たとえば中二病。これは中学生で発症して成人前に治った場合と、成人後に発症した場合で、その後の人間関係に与える悪影響はかなり違うのではなかろうか。
恋愛や性関係の痛い行動についても似たことが言えるかもしれない。私はこれについては成人発症さえしていない人間なので、何も述べられないが。
大まかに言って、成人前の失敗や挫折については社会は比較的寛容である。
失敗・挫折する方もまだ精神に柔軟性があり、方向修正が可能だし、復帰のためのサポートも得やすい。やり直す時間と体力もある。
若いうちに一度軽く痛い目を見て、取り返しのつかない失敗する前に学ぶというのは、とても重要なことに違いない。
西伊豆電気柵の件のニュースを見て考えたのだが、これは鬱状態に関してもある程度当てはまるのではないだろうか。
ミドルクライシスという単語があるように、40代・50代の中年男性で自殺や鬱が増えるのは知られている通り。
もちろん、年齢的に様々な責任を抱えて悩みの増える時期だというのもある。が、人生それなりに順調だった人が中年以降に鬱状態に陥ると、鬱が悪化し易いということも考えられるのではないか?
若いうちに鬱状態を経験していると、希死念慮は症状の一環であることや、その手前の段階で「これ以上悪化すると死にたくなる、休まねば」と思うような、自分を鬱患者として客観的に見る視点が出来る。
そうすると、後年になって何か問題が発生し鬱状態になったとき、自責の念に駆られて自殺する前に、病院へ行くという選択肢を持つことができるのではないか。
もちろん、だから若いうちに鬱になっておきましょうという意味ではない。
だが、もしこの考えが当たっているなら、周囲の人間の心構えとして「人生順調だった人が死にたいなどと言い出したら本気でまずい」という認識を持つことは大切だ。
また過去に鬱になってそれを越えることができた人は、人生の後半に訪れる危機に対して備えが出来たのだ、と考えてもいいのではないだろうか。