はてなキーワード: 腰かけとは
昨日の話。ライブって言ってもスタンディングじゃなくて、ちょっといいとこのシッティング。
完売のお知らせが出てて、席は入った順にスタッフさんに案内・指定される形式だった。
開演30分前になんとか着いたら最後尾。まあ向かう途中である程度覚悟はしてたんだ。だからステージが見える角度がいつもとは違って、自分じゃまず選ばない席で、そう思いながらそれはそれで楽しみだなーと思った。が、近くのおばさん……とおばあさんの間のような年齢の女性がスタッフさんに席を代わりたい、とゴネてたのが気になった。私の後から来る人用、ということで私の隣の空間がひとりぶん空いていて、どうやらそこに移動したいようだった。おばさんは私より前に来ていて、私同様スタッフさんに案内して席を指定されたはずなのに。おそらくステージが満足に見えない席だったんだろう。そんなんでごねるんなら早く来いよ、と思ったけど。スタッフさんは「後から来る方の分ですので」とやんわり断っていた。まあ勝手に移動してほしくないもん。
私の席はソファに座って、壁がある左を向いてステージを見る席だった。一番最後だから通路はあるけどすぐ前に人がいるということもなく、ステージの見えない位置があるということ、トイレの隣で照明が落ちないことを除けば、前述したようになかなか面白い場所だった。
2部制のステージがはじまって、1部の最後の曲でそのおばさんが私の前を通ってトイレに行った。休憩まで我慢しろよ、あと1曲って言っただろ、と思いつつステージを見ていたら、なんとそのおばさんトイレの帰りでどさくさにまぎれて私の前に座りやがった。こっちはもうほんとに「座りやがった」という認識ですよ。でもまあ曲中だし、休憩の時に元の位置に戻ってくれるのかなーと思いながら見てた。
そうしたら休憩入っても元の位置に戻らない。なんなら連れに自分の席に置いてあったチラシ回してもらって、ああ、こいつずっと居座る気だって思った。もう最悪。しかも壁に首をつけてくれない。これね、経験者ならわかると思うんですけど、真ん前に人がいるってめちゃくちゃ見にくいんですよ。壁があれば壁に首や頭をつけて頂ければ視界がある程度あくんだけど、つけないと視界の真ん中に前の人の首や頭が入るので邪魔以外の何物でもない。
で、はじまった2部。予想通りステージがさっぱり見えにくくなるし、おばさんは首や顔を思い出したようにつけたりつけなかったり。私の後ろからも見てる人いるんですよ。お前のせいで私も見えるように動かなきゃいけないし、私が動いたせいで後ろの人も動かなきゃならねえんだぜ。考えろよ。
さらに追い打ちかけたのが連れ。連れのおっさんがスローテンポの曲の変なタイミングで手拍子を入れ始めた時は内心おもいっきり頭抱えた。ぱん、ぱん、っていう拍の真裏になってしまうのならまだわかる。でも付点食ったような、えっそこ? っていう変な拍のタイミングで手拍子入れるし本人もやめない。連れも注意しない。そういうやつに限って手拍子の音ってやたらでかいんだよな。会場狭いから明らかに雰囲気ぶちこわしてたし、演奏も明らかに戸惑ってた。
あとさ、基本手拍子曲でも、しっとり聞かせたい部分ってあるじゃん。そこでそのおっさんだけ細かい拍手ひとりだけしてやがんの。もう最悪。
そんなこんなで鑑賞環境は最悪でした。仮にも連れだろ、なんでお互いそういうのたしなめないのか。まあ注意しないからお互いそういうことやっちゃうんでしょうけど、こっちは本当に本当に迷惑だった。2部後半から一気にいらいらしてぴりぴりしながらのライブ鑑賞だった。ものすごく疲れた。連れも含めて二度と来るな。
さっさと帰ってくれないかな~~と思ったらアンコールの演者のあいさつくらいで帰るそぶりをみせるというまあこれもタイミング激悪パターン。せめて退場してから腰上げろよ。
結局害悪BBA、手拍子おじさんともどもどうするのが正解だったのかいまだにわかんない。私がBBA来ないようにゆとりもってソファに腰かけてればよかったの?
21:14追記)
いつも行ってるアーティストの、毎年恒例のツアーの1公演なのよ。そのアーティストのファンって基本的にとてもマナー良い方が多くて、いつも気持ちよく帰ってるから余計にいらっとしてしまったというか。FCとHP先行で完売してるはずだから、一応興味はあるんだろうけど……? みたいな。
さえぎられた私がこのツアー履修済みだったのが救いだったんじゃないか、とも思うが、私の後ろの数人にも後味が悪い思いをさせてしまっていたら申し訳ないとも。もっとも悪いのは明らかにクソBBAと連れなんだがな。
私は怒っています。私は純粋な一般的在日外国人ですが、私の怒りを日本を代表するテクノロジ会社であるはてなに告発します。私の感じた、あたかも燃え立つもみじのような怒りに聞き耳を立てて頂きたければ幸いです。
私は日本が好きです。東京の外資系テクノロジ会社に勤めています。日本は良い国です。アニメが好きですし、和食、コスプレ文化も好きです。日本の女性は熱い情熱的で好きです。あたかも羽であるかのように軽い体重を保持する女性が多いことです。私は日本文化に深い興味関心をお持ちですので、日本語の勉強をしました。私は日本語検定準一級を取っており、私の日本語能力は立て板に水です。
私は先日、友達を伴って熊本に観光に行った時のことです。私共は熊本城を観光しました。すばらしい体験でした。夜は地元寿司を食べることもできました。
私の怒りの体験は、大好物であるウニ軍艦を食べている時のことです。なんと、私の右隣に腰かけていた男性が、寝耳に水を刺すがごとくに話しかけてきたのです。
"Good afternoon."
