はてなキーワード: 鬱状態とは
http://anond.hatelabo.jp/20170427184720 の続き。
部下は心療内科に通い始め、医者はストレスの原因となるものから距離を取るようにとの指示を出した。会社は僕に対して、部下へ最低限のフォローをメールでするように指示し、時々事務的なメールを送るようになった。
逆に言えばメールしかできない。部下のストレスとなるものから遠ざけるのは、当然の配慮だ。
メールの文面については当初専門家がチェックし送信していた。やがて社内の者のチェックになり僕の指示、連絡が部下の状態を悪化させないような文章となっているか確認されている。頑張るという文字を入れない、復帰することを期待していると書かないなど…だ。
第三者のチェックが入るためできるだけ短く、そして事務的に感情を入れないような内容で送ることが多くなった。
僕自身も、軽い抗うつ剤や精神安定剤を1か月ほど服用した。今は量を減らしている。正確には医者に行くのがめんどくさくなって薬を時々しか飲まなくなった。だいぶ客観的に自分の状態を見ることはできるようになったと思うが、メンタルはまだ安定はしないこともある。仕事の量が減ったことや、これから季節が夏に向かうので、さらに快方に向かうと思いたい。
僕のかかった心療内科の医者は、勤務先がベンチャーだというとよくあるケースだという。よくあるのは、ワーカホリックでモチベーションの塊のような創設メンバーの中、あるいはそのノリに乗れない中途採用者の誰かが倒れて初めて働き方改善が行われるという。会社は、僕と部下の鬱状態の者を2名出したことに対しては迅速に対応してくれた。
事務的な返信の最後に「誕生日おめでとうございます。」ではじまるいくつかの短い文章が書かれていた。今年は直接会ってお祝いできずにすまないといった意味のことが続いて書かれていた。
このメールの文章を読んで、思わず涙ぐんだ。周りに誰もいなければおそらく泣いていただろう。
帰宅してから妻にこのことを話すと「今日、一番うれしいメールだったね」と言われた。元は同じ職場で部下のことも知っている妻は、今回の部下のことは僕だけのせいではないし、もし僕のことを恨んでいたらそのようなメールはくれないはずだと言う。
自分が快方に向かいつつある一方で、部下がまだ鬱と闘っていると思うと辛い気持ちにもなるが、早く回復してほしいと思う。
僕が部下にできることは何だろうか。部下の休職後、鬱に関する本を何冊か購入し、ネットの情報も探してみたが、なかなか見つからないでいる。
ビジョンミッションが大切ですとどこぞの戦略コンサルタントがしたり顔してありがたいお言葉をくれるたびに、んなものどーでもいいじゃないかと本気で取り合ってこなかったけれど、いま目の前に広がる組織を構成する人の繋がりのこんがらがった状態を見てはじめてビジョンミッションは意味があるモノなんだなと納得してきた。いや、正しくは今じゃないな。少しずつもう以前から分かっていたのだけれども、何とかなるだろう的な超楽天的な考え方にぶらさがり見ないようにしていたかも知れない。
あなたは人を殺せと言われて、殺すことができるだろうか?そんなことを実際にいう組織はそうそうないと思うけれど、要は自分が今まで培ってきたいまさら変えられようもない価値観を壊すことができますか?という話。組織が崩壊するのは決定的に価値観が合わない人同士が同じ組織の中に存在する場合に起こりやすいのではないかと最近考えるようになってきた。価値観が根本的に合わない組織に人が投げ込まれてしまった場合どうなるか。その人はほぼほぼ間違いなく鬱状態に陥る。考えてみて欲しい。人を殺したくないのに周りからは人を殺してこい簡単だやってみろ人殺すことにより人が評価される社会ではそれが当たり前のように話されているのだ。思えば、前の会社はそれに近い状態だった(決して人殺しを強要した会社ではなかった。比喩だ)。恐ろしいのはひな鳥のうちから企業としては一般的でなく平均的にもならないほどのあり得ない価値観をすり込んでいるので「会社とはそうゆうものなのだ」と納得して仕事をしている歯車が大量生産されている会社だった。ひな鳥たちはその会社をブラック企業とは思わずに自ら進んで喜んで残業をする。もちろんサービスだ。社員の平均給与は募集時の提示金額は嘘っぱちで実際は業界平均よりも低かった。自我があり、自ら考えておかしいのではないか?と疑問を持つモノほど心がやられて病気になり会社を去って行った。心がやられないのは疑問を持たずに目の前に提示されたことを黙々とこなす社員のみ。社長はそれを望み社員もそれを望むというお互いの利害関係が一致する関係が築かれていた。表面上は平和だ。