はてなキーワード: 時代錯誤とは
dobonkai 4000万稼いだ以降、仕事する気が起きないならその仕事をワークシェアリングでもして長期バカンスにでも行けばいいじゃん。
そんな簡単にシェアできたら苦労しねェよ。
つか1年で4000万の価値を産める奴をバカンスに出してどーする。
税収もGDPも減るぜ?
税金を多く払ったから享受できるというサービスは無い。例外は最近出てきたふるさと納税ぐらいか。
serio 金を稼いでいる人が、より努力をしたり能力があったりすることは確かだ。だが大きな格差が適当と言えるほどの努力や能力の差があるとは思えない。増田は平均より10倍の努力と高い能力があると自信を持って言えるか?
正確に言うと平均より10倍以上の'価値を産み出せる能力のある人間'だがな。
enderuku お前の稼ぎを維持するために低賃金労働者がいるんだからそれぐらい払えよ。自分の腕一本で稼いでる人だったら御免。
お前の鬱憤をここにぶつけるなヨ。
低賃金労働者なんてハコが用意されてなけりゃ、給料以上の価値を産み出せないだろ。
RRD いいんじゃないの、どうぞご自由にやる気をなくしてください。/ハッキリ言って、社会の役に立って、同時にゼニを稼いでる衆なんかほとんどいないだろ。
金持ちに女を寝取られたからそんな妄想を抱くようになったのか?
おめえが受けられる各種インフラサービスは金持ちに与えられてんだから、しっかり感謝しとけ。
出る杭をぼこぼこにしたがるキモチワルイ日本の縮図かよ此処は。
はてなはもっと合理的で感情的にならない場かと思ってたが、糞だな。
そりゃ貧国になりますわな。
知的財産に関わる裁判により、会社倒産の危機を迎えた佃製作所が、たまたま社長の元奥さんのツテで見つけた「神谷さん」なる弁護士の言うことを
何の疑いもなくホイホイ信じ込み、社長自ら社員食堂に全社員を集め「この人は素晴らしい人だ!この人の言うことを聞いていれば大丈夫だ!」と絶叫。
たまたま運良く弁護士が優秀だっただけで、そんな経営者はどう考えてもヤバイ。
倒産寸前の佃製作所への融資を打ち切ろうとする白水銀行を、血も涙も無い冷酷な企業として描いているが、
融資先に「こうしたらどうか」とアドバイスまでしており、それでも言うことを聞かない佃製作所を切るのは
銀行員として懸命な判断だったのでは?笑点の白の口の悪さはさておき、東国原が「ビジネスですから」と言ったのは何の誤りもない。
不良品バルブを帝国重工に持ち込んでしまったあと、「バルブ自体は問題ないって言っているでしょうが!」と
逆ギレするもじゃもじゃ技術部長。そもそも異材納入した時点で管理体制が疑われているのに。
「量産納入となった際にこんなんじゃ困るでしょ」と反論されたらどうすんの。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151019/k10010275101000.html
Q1:わいせつな図画を掲載するのが罪になるというのは当然では?
