はてなキーワード: アラームとは
焦った俺はエミに電話した。もう10年以上前に別れた元彼女だ。
遠方に住んでてシングルマザーのエミは、高校生だった頃のままの鼻にかかった声でおー増田ーゲンキー?と、小生意気な話し方で近況を話してくれた。内容は頭に入ってこなかったが、当時のままの甘美さはより絶望を強くさせた。
5日後に訪れる死はついに伝えられず、電話を切った。窓の外は雨だ。
実家に帰ると歓迎するでもなく迎えられ、温泉に行く。祖父母が元気だった頃によく家族で行っていた温泉街だ。
大正ロマン風の橋を歩き渡りながら、弟に余命のことをつぶやく。
んなことあるわけねえべ。マジなん?
んだ。しゃーねべほいなぐ言わったんだおん。死ぬわ俺。
弟は兄に伝える。
なして母ちゃんさ言わねのや。
その配慮のなさに怒りを覚える。
おおっぴらに悲しんで欲しいわけじゃない。実家のイベントにして欲しいわけじゃない。いつも通りでいいのだ。
宴会が始まる。おじや兄嫁らとビールを注ぎ交わす。が、食事は喉を通らない。この食事が俺の血肉となることはないのだ。怖い。死ぬのが怖い。
酔いが回り、窓の下を見ると俺とサユリが雨の中一つの傘を差して小川の散策路を歩いている。何も考えていないようでいて敏感なサユリは、俺の変化に気付いていた。
どしたん。
なんも。
好きな人でもできた?
うん。
それでいいや。俺がもうすぐ死ぬことを伝えて特別視されるよりは、このまま別れた方が傷つけずに済む。
種々のアカウントを閉じたあと、この硯を誰に託そうかと考え始めたところではたと気付く。
誰にもあげたくない。この筆も文鎮も、それぞれ思い出がある。奪われたくない。何も奪われたくない。怖い。死ぬのが怖い。
おかしい。呼吸が苦しい。腕が動かない。宣告された余命はまだ残っているはずだろ。もう死ぬのかよ。嫌だ。怖い。何がメメントモリだ。そんなもん寿命有り余るやつらの戯れ言だ。くそ、なんで年上の親父が生きてて俺が死ぬのや。ふざけんな。怖い。くそ。惨めだ。怖い。
ポルノグラフィティが好きです。
Jazz up
1作目の1曲目からハイテンション・荒削り感・セックス!Dive in the mother's sky…バンバンボバンバンババンボン…
見失いがちになる欺瞞(ゲンメ〜〜〜ィ)の発音とサビの盛り上がりが好きです。
綺麗で雨上がり感があってこれは売れるよなぁという曲です。
暗い曲調が好きです。そもそもポルノに興味を持つきっかけになった曲です。(あとサボテンも)
世界観が好きです。歌詞の中身もいいし、メロディーへののせ方がさらによい!グラスに沈め〜からのところなど。
ノリが良く、とても耳に残る。友人がこの曲をアラームにしていたが、アラームにしたい気持ちがとてもわかります。
ドリーマー
汚い感情をノリノリの曲に合わせて爽やかにした感じがいい。
IN THE DARK
イントロの曲には度肝を抜かれるが、変なイントロから繰り出されるこの曲の完成度は高い。これもバランス型か。
ロスト
この曲は私の中ではかなりの上位に入る名曲。歌詞は大切な人を失ったことを歌っていて悲しい。
2012Spark
元気づける系の素晴らしい曲。明るいのに感動的。
これも名曲。私はノリがいい曲が好きなんですが、ロストやこの曲のように、暗い曲にも良曲が多い。
THE DAY
元からとってもかっこいいとは思っていたけど、ライブで聴いていたく感動しました。
狼
アゲハ蝶のB面だが、これがA面としてリリースされる予定もあったらしい。その世界も見てみたかった。絶対に売れる。
好きじゃない曲
カラオケなどで、一般的によく知られている曲を歌う必要がある場合でも、まずこの曲は選ばない。恋するウサギちゃんはどうなんだなどと思ってしまう。
この曲の主人公のような男性の恋愛観にイラっとしてしまう。同じ理由でラビュー・ラビューもムッと思うけどあっちはメロディは好き。
この曲をいまいち好きになれない一番の理由は、昔私がこの曲をカラオケで歌ったとき、あまりにも自分の歌が下手すぎて戦慄したことがあり、それを思い出してしまうからである。しかし、歌詞も好きじゃなくてもやっとする感じ。
元からあんまり好きじゃない曲だったが、昔付き合っていた人が、俺はグレてたけどこの曲を聴いてマトモになったんだよな〜的な武勇伝を語っていたので。
この曲はかなり好きじゃない。単調すぎるのが原因か。
結局beachに行けてない…
三月の機械室は寒い。ビル全体に快適な空調を提供するための機械が詰め込まれ、常に忙しく稼働しているが、地下三階のこの部屋自体は空調の対象外だ。本来人間のいる部屋ではないから当然である。
束の間静かになったかと思うと、あちらの機器が動き、こちらの機器が唸る。遥か上層まで温風を送るための、巨大な機械の稼働音。出入口の重たい鉄の扉には、騒音の漏れ出しを防ぐためだろう、「開放厳禁」のプレートが貼られている。
その扉の横には、在室者表示パネルがあるのだが、あまり意味はないのかも知れない。人がいると表示されているにも関わらず、全ての照明をオフにして出てゆく人が時々いる。後に残るのは機械が動く音と、非常誘導灯の光だけ。
