はてなキーワード: 鬱状態とは
増田は初めてで、文章も普段あまり書かないので、色々読みにくかったらすんません。
100年前の条約はまだ生きていた。オランダ大使館で聞いた日本人が知らない特権
http://www.lifehacker.jp/2016/01/160118holland_embassy_nfia.html
日本人は労働ビザが必要なくなり、雇用主の手間がぐっと楽になった。ただ、移住する国としてはどうなんだろうなーと、個人的に思う。ビジネスだったら一時期の経験として割り切れるけど、移住ということはずっと残りの人生をオランダで過ごすってことだよね?住めば都とは言うけど、日本人・外国人に関わらず、最初の1年でオランダ滞在をギブアップする人はけっこういる。
とにかくオランダは国や人のクセが強い。合う人は長く住むけど、合わない人はすぐに帰国する。
もちろん「いやそこは頑張って慣れろよ」という部分もあると思うのだけど、異文化適応は先に知ってたかどうかがけっこうネックだと思う。
ネットでは、キラキラしたオランダの良いところばかり取り上げられていて、ネガティブな情報が無いのが気になったので、個人的に移住を(簡単に)おススメできない理由を挙げてみようかと。
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よく「オランダ人は英語が話せるので、オランダ語が話せなくても大丈夫」という触れ込み(?)を見るが、実際は役所や移民局から届く大量の手紙は全部オランダ語。諸々の申請書類も、ゴミの収集場所変更のお知らせも、銀行の書類もガス給湯器の説明書もオランダ語。書類スキャンしてGoogle Docsにぶちこめば読めるけど、OCR技術はパーフェクトではないのでそれなりに時間がかかる。年月が経てばある程度慣れてくるけど。
加えて駅や電車内のアナウンスも(主要都市の駅以外)オランダ語。オランダの鉄道はトラブルが多く、途中の駅で降ろされて1時間待たされるとか、急に到着ホームが変わって乗客みんなでダッシュとかザラ。そんな場合でもアナウンスはオランダ語なので、わからない場合は周りの人に聞くしかない。乗ってた電車の到着駅がいきなり変更とアナウンスされても気づかないことも(実体験)。
そういう環境なので、話せる言語が英語だけだった自分にとっては、毎日のちょっとした事がけっこうストレスだった。なので、ネットなんかに書いてある「英語話せれば大丈夫!」という言葉をそのまま信じて行くと、現地で騙された気分になると思う。
※ちなみにオランダ歴長い日本人(オランダ人と結婚した人は省く)でもオランダ語話せない人は多い。オランダ以外で役に立たないから。
というか中国人差別。ただこれはコミュニティによる。酷いのはオランダ人の中流以下(特に田舎)コミュニティと、トルコ・モロッコ系移民コミュニティ。前から歩いてきた男数人にすれ違いざま「ニーハオ!」と威嚇された回数は数知れず。叩かれたり、蹴られたりした人も。子供にまで言われた時はどうしようかと思った。(しかも隣にいた親らしき大人は注意しない。闇)最初はコミュニケーション?とポジティブに取ってたが、表情や態度でバカにされてると分かった。「中国人じゃないですよ」と返した時期もあったが、逆に日本人と身バレするのもアレなので、ひたすらスルー。当たり前だが、アジア人以外の外国人と一緒にいる時は一度も経験したことは無い。
そこまで直接的じゃなくても、ローカルなレストランで店員の接客態度が白人と我々であからさまに違うことは、残念ながらよくある。GACKTみたいに正面からやりあえれば良いのだけど、こう頻繁にされると「そういうものなんだ」と慣れてきてしまうのが怖い。
対策としては、そういったコミュニティに近寄らないことと、身なりをちゃんとすること。あと堂々としてること。こっちの人は、服装で自分のステータスを明確に表現する。黒人でもトルコ人でも、ちゃんと仕事してる人はちゃんとした服装をする。地味なダウン+ジーンズ+スニーカーで出かけて嫌な目に合ったことは何度もあるが、しっかりした服装の時には一度も無い。
オランダのお国柄。口が悪い。加えて無愛想で閉鎖的なもんだから、1年目これで「あ、無理だ」ってなる人がいる。慣れれば大丈夫。
一般的にオランダ人は内向的でコミュニティ意識が強い。京都人っぽいというか。「外者」が中に入るにはかなりの時間をかけて関係を構築する必要がある。もちろん、こちらからコミュニケーションをすれば、ちゃんと返してくれる人は多い。もしオランダ人ローカルとのキャッキャウフフをイメージしている人がいたら、それを実現するにはかなりの時間がかかることを明示しておく。旦那さんもしくは奥さんがオランダ人じゃなかったらほぼ不可能。都市部なら可能だけど、ちょっと外れの田舎とか不可能。まあ日本と一緒か。
人それぞれなんだけど、個人的な体感値として。自分はアメリカ東海岸にも滞在してた事があるんだけど、フレンドリーさ、対人面でのホスピタリティは圧倒的にアメリカ人の方が上。例えばオランダのレストランなんかで、笑顔で接客してくれる人に当たったらラッキーぐらい稀。あとオーダーの間違いとかザラにある。
まずパンがまずい。スッカスカ。高いお金払ってやっと「それっぽい」レベル。一度ドイツ人が地元のパンを持って来てくれたけど、全然違った。電車数時間でここまで違うのかと驚いた。それ以外の食べ物も全体的に美味しくない。元々プロテスタントの国で土壌が貧しかったから食文化が育たなかったと言われているが、言い訳にしか聞こえない。