これはどういうことでしょうか。私は日本語で日本の板前に寿司を注文したのです。彼の目は節穴であるのか。あるいは目に鱗がはさまっているのか。どちらか分かりません。繰り返しになりますが、私は日本語検定準一級を取っており、私の日本語能力は立て板に水です。「こんばんは」を聞き取ることなど、などお茶の子さいさいです。彼は私の驚きなどどこ吹く風で続けます。
なんと愚かで気の利かない質問でしょう。旅行の中で好きではない寿司を食べようと思うでしょうか。彼の得意げな得意げな顔が癇に障りました。
その後もくだらない会話をいくらかしましたが、私にとっては苦痛そのものでした。京都人であったらこう言ったでしょう。
「あなたの英語はほんまに流暢ですね。私はあなたのほんまに流暢な英語を聞き取れませんどすえ。」
彼女は八つ橋をお土産に差し出す必要もあるでしょう。あたかもロリポップキャンディであるかのように甘い笑顔と共に。
東京ではこのようなことはありませんでした。彼はきっと、ガイジンがめずらしいのでしょう。彼が友人のインドネシア人には決して話しかけないのにも怒りがこみ上げました。
私は観光をしていたのであり、英会話教室をしていたのではありません。また、私の日本語能力は立て板に水で日本語で話してくれてもいいのです。ガイジンには日本語ができないという強い偏見は侮辱でありました。
こちらこそご丁寧にどうもです。
ぴったりなのが見つかるといいですね!座りごこちのほうも大事ですが
座ってると折り畳みは結構軋むし、お尻は痛くなります。(クッションついてなかったのでクッションのせてたけど)
折りたためるジョイント部の六角ナットでとまってたけど、長い事使っていると案外、緩みます。
+のネジと、六角ナットだったかなぁ。+は家にあったけど、六角がないのでのんびりしてました。
折りたためる=使う時だけ なので、お尻のカーブに沿うのがいいかも、私も木の椅子ですが上にbackjoyのせて、
クッションも載せてます。おかげで、お尻は痛くなくなりました。
たためないけど小回りが利きそうなのがこのへんもよさそうです(実は私が欲しい)
https://www.amazon.co.jp/山善-YAMAZEN-2WAYバーカウンターチェア-キャスター付き-CB-172BK/dp/B007NAF406/
長時間の座りがあるならWebより実際腰かけて、店員さんにも話しかけてアドバイス貰うのがいいかもです。
椅子とか机は長い付き合いになるので。
私は今まで、うんこをなめていた。といっても、物理的になめていたわけではない。
起床後1時間後に、下腹にズーンとした響きが来る。そうだ、大便が歓喜の声をあげて直腸に降りてきているのだ。
少しじらしながら、トイレに行く。響きは徐々に下腹の奥を圧迫していく。屁などの余地もない重量感だ。
漫画では「ブリブリ」と表現されるのが定番だが、本当の快便の擬音は「スルッ」「ヌルっ」といったものになる。
もちろん、トイレットペーパーで拭いてもついてくるのは最低限だ。
私はこれを超快便と呼んでいる。
超快便は、出した感触によるイメージより現物が倍以上に多いというのが特徴であると思う。
通常の快便とされるのはどんなものであろうか。バナナ状のものが、直径4cm程度のものが10cm、それが複数といった感じであろうか。
超快便は、出す感触としては同じであるが、直径は6~7cm、長さが25~40cmといった具合だ。
私は、便器に落ちた超快便のその成果を眺める。その出来具合はむしろ作品と言ってもいいかもしれない。
それまでの私は胃腸が弱く、腹を下しやすくかつ冬場は屋や便秘気味になり痔になる寸前であった。
しかし、転職を機にカネにそれなりに余裕ができた事とトイレットペーパーに迸る鮮血を重く見て、食生活を徹底的に見直す事にした。
昼は基本それほど食べない。
根菜類多めの豚汁かけんちん汁がほぼ主食。冬は野菜だらけの鍋。
間食として酒粕。
米を炊く事はそれほどないが、その際はキヌアとアマランサスを混ぜる。
肉を食べるのは2日に一回。
あとは水分をノンカフェインで多めにとる。
あと、これは快便には関係はないかもしれないがシュガーフリーを実践しているので、甘いものの間食はなし。
100人いれば100通りの体質がある為、これで万人が快便になるかといわれると不明であるが、この食事で私は毎日が豪介が言う所の「未曽有の快便」である。
ちょっと前のハナシになるけど、都内の小劇団の公演を見に行ってきた。
というか、なんかこの2ヶ月、小劇団を観に行くことが多くて。
(いや、そんなマニアみたいに毎日、毎晩ってわけじゃないけど)
キッカケは、
https://anond.hatelabo.jp/20170925212923
この劇団で。
でもって、出演していたキャストが新宿ゴールデン街でバイトしているという情報を聞きつけて、その店を仕事の接待の2次会で使ったのよ。
いろいろと話も聞きたかったし。
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そしたら、その女優さん。
舞台の上の颯爽とした男装イケメンぶりとはまったく違うホニャホニャ~っとした実に気立ての良さそうなお嬢さんで。
思わず「よ~しオジサン太っ腹なところ見せちゃうぞ~!」と彼女の新しい公演のチケットを購入したのが一ヶ月以上前。
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演目は『人形を殺す』(劇団 竹/竹林 林重郎 作)
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例によって記憶を記録に変えるため、ここに自分の感じた印象を残しておくことにする。
随所にその後の聞き取りで得たデータもはさんでいくんで、そこはご参考までに。
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■全体として
いろいろと語りたいことはあるけれど。
まずは。
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まさかこのオッサンが芝居で爆泣きさせられるとは思わなかった。
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もう、その、なんだ。このイヤな感じに古びてネジれまくった心のどこに、こんな涙が残ってたのか、ってくらい。
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全体のアウトラインとしては。
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とある一家の主人、フトシの葬儀に彼の隠し子のミツルが訪ねてくるところからストーリーは始まる。
子供世代にあたる長男、長女、後妻の連れ子、隠し子の4人を物語の中心として、彼らの記憶にある父、父の愛人、母、後妻の姿が交錯する。
回想を交えて次第に明らかになっていく機能不全家庭のかたち。
すでにそれぞれの人生を発見、構築して、最後の手仕舞いとして葬儀に集まった子供世代が “その後の物語” を交換しあい、そして何を選択するか。
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という感じ。
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安直なプロモーター/宣伝担当者だったら “失われた家族の再生の物語” とか言うところだろうけど。
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これは “再生” じゃない、“自己修復” だ。
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どこからか聖なる光が降り注いで、そして全てが安直に元通りになるんじゃなくて。
命がけで力をあわせ、新しい家族システムとして自己修復していく物語だ。
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機能不全家庭のサバイバーたち、それぞれが心で悲鳴を上げながら過去を振り返り、つながりを模索して、あたらしい動態平衡を獲得する、そんな自己修復過程の身を切るような苦しみを描写し尽くした作品になっている。
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ただ、上に書いたような文芸路線の重たい家族ドラマってだけじゃない。
そこに、キリスト教、ヒンドゥー教、アミニズム、シャーマニズムの神々が乱入し、信仰とヒトの関係性が語られ、西武ライオンズの奇跡の優勝が回想され、ときにタブラ+4つ打ちテクノに合わせて踊る白装束の群舞とビデオプロジェクションのインサートシーンが交錯し、どこかサイケデリックな、なんというか……
.
うん! そうだ! “現代の寓話” だ!
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(どうしても想像が及ばない人は、ここで、
“もしも、もしも故・今敏監督が、重た~い家族の自己修復のドラマを
というのを想像してみてください。
当たらずといえども遠からずのはず)
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うん、これ以上語ってもしょうがない。全体としてはこんな感じ。
「傷ついた人は、傷ついた家族は、成熟とともに修復される……されるのか?」
というのがテーマ。
そして俺、爆泣き。
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そして、本公演の劇団である “劇団 竹” の主催者にして劇作家、竹林林重郎氏の作劇術、というかタッチというか、そういうのも、なんとなく見えてきた。
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モノローグでもポリローグでもなく。
(回想シーンのフトシ、サダコその他は隣に聞き手がいるものとしてダイアローグにカウントする)
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ーーここで父フトシの隠された2重生活と、実の子以上に愛され、
育まれてきたミツルの姿が明かされる
↓
ーーいまではヤンママのシンママとなったツグミの愛に飢えた幼少期への思いが爆発
↓
ーー今となっては過去に見切りをつけ、自身の “家族” を獲得したヒデフミに対して、
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という大枠の流れに、回想シーンとして
・父フトシと母ノリコの外食
(後に愛人となるヤスコを含めると3人以上が登場するのはここだけ、だったかな?)
・フトシとヤスコの逢瀬
・夢の中でシュウタに、出奔という自分のギリギリの選択を明かす母ノリコ
.
といずれも1 on 1。
対話の一方が次の対話に持ち越されるバトンリレー形式で話がすすむ。
(例外はサダコが壁のロザリオを叩きつけるシーンと、ノリコの出奔シーンくらいか)
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というわけでダイアローグ主体の作劇なので。
最後に全兄弟が登場する対話のシーンを見たかった気もするが、そこはビデオで後日談が語られることで代替されている。
というか、前半のツグミ役のキャストのあの演技を見たら、後半まで登場したら、おそらく彼女のメンタルがもたないだろう。
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ラムネさん「んふふ~、それはどうでしょ~?」
俺「おおっ! あなたはツグミを演じたラムネさん! アレくらい、余裕っすか?」
ラムネさん「んふふ~」
.