表面的には。そんな会社にも「世のため人のため」を謳ったビジョンミッションは提示されていた(そのためにはお前ら馬車馬のように働けと圧力がかかっていた状態だったためか、そのビジョンミッションを空で暗唱できる人はだれもいなかったが)。だからビジョンミッションなんてものは何一つ有用じゃないんじゃないかと考えていた。ビジョンミッションで価値観の共有なんてできやしないんだと。でもそれは今所属している企業を見ていると間違っていたのかもしれないと考えるようになった。いまの会社は人を殺してこい!なんて酷いことは言わない。むしろ隣人を愛しなさいと説く。価値観は合っていると思っていたのだったが、なにぶん困っているのは「隣人を愛しなさい」というビジョンミッションに対してとりうる手段が個々人で異なりすぎるのだ。人を愛すためにという大命題のもと私は1日6時間だけ働きますという人。1日8時間は働きますという人。7日で25時間だけ働きますという人。すべて人を愛すためなのですと理由をつける。うちの会社が隣人を愛し続けるために、競合の会社を破壊してきますという人もいるのを見るにつけ、それでいいのだろうか?と旗と考える事態になった。やっかいなことに、その行動がもたらす影響を横に置いて考えてしまうと、その行動を引き起こしている動機は皆善意なのだ。人を愛したい。隣人を愛すために愛すために愛すためになのだ。そう、ばっちりとビジョンミッションが効果的に効いているわけなのだ。ということで、改めてビジョンミッションは、達成に向けた手段の粒度も併せてすりあわせをしておくことの大切さを最近実感している。何より、組織の途中からビジョンミッションを作るのではなく、一番最初に作っておかないと行けないのではないかと思うに至った。ある程度人が集まった状態でビジョンミッションとその達成手段の手段の方向性までを再構築すると確実に組織がいったんは崩壊する。いまの組織ではこれから改めてビジョンミッションを提示することになるので、どんなにお互いに対話を重ねても重ねても価値観が合わない人は離脱するだろう。いやすべきだ。その人が鬱病になってしまっては不幸なのでしかるべきところで離脱してもらわないといけないのだ。
私も、家族(母と姉)の精神的疾患に苦しみましたので、放っておけず。
家族が、鬱状態の強いときの「負のエネルギー」に引きづられてしまうので、かなり辛いだろうと思います。
また、ご本人はご本人で、学校に行ったり、友達と遊んだりとやりたいことがあるのに、ふと家の現実を思い出したり、または他の家族の楽しそうな姿を見て比較してしまって、気持ちが暗くなったりするんじゃないかと思います。
なので、家でその様なことがあると、「私は驚きよりも悲しみや怒りや呆れといった感情を強く抱」くのは、当然だと思います。
私もそうでした。
あんたも辛いだろうが、それを止めたり、病院に連れていったり、慰めたりする私の身にもなってくれ。いい年して、それくらいも考えられないのか!
と。
ただ、一つは、ご家族が実際に死んでしまったら、より辛い気持ちに襲われると思います。
精神的疾患は(もしかしたら患者さんご本人の精神的傾向も)、合うお医者さん、合う薬があれば、大幅に良くなることもあることも忘れないで居てください。
それから、これだけの重荷を負って生きている貴方本人が、「抑えていた気持ちが怒りとなって爆発してしまうようになった。自分がダメなことは分かっているけど、それをどうしていいか分からない。」という危険水準に達していることも、まずはご家族の病院に行く際に直接伝えて良いと思います。その際、何も対応しない医者なら、違う病院に行っても良いと思います(行き着く先は、カウンセラー等かも知れませんが、まずは精神科または心療内科から振り分けてもらうルートで良いです。)。
目覚ましの音はもちろん聞いているし、寝続けている訳でもない。
寝床から出たくない。立ちたくない、どうしよう、と悶々と考えているうちに時間が経ってしまい、もう絶対に始業に間に合わない時間になってしまう。
なんてダメな人間なんだと、絶望的な気持ちになりながら、体調不良を理由に休みの連絡を入れる。
そんなことをこの1ヶ月ほど繰り返していたら、有給がほぼ尽きかけている。
たまたま仕事が閑散期に差し掛かったところで、出勤できている日もあるので、
仕事に大きく穴を開けるにはいたっていないけれど、それも時間の問題だ。
ゆるい職場ではあるけれど、健康状態をかなり心配されてしまっているし、さすがに休みすぎて不審に思われていることだろう。
このまま異動になったり、処罰されるのではないかと思うと怖くて仕方がない。
どうしてこんなことになってしまったんだろう?
