はてなキーワード: 早慶とは
阪大や東工大にいると、所詮我々は東大でも京大でもないし、そこそこまともに研究や勉学や就活ができるのはここでギリギリだ、
これ以上さがると未来はない、くらいに思ってて割とコンプレックスとか悲壮感とかがあったりするんだけど、北大や九大の人は、
かと思えば、西日本にいたら阪大ですかー優秀なんですねって言われても、関東じゃ、阪大?ふーん大阪の地方大? くらいな人も多いよね。
関東じゃマーチで優秀! みたいな風潮があるけど、関西じゃ、法政?明治? 野球強いとこ? くらいな印象だったり。
田舎にいったら、東大京大ならすごいけど、それ以外なら地元の国立大しか認めない!
早稲田? 一橋? 阪大? なんで地元の岡山大に行かないんだ! なんで地元の熊本大に行かないんだ!
ってお怒りになる方々も多数おります。
北海道や福岡は特に北大アゲ、九大アゲがすさまじくてひくレベル。
幼少期
・泥遊びをさせる
・とにかく体を動かして遊ばせる
・英語でディズニー・アニメを見せるなど、マルチリンガルになれる基礎を作っておく
・格闘技を習わせる
・勉強は最低限で、体力を作り、集団の中でリーダーになる経験をつませる
・人生の中で唯一、犯罪まがいのことをしても許される時期を満喫させる
・不良に憧れるバカ女の彼女ができるから、連れ込めるようにボロアパートを借りて一人暮らしさせる
・卒業するまでにやることやって、さっさと反抗期を落ち着かせる
・語学だけはできるので、半年ぐらい受験勉強して中の上の高校に入らせる
・高2までは勉強よりバイトしてバイク買ったり楽器買ったり、友達と夜通し遊び歩いたりする経験をさせる
・受験は高3から始めて、一浪させて得意の英語を武器に早慶文系に入れる
・ずっと真面目に生きてましたって顔を覚えさせる
昔から不動の人気を博している「慶應ボーイ」と「ワセ男」。確かに良い男は多いけど、他の大学の男の子はどうなの!?
実は今狙い目なのが奈良先端科学技術大学院大学の男の子通称「NAISTボーイ」。モテモテ慶應ボーイより、ガッツあるワセ男より、NAISTボーイを彼氏にする理由をご紹介します。
偏差値はよくわからないし、低くはない。凄いお金持ちもいるし、奨学金で生きてる極端な貧乏も。専門的な理工学の知識を持っていて、その分野で一流の専門的な会話ができる男の子が多いのです。「専門家が一番」と言う言葉をよく耳にしますが、「一流」にすることは実は大変な事なのかも。
NAIST生は5割が京大・阪大を落ちた人たち。受験勉強では所謂“挫折”を経験しているのです。挫折を経験せずに全て完璧で何の苦労もなかった男の子は、自分が辛かったり挫折した時に気持ちを分かってくれません。NAISTボーイならその気持ちが痛いほどわかるはず。
NAISTボーイは母校がいっぱいあるので、他大の人とも分け隔てなく仲良くする事ができるのです。また、大学院に入学する前に学部から上がってくるばかりでなく、高専から入学する人、一流企業をやめてくる人、大学院を渡り歩く人等様々な人種がいるため、色々な人種の友達と繋がっているのです。
「普通の人生」という大きな壁に敗れたNAISTボーイ。それでも奈良先端科学技術大学院大学という知名度のない大学院に入学したのだから、少しの事ではへこたれないハングリー精神の持ち主なのです。
人生を踏み外した仲間が10割もいるが故、その“コンプレックス”が、“コンプレックス”にならずにもはや“合言葉”になるのだ。そして恥ずかしげもなくそれを他人に言う事ができる。嫌みっぽくないので聞いているこちらも清々しく、応援したくなるのです。
NAISTは理系大学院のみの大学、だから女子が少ないのです。女子より留学生の方が多いくらい。そう、NAISTボーイは女子からの熱い視線から反れたところで生息しているのです。だからこそ良い男の子がゴロゴロ余っているのです。
公立の中学→私立高校→私立大学→今の職場 と進んできた自分。
ふてくされておおっぴらに言えないような不良生活をした。
とうとう退学処分の一歩手前まで行ったが、先生のお情けで許して貰えた。
少しだけ特技のあった自分は、地元の私立高校に推薦で入学した。
無勉で受かったといっていい。そして、大学も同じように推薦で入学。
知識ははっきりいって中学生以下のレベルだ。一般動詞とbe動詞すら危うい。
「こんな成績見たことないよwww」と教授にネタにされて恥ずかしかったのを覚えている。
親に無理を言って東京の私大に入れてもらった事もあり、就活については一生懸命やった。
一応名前の知れている大学に入ることができたため、書類選考ではまず落とされない。
「一般常識」については、こんなバカでも問題集を一冊やるだけでスイスイ通った。
集団面接やグループディスカッションも難なく通過することができた。
遊んでいた時代に身につけた、盛り上げ方やハッタリの利かせ方が効いた。
真面目君やいい子ちゃんが多すぎるのだ。
コツさえ掴めば内定は有り余るほど手に入れることができた。
「ああ、真面目にやらずとも、一流の会社に入ることはできるのだな」
と世の中の不条理さに複雑な気持ちになった。
しかし。会社で働いて三年が経とうとしている今、息が詰まるような感覚に襲われている。
優秀な奴らが周りに多すぎるのだ。休みの日や帰宅後の時間をスキルアップに費やしてます、なんて奴ばかり。
飲みに行くと、平気でビジネス書の受け売りのような内容のことを喋る同僚。会社から独立したいとかなんとか言っている。
お前ら何のために金を稼いでんだよ。遊びたくはないのか。叫びだしたくなる。
あいつらは俺の遊んでいる話を聞くと(うわっ、)というような目で見てくる。
一方で地元の友人達は中卒にして働き始め、まだ30歳にもなっていないのに二児の子持ちなどザラにいる。
昔は遊んでいたものの、落ち着いて丸くなったような雰囲気の家庭を見ると羨ましくて死にそうになる。
就職してから知り合う人々は、計算高そうな雰囲気を持つ奴らばかりだ。
おそらく自分自身、そういう雰囲気を醸し出しているのだろう。似た物同士がくっつき合う。運命だ。
適当に書いていきます。あくまで適切で当たっていることで、雑って訳じゃないぜ
しかも独り言だから。俺は増田の用語とか分からないし、今までの俺の投稿にもたくさんあったけど、結構悲しいこと言ってくる人がいるのよね。2ちゃんねるやっていて耐性が少しはついたけど。
んまあ前振りはこのくらいにしておくよ。
そーだな。思った事といえばやっぱり大学進学の事かな。
俺って河合模試の偏差値50とか言ったことない、バカでございまする。
とか言って志望校はMARCH以上。普通に考えたらふざけてるよな。
MARCH以下の大学は行く意味がないとか思っちゃっている自分がいるからかな。俺の周りは頭がいいし。
世の中で結構有名な人って、いい大学に行ってるじゃん?(僕の中での”良い大学”ってのは早慶上智難関国公立とか言われているやつ)
俺って割りと本読むのが好きなんですよ。んで本屋さんで著者の紹介の文章とか見てるのこの”いい大学”に行ってるのね。
ヤンキーがたくさんいる高校を卒業した人でも慶応大学卒業だったら周りの評価も違うもんね。
少なくとも日本は最終学歴が良ければええんや、終わりよければ全てよし!
