はてなキーワード: チコとは
高校時代、校則に書いてあるわけでこそないけど生活指導の先生の意向で女子は黒タイツを履くことを禁止されていた
当時マジで意味が解らなくて先生にカチコミ行こうか迷ってやめたんだけど、未だにこんな禁止事項を作った先生の意図がわからないんだ
男の先生だったし、黒タイツ=黒ストッキングみたいなデニール薄いえっちなやつだと思ってたのかな?
薄いデニールのタイツを禁止したいなら、タイツOKでも60デニール以上!みたいな決まり作ればいいよね
ちなみに普通のストッキングはOKだったけど、皆おばさんみたいだからイヤって言って冬も生脚で過ごしてた
高校の情報としては、偏差値50程度の自称進学校、キャピキャピした女子多め、治安はとてもいい高校です(グレてる子もいないし、いじめも全然なかったと思う)
三匹の子豚を見るたびに思うんだけどさ
母親から突然追い出されて家を作ることになって、上の兄二人は自分たちがさっさと家を作り終えたから、のろまな一番下の弟を馬鹿にするけど、実は弟が一番丈夫な家を作ってて上の兄二人はオオカミに食べられる。三男は偉いっていうの
別に三男は深謀遠慮でレンガの家作ったわけでなく、たまたま手元にそれしかなかったから仕方なく作ったんだけど、狼が襲撃してくるという異常な状況下でたまたまベストプラクティスになっただけ、つまり運
家を作るっていうのに関して言えば別に一番下の弟の知恵もそこまで特別なことをしてるわけじゃないっていうところが
豚にしては賢いなってくらいで
なんで教訓話になってるかわかんないんだけど
ハプスブルク家の暴政に怒って得意の射撃術で悪徳役人射殺したウィリアムテルの方がよほど根性据わってるし
魔女の婆さんを策略で倒して金銀財宝かっぱらったヘンゼルとグレーテルの方が頭も度胸もあるし
鬼の本拠地にカチコミかけてバッタバッタと薙ぎ倒して金銀財宝ぶんどった桃太郎の方がよほどこれからの日本社会において教育と教訓になるよね
なんでそういう教育しないんだろうか
サチコは犬を飼っていた。ヨークシャーテリアという犬種だった。
他の友達と一緒に訪れた。
これが数回続いたと思ったら、ゆっくりと扉が開いた。
やっとか!と思ったら扉から勢いよく犬が飛び出してきた。
追いつかれて足を思い切り噛まれた。
デニムノミニスカートを着ていたので、むき出しの脚は数か所噛まれ、血だらけ。
その間、サチコも、サチコの母もニコニコしてこちらを見下ろしていた。
うちの子ったら、暴れん坊さん★
こんな感じのことを思ってそうな顔をしていた。サイコパス顔だった。
結果、数か所の傷が出来ていた。とりあえず家に入れとうるさいので、家に入った。
血はダラダラ流れていたが、サチコ母は私が乗ったカーペットに血が垂れないか必死。
サチコは私の傷には一切触れず、謝罪もなく「なにしてあそぶー」という感じ。
「ひどすぎる!帰ろう!」と言い出してくれて
痛い足を引きずりながら一緒に帰った。
家には医療系の身内がいるので、消毒等してもらったので
幸い他の病気にはならなかった。
両親は怒って抗議とかはしなかったと思うけれど、
あまりよく思ってなかったと思う。
後日あっても、犬が噛んだことに対して謝罪は一切なく
他の友達が「犬が増田ちゃんを噛んだの悪いと思ってんの!?」って聞いても
「仕方ないじゃん」としか言わない。そうして自然と友やめしていった。
友達が「サチコっていうか、幸せっていう漢字が入っていると不幸になる」という
良く分からない迷信で私を元気づけようとしたのをよく覚えている。
見知らぬ人が来るとギャンギャン吠えるタイプで、トラウマが蘇った。
ダックスは女好きらしく、家に上がって少し経てば落ち着くらしいのだが
良い歳してボロボロ泣いた。噛まないと言われていたので安心していたものの、ボロッボロ泣いた。
今はもう亡くなっちゃったけど、おばあちゃん凄く優しかったなぁ。
大きな体した私が立ったままボロボロ泣くのでビックリしただろうなぁ。
私も落ち着いた。ダックスを触れるくらいになった。
元々は動物が好きだったんだ。サチコのせいでダメになっただけなんだ。
彼氏には小型犬がトラウマとう話はしてあった。彼氏も大型犬に噛まれたので苦手というのは聞いてた。
彼氏に「飼い犬が悪いのではなく、飼い主のしつけが悪いのだ」という話をすると、
必ず「あいつはバカ犬だから仕方ないんだ」というような反論をしてくる。
トレーナーつけるなり、何かしら対応しろよ近所迷惑だろアホかと毎回思う。
でも、結婚した。
面倒を見切れないしつけのできない奴は、動物を飼えませんように!