私はその、地下三階の機械室で働いていた。申し訳程度に置かれたストーブは、部屋の寒さと広さに対してあまりに貧弱で、温かいと感じたことはなかった。仕事中もコートは脱がず、ヒートテックの腰と肩と下腹部に、貼るタイプのカイロを仕込む。電気ポットも電子レンジももちろんないので、温かい飲み物を一日に二本は買いに行く。それだけやっても、夕方には体が氷のように冷たくなる。大きな音をずっと聞いているためか、外に出ると全ての音が遠く小さく聞こえた。
ここまでの文章を読めば、そういう場で働く職業の人か、と思われるだろう。だが、実際はタイトルの通りである。Excelや専用ソフトを用いた書類作成が主な仕事であり、その他コピー取りや備品の注文といった雑務も行う、私はただの「派遣の事務の女性」だ。機械室の奥の、気休めのようにパーテーションで区切られた広場という就業場所以外は。
そこに常駐しているのは私一人だった。他の人は打ち合わせで外に出たり、営業所に出向いたり、同じ建物内の別の事務所で仕事をしていた。
ただの事務のくせに、スマートフォンは常に手元に置いていた。心証が悪いのは分かっていた。それでも手放せなかった。一人きりで機械室に置かれた心細さも多分にあったが、在室表示を見落とした誰かに照明を落とされてしまったら、光源は非常灯とパソコンのモニターだけになる。そうなると私はスマートフォンのLEDライトを点けて、機器の間の通路を通り抜け、自分で照明スイッチの所まで行かなくてはならない。そういう事態が、一日に三度は発生する。昔、自分で懐中電灯を持って歩くお化け屋敷に入ったことがあるが、今は何故あんなものにお金を出していたのかと不思議に思う。機械室に、脅かしに来るお化けはいない。誰も居ない。こちらの方がずっと怖い。
そんな環境で三日ほど働いた。たったの三日。その三日間で、私の心は駄目になった。四日目の朝、起き上がれなくなった。
目は覚めているのに体が動かない。スマートフォンの目覚ましアラームが鳴っている、うるさい、止めなければ。頭では分かっているのに、全身が鉛のように重く、手を伸ばすのも一苦労だった。起き上がることはもちろん出来なかった。
毛布にくるまったまま、体調が悪いので休みます、と派遣元と派遣先にそれぞれ電話を入れた。そのまましばらくぼんやりしていた。食事を摂るべきだと思い至って、ベッドの上を這い、落ちるようにして床に降りた。その姿勢のまま、壁を見つめて泣いた。
休むつもりなんかなかった。少なくとも昨日の終業の時点では。テキスト形式のToDoリストに、明日の作業に使うはずのファイルのパスを貼り付け、紙の資料は机の上に出しておいた。温かい飲み物を毎回買うのはお金がかかり過ぎると思い、買い物リストに魔法瓶と書き込んだ。小腹が空いた時のための飴のストックも、どの職場にも持ってゆく自作のマニュアルも、引き出しの中に入っていた。明日もここで仕事をするのだと信じて疑わなかった。
最後の一藁が積まれたのは、おそらく退勤後、帰りの電車に乗った時だ。運よく空いた座席に座ることが出来た私は、鞄から文庫本を取り出したものの、読む気になれず膝の上に置いてしまった。凍え切っていた体が、車内の暖房に温められて緩むのを感じた。それを自覚した時、ああ、今の私はホームレスの人みたいだ、と思った。
ローカルな現象かも知れないので補足しておくと、私が利用している普通電車には、時々ホームレスが乗ってくる。全財産であろう荷物を抱え、申し訳なさそうに体を縮めている。彼らが乗ってくるのは、決まって冷え込みの厳しい早朝や深夜だ。深夜営業のマクドナルドも、地下街もない田舎だから、初乗り料金の切符を買って電車の中で暖を取るのである。
彼らのほとんどは、きっと悪いことをしたわけではないのだろう。好き好んでそうしているわけでもないのだろう。私も同じだ。それなりに一生懸命やってきたつもりだった。そうして勝ち取ったものが、この労働環境と、冷え切った体だった。
心の背骨が、音を立てて折れた。
たった三日で、と書いたが、実際はそうではない。実は夏から、私は似たような環境で働いていた。
そこはとあるビルの、やはり本来は機械室で、冷房機器がなかった。もちろん窓もなく、日差しに焼き殺されることこそなかったが、這い上がってくる湿気に蒸し焼きにされるような、座っているだけで体力を削り取られるような環境だった。
体調を崩して病院に行くと、熱中症と診断された。冷房を付けないと体に毒ですよと医師に言われ、冷房機器自体が職場にないと伝えると絶句された。月の医療費は一万円近くに上り、休んだ分の給与はもちろん出ず、家計は逼迫した。冷房なしでも平気な鋼の肉体ではない私が悪いのか、と理不尽に感じた。
それでも働き続けたのは、頑張れば良くなると信じていたからだ。冷房は今手配してるから、という雇用主の言葉を信じていた。臨時の事務所と言えどここまでひどいことはそうそうない、とも聞かされていた。認められれば営業所への配属も叶うと思っていた。結局、夏も終わる頃になって馬力不足のエアコンが付いた。そんなものが要らない秋が来て、防寒着とカイロとヒートテックで武装するしかない冬が来た。
なんとかそこでの仕事を二月いっぱいまで勤め上げ、三月からの配属先も機械室の臨時事務所だと聞かされた。今度はきちんとした事務所でしょうね、と私は確認した。ちゃんとした事務所の体裁になっている、という言葉を信じて、契約更新の書類に判を押した。
ちゃんとした事務所。
机とパソコンが置かれ、電話と通信環境さえあれば、それは「ちゃんとした事務所」ということになるのだろうか。パーテーションを暴力的に乗り越えてくる冷気と騒音は、ないものと見做すのが一般的なのだろうか。私には分からない。