オランダは農業先進国と言われている。確かに日本と比べると野菜は安くて大きいけど、水っぽくて味が無い。一年通してずーーーーーーーーっと同じ種類の野菜が、同じサイズでスーパーに並ぶ。旬の野菜も時々出るけど(白アスパラとか)日本みたいに季節感が無い。解決方法としては、ローカルの八百屋さんやオーガニックマーケット(高い)で買うこと。
あと日本では普通に売られてる豚コマとか薄切り肉が無いので、鍋なんかしたい時に苦労する。日本人が多い地域には売ってる。生魚とか怖くて食べられない。知りあいがそこそこの値段で食べた生の魚貝で食中毒になったケースを何回か見ている。日本人向けの魚屋が存在するが、まだ利用したことは無い。
外食が高い。そのくせ美味しくない。いわゆるファミレスみたいな「お財布に優しくて、そこそこ美味しい」ものが無い。すごい高いレストランか、格安フードかの二択。中間の価格帯は中華料理屋くらいか。必然的に自炊が増える。日本食レストラン、ラーメン屋さんはアムステルダムにはあるけど高い。
インドネシア料理は許す。
オランダの冬は暗くて日光が当たらない。朝は8時まで暗くて、夕方5時には暗くなる。雨風強い。あの暴風雨の中で自転車こぐオランダ人はタフだなあと思う。まあ、これも慣れろよって話なんだけど、自分は最初の一年目、あまりの天気の悪さにストレスがすごかった。日光が足りないとビタミンDが不足して鬱状態になりやすいらしい。対策としては肝油。
こっちでは高校生くらいのオランダ人が、親方みたいな人について肉体労働や職人仕事(ペンキ屋さんとか)をしている風景を見る。オランダの場合、子供は10代前半くらいで成績に応じて色々なランクに分けられ、受けられる高等教育が変わる。日本の場合、(職種にもよるけど)大卒じゃなくても社会に出てから叩き上げでキャリアアップしていく事は可能だ。対してオランダは学歴によってできる仕事と給与が明確に分かれている。(カフェでレジ打ちをするにも、大学卒業資格が必要だそうだ。)大学に行けないと判断された子供は、職業訓練学校に進学するレールに乗る。一度乗ったレールから外れて、大学に進むにはかなり回り道をする必要があるらしい。
オランダの教育は学歴差を若い時から明確にし、社会のシステムに組み込んでいる印象。もちろん、地域や学校によって様々だと思うのだけど、自分がオランダで子供を育てたいか、と言うと今のところ「うーん..。」という感じだ。この辺はまだ勉強不足。
※オランダの子供は伸び伸び育てられてるせいか、すごい自由。というかうるさい。声が大きい。北欧に行った際、電車で子供が騒ぐとすぐ親が注意してたけど、オランダで注意してる人は見た事ない。
移民局含め、役所の仕事がずさん。申請書類を紛失されたせいでビザの取得が半年遅れるケース多数。今回の労働ビザ免除の件も移民局の末端で仕事する人には届いていないらしく、窓口に行くと「おまえは何を言ってるんだ」と取り合ってもらえなかったという話を聞く。
長い。そして完全に悪口。個人の主観だし愚痴も多分に含まれているので、話半分で。文中にも書いたけど、住むエリアやコミュニティによって、状況もだいぶ違う。逆に言うと住む場所はホント大事。
上記の様な諸々は日本でも他の国でもあると思う。まあ、キラキラの楽園じゃないよってことで。ヨーロッパの国だからといって洗練された社会システムや人を想像して行くと、現実とのギャップで打ちのめされてしまうからね。良い意味でも悪い意味でも、泥臭いです、オランダ。自分で色々切り開いてく精神があれば、大丈夫かと。
もちろん良いところも色々あると思うけど、まあそれは他のブログとかサイトにおまかせで。まあ、一度くらいは遊びに来てもいいんじゃないかな(秋冬以外)。
※確かに他のヨーロッパ諸国に色々気軽に行けるのはメリット。飛行機も安いし。
※いわゆる韓国系、中国系の日本食レストランはどの街にもある。
※電車で2、3時間のドイツやベルギーに行くと、とたんにパンも食事も美味しくなる不思議。
※中国人男性はガタイが良い人が多いので、逆にあまり絡まれない。
※税金・保険をちゃんと支払っていれば、大学含む教育費・医療費はタダに近い。この辺はすごいなと思う。税金高いけど。
あ
老害かどうかという意味で言うと彼は大学生の時からとっくに老害だった。立身出世のきっかけになったと豪語するルパンの記事を見てもらえばわかるはず。有名になる前だから彼にこの記事で触れた人が多いはずなのだが、何人もの初見のブックマーカーが書き手のことをおっさんだと思っている。そのくらいおっさんぽいし説教臭いし上から目線だし自分の知ってる部分だけが全てだと思う頭の固さがあるしつまり老害だ。これについては徐々にただの想像力の乏しいバカであるという評価に置き換えられていったが一般的評価で見て少なくとも22歳の時にすでにおっさんくさかったことは間違いない。26歳になったから22歳の人間が気に入らなくなるというのは普遍的な話であるが彼の場合は違う。彼は22歳の時からすでに自分が気に入らないものは年上であろうが年下であろうが自分を棚に上げて文句をいう嫌なおっさんであった。
老害であるかどうかは大した問題ではないがそんなことより問題なのは老害であることよりもすぐにヘイトを撒き散らしてしまうこと。彼はおっさんくさい語り口調と対照をなすように感情が未発達。そのため小学生のガキが思い通りにならなかったときにすぐ癇癪を起こすのと同じ要領で幼稚な感情制御のもとに無駄に凝った語彙で人に嫌がらせをする。数年間ほどチャンネル桜やアホなネトウヨ活動に傾倒していた時期のせいか、極めて下品な語彙を多数獲得している上また大学生の時にまともなリアルの友人関係を構築することができなかったようでノリがいつまで経っても中学生のガキのまま。