クソみたいな飼い主が滅びてくれますように!
幸運がどうこうではなく、歴史に学ばないだけでは?感。ヤクルト飲んでろ。あと鉄とっておこう
[四季報 ONLINE] ヤクルトが大幅反発、「乳酸飲料がうつ病予防・治療に有効」と (2016/06/10)
ヤクルト本社(2267)が大幅反発した。11時02分現在、前日比220円(4.14%)高の5530円と東証1部の値上がり率上位20位以内に食い込んだ。
9日に国立精神・神経医療研究センター神経研究所との共同研究で、腸内の善玉菌が少ないとうつ病リスクが高くなることを世界で初めて明らかにしたと発表し、好感された。そのうえで、乳酸菌飲料やヨーグルトなどのプロバイオティクスの摂取がうつ病の予防や治療に有効な可能性があるとしている。
43人のうつ病性障害患者と57人の健常者の腸内細菌について、善玉菌のビフィズス菌と乳酸かん菌の菌数を比較したところ、うつ病患者がビフィズス菌、乳酸かん菌がともに一定以下であることが判明したという。
日本の精神科医ってものすごくレベル低そう・世界からクソ遅れてそうって偏見持っているけど
日本にはヤクルトがあるし食品メーカー(健康食品)も強いので研究費が降りるのだろう
脳腸相関が科学的に説明できるようになってきています
○ 脳腸相関とは?
機能性消化管疾患の患者さんを診療していて気づくのですが、おなかの症状だけでなく、眠れない、落ち着かない、頭痛、食欲がない、意欲がない、などの精神神経症状を訴えられる患者さんがたくさんおられます。
腸のせいで脳に影響しているのか、脳のせいで腸に影響しているのか難しい悪循環になっているように思えます。「脳腸相関」として医学的には以前からよく知られた現象として有名です。
これまで、便が軟らかくなりやすい下痢型の過敏性腸症候群の患者さんに対しては、「ストレスが原因ですから、生活などのライフスタイルを見直すことが重要です」といった説明をすることが治療の出発だったわけです。ところが、最近の研究によりこのような脳腸相関をある程度科学的に説明することが出来るようになってきました。
過敏性腸症候群の病態においては、腸内フローラの異常、短鎖脂肪酸などの腸内環境の異常により、腸から脳への信号伝達に異常が生じているようです。
消化管内腔の粘膜細胞に刺激が加わると、この信号は迷走神経下神経節を介して延髄孤束核へ、また、脊髄後根神経節を介して視床、皮質へ伝えられると考えられています。これが内臓知覚といわれるものです。この内臓知覚には消化管壁内に存在している内在性知覚ニューロンからの信号も関係していると考えられています。
特に、この内在性知覚ニューロンの情報伝達にはセロトニン3受容体(5-HT3受容体)が関与していると考えられており、過敏性腸症候群の下痢型の治療薬として5-HT3受容体の拮抗薬が著効することが証明され、臨床応用されています。腸内細菌のなかで神経伝達物資であるγアミノ酸(GABA)を産生する菌があることも確認されています。
この菌が少ない子どもは、行動異常、自閉症などになりやすいとされています。自閉症の子どもに対して腸内環境の改善による治療が試みられています。
ストレスの実験モデルとしてラットの脳室内にCRFを注入するモデルがあります。ストレス下で脳から腸へのシグナルの最初は視床下部の室傍核から分泌される副腎皮質刺激ホルモン放出因子(CRF)です。このCRFは、下垂体前葉の副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)分泌を刺激し、ACTHは副腎皮質からの糖質コルチコイド分泌を刺激し、ストレスに対して適応する様々な生体反応を起こします。いわゆる視床下部-下垂体-副腎軸(HPA軸)といわれるストレス応答です。さらにCRFは下部消化管(結腸)の運動亢進を起すとされ下痢型過敏性腸症候群のモデルとして使用されています。
こういったCRF投与によるストレス負荷を受けた腸管では、平滑筋刺激による運動亢進だけでなく、腸内の細菌叢にも変化が生じるようです。脳内のストレスが腸管に何らかのシグナルを送り、細菌叢に働きかけているようです。ラットの実験ですが、CRFを注入する前にラットに水溶性食物繊維を前もって投与しておくと、この腸管運動亢進が抑制されることも見いだしています。つまり、様々なストレスに対して腸管内からのアプローチが可能になってきているのです。