と、明確な答えは得られず。
ただ、別に彼女のコンディションに配慮したわけではなく、たんに作劇上、そうなっただけらしい。
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余談。
確かなことは。
無軌道な妊娠と出産、自分を一番に思っていた継母を鬱病と自殺に追い込んでしまった(と考えている)彼女が過去を悔いて流す涙。
ツグミの慟哭はそれだけの迫真・魂の演技だった。
余談終わり。
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もう1つ。
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気にしなければ流すこともできる。
気にして、拾い上げるつもりがあればハッキリと分かる。
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(いや、これは俺の思い上がりで、拾い上げてないレベルのメタファーがドッサリあるのかもしれないけど)
たとえば。
ミツルとツグミが同時に正座をといて、「ここから深い話をしよう」という意図を見せたり、とか。
ヒデフミが現在ではロザリオの製造業に努めていて、毎日キリストを十字架にかけている、つまり、 “完全な棄教者” であることを暗示したり、とか。
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いろいろなレベルで多層的にメッセージが投げかけられてくるのが気持ちいい。
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そして、ストーリーに大きな比重を占めているビデオプロジェクションについて。
冒頭、中間、エンディングと(自分が覚えている限りでは)3回、舞台の白壁をスクリーン代わりに、撮影・編集済みのビデオ映像が使われる。
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1回目はオープニングタイトルなので、深い意味はない。多分。
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2回目は、うーむ、解釈に困る。
シヴァ、ヴィシュヌ、ガネーシャ(ブラフマーも出てきた、かな?)とヒンドゥーの神々がサイケデリックなビデオコラージュで次々と諸々の事象と一緒にカットバックされる、ある種のイメージビデオ。
どことなく、今敏っぽい。
無理して考えれば、愛人ヤスコと隠し子ヒデフミの家にあったという、キャラクター人形を並べたデタラメな祭壇から喚起されたイメージの奔流、というところだろうけど。
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1)キリスト教
家族システムの自己修復の媒介者、というか見守り人としてのキリスト教の存在と、一般人レベルの、一般人なりの神学論争がたびたび登場する。
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愛人ヤスコは沖縄のユタ(シャーマン、巫女)の血を引いている、という設定で、ここでキリスト教的な硬い理論体型ではすくい切れないアミニズム、シャーマニズム、スピリチュアリズムの象徴として彼女の存在がたびたびクローズアップされる。
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3)フトシ人形
元愛人ヤスコいわく、「死んだフトシの魂が乗り移った人形」。
そもそも隠し子ミツルが「この人形を一緒に火葬してほしい」と持ち込んだところから全てのストーリーが始まっているわけで。
その後は、子供たちの亡き父に代わって踏まれるは、叩きつけられるは、この人形、まさに踏んだり蹴ったり。
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余談。
この人形、終演までよくボロボロにならずにもったよなぁ。
と思ったら、Twitterを見たら劇団の忘年会にまで生き残って参加してるし。
まじで何か乗り移ってね?
余談終わり。
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ビデオプロジェクションの3回目は、エンディング(後日談)とスタッフロール。
ここで、子供世代が集合して親睦を深める後日談が挿入され、ストーリーに一応の決着がつく。
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と、合計3回のビデオなんだけど。
うーむ、評価に困る。
なんというか、悪くは無いんだけど。
編集も音楽も上手すぎて、なんか、こう、才に疾りすぎているような印象を受けた。
芝居のシーンが不器用な人間たちの不器用なふるまいの話であれば、なおのこと。
逆にいえば、重苦しくなりがちな主題のハシやすめとしては、効果的だった、とも言えるけど。
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ラムネさん「お客さんのアンケートでは、良かった人と、悪かった人が半々くらいだったみたいですよ~」
俺「うーむ、人によって評価はマチマチか。まあ、そんな感じだろうなぁ」
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■観劇後
で、さてさて。
終演後、もう、あふれる涙をぬぐいながら、挨拶に出ていた竹林氏に突撃インタビューを敢行してみる。
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俺「グスン、あ、あの、最後の後日談のビデオなんですけど。やはり、あれは小さな子供たちを舞台に出せないっていう制約があってのことですか?」
(と、最初の軽いジャブのつもりの質問だったんだけど、誤解したらしく)
竹林さん「あ……あれなんですけど……ハッピーエンドってわけじゃ……ないんですよね。
あの子供たちは全員ツグミの子供かもしれないし……。ヒデフミとシュウタが家庭を持つ踏ん切りがついた……とも言えないわけで……。そこはお客さんの判断にゆだねるっていうか……」
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え? あれ、ハッピーエンドじゃないの?
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∧∧
ヽ(・ω・)/ ズコー
\(.\ ノ
、ハ,,、  ̄
 ̄
.
そりゃないよ竹林さん! こっちは希望の光に魂が洗われるような涙を流した直後だっていうのに。
と、ともかく、気を取り直して次の質問をする。
俺「と、ともかく、アレです。そうだ! あれ、あれ! あのキャストの4人が白装束で踊るダンスシーン! あの挿入シーンには、やっぱりなにか意味が?」
竹林さん「あ……あのダンスシーンには……特に意味は……ないんですよね……」
.
∧∧
ヽ(・ω・)/ またまたズコー
\(.\ ノ
、ハ,,、  ̄
 ̄
.
なんてこったい! 全部インスピレーションというか成り行きまかせかい! なんだよコラ! というか、あんな太っといストーリーを産み出しておいて、なんでそんな慢性自信喪失症みたいな振る舞いしとんねん!?
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ラムネさん「そんなこと、ないですよ~」
俺「おお! ラムネさん! するとあのダンスには深い意味が?」
ラムネさん「1つ1つの振り付けに意味を込めて、竹林さんが決めていったんです~。彼、ダンスができるわけじゃないんで、稽古の一番最初にダンスから始めていって、大変だったんですよ~」
俺「それじゃまた、なんであんなウソを……」
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うーむ。
いろいろと事情はあるようだ。
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■あらためて全体として
というわけで、あらためて全体としては。
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もう、激烈に良かった!
チケット代の倍くらいのモトは取った!
劇団竹、というか竹林林重郎氏は今後も追いかける! 決めた!
という感じ。
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本来なら、ここでキャストの印象から書くんだけど、先に言っておきたい。
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映画で言うところのプロダクションデザイン、美術のレベルが俺的には空前絶後のハイレベル!
舞台というかセットは “そこそこ成功した事業主が建てた一軒家の客間、中央には卓袱台” という固定化された空間なんだけど、まあ、ここの造作が細部まで実にリアル!
フトシと妻の外食シーン、ネパール料理屋ではビールが銅製のタンブラーに入っていたりとか、細かいところまで実にリアリティのカタマリ!
サウンドも隅々までハイファイで、SEのキューイング(演劇用語では “ポン出し”だったっけ?)もタイミング完璧!
後ろを見れば、おお! これまでの観劇で初めて卓(コンソール)の収まったコントロールブースがある!!
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今回の劇場、スペース雑遊の設備なのか?
.
ラムネさん「いえ~、あのブースは、わざわざ場所を確保して作ったんですよ~」
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ですよね~。
照明も特段の過剰な演出に走ることなく、的確。
何もしていないかっていうと、そんなことなく、舞台のシーン、ネパール料理屋のシーン、
シュウタが心から祈るシーンと、細かく細かく抑揚をつけている。
ともかく、作品の作家性、キャストもさることながら、舞台全体をバックアップするスタッフの力量が、もう、これまでとまるで違う!!