さらにいくつかの要素についてコンプレックスがあまりに強すぎてそれに反発できずむしろ積極的にトレースしてしまう。克服できないままいつまでも反復強迫を繰り返している。たとえばリア充を嫌うくせに、自分の語りの時はリア充と同じ「俺の行間つまりノリまで理解しろ」「俺のノリを理解しない奴はださい」という態度をトレースしてしまう。いくらオタクぶっていてもリア充に強いコンプレックスを抱いていることがそこにくっきりと出てしまう。リア充の縛りから抜け出せないからいつまで経ってもリア充にこだわり続ける。あるいは母親を猛烈に嫌っているくせに、人との接し方は彼が嫌う母親そのものである。人の話を聞かず、自分の思い込みで相手を傷つけ一方的に評価するだけ。そういう扱いを受け続けた上他のロールモデルを得ることができずに現在まで来てしまっているため、そういう行いを憎みつつも自分自身がその憎むべき行為をするようになってしまっている。
自分が嫌うものに立ち向かわずその憂さ晴らしを他でやっている限りいつまだたっても自分が嫌うリア充や母親を恨みながらそれに自分が支配され続けるという屈辱を味わいその屈辱を他人にぶつけては反動で傷つき永遠に自家中毒で苦しみ続ける。だがなまじそれで他人がかまってくれるものだから今の自分を捨てられずごまかしごまかし生きるしかない。
自分が憎むべきものに自分がなってしまうことはよくあることであるがそういう時人はどうするかというと分裂症になるか自分を正しく認識しなくなるかどちらかである。彼の場合は非常に分裂気質が強い。そこからほとんど必然的なつながりで双極性障害になっている。専門家による治療が必要であるがそれを拒んでいる以上彼が自分を守るための思い込みではなく正しく自分のコンプレックスと向き合ってそれを克服することは困難であるし、発達障害や分裂症的気質を無視して躁うつ病の対策の記事をいくら書いて気をつけようとも少しでも厳しい環境になればすぐに躁うつ病は悪化する。根本的な部分で何も解決していない。 このままネットでできるだけ躁状態のアウトプットを心がけ、鬱状態の時のアウトプットを引き受けてくれる友人や家族を見つけるしかないだろう。
誰がこのことをはじめに言い出したかなんて、わからないけれど、
人間の幸せを正確に数値化することは現代の技術をもってしても不可能で、
もし、技術的ににできたとしても、ベンツの車で送り迎えをしてもらいながら育った人と、
かっぱ寿司が1年に1度のお楽しみだった人では幸せの感じかたが違うのは明らかである。
世の中的なフツウの見ること感じること味わうものすべてを人並み外れてありがたく思うわけではない。
100円のお寿司、久兵衛に連れて行ったり、しまむらを着てた人をドーバーストリートマーケットで好きなだけ買い物できたとして、すぐに幸せになれるかといったらそうではない。
貧乏だけではない。お金があっても、精神的な幸せを味わって来なかった、どこか物足りなさを感じていた人間は、幸せをイメージできないことがもっとも不幸なのだ。
つまり、美味しいお寿司、快適な車、お金、そして、何かからの愛をいざ手に入れても、その正しい価値を知らないから、ただもらっただけでは手放しで幸せにはなれないのである。
そんな私は、何か自分にとって幸せな瞬間が訪れたとき、私はつい後のことを考えてしまう癖がある。
これを食べたら太る、飲酒をしたら浮腫む、この靴を買ったら来月のカードの請求が、結婚までにそして、大好きなこの男とヤッてしまったらもうお付き合いができない…。
目先の快楽、そしてその先の幸せを、そんなネガティブがどんどんどんどん、薄めてゆく。ヴィヴィットカラーはチューブから出したばかりの色が一番綺麗なのだ。
食事、買い物、飲酒、セックス…すべてにおいて、数少ない経験則や人から聞いた話なんかを思い出し、ついつい物語の続きを思い描けず、ストップしてしまう。しかしこれは無理もないことなのかもしれない。
なぜなら私たちがお手本にしたかったおとぎ話は、ぜんぶ王子様とお姫様は幸せに暮らしました、で終わっているのだから。
その後、家庭内暴力を振るわれて離婚したとか、ふたりのもうけた子供に重篤な病気がとか、お金がなくなったとか、”めでたし”のあとロールモデルにすべきは自分で経験するしかなかった。
そんなわけで、こじらせ女子の幸せの時間は普通より短いかもしれないが、
あれや、これやと思いめぐらせている思慮深いところもあり、
そして、こじらせ女子だと自覚のあるものは、大変なことにならない程度に、まずは目先の快楽を手放しで受け止める訓練をするべきなのである。
ある日、しこたまお酒を飲んだ快楽のあと、たいへんな鬱状態に陥ってしまい、インターネットで快楽の後の精神状態について調べたことがある。
じつは、科学的にも快楽を享受している瞬間には、体内のセロトニンだかドーパミンだかなんだかわからないが、快楽物質を大量に消費するから、のちにとても気分が憂鬱になるというのが定説らしい。そしてそれは間違いなく当たっていると思う。様々な関連サイトを巡っていて、見つけた”快楽は幸福の前借りだ”というフレーズがあって、そのことばがたまらなく好きだ。
幸福の前借りをすれば、あとで必ず返済しなければならないのである。人によって違う、その落差が幸せをポイント化できる何かなのかもしれない。
将来はゲーム雑誌の編集者になろうなんてなんとなく思っていた。
ああ、邪魔者がいなくなったな、と思った。
泣いた。
応募したら採用された。
数年勤めて辞めた。
それなりに生活できた。
ある日、恋人ができた。
この人と結婚するのだろうと思った。
酷く落ち込んだ。
追い討ちをかけるようにプログラマから私の感情を煽るメールが届き続けた。