ただ、体を壊し、薄給にも耐えて、それでも次は良くなると信じて頑張った結果がこれか、と絶望を噛み締めるには十分だった。新しい事務所の環境も、三日間という時間も。
仕事に行こうとして起き上がれなかったあの日から一週間、ずっと泣いて過ごしている。正確に言うと、何をしても涙が出て止まらないのだ。あの機械室で過ごした時間よりも、自室の壁を見つめて泣いている時間の方が長いというのはどういうことか、自分でもおかしいと思う。
年甲斐もなく泣きじゃくりながら関係者に電話をして(泣き止んでいる時間がほとんどないのだからやむを得まい)、とりあえず休職することが決まった。仕事が休みになったらやりたいと思っていたことは沢山あったはずなのに、旅行はおろか、買ったままになっていた本を開く気力もまだ湧かない。せめて気持ちを整理しようと、布団に潜り込んだままタブレットを使ってこの文章を書いている。
まだ耐えられる、という考え方は危ない。自分の限界と、改善の時期を正確に見極められるのならその限りではないが、少なくとも私には無理だった。まだ働けると思っていた。自分の限界は、思っていたよりも小さかった。
雇用主の人は、どうか労働環境に気を使って欲しい。口では耐えられると言いながら、無自覚のダメージでボロボロになっている、私のような人もいるかも知れない。同じ環境に置かれても、年に八百万円貰っている管理職と、四百万円貰っている社員と、二百万円貰っている派遣社員と、仕事が大好きで報酬なんか気にならないという人では、耐えられる限界がそれぞれ違う。
もし望まずに似たような環境に置かれている人がいたら、出来れば逃げて欲しい。次の仕事も見付けられていない私が、逃げても大丈夫だよ、とは到底言えないから、「出来れば」としか言えないのだけれど。朝から晩まで涙が止まらず、食べ物を買いに出れば道行く人や店員にぎょっとされ、転職活動をしようにも履歴書に貼る写真が撮れない、自分の好きなことも楽しめない、友人からの電話を受けてもロクに話せない──こんな状態になるくらいなら、もっと早く逃げておくべきだったのだと思う。
涙が止まったら、仕事を探しに行くつもりだ。最低限の空調機器の備わった居室で働かせてくれる転職先が、見つかるといいのだが。
【同月16日23時 追記】
勢いのまま書いて投稿したものに、多少の加筆修正を行った。面白くもない話題の長文なのに、予想よりもブクマ数が多くて驚いている。目を通してくださった方、ありがとう。その程度で休むのか、とのお叱りも覚悟してコメント欄を開いたはずが、今は世界の優しさを痛感している。
子供の頃の夢は作家だったので、文章力を褒められたり、覆面作家じゃないかと疑われるのは面映ゆい。私が本当に作家だったら、有名なジョークよろしく「良かった、可哀想な派遣社員はいないんだ……!」となって、それはそれで良かった気もする。
現実の私は、ボイラー技士の資格は持っていないが、その類の業界の専用ソフトの扱いに慣れている。派遣会社は業界経験者優先で仕事を紹介するし、少人数の臨時事務所は特に教育不要の経験者を欲しがるわけで、私が同じ業界の似たような職場に続けて派遣されたのはさほど不思議なことではない。
この労働環境が法に触れるものであることは、私も承知している。ただ、同じ事務所に出入りする他の社員たちは、不満は言っても我慢は出来るという様子だった。性別も給与も、滞在時間も違うのだから仕方がない。
私が一人で告発したとして、正社員ならふてぶてしく居座ることも出来るだろうが、派遣社員の場合はそれが原因で(表向きは「経営上のやむを得ない事情」で)即座に切られる可能性がある。自分の就業中にはとても出来なかった。逆に今の私は失うもののない身なので、後任が同じ目に遭う前に一言言っておきたいとは思っている。
本文中にも書いた通り、もしこれを読んでいる中に環境を作る側の人がいらしたら、少しの配慮をお願いしたい。この記事へのブクマコメントだけでも、「私より辛かったんじゃ……?」と思うような書き込みが複数あった。それらは全て、改善されるべきものだ。改善出来ない立場の人は、どうか自分の身と心を守って欲しいと願う。
幸いだったのは、今回の派遣先が短期契約で、私も近々次の仕事を探す心積もりであったこと。転職情報を集めたり、職務経歴書を作り始めた矢先だった。自分の心が折れたのは計算外だったものの、少し休んで五月くらいに次の仕事を見付けられれば大体予定通りだな、と結構気楽に構えている。
収入が絶えることだけが不安だったので、傷病手当金を貰える可能性があると教えて頂けたのは助かった。貰えないとしても、自分のメンタルケアのためにも明日は病院に行くつもりだ。
名も顔も知らぬ私の文章を読んで、心配してくれる人がいる。それだけで心が軽くなった。本当にありがとう。
ストレス要因はなくなったので、たっぷり寝て美味しいもの食べて、あとはジョギングしてプール行って本読んで映画観てカラオケに八時間くらい篭もれば回復すると思う。今はまだ泣いてるけど。私の今後のことは、どうかご心配なく。
目覚まし時計の電池が切れていて設定時間にアラームが鳴らず冷や汗を書くことがなんどかあり、まじで心臓に悪いので冗長化した。
・目覚まし時計①のアラームを起きたい時間の10分前にセット。目覚めの暖機運転。