仕事があるから食べていけることは重々承知しているし、別に嫌いな仕事をしている訳でもない。
時期によっては忙しすぎて、体力の限界を超えていると思うことはあるけれど、いまは暇だというのに。
そのうち、このまま外に出ることが出来なくなってしまうんじゃないかと思うと怖くて仕方がない。
ついでに言うと、風呂にも入れなくなりつつある。
冷えや疲れを取りたい気持ちもあって、かなりの気力を振り絞って寝る前に入浴するようにしているが、それも出来ないことが増えている。
朝、起きなくてはと思っても、もうシャワーを浴びる時間が残されておらず、髪の汚れの悲惨さから出勤できなくなってしまうこともある。
本当にどうしてしまったのだろう。
自分で頑張るしかないのはわかっている。心が弛んでいるのも分かっている。
明日こそは絶対に、と思うのに、また翌朝、自分に絶望している。
どうやって立ち直ったのか、どうか聞かせてほしい。
追記-------------------------------------------
やはり鬱状態なのかな。
可能性があるとは思っていたけど、それほど精神状態が悪くなくて、情緒もほどほどに安定しているものだから、判断がつなかったんだ。
説明が難しいけど、毎日死にたいとか思っている訳ではないし、趣味や友人との用事なら出かけられることが多い(疲れそうだったり、気がすすまない約束は全て断るようになった)。
学生時代や20代半ばくらいまでの方がずっと精神的には調子が悪かった。
だから、鬱なのではなく極端に怠け癖がついてしまっていたり、疲れているだけなのかなって。
タイトルの通り。
もともとは自傷行為をするくらいなら、死にたいわたしより生きたい誰かに血を分けた方が無駄がないからと献血センターにいった。高校生の時だった。精神がボロボロで薬を飲んでいるわたしは、飲んでいる薬を伝えたうえで献血を行っている。もうすぐ20回目になる。
献血をしている間、色んな人がわたしに「ありがとう」とお礼を言ってくれる。日常生活でただうつろに過ごすわたしが、生きているだけでありがとうとお礼を言われるのは献血センターくらいで、そのなんともいえない嬉しさがたまらないからと通う。血を抜いているときだけは、いつも無意味に泣いて鬱状態になる自分とは違う気持ちでいられる。自分の腕を切るのは簡単だが痛みは激しいし、ただ痛いだけで無駄だと感じた。その変わりに献血を始めたのもあって、短いスパンで行きたくなる。成分血液は全血(400とかね)より短いスパンでいけるから、そればかりやっている。体重の制限もあって成分のみだったが、最近薬の副作用で50キロを超え全血をはじめた。400をはじめて抜いてふらふらして、次の日倒れた。めまいのなかで、あっこれ死ねるのかな!と思うと幸せだった。あの幸福感を味わいたくて、今週また400抜く予定だ。体重は50ちゃんとある。ただ400抜くとまた抜きたいという衝動のまま長い間いけないから不便だなと思った。でも50ぴったりだと止められるときもあるから、51キロ以上あった方が確実だと思うよ。50ない人は成分できるから成分おすすめ。
献血で人を救っているとか、ラブインアクションとか、そんなこと一度も考えたことはない。ただわたしの自己満足で、これは自傷行為の変えなのだ。むしろこんな人間の血液でいいのかなと思い申し訳ない気持ちになる。ただ血液は顔が見えない。わたしという人間なんて関係なくきちんと検査されて、必要な人へ届けられる。
どうせ自殺するなら、ドナーを待つ人に届けてほしいと最近思うようになった。未遂を繰り返すうちに、発見が遅れて使い物にならないより同意のうえで必要な人の元へ届けばしあわせなのかなと思うようになった。これも完全な自己満足だしドナーとかよくわかっていないから、いろいろ問題ある書き込みだったらごめんなさい。でも中身ボロボロだから、使い物になるかもわからないです。
献血は怖いとか、痛いとかいう人がいるけれどわたしは痛くない。ただ針が苦手だし注射が嫌いだがら、針を抜き差しする間だけ違う方を見るようにしている。スタッフの人は「怖いのに来てくれるよね」と認知されてから声をかけてくれるし、冷えがすごいからいろいろ手厚くしてくれる。優しくされないで生きているせいで、あの場所の居心地の良さは異常だと思っている。本当にいいよ献血センター。旅行ついでに各地に顔を出すほどすき。一番おすすめはソラマチ。
わたしはこれで自傷行為をすこしだけ抑えることができるようになってきた。血を抜かれることは好きだと気づいた。毎日鬱々としていて今も薬を飲みながら書いていて、もう明日目が覚めるのがこわい。けれど今週血を抜きに行くと決めたからそこまで生きる。無料だし怖くないし、めっちゃほめてくれるから自尊心ボロボロのメンヘラは絶対ハマると思うよ。
もう5年も経つのにまだ治らない
10年あっても治る自信がない
数回しか会ってないような人にそこまで執着してどうする、動物的に
古典などを読むと自分と同じように唐突に精神ぶっ壊れたような奴が居るし
常にストレスにさらされている状態が続くので薬もまともに効かない
たまに、夜中に手が止まるとフラッシュバックするから、とにかくキツイ仕事に打ち込んだ
でもそれがたたって身体も壊した
精神科で恋がどうのというと笑われるらしい
「そりゃ医者にも治せないよ〜」