私たちが脳で幸せを感じるもとになる「幸せ物質」のひとつがセロトニンなのです。このセロトニンが脳内で正常に作用すると、ヒトは前向きな気持ちを保ち、幸せを実感し、健康ですごせるとされています。
セロトニンが不足すると、怒りやすく、時間が経過してもそれを抑えられなくなり、キレやすくなるようです。
実は、このセロトニンは腸管で作られているのです。さらに、このセロトニンの生成に特定の腸内フローラが関与することが明らかになりました。
無菌マウスの血中セロトニン濃度が通常環境で飼育されているマウスに比較して低濃度であり、無菌マウスは落ちつきがなくなるようです。
このようなマウスを普通の環境に戻したり、乳酸菌などを投与すると、マウスは落ちつきを取りもどします。子どもの脳の発達には腸内細菌の働きが大変重要であるようです。
腸内細菌にはカラダにとってよい作用をする有用菌(善玉菌)と悪い作用をする悪用菌(悪玉菌)が競り合ってすんでいます。この種類の多くは7歳ぐらいまでの生活で決定されるようですが、その後も腸内細菌の種類、量は多くの因子の影響を受けています。図を見てください。現状で私が考えている重要な因子を並べてみました。
有用菌を増加させるために最も重要なものが食物繊維です。特に水溶性の食物繊維が大事です。
大便の80%は水分で、残りの20%は剥がれた腸粘膜細胞、食べ物のカス、腸内フローラです。「バナナ便」と言われるような健康な大便のためにはいろんな対策が必要です。
重要なポイントは、大腸で「発酵」といわれる反応を上手く導き出すことで、この発酵反応には、材料としての食物繊維と主役の有用菌の存在が必須なのです。ところが困ったことに、日本人の食物繊維の摂取量は年々減少して、最近の調査によると、成人の1日当たりの食物繊維の摂取量は男女ともに15gほどに低下しています。
10代、20代では10g前後と極めて少なくなっています。食物繊維を多く含む食材としては、野菜、芋類、キノコ類、海藻類、豆類などがありますが、洋食の普及と共にこういった野菜の摂取が減少しています。
玄米から精白米にする過程で食物繊維は6分の1程度に減少してしまいます。現在の日本人は平均で5〜10gの食物繊維不足と考えられます。発酵食品は世界各地で昔から食卓に並んできました。
日本でおなじみの納豆、酢、みそ、しょうゆ、日本酒、漬け物、ヨーグルトはすべて発酵食品です。これらの発酵食品の製造には、カビ、酵母、細菌などの微生物、いわゆる発酵菌の働きが必要です。
もっとも重要な作用は、このような発酵菌が腸内フローラを有用菌に変化させることと考えられています。ポリフェノールにより腸内細菌の有用菌が増加することも分かってきました。
太陽化学株式会社:食と健康Lab>学術コラム>脳腸相関が科学的に説明できるようになってきています
こまいめっちゃ好きなんだけどなんか口の中痛くならん?
親が北陸の出身なんで普通に食べてたんだけどあんまメジャーな魚じゃないらしい。
一夜干しを炙って食べたりするんだけど、身がカワハギの干物みたいに繊維質で、手でむしって食べる。
酒のつまみにぴったりでしょっぱいのでビールにも日本酒にも合う。
絵のヘタクソな人は「今から絵を描こうかな」や「下描き中です」の様な『私、絵を描いてますアピール』をツイートする
https://togetter.com/li/481721
三本目のネギ @sanbonmenonegi
絵のヘタクソな人は「今から絵を描こうかな」や「下描き中です」の様な『私、絵を描いてますアピール』をツイートする。それに比べ、一定以上の評価を得ている人は作品のみを公開する(ことが多い)。これが、絵師でいる事に価値があると思っている人と良い作品を残そうと思っている人の違いなのだ。
@konagonamoe 改善点を挙げてもらうためであれば、当然「何か改善点があればよろしくお願いします」や「変な箇所があれば、参考にしたいのでご意見ください」と言い、過程を晒すんですよね?まさか、「○○まで完成した〜」や「いい感じになってきてるかも〜」では無いですよね?
他人の呟き見て「下手がつぶやくなゴミ!」みたいなことを言っているこいつがゴミだと思うんだが。
「絵を描いてますアピール」が嫌なら、ミュート機能なり何なりあるだろ?
