における商流上位のレイヤー、あるいは研究者という意味です)的にも、「仕事上の愚痴をカジュアルにツイートする&万人の目に触れさせる」文化に生きていないからです。たぶん彼らは、「は?じゃ、わざわざ公然とツイートしないで日記帳にでも書いとけよ。分かりやすくしろって強制したいから公開してんだろ?」と捉えていると思われます。
どちらが正しいとかではなく、両者に間に横たわっているのは、おそらくデジタルデバイドでしかありません。よっぴー氏はこの誤解に対して「書いてもないことを勝手に解釈してケンカ売ってくんじゃねえ」と憤ってますが、一人さみしくつぶやいたならともかく、公衆の場でさらす、というアクションを経ている以上、読み手の曲解にも相応の理由があると考えるべきではないかと思います。あと、蹴鞠おじさん達が「ライターともあろうものが、自分の読解力不足を晒すとは何事だ」文化に生きている点もあるでしょうね。これもどちらが正しいとかではなく、文化圏が異なるとしかいいようがない。
要するに、この点においては双方に優劣も正誤もなく、互いに差異を認識すべきだけ、のように思うのです。先に殴ったのはおじさんたちなので、その点は擁護しようもないのですが、殴り返しちゃったら同じじゃないですかね。
高広氏がよっぴー氏に投げかけた一連の内容を、単純な「いやらしいおっさんのマウンティング」と捉えているのも事実誤認です。
なぜなら、この振る舞いは、優越感ゲームの手段ではなく、むしろ彼らの「メシのタネそのものだからです」。デザインや文章といったアウトプットに対して、属人的価値を付与して、単価と受注率を上げ、競合を蹴り落とす戦略的な行為です。ちなみに、自分も広告業界の隅っこで生きているので蹴鞠おじさんにはよく遭遇するのですが、彼らはあまりにもこの行為を自然にこなすので、自分が優越感を搾取し相手に不快を強いている自覚が、実は無いんじゃないかなと感じることがあります。
もちろん、これらの行為は批判されるべきではあるのですが、少なくとも「蹴鞠」ではないと思うんですよね。広告人としての生存をかけた削り合いです。蹴鞠おじさん、という語感が良さすぎるので引き続き使いますけど。
また、おじさんたちの蹴鞠的な振る舞いが広告業界をダメにした、というよっぴー氏の批判も乱暴に感じます。
蹴鞠おじさんたちが、彼らなりに意識を高く持ち、マクルーハンを学んだりしながら、一定以上のクオリティをアウトプットしてきたのは事実です。一方で、あまりにも参入障壁が下がり、ゴミのような広告を撒き散らし、単価を下げ、まさに悪貨が良貨を駆逐するようなネット広告の現状を鑑みるに、正直「マクルーハン読んでない奴が広告作るなよ」といった視点は必要悪のようなものではとも思います。参入障壁はむしろ上げるべき、というスタンス自体は悪いものではないはずで、業界全体がその方向に舵を切らないのであれば、個々の業界人としては高広氏のような振る舞いを取らざるをえないのではないかと思います。
ま、とはいえ蹴鞠であってはやはりいけない。貴族的な内輪遊びではなく、きちんと資格化でもすべきです。マクルーハンも「ネイティヴ〜」も体系化して資格試験を設置し、ステマや優良誤認に加担した広告人からは資格を剥奪する、とかの方が、少なくともネット上はキレイになるかと思います。
僕個人としては、よっぴー氏は今、日本で最も力のあるライターだと思っています。あれだけ尖った面白さを担保しつつ、誰も傷つけずに商品価値を高めるコンテンツを作れる能力は、まさに余人をもって代えがたい。旧態然とした広告業界からは、彼のような素晴らしいライターは出てこず、僕たちは未だに蹴鞠おじさんたちのキャッキャウフフを見せられてるかもしれない。
しかしどうなんでしょう。よっぴー氏や彼に比肩するライターが何人いようとも、「障壁が下がったから参入してきたネット系ライター」とくくってみれば、そのクオリティはあまりにもひどい。「売れればよい」「注目を集めれば良い」「検索に強ければ良い」といった、ゴミのようなコンテンツが多すぎる。独善的とはいえ職業的矜持を持つおじさんたちが作るものの方が、どれほどマシか知れません。