A1:刑法175条に定める『わいせつな文書・図画』であるならばたとえ大人相手にしか売っていなくとも罪になります。春画がわいせつ物だというなら、春画展の開催自体が違法です。
Q2:18禁ではなく一般の週刊誌がやったから良くないのではないか。
A2:そもそも『18禁の物を未成年に売ってはならない』と定めているのは、『青少年の健全な育成に関する条例』であり、刑法上の『わいせつ物頒布罪』とは別の罪です。
わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。
わいせつな文書、図画を作ったり売ったりすると罪になるということは大抵の人が知っている。だが、この法律が何を目的にしているのかは案外と知られていない。
刑法のこの条文が保護しているのは、性的な物を見たくない人の権利……ではない。
では何を保護しているか、というと。判例上は”最低限の性道徳”である。(この解釈については流石に時代錯誤を指摘する声は複数あるし、筆者もおかしいと思うが前提として現時点ではそうなっている)
わいせつ図画の判例では比較的有名な(高校の公民の教科書にも載っているかもしれない)チャタレー事件で「社会の平均ではなく、あくまで最低限」という解釈が出され、、四畳半襖の下張事件で「その時代に合わせた性道徳」を基準にすることになった。
ついでに言うと、この条文には「18禁などの表示」について定めた部分は無い。18禁などの表示の法的根拠は都道府県の定める『青少年の健全な育成に関する条例』にある。
今の日本で、『わいせつな図画』の明確な基準は”性器を無修正で描写しているか”これだけである。
法律上明記されているわけではないが、事実上そのようになっている。
だからAVやエロ漫画では性器にはモザイクをかけなければならないとなっているし、
逆に性器が写っていないヘアヌード写真集はわいせつな図画には該当しない(から、書店で普通に販売されている。18禁ゾーンの先であることが基本であるとは思うが。)
保護するものはあくまで『最低限の性道徳』であるから絵であってもアウトであり、だからこそエロマンガやエロゲでもモザイクは必要になっているが、十分に抽象化されていればセーフである。
初期のドラゴンボールは悟空のチンコを一応描いているが、アレがわいせつ図画に該当することは価値観の大転換でも起こらない限りは無い。
余談だが、上で例に挙げたドラゴンボールの場合、ブルマの股間部には特段、何かを描いてはいなかったはずである。
”女性の股間部に何も描かない”というのはR-18ではない男性向けちょいエロではしばしば採用される手法である。
BLではその辺どうなっているのかは知らない(筆者が男性であるため)が、謎の光などを描いて男の股間に何も描かなければ、BLでもR-18指定は免れ得るはずだ。
これは無論、”性器をリアルに描いているものは全てわいせつ図画であり、刑法175条違反だから作成・販売自体が違法”ということを意味しない。
当たり前の話だが、医学書は実写で性器を掲載してもわいせつ図画にはならない。
と、まあ医学書ならば流石に目的ははっきりしているが、”芸術”と”性欲”を厳密に線引きすることは困難だ。
悪徳の栄え事件の最高裁判決でも「文学性や芸術性が性的刺激を緩和することはあり得るが、文学性や芸術性がある文書(・図画)であってもわいせつ性があることはあり得る(意訳)」としている。
Q1:エロ同人は?
A1:性器を無修正で描いたらわいせつ図画になりますが、コミケット準備会は警察とほぼ同様の基準に従って修正させています。無修正だと見本誌を提出したときに販売停止になるはずです。
Q3:裏ビデオは?
Q4:無修正の性器が違法でない国からの、インターネットを介した配信は?
Q4:サーバーの所在国の法律で取り締まるのが原則だとは思いますが、正直なところ何ともいえません。
Q5:ろくでなし子さんは?
A5:裁判の結果として芸術性や政治的メッセージがどの程度認められるかは分かりませんが、3Dプリンター向けデータとはいえ無修正の女性器であることには違いないので警察は逮捕したのでしょうね。
A6:流石にアレは性欲を刺激しないという扱いなんでしょうねぇ
法的にはわいせつではない、はずです。春画がわいせつであるなら、掲載した週刊誌以前に、春画展の主催者がわいせつ図画頒布の罪になるはずです。
たまに50代以上のおっさんたちの生きづらさについて考える。
彼らを取り巻く「空気」や「価値観」は、上の世代と比べると、かなりの変動を経験してきたのではないか。
たとえば昔に比べて女性や若者に対する発言は注意を要するようになった。昔は温かみのあるジョークとされていたものが、今は刺々しいセクハラパワハラと糾弾される。
たまらないのはその「間違い」を自分では「間違い」だと思わないところで、なにせそのノリでそれまでの四十年なり五十年なりを生きてきたものだから、ある日唐突にではないにしろ、「おまえの価値観および倫理は間違っている」と指さされて慌てふためくことになる。ことによったら、自分の人生の否定とすら捉えるかもしれない。当然の仕儀とはいえ、かわいそうっちゃかわいそうな話ではある。
