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はてなキーワード: デザイナーとは

2015-09-03

http://anond.hatelabo.jp/20150903204858

つーかさ、ロゴなんて要らねーじゃん。

あんものがある時点でデザイナー()とやらの利権だわ。

佐野国民を目覚めさせた点において優秀だな。デザイン価値はない。

とある佐野の一生

佐野源次郎は世の中が大嫌いだった。

この世の中のありとあらゆるものを憎んでいた。

それは小学校の頃に図工で描いたオリジナルの絵を、クラスのみんなに「パクリや!」と言われ、

いじめられた事も原因のひとつであろう。

佐野は世の中に復讐をしようと思っていた。

僕を鼻で笑う女子ども、僕に蹴りを入れてくる男子ども、

将来大きな事を成し遂げて、復讐しようと思っていた。

しか佐野は小柄な体格で成績も並程度で、これといって特別な才能が無かった。

高校になってお笑いを目指してみた時期もあったが、その才能がないことに気付いた。

そんなある日の美術の授業中、ふとデザイン雑誌ロゴを真似して描き、提出してみた。

すると美術教師がそれを見て言った。

佐野、このデザインいいよ。お前はデザインの才能があるんじゃないか!」

そのひとことが、彼の人生を決定づけた。

佐野大学受験もほったらかして、来る日も来る日もデザイン雑誌に載っているデザイン切り貼りを繰り返した。

当時はパソコンを持っていなかった為、雑誌バックナンバーも大量に取り寄せ、切り貼りをした。

「これだ、俺はこれを究めて日本一になって、馬鹿どもを見返してやる!」

佐野一浪の末、T美術大学へと進学した。

「俺にはゼロから作る才能はない。だが切り貼りをする能力だけは世界一を目指す!」

大学時代も決してゼロからものづくりをすることをせず、常にパクリ続けた。

PCもいち早く導入し、インターネットから効率よく画像を取ってくる術を磨いた。

佐野デザインゼロから作ることをハナから放棄していた為、一般的デザイナーしからぬ性格になっていた。

まり、深く物事を突き詰める職人性格ではなく、あっけらかんとして、自分デザインの変更も厭わないし、こだわりがなかった。

それが功を奏したのか、はたまた兄のコネなのか、佐野大手広告代理店にあっさりと就職が決まることとなる。


「俺はゼロから作らない。考えない! そのぶん、営業とパクリを究めるんだ」

佐野の快進撃はすごかった。何せデザインを考える時間はほぼゼロなので、ライバルよりも圧倒的に社内政治に力を注げるのだ。

佐野は先輩に気に入られ、業界内であっという間に有名になっていった。

たか順風満帆に見える佐野人生だったが、佐野過去復讐を忘れていなかった。

「世の中の全てに復讐してやる」

その気持ちは忘れていなかった。

数年後、ついにそのチャンスが来た。

東京オリンピックロゴ選考委員長に、自分コネのある人物が選ばれたのだ。

佐野はその選考委員長にお願いし、自分の知り合い複数人選考委員メンバーに入れて貰った。

もちろん、多額の報酬と引き換えに。

選考は建前上製作者の名前が伏せられるため、予め佐野は「俺の作品は棒と▲ふたつのTだから!」と伝えておいた。

鷹崎「佐野くん、任せておけ。僕はきみに入れるからな!」

長島「うちも佐野さんに入れるけん、任しときー!」

そして佐野作品は見事、五輪ロゴに選ばれた。

自分で作る能力がないため、今回もパクリで提出をせざるを得なかった。

だが、それが佐野の本当の狙いであった。

・・・それから5年後。

ついに東京オリンピックが開幕間近となった。東京お祭りムードである

そんな中、ひとりの男がインターネットに物凄い告白をした。

エンブレムは、パクって作りました

世間はどよめいた。「まさか!」と皆が信じられなかった。

ロゴの展開例も、パクリです。僕が作った昔の作品も、全て、すーべてパクリです!」

男はインターネットにすべてのパクリ元を載せ、自らの罪を告白した。

パクられた海外アーティストたちは激怒し、すぐに訴訟を起こした。

エンブレムを使用していた企業団体は大混乱に陥り、とんでもない事態となった。

国立競技場も何故か無理矢理エンブレムの形で作っており、もはやすべてが手遅れだった。

日本ものすごい損害賠償を支払うことになり、世界中の信頼を失い、五輪歴史的に類を見ないお葬式ムードとなった。

罪を告白した男は、すでに海外にとんでおり、そのまま行方がわからなくなった・・・

かくして男の復讐成功したのである


後日談

ヨーロッパの山奥に、あるアジア系世捨て人が住んでいるという。

仙人のようなその男はたまに市場に姿を現し、フランスパンだけを買って行くらしい。

偶然市場に来ていた日本人旅行者女性が、彼に話しかけた。

「あの、日本人ですよね?」

・・・

「ずっとこの辺に住んでいるんですか?」

・・・

「誰かに似てますよね? 言われません? ・・・誰に似てるんだろう」

男は少し考え、ひとことポツリと言った。

・・・まったく似てないよ」

それから男は山奥に戻っていったという。


デザインが死んだ日

ある夏、"デザイン"が死んだ。


きっかけは、とあるデザインがコンペに選ばれ、そしてそれと見た目が似ているデザインが見つかってしまったこと。

主観における"類似"という小さな火種だった。

そしてそのまま不幸にも、そのデザイナーが関わった過去作品に盗用が見つかってしまう。

どれだけ小さな火種でも、燃え広がるには十分すぎる油。

盗用と類似は絡まりあって、「パクリ」という言葉でひとまとまりにされてしまうようになった。

「あのデザインも、このデザインも似ている!パクリだ!」

とあるデザイン」が選ばれる過程への指摘も始まった。

デザイン業界は腐っていると。

デザイン業界は信用ならない。みんなでデザインを選ぶべきだ!」

そして、みんなが自分デザインし始める。

私たちでも作れるのに、どうしてデザインお金をかけるの?」


"デザイン"は悲鳴をあげ始めた。


その時、デザイナー危機を感じ始めた。

「このままでは"デザイン"が死んでしまう」

デザイナーたちはできる限りのことを伝えようとした。

"デザイン"のこと、業界のこと、知ってることはほとんど話した。

とあるデザイン」を肯定するかどうかではなく、そのデザイナー特別擁護するわけではなく、"デザイン"を守るために。

でもそれすらも油に変えられ、どこまでも燃え広がっていった。


とあるデザイン」は、殺されてしまった。

デザイナー自分の命を守るために、自分の作ったデザイン犠牲にするしかなかった。



コンペはやり直し。

応募基準は緩和され、だれでもデザインを応募できるようになった。

厳しい選考をくぐり抜け、たくさんの人の目に触れるという名誉と引き換えに、賞金は無しとなった。

選考過程に少しでも透明性をと、応募されたものの中から審査員が選んだ10個を、国民投票で1つ選ぶことになった。


しかし多くのデザイナーは、目に見えない制約やリスクによって、デザインをつくることが出来ない。

例えば、シンプルデザインを出せばどこかで類似しているかもしれない。

自分では見つけられなかった類似するデザインも、みんながどこかから見つけてくる。

そうなったときには、過去作品も全て遡られ、デザイナー個人が攻撃対象となるだろう。

選ばれることはデザイナーにとって、名誉というよりも炎上リスクとなっていた。


デザイナーでない人は、選ばれたらラッキーというような感覚で応募する。

"デザイン"の敷居は良くも悪くも下がっていく。


2年後、選ばれたのは著名なデザイナー10人のデザインであった。

もちろん今回は類似するデザインなどない。

複雑かつ新鮮で、一目でオリジナルとわかるようなデザインたちだ。