ゴミ溜めの中から燦めく才能が発掘される様は痛快であっても、撒き散らされたゴミは臭いのです。まして、ゴミを撒き散らかしている人たちが、それで食べていけてるならガマンもしますけど。
ネイティブ広告ハンドブックと広告業界の「蹴鞠おじさん」について
http://yoppymodel.hatenablog.com/entry/2016/11/10/111014
WEB広告業界ネタの論争で1000ブクマつくってやっぱはてブはWEBの人間だらけんんだろなー。
人気ライターのヨッピーさんだけあって、議論と直接関係ない話を持ち出し相手が知らないことを突いてマウンティングしてくるおじさんに
ちなみに、過去にも蹴鞠おじさんはtwitterにてくだらない論争を起こしている。
http://megalodon.jp/2013-0729-1537-14/blog.chakuriki.net/archives/51403887.html
>> 「高広さんは、Twitterで人のあげ足をとって罵倒するという「パフォーマンス」を行っている事がわかった。 <<
もうどうしたらいいのか分からない
今まで非正規しか働いたことなく、どこも真っ先に体型で目を付けられていじめで追い出される
正社員面接でも身長を理由に病気がありそうだからと断られることばかり
外見
33kg
服のサイズ1号~3号
顔は森花子と昔マラソン選手の女性でいた150cm以下の人とこれらの画像を合わせたような顔
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1057808.jpg
http://howto-beauty.com/wp-content/uploads/2015/06/omonaga-2.png
それと全く似てないけど笹野鈴々音に間違えられたことがある
体型も普通の人と並ぶと3回りは小さいと言われるくらいガリガリで宇宙人みたいな奇形
初対面ではギョッとされるか、ドン引きされたり、障害者扱いされたり、爆笑されるか、露骨にキモがられたり、悲鳴を上げられたり、何も言ってないのに同情される
いるだけで気持ち悪い、場が暗くなる、悪い意味で存在感あるよね、あんな雰囲気の人初めて見たとよく言われる
初日に休憩室に入ると全員がぎょっとして一瞬シーンとなって身長に関連する悪口を言いだすとかも普通
唯一友人だと思ってた150cm前半の子からは見下されて安心されてるだけだと思って切った
パシリにされたり面と向かって悪口(身長のことを病気扱いして身体障害者扱い)を言われたりした
※身長低い以外は拒食症以外の病気がない5体満足で身体障害者以上のことは普通に出来る
普通は職場で嫌な人が数人いても味方も何人か出来るけど、それさえもなく全員が結託していじめてくる
通りすがりやお店でも「ちっさwwww」と受付や通りすがりに笑われまくるか、じろじろ見られて顔覗きこまれるとか、いきなり後ろにいた男性二人組に缶ジュースなげられたりとか殴られたりとか絡まれて背比べされたり
(女からは「あんな小さい人初めて見たー」とガン見されるとか150cm前半の女からは「あれよりマシw」とマウンティングか
男からは「あんな気持ちわるい人間いるの?はっきり言って不愉快。殺したい。殺しても罪にならないよな」と憎悪の対象にされる)とか無断で写真撮られることばかり
とにかく大人しく生きたいだけなのに周りが放っておいてくれない
身長に合う顔に整形したくてもベースが老け顔だから意味ないと言われた
この身長で生きてくにはどうしたらいいんだろう
自分より学歴の高く自分より年齢が低い者に説教することに悦びを見出す人たちがいる。彼らにとっての恰好のターゲットは医学生である。彼らは医学生に「良い医者にならなきゃダメだぞ」と説教して学歴コンプレックスの鬱憤を晴らす。
「彼ら」は医学生だけを標的にする。本当はエンジニアや官僚や教員や研究者や薬剤師やアナリストやクォンツを志望する学生にも説教をしたくてたまらないが、できない。それは、「彼ら」はエンジニアや官僚や教員や研究者や薬剤師やアナリストやクォンツが何をやっているか知らないからだ。高学歴者の就く職のなかで彼らが辛うじて理解できるのが医者だけだ。だから医師志望の学生に集中的に説教をする。