さあ今の僕を見てみましょー。偏差値はどうかな?いい大学は入れるかな?
えええ? 50もいってないじゃーん。平均以下じゃーん。NEETにでもなりたいのかな?
進学校と呼ばれている高校に入って僕は何していたんだろー。あははははは。
ああ昔に戻りたい。少なくとも3年前に。けいおん!にめちゃくちゃハマっていたあの頃に戻りたい。
高校に入ってこらアニメとボカロとかは封印したからまったく今のはわからない。えるたそ〜
さあまもなく新年だー。はっぴーにゅーいやー
この選択によって俺の将来もずいぶんと変わっていくんだよな。
結婚して、子供を二人くらい作って、俺の両親とは違って仲の良い夫婦で楽しい生活を過ごせたらいいな。
学歴と富と名声もほしいけど。
2年後、俺がこの文章を読んだとき、笑って今の俺を振り返られたらいいぜ。
2年後の俺よ、どーよ?留年してないよね?アニオタじゃないよね?彼女いるよね?童貞は卒業してるよね?
おなかすいた
近年、「男性が結婚相手に求める年齢は低すぎる!」という批判がしばしば聞かれます。しかも、男性の年齢が上がるにつれてその傾向はどんどん強くなっていくようです。「男としての価値」と「結婚相手に求める年齢」が反比例していくこの現象、女性視点でみると「バカバカしい」のひとことで片づけられてしまうのかもしれませんが、その背景には男性の根深い女性不信があるのです。各年代別に読み解いていきましょう。
「早慶・MARCH以下は却下!」とかたくなに学歴重視の女子もいる反面、大学1~3年の頃は、少なからぬ女子がお金も学歴もない「イケメン」に夢中になっていました。友達に彼氏を紹介するときも、お金持ち男子よりもシンプルに「イケメン」であるほうが胸を張れます。そのため顔面に自信がない男子は恋愛市場からは低価値と見なされてないがしろにされる屈辱を味わっていました。しかし、就活が始まると様子が一変。「彼が内定した企業(の大小)」によって、女子大生間のシビアな“結婚する男のステイタス”競争が始まるらしいのですが、ここで手のひらを返して寄ってくるような女子に籠絡される男子は小物として嘲笑されます。
社会人になると、1人暮らしの男性は大変です。特に給料が多いのは一部の企業だけですし、多くの企業ではそれなりの時間働かなければなりません。炊事に洗濯、掃除などの時間もバカになりません。「毎日牛丼では、とてもやっていけない!」普通女子でいいから、家事をやって支えてくれる彼女が理想(ついでに少しでも働いて家計を助けてくれると最高)。そんな彼女といち早く結婚して安定をつかんだ男性が、社会では勝ち組になります。
アラサーになると、多くの男性は周りの様子を見て、「同年代で未婚の普通女子がだんだん減っている」と考え始めます。そうなると、必然的に結婚相手の年齢も下降。「女子大生が多く参加」「20台前半限定」など、あからさまに年齢重視の合コンにも参加してみますが、たいていは上手く行きません。一方で、老化による自分の雄としての性的魅力のリミットも頭をかすめ始めるお年ごろ。ある程度は妥協せざるを得ず、若い頃はイケメンしか相手にしていなかったけど年齢を重ねて相手にされなくなってきた女子(美人で性格が良くなくてもある程度妥協)と結婚していきます。嫁がそれほどハイスペックでなくとも、結婚して子ども(特に女子)を産んだというだけで、周囲の独身男子に対して圧倒的な優位を築くことができるのです。
アラフォーになると、男性の年収にも格差が出てきます。独身のアラフォー女性たちは、若くして結婚した女友達の旦那よりも稼ぎがいい男をつかまえることによって、「それまでの自分の生き方を肯定したい」という強い欲求に駆られます。が、そんな女性をさんざん見てきたハイスペック男子は相手にしません。この頃から、残っている女性は残念な人ばかりなことに気付き、「これからはアイドルだ!」と別方向に走り出す男性もいます。女子には、きちんと「素の自分」を愛してほしい。計算高く男を選ぶのでなく、自分だけを愛してくれる清純系女子。ここにきて、”理想の女性像”は一気にハイスペック化し、現実世界の需給バランスなどいっさいお構いなしの”夢想”となるのです。
男性同士の競争意識に振り回されていると、しまいには勝ち目のない“無理ゲー”をプレイするハメになりかねません。早くからこうした無用の争いを遠ざけ、真に愛する人を見つける努力をすることが、幸せな人生をつかみ取るために必要なのではないでしょうか。
去年就活を終えた経験だけで、エントリーシートを手書きにするかPCで作成するかについて書きたい。
(※書いてる通り、これは学生の雑感です)
去年就活をして、エントリーシートを提出するが大抵のエントリーシートはpdfで配布されました。
募集要項等にはエントリーシートの記入内容についての質問は受け付けませんと書いてる企業もあったり、ネットで過去の人達がどうしたのかを見ると「手書きがデフォでしょ」みたいな論調が多くて迷いました。
結論としては私が提出したエントリーシートは手書きにしました。
まず根底にあったのは「文章の内容で判断して欲しい(願望)」「(実験ノートみたいな物は別として)こんだけ普段の研究ではPCで作成する資料多いのになんで手書きにさせんだよめんどくせー」です。
字数制限に合わせて文章の推敲をwordで作っていたので、それがそのままコピペできれば楽だ、ってね。
先輩や友人の中では「手書きなんて非効率なことしないと落とす企業には行かなくていい。だからpdf編集するし修正液だって使う」って人もいました。
就活は学生が企業を選ぶ活動でもあります。そういう人がいても全然いていいと思います。
ただここで怖かったのが、私は行きたい企業が絞られていました。やりたいことが決まってました。
だからその企業が「手書きには気持ちがこもってる」「字を見れば人となりがわかる」とか判断して落とされるのは避けたかったです。
そのため手書きで書きました。
就活を経験した総括として、就活は合否の基準が各企業で様々で、しかもその基準が分からないまま次の選考を進めなければいけないことを意識することです。
手書きか否かという点においても「みんな色々書かなきゃいけないからデータ入力で結構です」っていう企業もありましたし。
選考に落ちても心折れずに頑張ってください。
P.S. 個人的に手書きにさせる企業はエントリーシートの作成に労力をかけさせる意図があると思っています。
こういうの超腹立つな。
うちの親を馬鹿にされた気になる。
住む場所なんてのを自ら選べる人間なんてほんの一握りしか居ないことを理解しろよ。
そもそも
んなもん分かるか、アホが。
そもそも東京大阪近くなら「地域」なんて関係なしに小学校から1,2時間の電車通学で通ってる奴でさえ珍しくないんだから
それにそんな選んで住める様な立場は余程経済的余裕があるか特殊な職だけだろうが。
なんだよそれ、何が「成功体験」なんだよ。具体的に言ってみろよ。んなこと簡単に出来るなら皆成功してるわ。
糞野郎を育てたいならどうぞどうぞ。
そもそも、親が充分学習習慣が身につく環境を理解してるならそいつがきちんと上位校を卒業して経済的にも余裕がある場合がほとんどだろうが。
んなこと言ったって勉強出来なかった奴が無駄に考えたって金使って高い塾や学校へ行かせるくらいしか方法はないし、
貧乏ならそれも出来ない。
自分は親が高卒で地方でまともな私立高校も無ければ塾すら無い様な地域で公立高校行ってそこから上位校()に行ったけど、
親は小学校の時に宿題やりなさい、と当たり前の事を言っただけで中学くらいからはもう勉強には口出ししなくなったけど?