その上、2年かけて類似するものがないかを世界中調べてまわった。

みんな納得して、嬉々とその10個の中から1つを選んだ。

大成功だ。

みんなのデザインが決まった。



デザイナー仕事は変わった。

デザインを提出する度に、クライアントからデザインに類似がないかを聞かれる。

出来る限り類似しないように、複雑なデザインを提出すると、

シンプルでカッコいいデザインがいいんだよね、あ、もちろん(他と)被らないやつね」と言われる。

デザイナーは、7割以上の時間を自らのデザイン検証に費やすようになった。

「なにを伝えるか、どう伝えるか」ではなく、「いかに被らないか」というように。


人々のデザインを見る目も変わった。

なにかのデザインが新しく変わると、まずそれの類似を探すようになった。

ひとたび類似するものを見つけると、新しいデザインを総叩きにする。

そして、非公式のまた新たなデザインを考える流れが起こり、

ついにはその非公式デザイン公式採用する企業が現れた。


デザイナー仕事は終わった。

非公式デザイン公式採用されるようになると、多くの企業デザインお金をかけなくなった。

ロゴなどは一般人から格安公募して、それを採用すればいい。

名刺封筒も、わざわざデザイナーに頼まなくてもロゴWordPowerPointに貼り付けたら完成だ。

デザインお金をかけるなんてバカバカしい」


世の中には派手で複雑な独創性溢れるロゴと、ワードアートで作られた文字が並ぶようになり、

そしてそれこそが"デザイン"だと考えられるようになった。

そのデザインがどうしてそうなったか、なんてことは関係ない。

ただ見た目の被らないデザインを突き詰めていけばそれが一番楽だったという話だ。



そこではもう、独創性こそがデザインと呼ばれていた。


"デザイン"は死んだのだ。

佐野氏の駄サイクルはプロから見てもそうなんだ

クローズアップ現代で、プロデザイナーコメントとってたけどやっぱ身内で賞をまわしあってるみたいなこと言ってたわ。

ネット民の僻みじゃなかったんだな。

サノケン騒動について、第五の権力について

統括するにはまだ早いと思うのだけど覚書。

業界関係者でも、デザイナーでもないです。念のため)



【1】一連の騒動について

【2】デザイン的に見てどう思うか

【3】佐野氏に同情できるか



【1】一連の騒動について

サノケンエンブレム取り下げまでの一連の事件を振り返ってグーグル会長が書いたエリック・シュミット『第五の権力』を思い出したので書いておく。

まず第五の権力とは何か。

行政司法立法の3つの権力に対して今まで報道第四の権力となぞらえていた。それを本書でエリックは第五の権力のことを、全世界の人がオンラインでつながったことで手にする力と言っていて、つまりインターネットをもった我々のことで、有体にいえば『炎上』のことである

で、サノケン炎上だけど、これまでの炎上と明確に一つ違う点があることを留意しておきたいと思う。

それは今回の炎上海外に飛び火したことだ。

海外デザイナーフォトグラファーらとニュースを通じてオンライン上で繋がり、情報が次々と提供され、外堀を着々と埋められてしまって国はもう言い逃れできなくなってしまった。

恥の文化がある日本人にとって、海外リアクションはすごく耳が痛かっただろうなと思う。

サノケン炎上で我々は世界と繋がったのである


で第五の権力、つまり炎上』についてまだまだ日本過小評価されているような気がする。

佐々木俊尚氏に限っては、いまだにネット民の自制が必要みたいなナイーブな話をしているし、茂木健一郎氏は、権威者層に対する下位層による妬み、対立みたいな話になっている。

いやいや、デザイナー広告業界からタレコミが多かったと思うけどな。政府関係者の中にもサノケンエンブレムが気に入らなかった人は大勢いたんじゃないかなと思うし。

ていうか、妬みの力だけで国は動かないし、動かせるわけがない。もし妬みで国を変えられるのなら、Gakut何人必要なんだよって話だよね。

トートバックの事案、過去デザインの掘り出し、原案意匠の発表と、無視できない事案が重なってエンブレムが取り下げになった。

それに寄与したのが業界関係者言葉と、海外の反応である

しかしたらデザイン業界ではコピペ(盗用)・改変(剽窃)は、慣例的に、普通に行われていたのかもしれない。

でも、もうそれは許されることではなくなった。

どうでもいいけど、茂木氏がクオリア死語)的にデザインが受け付けないと語った時にはこれはギャグなのかなと思った。

(あと茂木健一郎佐野研二郎って名前ちょっと似てるよね)




【2】デザイン的に見て

素人目に佐野エンブレムデザイン的に悪いところを個人的に挙げておく。

1:デザインが堅苦しい。

他のオリンピックエンブレムと比べて、

スポーツの躍動感がない。

祭典のイメージがない等


2:パラリンピックの白黒反転ロゴが、『T』に見えず、『U』に見えること

佐野的にはパラリンピックは『=』(イコール平等)をイメージしたらしいがパラリンピック関係者は、それを

聞いてどう思っただろうね?

まだ『U』でUNITE(結合)とした方が良かったのではないか。せっかく26文字作ったんだからさ。


アルファベットイニシャルが、日本人にはそもそも受け付けないものであること。

なんでTOKYOのTなんだろうね? 

日本には「ひらがな」や「カタカナ」や「漢字」があるじゃん

アルファベット26文字の中で判別できたのいくつあった?

たぶんあれは原案を元に作成されたもので、意匠変更を経て発表できなくなったものなんだろうなと推測。

素人目には、ここまで悪いところを挙げられる。


あとプロ素人境界職務に対して『批判的』になれるかである

批判的になれないのは『商売人』であって、『プロフェッショナル』ではない。





【3】佐野氏に同情できるか

はっきり言って、どうでもいい。

同情は彼の仲間が(同情)するべきことで、無関係の我々がすることではない、よね?

同業者に求めることは、再発防止に努めることだけである

著作権を軽視してトレパクすることは、他人の住所を勝手ネット書き込みすることに等しい犯罪であることを認識してほしい。

とりあえずインターネットウィルスによる情報漏えいと同クラス対策を取らないと自社、取引先の企業価値を大きく毀損する結果になるとだけ忠告しておく。

TPPによって著作権侵害の非親告による摘発が可能になればさらにこの流れは加速するはずだ。

しろ、このことによってオリジナルクリエイター権利が守られることを望みたい。

そういえばトートバックの件でで剽窃したと思われる猫のデザインはいつになったら取り下げてくれるのだろうと思っている。

佐野デザイン名前を付けている以上、名前に大きく責任を持つべきだと思う。

盗用されて被害を受けているデザイナーフォトグラファークリエイターが実際にいることを忘れちゃいけないと思う。

クリエイトすることによって飯を食っている人たちであることを忘れちゃいけない。

佐野氏より、五輪提携企業より先に、こちらに対して、まずどう補償していくのかが今後のこのサノケン事件の焦点になるのかなと思っている。

才能があるのに無名で売れないクリエイターってたくさんいるんだからさ、これを機に還元される流れになってほしいな。

以上です。

http://anond.hatelabo.jp/20150903153552

展開力もデザインのうちだよ。

アートじゃないんだからエンブレム額縁に入れて飾るわけじゃない。

あなたエンブレムが選ばれましたお疲れ様でした…でデザイナーの作業は終わるわけではなく、

いろんな場面でどういうふうにエンブレムを展開していくかを考える作業がこれからまだまだあったんだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20150903144413