外来や臨床で患者と向き合う時間は医者の職務のほんの一部でしかないのだが、「彼ら」はここを攻撃してくる。先日入院したときの医者はとんでもないやつだった、患者の目を見ない、難しい用語で説明する、患者の話を途中で切る、親身さが感じられない、看護婦からも嫌われていた ( 「彼ら」はいまはもう看護師と呼ばれることなど知らないし、まして「パラメディカル」だなんて単語は聞いたこともない。病院にいて医者でない人間はみな「看護婦」なのだ ) だのと、礼儀上の不備をまくしたてる。礼儀に関することは、どんな学識のない人間でも一家言持てることである。「彼ら」の得意領域はここだ。礼儀正しいだけで病気が直るならば医学は要らない。全国の公立中学校の野球部員をかき集めてきて白衣を着せて医者に任ずれば良い。現実がそうでないということはやはり医師にとっての必須の素質はそこではないということだが、「彼ら」は気づかない。
病人はわかりやすい弱者である。だから病人に対する態度は道徳的文脈から非難しやすい。加えて、医者の給料は税金から出ているから、「彼ら」にとって自分も何か言って良いという認識を持ちやすい。
娘に気持ち悪いと言われてキレた父親の件は丸く収まったようでよかった。
ここからは別の話。
この件について考えた時に思ったんだけど、
興味のない人から好意を持たれることが気持ち悪いと考えてもおかしくはない。
イケメンは別なんてことはなく、好意を持つ関係でなければ等しく気持ち悪い。
職場なんかで、ただ話すだけなのに
気持ち悪いから離れてくださいというと角が立つからがまんしてるだけ。
痴漢の言い分として嫌がってなかったからっていうのがあるけど、
あれってそもそも自分が気持ちいい存在だって勘違いしてるところから始まってるよね。
カバン持つふりして手を下に下げたまま満員電車に乗り込んでくる人って何なんだ
尻触る目当てでしょ。
触られても問題ない、自分のこと気持ちいい存在だって勘違いしてるよね。
抽象的で簡単に相手を傷つけることができる便利ワードなのだろうか。
嫌な気持ちにさせられていることが続くと
自然と嫌悪感が「気持ち悪い」という言葉に落とし込まれるのではないか。
嫌なことを言われても
https://note.mu/hoshinomaki/n/nd36642c4a278
しかも、あれが単発の事象ではなさそうであることがはっきりしてきました。
彼は、これまでずっと、女性をそのようにしか扱ってこなかった。
私たちが知ったのは、数えきれないそうした事例のひとつに過ぎないんです。
私はこの話を、ほんとうに我がことのように感じています。
私たちの体つきについて、恥ずかしいことを言われたこと。
女には何をしてもいいんだ、という思い込み。
残酷ですよ。恐怖ですよ。正直言って、傷つきます。傷つくんです。
ただ道を歩いていて、おかしなことは何もしてないのに、通りすがりの男が体つきがどうのこうのって大声でひどい言葉を投げつけてきたときの、気持ち悪さ、落ち込む気分のように。
いつもじっとこちらを見ている男性に、
誰かにつかまれる。無理に迫られていやだと言っても聞いてくれない。
そのときの蹂躙される恐怖を知っている女性が大勢います。多すぎます。
大学のキャンパスで、ほかのいろんな場所で、毎日そういうことが起きている。
男性上司は職場の女性に何を言っても、何をしても構わなかった。
どんなに厳しい壁を乗り越えて成果を示しても、だめだった。
オバマ夫人の演説でこのようなことが述べられているのを読んだ時、
上流社会の人もこのようなことを感じているのかと驚きもあったし、
どこまでいってもこういった扱いをされる可能性はあるのだろうなと思った。
今の20代、30代って年金や社会保障が老後に崩壊しているのが確定している。
まぁ崩壊の定義にもよるけど、今の水準を保てるとは誰も思ってないよね?
なのに年金もらえなくても生活保護で生きるとかさ、俺が就職出来ないのは社会情勢が悪いとか、勤めている会社の給料が安いとか。
何でそんなノンキに生きてるの?
将来の情勢が悪くなるのが確定しているなら、やるべき事は今頑張って稼ぐ事じゃない?
60過ぎて路上生活したいの?警備員で1日数千円貰って四畳半に住みたいの?病気になっても病院に行けずに野垂れ死にしたいの?