怖かった。
気が狂った。
寝たきりになった。
仕事ができなくなった。
ある日、友人に病院に連れて行かれた。
友人は長年精神疾患を抱えていた。
その友人曰く私は鬱状態とのことだった。
診察を受けて薬を処方してもらった。
貯金は底を尽きかけていた。
仕事を再開しようと思った。
その知人と一緒に仕事をすることになった。
以前と同じレベルで仕事をすることはできなかったがなんとか食いつないだ。
ある日、恋人ができた。
一緒になる将来を考えられないとあっさりふられた。
その通りだと思った。
またある日、恋人ができた。
複雑な環境で育ったとても変わった人だった。
同棲した。
もう少し頑張って将来結婚できるようになりたいと思った。
二度浮気された。
あなたが悪いと何度も言われた。
自分を責めた。
同棲解消したいと言われ振られた。
別れたくなかった。
諦めた。
少し楽になった。
仕事はなんとか細々と続けられていた。
ある日、一緒に仕事をしていた知人が急死した。
知人の持っていた仕事の取引先の一部を任されることになった。
少しだけ生活レベルが上がった。
ぼんやりと日々は過ぎていった。
好きだと言われた。
好きだと返した。
恋人にはならなかった。
リアルで会って遊ぶようになった。
それでよかった。
多分この人もそのうち私から離れるのだと思う。
もう疲れた。
それでいいと思う。
このままだと数年もしないうちに生活できなくなることはわかっている。
それでいいと思う。
明日終わるのも数年後に終わるのも大して変わらない。
おやすみ。
こういう勘違いが俺らを苦しめる。
人前で緊張するのは、自分を大きく見せたいという邪念があるからです。平常心を保つためには、まずは等身大で挑戦し、本当に自分を大きくするしかありません
http://next.rikunabi.com/journal/entry/20150907_Y3
ふざけるな!
確かにプレゼンの本番前の緊張は、こういう精神論でもある程度はなんとかなる。
でも、多勢の前に立つとそれだけで心臓の鼓動が跳ね上がって、呼吸困難になるほど緊張する人間には
他人から見て「ちょっとあいつ緊張してるな」程度に見える人間は
たぶん精神論でもなんとかなる。
でも、明らかに呼吸がおかしくて、見てる方まで辛くなるレベルの人間には、
「プライドが高過ぎるんだよ」とか「完璧主義だから」「準備不足だから不安なんだよ」など色々と見当違いの陰口を叩かれるのも我慢ならない。
人前でも堂々とジョークのひとつでも飛ばしながら余裕で話せる。
でも、正常な状態では無理だ。(鬱状態だと1対1でも緊張する)
「失敗したらどうしよう」という考えも、恐怖を感じるから出てくる思考なので、
平均的な人間が感じる程度の弱い不安なら精神論でもなんとかなるだろうが、
多勢の人間に見られると、どうしようも無く恐怖を感じる、という人には、ほとんど効果がない。
そもそも考えてみて欲しいのだが、何に恐怖を感じるか、なんて個人差がある。
背が低い人も高い人も居るのと同じで、何に恐怖をどのぐらい感じるか、
なんて人それぞれだ。
自分が人前で緊張すると自覚してる人なんて、それこそそれを克服しようと
そんな人に安易に「こうしたら良いよ」なんてなぜ言えるのか?
もちろんアドバイスされたら「ありがとうございます。次からそうしてみます」とは言うよ?
でもさぁ、ちょっとした精神論で克服できた人間のアドバイスなんて何の役にも立たないんだよね。
声が震えるほどの恐怖って、もう命の危険を感じるぐらい、ものすごい恐怖だ。
いつ発射されるかもしれないピストルを眉間に当てられてるのと同じぐらいの恐怖だと思う。
そんな恐怖を深呼吸とか邪念を無くすとかで抑えられると本気で思ってる人間は頭が悪いとしか思えない。
ではどうすれば良いのか?
俺がおすすめしたいのは、薬に頼ること。
心臓の鼓動を抑える薬がある。
それを飲めば、少なくとも自分の動悸でテンパる事は避けられる。
動悸が落ち着いていると、呼吸も安定するので、かなりおすすめ。
具体的な薬の名前はここでは控える。
効き方には個人差があるだろうし、ステマだとも思われたくない。
俺の場合は不安を抑えるよりも、直接心臓の鼓動に影響を与える薬がてきめんに効果があった。
自分は心臓に持病があるので不安だったが、100人規模のプレゼンがあったので、
そこでしくじるぐらいなら死んだ方がマシだと思って薬を試してみた。
結果、プレゼンは成功し、これまで俺に向けられてた軽蔑の視線から脱出する事ができた。
たとえば中二病。これは中学生で発症して成人前に治った場合と、成人後に発症した場合で、その後の人間関係に与える悪影響はかなり違うのではなかろうか。
恋愛や性関係の痛い行動についても似たことが言えるかもしれない。私はこれについては成人発症さえしていない人間なので、何も述べられないが。
大まかに言って、成人前の失敗や挫折については社会は比較的寛容である。
失敗・挫折する方もまだ精神に柔軟性があり、方向修正が可能だし、復帰のためのサポートも得やすい。やり直す時間と体力もある。
若いうちに一度軽く痛い目を見て、取り返しのつかない失敗する前に学ぶというのは、とても重要なことに違いない。
西伊豆電気柵の件のニュースを見て考えたのだが、これは鬱状態に関してもある程度当てはまるのではないだろうか。
ミドルクライシスという単語があるように、40代・50代の中年男性で自殺や鬱が増えるのは知られている通り。
もちろん、年齢的に様々な責任を抱えて悩みの増える時期だというのもある。が、人生それなりに順調だった人が中年以降に鬱状態に陥ると、鬱が悪化し易いということも考えられるのではないか?