とくに支持されて無さそうなものしか見つからなかったんです。

デザイナーに強く支持されてる代表作ってどれかな日本のトッブデザイナーの素晴らしい作品が出てこないな、という意味です。

展開力が武器になるのは分かるけど、デザインで選ばないんだね、日本のトッブ歌手アイドルだよね。そこは納得しましたよ。不思議だったけど。

http://anond.hatelabo.jp/20150903142858

禿同。「佐野氏のこの作品デザイナーから支持されてるんですよ!」という物が出てこないの不思議に思ってました私のようなシロウトは。

展開力を買った、っていう受賞理由不思議に思った。

ちまたのデザイナーたちの、佐野氏に関する擁護的外れ

ちまたのデザイナーたちの、佐野氏に関する擁護がどうも的外れなのは

要するに佐野氏が「デザイナー」ではないからだ。

デザイナーたちは同業者として発言しているようだが、佐野氏、ぜんぜん同業者じゃない。

よく言えばディレクタープロデューサーみたいなもので、

彼の仕事は、自分で手を動かしてものを作るというよりも、

新鮮なネタを見つけてきて、いい感じに握って客の前に出す、というものだったわけである同人ゴロみたいなものと言ってもいいのかな)。

まり、ちまたのデザイナーたちは、佐野氏やその周辺のような仕事をしていない。

よく分からない賞をたくさん取ったりしていない。

どちらかというとパクられる側ってことを自覚しろよ。

佐野氏はデザイナーじゃないし、同業者じゃない。

目を覚ませ。

デザインプロからといって、佐野氏の問題に関して一般人以上の何かが語れるなどと思わないことだ。

(あ、一般人として意見を言ったり、同じ「業界」の問題として語るのはもちろんありだと思うよ)

※追記

デザイナーとは寿司職人。新鮮な素材があれば握るだけ」とは、佐野氏の言葉らしいんだが、

エントリにこの比喩を持ってくるのはふさわしくなかった。申し訳ない。

反省意味も込めて書き直しはしない。

上から目線

エンブレムの話でさ、デザイナー上から目線が腹が立つ…みたいにいっぱい言われてたけど。

お前らがデザインに関しては下なのは当然なんじゃないの?

デザインに限らず、コード書きのプロ、客センの電話対応プロ893屋さんのプロ調理プロ建築プロ政治プロ市民プロ野球プロサッカープロネット放火プロ釣りプロ、運転のプロ、縫製のプロ捜査プロ法律プロ、ほかにもいろいろ、それで利益を上げて生活している人たちからみたら、自分の職の領域に関してはプロじゃないお前らが下に見えるのは当たり前なんじゃないの?

なんでそんなに誰かの下に見られるのがいやなの?

ふだん現実で下に見られまくってるのに現実逃避のはずのネットの中でも下に見られると現実を思い出して辛くて悔しくてついつい怒ってしまうの?

それとも実はお前ら万能で本当にプロより上なの?


万能だよね、ネットの中なら。

一般国民の一人からエンブレムの件について

騒動に一区切りついたので、一般国民からも少し話をしようと思う。

ロゴについて

パクリでは無いと考えている。

「この先クライアントから色々言われてしまうんだろうな」

当然であるデザインを購入した後、世間から問い合わせを受けるのはクライアント。もし、サントリーの一件で佐野氏の名前が出ていなかったら、どうなっていたか


自社の名前で出している以上"管理杜撰意識がなってない・人のものを盗んでも平気な会社"そう言われるのはクライアント。盗用騒動があって尚、業界全体に擁護被害者意識がある以上、こちらが自衛するのは当然の行為


また、説明を求めるのも当然。発表後はあなたの代わりに説明をしなければならない。その行為を「文句いちゃもん」だととらえ、「黙らせる」ためにはどうしたらいいのかなど、まるで敵であるかのように表現されているのを見ると、非常に残念。

擁護非難

論文で嘘が発覚

安全の為の試験を怠る

等、業界の信頼を著しく落とすような問題が発生した場合同業者はそれを非難、または自分のところは違うとはっきりと主張する。


ところが今回はどうだろう。

業界ではよくあること

・そんなこと言っていたら、商売にならない

・内々の資料が表に出ちゃってかわいそう

圧倒的に擁護の声が多い。理解に苦しむ。一体何を守ってるのだろうか。

一般国民にはモノを作る大変さは理解できない」

モノを作っているのは自分たちだけだと考えている方が多いようだ。なんという傲慢あなた身の回りにあるモノやサービス自動で生まれてくると思っているのか。


私もモノを作る仕事従事している。


我々の世界では、プレゼン用はもちろん、部署内で数人しか目にしないモノでも、お金を払って正規ルートで入手した素材・原料を使って試作を作る。他社商品を参考にする際も、お金を払って購入する。人のモノを盗んで作ったりはしない。人のモノを盗んで商売に使うのは、それ素材を作った人に対する侮辱、そして犯罪


社内の試食会で、コックが畑から盗んできた野菜を使って料理をしていたら、あなたはどう思うだろうか。


一般国民には、あなた方がやっていることはそう映っている。


世の中には有料無料を問わず、使っても問題ない画像が多数存在してるが、それを購入・探す手間すら惜しむ。そんな意識で「モノを作る大変さ」などと口にしないでほしい。複製が容易なデータからと、甘えてるだけだ。「内部的なものは人から盗んでも可」という甘ったれ業界常識一般国民には通用しない。ここを改めない限り、悲劇何度でも繰り返す。


そうは言っても…、ではなく、まずあなた自身が"盗用とわかっているものを使わない"、そう”指導する”ことから始めて欲しい。さもなければ、イザという時、あなたも同じ目にあってしまうだろう。

オリンピックエンブレムデザイナー

此度、使用中止という結果に終わった原因は、エンブレム類似性よりも、作ったのが佐野氏だったからだと考えている。当初、私や周りの人間エンブレムを支持していた。世界規模で探せば似ているモノがあって当然と。


だが、トートバッグあたりから雲行きが怪しくなり、それ以後、彼らが行動を起こす度、不信感が募り、空港写真が決定打となった。


我々一般国民も日々苦労しながらモノ・サービスを作っており、誰かの下で働いている。


会見で後付のコンセプトを話し、内々だから日常的に盗用を行い、それが公開される事故が起こったら、部下が何も言わなかった、業界では普通と弁解する人間作品に罪はない。けれど、私は佐野研二郎という人間を支持することはできなかった。


使用予定だったエンブレムは優れている。インターネット上で作られたどの作品よりも、上品で堂々としている。しかし、人の権利蔑ろにする人間に、オリンピックエンブレムデザイナーでいてほしくはなかった。使用中止の速報を見た時、ホッとした。


出来上がったモノと作ったヒトとを混合して判断する行為は、モノを作る人間として恥ずべきものだ。騒動が収まり、冷静になった今、深く反省している。今後、同様の事件が起こった際、冷静に多くの問題を切り離し考えるよう改めたい。