今稼がないってそういう事だよ。
なんていうか、危機感足りないんじゃない?
日本が悪い、社会情勢が悪い、未来はお先真っ暗だって言いながら、どこかで自分は大丈夫って思っているよね?
ここは日本だし、水と安全はタダだし、文化的な生活はケンポーが保証してくれてるし、みたいな。
まぁ実家が金持ちの人はそれでも良いよ。遺産が5000万以上有る人な。もちろん、両親が死ぬ前に数千万使っても5000万以上残る人の事だぞ。
または子供が2人以上居て関係良好でも良い。ただし不確定要素が大きいので安心は出来ないが。
実家がショボい人、子供が居ない人は、60歳までに最低5000万、理想は1億以上の資産とメンテ済の持ち家必須だからな。
どう考えても、今から日本の景気が良くなる事は無い。2020年のオリンピック前後から急速に景気がしぼむ。
まずは社会保障の財源が尽きる。
高齢者でも医療費3割負担が当たり前になる。60歳以下は5割負担もありえる。高額医療費制度の上限が跳ね上がる。
弱いやつ、金の無いやつから死んでいく世の中になる。ここまでは既定路線だ。
文化的な最低限度の生活なんてお題目、金がなけりゃ実現不可能だ。ケンポーは神様が作ったこの世の理じゃない。
ぶっちゃけ、今60歳以上の貧乏人はご愁傷様としか言いようがない。
運を天に任せて、まな板の上の鯉として生きてくれ。
まぁ少子高齢化を放置して、社会や未来に投資しなかったツケを払うだけだ。自業自得とも言える。
20代、30代、あるいはもっと若い人は、マジで金を稼ぐ手段を考えた方が良いぞ。
公務員になりたいとか、安定した会社で細く長くとか考えていると死ぬ。
公務員の人件費はどんどん削られる。安定した会社なんて存在しない。
インフラ系なら大丈夫?人口が減る中でインフラなら安定とか頭沸いてるの?インフラを使う人間が激減してる最中だぞ。
若者の人生の中で、今が一番好景気だ。今稼がないと将来はもっと厳しくなる。
今は優秀な人が会社員や公務員に閉じこもっているが、10年後の優秀な若者は稼ぐ事に貪欲だぞ。
その時、今より年老いたお前らが、若者と競争しても絶対に勝てない。
以下に資産の目安を書いておく。
年齢×10万 人間が人間である為の最低ライン。ここを切ったらあらゆる理不尽に振り回される。
年齢×20万 独身なら最低ライン。病気や退職にある程度耐えられる。
年齢×30万 ボーナス有り職の最低ライン。ここを切ってたら無駄遣いしすぎ。
年齢×40万 同年代ではそれなりに優秀。ただし全く安心出来ない。
年齢×100万 優秀。されど油断は出来ない。
年金、共済、財形、株、不動産など、すべての資産を含めて良い。
住宅ローン有りは、ローンを現在の不動産価格と差し引きして適用。
22歳で220万は難しかろうが、30代で1000万も持ってない人は危険ライン。
1000万なんて慎ましく暮らしても5年で溶けるはした金だ。1億有って、ようやく30年くらい普通に暮らせる。
どこらへんを自分の目標にするかは各自考える事だが、数百万ではお前の人生は賄えない。
そして、福祉に頼ろうとすれば10年後に野垂れ死ぬ事になる。メンヘラです、鬱です、診断書が有りますとか、10年後も通じると思うなよ。
生きるためには稼ぐしか無い。死ぬか稼ぐか、好きな方を選べばいいよ。
稼ぎだけが全てじゃない派
ハイハイ、ソーデスネ。
で、お前いくら稼いでるの?「出来るやつ」が言うから金が全てじゃないは説得力を持つ。
節制すれば「優秀」レベルまでいけるなら構わんけどな、お前、人間や独身の最低ラインも満たしてないんじゃね?
今が楽しくなければ意味が無い派
稼げとは書いたが、切り詰めに切り詰めて生きろとは書いてない。
何で切り詰めて楽しみを捨てないと金を稼げないの?