②と③は最後の警告としてのアラームなので、これがなったら「絶対に」起きる。
また、②と③のアラームの設定時刻は下手にずらさず同じにしておく。
ずらしてしまうと後になる方を信用して二度寝する可能性があるため。
仮に片方が鳴らなくても可用性を維持できる。
追記:
ブコメ見た。乾電池で動くタイプの時計以外にスマホのアラームもまぜておくと安心度が増しそう。
あと、怖いなと思うのが全て電波時計タイプで統一してしまうこと。事例あるのか知らないけど電波障害かなにかで一斉にずれたらと思うと・・・
好きなアーティストがいた。
彼の紡ぐ歌詞と声が好きだった。
彼の音源を聞いているだけで満足だった。
変な夢観たな、でも楽しかったな。なんて思いながら家を出た。
慣習にならい、今日もイヤフォンを耳につっこみ再生ボタンを押す。
イントロを終え彼の歌が入る。
ひとつめは、夢でみただけで(一方的な脳の幻想で)人を好きになってしまったこと。
アラサーになり久しい自分が、まるで中学生のような惚れ方をしてしまった。しかも、性欲に直結する欲望とともに。その気持ち悪さったら筆舌に尽くしがたい。
ふたつめは、好きな音楽を聞けなくなってしまったこと。彼の声を聞いているだけでムラムラする。とてもじゃないが出勤どころではない(アヘ顔で電車に乗る趣味もない)。
今日は違うアーティストを聞いて出勤してきたが、どうにも仕事に熱が入らない。
どれくらい集中できないかというと、こうして増田に文字をしたためていることで説明がつくと思う。
どうしよう、ドキドキ!彼にラブレター送っちゃおうか!とすぐに行動におこすほど若くないし、この思いが成就しないことも承知している。バンドマンを本気で好きにならないという硬い決意もある。
歳をとることはいかに自分が傷つかず穏やかに過ごせるか術を学ぶもので、時が経てばこの思いが消えることも知っている。
それでも私は今夜も彼のLIVE音源を聞きながら眠りにつくだろう。
夢で彼に会えることを期待して。
http://anond.hatelabo.jp/20170215202351
私も夢の中で目覚まし時計の音を(音楽,BGMとして)聴いたり夢の中で朝の支度をしたり夢の中で授業を受けたりする人間です。
ベッド横のテーブルに置いてある目覚まし時計の音は全く聞こえない(目覚ましとしてではなく、夢の中の音楽としても)けど、枕元のスマホで設定したアラームの音は辛うじて聞こえるし、(よく失敗するけど)目を覚ませる人間です。
そんな私が起きられる方法、起きられない方法をメモ代わりに置いておきます。
参考にもならないと思いますが…
ダメです。全く聞こえません。聞こえなさすぎてこれを聞いた家族が声を掛けに来るという使われ方をしています。
ベッド横のテーブルに置いてあるため、距離が悪いのかもしれません。枕元に置いたらどうかな。
2.枕元のスマホのアラーム(睡眠サイクルに合わせて起こしてくれるやつ、好きな音楽)
辛うじて目は覚める。起きられるかどうかは別。
音楽を変えられるのが良い。音に慣れてくると起きられなくなりますからね。
3.カーテンを開けっ放しにする
朝日で起きようなんて甘い考えをした私が悪かった。
このレベルになると光で起きようなんて戯言ですね。
4.照明付き目覚まし時計(鳥のさえずりで起こしてくれる)
こいつは我が家の電気をいたずらに消費しているだけなのでは…?と思います。
寝過ごして目が覚めるとこいつが誰にも気づかれることなく優しく(と言ってもLEDの白ーい眩しいライト)光っているので虚しくなります。
起きれる人向けのインテリアだったんや。
5.家族に起こしてもらう
100%二度寝します。家族への申し訳なさが募り、家族も辟易、良いこと無し。
6.友人にモーニングコールを頼む
学生のうちしか使えないだろうなと思いますし、学生でも休み期間中などは使えませんが、家族が声を掛けに来るよりずっと起きれます。
家族以外に迷惑かけたくない、そもそも家族以外と会話するのが億劫だ、という性格だからかな。
モーニングコールサービス等で代替可能だと思います。私みたいな性格の人におすすめ。
今思い出せるのはこのくらいかな。
元増田です。
アドバイスなどなどありがとうございます。
自分が楽しみにしていた予定のある日でも、仕事のある日でも盛大に寝過ごして悔しい思いをしたり迷惑をかけたりして、
本当に嫌で嫌で、寝坊して起きたら衝動的に壁に頭を打ちつけてしまうくらいには自分で自分にイラつくのですが、
いつまでたっても直らないし、色々あって、やる気や根性ではこれはもうどうにもならないんじゃないかと思い始めたのが数年前です。
数年に渡ってあれやこれやと試してはいるのですが、あまり金銭的に余裕もないので、なるべく安く試せるものから手を出している感じです。
起きられる勢の人たちがアラームが鳴った際にどういう感じで起きてるのか知りたいなーというところがメインだったので特に書かずにいましたが、
発達障害(ADHD/PDD)があるせいか生活リズムが簡単に乱れたり自律神経がすぐ興奮したりと、なんだかんだ妙な特性があったりするらしく、
色々なところにむずかしさが散らばっていて普通の手段ではなかなか効果が得にくいというようなことがあるのかもしれません。
あと、そもそも睡眠障害なり何らかの病気を疑うレベルで私の状況は「おかしなこと」なのでしょうか。