とはいえ、社会におけるおっさんたちの何割かは未だにそういう「無神経」を厚顔に振りまいて恥じないし、糾弾されも罰されもしない立場にある。彼らは偉い。ルールを作るのは彼らだ。そういうやつらは、まあ(他人にとっちゃ全然よくないが)いいのかもしれない。それなりに社内のコンプライアンス整備が進んでいるとはいえ、日本はまだまだそういう無神経さを許容しがちな国でもある。高齢化社会。忘れてはいけない。彼らは生まれてから死ぬまでマジョリティの世代だ。
結局、どちらなんだろうか。
おっさんたちは今の社会の空気を「生きづらい」と感じているのか、それとも違うのか。
属してる階層・コミュニティによってもバラつきはあるだろうか、なんとなく、ふんわりと、気になる。
かつては確信していた自分の感覚が「正しくないもの」としてゆるやかに世界からせりだされていく、というのは、どういう感じなのだろう。
タイトルは釣り……というか、広くご意見を頂きたいので、こういうのにしました。
1000万円超なのも40女なのも本当です。
結婚できるものならしたかったですが、おそらく容姿にも性格にも問題があったのでしょう。
自分で積極的に結婚相手を探そうともしなかったのも問題でしょう。
ただ、この歳になって、やはり子供は欲しかったな、と思ってしまっています。
シングルマザーとしてでも、子供を産んで育てるだけの財力はありますし、大企業勤めで産休も育休も取れますが、相手がいないので、どうにもなりません。年齢のこともあります。
ですが最近、周囲の自分より年上の人が初産で子供を授かっているのを見たりすると、ますます諦めきれません。
とはいえ、無理矢理好きでもない人と結婚してまで、子供が欲しいとは思えません。
贅沢なことかもしれませんが、やはり好きな人との子供が欲しいです。
出来れば、今までの彼氏の誰かから精子をもらって出産したいのですが、そんなことって今の時代でも無理ゲーでしょうか。
なんとか実現できる方法ってありませんかね?
元彼氏本人に正面切って頼むのも微妙だし、誰か代理人っぽい人を介しても微妙ですよね……。生命倫理とかの問題もあるでしょうし。
精子をもらえて体外受精できても、自分で産めるかわからないしなー。
最近の、結婚とか子供のコスパ議論を眺めていて、そんなことを考えています。
子供欲しいなー……。
【追記】
こういう話につきものの、卵子凍結についてですが、40歳以上は基本的に凍結の対象外なのです。
なので、こういうことで悩んでる人で、私より若くて、経済的になんとかなる人は、卵子凍結も考えた方がいいと思います。
なお、私自身については、卵子の残り数が朧気ながらわかるAMH検査によると35歳以下程度と思われるので、詳細を検査し、それなりの卵子が採れそうなら、なんとか卵子凍結したいと思って動いています。
【さらに追記】
その理由ですが、
・ご先祖様に申し訳ない的な、時代錯誤な価値観も併せ持ってます。
・自分が好きになった人との子供なら、障害がある子でも、おバカな子でも、愛せると思うのです。自分が好きになった人なんだから、基本、責任は自分にあるわけです。誰の遺伝子かわからない子供を産む場合、何かあったらもう片方の遺伝子のせいにしちゃいそうで恐い。
私のような立場では本当は語れないとは思うのですが、一般的に子供を産む女性は、そういう自己責任論が心の中にあるのではないでしょうか。
・養子については、個人の心情としては、それが犬でも本質的には変わらないと思うのと、他人の子供を愛せる自身がありませんし、未婚の女性が養子を取るハードルにもめげます。
【度々ごめんなさい】
一応、facebookなどで判明しているところでは、元彼氏のうち数人は結婚してないですし、子供もいないはずです。そこらへんをちゃんと調べるところから始めないといけないのでしょうが、そこは普通の探偵でもすぐ調べてくれそうな気がしてます。
【おわりに】
もう読んでる人はいないかもしれませんが……。
お墓を眺めながら、もうこのお墓を継ぐ人はいないんだなあ、
などと考えつつ、何にも考えていなさそうな実家の犬を思う存分撫でてきました。
積極的な選択をして、今の生活があるのではなく、選択をしないできたら、今みたいな生活になりました。
こういうことを書くと怒られるのでしょうが、今の年収については運の世界で、たまたまいい上司と同僚に恵まれたからだと思います。
これだけ運がいいのだから、他に何か望むのは高望みなんでしょうけど、この歳まで優先順位がわからなかったのが悔やまれます。
といっても、運のパラメーター配分は自分では決められないのでしょうけれども。
今さらですが、自分で出来ることはして、元彼氏たちへのアプローチ方法も考えます。
好きな人を新たに作る努力もしてみたいとも思いますが、元彼氏たちのことを考えつつ、同時平行出来るか……。そんな器用だったら、今の状況はなかったかなあ、とも。
若い人たちがもしこのエントリを見ていたら、頭の片隅にこんな生き方はどうだろう、って、少し考えてもらえたらいいのかな、と思います。
今日ソニーのコンパニオンがどうたらってのがホッテントリに入ってて久しぶりに思った。
コアなオタクしかねー組み込み系の展示会にすらコンパニオンいるからなあ。
てめー絶対何もわかってねーだろ的な。
パトレイバーの展示会の回で、コンパニオンに文句言おうとしたらまさかのめっちゃ詳しくて、同僚の女に「コンパニオンですら詳しい時代なんだからお前ももっと勉強しろ」みたいに言うシーンがあったけど、現実は全然そんなことないよね。
ノータリンの女子大生でもできる体のいいバイトにしかなってないんじゃないの?