いや治せよ
大学院で教授にパワハラうけ続けたのが可愛く思えるくらい毎秒吐きそうだったぞ
治してよ
「新しい恋を見つければ」ってなんだよそれ
ブラック企業で鬱になった人に「ホワイト企業に就職しろ」って言ってるようなもんだぞ
まあ軽度とは言え非定型うつだし、明るく振る舞うのが30分が限界だ
恋するときの「きゅんっ」があるだろ、あれが発作的に来るんだ、苦痛でしかない
5年前と5年後で、まるで価値観が変わってしまったので、以前の自分がどうだったか思い出せない
面白いほど涙も出る
死ぬまでこうなのか、てか何で生きてるんだ
価値観が壊れていく
もし友人なんかでこういう重いやつが居たら「うらやましい」とか「美談」なんかで終わらせないでほしい
本人は割りと洒落になってない
人は恋で死ぬぞ
苦しい発達障害の現状を伝えようと思う
彼は多動性の強いADHDだと思う。そして私は軽度のADHDだ。なぜ軽度と言っているのかといえば病院などで診断を受けているわけではなく自覚症状として勝手にADHDの気があると思っているからである。傾向を見ると間違いなくソッチの気があると自分でも断言できるのだが、ADHDテストなどを受けると辛うじてクリア(健常)してしまい、自閉的な強いこだわりであるとか衝動性は少ないので目に見える違和感は少ない。それゆえ今まで友人が出来、恋人が出来、定職にもありつけた。しかし、これが苦しい苦しい。
ADHDとはどういう病気かと言うと、キーワードクリックして詳しく調べてくれと言いたいところだが、簡単に言うと多動性と不注意性に分かれる。彼の場合は多動の傾向が強く、いわゆるお調子者、クラスでうるさいガキというやつだ。調子に乗ってウザいと嫌われるときもあれば、クラスのムードメーカーと愛されるときもある。しかしこの病気は、うるさく騒ぐことが面白いとウケる=認められる=嬉しいと思うあまり”やりすぎてしまう”ことが顕著で、決して迷惑かけてやろうと思っているのではなくて快楽に忠実に従って「どこでやめたらいいかわからない」だけなのだ。怒られたりして冷静に考えるとたしかに自分の行動はよくなかったなと終わってから初めて思える。彼の行動原理が分かるために切ない。アスペと違うのは空気や行間はわりと読める、でもやめどきがわからない。高難度の空気は読めないということになる。発達障害が高機能自閉症と言われる所以はここにあり、普通の生活は営めるんだけども細かいところが分からないのだ。でもこの「細かいところ」日本ではとても重要視しているために生きづらさを強く感じる。
私は不注意の傾向が強い。注意力散漫がどうとか学術誌には書いてあるが自分では注意力が散漫とは思っていない。知らない間に怪我したり忘れ物が多いとか遅刻をしやすいとかがあるけれどもみんなそんなもんでしょと思って生きてきた。しかしこの遅刻やらケアレスミスの頻度が多すぎるのだ。人間誰しも一度はミスを犯したり、忘れ物したり、寝坊してしまったりがあると思います。ADHDはほぼ毎日なにかしらやらかします。そうすると信頼を失っていきますよね。自己嫌悪に陥るからタチが悪い。いっそ脳の認知度レベルも落としてくれと思うこともある。それを許されないのがグレーゾーンのつらさ。私は遅刻魔のレッテルを貼られているし、大事なもの(ライブのチケット、パリのお土産、鍵、定期、財布)を幾度となくなくしてきた。平和な日本では財布や携帯を落としても大体の人が拾ってくれることを知っている。ディズニーランドのパスポートを駐車場まで持っていたのに入場前でなくして凹み、買いなおして貰ったが申し訳なく罪悪感で楽しめなかった事があった。
人間関係においてはからかってやろうと思うと行き過ぎてケンカを売っている状態になり嫌われる。でもからかわずにいられない衝動に駆られる。何の呪いだ
話を聞いていなく(聞いている途中で無意識に気がそれる)移動教室がどこのクラスで行われるかわからず授業時間始まっているのにもかかわらず彷徨い続けたことが人生で2度もある。
先読みが出来ない。モタモタ行動は遅い。帰りの会が終わり教室を1番に出ることは6年間皆無だった。
自分が生き辛さを強く感じ発達障害を疑いだしたのは大学生のころだった。大学生にもなるとゆとり教育などとも言っていられず自立が求められる、なにより友人知人の関係性がとても浅くなる。高校生までであれば今日は風紀検査があるよだの○○で移動教室あるよだの教えてくれる人が一人はいた。休もうものなら心配してメールの1本入る。だが大学生が授業フケこんで休むなんてザラにある。仲の良い友人だっていちいちメールしてこないのだ。私は始業日を1日間違え、無自覚のずる休みをしていた。それに気づいたのは翌日登校し「昨日なんで休んだんだよ~」と声をかけられてはじめて知った。ショックだった。大学では持ち物やレポート期限などをご丁寧にレジュメに発行せず口頭で伝えるものだ。手帳を普段携帯しないしメモってもそれを見ないので忘れ物の数が半端じゃなかった。また君か。やる気はあるのか。鬱になった。2限から始まる授業のほうが遅刻していた。余裕ぶっこいてダラダラ支度し、遅刻決定している時間に焦って家を飛び出す。そんなこんなで就活の時期になり自分が愚図なのを自覚していたので、誰よりも早く決めてやろう、そう意気込んだ。就活期間は3ヶ月、短期決戦で集中した。驚くことに志望していた会社にきまった。3年の11月ごろに決まっている奴なんか私くらいしかいなかった。