確かに社会生活には影響が出ていますが、私自身としてはずっとこうだったので、周りの人と少し違う気はするけど……というくらいの認識です。
仕事にも月1回か2回程度、致命的に寝過ごしてしまう日がある他は、フレックス制の時間内でなんとかなる範囲で行けていますし。
まあ、11時までに出社すれば制度上OKなのに連絡は9時までに電話連絡必須という、普通の人には当たり前に実行できる(上司談)ルールの運用が始まったおかげで、
9時5分に目覚めて連絡して10時頃に出社していたら、制度上遅刻ではないが無連絡遅刻であると頭の痛いことを言われ始めてクビが危なくなってきたわけですが……。
発達障害の方でかかっている医者に、起きられないとか寝つきが悪いとか相談しても、よくあることと言う感じで睡眠薬や導入剤や生活指導を受けるだけで終わってしまっています。
色々とご指摘を頂いたことで、本格的に別の病院にもかかってみるべきなのかもな、と思い始めました。
前々から気になって調べてはいたのですが、睡眠外来がそもそもあまりないし、あっても無呼吸症候群に特化していたりして二の足を踏みっぱなしでした。
それにしても、やってるやってるということから、試してみたいと思っていたこと、昔やったなーということまで色々挙がっていて興味深いです。
いい機会なので、自分の睡眠にまつわる諸々の要素を点検して、まずなにがどう難しいのか、どういった問題を抱えているのか、ちゃんと再調査してみようと思います。
起きられる側からすると、カプセルホテルとかで鳴っている目覚ましの持ち主が起きないってどういうことだよ。死ね。って思ってる。
俺は目覚まし時計ではろくすっぽ起きられないんだけど、俺からすると起きられる人って逆にどうなってんのかすげー不思議。
ぼちぼち本気で仕事をクビになりそうだから自分としてもなんとかしたいのだけれど、病院に行っても睡眠薬や導入剤を出されるばかりで、
飲んでみても全然寝付きやすくはならないのに起きるのばかり辛くなったり、日中も会社に寝に来たのかというくらい居眠りしてしまったりで全然ダメだし、
起きる習慣づけ行動とかもやってみても、気負いすぎてただ眠れなくなって結局徹夜になって翌日ぶっ倒れるだけだしでマジでどうにもならない。
で、目覚ましなんだけど、そもそも聞こえてない日があるっていうのはちょっと置いといて、
聞こえても夢の中では目覚まし時計だと気付かず、音が夢のストーリーに組み込まれてしまって、鳴っていることを受け入れてそのまま夢の世界にステイしてしまう。
大音量を発する"そういう生き物"の世話をしている夢とかになって、騒音を受け入れてしまう感じ。
大体夢がひと段落して気持ちよーく目覚めてから、あれ、夢見てた……?ああ、もしかしてあの音目覚ましか……と納得する感じ。そのあと、あ、寝過ごしてる!!と気付く。
寝てる最中は夢だと気付いてるわけでもないから自力では覚醒に至らなくて、結局大音量で一時間も二時間も鳴りっぱなし。
そこで、起きられる人は夢の中で目覚ましの音っぽいのが聞こえてきたときに夢が中断したり「お、目覚まし鳴ってる」とか思って起きてるのかなー?というのが気になった。
なにせ目覚ましの音を聞いて「もう朝か、起きなきゃ」なんてまどろみから這い上がる思考、フィクションでしか見たことがない。
他人にかなり強引にどついたり蹴ったりされて起こされるか、そのままそんな出来事の記憶すらないままに二度寝して自然に目覚めるか、
夢を満喫して自然に目が開いて起きるか、居眠りから起きるときのように、もしかして今寝てた!?と飛び起きるかしか経験がない。
それはそれで睡眠の質とかがなんか悪そうな気もするのだけれど、みんなこんなものだろうと思っていたのに、
毎日ぬぼーっと生きていた。
先日iphoneのメモに行動記録と称した日記が残っているのを発見した。2013年のメモ。
「朝6時20分起床、アラームが何度かなったが結局この時間だった。顔を洗って弁当をつめる。」とか、書いてるの。
「通勤電車で~を読むが、…がわからない」「21時から~を勉強」「電話がかかってくるまでにゃんこ大戦争をして待つ」とか。
4年前のことだが、そのきちんと生きている様に心打たれて、もう一度日記をつけることにした。
そうしたらあら不思議。朝早く起きられるし、ある程度仕事がはかどるのである。
読み返すのにも、無機質なフォントだと読みやすいし恥ずかしくない、と4年越しに紙より効果があるとわかる。
何にもないことでも、誰が読まないことでも記録に残せるっていいぞ。おすすめ。
Jリーガーだった。
つい先日、取引先の人に「前の会社ではどんな業務をしていたの?」と聞かれた。「プロ契約でサッカー選手をしていました。」と聞かれたら驚かれた。僕はJリーガーだった。でも、かつて所属していたクラブのサポーターですら、僕の名前を聞いてもピンと来ない人も多いだろう。その程度の選手だった。経歴を詳しく書いても、僕のことが分かるのは僕の知り合いくらいだろう。なので書いてみる。
山に囲まれたド田舎に生まれた。7歳で幼馴染とスポーツ少年団に入った。たまたま県選抜に選ばれて、地元の広報に載ったりしてちょっとした人気者だった。小学校6年生の時、県外のプロサッカーチームのジュニアユース入団試験を受けた。もし合格していたら、両親は仕事を辞めて、家族で引っ越す予定だった。ジュニアユースに入っても、そこからトップチームまで昇格してプロになれるのは一握りなのに、仕事を辞める覚悟で応援してくれた。でも僕は落ちた。普通に落ちた。