彼らにはノーベル賞、ピューリッツァー賞、紫綬褒章を金銀パールをそえて贈りたい。
それくらい気持ちよかった。
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劇場の “SPACE雑遊” もじつにいい。ほどよい温度で静かな空調。
ともかく見過ごされがちな観劇のための空間づくりだけど、ここまでストーリー没入を妨げない総合的な配慮は、うん! 控えめに言ってサイコー!
この劇団って、いつもこんなハイレベルな制作陣なのか?
.
ラムネさん「いえいえ~、前回までの公演は~」
俺「ふむふむ」
ラムネさん「セクマイ三部作っていって~、小さな民家を舞台にしたり~」
俺「なるほど」
ラムネさん「こんな舞台は初めてなんじゃないかな~」
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うーむ、俺はひょっとしたこの劇団の大新機軸、大飛躍の場所に居合わせたのかもしれない。そうだったら嬉しいな。
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そして、キャストなんだけど、はじめに言っておく。
キャスティング上の軽重はあれど、全員が全員、演技巧者の高能力者ばっかり!
どうなってるんだ!
.
ラムネさん「今回のキャストは~、じつはこれまで仕事をしたことがあるヒトばっかりで~」
俺「なるほど、すでに信頼関係のあるキャストばっかりなのね。アナタも含めて。ということは~、二度と呼ばれないヒトもいたりとか?」
ラムネさん「んふふ~、それはどうでしょ~?」
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うむ。ノーコメントなり。
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というわけで。
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■石川雄也(フトシ)
一家のお父さん。酒乱。浮気。全てにおいて、だいたいこの人が悪い。
コピー機の販社を起業して営業のためにキリスト教に入信ってのが痛いくらいにリアル。
回想にしか登場しないのに、ほぼ主役。
劇団竹に所属。
地味に驚いたのが、ワンカップ半分ならワンカップ半分、ビール1缶ならビール1缶と、アルコールが入った分だけ、確実に立ち振舞いを変えてくる。
上手くいかない事業と美女の誘惑、アルコールへの弱さと、たよりない大黒柱の悲哀を全身で表現。
もっといろんな所で見てみたいと思った。
(↑そういう仕事をしていらっしゃるのデス)
.
■森川武(シュウタ)
長兄ってツラいよな。
いきなり子供が3人もできた父の辛い立場を理解したのは、このヒトだけ。
そして、彼の祈りのシーンで大事なことが示唆される。
それは、
.
神はどこにいるのか。
神は祈る心の裡(うち)にこそ顕現する
.
ってこと。
ツグミの嘆きを受け止める。
そして、ヒデフミの “シンカー投げ” という決別の儀式を見守るだけだったところに、ロザリオのカツーン! という落下(これを偶然か神の啓示か、はたまたシンクロニシティか、どうとらえるかは、それこそ観客にゆだねられている)からの、もう、怒涛の、言いがかかりに近い、というか完全に言いがかりの引き止め工作。
ここに俺は、家族システムが血ダルマになりながら自己修復していく音を確かに聴いた、ような気がする。
そして俺、爆泣き。
劇団竹に所属。
こうしてみると、キャスティングも要所々々はプロパーさんで固めているのね。わかる。
.
ラムネさん「このヒト、普段は “コボちゃん” って呼ばれているんですよ~」
俺「おお! 言われてみれば確かに似ているwwww」
(このあと、コボコラの話に盛り上がること5分)
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■江花実里(ツグミ)
あれ、おっかしーなー。
つい1ヶ月前に月蝕歌劇団を観たときには颯爽とした美青年・明智小五郎(に化けた怪人二十面相)だったんだけどなー。
いま見ているのはチークの乗りも痛々しい元ヤンのシンママだよ。
しかも、そこに至るまで、彼女の感情は3段階に分けて少しずつ前面に出てくる。
最後に兄シュウタの腕の中で継母のサダコを想って感情を爆発させるとき。
役者ってすっげーな!
でも正直、この時の俺は爆泣きとまでは行かなかった。
でも、それでいいと思う。
この公演が竹林氏が観客の情動に仕掛けるカチ込みだとしたら、彼女は鉄砲玉というか切り込み隊であって。
あるいは、森川ー佐々木ラインという本隊の大規模侵攻の前に敵陣深く潜入する特殊部隊の役割であって。
「さて、この劇団、どんなものか見てやろう」という観客の批評眼をかいくぐってハートの深いところに潜入し、情動の扉をこじ開けて本隊の到着を待つ。
これが彼女のミッション。
いや、実に良かった。
.
■辻村尚子(ノリコ)
フトシの最初の妻。
夫の浮気のストレスから子供を虐待することを恐れ、みずから出奔。
舞台が2018年の設定なので、旦那の事業の立ち上げ期が80年代末。
キャラ作りが、なんというか、トレンディドラマの女優そのもの。
彼女が居間のふちに腰かけて靴を履いて家を飛び出すところが2回、描写される。
つまり天丼なんだけど、
なんでだろ、ビデオその他の映像作品だと天丼って、うっとうしいだけなんだけど。
なんか、生身のキャストがやると重く感じるんだよな。
劇団 竹に所属。
.
■大森華恵(サダコ)
フトシの後妻。
うつ病で自殺。
なんというか、いろいろと痛ましい。
(継子とはいえ)娘への配慮と、大人の知恵と、世間知と、いろんなものに押しつぶされて最後の選択として自殺、か。
この舞台で、壁に掛けられたロザリオは合計3回、床に落下する。
2回はサダコが床にたたきつける。この時はSEのみの描写。
そして1回はシュウタの祈りに呼応して、本当に落下する。
ここでも天丼(繰り返し)が重たい。
なんというか、堅物で悩み事に弱そうな人物像を的確に体現。
.
石川、辻村、森川と3人までは劇団正メンバーなんだけど、彼女だけがゲストにも関わらずダンスに参加。
ダンスシーンについては、べつに拘束期間とか難易度とか、そんなことは関係なく、竹林氏のメッセージにそった人選なのだろう。
.
子供が十分な子供時代を生きられず、そのままムリヤリ大人になることを要求されたようなアンバランスな感じ。
わかる。
そして、いまでは自分も義父のようにシンカーが投げられることを義兄シュウタに示すため、最後のキャッチボールを決別の儀式として実行する。
と、ここで舞台で実際にボールを投げるんだけど。
キャッチャーのシュウタは後ろに下がって観客から見えなくなる。
おそらく板に座布団とか、そういうギミックでボールを受けているはず。
.
ラムネさん「いえいえ~、あのシーンは本当にキャッチボールをしていますよ~」
俺「おいマジですかい?」
ラムネさん「本当に最初はキャッチボールの練習から始めました~」
俺「でも暴投とかしたら、危険じゃないですか?」
ラムネさん「ですから~、危険な場所には、あらかじめスタッフを座らせたりとか~」
うむ、配慮も危険対策もバッチリのもよう。
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空飛ぶ猫☆魂に所属。
みなさん、それぞれの所属先劇団の看板または主戦級の役者さんなのよね。
.
■森川結美子(ヤスコ)
沖縄のユタの血を引く、占いもできるウェイトレス。
なんというか、どの女優さんも年の頃もビジュアルも大差はない感じなのに、演技と役作りで、その、あれだ、いかにも浮気相手になりそうなフェロモ~ンなプリップリのツヤッツヤな感じに寄せてくるのがすごい。
ちなみに、ご本人に取材したところ、使われていた占いはネパール伝統の占星術(ピグラム暦、という独自の暦を使うそうだ)にタロットカードを組み合わせた架空のもの、とのこと。
.