反知性主義としてのメシウマ五輪へ猛威をふるう情緒人民裁判

東京五輪エンブレムの使用中止に、ネット炎上の影響が「無かった」とは言えないと思う。

もちろんこの「思う」は、関係者取材をあてて話を聞いたわけではないし、感想レベルだ。

でも、まあそうかな。そうだろう?当たり前だろ!というネットの個々人の反応は予想がつく。

何の証明も無く、何の責任も負わず、ただの「感情」のうねりが、エンブレムを使用中止に追いやったのじゃなかろうか。

それは、本来意味での反知性主義に近いのでは無いか。

リンチ人民裁判と、群衆から石を投げる人達

 そうした“リアルの与論”に近い性質を帯びるようになった“ネット世論”が、警察裁判所第三者機関を介するでもなく、リツイートシェアまとめサイトを経由して増幅し、テレビ週刊誌を先回りするかたちで問題を暴き、批判し、蹂躙していく――その風景が、私にはとても恐ろしく感じられた。

ネットの暗い情念が“世論”と接続してしまう怖さ - シロクマの屑籠

(与論はたぶん世論の誤字なんだろうけど、何箇所も有るし俺の知らない用法なのか……?まあ良いや)

シロクマセンセイの「メシウマしたい個人が大挙して押し寄せて、それが世論になるの怖え」というのは、感覚として判る。

まだ、ネット世論にはなっていないとは思う。

ただ、ネットマスコミ世論、という、ワイドショーロンダリングによるお茶の間意思形成に一役買ったのじゃないかとは、思う。

その意味で、ギリギリ一歩踏みとどまって、既存メディアスクラムというか、メディアリンチまでで済んでいる。

勿論この社会的制裁ってやつだってどうかとは思うが、「捏造確定」のような報道は、少なくともしていない。

まあ老獪とか言うのかもしれないが、流石に法務があるようなところで、無茶はしなかろう。

証明の難しさと、放言無責任

例えば、シロクマセンセイへのブコメにこんなものがあって、スターを集めてる。

augsUK 盗用や捏造の指摘を「叩き」と言ったり「暗い情念」と表現するのは、単純にその人の倫理観ねじ曲がってんのかなとは思う。そもそも「ネット」が一つの人格で動いているような表現がとても気持ち悪いけど。

ブコメ中で「盗用や捏造」と言っているが、何のことだろうか。立証されただろうか。それasgsUKさん個人が、責任取れるだろうか?

捏造していないと裁判の末に証明されて、名誉棄損で訴えられて、30万くらい払う覚悟ブコメ、してないよね?(してたらゴメンネ)

法治国家における倫理観としては、「疑わしきは罰せず」で、容疑者犯罪者として扱わないことなのかな、と思う。

で、たぶんこの流れを読んでギョッとしたんじゃないかな。

え、いきなり個別ブコメを取り上げてナンカ言うのかよ、みたいな。

そう思ったのであれば、それは「「ネット」が一つの人格で動いている」となんとなく思っているからだ。多分そうだと思う。

当然、それぞれのネット上の発言は、それぞれ別の人格で、それぞれ別々に各発言意思責任があるんだけど、そう思ってないんじゃないかな。

から言葉が「軽い」し、覚悟がない。まあそんなもんだとは思うけど。

感想だし責任ないし、と思ってても、積み重なると世論に見える

例えば、ザハ・ハディドの個人攻撃あったよね、ちょっと後味悪かったよね、みたいな記事に、こんなブコメがあってスターを集めてる。

Matsuriame そうかなぁ。競技場に関しては「ねっとのひとたち」は「高すぎる」と言ってただけだし、「ザハのせい」にしたがって、建築家だけに責任押し付けて降ろしたのはむしろ発注者人達だったけど。

はてなブックマーク - 【新国立競技場】「なぜ実務家たちは、ザハ・ハディドを支持するのか」建築家・藤村龍至さんに聞く

まあ、「そうかなぁ」って書いときゃ免責みたいな空気感、あるよね?

xevra ザハの物を本当に作ろうとするのはクレイジー。ザハは模型を見て楽しむ物であって実際に作ろうとしちゃダメだ。デザインは素晴らしいからコンペは通過しちゃうが実現性無視してるから到底作れない。

はてなブックマーク - 新国立競技場の工事費が下がらない理由|建築エコノミスト 森山のブログ

はてブで1000超えってワリと珍しいんだけど、xevraさんの他にも「金かかるのデザイナー(ザハ)のせいなのね」というブコメの大合唱ですね。

他にも記録はイッパイあるけど、Matsuriameさんは、ググったり、ブコメを振り返ったりしない人なのかもしれない。(スターつけてるヒトもね)

そういう自分発言ホントかどうかの責任意識しないし、取るつもりもないのは、まあ放言じゃないかなぁ。(無責任話法)

勿論ここでは、「そうかなぁ」って書いてて、強く「いや違う!」とはコメントしてない。

感想だし違ってたらゴメーンネってすれば、別に良いじゃんブコメだし、みたいな空気感、あるよね?

「「ねっとのひとたち」は「高すぎる」と言ってただけだし」って、嘘ついても、いや嘘じゃないよ感想だしそういう言い方はヒドイ、とか思うのではないかな。

居酒屋談義の無責任さが、そのまま社会的制裁

見境なく社会的制裁を振るう現状は、褒められたものではない。昔だったら居酒屋談義で終わってしまったはずのネガティブ情緒が、インターネットを介してこんなに繋がり、こんなに盛り上がり、こんな風に“世論”に直結して構わないものだろうか?

ネットの暗い情念が“世論”と接続してしまう怖さ - シロクマの屑籠

「構わないものだろうか?」というか、法治国家ならシステム外のプロセスも経ていない圧力でひっくり返るのはマズイと思うよ。

はいえ、感情情緒は大切にしましょうというのは、日本システムにはプロセス中に組み込まれているし、拡大傾向にある。

執行猶予とか、情状酌量とか、裁判員制度とか。

amakanata 今回のシロクマさんの見方ちょっと違うんじゃないかなぁ。世界的な賞を許可を得ずに素材を使ったデザインごまかし続けた人間の作ったもの神輿にしたくない、という庶民感情健全な発露でしょ。

ごまかし続けた人間の作ったもの神輿にしたくない」という「ネガティブ情緒」で、「庶民感情健全な発露」として「“世論”に直結」。

シロクマセンセイの見立てとそう言ってること違うようには思わないけども、amakanataさんの感覚は、ざっとブコメの5割くらいの感覚には近いように思う。

(本人の属性作品価値上下するのは日本では良くある話だし、事業に関わる人の身ぎれいさを要求するのは日本だけじゃないしね)

amakanataさんは「ごまかし続けた」という具体例とかそれが真実ごまかしたのかを立証する責任があるとは思ってないだろうし、まあ実質ないんじゃないかな。

ちょっとブコメするのと同じ気軽さで簡単クリックで1万人自動訴訟できる世の中になったら、またちょっと違うんだろうけど、その非対称性の話はまた別の機会に。

ただ、「ホントだったらヒドイ(=嘘でも責任は俺にはない)」みたいなデマ一直線の発言も、居酒屋談義や床屋政談ならアリだと思うし、そこを気にするのは健全ではない気もする。