田舎の中学校に進学した。小さな中学校にはサッカー部はなかった。陸上部に入った。1年生の時に、走り高跳びで県大会入賞した。それでもサッカーをしたくて、1年で陸上部を退部した。放課後は親に車で迎えに来てもらい、片道1時間かけて市外のサッカークラブで練習をしていた。中学校を卒業すると、県内一のサッカー強豪校に一般入試で入った。
サッカー部の部員は100人を超え、県外から入ってきたエリートが沢山いた。僕がかつて落ちたジュニアユース出身で、ユースに昇格できずに入部してきたやつもいた。サッカー部も寮生活も上下関係が厳しかった。4人部屋の寮は、自分以外先輩だった。朝は先輩よりも早く起きた。目覚ましの音で先輩を起こしてはいけないので、目覚まし時計を抱えながら寝て、アラームが鳴って1秒で起きた。6時にはグラウンドに行った。掃除や雑用もこなした。なぜか女子マネは雑用をほとんどやらなくて、1年生が雑用係だった。授業が終わるとダッシュでグラウンドに行き、全体練習の後も居残りをして20時過ぎまで練習をした。100人を超える部員の中で埋もれていた。1年生の秋、部内の身体能力体力テストのとある項目でダントツ1位を取った。テスト全体でもかなりの好成績だった。これがきっかけで、監督が少し目をかけてくれるようになった。
3年生が引退したあと、2軍チームに入るようになった。そのあとすぐに1軍チームのメンバーに入った。高校サッカー選手権予選にはプロクラブのスカウトも来ていた。チームのメンバーで声がかかった人もいる。僕は声がかからなかった。3年生になってすぐ、自転車で転んで手首を骨折した。休んでる間に、期待の1年生にポジションを奪われてメンバー落ちした。最後の全国高校サッカー選手権はスタンドで応援した。目立った活躍もできないまま卒業した。
大学生になって一人暮らしを始めた。プロになることは諦めていた。一応サッカー部に入った。サッカーが好きだったし、就職のことも考えて部活はやっておいた方が良いと思ったからだ。自主練はしなくなり、休みの日は日雇いのアルバイトをした。楽しかった。意識が変わったのは、高校時代の1学年上の先輩の近状を知ってからだ。その先輩は高校3年生当時、就職も進学も決まってなかった。卒業後は地域リーグのクラブとアマチュア契約をしていた。その先輩が地域リーグで活躍し、J2のチームとプロ契約をしたと知った。自分にもチャンスがあるかもしれないと思った。サッカーに真剣に取り組むようになった。3年生の時に、部活の顧問のコネであるJ2チームに練習参加をした。全く練習についていけず、邪魔だから帰れと言われた。なぜか翌年、そこからまた練習参加の打診が来た。手ごたえはあった。これでダメならもうあきらめがついた。そして僕にプロ契約のオファーが届いた。
C契約とよばれるランクの低い契約で、1年契約だった。そのクラブは、J2リーグの中でも資金力がなく、歴史も浅く、リーグ下位のチームだった。当時そのチームは、大学から新加入選手を大量に獲得していて、僕もその1人だった。年俸は詳しく書けないけど200万台だった。そこから税金や年金を払うことになる。そんな待遇だけど、一応Jリーガーとなった僕に周りはチヤホヤしてくれた。両親や恩師はすごく喜んでくれたし、ずっと連絡のなかった地元の知り合いや親戚からいきなり連絡が来たし、サインを頼まれたし、1度も話したことのない大学の女の子から告白されたりした。
ガラガラの会議室で入団会見をして、住み慣れない土地で寮生活を始めた。Jリーガーはチャラいイメージがあるかもしれないけど、田舎だし車もないしで、サッカー以外やることがなかった。チームメイトの車に載せてもらい練習場まで通った。ここから華やかなプロ生活の話でもしたいけど、僕はほとんど試合に出れなかった。僕がプロとして公式戦に立った時間は、2年間で合計100分に満たなかった。100試合じゃなくて100分。遠くから親が試合を観に来てくれたことがあるけど、結局1回しか試合を見せることができなかった。その時の出場時間も6分くらいだった。僕は2年で退団をした。トライアウトも受けたけどプロ契約のオファーはなかった。そしてサッカー選手を引退した。引退した時は冷静だった。自分よりも、両親の方が落ち込んでくれた。
プロをしていてうれしかったことは、社会活動の一環で小学校を訪問したことだ。子どもと一緒にサッカーをした。その時に一緒のグループでサッカーをした男の子が、僕の所属するクラブチームのファンだった。その子は僕の名前も顔も知らなかったけど、それ以来僕の背番号のユニフォームを着て応援に来てくれるようになった。全く試合に出ない僕の背番号のユニフォームで応援やイベントに来てくれた。
引退したサッカー選手はただの一般人だ。僕は所属していたサッカークラブからの斡旋で、某民間企業のインターンシップを半年間受け、その後正社員になった。入社した時期は本当にきつくて、こんな仕事すぐにやめてやろうとか、他にやりたいことを探そうとか思ってたけど、なんだかんだで続いている。サッカーは全くやらなくなった。飲み会で、新しく入ってきた会社の後輩に「ここの会社に入る前はJリーガーをやっていたよ」と言ったら冗談だと思われた。サッカーのことは忘れようとしていた。