ネチネチネチネチコイツ噛みついてんの。
こんなクソ記事出てきて最悪だわ。
まぁ、こういう事を書くやつの大抵は
透明ディスプレイの使い方が上手い。映像が宙に漂っているよう。
2年前のOPムービーは良かった。コロナ禍の影響で出演者は別撮りにするしかないにしてもああいう路線はできないものなのか。
番組に客観性を持たせるという意味でサブちゃんが顧問的位置に座ってるのは個人的に賛成。でもサブちゃん話してるとき加藤一二三みたいだななんか。
いきなり三連ちゃんは各スタジオのPAの調子が実際に放送してどうなのか確認したかったからか?
やっぱりはじめてことで混乱してるところがあるのかも。
いつもいい曲あてがって貰ってる。衒いがないけど耳に残ってきれいにまとまったポップス。
平野紫耀はピッチが甘い(違和感あるほどではないけど)が声質で誤魔化されてる。ハスキーボイスに細かいビブラートが混ざってくる感じが初期の森進一ぽい。
実は弱ペダに出てた人が一番上手いのではないか、コーラスパート担当だったけどうまく溶け込んでる。
メインボーカルの男の子が変声期できつそう。でも当てふりにすると空々しいだけだから歌うしかないのか。
ワイプ芸でアイドル連中が賑やかしになってた。こういう時にジャニーズは勝手がいい、だから重宝されるのか。
氷川きよしの大幅な路線変更で後釜っぽい見られ方してるんだろうな。
「肌が合う」と生々しく歌った後で「惚れたねほの字だねほっほー」とぶりっ子かますの、ファンからはどう写ってんだろう…
SMEが推してる若手実力派女性歌手ってAimer、milet、Uru辺りだと思うんだけど、なんで他2人と比べてキャリア浅いmiletなのかな?と思ってしまった。
今年のAimerは「SPARK-AGAIN」が、Uruは「あなたがいることで」が結構ヒットしたのに、miletが披露したのは去年リリースされた曲だしなあ。
AimerもUruもミステリアスなキャラでテレビ出演は慎重だし、キャリアがある分序盤の枠だと声掛けづらいとかそういう事情なのだろうか。
ただ観客がいないだだっ広いホールの真ん中でレーザーに照らされながら歌う様はMVの再現のようでなかなか見応えがあった。
オリンピックと大河/朝ドラに全フリしたような人選。しゃべりは芸人に任せてる。
今回はサブちゃんと徹子にどう相手するかが一つの課題だったのか。
南キャン山ちゃんがチコちゃんに恐々と相手してるのじわじわ笑えてくる。
審査方法は今回データ連動を利用した視聴者投票のみ、視聴時間に合わせて投票数が変わる仕組みで大泉洋も言っていたがよく考えたものだ。
アイドルオタクは推しのために興味のない演歌もちゃんと見ろということだ。
「今年は踊らないの?」って件をウッチャンがめんどくさそうにあしらってるのが一番印象に残った。
ああいう、場の勢いでやってみたら上手く行っちゃって後々ややこしくなることってままある。
今年はNiziUと坂道グループが対比される構図だったけど、振り付けとか曲そのものの難易度はそんな大差ないように見えた。ただちょっとNiziUのほうが丁寧。
秋元康の歌詞ってイケイケどんどんで人を励ますような描写が少ない。AKBや坂系に限れば「働け、進め、若くて可愛い子に惚れた」ということしか歌ってない気がする。
「イントロがあってAメロがあってBメロで溜めてサビがきて、で、それぞれ律儀にキーやリズムパターン変えてて」っつうJ-Pop特有の歌劇調のスタイルが通用しなくなってきたなと思う。「夜を駆ける」も「香水」も「Make You Happy」も実はループミュージックの構造を成していて、リズムパターンやコード進行を大きく変化させないクラブやヒップホップミュージックの方法論に従っている。ダンスが身近になったりSNSの拡散が馬鹿にならなくなった今だとそういったどこを切り取ってもさまになるスタイルがどんどん主流になりつつある。J-Popらしいコテコテの曲は「紅蓮華」のような映像作品とのタイアップか、デートの雰囲気作りにちょうどいいバラードでしかみられなくなり、そのうち今の演歌のような「中高年向け音楽」という扱いになるかもしれない。
スカートの裾を振り上げる振りは衣装が独特な造りだから出来ることで、こういう衣装の意匠と振り付けが連動していたりするのがかっこいい。
サビの「No!no!no!」の裏で被せられてるシャウトの声は誰なんだろう。いい声してる。