学習格差ってそんくらいあるんだよ。親が出来る事なんて限られてる。特に自分が経験してない場合は余計な事すると弊害にしかならない。
むしろ、他の部分で充分親として愛情でも与えてる方がよっぽど重要だろ。
学習環境云々とか、はてなーは大好きそうだけど、はてなーに居る層って単なる今の時代に勘違いして大学まで来ちゃいました、の層だから
うちの親みたいな高卒と何ら変わらないに、無駄に考えて子供の環境を、とかやってもうまくいくわけ無いだろ。
ほんと、こういう気持ち悪い思想は消えてもらいたい。
ああ、こいつは過去の恋愛に自信がないんだな、と思ってしまう。
事実、私の周りで年下の彼女と付き合っている人はかなりの高確率で過去に良い恋愛をしていない。
自分に自信がないわけではない、と思う。
だって彼らの殆どが早慶以上の学歴、一部上場其の中でも極めて合コン人気率が高い企業勤め、そして180cm近い身長を持っていたりする。
ただひとつ、”学生時代は何らかの理由でぱっとしない恋愛ばかりしていた”
部活や団体でリーダーを勤めた為多忙すぎた、遊びすぎた、麻雀に明け暮れ過ぎた等理由は様々である。
そのプライドの高さと骨身に染みたリーダー気質から”彼女はリードしなきゃ””理想の彼氏でいなきゃ”と強迫観念に縛られ、自分でも行けそうなターゲットを選ぶようになるのかな
僕は現在海外留学をしている。こちらの大学には同じような日本人留学生が結構来ていて、元々居た大学もバラバラだ。
先日授業で隣になった日本人の女の子と話をしていて、自分の大学(早慶一橋レベル)を言うと「凄い!頭の良い学校の人と話してみたかった!」と少し興奮して返ってきた。その子いわく「頭のいい大学の学生ってどんな風に何を考えてるのかな、って凄い気になる」のだそう。
僕自身は決して頭が悪いとか頭が良いとかは思わない。多分同じレベルの大学に通ってる学生はみんなそんな感じだと思う。それゆえ彼女の反応には非常に驚いた(持ち上げられることに弱い人間なので少し照れつつ)。たかが紙の大学入試で判断できることなんてそうそう多くない。それでもその子と自分の間には妙な溝があった。結局2人とも同じ学年で同じ国の同じ大学に留学しているというのに。
留学先の大学では彼女は上手く立ち回れていないかといえばそうでもない。たどたどしい外国語ででも現地の学生(その多くはおそらく日本語学科)と友達になり、休暇には旅行に行ったり適度に楽しんでいる。僕は彼女よりは現地語を使いまわせている、でも正直言って友達の数では負けているのではないだろうか。
もちろん、友達の数=コミュニケーション能力・頭の良さという風に早合点してはいけない。
それにしてもやはり、彼女に言われて改めて気付いたことに学歴の違いがどうやら何かしらの差を生んでいるみたいだ。それは見えにくい。
アメリカで行われたという心理学の実験をご存知だろうか。まとめブログなどで面白がって取り上げられることが少なくない、スタンフォード監獄実験のことだ。囚人の役、看守の役を割り振られた人が時間が経つに連れてそれぞれの役に没頭し、暴力にまで発展してしまった挙句の果てに中止された実験である。
すなわち、役を割り振られた者はその役に没頭する、このことが学歴から来る意識の違いにも当てはまるのではないかということだ。
実際に見たことはないが、東大に入った学生は入学式の時に「日本の未来は君たちが担っている」とでも言われるのではないだろうか、入学式以外ででもそんな風に言われることはあるだろう。
こんな風にもてはやされた人間はどういう意識を持つようになるだろうか?「自分たちが世界のリーダーになる!」とでも考えてしまうのではと僕は考える。勿論東大生の全員が全員そういう意識を持つだろうとは言わない。
僕は今の大学に入ってから「なんだ、日本の有名大学って所詮こんなものか」と思うようになった。僕は勉強が好きで一ヶ月に数冊は本を読む、外国語もそこそこやっている。それに比べて周りの奴らからは授業は寝るサボる、本には無縁、プレゼン発表の内容も高校生か?という印象を受ける。(勿論僕が見てないサークルやバイトで頑張っていることは分かっているが敢えてそれを考慮しない)
でもそんな自分と彼らとの間に何か共通点らしきものがあるとするなら、それはベタな言い方だが「チャレンジ精神」というものだろう。僕の場合は学問的意識の高さから、彼らは職業的意識の高さからそれは来ている。
「本を大量に読んでるから国際学会に遊びに行くぜ」という形か、または「たくさんの人脈とコミュ力あるからテレビに出るぜ」という形か。
リーダーになる、というのではないがそれに遠からずな意識を少なくとも僕は持っている。だからと言って賢いわけではない。留学中の今なお不十分な外国語で半端ない苦労をしているし、読書力もまだまだ足りない。
高学歴と低学歴とで何が違うか、高学歴の人間は高学歴の人間が大したことないことを知っている、低学歴の人間はそれを知らない。
そしてどれくらい自分に自信を持てるかという程度が違ってくる、そこからどんな難題に自分を放り込めるかどんな責任を自分が負えるかについての自意識が決まってくるのだと思う。
