はてなキーワード: マウンティングとは
この手の手合いに反論していっても余計な知識をつけてより達の悪い嘘つきが出来上がるだけ
なぜならこいつらが自分より上の人間と接触する方法って感情くらいしかない
だから怒りをトレード材料にしてマウンティングさせることで知識をこぼれさせようとする
見え見えなんだよなあ、残念ながら
本当に実体験からしか得られない情報を、悪用するつもりなのにタダでやる訳がない
怒らせて情報を引き出すっていうのはリアルをお互い知らない同士だからこそ使える手だけど
これでコミュニケーションが上手くなれるわけもなく、
でも欲しい情報はある程度手に入るから煽り方だけはどんどん上手くなっていく
自尊心もいっしょにぐんぐん上がる
それで最終的に動くゴミ袋が出来上がる
物語とは人が様々な場面で決断し行動する模様を描写したものである。
はてさて、物語における主人公はなぜ苦痛を受けなければならないか。
のび太はテストで点が取れないし、ジャイアンにマウンティングされてるし、しずちゃんに良いところ見せられないし。
アンパンマンでさえ自分の顔を削って人助けをしなければならない。
ハワイの浜辺で熟睡しているジジイを描写したところでそれは物語にならない。
な ぜ か
それは日常におけるストレスや困難の縮図をそこに見出しているからである。
そしてその苦痛を乗り越える姿に明日を生きる希望を見出しているのだ。
ジャムおじさんにパンを焼かせてしょくぱんまんに配達させればいい。
あれだろ、こういうこと言うと「本人乙www」とか返したり、「童貞でもないし仕事してるしなぁ…」ってレスには「無理すんなよ顔真っ赤になってんぞ童貞www明日はハロワいけよwww」とか返すんだろ。いや返してないようだけど。
クソくだらない。
反証不可能な決め付けでマウンティングして、相手の言い分を無視して大声で罵倒・嘲笑してマウンティングするスタイル、かつての2ちゃん(今は知らない)とかその手の匿名・偽名投稿出来るタイプの場所で散々見てきたけど、未だに無くならないし、有効な対処法って結局「無視しましょう」しかねーんだろ。つまらねーなー。
Facebookはリアルな友人関係が少しで、Twitterのオフ会で仲良くなった人らがメインなんだけど、
TwitterでもたまにウヨいRTがきてうわぁってなるけど、左よりなのは少ない感触がある。
特にFacebookだと、友達のみ公開にしてウヨい発言してる人がいるけど、ネットだと本音を言いやすいんだろか。
大企業に務めてる人とか社長(といっても、当然中小零細企業だが)とメンヘラ。
まあ彼らは社会的強者だから、体制側になるのはある意味必然なんだけど、
そんだけ見下してるなら、中韓なんて、相手にしなきゃいいじゃんと思うんだけど。
困るのが、取引先の社長と二人で車でどっか行くときに、ひたすらいかに中韓がダメかという話をされること。
別の会社で2度ほどあった。取引先だし、面倒臭いから適当に話を合わせるんだけど、
車の中でひたすらウヨい話を聞かされるのは、地味に拷問だった。
ネットde真実(もはや古語)な話をひたすらされてみろよ。キッツいぜ?(笑いをこらえるという意味でも)
自分より社会的弱者のはずの「在日」が、「特権」を得ているのが不愉快で叩きたいんだろうか。
ただ、ガチサヨが何故かいない。どっちかというと、自分は左寄りなのに、不思議だ。
トランプ勝利で、ポリコレ棒を回避した隠れトランプ派が云々といわれたが、
自分の観測範囲では、隠れてなくて、ネトウヨはわりといる。が、左翼はいない。
ノンポリ層の方が多いってだけなんだろか。
だから自分は「日本死ね」がここまで反響があったのは現状の日本の「異性愛者」がDINKsを意識的に選ばないなら誰でも遭遇する可能性のある問題だからだと思うんだよね。
誰でもじゃないよ。
異性愛者でも選択非婚者もいれば不妊もいるし、子供がいても保育園に入れる予定がない人もいるし、
待機児童何ソレな地方民もいるし、子供はとっくに小学生以上で今更関係ない人もいる。
「DINKS以外の異性愛者は誰もが遭遇する」と思い込んでいる時点で増田も狭い世界しか見ていないと思う。
実際は「待機児童が多い都会の若い子持ち共働き夫婦(or将来的にそうなる可能性がある人)」と言う、全体からしたら物凄く限られた人しか遭遇しない問題でしかないし
「結婚も出産も出来た自分」「専業=無職ではなく働いている自分/そういう女と結婚出来た自分」「都会に住んでる、田舎者とは違う自分」「年寄りではない、若い自分」という。
日本氏ねと言ってる彼らに対するどことなーく冷たい目線が絶えないのは、
彼らは日本国民全体と比較したら割と恵まれた立場であることに気付かず「自分は誰よりも大変で苦労してる!」と主張するからじゃないかな。
ヘアサロンぐらいはたぶん全員。
洗顔は日に何回かまでは知らない。
服にアイロンはかけてるか?