だんだん大泉洋に対するウッチャンの態度がやさぐれてきてるけどどうなるんだこれから。
演歌歌手でもないのに往年の代表曲歌わせられるのは陰りが見えてきたサインかもしれないんだよな…
「Ultra Music Power」歌うときの知念の声が年々伸びなくなってきてるのが切ない。
八乙女光ってEXIT兼親に似てるよね?入れ替わってもしばらく気付かれなさそう。
こういう若い女の子が集まってるグループで1人欠席があったりするとなんか不穏な気持ちになる。
SnowManは欠場。いつ誰がコロナに感染してもおかしくないからNHKのプロデューサーはこの2、3ヶ月肝を冷やしてたんだろうな。
篠原ともえには悪いけど、Perfume(ライゾマ)の演出とかに見慣れちゃった今はただでかいだけじゃ白けるんだよな。
もう普通に歌わせてあげたって。
尼崎のヤンキー数原くんはこの王子様衣装をどう思ってんだ。衣装合わせのときに「キンプリと間違えてんのか?」って愚痴ってそう。
無観客ライブでエア握手してる紹介VTRからして可笑しすぎる。
良心的存在であるウッチャンですら吹き出してしまう衣装のセンスはどうにかならなかったのか。
元SMAPメンバーですらドアップきついときあるのによくこんな煽ったカメラワークをやるな。
洗練されたコードや譜割に独創的な詩世界。シンプルな衣装と舞台演出が曲の完成度やパフォーマンスを際立たせていて良かった。だからこそ最初の寸劇は蛇足に感じたけどこれはご愛嬌か。
坂本冬美はかっこいい老け方してる。ツンデレな温泉宿女将とかやたら頭のキレるベテランパートみたいな役どころでドラマに一回出てほしい。
10年前くらいの洋楽でよくあったEDMみたいだけど、もはやキスマイはそういう歌を歌う集団って僕は納得してる。
中継主体であることで民放特番ではよくある局内を練り歩く演出が今回採用されたのは面白かった。
何歌うかとか演出がどうだとか本調子かどうかとかそんなこと関係なくただ出てくれるだけで満足できるか?そういう安心感があるか?っていうのが大御所か否かだと考えている。
その中でも今回トップクラスにホッとしたのは天童よしみの出演シーンだった。
もう天童よしみが歌うならば知らない曲でもジャニーズのねじ込みがあってもなんとも思わない。
さだまさしがライブ後にNHKの生放送でフリートークするのを見てる人意外といるよね。
さだまさしの歌を聞くと毎回「力抜いててこうも声が通るものなのか」と感動する。中音域ちょっと歪むのもかっこいい。
やっぱりJ-Popらしい転調をだんだん耳が受け付けなくなってる。音像はがっつりサブベース聴かせてて海外のメインストリームと混ぜても聴き劣りしないレベルだと思うんだけど、なんだろう。
小室哲哉に全く触れられてないのがどうしようもないけど悲しい。
鈴木雅之を嫌いな人ってあんまいないだろうけど、かぐや様から入って「夢で逢えたら」とか「ロンリーチャップリン」知らない層もやっぱり一定数いるのかな。
意外とジャスチャー激しい人だったのに今更気が付く。
毎年恒例の子ども向けの配慮コーナーだけど当の子どもに支持されてるかは疑問。
歌ってるときの二階堂ふみのすごく努力したのはわかるし見応えあるけど本職の人にはやっぱり敵わない感じ、歌手になる夢に挫折する「エール」の役どころにはまってたな。
いずれは誰かに歌い継いでほしい。
後半に続く。
総武線で新宿を出て三鷹方面に向かうとき、中野で停車する時間が無駄に長い。誰も乗り降りすることはないのに列車はドアを開けたまま停まっている。この時間がほんとうに長い。停車時間は2分とアナウンスが入るが、この2分はぜったいに2分じゃないと感じる。中野から2駅あとの阿佐ヶ谷で降りる自分にはこれがいつも軽いストレスだった。
中野でこれから2時間停車と車内放送が聞こえたときには、聞き間違いだろうと思った。先週までは(たぶん)2分後に列車はきちんと走り出していた。だが乗客はどんどん列車を降りていき、車内には自分だけになった。東日本国有鉄道の業績が疫病のせいで傾いていると新聞に載っていた。そのしわ寄せが来るとしたら中野のような所なのだろう。しかたがないから降りたが、中野でなにかをするあてがあるわけでもない。