しかしうまくはいかない。見る目がないのでブラック企業にストレートインしていたのだ。めちゃくちゃ体育会系の会社にADHDの愚図が合うはずもなくいじめに逢い1年でやめた。1年がんばったのは逃げたくなかったこととすぐにやめるとその程度の能力しかないと思われ次の就職先に響くと思ったからだった。でもさっさと辞めればよかった。無理して働いたせいで心身共に病み、完全復活するまでに1年半掛かった。働いていた期間より長い。その後転職エージェントを使い再就職できたものの空白期間は当然つっこまれる。留学したとうそをついた。ADHDは怒られないようにうそを平気でつけるようになる。クズに拍車がかかる。ちなみにその1年の間に物は壊すわ顧客に失礼するわ遅刻もするわでいじめられる原因は自分が作っていることにうっすら気づきながらもミスは無意識に発生するためどうしようも出来ない。フォローもやりかたがわからないしうまくできやしない。リスクを未然に防ぐ想像力がなく、それによって起きたリスクに う ま く 対処できないのが特徴。
私が言いたいのは発達障害だからって有効な薬もなく対処療法になるし、一生ついて回るものだしどうにもできない。できるだけ健常なみなさんに広い心を持っていただきたく、我々もミスることを自覚して慎ましく生きなければならない。
発達障害って最近認知された言葉だけれど、急にふっと沸いた人種なのだろうか。
クラスに一人はやばい奴認定されていた奴がいたと思うが、あいつらは絶対にそう。でも特別支援学級に行くまででもない。
ほかにおっちょこちょいなやつ、忘れ物多いやつ、どんくさいやつ、こいつら全部軽度の障害。
ねえ、そう思ったら多すぎませんか。
なんでも規則でしばって、ちょっとでももたもたしていたら障碍児って、安直すぎやしませんか。窓際社員がいたっていいじゃないか。働きアリは全員が働いているわけではなく何割かはサボっていて、よく働いているアリグループを別のゲージにいれるとその中でまたよく働くやつほどほどのやつ、サボってるやつで役割が分担されるという。社会というのは何割か使えない奴がいて初めてうまく回るんですよ。私のようなかなりグレーなおそらく病名が付かないで”傾向”で済んでしまう人はずっとこれからの人生このまま生きていかなきゃいけないんですよ。働いて生活できるようにしないといけないし、結婚して家庭だってもちたい。発達障害は遺伝するから子を産むななんて悲しい事言わないでくれよ。人間やぞ。ショックなんやぞ。自分が障碍者かもって思ったことあるか。ガビーンだぞ。ショックすぎてむせび泣いたわ。これから先困難が予想されるけども、もう仕方ないから受け入れている。ひたすらメモにとってせめて忘れ物や遅刻はしないように気を使っている。
発達障害は往々にして鬱
高畑敦子の愛情によって、通常なら鬱を発症するはずが、裕太容疑者は明るいキャラクターを通している。
これってすごいこと、私は母親の教育は失敗に終わっていないと思う。
発達障害児は失敗行動が多いのでとにかく叱られたり嫌われたり自分でもやってもうまくいかないので塞ぎこみがち、というか凹むしかない。私は物心付いたときから割りと反抗的な性格もあってまわりからは規則を守れない奴とみられてきた。するとどうなるか。鬱になる。ずっと性格に卑屈な面が出てきてテンション低い、低度の鬱状態が延々続いていく。非行に走らなかったのは親が厳しかったためであるが鬱で息苦しい鬱蒼な毎日だ。高畑家はどうだろうか。おそらくやつの個性を認めて明るく育ててきたのだろう。途中まではうまくいっていたのになんとも悲しい結末だ。
ハメられやすい
私も若いころ経験があるのだが、予測行動を苦手とするために悪意を持った人間にハメられたり騙されたり非常にしやすい。そして騙されやすい。アホに違いないがアホっていうかなんというか知能テストはクリアするものの純粋ゆえに人を信じて騙されているんだろうなと思う。詐欺に引っかかる人、認知レベルが落ちている(高齢者など)か発達障害の傾向がある人だと思う。今回の事件、被害者は実際に被害にあっていると思うが、これまでもあいつならちょろいぜと美人局的な事件に遭っていそうだなと客観的に思った。
障害児の親も往々にしてそういう傾向がある。昔はお見合いだったから相手が不器用が過ぎる人間かどうか気づかず結婚していたのだろうと推測する。遺伝の可能性は否定できない。
また、高齢出産の影響も強い。卵子のタイムリミットをしっていますか。これはこの年齢を境に機能がガクっと落ちることを意味しているのだけれど、37歳なんです。今日本で結婚を意識する年齢って30歳前後ですね。仮に30歳の女性が結婚したとしてあと7年しかないんです。短くないですか。女性の社会進出や医療の発達などで晩婚・高齢出産をしても安心して生めるように環境はそろったけれども、肉体としてはあまり進化がない。元々人間の寿命は50年ほどでした。いたずらに長く生き過ぎているのかもしれませんね。精子も劣化します。男性は生涯現役だとばかりにジジイになっても性欲はおちないものですが、ジジイになればなるほど劣化します。精子が劣化しているとそれだけ不具合を持った子供が生まれやすい。福山雅治さんが先ほど第一子の妊娠を発表なされ非常にめでたいのですが46歳の精子はなかなかですね。顔はきれいだろうけれど、障害グレーが生まれる可能性高いです。イケメンは隠し子の1人2人いてもいいと思いますよw若いときに作ったほうがいい。