まあ今回みたいにゲスい男がいるからなくならないんだろうけど。
男客を引くためにコンパニオンを配置してそれに寄ってくるような人間の一人とみなされてることがすっごく不快。
私は小口研磨が大嫌いだ。
こういうことを書くと単なるクレーマー認定されてしまう現状がとても心苦しい。
中古本ならいざ知らず、新品本の小口をガリガリと削るその行為、まったく理解できない。
大体、「ヤケおよび立ち読みで汚れたから研磨して見た目はきれいにします。実際新品です。」とは言うが、それは「再生品」と呼ぶべきではないのか。
私が求めているのは、品質の保たれた新品であり、アウトレット品や、
「本の本質は中身の情報であり、研磨はそれに関係しないから関係ない。」
→私は紙の束で本が欲しいから買うのであって、そうでなければ電子書籍で十分だ。その気合の入った表紙や装丁は一体何なのだ。
→折れは本の内容を損なわないだろうに、ダブスタはやめろ。
最近見た書籍では、本体の研磨にあわせて、表紙カバーも同じサイズにカットしなおしているものもあった。
ここまでやるぐらいなら本を丁寧に扱うことを心がけた方が余計な費用もかからないのではないか。
「日焼けしているぐらいなら、研磨されてる方がいいなぁ」と思う方は、自分で削っていただきたい。
日焼けはよっぽど丁寧に扱わない限り、購入後自宅でも起こりうる経年劣化だが、研磨は勝手に研磨されることはありえないのだから。
---
最近では、出版から一ヶ月そこらで既に研磨されている本も見かける。
研磨されるタイミングの多くは、書店に卸された本が返品された時である。
一ヶ月で返品される作者も気の毒だし、書店は物を売る気が無いのか?
ブームに乗っかって売れそうな本だけ並べてるから、どんどん売れる本が減っていくのではないか?