鉄道会社というカタい職業につき、シュウタ以下の兄弟とは別の、なんというか、まっすぐな人生を歩んできたことをうかがわせる人物造形。
朴訥。
観劇直後は「なんか印象が薄いなぁ」だったんだけど。
それも当然で。
俺も含めた観客は、彼の人物ではなく、彼を通して見せられるミツルとヤスコの家庭の様子を見せられていたわけで。
キャラクター人形をでたらめに並べた狂った祭壇。
父フトシのハグ。
彼を通してフトシの別の人格と別の家庭を見せられていた。
この役者さんも、おそらく高能力者。ただ本人が嘆いたり動いたりしないだけで。
.
.
んー、こんな感じか。
ともかく、全体としては。
この劇団、劇団 竹、そして主催の竹林林重郎氏は、買いです。
次の公演にも注目して良いです。
自分もそうするし。
.
(この日記は、「副業で風俗レポを連載していたのだが、」https://anond.hatelabo.jp/20171023190844を「俺が編集者ならこう書き換える」という内容に無断で編集したものです。)
お久しぶり~。とにかく更新が滞りがちなこの連載。今回はちょっと趣向を変えて、生まれて初めてアジアンエステに行った日のことを書くぞ。もう六年半も前の話だ。僕のドスケベオイルマッサージ道はこの日から始まったのだ!
某月某日、夜。駅前の商店街を歩いていると、妖しく点滅する立て看板が目に入った。
インターホンを鳴らすと、異様に背の低い白髪の老婆が出てきた。待合室に通され、メニューを渡された。メニュー表には複数のコースが書かれていたが、婆さんは大きな目をさらに大きくして90分一万円のコースをゴリ押ししてきた。僕は気圧されて、よくわからないまま一万円を払った。
部屋に案内されて、ベッドに腰かけていると、小柄な女の子が入ってきた。名前はナナちゃん。第一印象はツンとして見えるが、笑うと一気に表情がやわらぐ。かわいい! 大きな目に長いまつげ。ピンク色のぽってりした唇が印象的。髪は長めで、えり足がスッキリとまとめられている。あらわになったうなじがセクシー。しかし、何より目を引くのはオッパイ。かなりでかい! 上着がパンパンに膨れあがってる。そして、むき出しになった太もも。僕が太ももフェチになったのは、この日がきっかけかも。ミニスカートからのびる二本の素足。た、たまらん....。
ナナ「初めてですか?」
僕 「はい」
僕 「あ、はい」
ナナ「じゃあ、脱いで待ってて」
ナナちゃんが部屋を出ていく。言われるままに服を脱ぐ僕。上半身裸になったところで、ナナちゃんがバスタオルを持って戻ってくる。いたずらっぽい笑みを浮かべながら、僕のズボンのベルトを引っ張る。脱ぐように促しているのだ。恥ずかしながら、僕はすでにビンビン。ナナちゃんがそれを見て、キャッと笑う。腰に白いバスタオルが巻かれると、腹部がふくれあがり、その形状はまるで雪山。
一緒にシャワールームへ。ナナちゃんが全身をやさしく洗ってくれる。「後ろ向いて」「はい、前」「もう一回後ろ」ころころと向きを変える僕。後ろ向きになると、ナナちゃんの手首が僕の足のつけねを通って、さわ~、と尻の穴を通過。最高だ...。タオルで体を拭いてもらい、部屋に戻る。紙パンツを渡されたが、明らかに小さい。無理して履いてみたが、思いっきりハミ出てしまう。ナナちゃんがそれを見てウフフと笑う。
ナナ「・・・やっぱり、あおむけでいいよ。うつぶせ、痛そうだから」
うつぶせだと、いきり立ったモノが圧迫されて痛いと判断されたらしい(笑)それで急遽、あおむけの態勢から始めることに。ナナちゃんが僕のひざの上にまたがると、太ももの感触がじかに伝わる。う~ん、たまらん!
まずは首筋のマッサージ。ナナちゃんが前かがみになると、はだけた胸もとから谷間が見える。膝を動かすたびに、スカートの中もちらり。これってわざと!? そして、ここから先は怒濤の展開。まだ序盤なのに、ナナちゃんが僕の全身にオイルを塗り始めた! 本来はうつぶせでじっくりと肩や腰をもんでから、ようやくあおむけになり、オイルが登場するのは後半なのだ。しかし、ナナちゃんは通常のセオリーをすっ飛ばして、大暴走。おそらく僕の興奮が伝わり、一気にスパークしたのだ! 奇跡のフュージョン。国籍を越えた魂の交感。ナナちゃんの指先が、僕の体の上を縦横無尽に滑走。そのなめらかな滑りは、ロシアのフィギュアスケーター、ユリア・リプニツカヤ選手のようだ。僕はあっという間にフィニッシュ。開始からわずか30分。瞬殺だった...。
本来、こういったマッサージは焦らしてナンボ。ナナちゃんの施術はあまりにトリッキー過ぎた。でも僕は大満足! 最高のアジアンエステデビューであった。
🌑
これは、ある風俗系のサイトのために書いた原稿である。そのサイトが突然閉鎖してしまい、行き場所がなくなった。自分で言うのも何だが、本当に下らない。僕は二年近く、こんな文章ばかり書いていた。この記事は、新しい店を取材する時間が無かったので、苦しまぎれに昔話を書いたのだった。結果的にこの原稿は陽の目をみなかったわけだが、書きながら当時のことを色々と思い出した。
あの頃、実は僕はドン底の状態だった。親から継いだ会社を倒産させた後だったのだ。単なる地元の中小企業だったが、そこそこ歴史のある会社だった。古参幹部の裏切り、横領、大手の参入、理由を挙げればキリがないが、結局は僕が無能だったのだ。すべてを失った。恋人も仲間も、みんな去って行った。絵に描いたような転落人生だ。酒びたりの日々。毎日、目を覚ます頃にはすでに日が暮れかけていた。時計を見るのもつらかった。起きるとすぐに冷蔵庫を開けて、安い缶酎ハイをあおり、またベッドに戻る。酒が切れたらコンビニに行って、缶酎ハイとカップ麺を大量に買い込む。そんな生活が何ヵ月も続いていた。
いよいよ金が尽きてきたので、警備員のバイトを始めた。まわりは爺さんばかりだった。地元では警備員の仕事が高齢者の受け皿になっていた。爺さんたちと一緒に働いているうちに、まだ20代後半だった僕も、老後みたいな気分になっていた。
件のエステに行ったのは、そんな時期のことだった。前述の通り、僕は30分で果ててしまった。そのあとどうしたかというと、ずっと彼女とお喋りをしていた。彼女は色々な話をしてくれた。まだ来日して三年足らずで、日本語はジブリアニメで勉強していると言っていた。なぜか子供の頃の写真を持っていて、それを見せてくれた。山村の風景を背にして、薄汚れたシャツを着て立っている、仏頂面の少女が写っていた。それが彼女だった。話を聞いてみると、彼女は非常に貧しい家に生まれて、家族を支えるために、日本に出稼ぎに来ていたのだった。