監視社会じゃねえのにそんな発言まで責任持ってしなきゃいけねえの?みたいな。いやほんとは責任もってしなきゃいけないんだけど。

反知性主義としてのメシウマ

信頼出来ない上司業務命令には疑いの目を向ける、ではないけれども、本質的なところに不信感があるのではないか。

まり知性主義というエリートのやることに、なんか違うのではないか、どうも信頼出来ない信用出来ないとの思いがあるのではないか。

それが、判りやすい形で出た今回のエンブレム炎上騒ぎで、「普通市民道徳的感覚として、まっとうな結果」と思う人が多いのであれば、

それは「メシウマ」が(ホフスタッターの言う本来意味での)「反知性主義」として機能し始めたということなんじゃないかな、と思う。

エリートの言うことは信頼出来ないから市民団体監視します、では無く。

一人ひとりの小さな放言や、調査結果や、情緒からくる感覚感想が、まとめサイトに束ねられてマスコミがすくい上げて拡大する。

そこには警察捜査も、弁護士検察官の立証も無く、過去の蓄積から裁判所判断もなく、法律ルールも無縁の所で、

そうだろう、そうに違いない、絶対そうだという、責任のない感情的判断が積み重なることで、「事実」になる。

それはある人から見れば「暗い情念」だし、ある人にすれば「常識的市民感覚」だろう。

動機行為正当化するとも免責するとも思わないけど、そういうものかもしれない。

クリックで参加できる人民裁判だし、結果死人も結構出てるけど、改まらないしね。

(この増田も、5人から訴えられる可能性あるしなあ。たぶんダイジョブだと思うけど。裁判面倒だよなあ)

追記

反知性主義」判り難いという指摘を直接受けてまあそうかなとおもったので追記。

知性主義」は、「専門家主義」と置き換えてもらうのが、一番ホフスタッターのニュアンス近いと思う。

反知性主義」は、「反専門家主義」となって、つまり専門家判断ではなく、むしろ専門家ではなく専門的な知識がないからこそ、正しい判断が下せる」という主義とか態度のことね。

模倣判断や、建築実現性、刑事民事の責任まで、デザイナー建築士弁護士でない、知識を持たないヒトが正しい判断をくだせていると考える(またそれを支持する人がいる)というのは反専門家主義(反知性主義)が受け入れられる土壌が育ってきているのではないか、という話。

専門家でない人達の声で(途中に週刊誌新聞の専門部署を経ずに)、専門的な判断が覆る怖さについての話なのかなと思っている。

まあ、医療災害に関しては、ネットでもまだ反専門家主義者批判されるのを見ると、専門家たちが丁寧に説明することが重要なのかな、と思う。

(とはいえ、教育関係のひっくり返らなさを観ていると、今回の炎上個別事案であって、脇が甘かったからこそってことなのかも知れないけど。ぬ、訴えられる可能性が上がった気がする。熱狂的な個人は手打ちが面倒だからカスぞ)

http://anond.hatelabo.jp/20150903113905

続いて「ダメの度合い」を考えなきゃいけないだろ。

自殺しなきゃいけないほどダメなのか、

家族嫌がらせされるほどダメなのか、

デザイナーをやめなきゃいけないくらいダメなのか、

謝罪して反省すれば許されるくらいなのか…

佐野個人の倫理問題か」「佐野管理能力問題か」ということはその判断材料になる。

五輪エンブレム問題についての純丘曜彰氏(大阪芸術大学教授)の発言


五輪エンブレム白紙に戻った。

この一連の騒動の中で気になったのが、大阪芸術大学教授純丘曜彰である

反「佐野エンブレム」の急先鋒としてメディアで派手に〝活躍〟した人物だ。

エンブレム問題の経過をつぶさに見てきた者、デザイン周辺の知識をもっている者で

純丘氏の発言に疑問を持った人も少なくないのではないだろうか。

筆者の感じた純丘氏への疑問とは、

「明らかなデマの流布」「度の過ぎた個人的感情の表出」

そして「独りよがりデザイン論」「デザインに関する知識不足である



明らかなデマの流布


東京オリンピックエンブレムはもう無理筋8月10日

http://www.insightnow.jp/article/8591


瞬く間にメディアのあちこちに取り上げられ、反「佐野エンブレム」への動きを活気づけた記事である

デザインに関して識者といえる人物がここまであからさまにエンブレム下ろしを唱えたのは初めてであり、

純丘氏が五輪エンブレム問題の御用コメンテーターになるきっかけともなっている。

以下は、佐野氏のデザインしたトートバッグに関する部分である


ニーチェの独文の警句英文引用して、名前綴りコピー元のままに間違っていたり

(page:2 より)


Pinterest に一枚の画像として存在していたニーチェの一節、

その最後名前部分に綴り間違いがあり、佐野氏が孫引きしたために同じ箇所で間違えている、

すなわち佐野氏が Pinterest を利用していた証拠である、という論旨だ。


このニーチェの脱字の件は、丸ごと事実誤認なのである

Pinterest綴り間違いの画像などなく、佐野氏のほうだけがたまたま書き間違えていたのだ。

ここで問題なのは佐野氏が Pinterest を利用していたかどうか」ではない。

事実誤認、それも2ちゃんねるが発信源である単純なデマを、

純丘氏はのまま引き写して記事構成しているのである


この純丘氏の記事が出たころにはもう2ちゃんねるの当該スレは自らその事実誤認に気づいており、

ニーチェの一件は「佐野氏が Pinterest を利用した証拠」としては除外の方向へ向かっていた。

純丘氏は、佐野エンブレム下ろしに使えるものはなんの検証もなく使っていたのである

最低でもその誤字があるとされる Pinterest の元画像をその目で確認してから記事を書くべきだろう。


このような杜撰情報収集と決めつけで書かれた文章

大阪芸術大学教授」の肩書きで公にされてしまえば、何も知らずに読んだ人は事実と思い込んでしまう。

論文というのは人文科学であろうと事実を積み重ねなければならないものだが

こんなお粗末な方法文章を書いている人物が学生論文指導をしているのはいかがなものだろう。



度の過ぎた個人的感情の表出


オリンピックに潜り込んだゴキブリたち」8月20日

http://ironna.jp/article/1881


あんな黒いゴキブリ印は、生理的に無理。とても嫌な感じがする。汚らしい。穢らわしい。なにより不潔だ。あまりに不吉で、自分まで不幸に呪われそうな黒いゴキブリ。金と銀の足が夜中にカサコソと動き出して、きみの手の上に登り、パジャマの中にまで入り込んで来る。きみに、多種多様の救いがたい病原菌をなすりつけ、触覚をピロピロさせる。おまけに、突然に羽を広げて飛び上がり、きみの顔をめがけて襲い掛かる。考えただけでも寒気がする。あまりに気味が悪い。


この記事の、黒い生き物の比喩を用いた執拗レトリック

およびそこに貼られた画像は、読む者をいやな気分にさせる。

まるでいやな気分にさせること自体目的ひとつにもなってしまっているようだ。

純丘氏の「佐野エンブレムが嫌いだ」「黒が嫌いだ」という気持ちはよく伝わってくる。

だがそれは個人的感情であり、公にするにしてもせいぜい個人のブログにとどめるべきだ。

大学教授美術博士という肩書き付きでオピニオン系サイトに開陳するようなものとは思えない。

識者なら事実を元に冷静に分析し、問題を明らかにする役割を担うべきだろう。

騒動の中、感情ほとばしる文章で純丘氏は何を訴えようとしたのか。

これ以降、掲示板でもエンブレムゴキブリ呼ばわりする人が一気に増えていった。



独りよがりデザイン


佐野五輪エンブレム超弩級の駄作!」8月26日

http://www.insightnow.jp/article/8644


もはやリエージュロゴからの盗用かどうかは関係なく、

ひたすら駄作である、見るに堪えない、と力説している。

疑惑があるとはいえ、多くの人が関わって世に送り出されたもの

超弩級の駄作」「ゴキブレム」「梅干」と品なく形容する姿勢にもあきれてしまうが、

この他者制作物に対する容赦ない物言いは、おそらく氏の、

デザイン制作とは無関係な経歴(専門は哲学)と関係あるように思う。

むろんそれ自体問題ではないが、次章の「デザインに関する知識不足」も含め、

己の手にあまるデザインに関する解説を、あたかも〝識者〟として発表するのは

それこそ「無理筋」ではないか、と言葉を返しておきたい。


孤の中心がロゴの中心にある限り、この2つのパーツは、このロゴの四隅以外に配置することは不可能である

(1. 形態問題:パーツの寄せ集め より)


この一文の含まれ段落を「デザイン論」として理解できた人がいたら

ぜひ翻訳してほしい(もちろん逐語的な理解はしている)。

「9分割を元にフレキシブルな組み替えが可能」というアイデア否定するのが目的のようだが

なぜそこに「無理と矛盾」(純丘氏)があるのかわからない。

9分割の真ん中に必ず弧の中心が来なければならないデザイン上の理由とは?