---
「小口研磨なんて気にしないし、神経質だなぁ。」と思う方もいるだろう。
しかし、「再生品」を「新品」扱いして売る出版と書店が気に食わないのだ。
もちろんそういう制度があることは知っているが、その制度があること自体が気に食わない。
shigeto2006 やはり東京五輪は返上されるべきである。メダル競争でスポーツナショナリズムを煽ってきた各国政府のみならず、IOCの罪も極めて重いが、五輪そのものが時代錯誤のイベントなのだ。 20 clicks
haruhiwai18 "(金メダルを)30個取れと厳命している。取れなかったらクビになる人が出ると思っているが、そのくらいの気持ちがないと" →まずテメー(と文科省の大臣以下の連中)がクビだ(こなみ/五輪精神とは何だったのかw
kowyoshi 100人中450人が「クビになるのは遠藤利明だろうなあ」と思う案件>私は(金メダルを)30個取れと厳命している。取れなかったらクビになる人が出ると思っている 自民党 オリンピック 遠藤利明 23 clicks
今年のどこ高校がどう、って話がしたいわけではない。
はてなーをはじめネット周辺はなんだか高校野球が気に入らないみたいだから、それを否定したい。
たしかにね。今年はまれに見る猛暑であんな暑さの中屋外競技をやるなんてトチ狂っていると思うよ。
しかしそれに対して、ドームでやれだ、夏はやるなだ、ただの少年ポルノだ、老人はエアコンの効いた部屋で見やがって、だ。
本当に残念。自分にとってどうでもいいことには平気でとんでもない悪口を放つ。醜悪以外のなにものでもない。
私は高校野球に限らず屋外競技は何度以上になればすべからく中止すべきだと思う。
なんだ、ドームでやれって。地区大会でドーム使えってか、無理だ!アホが。
それこそ甲子園しか見てねぇだろうが。アホが。アホが!陸上だってこの時期がインターハイだっつうの。ドーム無理だろ。
夏はやるなって、夏休み以外にやったら勉強できねぇだろうが。全員がスポーツで食ってくわけじゃない。勉強なくしてどうすんだ、
アホが。一回でも見に行ってみろ。
そらぁスタンドで見てるだけでも辛い猛暑だわ。温度制限儲けるべきだわ、ってわかるぞ。5分で無理。
大雨なら中止にするくせに大晴れは中止にしないなんて時代錯誤だわ…暑いわ…。
とんでもなく面白いゲームが展開されてるんだ。もうそんなこと暗黙の了解だけど、プロの野球とは全然違うぞ。
どんでん返し当たり前、応援してる側も熱気がハンパじゃない。
今般の安保法制そのものが、合憲かどうかといった議論はひとまず脇におく。
すくなくとも今までの憲法解釈はなんだったんだ、という気持ちにさせるのは確かだ。
が、落ち着いて考えればそれに対する批判の程度の低さがあまりに目に余る。
これでは、本気で法制化を阻もうとなど誰もしてないのでは、野党は論理的な反対などできないと割り切って政権攻撃のプロレスをやってるだけなのではと勘ぐりたくもなる。
以下、いくつか例をあげる。
数に訴える論証。もっとも基本的な詭弁のテクニック。「これこれこういう理由で違憲だ」という論理に説得力があれば大多数かどうかなんて関係ない。
しかし新聞紙面やその他報道で焦点があたるのはもっぱら数だ。読者もそれにしか注目していない。
こんなものを根拠にしたら国会議事堂の議員たちの数に訴える論証に反対できないことになる。
恐怖に訴える論証。もっとも安全保障というものは恐怖から逃れるためにあるのだから、安保法制自体が恐怖に訴えることによってなりたっているのではないか、という反論はありえる。
だが、まあホルムズ海峡が機雷封鎖されたら困るしそういうときに自衛艦が能力としては掃海できるのに法的にできないのは困るよねとかってのはわかるけど、安保法制を通したら徴兵制になるってのは論理のつながりが俺にはわからない。
ということになるのだが、一体どんな成り行きでそんなことになるか想像がつかない。
まずは、かつてソ連の着上陸侵攻が差し迫った危機として語られていたころにも徴兵制などまじめに議論されていなかったことを思い出すべきだ。
こんな軍事情勢の根本的変化がわが国の国内法制ごときが原因で起こせると本気で思っているのか?本気で信じている人がいるとしたら、日本ってそんなにえらいんだっけ?それこそ日本が中心に世界が回っていると思い込む誇大妄想というものだろうといいたいところだ。
むしろ、そんな種類の軍事的情勢の変化は日本人を守ろうとした米軍を自衛隊が見殺しにして、米国国民が日本など知るかとなったときにこそ起きるんじゃないかと思われてしかたないところだ。
こうしたことを踏まえると、より不合理でより悪質な詭弁は「安保法制→徴兵制→怖いヨー」論だと少なくとも個人的には思う。
(( 時代錯誤というか懐古趣味のじいさんが「近頃の若いモンは軍隊にいかないからしつけができとらん」とか言っていたのが今では懐かしいが、そんなものはまじめな議論とは呼べない。そう思うんだったら自分の孫を自衛隊に入れればいいだけの話だ ))
感情に訴える論証。大体、どういう状態だったら日本は米国の植民地でない、属国でないと言えるのだろう?