僕も自分のことを話した。地元の中小企業の二代目社長。社員は26人。趣味はスキーとテニス、車はベンツを2台所有。どれも過去には本当のことだった。でもすべてを失っていた。僕は彼女に、会社経営の苦労や、幹部に対する不満を、現在進行形の悩みとして語った。彼女の前では社長でいたかった。悲しい見栄だ。話しているうちに、自然と涙が流れてきた。彼女がそっと抱き寄せてくれた。僕は彼女の胸に顔をうずめて泣いた。しばらくのあいだ泣き続けた。あのとき彼女はどんな気持ちだったのだろう。異国で、初対面の男が、いきなり泣きだしたのだ。理由もわからなかったはずだ。かなり戸惑ったにちがいない。
ナナちゃんと話した翌日から、僕は仕事で新しい現場に入った。美術館の警備スタッフだ。スタジオジブリのレイアウト展覧会だった。そこでマズイことが起きた。彼女が客として入場してきたのだ。どうやら彼女は一人で、オレンジのワンピースにスニーカーを履いて、髪はポニーテールにまとめていた。相変わらずちょっとツンとしていて、喋らなければどこからみても普通の若い女性だった。僕はあわてて顔を伏せた。見られてはいけない。彼女の中ではまだ僕は社長なのだ。警備服を着ているはずがないのだ。彼女は食い入るように展示物を見ていた。僕は帽子を限界まで目深に被り、ばれないようにした。
午後になって、今度は外の駐車場ですれ違いそうになり、あわててトラックの背後に隠れた。警備員なのに、僕の挙動は完全に泥棒だった。彼女は僕の前を通り過ぎて、その先の角を右に曲がっていった。彼女は僕の視界から消えた。
数日後に、地面が揺れた。これまでにないぐらい、大きく揺れた。巨大な津波が来て、あらゆるものを破壊した。そう遠くない場所で、原子力発電所が爆発した。日常が奪われ、何日も、何週間も、不安な状態が続いた。
僕はやることもなく、ふと思い立って再びあの店に行ってみた。当然のように閉まっていた。インターホンを鳴らすと、ゆっくりドアが開いた。中からあの大きな目の老婆が顔を出して、「やってませんよ」と言った。
僕 「いつごろ再開しますか?」
老婆「もうやらないよ。おしまい」
僕 「・・・」
老婆「みんな中国に帰ったよ」
僕 「ナナちゃんは?」
老婆「ナナも帰った。モモも帰った。サクラもユキもみんな帰った。日本は危ないから」
当たり前だが、ナナちゃんとはそれっきりだ。僕はほどなく上京して、小さな広告プロダクションに就職した。その後、仕事で知り合った風俗関係者に請われ、メンズエステの体験レポを書くようになった。
最初のうちは、アジアンエステを取材する度に彼女のことを思い出したものだが、最近はすっかり忘れてしまっていた。女性の胸に顔をうずめて泣くなんて、あの夜が最初で最後だと思う。
諸般の事情でサイトが閉鎖されてしまった。原稿が一本無駄になってしまったので、はてな匿名ダイアリーに放流する。
🌑
お久しぶり~。とにかく更新が滞りがちなこの連載。今回はちょっと趣向を変えて、生まれて初めてアジアンエステに行った日のことを書くぞ。もう六年半も前の話だ。僕のドスケベオイルマッサージ道はこの日から始まったのだ!
某月某日、夜。駅前の商店街を歩いていると、妖しく点滅する立て看板が目に入った。
インターホンを鳴らすと、異様に背の低い老婆が出てきた。待合室に通され、メニューを渡される。メニュー表には複数のコースが書かれていたが、婆さんは90分一万円のコースをゴリ押ししてきた。僕は気圧されて、よくわからないまま一万円を払った。
部屋に案内されて、ベッドに腰かけていると、小柄な女の子が入ってきた。名前はナナちゃん。第一印象はツンとして見えるが、笑うと一気に表情がやわらぐ。かわいい! 大きな目に長いまつげ。ピンク色のぽってりした唇が印象的。髪は長くて、えり足がスッキリとまとめられている。あらわになったうなじがセクシー。しかし、何より目を引くのはオッパイ。かなりでかい! 上着がパンパンに膨れあがってる。そして、むき出しになった太もも。僕が太ももフェチになったのは、この日がきっかけかも。ミニスカートからのびる二本の素足。た、たまらん....。
ナナ「初めてですか?」
僕 「はい」
僕 「あ、はい」
ナナ「じゃあ、脱いで待ってて」
ナナちゃんが部屋を出ていく。言われるままに服を脱ぐ僕。上半身裸になったところで、ナナちゃんがバスタオルを持って戻ってくる。いたずらっぽい笑みを浮かべながら、僕のズボンのベルトを引っ張る。脱ぐように促しているのだ。恥ずかしながら、僕はすでにビンビン。ナナちゃんがそれを見て、キャッと笑う。腰に白いバスタオルが巻かれると、腹部がふくれあがり、その形状はまるで雪山。
一緒にシャワールームへ。ナナちゃんが全身をやさしく洗ってくれる。「後ろ向いて」「はい、前」「もう一回後ろ」ころころと向きを変える僕。後ろ向きになると、ナナちゃんの手首が僕の足のつけねを通って、さわ~、と尻の穴を通過。最高だ...。タオルで体を拭いてもらい、部屋に戻る。紙パンツを渡されたが、明らかに小さい。無理して履いてみたが、思いっきりハミ出てしまう。ナナちゃんがそれを見てウフフと笑う。
僕 「あ、はい...」
うつぶせだと、いきり立ったモノが圧迫されて痛いと判断されたらしい(笑)それで急遽、あおむけの態勢から始めることに。ナナちゃんが僕のひざの上にまたがると、太ももの感触がじかに伝わる。う~ん、たまらん!
まずは首筋のマッサージ。ナナちゃんが前かがみになると、はだけた胸もとから谷間が見える。膝を動かすたびに、スカートの中もちらり。これってわざと!? そして、ここから先は怒濤の展開。まだ序盤なのに、ナナちゃんが僕の全身にオイルを塗り始めた! 本来はうつぶせでじっくりと肩や腰をもんでから、ようやくあおむけになり、オイルが登場するのは後半なのだ。しかし、ナナちゃんは通常のセオリーをすっ飛ばして、大暴走。おそらく僕の興奮が伝わり、一気にスパークしたのだ! 奇跡のフュージョン。国籍を越えた魂の交感。ナナちゃんの指先が、僕の体の上を縦横無尽に滑走。そのなめらかな滑りは、ロシアのフィギュアスケーター、ユリア・リプニツカヤ選手のようだ。僕はあっという間にフィニッシュ。開始からわずか30分。瞬殺だった...。
本来、こういったマッサージは焦らしてナンボ。ナナちゃんの施術はあまりにトリッキー過ぎた。でも僕は大満足! 最高のアジアンエステデビューであった。
🌑
自分で言うのも何だが、本当に下らない。僕は某風俗サイトで二年近くこんな文章ばかり書いていた。先の記事は、新しい店を取材する時間が無かったので、苦しまぎれに昔話を書いたのだった。結果的にこの原稿は陽の目をみなかったわけだが、書きながら当時のことを色々と思い出した。あの頃、実は僕はドン底の状態だった。親から継いだ会社を倒産させた後だったのだ。単なる地元の中小企業だったが、そこそこ歴史のある会社だった。古参幹部の裏切り、横領、大手の参入、理由を挙げればキリがないが、結局は僕が無能だったのだ。すべてを失った。恋人も仲間も、みんな去って行った。絵に描いたような転落人生だ。酒びたりの日々。毎日、目を覚ます頃にはすでに日が暮れかけていた。時計を見るのもつらかった。起きるとすぐに冷蔵庫を開けて、安い缶酎ハイをあおり、またベッドに戻る。酒が切れたらコンビニに行って、缶酎ハイとカップ麺を大量に買い込む。そんな生活が何ヵ月も続いていた。