さまざまな大きさ・形でさまざまな場所に弧が立ち現れていた、

あのアニメーションのどこに無理と矛盾があるというのだろう。


黒は、ほとんどすべての文化で、死や悪、権力、固着、腐敗、を意味する。同様に、赤は、血のシンボルであり、命や致命傷だ。それに金銀を加えるなど、まさに軍事配色のナチス悪趣味

(2. 配色の問題ナチスフラッグ色 より)


ここは純丘氏お得意の表象である

解釈はさまざま可能なのでナチスフラッグとみる者がいてもいい。

エンブレムを仮に芸術ひとつとするなら、芸術はさまざまな解釈に向けて開かれたものだ。

しかし、これは誰もが知っているようにオリンピックのために施された「デザインである

デザインとは、提示された課題を〝解決〟するものであって、

アートのように何ものからも束縛されない自由意志構成、配色したものではない。

見る者も「日本」で開かれる「五輪」の「エンブレムであるという情報とともに接する、

そのような場、コンテクストにおいて機能するようにあつらえたものだ。

解釈といっても常識的範囲がある。


佐野エンブレムスポーツを感じさせないとか、祝祭感が足りないとかいった批評は可能だ。

が、「ナチスフラッグである、「ゴキブリ」「致命傷」であるなどというのは

エンブレム出自コンテクスト無視した悪意のあるミスリードしかない。

ゴキブリ画像同様、ナチスの絵まで用意して独りよがり解釈

強くイメージとして植え付けていこうとする純丘氏の手法には疑問を禁じえない。



デザインに関する知識不足


どんな媒体でも、ほぼ同じような発色になるように考えておかないといけないのに、全体が印刷物無視RGBベースで出来ていて一般フルカラー印刷YMCKの四色のインクでは出せない「特色」の金銀が入っていたり

(上掲「佐野五輪エンブレム超弩級の駄作!」page:3 より)


デザイン生業としている人、その周辺に詳しい人で

この部分を読んで頭の中が「?」でいっぱいにならない人がいるだろうか。

この2行だけでも純丘氏が自分の手にあまること、自分のよく知らないことを

結論ありき、佐野下ろしを目的に書いていることが明らかである


CMYK を「YMCK」としているところはご愛敬だが、

純丘氏のこの不案内な言説はさまざまな場所で〝プロ〟のそれとして引用されてしまっている。

発表されたエンブレムRGB ベースでできていて、CMYK ベースではないらしい、

色指定の要領を知らず、特色を用いてしまっているらしい、

佐野研二郎氏は、デザイナーとしてはひどく低いスキルのまま今のボジションに祭り上げられ、

あたわない五輪エンブレム設計者の大役もしくは影武者の役を任されたようだ……


RGB ベースというのはモニターなど映像における混合方式であり

CMYK ベースというのは紙媒体など印刷で用いられる混合方式である

RGBCMYK は、媒体に応じてふさわしいデータを用いる、ただそれだけである

RGB ベースでできている」もなにもない。

ウェブでの使用に向けてロゴを配布するならば RGB だし、

ポスタープログラム印刷するなら CMYKデータを用意する。

純丘氏の中で佐野氏は、この知識としても初歩の初歩、

デザイン業務上、日々出くわしてはそれに従って作業している単純なことをまるで知らないという設定らしい。


ここに、さら意味不明な特色のくだりが加わる。

特色というのは印刷インクの一種で、

通常のプロセスカラーCMYK インク)で表現できない色をカバーするためのものである

エンブレムに特色の指定がしてあったというのはどこから情報かわからないが

(筆者は見たことがないので、まずはそのソース問題である)、

それだけをとれば、企業ロゴなどにおいては珍しいことではない。

RGBCMYK と同様、特色を用いるかどうかは運用現場に応じて「自然に」決まるのであって

雑誌カラーページなら金は4色分解(CMYK)で表現されるだけである

媒体や場面によっては、予算や仕上がりを考慮した上で

金や銀を特色にすることも、黒や赤を特色にすることも可能だ。

もちろんそのために CI マニュアルのようなものがあり、

特色で刷るならばここはこの色(PANTONE 、DICなどの番号)、

4色で表現する場合はこの CMYK 値、

そしてディスプレイ用にはこの RGB 値というように、列記されているのがふつうだ。


・特色番号(印刷用)

CMYK 値(印刷用)

RGB 値(映像用)


純丘氏の言葉を再掲する。

以下のような色指定を同一の紙の上に記すデザイナー想像できるだろうか。

すなわち、これが「ワンセット」になっていて、それ以外の指定CMYK 値)のない、

そのような色指定が本当に存在するだろうか。

純丘氏の作為産物か、氏がまたネットかどこかで拾ってきてしまったデマではないのか。

むろん常識的デザインの知識さえあれば、

このような「物理的に」とすら言っていいほど存在しえない〝キャラ設定〟をすることも

デマを拾ってきて書き写すとこともありえないのだが。


RGBベースでできていて(略)「特色」の金銀が入っている



最後


大阪芸術大学教授純丘曜彰氏の言葉は、目くらましのように効果を発揮してきた。

佐野五輪エンブレム超弩級の駄作!」での、ルネッサンスからフラットデザインへ至るくだりなど

エンブレムとはデザイン論において爪の先ほども関係ないが(ゴール地点のフラットデザイン自体なんの関係もない)、

このペダンティック解説や周辺タームは、氏の肩書きと一緒になって人々の目にもっともらしく映り、

エンブレム白紙化の力のひとつになったと考える。

芸術デザインの「専門家」(日刊ゲンダイ)と目される社会的影響力のある人物が、

この混乱の中で、明らかに事実に反すること、半可通なことを、

己の求める結論佐野エンブレム下ろし」に向かって品のない言葉作為的イメージを用いて

流布してきたことには、疑問を通り越してあきれてしまった。


ここには、筆者の知る事実デザインとその周辺に携わる者なら誰でも知っているような知識から

明らかにおかしいと思われるものについてだけ論じた。

五輪エンブレム騒動の中で交わされた、デザインに関する言葉への理解一助となれば幸いである。

写真の無断盗用

どこかのデザイナーさんが内部資料写真パクったと話題になってます

これってわりとみんなやってない?

はてなでよくブクマされるslideshareとか見てるとその画像どこから持ってきたの?ってのが結構ない?

写真に限らず漫画もあるよね。そのスライドってどこかで公開してるんだよね?

会社内のメールで回っているパワポ資料にその画像どこから持ってきたの?って写真結構ない?

それってオリンピックの内部資料となにか違いあるの?