中野は阿佐ヶ谷に比べると殺伐としているので、本当に用事があるときでないと降りない。改札には人が立って切符に鋏を入れていて、SUICAは使えない。さんざん並んで一時降車証明書をもらって駅を出ると、乾いた小便の臭いが鼻を突く。駅の軒下には浮浪児がたむろして寝転がったり莨(たばこ)を呑んだり、片足の傷痍軍人がアコーディオンで天然の美をプカプカ弾いたりしている。
駅前に広がる街があきらかに茶色い。泥のなかに崩れかかったバラックがごたごたと並んで店を出して、どこの盗品かわからないようなベルトや万年筆、シケモクをほぐして干したものを売っている。食べ物といえばすいとんやじゃんぎ丼のようなものを出す屋台しかなく、労務者が地べたにしゃがみ込んで丼を掻き込んでいる。疥癬で背中がボロボロになった野良犬が物欲しそうにそれを見ている。
中野で途中下車する乗客をあてこんだ商売も出始めていた。ピンク色の法被に黒のスラックス姿の男が、新しめのバラックの前に立っている。そばを通ると、「発車までお遊びどうですか」と声をかけてきた。傍らの看板には毛筆で『列車ヲ待チナガラ花ビラ大回轉 一時間五千圓ポツキリ』とある。いくら時間があっても密室で接待を受けていたら疫病にかかるかもしれない。とても無理だなと思いながら通り過ぎると、サラリーマン風の男二人が店に入っていった。
最近都内で増えている屋外の娯楽がパブリックハンギングだ。中野駅前の広場にも櫓ができて、周りに人が集まっている。場所にもよるが1000円くらい払うと、櫓の上に設置した処刑台に人を吊ったり、自分が吊られたりすることができる。目隠しをした相手の首に縄をかけるか、自分がそうされるかを選べる。吊られた人はすぐに下のトランポリンに落下して大きく飛び跳ねる。野次馬は拍手したりしなかったりする。他愛ないといえば他愛ない遊びだが、最近なぜか流行っていた。世相のせいだろうか。
そんなに刺激を求めているわけではないが、スマートボールはこの前やったばかりなので、結局自分はうずら園で時間をつぶすことにした。入場料を払って囲いの中に入ると、うずらがたくさんいて地面を歩き回ったり、藁の上に休んでいたりする。その辺を探すと卵が見つかることがある。これは持って帰ってよいことになっている。うずらの攻撃を避けながら制限時間内に卵を探すだけの地味な遊びだが、自分はこれがけっこう好きだった。
駅から徒歩5分ほどのところにある中野のうずら園は、それなりの規模だった。囲いの中には植え込みがたくさんあって、2、30羽はいるうずらが好き勝手にやっていた。真ん中には丸いテーブルと椅子があり、ポットからお湯を注いでハーブティーを飲めるようになっていた。
ミントティーを飲みながらうずらを眺めていると、植え込みの中に先客がいることに気づいた。グレーのスーツにスカート姿の、髪の長い女性らしい人がしゃがみ込んで、両手で顔を覆ったまま動かない。
囲いのゲートが開いてまた一人やってきた。背の高いおじいさんで、白髪交じりの長い髪は何年前に洗ったのか不明なほど汚れていて、フエルトのように固まっていた。染みだらけの黒いベンチコードにピンストライプのスラックスをはいていて、左右の靴が違った。おじいさんは恍惚とした満面の笑みで、腕を上げてゆっくりとしたリズムの手拍子を打ちながらこちらに近づいてくる。手拍子は歌にあわせていることが、近づくにつれてわかる。あーいあーいおー、あ、あーいあーいおー、あ、ああーいああんあああっあっあいあー、あっ、おあいおああんあああお、ああいああんあああーお、ああいおあんあああっあ、あいおー。これはあれだ。植え込みにうずくまったままの女は動かない。あーいあーいおー、あ、あーいあーいおー、あ、ああーいああんあああっあっあいあー、自分は手拍子だけでつきあおうと思ったら、あーいあーいおー、あ、あーいあーいおー、あ、ああーいああんあああっあっあいあー、電車の発車時刻はおあいおああんあああお、ああいああんあああーお、ああいおあんあああっあ、ああいおあんあああっあ、あいおー
「要は君らの気にしていたことはマクガフィンに過ぎないってことだ。そこが重要だと考えるのは作り手と一部の狂信的ファンだけ。ヒッチコップの教えを忘れちゃいけない」
俺たちの会話をいつから聞いていたのだろうか。
そんな疑問を挟む余地すら与えず、その人は捲くし立てるように語りだした。
「大衆的なデートムービーや、アーティストが主演の映画とかあるが、ウットリ観ている彼女とウンザリしている彼氏という被害は後を絶たない。その状況を穏当に拒否できる言葉を彼氏は持っていないからだ。大人が良かれと思って見せた作品を、子供が黙って見るしかないのと同じ状態だね」