彼女のように高学歴の学生を過剰視している人は実際そんなにいない。けれどもある程度はやっぱりいるんだと思う。影ではなくイデアに至るべしとギリシャの哲人は説いたけど、そういう意味で真理は追い求めないといけないんじゃないかな。特に影が巨大で化け物のように見える時は。
最後に、少々変だが車の運転に例えてみよう。
低学歴の人間の多くは高速道路で時速80kmまでしか出さないのに対し高学歴の人間はほとんど高速道路で200km以上出す、しかし別に低学歴の人間が240kmで走っても高学歴が60kmで走っても良いのだ。人の意識は環境に左右されるものだが、誰にも拘束されない、されてはいけないものである。
もうすぐ就職活動の時期ですね。
69 日本銀行
65 金融コース別(野村IB含む) JXエネルギー 国際石油帝石 日本郵船
===================東大勝ち=====================
64 住友商事 伊藤忠商事 証券IB(大和日興みずほ蜜モル) トヨタ 味の素 東ガス 商船三井 キー局
63 丸紅 キリン サントリー 旭硝子 昭和シェル 東急不動産 JR東 東急 メトロ 上位新聞 東京海上 新日鐵住金 NHK 準キー
62 農林中金 三菱重工 アサヒ 日清製粉 信越化学 任天堂 東燃 出光 大ガス ドコモ JRA ホンダ 三菱UFJ信託 電通 三大出版
61 日産 三菱化学 日揮 住友不動産 小田急 京王 JR西 阪急 首都高速 川崎汽船 JICA JETRO 三菱東京UFJ銀行 JFE
――――――――――――――地帝早慶勝ち―――――――――――――――
60 日本生命 デンソー コマツ 住友化学 富士フイルム 花王 東京建物 コスモ 電源開発 東武 NEXCO中 ANA 日本郵便 博報堂 JT
59 住友電工 日立 豊田通商 神戸製鋼 キヤノン 三菱電機 富士ゼロ 住友3M 千代田化工 森トラ 西武 京成 京急 NEXCO東西 下位新聞 リクルート KDDI NTTデータ 野村総研 三井住友信託 三井住友海上 三井住友銀行 中電 関電 九電
58 サッポロ 東芝 川崎重工 キーエンス 住友鉱山 JX金属 三井化学 旭化成 日東電工 東洋エンジニアリング 野村不動産 森ビル NTT都市開発 その他私鉄 阪神高速 NTTコム ADK 信金中金
57 東レ 双日 第一生命 損保ジャパン メタルワン 富士通 村田製作所 リコー 明治 豊田織機 IHI 三菱マテ 昭和電工 古河電工 ニコン 島津 飯野海運 五大ゼネコン JR九 三菱倉庫 大和総研 NTT東
―――――――――――――――東大妥当―――――――――――――――
56 日本政策金融公庫 明治安田生命 ゆうちょ銀行 伊藤忠丸紅鉄鋼 住友重機 三井造船 日本板硝子 積水化学 日清食品 カゴメ ヤクルト キッコーマン バンダイ オムロン アドバンテスト 三菱ガス化学 王子製紙 クラレ 宇部興産 大陽日酸 武田薬品 クボタ NTT西 下位地電
格付け板より
早慶理工学部 2007年度の「合格者・入学者・辞退者」偏差値 - 能ない鳶は能ある鷹をうめるか
早稲田大学の入学者偏差値≒合格者偏差値の約91.4%、慶応義塾大学の入学者偏差値≒合格者偏差値の約91.2%
早慶理工学部 2007年度の「合格者・入学者・辞退者」偏差値
合格 辞退 辞退率
東京大学 3107 17 0.5%
京都大学 2928 16 0.5%
一橋大学 947 4 0.4%
慶應義塾 9995 5899 59.0%
早稲田大 18300 12640 69.1%
中央大学 15089 11403 75.6%
2014年度 早稲田大学・慶應義塾大学 入学者における一般入試比率
慶應義塾大学理工学部、早稲田大学基幹理工学部の辞退率が50%を超えていると聞いたのですが本当ですか。
統計学で完璧に証明「私立は定員が多いので学閥の勢力を伸ばした」 大学は偏差値ではなく学閥で選ぶべきである
学閥一覧表 主要企業管理職者の出身大学ランキング|偏差値図書館
早慶の正規合格者の入学辞退率が50%超えてる現状って、一体何人が知ってるんだろうねえ(´・ω・)?
知恵袋で、早稲田大学や慶応義塾大学は、合格者の辞退率が60%などという投稿を見たことがあるのですが、これは本当でしょうか?
早稲田や慶応のような日本のトップ大学の入学辞退率が異常に高いのは何故ですか?
地方の国立か早稲田、慶応はどちらがレベルが上ですか? - Yahoo!知恵袋
旧帝と早慶どっちのほうがすごいですか?下記に異論はありますか? - Yahoo!知恵袋
超大手企業は「圧倒的に旧帝大、次いで早慶上智」をターゲット 一般入試の比率が高い大学を選ぶ動きも
NEWSポストセブン|早慶が関東ローカル大学に!? 地方出身者減で学生レベル低下
付属高校からエスカレーター式に大学に入った学生は、就職活動で不利になる。そういううわさがあるそうだ。本紙電子版の連載企画 :日本経済新聞
受験なしの有名一貫校卒業者「使い物にならない」 マツコ発言に「これは本当」「8割はダメ」同意する声多いが...