ここまで長く書いて何いいたいんだろうって話ですが、あまり糾弾せずちょっとどんくせえなくらいに受け止めてほしいということ。そして障害を持つものも幸いにして知能は高いのだから怠けたい衝動に突き動かされず、やるべき社会的行動にロジカルに対応すべき。ルーティーン作業ほどミスるので、日常生活をマネジメントしたメモをいたるところに張ってそのとおりに行動すればまだましかな?まったくの健常者だって忘れ物くらいするのだから、お互いがんばりましょうや、ということです。
今までの人生で感じたことのないタイプのひどい鬱状態に陥ってしまい(ワースト3に入る)
よく考えたら、エビリファイを飲み始めてから、抗いようのない鬱に飲み込まれそうになっていたということに気付いて
(元々、軽いパニック症状のために通い始め、漢方薬を処方してもらっていたので)
(自分としてはパニック症状さえ落ち着けばよかったので、躁鬱の治療は特に希望してなかったです。鬱状態でもなかったし。激しい躁状態でもないと思っていたし)
(医者が、あんたそれ、双極性障害だよ!おくすりかえよ!って提案してきたタイプです)
(お医者さんとは、漢方薬でも鬱状態が治らなかったら大人しく、エビリファイに戻す、という話をしています)
エビリファイが抜け始めて、ようやく自分のことを肯定出来るようになってきた。
この2ヶ月ほど、自分のネガティブの元と向き合い続けて本当に苦しかった。
結局自己肯定感が低く「認知の歪み」があって、そのせいで鬱状態になるのだろう、
という辺りまではわかったけれど、その先にいこうとしてもどうも鬱の波に飲み込まれそうになって毎日あっぷあっぷだった。
けれど今日初めて「認知の歪み、という原因突き止められた自分はえらいし、この方向であってるから大丈夫」
と少し自分を認められたことで
ほっとした。らくになった。未来は明るいような気がした。
その他、エビリファイの副作用として上げられる「虚脱」状態も、服薬以来続いていてつらかった。
3分以上、立って人の話を聞くことが出来なくなっていたし、
事務作業も1時間が限界だった。寝転がるか、どこかへ走り出したくなるような状態が続いていた。
自分はもうすっかりダメ人間になってしまったんだなあと自己嫌悪がすごかったけれど
よく考えたら、エビリファイ以来だったので、その原因も疑ったのですが……。
医者には、「双極性障害の鬱状態に入っただけ。元々体調悪かったんじゃないの?」みたいな感じで一蹴されるし。
なんというか、この病気の人の自己申告は信じねぇぞ、という論調だったな。
というわけで、また双極的におかしいとか愛する人などに指摘されたら、セカンドオピニオン的に別の病院に行こうと思いますが……。
というか、エビリファイで鬱になってしまった私は、本当に双極性障害なんだろうか?とも思うんです。
でも病気の人ほど、ノーマルを主張するって云うし。考え始めるとまったくもってよくわかりません。
医者は「エビリファイは気持ちをフラットにする」と言うけれどわたしの場合はポジティブがこそげ落とされてネガティブだけが残ってしまいました。
それなら、気分安定剤を処方しよう、と言われたけれど、喜びも悲しみもなくなって体が虚脱するだけになりそうで、それが怖くて踏み出せなかったです。
自分の躁状態で、人を不快にさせるポイントが少しわかった(と思った)ので、
そこを気をつけて、謙虚に明るく、人に気遣いをすることを忘れないようにしていれば、
私が躁状態の時ってせいぜい、好きな音楽を聞いて「なんて……ッ天才ッ……なんだぁ!」って浸ったりとか
人のいないところで音楽さいこー!と思いながら、ちょっと走ってジャンプする程度のものだったりするんですけど……。
ここ3年での大きな買い物といえば、10万円弱の一番安いMacBookAirだったりするし
劇団立ち上げたい!音楽イベント主催してみたい!とか思っても、思うだけだし、
オフ会すら最近主催してないし、配信してみたい!と思ってもしてないし、
睡眠時間3時間程度で2ヶ月くらい創作し続けたこともあったけど。。そんなん、あるやろ?創作する人なら。
というわけで、長くなったのでまとめ
1)ただの愚痴でした。
3)エビリファイで鬱になることってあるの?
4)ワシ、ほんまに双極性障害やったん……?
以上!
つまずく度に立ち上がっては,なんとか取り繕ってきたのですが,それももう難しそうです.
集団行動に慣れず,クラスに馴染めず,六年間いじめられていました.
そこで,地元の中学には行くまいと,多感な時期のあらゆる全ての時間を「お勉強」に費やし,中学受験をし,そこそこの学校に受かることができました.
無論,そんな私が中学に入れば変われるはずもなく,それどころか中高と,より陰湿ないじめにあいました.
そこでも私は「お勉強」という道で,つまずいたところから立ち上がり,青春の全ての時間を費やし,そこそこ良い大学に入りました.
今思えば,人より時間があった分,少しだけ「お勉強」ができてしまったというのも,私の人生をこじらせている一因だと思います.