国際政治というものは相互の関係や力の大小があってあるときは言い分がとおり、あるときは通らないこともあるのは当然ではないか。より大きな力があればより多くの言い分を通せるだろう。わけても特別におおきな力を持っているのが覇権国家や超大国と呼ばれる国なわけだ。そうした超大国さえ、政権がふらついていたりすると時としてわが方の要求を飲まされたりする。
我が方の言い分が通らない場合や相手の言い分を受け入れる場合、相手に協力する場合のことだけをことさらに取り上げてやれ属国だ植民地だだのと言い張っていては、国際関係など成り立たない。どうしてもそういう主張をしたいのなら、どういう点でどのように我が国の主権がそこなわれ不当に不利な条件を強いられているか論証すべきだろう。その論証に納得がいくならば俺も安倍総理を売国奴と罵ろうでは無いか。
確かに日本は覇権国家でないし、核武装もしていない。そりゃまあそういうことをしたら胸をはって独立独歩と言えるのかもしれない。
でも、そうなりたいの?やっていいの?
こういう主張は、日本よ21世紀の覇権国家たるべし、とか核武装なくして独立なしといった危険な主張と紙一重と知るべき。
どうせ「あそこの国はこうだ、こうしてる」といったことを言い出すのだろうが、日本は日本なのだから、どこそこの国を真似しなければならんということになるならその国の属国か植民地ということになるだろうに。
ソ連があった時代からの論法だけど、カビ臭すぎる。愚民をアジるにしてももっと洗練された技法を勉強するべきではないか。
以下、追記。
軍事力だけで中国の脅威を食い止めることができないということと、中国の脅威から日本国の権益を防衛するには軍事力が不可欠なことは矛盾しない。
要するに反論になっていない。
前提が変われば、結論も変わる場合があるのは当然というものだろう。
この論理はソクラテスが人間である場合に限り有効なのであり、ソクラテスが犬のぬいぐるみのことだったり、不死の神だったなら異なる結論が導かれえるのは当然では無いか。
要するにこれも反論になっていない。
たとえ話というのは、抽象的な議論を身近な物事との類推で理解を深めるために用いる技術である。
「軽い」のは当然であって、それを「軽すぎる」などと非難するのは、要するに理解が深まってはこまる。国民の理解が進んだら自分たちの言い分のばかばかしさが明らかになると思っているのだろうか。
あるたとえ話が不適切だと難ずるのならば「軍部隊を個人になぞらえると、こういう場合の類推がうまくない。誤解を導く虞がある。けしからん」とやればいいのであって「軽すぎる」などというのは首相のたとえが「わかりやすすぎる」と賞賛しているのに等しい。
なんといえばいいのだろうか。どれもこれもため息がでるとでも評する他ない。こんなレベルの反論しか本当にできないのだろうか?
松信章子
最近、心底残念に思った事件は、田中元外相の涙をめぐるコメントの数々です。小泉首相の「涙は女の最大の武器」という時代錯誤もはなはだしい言葉。改革を唱える小泉さんにしてこの言葉とは、天を仰いでため息をつくばかり。そしてこの発言に対し、バカにされおちょくられた女性側をふくめて、誰も深く追求しなかったことは情けないかぎり。反論しなかったことは認めたことと等しいと思えば、女性側の鈍感さと責任を問われても返す言葉もありません。まして数ある小泉内閣の女性閣僚の誰一人、この侮辱的発言に対し毅然として問題点を指摘しなかったことは残念無念の一言に尽きます。
「私も素晴らしい男性の前で涙を流し『武器だ』といわれてみたい」とおっしゃる川口新外相。百歩ゆずって不用意に出てしまった言葉だとしても、この言葉を聞いて裏切られた気持ちになった女性は多いはず。こういう言葉は、普通、一人前の女性なら絶対に言いたくないほど恥ずかしい言葉だと思うので。まして川口さんには古い体質を引きずった外務省たてなおしに国民の期待が高いのです。それなのに、ボケと突っ込みのようなこの首相お追従の言葉は、古い女性観、社会観を変えるのに何の役にも立ちはしないばかりか、女性は所詮こんなもの、という偏見を女性自らが追認したと同じこと。田中さんにしても、もし涙を「武器」として使ったのでなかったならば、小泉発言にきちんと異議を申し立てるべきではなかったでしょうか。どこぞのパーティに呼ばれた、呼ばれなかったという話より、こちらの方がよほど重要な問題です。なぜならこの問題は日本社会のゆがんだ女性観と深く関わっているので。これぞ本質的な「スカート踏みつけ」発言だと思うのですが。