そんで市場経済や資本主義経済が終わる時が来たとしたら、その遥か手前でお前の人生が破綻してるから心配すんな。
農家でも生き残れんぞ。電気ガス水道が止まってインフラも停止、当然ながら輸入している窒素リンカリウムも止まるからな。
お前の人生は市場経済や資本主義と比べれば、ミジンコ以下の素粒子レベルだ。
素粒子如きが世の中の心配するとか、ビッグバンからやり直しておいで。
稼げない、稼ぎ方教えろ派
一番簡単なのは売春だぞ。前か後ろの穴を売ればいいんじゃね?若者なら、穴を売れば間違いなく稼げる。
そんな事したくない?別にいいけど、自分の趣味を通すなら自分の頭で考えろよ。
何が言いたいかわかるか?人に頼るなら何でも言う事聞く覚悟でやれって話だよ。
もう一度言うけどさ。
君ら、水と安全はタダで、文化的な最低限度の生活を生まれながらに保証されてると勘違いしてるでしょ?
明日、メシが食えて寝る所が有るのが当然と思ってるだろ?
まともに税金も収めてないカスがのうのうと生きられるのはな、この国が世界有数の豊かな国だからだよ。
今を楽しみながら将来に備える。人として当たり前の姿勢だろ。
自力でその程度も出来ないのなら、まな板の上の鯉として生きてろよ。
道端で這いつくばって乞うてくるなら、小銭くらい投げてやるよ。
いくら稼いでるの?系へ
元から富裕層でもないし、老人でもないよ。趣味筋トレの中年のおっさんです。
マウンティングしたい訳では無く、危機感持って動いてくれると僕としても都合が良いから書いただけ。
自己正当化に必死で、聞きかじった経済の話してる人が散見されるけど、お前はマクロ経済語るほど上の立場に居る人間なの?
マクロ的に正しくないから社会の仕組みがおかしい的なアクロバット理論かましてるバカが居るけど、お前はマクロ経済語る前に自分の生活の心配しろよw
自分の生活を安定させる事も出来ない小物が、他人や世の中を語ってどうするんだよww自分のケツ拭いてから他人の心配しとけ。
上にも書いたけど、資本主義経済が崩壊するとしても、その遥か手前でお前の生活が全崩壊してるから。
市場経済が崩壊するのは9割以上の庶民の生活が崩壊した後だが、現段階で下位50%に入ってるカスが生き残れると本気で思ってるの?
蓄財と言えば貯金しか思いつかない貧乏人って、1000万も持った事無いんだろうな。
たかが数万~数百万程度しか持った事の無いカスが「そんな事したら世の中に金が回らない」とか言ってるのウケるわ。
そりゃアルティメット金持ちなら口座に億単位で持ってる人も居るけどな。資産10億くらいまでなら口座に億は少数派だ。
最後に。
もうブコメが屁理屈ですらなくなって、貧乏人の僻みばっかりになっちゃったな~。
正論ばかり言うと逃げ道無くなっちゃうっていつも言われるわ~。
まぁ顔合わせて話してる訳でも無いし、別にいいよね。
最後にもう一度だけ言う。若者は金を稼ぐしか生き残る道は無いぞ。
今の若い世代の人には到底信じられないことだろうが、バブル期には海外旅行をしながらボロ儲けをしていた女がかなり多数いた。
当時は派遣だとか事務職だとかでもかなりの月収だったので、余裕で有給をとって海外旅行へ行き、そこでブランドショップで人気のバッグなんかを買いまくって免税店で帰国して持ち帰り、それを国内で転売してボロ儲けということをしていた女がかなり多数いた。
中にはそうして世界中をボロ儲けのために旅行しまくった女がバブルな旅行記を書いてベストセラーになっていたりもする。
しかしそれは時代があったし、それで儲けられるならまあそれでよいと思えるのだが、許せないのは当時そうして海外に行きまくっていた女が40代後半~50代を迎えるにあたり、急に保守的なことを言い出すようになるということだ。
わざわざ着物の着付けを習って「やはり日本人女性は云々・・・」「女性らしいたしなみが云々・・・」とさも自分は若いときから礼節を守って生きてきた人間であるかのごとくふるまっている。
若い頃さんざんやんちゃをして、それで結局保守的思想に行き着いたというならまだいい。
問題なのはそうした今更な古い価値観の押し付けを今の20代とかに偉そうにウエメセで説教してくることだ。