大学での勉強はそれなりに楽しかったし,生活環境も不自由がありませんでした.
しかし,ここでもやはりつまずいた理由は,人間関係やコミュニケーションにありました.
ここで人間不信になるような出来事に幾度か見舞われ,以降より一層,まともにコミュニケーションが取れなくなりました.
鬱になってから1年ほど,家に引きこもっていましたが,ここでもまた立ち上がって,自力で鬱状態から回復しました.
(改善が見られたのは,精神科に処方された薬をやめてからのことでした.)
大学院に入ってからは,やはりそれなりに楽しく過ごし,一定の成果を残すこともできました.
しかし,今度は「就活」という高い壁が待ち受けていました.ここでももちろん全社全滅するわけですが...
「適切にコミュニケーションができない.」
特にこの一点で,私は世の中から必要とされず,消えたほうが良い人間です.
私のせいで,不快な思いをした人達も,言外にそう言っていました.
しかし,不快な思いをした人達,そうでない人達のなかにも,家族など,私に今のままでいて良いんだよと言ってくれる人がいます.
そのことが余計に辛くもあります.
「お前はアスペルガーだから」と親に笑って言われた時,表面上では冗談っぽく笑って返していたけれど,本当はすごくショックでした.
しかし,普通の人が普通にこなしていることが,こうも上手く行かないと,親に言われたことはある種事実だろうと思わざるを得ません.
普通の人と自分の感覚がずれているせいで,普通の人の地雷を全力で踏み抜き,逆に普通の人は私の地雷をやすやすと踏んで,何故そんなことで落ち込むのか,訳がわからないといった顔をして,,
今度はどうやって立ち上がるか..
(鬱病の知り合いが鬱はもの凄く苦しいんだと言っていたので、多分そこまでじゃないなと思っているから)、
眠っているうちに死んでいたらいいのになと思うようになった。
いつも憂鬱かと言うとそうではなく、調子の良い時はむしろけっこうな万能感に溢れていて機嫌が良いときもある。
自分が無力だと思うと打ちのめされ過ぎて病んでしまうので(特に何かがなくても鬱状態のときもあるが)
他人にも揶揄されたことがあるけど、間違いなく自己愛性パーソナリティ障害か何かなんだと思う。
他人からの賞賛や評価が自分を元気づけ、愛や美の空想に取り憑かれているので
その誇大な妄想力がエンジンになったおかげて小さな頃から夢だった仕事に就いて独立までしたけど、
元の性格に問題があるので、落ち込みやすくすぐに病んでしまう。
でも、仕事を続けるには、誇大な妄想に取り憑かれて調子が良い方が俄然出来るので、
多分性格自体を治したら仕事をする気力も失ってしまうのが分かっているので、
この性格は治せない。
あの万能感を利用して生きてきたので、なんとかして無気力状態から脱したいけど、
ふとした瞬間に、自分はいてもいなくてもいい存在なんだと思ってしまう。
自覚があるので、まず人格の方を治療されそうだからメンタルクリニックにはかかりたくないけど、
出来るなら鬱だけ治してハイになりたいな。
辛さの余りに最近視界に刃物がちらついて、リストカット…みたいな思考にすらなりかけるけど、
「結果を出す」
2か月前に母方の祖父が亡くなりました。
その際に母は、葬儀の手続きで忙しく手がいっぱいになり、頭を悩ませていました。
ちょうど私は一週間、新卒の研修で地元を離れており葬儀に参加することはできなかったのですが、母は慣れない葬儀関係のことで苦労していたようです。
研修から帰ってきた頃から母の様子が少しおかしいことに気づいていたのですが、祖父がなくなったことへのショックによる一時的なものですぐによくなると思っていました。
相続する権利は私の祖母、母、母の兄(私の叔父、単身)の三人にありました。
叔父は5年以上、親戚の誰とも連絡がつかなくなっていたのですが祖父が危篤状態のときに現れ、亡くなったあとには葬儀関係の手続きを進めてくれました。
相続の手続きをする際に、叔父は今現在、知り合いの家に居候して自分の家を持たないこと、多額の借金があることがわかりました。
最終的に遺産の権利は、母と叔父が権利を放棄して祖父の財産はすべて祖母のものになることに決まりました。
しかし、持っている家や土地を売却する素振りをみせていた叔父に、母の中には不安が大きくあったようです。
葬儀から3週間ほど経った頃、夜中に母親に起きてきて、心臓が苦しいと言うので病院の夜間救急に連れていきました。
検査をした結果、体に異常は全くありませんでした。
祖母の財産のことやこれからの生活のことが気がかりで不安に押し潰されそうになり目が覚めた、と母は話していました。
祖父が亡くなってからほとんど全く寝ることができず、寝ることができても数時間で目が覚めてしまうらしいのです。
心療内科では睡眠導入剤を処方され、最初の数日は眠ることができていたのですがすぐに効かなくなり、逆に睡眠導入剤を飲まないと一睡もできないようになってしまいました。
睡眠導入剤を飲むことが母にとっては、薬に依存してしまうのではないか、と不安を募らせています。