なーんか自分のことや自分の周りのことは棚に上げてサンドバッグ殴って楽しんでいるようにしか見えないんだよなー。

署名入り増田佐野研二郎問題は「不手際」とかのハズがない。

id:nobiox

増田を書かずにブコメするヤツは非生産的、という増田を見て驚いたが、なるほどと思う面もあるので、増田デビューしてみる。だってみんな、オレのブログなんて読んでくんないんだもん。しかid署名付きだ。増田意味を踏みにじる暴挙だ。規約違反とかだったら謝る。規約はぜんぜん確認してない。とりあえず自分が一番にブコメすることで、他人idを騙ってるわけではないことの証明とする所存。いやもしかすると過去デビューしてるかも知れないけど。



ここから本文。

反省には二種類ある。ミス反省するのと、考えを反省し考えを改めるのと。

「もとより増田を書かないなんて有り得ないと重々認識はしていたが、手続き上の不手際で結果としてなかなか果たせずにいた」というのが前者。「増田書く必要なんてどこにもないと考えていたが今は反省している」というのが後者(ちなみにオレは、別に反省していない)。

佐野氏は「管理不行き届き」「不手際」、つまり、飽くまでミスだったと言う。だが、到底信じることは出来ない。主な理由五輪エンブレム展開使用例の件と、もうひとつ、それも含めた疑惑の数。

まず、展開使用例。「今回の事態について」後半に、「エンブレムはMR_DESIGNで応募したものではなく、私が個人で応募したもの」「デザインを共同で制作してくれたスタッフもおりません」とある。素直に受け取ると、あの羽田空港渋谷駅前の写真ネットで探して見つけてダウンロードしてコピーライト表記カットして加工したのは佐野氏本人ということだ。「このくらいいいじゃん」と思ってなきゃそんなことはできない。オレ自身が「そのくらいいいと本音では思ってるけどバレると怖いからやめとこう」派なので、「このくらいいいじゃん」という気持ちはよくわかる。

もうひとつ疑惑の多さ。ネット民おもしろがって追求してるターゲットは当初こそ佐野氏ひとりだったが、やがて疑惑疑惑を生み、徐々にターゲット日本デザイン界全体に移った。「永井一正」「森本千絵」「佐藤可士和」等の名前は多くのネット民Google画像検索に集中的に曝されたに違いない。なのに出て来る疑惑ほとんどが佐野氏ひとりに集中している。これがすべて管理ミスだとしたら異様なまでに突出したうっかりさんということになるが、「このくらいいいじゃん」と思ってたと考えれば普通に納得できる。

というか、ほとんどのデザイナーはどこかの段階で権利関係確認作業をしてるはずだ。少なくともオレはする。必ずしも倫理からではなく、後で揉めて金銭の問題になるのが怖いからスタッフがシラ切ったって、お前が撮ったならその元写真を見せろ、というだけで簡単に見抜ける。佐野氏がそれをしてなかったのは、そんなのいいんだよ、可士和さんみたいに、部活っぽいノリで、レディメイドのものをポンポンと配置して行くスピード感を大事にしようぜ、と考えていたからなんだよ。その考えは一理あるよ。わかる。言いたいことはよくわかる。だからこそ、正直な、いっさいごまかしのない反省文が読みたいんだよ。

この騒動を通して佐野氏は何かを学び、何かを反省したはずだ。ミスではなく、より自分自身の考えの根幹に近い、何かを。佐野氏はそれを語るべきだ。例えば「そのくらいいいと思ってた。今にして思えばたしか権利関係意識が甘過ぎた」とか。あるいは「自信を持って言うが、芸術の神はオレを支持してる。アーティストとして恥じる点は微塵もない。ただ、庶民のみなさんにこの論理は受け入れてもらえないということは今回つくづく実感したし、まあ神ならぬ庶民論理がそうなるのは考えてみれば確かにもっともなので、そういう意味で、今後は他人写真を無断で使わないように考えを改めます」だとか(以上はすべて、素材のパクリの話です。アイデアパクリはまた全く別の話で、素材のパクリよりはるか微妙で、考えるのがむずかしい)。



えー、以上で終わりだけど、「佐野ってヤツは恥ずかしくないのかよwwwww」について、ついでに私見を述べます

ネットで拾った写真を無断で使うのってどうなのか、という問題には、「1:デザイナーとしての矜持」「2:法律的大丈夫か」「3:オリジナルの人にムッとされたら法的に無問題でもやっぱマズくないか」という三層があると思う。佐野氏的に、少なくとも1はすべてクリアしてたんだよ。それは間違いないと思う。そして、ボクサーが百人いれば百通りのボクシング観が有り得るように、デザイナーが百人いれば百通りのデザイン観があっていいわけで、そこは、本人のなかでクリアしてればそれでいいんだよ。他の素人や他のデザイナーが「オレだったら恥じる」とか言って攻撃するのは基本的無意味。というか傲慢。お前のデザイン観だけが唯一の正解とか思ってんじゃないよ、って話。勿論、本人の心境も現在は多少変わってるかも知れないけど。

佐野氏にて

佐野氏の話なんだけど

言い方かえていろんな話になってるけど

関係ない話とか比喩表現とか例えとか混ぜて意味わかんなくしてない?

そういう擁護方法もあるって感じなのかな

何がどうとかいちいち言い出すと細部ごとに自分感想述べたい大会になるだけだから

例えも業界常識一般大衆の心理の想像もなしに

この業界が騒然とする デザイナーのみんなは自分の事かと思って震えた

当然になってた常識的デザインの根幹を揺るがされて

何人パクリバッシング被害にあったの?

組織の腐敗を非難されてあらぬ毀損をうけた業界

団体あったの?

僕は一人と一団体だったんじゃないかなと思うんだけど

2015-09-02

佐野研二郎先生罵倒してるネットの屑どもへ

いい加減腹立ったので書いておく。

内部資料用に拾ってきた画像使って何が悪い

内部資料だぜ?

それを勝手クライアントであるノーパンしゃぶしゃぶ武藤が外に出したのであって、佐野先生は内輪で使うためにあれを用意したに過ぎないわけ。

お前らだってツイッターアイコン適当に拾ってきた画像だろ。

コピーライトを削った?

それがどうしたんだよ。お前らが使ってるそのどこかで拾ってきたアニメ調の壁紙画像検索にかけてみろよ。コピーライトなんか余裕で削ってるぜ? みんなやってんだよそれくらい。画像まとめサイト壁紙配布サイト管理人がやってることを、日本トップデザイナーであり年収5億を誇る佐野先生東京五輪エンブレム選定という世界規模の大仕事プレゼンでやっちゃいけないのかよ。なんだその差別

拾ってきた画像使って何が悪い

大体、アート世界ではネット画像を拾ってくるっていうのはごく普通ことなわけ。

例えば若手の一流アーティストであるカオスラウンジ

海外のド素人が作ったキメこなを、東浩紀先生も絶賛する梅沢先生アート昇華させたわけで、ありがとうございますと涙を流して感激するならともかくパクリパクリって頭どうかしてる。

画像は使います!使います!それ以上のコミュニケーションはないです。

ネットにある画像フラットから全部使う。使うことにごめんねはない。

ネットにある画像サンプリングしていきます

その結果として体力のないコミュニティが潰れてもしょうがない。

ネットにあるものは全部僕らの素材ですからそれ掠めとって芸術作品として世に出しますよ。

黒瀬陽平カオスラウンジ宣言』UStream内の発言より)

梅沢先生はなぜか「自分コピペでやりくりしてるから」とか卑屈なこと言ってて、黒瀬先生ノーコメントなのが残念だけれど、藤城先生佐野先生の全面擁護を展開、ネット民は今すぐ首吊って死ねツイートされていて本当に心強い。

アーティストってのはインターネット上の素材を自由に使い、編集する権利を持ってるわけ。どうもそれを理解してないゴミどもが多くて困る。

そもそもド素人パクリパクリうるせぇんだよカス

構図が似てたらパクリとかアホか。

んなこと言ったらArialはHelveticaパクリか?