どうやら映画の話に絡めて何か言いたいようだが、俺たちにはピンとこなかった。
兄貴の話も分かりにくかったけど、この人の話は輪をかけて分かりにくい。
「あいつは隙あらば語りたいだけだから無視していいぞ。発作みたいなもんだ」
兄貴はこの状況に馴れているようで、喋り続けるバイト仲間に一瞥もくれない。
素っ気ないように思えるけれど、あっちはあっちでお構いなしにマシンガントークを止めない。
「ああいう純愛映画とかラブコメにありがちだが、上映中にイチャイチャするシーンはいい加減やめるべきだ。使い古されたシチュエーションだし、ちゃんと映画を観賞しろ貴様らとつくづく思う」
「さて、あいつが休憩所に来たってことは、そろそろ俺は交代で出なきゃいけないな」
なんというか会話のドッジボール、いやドッジボールとすら言えない状況だ。
それでも良好に成り立っているんだから、人と人の関係って思っていた以上に奥深い。
たぶん俺たち仲間の関係だって、同じくらい大らかなはずなんだ。
「お前らも、そろそろ出て行け。本当なら部外者は立ち入り禁止なんだからな」
兄貴は近くにあった手ボウキを持つと、それで俺たちを追い立ててくる。
「立ち去れ、早う去ね」
さっきまで繊細な話をしていたとは思えないほど、ぞんざいな態度で接してきた。
穂先のチクチク感と、こびり付いた埃が襲いかかる。
俺たちはたまらず、その場を後にした。
さて、後はドッペルをどうにか探して、こうにか仲直りするだけだ。
会ったら何を話すべきかは、まだ決めていない。
ただ、話すための心構えはできたような気がしていた。
「あ……」
なんとビデオ屋から出た途端、ドッペルと鉢合わせしてしまったんだ。
たぶんドッペルも色々と考えを巡らせて、兄貴に協力を求めにきたのだろう。
「い……」
「う……」
先にその空気に耐え切れなくなったのはドッペルのほうだった。
「え!?」
ドッペルは踵をかえすと、全速力で俺たちから離れていく。
「お、追いかけよう!」
物理的な暴力だけじゃなく、文化面で現代的な技術を教えてつええするタイプの話って、人間が潜在的に持つ庇護欲とマウント欲と共有欲求が混ざったもんだなって思う。
特によくある描写で、向こうの住人が「こんな食べ物(異世界では)見たことありません、ほぉー」みたいにやたら文化の高さに感動する。異文化バカにしてんのかなと。江戸に来た耶蘇教の宣教師みたいな鼻持ちならない感じを受ける。とにかく現代に比べて文明も文化も低いのだから現代人が圧倒的にマウントして当然という発想は白人至上主義そのものだなこれ。
むしろ疲れていた現代人が異世界に触れて癒やされる、みたいな物があんまり見受けられないのがネット的というか。価値で全てが測られる世界に生きてんだなという実感を強くする。というより、個人的にも価値こそが評価されるのは紀元前からの歴史だとは思うけど、異世界に対する価値がはっきりと提示されてない感じがするんだよね。オリエンタリズムというか、その文化に触れてびっくりみたいな。その文化に対峙したときにまず俺達より劣っているから文化伝授してやろうという描写そのものが現代人の感性の稚拙さではないかと。こういうのって宮崎駿とかから言わせると、チコの実等未見の食事が出てこないのは何なの、ということになる。土着文化に触れて異邦人が恐縮する感じもない。さながら厚切りジェイソンのようにホワイ、日本人ココガオカシイヨー、とかずけずけやってるわけで。
そこで出てくるのが対立軸。あの異邦人が鬱陶しいからやっちまおうぜみたいなガジェットもたくさん出てくる。しまいに主人公は力量差を明示して屈服させたあと和解という。違うでしょ。お客さんはあんたであって、あんたがむしろマレビトなわけです。そこでなんで力押ししてんだと。そしてその後現代的なものを伝播させて文化破壊と。
古い話だと欧米で女性を表す色は聖母マリアのマリアブルーだった。昔の肖像画なんか思い浮かべてほしいんだけど、男は鮮やかな赤、女はシックな青や緑。
日本では明るい色を着てたんだけどね。国語の便覧の平安時代の着物の項目を思い出してほしい。
産業革命以降に染料も発達し庶民の手の届く値段になった。そこで貴族への反発心から男は逆の青を着るようになった。
女性のピンクは戦後に流行ったもので、一時的な流行としてアイゼンハワー時代ファーストレディが着ていたのがヒットした。ローマの休日でも使われた。