かけてるねえ
顔の毛の処理はしてるか?
歯磨いてるか?歯石取りに定期的に行ってるか?
歯が汚い奴は居ないな
普通だと思う
話し方はハキハキしてるか?
ふつーだと思う
逆に言うとテストステロン過多系の人みたいに
てゆーかもううんざりなんだけど
なんでちょっとオタク系のがいるって言っただけでなんか不潔なあれだと決め付けて
鼻の穴膨らませてマウンティングしてくるのかね
オタク系で不潔な奴なんて見たことがないんだけどコミケとかそういうとこ行けば特級のが居るの?
でもそっちの方が珍しいんじゃないの 全国から集まった中で強烈な人が目立つんでしょ
髪ぐらい月1で切ってるよ
2ヶ月ほっといたらうっとおしいじゃん
そんでこれでもまたなんか因縁付けるだけで
足きりラインについては認めないのだろうけど
それでも少しでも働いて生きようとしていることは大変に素晴らしいことではないか。
学歴や仕事や収入で他人を罵りマウンティングしたがるような人よりはるかに素晴らしい。
…もちろん、人として素晴らしいだけじゃ生きづらいのだけどね…。
独女は常日頃「ほら、だから独身なんだ」というレッテルを、他人からも自分からも貼られてるのです。
最初に「私はかわいそうなんです」という立場を取ると、相手はそれ以上攻撃したりマウンティングしたりしてこないので、
不意打ちを受けて傷つくことを防げます。
多くの友人が結婚/出産報告をしている中で「婚活が辛い」「仕事が辛い」という内容をアップする気にはなれないです。
自分がみじめになるだけなので。
第一、結婚って、色々な出会いとご縁のパターンがあって、その方法に正解はなく、
毎週のように婚活デートすることで成婚に至ることもあるでしょう。
でも友人はそれが上手く行かなかったんですね。私と同じなら、心身消耗して回復に時間をかけているのかも。
ただ私は、毎週末婚活に費やしている人よりも、自分で趣味を持ってて同性の友人がいる男性の方が安心できます。
もし男性にもそういう価値観の人がいて、(女子会する)友人の結婚式や趣味を通じて出会えたら、
「週末婚活しないで女子会や趣味に時間費やしてるよ」って言ってきた既婚の友達とはもう会いたくないなと思いますね。
でもあなたはモヤモヤしているだけで本人達に言ってないようだから、自虐自衛は効果があるのでしょう。
だから、旦那の友人を紹介するとか、そういう具体的な行動がないなら、
もう放っておいてください。
昨日の恋愛面倒やねん特集にて「いや人としてちゃんと恋愛しろよ」という、
恋愛至上主義オッサンオバハンの多さにもうウンザリウンザリウンザリガニである。
恋愛している若者ですら「恋愛は必須なものではない」という意識はあるというのに、ホントなんなんだこのギャップは。
(まあ、だからこそ、逆説的にマイノリティな非モテのオッサンオバハンは生きづらいのだろうけど)
やっぱあれだよ、恋愛至上主義おっさんおばはんは恋愛を自分が若者だった時の感覚で
「改革」「反抑圧」「反体制」と思ってんだから困るんだよ。こまっちゃうナ☆(リンダ風に
長年恋愛文化とはロミジュリカンイチオミヤのごとく大迷惑な抑圧からの救いたり得るものな筈だったのだが、
今となってはもはや逆に抑圧する側となっているのだよ!(な、なんだってー!?
