ある夏、"デザイン"が死んだ。
きっかけは、とあるデザインがコンペに選ばれ、そしてそれと見た目が似ているデザインが見つかってしまったこと。
そしてそのまま不幸にも、そのデザイナーが関わった過去の作品に盗用が見つかってしまう。
盗用と類似は絡まりあって、「パクリ」という言葉でひとまとまりにされてしまうようになった。
「デザイン業界は信用ならない。みんなでデザインを選ぶべきだ!」
「私たちでも作れるのに、どうしてデザインにお金をかけるの?」
デザイナーたちはできる限りのことを伝えようとした。
"デザイン"のこと、業界のこと、知ってることはほとんど話した。
「とあるデザイン」を肯定するかどうかではなく、そのデザイナーを特別に擁護するわけではなく、"デザイン"を守るために。
でもそれすらも油に変えられ、どこまでも燃え広がっていった。
デザイナーは自分の命を守るために、自分の作ったデザインを犠牲にするしかなかった。
コンペはやり直し。
応募基準は緩和され、だれでもデザインを応募できるようになった。
厳しい選考をくぐり抜け、たくさんの人の目に触れるという名誉と引き換えに、賞金は無しとなった。
選考過程に少しでも透明性をと、応募されたものの中から審査員が選んだ10個を、国民の投票で1つ選ぶことになった。
しかし多くのデザイナーは、目に見えない制約やリスクによって、デザインをつくることが出来ない。
例えば、シンプルなデザインを出せばどこかで類似しているかもしれない。
自分では見つけられなかった類似するデザインも、みんながどこかから見つけてくる。
そうなったときには、過去の作品も全て遡られ、デザイナー個人が攻撃の対象となるだろう。
選ばれることはデザイナーにとって、名誉というよりも炎上のリスクとなっていた。
デザイナーでない人は、選ばれたらラッキーというような感覚で応募する。
"デザイン"の敷居は良くも悪くも下がっていく。
2年後、選ばれたのは著名なデザイナー10人のデザインであった。
もちろん今回は類似するデザインなどない。
複雑かつ新鮮で、一目でオリジナルとわかるようなデザインたちだ。
その上、2年かけて類似するものがないかを世界中調べてまわった。
大成功だ。
みんなのデザインが決まった。
デザインを提出する度に、クライアントからデザインに類似がないかを聞かれる。
出来る限り類似しないように、複雑なデザインを提出すると、
「シンプルでカッコいいデザインがいいんだよね、あ、もちろん(他と)被らないやつね」と言われる。
デザイナーは、7割以上の時間を自らのデザインの検証に費やすようになった。
「なにを伝えるか、どう伝えるか」ではなく、「いかに被らないか」というように。
人々のデザインを見る目も変わった。
なにかのデザインが新しく変わると、まずそれの類似を探すようになった。
ひとたび類似するものを見つけると、新しいデザインを総叩きにする。
非公式のデザインが公式に採用されるようになると、多くの企業はデザインにお金をかけなくなった。
名刺や封筒も、わざわざデザイナーに頼まなくてもロゴをWordやPowerPointに貼り付けたら完成だ。
世の中には派手で複雑な独創性溢れるロゴと、ワードアートで作られた文字が並ぶようになり、
そしてそれこそが"デザイン"だと考えられるようになった。
ただ見た目の被らないデザインを突き詰めていけばそれが一番楽だったという話だ。
そこではもう、独創性こそがデザインと呼ばれていた。
"デザイン"は死んだのだ。
死ぬというより変わる可能性はあるかもな なまじオリジナリティを主張するからパクリと批判される ネタ元を明示してアレンジとして出すようになればアレンジャーという別の仕事にな...
つーかさ、ロゴなんて要らねーじゃん。 あんなものがある時点でデザイナー()とやらの利権だわ。 佐野は国民を目覚めさせた点において優秀だな。デザインに価値はない。