FAIRYTAILワンピースパクリか?

コンプライアンスマルドゥック・スクランブル外伝パクリか?

ArialなんかaだけでHelveticaとの違いが一発で分かるし、FAIRYTAIL作家名を見れば一発で違うと分かるし、コンプライアンス漫画であって小説じゃないから一発で違うと分かる。

永井先生もおっしゃっているとおり、教養もない大衆にはコンセプトの違いが理解できないんだろう。お前ら大衆ブルーヌードを見て「なんだこれオランピアパクリじゃねぇか!」と喚き立てるわけだろ? あのコンセプトの違いが見て分からないとかほんと残念な目をしてんな。

しか迷惑メールを送りつけるとか、恥を知れよ。

佐野先生はもう十分社会的制裁を受けてるだろうが。

迷惑メールなんぞフィルタ自動削除だろとか考えてんのか?

メッセサンオー事件被害者のことを考えれば鼻糞未満の被害だろうがとか考えてんだろう。人間として最低だなお前ら。

さら佐野先生が公開した写真ネット上に晒すとか。

佐野先生が公開した写真を断りもなく、その引用元も明記せずに勝手によそで晒し、配布するっていうのは非常識しか言い様がない異常な行為で、まともな人間のやることじゃない。

あれは佐野先生著作物だろうが!

佐野先生許可とれよ屑どもが!

フリー素材じゃねぇんだぞ!

ツイッター2ch佐野先生の悪口が連日書かれている状況とか、まさに「人間として耐えられない限界状況」だと思う。カオスラウンジ黒瀬先生は何も気にすること無く今日美術学校講師としても活躍していらっしゃるし、鳩山元首相とか元気ハツラツとしてツヤツヤしていらっしゃるけど、ネット炎上が人を確実に死に追いやる行為だということをお前らは自覚した方がいい。

お前らのやってることはまさに現代魔女狩りなんだよ。

魔女他人の作ったもの剽窃して金と名誉社会的地位を荒稼ぎしていたことが露呈したからといって、狩っていいって話にはならねぇだろ。正義ヅラしやがって。正義の反対は悪ではなくまた別の正義なんだよ。魔女正義理解しろよ。金のない貧乏人が僻んでんじゃねぇ。

加えて家族への攻撃とかほんと論外。嫁はミスターデザイン広報担当トートバッグの件は部下に責任があり悪いのは全て部下です佐野関係ありません悪いことは全て部下がやりましたと言っただけで今回の問題とは無関係な全くの善人であることは明白だろうが。

だいたい、お前ら佐野先生自殺したらどう責任をとる気なの?

お前らだってSTAP事件の笹井先生のことを毎日思い出しては「やり過ぎてしまった、人の命は地球より重いのになんてことをしてしまったんだ」と悔やんでるだろ? それをまた繰り返したいのか?

集団で個人を叩いて面白いか? どうせお前らは集団で叩かれた側の人間だろうが。いじめダメだって習わなかったか? 不正手段で金と地位名誉を少々得たからって、それはいじめる理由にならねぇだろうが。とはいっても先生財産は半端ねぇし、なんぼでもやっていけるだけのコネも持ってるし、お前らがギャーギャー喚いたって痛くも痒くもねぇけどな。東電社長清水さんとかあれだけお前らが槍玉に上げたけど、結局今でもバリバリ現役だからな。慶応評議員にも立候補したし。

佐野先生よりもっと悪い奴がいるはずだって意見がある。それは一面的には分かる。でもそれじゃ佐野先生も悪いみたいじゃないか。佐野先生は悪くない。コピーライトを削って100万ぽっちを稼ぎ、五輪エンブレムデザイナーとしての地位を得ようとしたこと、それは業界の闇と陰謀によって佐野先生がやらざるをえなくなってしまったことだというのは誰が見ても一目瞭然で、佐野先生は完全に被害者なんだ。9/1付けで写真権利者が佐野先生からコンタクトがないことを明かしたけど、その程度の不手際を責めるのは明らかに不当だと思う。佐野先生のところは担当者がいつも不在なくらい多忙なんだよ。お前ら家に引きこもってるニートとは違うんだよ。

私は佐野先生全面的に支持します。

理系大学生から見たエンブレム問題

「この研究オリジナリティは?」って耳にタコができるほど言われる大学院生だけど、色んな研究を見てきて、本当の意味オリジナリティがある研究なんて一握りしかないと思っている。

①○○を原料にして××を作った。

②××を△△に適用した。

このふたつの研究存在するのに、○○を原料にして作った××を△△に適用したら今までよりもめちゃくちゃよかったぜ!!なんていう、その2つの足し算みたいな研究が認められて論文になったりする。まあ、ある程度成熟した分野っていうのはニッチな方向に進むのも確かなんだけど……。

話題デザイン界の問題は、他人論文だけで自分論文を書いちゃったみたいなもので、それがレビュー論文ならまだよかったのだろうが、他人論文からデータを集めて、さら改竄まで加えてちょっと新しいでしょ?って発表しちゃったことだろう。

発表の場がマイナー学会の支部大会程度ならバレないのかもしれないけど、世界規模の学会基調講演じゃお手上げだよ。芋づる式に過去不正が見つかって、博士論文も取り下げられるかもね。

研究者が大切にしなくちゃいけないのは誠意だ、ってうちの教授はいつも言っている。そういうメンタリティ研究者研究者にしているのだと。

この問題はもう民意がズバズバ入っちゃっていて、本質なんてどうでもよくなってしまっているように思える。外から見ていてやるせないのは、デザイナーという職業が日に日に低く見られていっていること。まるで小保方さんのときみたいだ。

業界全体で「デザイナー」のメンタリティをしっかりと発揮してほしいと思う。ひとりひとりのデザイナーが、デザイナーメンタリティを見せて欲しい。

オリジナリティのある研究クリエイティブデザインは、素晴らしいメンタリティを持った人によって成されているはずだから

そろそろ誰か今回の件で増田に書き込んだデザイナー増田をまとめといてくれよ。

http://anond.hatelabo.jp/20150902165149

少なくとも発端の「業務上違法行為をしているデザイナー問題に対し「違法アップロードされたコンテンツを視聴している人」を持ち出すのは全然関係ないからね。

エンブレム

ちゃんと、責任のあるデザイン会社

ちゃんと、責任のある選考委員会

ちゃんと、展開のあるコンセプトで

ちゃんと、フォーマット感のあるデザインに。

公募でみんなで決めるみたいな展開が最悪だ。

どうか、よいデザイナーさんのアイデアがいきますように。

これから5年間使ものなので派手じゃないモノがいいな。

日本の象徴とかっていう安易理由で選ばれないで欲しい。

どこに使うか、何に使うか。

何が選択されるのか楽しみと同時に恐怖を感じる。

http://anond.hatelabo.jp/20150902162321

同一の問題だと認めた上でコストがかかるからデザイナー問題だけ追求すると言うならいいけど、そもそも違う問題だって言ってんだもん。

どこが違うの?って言いたくなるよね。

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