首都圏・私立大学人気ランキング2013…受験者数・合格倍率・辞退率
合格 辞退 辞退率
東京大学 3107 17 0.5%
京都大学 2928 16 0.5%
一橋大学 947 4 0.4%
合格 辞退 辞退率
慶應義塾 9995 5899 59.0%
早稲田大 18300 12640 69.1%
東京 13 3,293 0.4
大阪 53 2,724 1.9
京都 64 2,794 2.1
一橋 24 1,059 2.3
北海道 98 2,440 4.0
東北 98 2,395 4.1
名古屋 104 2,335 4.5
九州 123 2,595 4.7
W合格対決75大学特集 慶応医とその他医学部の併願対決(2007)
慶応医0-24理三
45 1 1
47 2 2
49 1 1
51 2 2
53 2 2
55 14 11
57 27 21
59 45 22
61 78 37
63 108 2
65 131 3
67 131 3
69 83 2
71 41 1
73 4 0
75 3 0
76 1 0
44 1 1
47 1 1
49 1 1
51 3 3
53 2 2
55 16 16
57 31 17
59 44 21
61 88 32
63 101 4
65 112 2
67 123 2
69 75 1
71 32 0
73 3 0
75 3 0
76 1 0
1992年
64.4 早稲田・法
63.4 上智大・法
61.6 早稲田・商
61.4 明治大・法
60.5 慶應義塾・商 ☆☆☆
60.4 立教大・法
60.1 青山学院・法
57.0 法政大・法
ICU 620人 350人(56.5%) 270人(43.5%) 1校
上智 2160人 1322人(61.2%) 838人(38.8%) 0校
慶応 6145人 3920人(63.8%) 2225人(36.2%) 5校
早稲田 8880人 5880人(66.2%) 2000人(33.8%) 5校
法政 5850人 3965人(67.2%) 1920人(32.8%) 3校
中央 5410人 3694人(68.3%) 1716人(31.7%) 3校
立教 3685人 2575人(69.5%) 1110人(30.5%) 2校
明治 6205人 4421人(71.2%) 1784人(28.8%) 3校
青学 3132人 2285人(73.0%) 847人(27.0%) 1校
[学閥][閨閥][派閥][藩閥][同調圧力][空気の研究][先輩][保身][企業][就職]
一般社団法人学士会(がくしかい)は、旧帝国大学系大学である北海道・東北・東京・名古屋・京都・大阪・九州の各大学(前身を含む)、京城帝国大学及び台北帝国大学の学部卒業者、大学院修了者、前記大学の現役の学長、教授、准教授(助教授)またそれらの職にあったものによる、大学の枠を超えた一種の同窓会組織。
元文部科学省所管。
タイトルについて考察する。就活で躓く大学生のサンプルとして大学1,2年生などに反面教師になればと思う。スペックとしては、関東私立文系14卒NNTバイト経験ありサークル一応所属。大学はMARCHでも早慶でもないぐらいのところ。一浪している。成績はまあまあ良い。
これまでの就活歴は、12月くらいから学内説明会に参加する、その後いくつか個別説明会にも行く、ES提出期限ピーク時にほとんどESを出さない、4月に面接が一つもない状態になる、5月少しエントリーする、6月7月業界絞って少しエントリーする、8月初旬の面接敗退を最後に現在まで就活中断、といった感じ。エントリー数は数えていないがまあ多くない。面接については、初面接は意外と早く2月で、それ合わせて全部で6回。この時点でだいたい察しがつくと思う。そう、僕はクズだ。
上でも述べた通り、そもそもエントリー数が少ない。だが、行きたい企業がなかったわけではない。入りたいと感じる企業はあるが、それらはだいたい世間でも評価の高い企業なので(これは因果が逆かもしれない*1)、冷静になって考えると「自分が入れるわけないや」で終わるのだ。結果、ほとんどエントリーさえしない*2。「自分が入れるわけないや」の根拠、つまり自分に自信がない理由は、いままでたいしたことをやってこなかったからだ。語るべき経験が不足している、ということを自覚している。
行きたい企業は無理だからと、自分の身の丈に合ってそうな企業に少しエントリーするも一生懸命にはなれない。まあ行きたいと思わないから当然といえば当然だ。本当は「身の丈に合っている」なんて思ってなくて、本音の部分で「自分はもっとできる」とか思っちゃってるんだろう。プライドが高い。ちっぽけなプライドを捨てられなかった*3。
上で「いままでたいしたことやってこなかった」と言った。それはなぜか。結局のところ、僕は努力できない人間なのである。なぜだろう。
面接であれESであれ、就活において聞かれるのは、今までどんなことをやってきたかとこれからどうしたいかの2つだと思う。僕は今までたいした努力もしてきておらず、ひとに語るべき経験を持っていない。そのため、後者に関する質問に対しても、はっきりとした答えを持っていない。ひとに語るべき経験(ESでいう「学生時代に最も力を入れたこと」)がないというのはどういうことか。それは、こだわる目標がなかったということだと思う。なにか、これだけは達成したいという目標があれば、その達成のために試行錯誤(努力)するだろう。そしてその目標が高ければ高いほど、達成の成否に関わらず、その経験はひとに語るべき経験としての価値を増す。僕にはそれがなかった。強いて言えば、「悪くない成績で卒業する」くらいだった。低すぎる目標だ。語るべき経験としての価値を持たない。高い目標を持ったこともあったかもしれない。「英語を問題なく使えるようになる」。ただ、こだわりが足りなかった。こだわりがないと、すぐに挫折する。
こだわりについてもう少し深く考えたいと思う。なぜこだわれなかったのか。こだわりはどこから生まれるものなのか。それに対する僕の答えはこうだ。こだわりは、「やりたいこと」の中から生まれる。やりたい気持ちが強ければ強いほど、こだわりも強くなる。上の英語の例で言うと、英語を問題なく使えるようになることはやりたいことではない。英語をマスターして、何がやりたいのかが問題だ。そのやりたいこと、例えば海外留学など、に対する気持ちの強さが、目標に対するこだわりの強さとなって現れるのだと思う。目標を立てるときは、その先のやりたいことを意識しなければならない。
僕はやりたいことを考えてこなかったんだと思う。「やるべきこと」に囚われすぎていた気がする。だからたいした努力ができなかった。就活についても、働きたい、こういう仕事がしたいという思いがあれば人は頑張るんだと思う。自分がやりたいことをしっかり考えて、そのやりたい気持ちにもとづいて目標を立てることが大切だったんだと今になって思う。
「良い教訓を得たのだから、今こそやりたいことを考えろ!」。確かにそうだ。だが、それで就活は乗り切れない。自分がやりたいことを語っただけでは企業は門を開けてはくれない。今までやってきたことにもとづいて、自分をアピールしなければいけないのだ。僕は今までたいしたことをやってこなかったんだ。アピールなんかできない。「就活を乗り切る(つまり卒業までに正社員の内定を得る)」という目標(「やりたいこと」にもとづいていない)を捨てて、やりたいことを見つける方がいいのかなぁ、なんて最近は考えているのであった。