100人切り達成しているヤリチンの知人とかパリピな女友達とかに聞いた話
マッチングアプリとか最近はやってるけどどうなん?って聞いて帰って来たのが、絶対やめた方がいいっていうので理由は
「相手がどんな人間か、周辺の人間関係、周辺の環境などが事実上本人の申告以外に調査できる方法がない」
「社会的地位やそれなりの収入がある職業についている人間にとってこれは致命的リスクを背負う」とのことだそうだ
10年前の昔でさえ、かなりのお嬢様で芸能系の仕事もスカウト来るほどの美少女が、フィリピン土人と底辺日本人の雑種に騙されて、粘着された挙句に刃物でめった刺しにされてむごたらしく殺害された事件だってあったし
ロクな仕事にもついてないからありあまる暇で鬼女板で培ったテクニックで、諜報活動展開されて職場やヤサを知られて、セフレとしてキープしてたり興味本位で知己の関係になった男に既成事実作ろうと
松〇一〇みたいな頭の壊れた狂ったメンヘラに外線右翼の如く職場にカチコミかけられたり、リアルとSNS両方であることないこと書いたビラ撒かれたり、虚偽通報を繰り返して警察呼びまくられ、狂った主張をしまくるなんてことで、仕事や私生活まで破壊されかねない、というような事例も多々あったという。
聞けば聞くほど確かにリスクしかねーよなと思ったので、こういうので女遊びとかするの絶対やめようと戦慄した
バット持った半グレとかDQNとかなら警察呼べばそれで済む話だが、狂ったメンヘラや、女に振られた腹いせに攻撃をはじめ例え首から下動かなくなろうが相手の私生活に嫌がらせで足引っ張れたか、刺し違えたから裁判で死刑判決食らおうが俺の勝ちみたいな無敵のKKOとか来られたら、司法や行政では対処できないもんね
ふむ。ならばもう少し説明しよう。
相手を低い身分に押し込めようとしたり、解らなければヒドいことになるぞって脅迫したりするのは世間一般でよく行われている。
脅迫が犯罪として多くの国で禁止されているのは、それが精神の自由を抑圧するから。
環境が変化しようとも、教条的に同じ公式を当てはめるのみ。どうしてそれが成り立つのか? その概念が成立しないのはいつなのか? そう言うことを議論して、自問自答することで知識の体系は広がっていく。
あなたがプログラマーだったら出会ったことがあるかもしれない。「関数から脱出するリターン文は関数につきひとつ、必ず末尾に置きなさい」って指導する先輩に。
かつて goto 文——プログラムの次に実行される場所を次の行ではなくいろんな場所に指定できる、って機能があった。でもそれはアチコチに飛びまくって訳が分からなくなる、って批判されて消滅していった。そのときにリターン文も実行が次の行じゃなくなるぞ、っていうんで色んなところに置くべきじゃない、行儀が悪いって言われるようになった。
しかし現代では、ガード節——関数の冒頭にリターン文を置いてこの関数では処理できないよ、ってときに早期脱出を図る手法が、関数全体の構造をシンプルにできるって評価されてよく使われている。型システムが発展し、変数の型を厳密にすることでプログラム実行前後で正しさのチェックをしやすくなった。ひとつのリターン文はそこで実行を止めれば関数全体の変数の値を解析できるのでデバッグのしやすさがあったが、正しさのチェックは実質的にデバッグしやすさの代わりになる。
先輩から押し付けられた古い教えを不文律としてそれに盲目的に従っていては、後輩はよりよい製品を作ることはできない。
もし自分が一方的に誰かの強要を受ける立場だったらどうだろう。
自分が最下層にならないためには、自分も他人に同じことをするしかない。
先輩らにその場で「リターン文ひとつなのはどうしてですか?」ってその場で聞くと、たいていブチ切れる。合理的な説明などできない。先輩本人もその原則に従うことを上司に強要されたからだ。彼らが暴言を注意されたらブチ切れる理由もここにある。強要を認めてそれを禁止されてしまったなら最下層の人間になってしまう。怒るのも当然である。
最初に何人かを、暴力で学びを促進する不毛さに気づかない“バカ”、のように申し上げた。
彼らがそういうことを考えてみようとしなかったのは、思考の自由を束縛されていたからだと思う。
おそらくは自身も実際に、お前は田舎ものだとか、勉強についていけないやつはダメだぞ、のように言われてきたんだろう。でもそんな発言は許すべきではなかった。