若いうちに鬱状態を経験していると、希死念慮は症状の一環であることや、その手前の段階で「これ以上悪化すると死にたくなる、休まねば」と思うような、自分を鬱患者として客観的に見る視点が出来る。
そうすると、後年になって何か問題が発生し鬱状態になったとき、自責の念に駆られて自殺する前に、病院へ行くという選択肢を持つことができるのではないか。
もちろん、だから若いうちに鬱になっておきましょうという意味ではない。
だが、もしこの考えが当たっているなら、周囲の人間の心構えとして「人生順調だった人が死にたいなどと言い出したら本気でまずい」という認識を持つことは大切だ。
また過去に鬱になってそれを越えることができた人は、人生の後半に訪れる危機に対して備えが出来たのだ、と考えてもいいのではないだろうか。
恥ずかしいから誰にも話すアテもないし大して面白い話でもないので増田に書く。
王様の耳はロバの耳ー!!
途中で別れたりヨリが戻ったりして結局5年くらい付き合っていた。
別れた理由はこっちのせいで会社の同僚がどうにも好きになってしまったから。
泣いてすがる彼女にヒドイ事したもんだ。
で、その会社の同僚。
メールとかで連絡してるうちに嫌がられて振られた。
付き合うまで行かなかった。
そこから8年くらい何もなし。合コンとかにも呼ばれて出たりもしたけど、
積極的にどうこうしようという気になれず。
好きになっちゃったんだなあ。これが。
でも優しいところがあったり、実はこの子寂しがりなんだな、
っていうのが見たりしてどうにも好きになっちゃったのよねえ。
話も合ったし。たまに一緒に飯食ったりして。おっさんウキウキですよ。
まあ振られますわな。
「言わなきゃ良かったのに・・・」って言われましたわ。
今は社内で異動になって別の部署にいる。
なんでみんなそんなにホイホイ恋して上手い事やれるんですか。。。
好きなところをあげて伸ばすこともできないし、嫌いなところをあげて解決することもできない。
単純に興味がない。
大人に園児向けのアニメを見せて「どう?」ってまじめに聞いても「どうって言われても…」って感じで答えに詰まるようにどうでもいい。
以前増田で仕事がつまらないと相談したことがあって、コメントでどうにか興味をもって頑張れみたいなことを言ってもらったけど、どうやったら興味がもてるんだろう。
僕も興味を持ちたいし、興味を持って世界が広がっていったり評価されたりするともっと生きるのが楽しくなると思う。
別に何にも興味が持てなくてつまらないみたいな鬱状態ではない。好きと嫌いの差は明確にある。
ただ、人より興味を持てるものが少ないんだと思う。
俺には生きる目的がない。夢もない。ただ漫然とゲームやアニメ等のコンテンツを浪費し、飯を食って生きながらえてしまっている。死にたい。
おそらく、かつては生きる目的はあった。勉学に励み、大学から研究の道へと進み、父親のように研究者として生きたかった。大学中に恋をし、早いうちに結婚したかった。社会の役に立てることをし、名声を得られなくとも慎ましく生きていきたかった。
だが大学の研究室で現実を知った。俺には新しいことを考え出す力が決定的に不足していた。学部生として配属されたときに最初に与えられた目的が希薄であり、自分で目標を作り目的を見出さなければならないことを知った。日々の作業はただただ雑務であり、教授の話す夢物語と現実の作業の差を感じた。そこには楽しさもうれしさもなかった。
結果、研究室に入って数か月で鬱状態となり、修士卒業までの3年を無駄に過ごした。元々の人付き合いスキルのなさもあり、在学中に出会いなどあるはずがなあった。利子なしの奨学金も取れたが、あてにしていた返済免除などとれるわけがなかった。
修士に入ってすぐ、研究の道へ進むことをあきらめた。得たことは、お前の目標とこれまでそれに走ってきた人生は間違っていたのだ、という現実だけだった。
社会的には「幸いにも」、俺にとっては「不幸にも」、俺がこれまで勉強してきた方面で、有名大学の推薦枠で、大企業の子会社かつそうそう潰れないメーカー会社に就職した。
大学での研究の道はあきらめても、企業の開発部門なら心機一転できるし、あくまで利益追求という目的があるから、君にはそっちのほうが向いているのではないか、と大学教授から勧められたからだ。
だが、入社して1年経った今、仕事にも生活にも虚無感しかない。
やりたいかもしれないと思っていたことはすでに分業化されており、統括の立場になるには20年はかかるであろうことが容易に予測できた。
研修後、ある程度希望を出した部署には配属されたが、全く興味がない仕事に半年従事させられた。人手が足りないから応援にいってこい、ついでに仕事の進め方を学んでおけ、と言われたが、いかにうまく手を抜いてサボるかを学んだだけで仕事の目的と意味をいくら聞いてもさっぱり理解できなかった。
楽しいともやりがいがあるとも全く感じられない。これを20年耐えたところで、俺のやりたいかもしれないことができるとは思えない。
別にやりたくもない仕事を押し付けられるのは社会ではよくあることだろうから、そこは仕方がないと思ってやるしかないのだろう。だが、仕方がないと思ってやるのは何故かといえば、仕事だからであり、なぜ仕事をやるのかといえば、金を稼いで飯を食って生きるためである。ではなぜ皆そんなにやりたくもない仕事してまで生きるのか?