てめえは若い頃さんざん良い目を見てきたんだろうに、今の若いのがときどき羽目外すのは許してやれよと思うのだが、そもそも自分が若い時期から他の女にマウンティングするために海外旅行やブランドショップめぐりをしてきたような素養のやつなのだから、今の若い女性に対してもマウンティングを仕掛けてきてもおかしくないということなのだろうか。
それにしても納得がいかない。
ジャニヲタになってから、もうすぐ10年が経つ。最初は茶の間で、当時好きだったグループがテレビの中で笑っていてくれればそれでよかった。それが大学進学と共に東京に出てきて、現場に行きやすくなったことで私は様々なグループの現場に足を運ぶようになる。恐ろしい勢いで現場厨への階段を駆け上ったのだ。その中で、私は多ステというものを覚えた。多ステとは、1つのコンサートや舞台に複数回入ることを言う。今回はそんな私がノリと勢いだけでとあるグループのツアーをほぼ全ステした時の話をするのだが、せっかく匿名にしたので包み隠さず全部話そうと思う。私はこのツアーに25公演中の20公演参加し、地方も含めて約10会場回った。気分は共にツアーを回るバックJr.だ。そのくらいの達成感はあるし、その分時間もお金もかかる。ではこれから、この経験を通してわたし自身が考えたことを、つらつらと書き記していこうと思う。
単刀直入に言うと、私は定価主義ではない。こうしている今現在もチケット流通センターやチケットキャンプ、メルカリにヤフオクなど様々な媒体でチケットの高額売買が行われているが、私はそこでチケットを買うタイプのヲタクだ。もちろん定価でチケットが手に入るに越したことはない。誰だって出す必要のないお金は出したくないはずだ。
しかし、最近そうも言ってはいられないのが現状としてある。所謂"相場"の高い公演(ここでの相場とは、倍率が高かったり人気の高いタレント、バックJr.が出演する公演のことを言う)では、定価でその公演に入ることはほぼ絶望的だ。天下の嵐さんのチケットなんかだと、アリーナが25万円で取引されていたりする。そしてヲタクはそういったチケットの値段を、単位を省いて"25"というような言い方をするのだが、これによってさらに高額売買をしているという意識が薄れてしまう。"3"と言われると、"3万円"と言われた時よりも罪悪感が薄れてしまうような気がする。
そして、例えチケットが手に入る状況になったとしても今度は欲が出る。彼をもっと近くで見たい、あわよくば気づいてもらいたい。以前どこかで聞いたことのある言葉を借りるとすれば、見たいという欲求より、見られたいという欲求の方が強くなってしまうのだ。
このことから私は今回のツアーにおいて、チケット代だけで約30万使った。普通の人が見たら目玉が飛び出る金額なのかもしれないし、私の様に普段からチケットの売買をしている人たちからすればなんてことのない金額なのかもしれない。「お金を落とすこと」が愛になるとは言わないが、少なくともCDや雑誌を購入したりコンサートに行ったりすれば、彼の事務所内での立場は良くなる。ただし高額売買というのはこの限りではない。私が必死でバイトして稼いだお金は、どこの誰かも分からない人のお財布に入ってその人の生活を支えることになる。御門違いも甚だしいことは分かっているのだが、それでも買ってしまう、最早麻薬にも似たところがあると私は考える。
2時間半の幸福(かもしれない)な時間を数万円で他人から買うのだ。
少し前に「ファーストクラス」というドラマが話題になった。仕事やお金や持ち物、男などの様々な観点から主観で勝手に順位をつけることで会社での地位や立場を築いて、ファッション誌編集部という女社会でいかにうまく生き抜いていくか。そんなドラマである。ジャニヲタ同士もこれに近いものがあるのでは、と私は思う。どれだけ多く、より良い席でコンサートに入ったか。見た目に気を遣っているか否か。比較観点は様々だが、私は前者の「どれだけ多く、良い席で入ったか」に囚われてしまった。さらに言うと、この文章には"同担より"というワードが追加される。