(脚注)
*1 これは問題だと思う。世間の評価の根拠と、自分が働く上で企業に求めるもの(「やりたいこと」ができるか)とをきちんと比較せず、「ミーハー」で入りたいだけなのである。
*2 例外はいくつかある。そういう企業の選考に進む中でこのような気持ちが固まってきたのかもしれない(設問・質問に適切に答えられない等)。
*3 プライドを捨てて一生懸命になっていたら内定もらえた、みたいに捉えられるかもしれないが、そうは思っていない。「就活」を乗り切るための経験が絶望的なくらい不足しているのは承知だ。
14卒予定、内定出ません。
自分が頭が悪いことも能力がないこともわかってるから、簡単に内定をもらえるなんて甘い考えはこれっぽっちもなく、自分で言うのもなんだけど真摯に就職活動をしてきたつもり。
受けた企業は100社以上。
大手病だったわけでもないと思う。
ここまでくると、自分は何処かに欠陥があるとしか思えなくなってくる。
勉強は好き。
だから大学の授業は真面目に受けてきたし、試験勉強も楽しくやってきた。ゼミも頑張った(つもりなだけかもしれないけれど)。
部活もやってた。
ボランティアもやった。
それなりの大学生活は送ってきたつもり。
地方に住んでるから、就活費用は50万をこえた。自分でバイトで貯めたお金。
もう、辛い。
ES書いて書いて書いて書いて
落ちて落ちて通って落ちて落ちて落ちて通って
面接落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて。
街を歩くと、色んな人がスーツを来て社員証ぶら下げてランチをしていた。
みんな働いている。
Twitterなんかでは「仕事いやだな。でも頑張る」が氾濫してる。
みんな働いているのに、自分は働けない。
働きたいのに。
働きたい働きたい働きたい。
どんなにゼミやバイトで褒められても部活で成績残しても「でも自分は内定の出ないダメなやつ」と思ってしまう。
多くの14卒生がもらっている「一緒に働きましょう」という言葉。自分にそう言ってくれる人はいない。
よく考えてみれば、ゼミやバイトで褒められたり部活で成績残したりしたのは、自分が頑張ったからで、そんなの誰でも出来ることだ。
やった分の成果が出ることなんだから、別に大したことじゃなかった。
でも面接を経て「一緒に働きましょう」と言ってもらえるのは自分の頑張りだけじゃ足りない。
相手に「この人と働きたい」と思ってもらうことが出来ない人間、イコール自分。
それなのに死ねない。
辛いのに死ねない。
まだ頑張れば幸せになれると思ってる。
なれるわけないのに。
でもまだ頑張れるし頑張りたい。
希望を捨てられたならどんなに楽だろう。
このエントリについて。
彼の頭が良すぎて萎えて別れた
わかるような、わからないような。読んですっきりしない部分があったので少し考えてみた。
このエントリの続編で触れられているように、この話の出発点には「高学歴と低学歴の世界の溝」の問題がある。
そもそもの問題として、「低学歴」対「高学歴」の世界の話というのはなぜ「低学歴」ポジションからの発言が多いのだろうか。それも「高学歴の世界」をポジティブなものとみなして、自分の所属する「低学歴の世界」をネガティブなものとして演出するという態度で書かれてるものが多い。
こういうタイプの文章がはてブを集めて多く読まれているのは、それを読むと読んだ人が心地良く感じるからではないかと思う。「高学歴の世界」の人はこういうのを読んで単純に優越感を感じる。一方こういう文章を読む「低学歴の世界」の人は、「低学歴の世界」にいながらにして自分は「低学歴の連中とは違うんだ」という意識を持っているような人なのではないだろうか。だから「低学歴の世界」が「高学歴の世界」に対して否定的に書かれていることに溜飲を下げる。「低学歴の世界」を批判することで、自分がそこから離れて「高学歴の世界」に近づけるような気がするんじゃないか。「低学歴の世界」に満足している人は、おそらくこの手の文章を読んでもピンとこないだろう。
では、自分自身は、こういう文章と向き合う時なにを感じているのだろう、と思った。こういう文章を読んだ時、私の胸には優越感などの心地よく単純な感情ではなく、言うも言われぬ複雑な感情がこみ上げてくる。
私自身はおそらく「高学歴の世界」に属する人間だろうと思う。曽祖父の代から大学教授の家系で、女性も祖母の代から高等教育を受けている。私は大学付属の小中高に通ったが、クラスメートの父親はおおむね医者か弁護士、研究者、大企業勤務のどれかだった。大学に入るときは、東大、京大、早慶上智、国立医学部までしか選択肢になかった。実際にクラスメートの大部分はこれらの大学に進学した。残りのMARCHレベルに進学した人たちが、私にとってとんでもなく「低学歴」の人たちだった。親類のなかでは東大京大以外は大学ではない、というくらいの認識であったし、私自身、ちょっと勉強すればだれでもMARCHくらい入れるものだと思っていた。この認識が変わったのは、大学に入って予備校でバイトを始めた時だった。どんなに必死で努力してもMARCHはまだ夢の夢という生徒が大勢いるのに衝撃をうけた。
こうして書くと自分は嫌な人間だなと思う。けれどこういった「高学歴の世界」が居心地のいいものだったかというと、そんなことはない。「高学歴の世界」は息苦しいものだ。「高学歴の世界」を定義づけるのは「今日よりも明日」だ。今日よりも明日、より良くなっていなければならない。より良く、より賢く、より豊かになっていること、それが「高学歴の世界」が求めるものである。失敗は許されない。一度失敗したものは、この日々の前進のルートから脱落し、また追いつくためには絶望的な努力を強いられる。「高学歴の世界」は失敗に敏感だ。私の両親はよく「一事が万事」と言っていた。たった一度失敗すれば、それは全て失敗したのと同じ。このスローガンに、子供の私は恐怖しか覚えなかった。遊びも教育の一環だった。教育的でない遊びは排除された。常に成長することが求められた。それは大人になっても続く。昨日よりも今日、今日よりも明日、より成長して改善していること。「高学歴の世界」を統治するのはこの原理である。
このような世界が自分にとって当たり前だったのだが、それはまたひどく息苦しくもあった。そこには「明日」と「未来」はあっても、「今日」と「いま」はない。なにもかもが「明日のため」であるとき、いまここに生きているという感覚はどんどん摩耗していく。今、この瞬間どんなに成功していても、それを100%として認めてもらえることはない。明日さらに良くなること、明日さらに成功することが求められる。それは絶え間ない自己否定でもある。この自己否定がなければ、改善も成長も望めないから。