色々な知り合いに相談してみたが、「生きてるから仕方ないじゃない」「死んだらほかの人が悲しむから」程度の回答しか得られなかった。
理由もなしにそんなに必死に生きていられるのか。言わないだけで目標とかこう生きたいとかあるんだろ?と勘ぐっても、それが何かは皆目見当がつかない。
さらに言うなら、俺にはそういう目標やらこう生きたいとかやらもない。
いや、正しくは最初に述べたとおりのことはあったが、もうかなわない夢物語と化している。代替案はない。
一山当てて海外を豪遊したいだとか、結婚したいだとか、そういうことはなくもないが、その理由は「そういうことをすれば他人から称賛されるから」というクソな理由であり、俺が自発的にやりたいことではない。
少なくとも、俺は俺が嫌いだ。俺の性格が嫌いだ。
俺の性格の本質は、自己中心的な完璧主義、そこそこの努力で他人に賞賛されたいと願っているゴミである。自分の思い通りにならないと泣きわめく子供である。
いくら表現方法を変えようと、手管を尽くそうと、我慢しようと、精神に負荷がかかると必ずこの性格が顔を出してしまう。変えられない形質というやつだ。
こんな性格を持つ俺自身を俺は全く好きになれない。むしろ大嫌いである。
自己啓発本とかでよく言われているように、まずは自分を認めなければ始まらない、だから認めたらどうだ?アホか、こんな人間なぞ信用もできないし認めてやることなんかできない。
だから、死にたい。俺には苦しんでまで生きる意味なんて、目標なんてないのだから。
一方で、この俺の行動を「構ってチャン乙」と冷めた目で見ている俺がいる。当然だ、こんなことを書いているのは俺かわいそうアピールに他ならない。
こういう風に書き散らしてみたり、酒を飲んで人に八つ当たりしたり。世から見ればこんなことをしているのはメンヘラとレッテルを貼られ、忌み嫌われ、蔑まれていく。
こんなことをする奴を助けてくれる奴なんていない。この世にスーパーマンはいない。いたら詐欺師か霊感商法か宗教勧誘だろう。
さらに、俺の周りには俺が生きたかったような人生を送っている奴がゴロゴロいる。まさに最初に挙げたような、研究職について人生順風満帆なやつが何人もいる。つきあっただの結婚しただの子供作っただの、というやつも何人もいる。仲良しグループですらそういう話題に事欠かない。
そういう話を聞くたびに、激しい嫉妬に駆られる。どうして俺はそうなれなかったんだ。どうしてお前らは。どうして。どうして。
生きているだけで、そういう話がどうやっても耳に飛び込んでくる。別に友達に限らず、仕事の付き合いでの雑談でも絶対に出てくる。避けることはできない。
俺は愛情というものがよくわからない。恋人や結婚相手、子供が欲しいとは思うが、それは社会的ステータスのために欲しいのであり、純粋に誰かを好きになったことはない。さらに口下手のオタッキーだから、これまでに付き合ったことなどないし、当然童貞である。
恋愛関係については何も知らない赤ん坊であるのだろう。だが、完璧主義のため失敗は許されない。付き合うためのきっかけもわからない。職場には女性がいない。出会い系は危険というニュースのイメージを子供のうちにさんざん刷り込まれている。街コンは行ってくれる知り合いがいない。そもそも、恋愛をするメリットが分からないまま、他人の恋愛事情に嫉妬している現状が意味不明である。
当然知識はある。山の深くへ入り込んでも、海へ入水しても、首を吊っても、道や線路へ飛び出しても、薬品やガスを使っても、風呂場でコンセントをショートさせても、すぐに死ねるだろう。他人への迷惑度など知らん。
ではなぜ衝動に駆られてもそうしないのかというと、きっと死とはどういうことかを知らないからだと思う。
幸か不幸か、物心がついた後では私の身内や親しい間柄の人間では未だに誰も死んでいない。葬式に出たことがない。ペットも飼っていなかったので、親しい生物の死に直面したことはない。
二度と会えなくなるということはわかっているが、理解したことはない。
死んだらどうなるのか?魂なんてものや天国地獄なんてものはないだろうが、そうあってほしいという願望はある。
俺がこの詰み状態から抜け出すには、俺のことを受け止めてくれるそこそこかわいい未婚女性と、ネットやゲームに張り付くよりも楽しく生産的な何かが必要なのだろう。あと金。
だがそれは降ってはこない。だが掴み取るためには今よりもっと酷い精神状態になりながら人生に打ち込まなければならない。だが、そもそもこれまでに目標を勉学以外で自発的に達成できたことなどない。
それらが欲しいなら、どうすればそれを手に入れられるか?という戦略を立て、目標と妥協点を立て、行動しなければいけないのだろう。そのような気力はない。そもそも前提として俺の性格が人間失格レベルなのだから、人生は詰んでいるのだ。
また明日から仕事だ。死にたい。死ぬのがだるい。死にたい。助けてくれ、だが無理なんだろう。死にたい。
15/5/11
本当に具合が悪いけど、「声に出せない」くらいにこじらせてると、そういう設問に「あてはまる」って答えるようになるよ
大半の人は空気を読んで差し障りのない回答するけど、そういうのができないくらい沈んでると鬱状態の質問で引っかかるような回答をするのはいる
あとは、前からメンタル不安定なのもその手の質問には反応する。
ただ、昇進とか昇格控えてたり、増田の言うように大きなプロジェクトにアサインされそうなのな人は「本当の自分の状態」ではなくて、
ちなみに、あの手の質問って上司との関係(上司に相談がしやすいか、上司は困ったとき助けてくれるか)を訊く質問あると思うけど、
部下に慕われてない無能な上司は低い点数になるから、経年で比較してみると面白い。
