2020-12-22

[] #90-11「惚れ腫れひれほろ」

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「俺はドッペルを弟と見間違えた。その状況を切り抜けるため、どうしたか思い出してみろ」

「えーっと、陽気に振舞ってウヤムヤにしようとした?」

「確か、気のいい兄(にい)さんをイメージしてたんだよね」

「厳密には、気のいい兄(あんちゃんだ」

そこ重要なのか。

「実際に上手くやれたか、我ながら疑問は残るがな。しかし“自分が思う何か”として、そう振舞おうとした。それが重要なんだ」

「それがドッペルのことと関係があるの?」

兄貴は「まだ気づかないのか」とでも言いたげな目線こちらに向けてくる。

「“振舞おうとした”を“演じた”とか……“変装”と言い換えたら、さすがに分かるだろう」

そこまで言われて、俺たちはようやく理解した。

“ハッとした”なんて簡単に言いたくないけど、他に適当言葉が見つからないほどの衝撃だった。

まり兄貴自分のやったことが、ドッペルのやってることと変わらないって言いたいんだ。

そして世の中をよくよく見てみれば、大なり小なり皆やってることなんだ、と。

「俺は別に、それが一概に悪いことと思っちゃいない。そうして育まれ関係がニセモノだなんて断言できるほど、この世界は確かなもので溢れちゃいないからな」

不確かな世界を裸一貫で生き抜くのは、とても難しいことだ。

から寒い時には防寒具が必要だし、夏には薄着で、海に行けば水着を身にまとう。

ドッペルの取り繕いも、大局的に見れば同じことなんだろう。

「ドッペルの言葉を代弁するわけじゃあないが……」

そう前置きをしながら、兄貴は話を続けた。

「“ありのまま自分”なんて言うがな、それは酔っ払った奴を見て“あれがあいつの本性”とかいう、そんな単純なレベルじゃない。俺はそう思っている」

兄貴の考える“自分”ってのは、もっと豊かなものだった。

人と人が関わる時、自分相手意識し、状況によって言動を変える。

他人にどう思われたいか自分自身をどう思うか。

そのためにどう振舞うか、それも“自分”の内なんじゃないだろうか。

ドッペルの変装や物真似一つとってもそうだ。

そこには何らかの後ろめたさや、他人秘密にしたい想いだってまれいるかもしれない。

からといって、いや、だからこそ人生の一部ともいえるんだ。

簡単に切り離していいもんじゃあない。

あれは自分を隠しているようでいて、自分表現する手段にもなっているんだ。

「そう考えると、私の言ってた“ありのまま自分”は随分いい加減だったわね……」

事態の発端であるタオナケも、ここにきて自分の非を、心から理解したようだ。

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