恋愛はむしろ保守主義側となってしまったんだよ!(ななななんだってー!?
もういい加減あなたたちの恋愛しろ恋愛しろコールにこちとら辟易なんです。いい加減にしてほしいです。
はっきり言って恋愛とは、キラキラしたものなので気づきづらいけど、その内実は非常に体育会系マッチョイズムしばきあげ主義と親和性が高いんです。
(いや、外面がキラキラするほど内実はドロドロする、と言うべきか)
肉体的な意味ではなく、精神的な意味、コミュ能力的な意味で体育会系。
普段マッチョイズム的なものを忌み嫌っている人でも、こと「恋愛」となると言うことはマッチョイズム的になってきやがります。
ひたすら努力努力努力。諦めようとすると「ちゃんとやること全部やったのか」とかアリバイとして無限の努力を要求してきます。
(あるいは「人間的未成熟」から来るマウンティングをかましてくる)
それこそ上記のように「反抑圧」なら恋愛をやろうって気になろうってもんなんですが、
「抑圧」側となってしまった恋愛をやろうとは思えんのです。思えんのだよ!分かるかこのニュータイプの出来損ないめ!?
見ても読んでもいない奴の雑多な愚痴と自分語りなので
お好きな方と良識的な方はそっ閉じしてください。
縄と蟹の次に出たあれの周りの話をする。戦車でもなく。
まず原作者の話をする。それから反応と原爆の話。
一応こうの史代は読んだんだよ。「夕凪の町 桜の国」って本だけ。
良いには良いんだろうけど、あれ言うほどすごいか?
俺マンガ全然読まない人生だったから正直わからん。
あれなんで登場人物を上から写すコマが多いの?
「町の中で生きている一個人」であることを強調するため?
だとしてもあれほど多用されるとかえって作品世界に入りづらかった。
一度同一化させた上で俯瞰を使うと逆に受け手が引き込まれる、というのは分かる。
でも同一化できないまま俯瞰連打だと本当に他人事にしか見えない。
「桜の国」の回想で字や細く薄くなる部分も、
回想であることを視覚的に表現しているんだとしても
描写の細かさが普段のコマと変わらないから単に見づらくしただけに見える。
トイカメラとトイカメラ風加工アプリの違いっていうのかな。
それぐらい回想が鮮明な記憶だったから?だとしてもギャップは付けないと伝わらなくない?
すごいがんばって勉強して書いたんだなあとは思うけど
マンガとしてあれがめちゃくちゃすごいとは思えなかった。
もっと手塚治虫とか読めばすごさが分かるのかな。
別のコマで伏線がどうとか時代考証がどうとか言われてもだからどうしたとしか思えない。
何が描かれてるかじゃなくて、どう描かれているかの話が俺には大事だ。
つか、同時に借りた高野文子「絶対安全剃刀」の方がすごかった。
バカな俺でもすごさが分かった。観音様のやつヤバい。なにあの出だし。
おばあちゃん閉じこめたシーンとかも実に恐ろしかった。
こういうこと書くと高野文子ファンに迷惑だろうけど。
んで、こういうこと書くと
「感性の違いなのかな^^;」
「歳を取ったらわかってくることもありますよ(笑)」
みたいなマウンティングゴリラズが出てくるわけじゃないですか。
そりゃあ信者死ねになるでしょう。
説明する気もなく「わかってる俺たちすごいな!」「流石だな兄者!」の内輪ネタの踏み台にするだけなんですから。
この構図を作られると作者が一番不憫でしょう。
でだ。
こないだクラウドファイティングがどうとかいう記事あがってたわけだ。
公開前の「宣伝が少ないのは情報操作だ!!!」もバカじゃねえのと思ってたけど。
「まるで理解できない感性。」
「増田はもう見なくてもいい。その分俺がいくから。」
「繊細チンピラって無敵だよね」
「現実感がテーマでもある作品で現実感を否定するって何見てたのよ」
「自分もエンドロールに載せてほしかったのかな」
こういう「すばらしい作品は骨の髄まで全肯定して崇め奉れ」とわめくボケナスどもは
作品それ自体に対しても有害だって気づかないもんかね?