来週くらいには厚労省が「仕事で感じるストレスの基準」を発表するから、それを見てどう回答したらいいか考えてみるのもいいよ
ストレスチェック義務化って、精神疾患の労災認定が増えてるから、その認定にストレスチェックの結果を入れるようにして、
「仕事のストレスはあまりないですね、じゃあプライベートの問題だから労災じゃないよ」っていうためと、
社員が過労死とか自殺した時でも「仕事のストレスはあまりないから、会社の過失割合は少なくしますね」っていうことになると思う。
年をとったら物忘れが激しくなる。そういう自分にイライラする。昔は良かったなあ、とばかり思う。腰が曲がっていく。ボケていく。目も悪くなる。大切な人がいて一緒に暮らしていても先に死なれたら、ただただ毎日適当にテレビを見て暇を潰しながら、日常のほとんどのことにやる気が起きず、新しいことにチャレンジする気力もなく、ただ生きるためにご飯をつくって口に入れて、あとはぼんやりと死を待つばかり。誰ともお話しないで1日暮らすこともある。老老介護もある。自分より更にボケてもう歩けないろくにお話もできない要介護の母親を、母親だからちゃんと面倒見る。施設に入れていても何かあったらすぐ駆けつけなくちゃいけない。だから旅行に行くこともろくにできない。兄弟はその状況に見て見ぬ振りをして助けないくせに死んだときの遺産相続には出張ってくる。死んだ父親にあまり似ていないからあんたは異父兄弟だとすら言って傷つけてくる。近所のおばさん達とはあまりそりが合わないけど、家を訪ねられたらお茶を出して、聞きたくもない話をウンウン聞かなくちゃいけない。ほんとは仲良くしたくないが、田舎の人間関係そうはいかない。先立たれた大切な人が、慣れない環境でも暮らしやすくなるよう築いてくれた環境を壊す訳にもいかないから。自分のやりたくないことばかり毎日やって、本当にやりたいことにはやる気が出ずにボーッとして、鬱々と毎日を独りで過ごしてる。
1週間ばあちゃんの家に滞在して、毎日毎日こんな愚痴を聞かされた。
年取るとこうなるのは仕方ないとも言ってた。
だけどこうなってしまうと本当、なんでそんな辛い思いして生き続けなきゃいけないのかと思う。聞く話があまりに暗すぎ、救いようがない。細々と死に向かうだけの老後なんか絶対に絶対に嫌だ、こんなふうになりたくない。
しかも長生きするから経済を圧迫するし、若い人に苦労をかける上に虐げられる。自分で何も出来なくなっても介護施設や病院で他人の手によって生かされる。
なのにばあちゃんは「長生きしたほうがいい」と言う。
ばあちゃんのこんな状態見てて、 長 生 き し た い な ん て 思 う わ け が な い 。
大切な人を亡くした鬱状態のばあちゃんに、なんて接したらいいか分からなかったけど、考えすぎず気を紛らせるよう、一緒に料理をしたりなるべく楽しいお話ししたり絵を描いたりした。ちょっとでも元気になってくれたらいいなと思って色々やったけど、駄目だった。鬱は伝染する。ごめんばあちゃん。死んでほしいなんてとても言えないけど、このままただダラダラと大切な人を思いながら辛さを長く味わうくらいなら今すぐ大切な人の後を追っていく方がいいと少し思ってしまった。身内を大切に出来ないクソ孫でごめんな。
でもばあちゃん見てると老いてからの想像しても希望が見えないんだよ。長生きなんていいこと1つもない。長生きしたくない。
(トラバ):2人でいたらどっちかが必ず先に死ぬし長生きしてもしなくてもそういう悲しみはどのみちどちらかが背負う。長生きしなければ、そんな悲しみを長く持ち続けなくていいのに。長生きする意味なんか皆無。
まだ読んでるか?
はてなには結構お人好しが居て、前にちょっと食いつめた奴(あなた程深刻な状況ではない)が銀行口座を晒したら、現金を振り込む奴が以外なくらい居たりしたんだ
だから、できるならあなたも住所と名前(ペンネームでいい)を晒すといい
今より状況が悪化することはないだろう
自分も貧乏だが、すぐ食べられて保存もきく多少の食料とかビタミン剤の類い、それに小遣い程度の金なら送れなくもないし
文章から察する限り、暗証番号やパスワードが思い出せない、問い合わせの方法が分からないってのは鬱状態ぽいし
それだけじゃどうしたって色々足りないもんは出るからね
ともかく、良かったら住所を晒すんだ
追記
岡田斗司夫氏はかねてから自分の持っているメソッドで世界の数%を幸せにすると言っていたが、それは後づけ理論であり自分の膨大な欲求を満たすための副産物であるような気がした。
※その辺、行動経済学的にもご自身でわかっていらっしゃるのではないかと思う。
もちろん岡田斗司夫氏の現在の活動や言動を否定するものではなく、人生を豊かにするような有意義なメソッドもあると思うのでそれは各自ググってください。
普通に性的欲求のある一般的なおっさんである私が岡田斗司夫氏の発言を良心的に見てもやはり病的としかいえず、
これが通常の人に近い反応だと思うので、岡田斗司夫氏とつきあっている女性も心に病を持っている人が多そうだが(実際Aさんは拒食症らしい)岡田斗司夫氏自身もたまに鬱になるときがあると語っている以上、やはり類は友を呼ぶというでっかいくくりで()してもいいような気がする。※その他の8人の人に失礼だと思いますので先に謝罪しておきます。
頭のいい岡田斗司夫氏はそういった自分のあふれでる肯定的であり病的な欲求に対して意味を見出すために(意識的か無意識的かはわからない)
あのしゃべりくりや、博学さを身につけていった可能性が高い。「自分の彼女からしか学べない」ともいっています。学びはよりよく生きていくためのツールですからね。
※岡田斗司夫氏のあふれでる病的肯定的欲求をめんどくさいので以下トシオズムと明記。