やがて神経衰弱のような状態になって、ふとある趣味をはじめた。そこには私と同じような育ち方をした人もいれば、そうではない人たちもいた。このとき私ははじめて「低学歴の世界」に触れたのだと思う。その「低学歴の世界」のひとたちは、多くが高卒で、男も髪を染め、女性はミニスカートや露出の多い格好をしていた。タトゥーを入れている人もいれば、道端でケンカをする人もいた。この仲間のなかに入って、私ははじめて「今を楽しむ」ということを知った。お酒を浴びるように飲んで、馬鹿な話をして、大笑いして、そういうことをしても、明日のためにはならない。明日に残るのは、二日酔いだけだ。けれどその瞬間は、ものすごく楽しい。彼らは遊ぶことがものすごく上手だった。季節ごとにいつも楽しい遊びを考えていた。バーベキュー、花見、キャンプ、スノーボード。「今、この瞬間を楽しんで生きてもいい」ということを知ったのは、自分の人生が大きく変わるほどの体験だった。
こういう経験を通して考えてみれば、「うちらの世界」の価値観も理解できる。「高学歴の世界」は未来の為にという価値観がとても強い上に、一度失敗するとその損失を取り戻すのが非常に困難であるという認識を共有している。彼らにとって「バイト先での醜態を公衆に晒すこと」は大変な過ちでありなんとしても回避されるべきものである。一方「低学歴の世界」にとって大事なのは今この瞬間である。今この瞬間を楽しむことが何より大切でなので、その行為が未来にもたらす影響は考慮しない。今、バイト先の飲食店で食材をおもちゃにすることが楽しくて、目の前にいる友人を楽しませることができるのであれば、そのことがなにより重要なのだ。
「明日のために生きること」と「今を思う存分生きること」は、本来両立しうるものであるけれど、どちらかにかたよるとそれぞれ問題をひきおこすのだなと思う。自分の生きてきた世界のことは、みなよく知っている。だからこそあらも見えるし、別の世界に憧れもする。それはもちろん幻想なのだ。どの世界にも光と影がある。ユートピアはいつだって「どこにもない場所」なのだ。
さて冒頭の「彼の頭が良すぎて萎えて別れた」というエントリーであるが、これを読んで再びなんとも言えない気持ちになった。この人はなぜこんなに彼との間に線を引きたがるのか、そこに溝を認めたがるのか。なぜそこに溝を認めた上でそれでも相手を受け入れることができないのか。この場合、二人の間にあるのは「学歴の溝」ではなくて彼女の方のコンプレックスなのだと思う。自分が手に入れたくて仕方がないものを、もう自然にもっているように見える相手への嫉妬なのだろう。けれどそれは「毎日より良く」という価値観のなかで研鑽されてきた結果なのであって、同時にそのなかで切り捨てられてきたものも存在するのだと思う。そういう自分が切り捨ててきたものを恋人に求める気持ちが、私にはよく分かる。私が強く惹かれるのは同じ世界の人ではなくて、別の世界の、ある種の「生きる智恵」を持っている人だ。多く笑い、気楽で、今を楽しむ人だ。この話で、彼は彼女にたとえばそういう魅力を求めていたのかもしれないのに、紋切り型の階級差を持ちだして自己完結する姿になにか割り切れないものを感じる。
一方で、このエントリーで語られている話自体がすでに紋切り型のものであるとも言える。語り口が現代風であるというだけで、話の中身は明治時代からでもありそうな話だ。とりわけ語り手を男にしてみると、既視感が強くなる。身分差のある恋をした男が、バックグラウンドの違いを感じて、女を捨てる。「彼女の頭が悪すぎて萎えて別れた」と男が語る。あるいは女が男を思って身を引く。でも私達が生きているのは現代日本だ。好きなように生きればいい。相性が悪ければ別れればいいし、よければ付き合えばいい。けれど「高学歴」「低学歴」という単純な構図に当てはめて自分の生き方を縛るのは、愚かなことだと思う。自戒を込めて。
大企業で5年間リクルーターをしていたので、就活戦士のみなさんの疑問にお答えします。
MARCH以下は「その他大学」と纏められ、採用のチャンスがぐっと低くなります。
なお、アメフト等についてはこの限りではありません。
[失点の少ない人間よりも出来る意識の高い系の人間よりも『運』]
・採用には関係ないと言いつつ、リクルーターは評価権限を持っています。
ペーパー→リクルーター→人事らによる面接という形になっているので、
バラエティを求めるとかいう話で人事部からも評価基準等の指示はありません。
なので、意識の高い社員だったら意識の高い系学生の評価が高いでしょうし、
なので、評価がつくつかないがかなり運です。
「予定が会わなかったから落とす」事もあります。なので、正直ガラポン抽選と何も変わりません。
まぁ、人と話をするのが苦手な人は論外として、
余談ですが、私は「地味で普通な頑張る女の子」を優先して評価をしてあげるようにしていました。
・親が高級官僚とか、社会的に非常に地位の高い人だと別枠が用意されているようです。
ここはリクルーターがあっても人事の人間が最初から選別に関わります。
人品に問題がなく、並みの能力があり、コネが利益になる人間は採用されるそうです。
あと、自分の大学のリクルーターに親しい先輩がいる場合などはシード枠獲得レベルで有利です。
・これはそうです。住んでいる場所や宗教だけでなく、CSR的にダメなものは非常に多くあり、
社内的な問題(セクハラとか不倫とか)を起こされたくないので一部では「逆顔採用」が作用することもあります。
・というか、採用側は資格あっても実務レベルで使える人は皆無だと考えています。
アピールしたい場合は「がんばって取得した」ではなく、
「取得した資格をこう生かした経験がある」とアピールしてください。
普段の飲み会で隅っこでずっと座ってる人はお帰りくださいのレベル。
・リクルーターにもよりますが、こざっぱりして目が死んでいないリクルーターは
だいたい意識高い人です。意識高い人は小手先の技にだまされやすいので、
話を合わせるためにお作法として読んでおくのもいいでしょう。
・これからはももクロや℃uteのメンバーが言えるといいかもしれませんねー。
[尊敬する人=親、でも問題ない]
・面白みはないですが、リクルーターと話が合うならよいと思います。
目が死んでて、オタクっぽいローテンションなリクルーター以外はだいたいルフィ大好きですから、
まぁ、兎にも角にもそこそこの対策をしておけば大企業の採用なんて抽選と大差ないので、
あんまり気負わず受けてくださいってことがおいらのアドバイスできることです。
がんばれー。
・留年浪人どうでもいい。Fランはほとんど営業に回されるが、そこでエース級の活躍する奴もままいる。早慶でも早々にメンタルでリタイヤしてしまう奴もいる。結果としては、学歴よりも配属部署とそこの上長次第なので、最低限大学さえ出てればOK。
ただし、出世するなら別。Fランでなれるのは本社なら課長まで。地方なら部長まで。
[出来る人よりも失点のない人を]
・これはその通り。試験がペーパー→面接(人事によるもの、各部署から集めた課長によるもの、各部署から集めた部長によるもの、幹部によるものっていう4段階)と何度もある限りどうしても失点が少ない人が残る。
大学での突出した実績や、ペーパーでのダントツの成績、面接での突飛な答えによる一発逆転は、試験の仕組み上起こりにくい。
[コネは案外きく]