「具体的に何がそんなに不安なの?」と聞くと、母自身もよくわからないようです。
今回の祖父のことで母は、
「自分には何もできず、周りに頼ってばかりで生きてきたというのを感じた。
そうしているうちにこれからの将来がたまらなく不安になった。」
と言われました。
父は母を責めるばかりで、その病気は自分の心が作り出してるものだ、と言って母のことを理解しようとしません。
父に接することで母は傷つくばかりで、それを見ている私も胸がいたくなります。
とにかく母の体と心が心配です。
お金のことに対して、ある分でそこそこ楽しく生きる癖がついているのか、単にあるだけ浪費する癖があるのか、
いっそある分をいかにうまいこと使い切るかをコスト配分ゲーム的に楽しんでいるような節すらあるけれど、
「明日の食費に困ったりしてないし現状維持が最大の目標かなあ?」ぐらいにしか興味が持てなくて、
頑張って給料上げるとか、給料低くてつらいとかあんまり考えたことがなかった。
既に結婚してるのに自分の経済観念の薄さとか貯蓄能力ゼロとかに対して漠然とした不安はあるけど、
何年か前にプロジェクトが忙しくて慢性的に22時超えるぐらいまで残業してたらもらった源泉徴収票で年収が400万越えてて、
おおー、これがいわゆるサラリーマンの平均年収的なやつか、と思ってたら、嫁が一人で家にいる時間が長すぎて軽い鬱状態になった。
会社の人は「ウチの会社は頑張ったら頑張った分だけ給料(残業代)が出るからとてもいい会社だよ」と面談で言ってきていたけど、
どっちかというとそこまでいらないから休みと夜の自分の時間をくれよって思ってしまうタイプだったからミスマッチだったのか、
そのあと自分まで体と心を壊して、ついでに医者からあなたはADHDとなんかが複合してますとか言われて、
しばらく休職して復帰したら、今年は給料の半分ぐらいを占めてる推進手当とやらが3分の2か半分かくらいになってた。
ふーん、まあそんなもんか。ぐらいに思ってたんだけど、この間会社でなんかここ数年とこれから1年分の給料の予定みたいな書類をもらって、
そこの総額を見たら300万ぐらいになってて、「うわー減ったなー」と思ってびっくりした。
一度400万越えした時のイメージで「大体自分は年収400万ぐらい」と思ってたけど、
そのあとの年とか割とプロジェクトに余裕があってあまり残業してなかったから一気に360万ぐらいになってたらしい。知らなかったなあ。
まあ、「うわー減ったなー」と思っただけでだからどうだこうだとか何も思わないし、
まあ300万もあればどうとでもなるだろうと思ってしまうからイマイチ危機感みたいなのが沸かない。
会社の人が随分申し訳なさそうだったり気をつかう感じで額を説明してくれたけど、?って感じだった。
なんとなく、嫁もいるのに20%ぐらい減ってるんだからなんかもっと危機感とか持った方がいいのかな?
不安になっとかないといけないのかな?ってなことを思うんだけど、どうにもこうにもピンとこない。
なんかヤバいっぽいらしいっぽいっぽいぜって知識としては知ってるけど実感がない感じというか。
親が実家で年収120万とかで普通に幸せそうに、なんなら自分より不自由なく暮らしてるの見てるから、
家賃が余分にかかるとしても300万もあれば余裕に思えてしまうというのもあるんだろうなあ。
過去の感じだと「ヤベェ、明後日ぐらいの引き落としの分口座にお金が足りないような気がしてきた!」ってならないと危機感が沸かないので、
自分の未来認識は3日ぐらいが現実感のある最長距離なのかもしれない。
っていうか「ぐらい」とか「気がしてきた」とかの現状をまったく把握してない感も相まってだいぶヤベぇなコレ。
それにしてもカレンダーとかに書き込んでみたりするけど、なんか現実味がなくてうまく想像できない。
そんなわけで、老後がーとか言われてサイトとか本とか見てもひとつもピンとこない。マジでこない。
まあいいや、今日も納豆おいしかったし。晩御飯の材料も家にあるし。
雨だから早く帰ってご飯食べて寝たいなあ。
そんな感じでここ1年ばかり仕事してきたが、なかなか行動に移せないものですね。
その前の2年くらいは半鬱状態でおそらく今までの人生の中で最も辛い時期。
まあ今は半々鬱くらいに改善はしているがでもやっぱ辛い。別に病気じゃないが。ただ普通に仕事は辛い。
ああだるい。
爆発するかしないかギリギリのところを綱渡りしてる状態のここ数年だがそろそろ終わりにしたい。
しかし現状維持という半端な気持ちで成果が上げられる訳ないから周りからは徐々に置いていかれる感覚。
まあ別に期待されている訳じゃない。
いや、されているかもしれないがそんなことはどうでもよくて、結局自分で自分に納得いっていないだけ。
(周りの期待なんかどうでもいいって思えるようになっただけ、心の負担は減ったし少しはましになったよなあ)
自分はどこでなら輝けるんだろうと探しながら、でもそれが分からないから現状維持とか言いつつ、停滞中。