・一人の人間を大事にすることができなかった。これは最初の奥様との結婚をして気づく。
・sexボランティア:なかなか普通のメンタルでできないことは想像に難くない。ボランティアに所属と言及しているが、本当のボランティアでそんな団体に所属する人はむにゃ※〒々。。。。相手がだれであろうと拒否権がないことを許諾できるのは、トシオズムがそういう団体に所属させたとしか思えない。
・自己嫌悪はない。
・性欲ではない。
あと動画全般にみる「モテ」という表現に過敏というか、俺はもててるとかそういうのではなくて的な言い回しは岡田斗司夫氏は自分のトシオズムをわかっていて俺はこのトシオズムを満たしているだけで、結果的には「モテ状態」なんだが、だからといってみんなにトシオズムを持て!とも言えない自縄自縛状態に見えるのは私だけでしょうか。
岡田斗司夫氏のあの天才的な話術やメソッドの裏にはトシオズムが根太く根付き、膨大なトシオズムパワーから生み出される岡田斗司夫コンテンツはその効果も大きく、その分自身に返ってくるマイナスパワーもあり鬱状態にもなりながらもがいている岡田斗司夫氏を感じる。
なので結論はトシオズム対談ということでぜひ、恐山院内の南直哉さんか、小池龍之介さんと対談して仏教的観点からそのトシオズムを理解・解体・再構築し、昔はトシオズムに揺れていた宮崎哲弥氏も含めた鼎談にすると2015年最強のコンテンツになり得る可能性もあり、世界の数%を確実に救うであろう新たなメソッドが生まれる瞬間を見たいと思うので、
「鬱病」というものを言い訳にしてしまうのは少し卑怯な気もするけれど。
この前病院に言って、軽い鬱状態ですねと診断されたのであまり見当違いではないかとも思う。
でもさー、心療内科にきた患者が「最近頑張れないんです」って言ってたら、
わたしでも言うわ。
どうすればいいんだっけ。
そういえばもらった薬を一つも飲んでないや。
もうわたしはだめかもしれないのよ。
誰か助けてほしいけど、助けを求めるのがめんどうくさい。
周りの人はみんな付き合ってて、抱きしめたりはしてくれない
助けて助けて。
逃げちゃえばいいの?
でも、逃げた先が怖いの。
ねぇお願い、大丈夫だよって言って。
っていうか、大丈夫にして。
もう壊れちゃいそう。
何を書いてるのか自分でもわかんない。
こわいこわいこわい。
自分が、あと何ヶ月後かの自分がどうなってるのかが分からない。
お母さん、ごめんね。
お父さん、ごめんね。
全国の有効求人倍率が1.10倍になって、22年ぶりの高い水準らしい。
この職場に来てまだ1年も経っていないが、常に、このままここに居て良いのかという気持ちがある。
もうすぐ30歳。
幼い頃から惰性で生きてきた。
何かに本気がなったこともない。部活動も続かなかったし。
考える事もしなかった。
家が貧乏だったし大学受験も嫌だったから大学へは進学しなかった。昔から考えもしなかった。
高校を卒業して入った会社ですぐに、自分はこんなにも出来ない奴だったのかと思い知った。なにせミスが多い。
診断は受けてないが間違いなくADHDだと思う。
でも周りの人みたいに「仕事がデキる人」になりたくて、勉強したり本を読んだりしていた。
入社して5年、「ずっとこの会社に居るんだろう」と漠然と思っていたが、
忙しさが続いたある時、突然仕事の全てが嫌になり、休職。結局退職した。鬱状態診断。
それから1年間ニートして、その後は派遣や正社員で働いたりしているが、どれも続かない。
数ヶ月すると突然嫌で嫌でたまらなくなる。何のやる気もなくなる。
身にならない仕事、食うための一時しのぎな仕事だと思っているけど、
残業が無いから自由な時間が多いし、仕事内容の割に時給は悪くない。
自分を諦めて割り切れたら楽だと思う。
一番の理想は、仕事が好きでかつデキて、根性もあって、パワフルに働く。そんな人間になりたいんだ。
夢ものがたりだな。
将来が不安だ。数年後どうしているだろう。結婚はするつもりが無い。
でもまた突然嫌になって辞めてしまうんじゃないか。
仕事も出来ない、バリバリ働く根性も無い、でも自分を諦めきれない。
そんなどうしようもない私は、どうやって生きていこう。
無断欠勤の元増田です。アドバイスありがとうございます。きちんと読んでいますよ。
あれから数日が経ち、気分はかなり軽くなりました。まだ心療内科の予約日は先ですが、無断欠勤を続けていた時に比べて、明らかに鬱状態は軽減していると思います。ただ、あくまで自己判断ですので、心の奥底では鬱屈したものが燻っているのだと思います。事実、職場関係の書類やメールを開いてしまった時には、非常にドキドキしてパニックの寸前にまで陥りますし。
ここ数日は外出できるくらいに、精神的に余裕が出てきました。掃除、洗濯等もこなせるようになってきました。比較的安定してきた精神状態で思うことは、私も(最終的に)転職を目指そうと考えていることです。例えば、仮に「休職(傷病手当受給)→数か月後に復帰」となっても、結局同じことになりそうな気がしているからです。仰るとおり、職場の環境を変えることはとても困難ですし、人間関係なども絡んでいますので、私が望む改善の現実性は恐らく0%に近いと思います。
また、ただでさえ給与の手取り額が13万円ですので、それよりも金額が低くなる傷病手当金をいただきながら一人暮らしを続けるのも、よりストレスが溜まるのかな、という気がしています。貯蓄もありませんし、休職期間中を凌いでいける自信がありません。かといって、実家に帰ることは控えたいです(元々、親との関係性の悪化が原因で実家を飛び出しています)。
心療内科の先生に相談はしますが、現時点での自分の症状と、今後の生活と仕事との折り合いの付け方をどうしていくべきか、きちんと判断したいと思います。