昨年末に母が亡くなった。4年ぶりに実家に帰った。実家の片付けをしていたら、母が保存していたスクラップブックが出てきた。小学生の時に県選抜に選ばれた時の広報、高校時代のチームの結果が載った新聞記事、サッカー部員として大学のパンフレットに載った時の写真、入団が決まった時の記事、Webで配信されたニュース記事を印刷したもの、僕の試合を観に来てくれた時のチケットの半券、試合のチラシ、とにかく何でもスクラップしていた。今までのサッカー人生と、母の思いに涙が止まらなくなった。たった2年間でも、プロとしてユニフォームを着れたことを誇りに思っている。
偉大なる元増田様 ttp://anond.hatelabo.jp/20170117145052
キャッシュ(ttp://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:ttp://anond.hatelabo.jp/20170117145052)
何故ここへ来たのか、それは飯がうまいらしいということと、リラックスできるといろんなサイトに書いてあったからだ。
しかし著名な観光地や建築は自転車を借りて半日も走れば全部見れた。
その都市も1日あればある程度の名所が見れた。
まだ日程に余裕があるので、いわゆるリゾート地と呼ばれるところへ移動した。
欧米人が好きそうなものを出すレストランが立ち並び、安くてボロいバンガローがある。
そこも1日で名所を見てしまったので、
とりあえずぼーっとハンモックに揺られながら日本から持って来た小説を読んだり、ビールを飲んだりしてゆっくりと過ごした。
そこに通う日々が続いた。
飯は欧米人好みの味付けが濃いものが多いが、ビールは飲みやすくて好きだった。
メニューを見ると、「うちのフルーツシェイクはとてもうまくてハッピーになれる!うちの人気メニューです」ということが英語で書いてあった。
そういえば果物が美味しいと聞いたのに、フルーツシェイクを飲んでないなと思って、
フルーツシェイクとハンバーガーを食べて宿に戻ろうとした時、なにか嫌な予感がしたので、
そして部屋に戻った。
宿のWi-Fiをつかっていつも聞いてるポッドキャストを聞こうとしたら、
ジングルの曲がすごく鮮明に聞こえた。
そして目の前がぼやけた。
そしてとても喉が乾く。
そう、そのハッピーになれるフルーツシェイクの中には大麻が入っていたのだ。
朦朧とした意識の中「国の名前 ハッピーシェイク」で調べると、
どうやらこれを目当てにこの国へ来る人が多いことを知った。
気の緩みと事前の情報不足からなんてことをしてしまったんだという罪悪感に駆られた。
ちょっとでも気を緩めると、夢のような感じで過去の自分の記憶が見える。しかも実際はなかった嘘の記憶も紛れている。
このまま寝ると死ぬかもしれない。
宿の代金が払えないでそのまま追い出されたり、悪い人が自分の財布の中身を盗んだり、パスポートを奪って脅してくるかもしれない。
悪い妄想がどんどん浮かぶ。
この酔いに身をまかせるときっと楽になれる。でもやらなきゃいけないことがあるんだ。
旅行から帰ったら仕事があるし、見たい映画もあるし録画してる番組も見たい。
それにたまには帰省したい。
このまま死んだら薬物を使った日本人として報道され、周りに迷惑をかけるかもしれない。
それは絶対に嫌だ。
そんなことを考えながら、飲まれないよう必死に神経を研ぎ澄ます。
ある程度覚めたところでシャワーを浴び、絶対に起きるようにアラームをセットした。
翌朝、アラームの音で目覚める。
特にふらつくこともなかったので、朝食を食べに出る。
食後、異常な眠気と倦怠感に襲われる。
まだ出発まで2時間もある。
外で耐えると怪しいと思い、チェックアウトギリギリまで部屋で耐えた。
すると終わりだ。
だから何にも集中しないように心の中で、セルフツッコミを入れ続ける。
そして近くの町へ移動。
なんてことになったんだ、最悪だ。
そんな後悔を寝付けるまでつづけていた。
部屋は鍵がかかっていて安全だ。
たまにお腹が空いた時だけ外に出た。
そして帰国。
聞こえてくる日本語と乗り換えで小走りになる人を見て泣いた。
お風呂を沸かす。
風呂の中で生きていることに泣いた。
寝て起きたら忙しい日常に戻る。仕事は辛いけど、2度とこんな目に合うことはないだろうと考えると、最高だった。
日本は本当に良い国だ。
そのあとしばらくお酒を飲むのをやめた。
1週間くらいは電車の中で寝れなかった。
その頬は一体どんな味がするのだろうか。
隣で静かに寝息を立てている妻の横顔を見ていた男は、あまりにも自然にそんな疑問をもってしまったことに少し戸惑った。
しかし、湧き上がった疑問は消えるどころか、次の瞬間にはより実感を伴う疑問に変わっていた。
そこに歯を立てるとどんな感触を返してくれるのだろうか。
容易に噛み切ることはできるか、それとも繰り返し掘り進むように噛み続けなければならぬのだろうか。
噛んだ先から血がにじみ出ては噛みちぎるのにも一苦労であるし、そもそも血の味ばかりでは肝心の頬がどんな味なのかわからなくなってしまうかもしれない。
突然噛み付けば妻は当然抵抗するに違いない。それに、噛みちぎられた跡が残れば妻のその美しい顔が台無しである。
そんな好奇心を満たすよりも、単純に考えれば愛する妻を失うことのほうが辛い。