自分の身の回りにいる同担よりも、より良い席に沢山入りたい。他の同担よりも自分に構って欲しい。女の汚い嫉妬だと言われてしまえばそれまでなのだが、当時私はとてつもなく真剣だった。それ故に、高いお金を出して入った席で同担と隣になってしまえば、この世の終わりかの様に落胆する。それが規定外うちわを所持した茶髪ゆる巻き花柄ワンピの女であったならばダブルパンチだ。
実際に私は一度この状況に直面したことがあった。頑張って生活を切り詰めてなんとか買ったチケット。物凄く楽しみにしつつ席に向かうと隣には、キラキラグリッターのどデカイ規定外うちわを掲げた所謂量産型ヲタク。それまでのウキウキしたテンションは、一気に地の底へと落ちる。
「終わった………………」
もうその公演で構ってもらうことは無理なんじゃないか、この人の隣にいる自分がこの人より先に目につくはずがない。そう思って、頭に回るのはチケットの金額だった。冷静に考えれば馬鹿馬鹿しいのだが、躊躇せずに買うくせに公演に入っている時にはどうしても「その値段に見合う価値」を求めてしまう。その価値とは所謂「ファンサ」のことで、せっかく目線の来る席を抑えたんだからこちらを見て欲しい、あわよくばファンサが欲しい。そういったエグい感情が自担が近くにいる時は常に金額と共に頭をぐるぐる回っている。食べ放題のバイキングで元をとらなくちゃ!と焦る感情と似たものがあると私は思う。それでファンサをもらえれば浮かれポンチでその後のことはよく覚えていないし、もらえなければどこか沈んだ気持ちでコンサートを終える。毎回ファンサをもらえる保証なんてないし、なんならもらえない確率の方が高かったりもする。楽しみに行くはずなのに、本末転倒だ。若手グループで、まだまだ狭いキャパでやっている間は仕方のないことだとは思うが、コンサートがファンサありきになってしまうのはとても悲しい。
これ。ほんとにこれ。多ステすると、感じなくてもいいことを感じてしまったりする。例えば「このセトリどうなん?」とか「このゲームどうなん?」とか。2、3回だったら普通に楽しんで終われたんだろうなってところにも目をつけてしまった。
あと単純に飽きる。ただこれに関してはもう仕方ないことだと思って、ある程度は覚悟した上で公演に入っていた。あくまで個人的な意見なのでもちろん全ステしたって飽きない人もいるだろう。しかし私には全ステは向かないんだな、と思った。というのも、6公演目を過ぎたあたりから自担の出ている曲以外はメモの整理時間or休憩時間になっていたのだ。ペンライトは腕にぶら下げてライトも消灯…いやチケ代勿体無いにも程があるだろ。自担が出ている曲以外もせめてペンライトを振っていられるくらいの回数で止めるべきだな、と確信した出来事であった。
ここまで私が多ステをして感じたことをまとめてきた。結論から言うと、私はもう全ステを目指すことはない。腹八分目がちょうどいいとはよく言ったもので、コンサートにしろ舞台にしろ、"ちょっと物足りないな"くらいで終わらせるのが1番気持ちがいいし、思う存分ロスに浸ることが出来る。最終的に交通費なども合わせるとツアーを回るために私は3ヶ月で50万使ったわけだけれど、ここまでやってようやくそのことに気づいたのは本当に馬鹿だったなとは思う。ただ逆に言えばここで気付けてよかったな、とも思っているのだ。
実際今回コンサート中に、高いお金を払って入ったコンサートで真顔でメモを取って野鳥の会をしている自分を客観的にみてしまって虚無感に襲われ、自担がステージで笑顔を振りまいている中で泣いたことがあった。自担のことを見るのは楽しいことのはずなんだから、今後は笑顔で楽しめるヲタクになりたい。馬鹿みたいに高いチケット代金を赤の他人に支払うために必死で働いて、稼いだお金をそのままATMにつぎ込む選択をしてしまう自分の心に待ったをかけられるような大人になりたい。
今現在の話をすると、私は未だにnot定価主義はやめられずにいる。入りたい公演があれば買ってしまうし、それによって家計は火の車だ。人間ってそうすぐには変われない。ただ、第一歩として見栄や意地でチケットを買うことはやめてみた。それだけでも私にとっては大きな第一歩なのだ。今後、私自身どこまで自制することが出来るのかは正直わからないが、あの虚無感をもう一度味わうことがないように祈るばかりである。