いよいよ金が尽きてきたので、警備員のバイトを始めた。まわりは爺さんばかりだった。地元では警備員の仕事が高齢者の受け皿になっていた。爺さんたちと一緒に働いているうちに、まだ20代後半だった僕も、老後みたいな気分になっていた。
件のエステに行ったのは、そんな時期のことだった。前述の通り、僕は30分で果ててしまった。そのあとどうしたかというと、ずっと彼女とお喋りをしていた。彼女は色々な話をしてくれた。まだ来日して三年足らずで、日本語はジブリアニメで勉強していると言っていた。なぜか子供の頃の写真を持っていて、それを見せてくれた。山村の風景を背にして、薄汚れたシャツを着て立っている、仏頂面の少女が写っていた。それが彼女だった。話を聞いてみると、彼女は非常に貧しい家に生まれて、家族を支えるために、日本に出稼ぎに来ていたのだった。
僕も自分のことを話した。地元の中小企業の二代目社長。社員は26人。趣味はスキーとテニス、車はベンツを2台所有。どれも過去には本当のことだった。でもすべてを失っていた。僕は彼女に、会社経営の苦労や、幹部に対する不満を、現在進行形の悩みとして語った。彼女の前では社長でいたかった。悲しい見栄だ。話しているうちに、自然と涙が流れてきた。彼女がそっと抱き寄せてくれた。僕は彼女の胸に顔をうずめて泣いた。しばらくのあいだ泣き続けた。あのとき彼女はどんな気持ちだったのだろう。異国で、初対面の男が、いきなり泣きだしたのだ。理由もわからなかったはずだ。かなり戸惑ったにちがいない。
この話には後日談がある。翌日から僕は仕事で新しい現場に入った。美術館の警備スタッフだ。スタジオジブリのレイアウト展覧会だった。そこでマズイことが起きた。彼女が客として入場してきたのだ。どうやら彼女は一人だった。僕はあわてて顔を伏せた。見られてはいけない。彼女の中ではまだ僕は社長なのだ。警備服を着ているはずがないのだ。彼女は食い入るように展示物を見ていた。僕は帽子を限界まで目深に被り、ばれないようにした。午後になると、今度は外の駐車場ですれ違いそうになり、あわててトラックの背後に隠れた。警備員なのに、僕の挙動は完全に泥棒だった。
数日後に、地面が揺れた。これまでにないぐらい、大きく揺れた。巨大な津波が来て、あらゆるものを破壊した。そう遠くない場所で、原子力発電所が爆発した。日常が奪われ、何日も、何週間も、不安な状態が続いた。再び店に行ってみると、当然のように閉まっていた。インターホンを鳴らすと、ゆっくりドアが開いた。中から背の低い老婆が現れて「やってませんよ」と言った。
僕 「いつごろ再開しますか?」
老婆「もうやらないよ。おしまい」
僕 「・・・」
老婆「みんな中国に帰ったよ」
僕 「ナナちゃんは?」
老婆「ナナも帰った。モモも帰った。サクラもユキもみんな帰った。日本は危ないから」
当たり前だが、ナナちゃんとはそれっきりだ。僕はほどなく上京して、小さな広告プロダクションに就職した。その後、仕事で知り合った風俗関係者に請われ、メンズエステの体験レポを書くようになった。最初のうちは、アジアンエステを取材する度に彼女のことを思い出したものだが、最近はすっかり忘れてしまっていた。女性の胸に顔をうずめて泣くなんて、あの夜が最初で最後だと思う。ナナちゃん、元気だろうか。
なんか大物youtuberヒカル君が、「新事業を立ち上げます」宣言しましたね。「事情があって大学いけなかったような(田舎の)高卒」と、「(都市の)企業」とをマッチングさせるってビジネス。自身の知名度を生かして高卒・高校生を集客⇒インターン・体験イベントに出席⇒採用まで持っていくことが目的で、サービス利用者の参加費はゼロ。「世の中には能力ある高卒がいるけど、彼らにはチャンスがない。だからそれを与える事業をしたい」なんてのはイケてるけど、これ人材ベンチャーにありがちの「理念だけご立派」なビジネスで終わりそうじゃね?
まさか参加者のスクリーニングをしないはずもないから、まず「優秀」な奴を選抜することになると思うんだけど、そもそも腐るほどいる高卒の中から、どうやって”能力”ある個体を見つけるの?
面接や実績、自己PRなどの評価で選別する場合、「口のうまいマイルドヤンキー」・「人当たり良さそうな美男美女」・「コード書ける引きこもり系陰キャ」の3択になるよね。高卒生の能力をこの基準で判断する場合、マッチングさせる企業は「営業ソルジャ―」「腰かけ一般職」「下級PG」が欲しい会社に限定されていくよね。
大企業の「腰かけ一般職」が都内女子大の女の子たちに浸食されていることを考えると、営業か下級PGかに絞られる。しかし、若い営業ソルジャ―を欲しがる会社は、有形・無形かかわらず粗利の低いプッシュ営業体制の場合がほとんど。下級PGを欲しがる会社だと、永遠のデバック、コーディング要員としてこき使うような委託体制がほとんど。どことは言いませんが。
そうなると、「田舎でくすぶって腐る若者」が、みごと「東京で使い潰される消耗品」に進化する。これが「高卒に夢とチャンスと可能性を与える」ってことなんですかね?ライン工とそう変わんないと思うんだけど。
俺は常々、「ブスでも愛されてるならいいじゃん。仮にブスでも、デートとかしてファッションとかでレベルを上げれば、普通の女からも愛される可能性が出るわけだから、別に好きじゃなくても次へのステップアップの腰かけに使えよ」と思ってきた。
また、「メンヘラとか、最高ジャン。普通にセックスしまくれるし、若くて馬鹿でカワイイ娘に中出ししまくって堕胎も勝手にやってくれて、自分のためにリストカットなんていう一生残る傷をつけてくれるなんて、ブサメンではありあえないくらいのラッキーじゃん」とか思っていた。
もちろん、ブスといってもイロイロあるだろうが、アラサーの下位1%レベルのブス。ジャイコを不潔にした感じ。
ヒゲも残ってるしブスだしデブだし肌もクッソきたない。もちろんスッピン。
清潔感のかけらもない。
で、クッソ頭もおかしくて、良くある覇気の無いキモオタみたいな。
で、まあ、それでも、せっかく積極的にきてくれたんだからと、デートしたんですよ。
あ、そのブスメンヘラは新入社員ね。新入だけど、歳は結構とってる。イロイロ転職繰り返して、俺より上。
そしたら、まあ~酷い。
母親がにくいだの、LGBTがどうだの、自分はそのせいで鬱病になっただの。
いわゆるネットフェミの典型みたいな。そんで、精神科のクスリ飲んでるだの。
まだ知り合って3日目ですよ?