・きく。特に社内より他社(資本関係や取引関係のある会社)からのコネはきく。「コネもひとつの能力だ」という理屈から。ただし、コネで入社した人間がコネを生かせない部署に配属されるのがお決まり(客からのコネで入社した人間は、その客に関連する部署には配属されない)。
そこは非常に納得がいかない。「コネという能力」を生かせないと思うんだけど。なんか理由があるのだろうか。
コネが非常に効くのは第二新卒や中途採用。なぜなら、新卒採用よりプロセスが簡略化されてるから、上に書いた「試験の仕組み」に穴があるカタチになるため。
・人事の面接官も、人事以外の部署の面接官も「コンプライアンス上聞いてはいけないこと」の箇条書きが回ってくる。家族関係や宗教関係や政治関係は絶対聞いてはいけない。
今はブラックな面接はネットですぐにバレる。その時責任をとるのは人事なので、人事もピリピリしてる。
[意外と顔は重要]
・顔がいい必要はないが、不快なルックスのやつは落ちる。つまりブサメンでも短髪でおでこ出してジャストサイズのスーツを着てれば問題ない。清潔感大変重要。
当社では顔がいい女子は6割が本社の管理部門に配属されて、2割が本社・地方問わず営業に回され、あとの2割が開発。男子はほとんど営業。
したがって、地方の管理部門の残りカス具合が半端ない(地方の管理部門のイケメンはたいてい営業から異動になってきたやつ)。
あと、30代以下の男性営業のイケメン率が高い。営業のオッサン連中が野武士みたいな連中なのは、20年前くらいを境にして方針が変わったんだと思う。
・育児とか結婚は制度も整ってるが、全然活用されないので、面接で聞いたら大歓迎で対応されるし、マイナスされることもない。聞き方は重要だけどね。
職場でも育児や結婚を悪く言うのはタブーになってる(飲み会で独身の男性社員が「こんな時期に妊娠するなよなー」みたいなこと言っても必ず誰かがたしなめる)
結婚・育児の制度が利用されないのは「女の敵は女だから」というのがもっぱらの説。
・これはその通り。ただし、履歴書にどんな資格を書いたかは、配属後かなりの期間上長が認識しており、業務もまずはそれに応じたものが振られることが多い。
新人に振りたい業務はたくさんあって、現場としては順番に振っていって当たるまで本人の適性を試したいと思ってる。まずどれを振るか、という選択の参考にされるわけだ。
[社交性は重要なはずなのに]
・たまーになんか障害があるのかレベルのコミュ障がコネ無しで入ってくる。すげー声が小さいとか。あと、ここに並べるのも変だけど、吃音の新入社員もいるよ。盲目もいるし。
・だって面接する側にそれを図れる教養がないからね。読書アピールなら冊数とか速度とか教養がない面接官にもわかる指標が必要。
[尊敬する人=親、でも問題ない]
・親でも織田信長でも孫悟空でもルフィでもOK。理由による。あ、いま当社の営業課長の間ではワンピースが流行ってます。
就活戦士のみなさまの何かのお役にたてればいんですが、兎にも角にも就活は業界よりも会社によるし、入社後は会社よりも部署(とそこの上長)によるというのが転職経験ありのオイラの結論です。
http://anond.hatelabo.jp/20130809115823
http://d.hatena.ne.jp/potato_gnocchi/20130809/p1
上記のエントリなど、最近学歴の高低や階層に関して語る人が多い。
旬が過ぎないうちに、俺も自分と姉のことを書きたい。
当時は県全体が公立王国と称され、出来のよい者は上位公立高から旧帝大や早慶に進学することができた。
上澄みのそのまた上澄みは中学から近県の一貫校へ進み、難関医学部などを狙っていた。
我が家があったのは高度成長に合わせてベッドタウン化が進み、会社員家庭が多い地域。
お坊ちゃんお嬢ちゃんとはいかないまでも、比較的余裕のある生活をしていた家が多かった。
公立小・中と進学したが、学級崩壊とは無縁だったし、非行やいじめもごく稀だった。
二つ三つ隣の町には不良が多いらしい、なんて話が聞こえてくる程度だった。
そういった土地にあって、うちはちょっとだけ目立つ家だった。父は地元旧帝の大学教員、母は専業主婦だった。
一族には一流企業役員や上級公務員が多く、研究者、医師や弁護士などの専門職も散見される。
子どもながらに自分たちは上の下か、まあ中の上くらいには居るのだろう、との自覚があった。
俺も特に苦労なく、公立トップ高から父の働く旧帝大へ入学した。従兄弟たちもそれぞれに優秀だった。
そんな中、姉一人だけが違っていた。学年の中でも土地柄からは珍しいDQN連中と付き合い、勉強の出来も悪かった。
高校あたりから素行の悪さがさらに目立ち、髪を染め、彼氏を頻繁に取り替えては深夜に帰宅する日が続いた。
隣室からは、姉と父が怒鳴りあう声がしょっちゅう聞こえたものだった。
両親いわく、姉弟で育て方を変えた覚えはないと。
付き合う友人が悪かったのか、本人のもてる性か、姉はとにかくそのように育った。
それでも親の強い勧めもあり、一族の水準からはずっと落ちるレベルだが、
唯一の得意科目を生かした一芸入試で姉は地元の私大に滑り込んだ。
大学の間も姉の奔放な生活は続いた。この時期両親は、なんとかあいつが
就職して大卒の男でも捕まえてくれれば、という話を頻繁にしていた。
そんな3年目、姉の妊娠が発覚した。当時付き合って間もない、左官工の子だ。姉は産みたいと言ったそうだ。
なんのために大学にやったのか、なんてバカな子だ、あのような家と親戚付き合いなどできるものか、
と母がさめざめと泣いていた姿が忘れられない。この頃になると父も叱ることをやめ、
終始むすっとした顔で黙って過ごすことが多く、家の空気は物心ついてから最悪だった。
この出来事以降、俺は全てのデキ婚が許せない。
物事の順番を無視し、家族の気持ちを踏みにじる最低の行為だ。スラムの文化だ。
下層を象徴する行為を我が家で目の当たりにし、俺は恥と怒りを覚えるほかなかった。
話が少々逸れた。結局姉は式も挙げないまま、追い出されるように家を出て行った。
これで子どももろとも下層行きか、気の毒に、愚かな女だ、と思った。それきり姉とは連絡を取らなくなった。
数年後俺は大学院を卒業して、ある大企業の研究部門の職を得た。
ある日久しぶりに帰省してみると、実家には母の姿がなく、父が言うには「姉の家へ手伝いに行ってる」と。
勘当したんじゃなかったのか、と驚いて父に尋ねると、どうやら母が孫の姿を見て思い直したようで、
頻繁に姉のところを訪ねては買い物や料理の仕方から家事全般、保険選びから習い事、小学校区選びの
助言までしているらしい。口を出す代わりに援助もしているよ、あそこは安月給だからね、と父は言った。
姉の子はというと、お利口に育っているとのことだった。
俺も結婚し、実家で姉とお互いの子を見る機会が一度あったが、ごく普通の子だった。
甥っ子を見て、よかったな、お前は助かったのかもしれないよ、と思った。
うちは子(姉)の教育には失敗したが、孫の世代では間に合ったということか。
基本的には高階層・低階層の世界は違っており、固定化しがちだとの論もある。
だが上の階層に生まれたものが、すんなり育って階層を維持するのではない。姉のように下へ落ちようとするものもいる。
そうした場合でも、うちのように階層を戻す力が働きうる、という事例を知って欲しい。