ひとしきり考えた後にこれが叶わぬ妄想であることが理解できた男は、軽いため息とともに枕に顔をうずめて眠りに落ちようとした。
僕が君の頬を食べたいと真顔で訴えたなら、妻はどんな顔をするのだろう。
その時、男は何かを思いついたかのようにスマートフォンを取り出すとアラームをまだ日も昇っていないであろう早朝に合わせてセットした。
男はスマートフォンの画面が消えると同時に闇に溶ける瞬間、何かを企むかのような不敵な笑顔を浮かべていた。
男が降りたのは勤務先の最寄り駅ではなく、幾つかの路線が乗り入れるこの辺りでは最も大きな乗換駅だった。
この駅が持つとある特徴を男は知っていたのだ。
この駅を挟んだしばらくの区間には特急電車の停車駅はなく、前後にカーブも少ないことも手伝って、特急列車がこの駅を通過するときにほぼ最高速度に達するのだという。
ブラック企業は労働者を搾取する悪の権化であるが、その逆であるブラック労働者はあまり聞かない。
私はとある底辺ITブラック企業に勤めている。どれだけ働いても残業代は出ないし、上司のパワハラは日常茶飯事だ。
しかし私も一労働者として黙っている訳にはいかない。ブラック企業への理不尽な要求に甘んじて応えている社畜も世の中にブラック企業をのさばらしている原因の一つのといえよう。
そこで今日はそんな社畜ことブラック労働者である私がブラック企業へ行っている、若くは行おうと思っているささやかな仕返しをまとめたいと思う。
【経済制裁】文字通り会社の費用を利用したささやかなブラック企業への仕返し
・遠回り通勤費
普段乗らないやや遠回りの経路を会社に申告して通勤費をやや多目に搾取するワザ。これは割と皆やっているのでは無いだろうか。都内のように通勤経路が何通りもある場合に限る。加えて「やや」という所が重要。
上級者はやや多目の通勤費を3ヶ月分搾取し、原付を購入し、原付通勤をする。会社規定に車通勤可かを確認し、通勤時はアフロヘアーをかぶる必要がある。もちろん不必要になった時は売ってしまえばいい。
出張時にホテルなどに泊まった時に発生する費用だが、1日の上限がある場合が多い。上限いっぱいに請求する事はもちろんだが、世の中には「この部屋泊まったら3000円の図書カードあげるよ」みたいなホテルが存在する。上限を加味してキャッシュバックが大きいホテルを選ぼう。
・いないいない住居手当
家賃の何パーセントかを会社が負担してくれる手当だが、これは是非遠回り通勤費と合わせ技で使いたい。わざと住居を会社からいい感じの遠い場所で申請し、実際は違う場所から通っているという搾取方法。住民票や賃貸契約書を提出しなければならない場合が多いので、実際に契約しなければならないので注意が必要。あとは会社から近い友達の家や彼女の家から通勤すればいい。ちなみに一度申請してその後すぐに会社近くに引っ越しをして申請をしない…みたいなやり方は避けたほうが無難。バレたらやばい。申請した通勤費と住居手当を実際の通勤火と住居費(彼女やルームシェアしてくれる友人に払う金額)をしっかりと確認しよう。
これは会社というより個人からの搾取になるが、自らが幹事となりパワハラ上司から会費をやや多めに徴収し会計するワザである。嫌いな上司であればあるほど多めに徴収しよう。ちなみに会計時はマイルのたまるカード決済がオススメ。交際費として会社に申請する場合は領収書が必要となるので、交際費として発生しないギリギリの規模の飲み会は自ら率先して幹事をやろう。もちろん多めに徴収する人には強いお酒をすすめよう。ちなみにお店とグルになって領収書を改ざんして会社に請求するのはヤメよう。国税庁がくる。
さらに上級者は覆面調査ができるお店を選ぼう。世の中には覆面調査というバイトがあり、文字どおり覆面で調査を行い、調査結果を報告する事で報奨金がもらえるバイトである。中にはお食事代の何パーセントかをキャッシュバックしてくれる案件などもあるので積極的に活用していこう。
・給料泥棒
文字どおり仕事を一切せずに給料だけを搾取する上級者向けの技だ。会社は簡単にはクビに出来ないという性質を逆手に取った搾取方法だ。勤怠さえしっかりしていれば懲戒解雇にはなりにくい。定時退社でも全然大丈夫だ。納期寸前まで「大丈夫です」「頑張ります」と言い続け納期直前でアラームをあげよう。会社の評価はガタ落ちだ。もちろんアラームをあげた後はすぐに退職届けを提出しよう。この技を始める前は転職の内定をもらってからにしよう。
【評価制裁】会社の評価を著しく低下させ、未来ある若者に入社させないようにする仕返し。転職の内定を取得してから行うのが望ましい。
転職サイトには前職への評価をするサイトがあったりする。もちろんそこには低評価を書き殴ろう。事実を踏まえ、社内規定ギリギリのラインの所まで書きなぐってしまおう。未来ある若者へのラブレターだと思おう。
意味の分からない変数を多用して会社の技術力の低さを誇示しよう。configの値を縦読みにして遊んでもいいかもしれない。変数の名称は変だけどバグが少ないというのが最適。コメントには必ず自社の名前をつけよう。次の人が会社の技術力の低さをわかってくれるだろう。
レビューは何回も間違おう。客先のレビューで重大なミスがあれば尚いい。再レビュー時にもまた同じ箇所を間違おう。技術力の低さを存分に見せつけてやろう。バグの報告は最後まで言わないでおこう。