そのくせ、手をつないでこようとしたりするんですね。
嫌悪感が湧きますから、手をつながれそうに成ると、「あ!あれみて!」とか言って手を振り払う。
やたら胸とか押し付けてくるんですわ。
それで思ったことは、『こんなんで、セクハラとか騒ぐんじゃないだろうなこの女?』という恐怖感ですね。
別れ際もやたら、「これで終わり~?カラオケとかどうなの?」とか、どー考えてもやる気マンマン
どうせまた職場で会うんだから、別にいらないやろ。っていうのがあるので、完全に誘ってるんですな。
いや~酷い。
セックス?当然したくないよ気持ち悪いブスとなんて。下位10%くらいの清潔感のあるブスならなんとか抱けるけど、下位1%の不潔なブスは無理だ。
愛され?愛されどころじゃねーよ、単なる母親のメンヘラ憎悪を聞いてほしいだけのサンドバックだし、いつセクハラだと騒がれるリスクあるか分かったもんじゃねえ。
微妙なルックスのデリヘル嬢でしたが、「それでも触りたくなる程度の見た目と性格はある」っていうのだけで感動的でしたわ。
「不細工の客に媚れる風俗嬢ってすごいわ」と素直に関心しましたw
普段は、「金払ってるのに、愛してる縁起もできないとか調子にのってんなー。女はいいよなー体売れば大金稼げてよー」くらいで風俗嬢に愛されない悔しさから風俗叩きしてる僕でしたが、このときばかりは風俗嬢を尊敬してしまいましたw
結論なんですが。
そういう条件ならいいんですが。
ブス(しかも下位1%レベル)でメンヘラ(しかもクソフェミレベル)だと、もう無理ですね。
先日、久しぶりに六本木ヒルズに行った。訳も無く行った。意味も無く行った。そう、私は鬱病だからである。鬱病の俺にはミッションが無い。ただ、この得体のしれぬ病を治し職場復帰する事が現状の課題ではあるが、自身のありとあらゆる妄想が復職への道を拒むのである。まあそれはさておき、主題に戻ろう。そう、昨日六本木ヒルズにあるテレビ朝日に立ち寄った。そこではドラえもんやらクレヨンしんちゃんやらミュージックステーションやら、TV朝日の人気番組の展示ブースが並んでいた。俺は鬱病なりにおとなしくそれらを眺め、又、来場している輩も眺めていた。時は16:00頃だったと記憶している。東京某都知事の釈明会見がオンエアーされていて、暫くブースモニターで観覧した後その奥へ足を運んだ。するとそこには「徹子の部屋」があるではないか!MSのタモリとの扱いとも別格。誰が見てもあの「徹子の部屋」である。そして何やらそのブース入り口に赤いボタンがある。俺は(鬱病だから)何の抵抗も無くその赤いボタンを、クイズ番組の回答者の様にこぶし内側で叩いてみた。すると"トゥールッル トゥルル トゥールッル トゥルル トゥルル トゥールール‐ルール‐ルットゥー "とあのメロディーが流れてくるではないか!!徹子の部屋のブースに等身大の黒柳徹子と思われる人形が腰かけている。そしてあのBGM。俺はこの演出に萌えた。辺りを見回すと20代2人組の女の子が俺の奇妙な行動に微笑んでいた。(俺と同じ事をしたくても、恥ずかしくてやれなかったのだ)そんな周囲の二人のリアクションを見て、俺の鬱加減も急速に冷めてその奥にあるドラえもんのび太のブースに足は向かうのだが、やはり「徹子の部屋」は写メし、離婚した嫁と子供に送信すべきと思い、舞い戻った。すると先程微笑んでいた20代2人組の女の子が、なんと私をアイキャッチしてくるではないか!俺はESPではないが瞬時に彼女たちの気持ちは察し得た。「徹子の部屋の写メ撮ってくれませんか?でしょう?」彼女たちは小さく頷いた。そして俺は「OK!大丈夫よ。実は俺も交換条件として、俺のスマホで同条件で撮って貰いたいのさ!(←俺は独り)」見も知らずの彼女たちは頷いた。そして俺は、照れくさそうな彼女たちを、赤いボタン(BGMが流れるやつ)を数回押しながら、あたかも徹子の部屋のゲストであるかのように演出し、カメラアングルは正面・背面、そして徹子目線で撮ってあげた。「上手く撮れているかわからないけれど、色んなアングルで撮ったから、使えるもの使って」そう言うと二人は「ありがとうございます!」と言ってくれた。そして何より俺はこんな鬱病の俺が誰かしらの人生にほんの少しでも関われたのが嬉しかった。
久しぶりに宇多田ヒカルの「Time will tell」が聞きたくなって、本当はネットからすぐにダウンロードできるのだけれど、一駅分となりのTSUTAYAまで自転車を走らせる。春はあけぼの、とは言うけれど、実際わたしは春は夜のほうが好きである。ふわふわした陽気と、新年度の賑々しい人の声、あたたかな街のネオンは、わたしにまるで夢の中にいるみたいな気持ちをくれるのだ。三月の沈丁花の香りが春のはじまりを告げ、いつしか桜が咲き、そのあとにツツジ。東京都心はいわゆるコンクリートジャングルのようだけれど、よくよく見ると季節感にあふれている。思えばわたしが東京で春を迎えたのは、こちらの大学に入学したときのことで、もう七年も前のことになる。あのとき住んでいたのは久我山で、はじめて神田川遊歩道の桜並木をみたときは、もうなんだか、これからいいことが起こるんじゃないかというわくわくした気持ちになったものだ。たぶん久我山という場所は田舎から出てきたわたしにとっては、適度に自然を感じられる良いところだったのだと思う。井の頭線に乗れば吉祥寺にも下北沢にも行けるし、賑やかさを感じたければ渋谷へもすぐに行ける。東京というところはなんと表情豊かな街なのかと、そのころのわたしは感じていた。七年後のわたしはいまだにそう思っているかというと、ちょっと感じ方は変わってきた。もちろん、一駅一駅表情は違うのだけれど、駅を出て出迎えてくれるのは、同じコンビニ、同じ牛丼屋、同じコーヒーショップと、まるで金太郎飴のようなチェーン・ストアの数々。いまでは部屋の壁紙みたいに思っているが、一時はあの感じにほとほと嫌気がさしていた。まぁしかし、今では地方にいってもどこにでも似たような大型ショッピングセンターがあり、駅前の商店街はシャッターで閉ざされ、という感じなので、あの閉塞感にさいなまれるよりはいくらかマシだろうとは思っている。逆に言うとわたしが東京に住んでいる理由はそれくらいしかない。あとは仕事があるかないかくらいの違いだ。
TSUTAYAでCDを借りたわたしは、閉店間際のスターバックスでドリップ・コーヒーを買って外に出た。歩道の柵に腰かけながら飲むコーヒーはまだ少し熱くて、オトナの男性がウイスキーをストレートでたしなむみたいにちびりちびりと飲むほかなかった。オトナ。あれからわたしはオトナになれただろうか。陳腐な問いである。わたしはコーヒーをブラックで飲めるようになったとか、異性と何人か交際したとか社会人になったとか不倫をしたとか、そういう経験値的なものはそれなりに積んできているが、本質的には何も変わっちゃいないと思っている。ただ、子どものときの、あの何もかも新鮮でわくわくを感じさせるきらきらとした気持ちだけが徐々に鈍く灰色を帯びたものになっていく。それがオトナになるということなら、なんとつまらないことだろうか。大学でつるんでいた友だちは私を除いて皆実家暮らしで、一般職で就職して、さいきんは今の彼氏と結婚すべきか否かみたいなことを口をそろえて言うし、平日は定時に退勤する生活を送り、年に一、二回は海外旅行へ行く。彼女たちの違うところは、付き合っている男の顔と、あとは旅行の行き先くらいで、こいつらもやはり金太郎飴だ。たぶん海外旅行というのは、わたしと同じように何事にも刺激を感じにくくなったオトナたちが苦肉の末に発明した麻薬みたいなものなんだろうと思っている。わたしは表面的には彼女たちと仲良くやっているつもりだが、大学を出てからはなんとなく距離を置くようになった。たぶんわたしのほうが「彼女たちとは違う」意識をしてしまったのだろうと思う。ワタシハアナタタチトハチガウ症候群。実際にはなにも違わない、わたしも金太郎飴の一部なのだ。ただただ金太郎飴であることから逃れたかっただけで。
幸せとは何だろうかということを考えるととたんに頭の中は穏やかではない不安で満ちることになるから、いまではそういうことはもう考えなくなった。ただ、春の花のにおいで季節を感じるとわたしはなんとなくよい気持ちになるし、幸せとはそのぐらいの観念で良いだろうということにしている。わたしはコーヒーを飲み干し、目を閉じて大きく深呼吸した。さぁ、明日からまた仕事だ。そう自分自身に言い聞かせるように自転車のペダルを踏みだした。