そもそもクラウドファンディングなんて内輪ネタの延長線上だから気持ち悪いに決まってんだよ。
誰がどんな作品でそれをやろうと乗っかれなければ「くっさ」としか思えない。
それでも名作だったら、つまり運良く内輪に入れた人たちなら、それはとても気持ちいいだろう。
上にあげたクソボケブコメ群は「内輪ネタへの抵抗感」自体を全否定している。
この作品が良いと思った人は出資者や出資者への感謝を込めたスタッフロールの内輪ネタまでかみしめなければならない、
というファシズムじみた押しつけが発生している。
「映画は名作だった、でもクラウドファウンディングのノリにはついていけなかった」
こういう感想があっても良いだろ。
というか、そうでなきゃ作品それ自体を評価できたことにならないだろうが!
つーかこのクラウドファンディングで作るって手法、
作品と制作者をきちんと切り分けて読解するのには向いてないと思うんだよ。
作る前から情をかきあつめたり、作品の外側でストーリーを作ったり。
監督の渡航費だってファンディスクというかボーナスステージみたいなもんじゃね?
本来作れなかった作品がこうして生まれるのは良いことだけど、
作品それ自体がきちんと読解しにくくなるっていうのは善し悪しなんじゃないかな。
まぁネタが原爆だったり元プリンスさんみたいなことになってる人だったりで
最初から作品の外側にストーリーを盛る気マンマンだった恐れもあるけど。ねえか。ないと信じたい。
そういえば、原爆関連の小説を書いた林京子に関して中上健次が「原爆ファシズム」という言葉を出していた。
あれはどうも中上と林が同人関係だかで知り合いだったからこそ言えた話らしくて
身内でのゆるいツッコミだったらしいけど。
今回のアレもそのパターンに見えて仕方がないんだよ。
悪いけど俺ボンクラでこうの史代の良さがわからないから。
ここで一段落自分語りを挟むから流してくれ。
関東住みだけど原爆祈念館には数年前行ってきたんだ。
思ったのは、恐怖の力で反戦を訴えても別の恐怖に上書きされるだけだってこと。
なんでわざわざ部屋暗くしてお化け屋敷みたいなライトアップする必要あるの?
正しいことを伝えるためなら手段は選ばなくてもいいってことか?違うだろ。
沖縄のひめゆり?防空壕の語り部も同じ理由で反吐が出る。
大事なものこそ恐怖を使って教えるなよ。地道な理屈を通すべきなんだ。
もちろん「夕凪〜」はそうではなかったし、きっと「この世界〜」もそうなのだろう。
そういうスタンスは応援したい。原作者も監督も主演女優も。
でもそれを受け取る側が「正しいことを正しく言っているからすごい」だと
結局原爆ファシズム作ったのと同じ消費形態になっちゃうんじゃねえの?
何にしてもそうだけど「感動リテラシー」ってやつを身につけなきゃダメなんだよ。
強く感情を動かす何かが本当はどうであるかを見極める能力、っていうのかな。
ゲーセン少女のSS覚えてるか?
ああいうものをネタとして楽しみつつ深入りしない距離感、
あるいはああいうものに蹴りを入れてもかまわない、
とにかく内容や思想と技術を切り分けて考えるリテラシーが一番必要なんだ。
というわけで、誰かマンガとして、映画として評価してくれ。
いい感じの解説あったらよろしく。ネタバレはむしろ大歓迎です。
しかしまあ、作品を作るって大変だよね。
こうやって見てもいない奴にウンコぶつけられたりするんだから。
そこはごめんなさい。