いったい、女性の涙は何に対する武器なのですか。はっきりさせてもらいたいものです。田中さんの涙は小泉首相の決断に何らかの影響を与えたのですか。そんな様子はチラとも見えませでしたが。小泉さんは自分にとってなんら「武器」と思っていない田中さんの涙を「あの人は武器として涙を使っている」とおもしろおかしく論理を捻じ曲げることで、問題の本質をそらし、ワイドショー的な全く次元の違う話におとしめてしまったのです。ワイドショー的な事件となったために、田中人気が盛り上がり、小泉さんは墓穴を掘ったような結果になったのは皮肉としか言いようがありませんが。まったく演歌の世界じゃあるまいし、公の場で女の涙が本当に武器として有効であるならば、話は簡単。私たちは女性を一万人くらい国会の前に召集し、みんなで泣いてやろうではないですか。政、官、財をもっぱら牛耳ってきた男たちが作り上げた日本社会の構造的問題と無責任体制を嘆いて、泣き女に変身するくらいはお茶の子さいさいの話です。
泣くのは女だけではありません。男ももちろん泣きます。そう、鈴木宗男氏は、田中元外相よりもよほど派手に泣いたではありませんか。田中さんは「武器」として涙を使い、鈴木さんはそうではなかったと言うのでしょうか。あの二人の涙が、不随意筋の作用によるものであったのか、あるいは意図的な「武器」であったのか、真相は誰にも分かるはずもありませんし、どちらでもいいことです。首相たるもの自分の閣僚が大泣きをしようが、ウソ泣きをしようが、そんなことは一切無視すべきだったのです。それが「武器」を無効化するのに一番有効な手であるはずですから。そして、一国民として言わせていただければ、どんな涙を流そうが、涙だけであの二人に対する評価に何の変化もありはしないのです。
問題は「女の涙」のみ特別視されることです。そして「女の涙」を特別視し、それが「武器」だと思っている男の考え方なのです。いや、もしかして本心は「武器」とすら思っていないのにもかかわらず、「武器」だと言い張っているだけかもしれません。いずれにしてもこういう言葉が、公の場で国の指導者から出るということはなんとも許しがたい話です。なぜかと言うと「女の涙」発言の裏には「女は感情の動物で論理的ではない」、そして感情に訴えられたら「論理的」であるべき男は太刀打ちできない、といった思想が流れているのは明らかですから。小泉首相的な発言は、極論すれば「涙」くらいしか、女は男とわたり合う能力がないと言っているのと同じこと。まったく、小泉さんの女性閣僚は本心ではどういう気持ちでこの侮辱的発言を聞いたのでしょうか。そして、この偏った視点を全然問題にしなかった日本のメディアの鈍感さをいったいどうしたらいいのでしょうか。
残念ながらゆがんだ女性観は社会に蔓延し、仕事場であれ家庭であれ、日本の女性が始終直面している問題です。ですから、言葉尻を捕えているように思われようとも、「涙は女の武器」発言にきちんと異議を申し立てないわけにはいかないと思うのです。なぜって「女は感情的だ」という思想の延長線上には「だから、女と一緒に仕事はしづらい。女は仕事には向かない。女が組織をまとめるなんてとんでもない。」というような思想が展開するのはごく自然のことですから。女性が心しておかなくてはならないことは、こういう考え方は男性にとっては古着のように馴染んだもので、違和感なく受け入れやすい結論だということ。そして、こういう言葉は無意識のうちに、女性自身の視点、考え方にも影響を与えてしまうということです。でも、涙が「女の武器」だと信じられている間は、私たちは「泣く子と地頭」なみに厄介な存在だと思われていて、決して一人前の人間として対等に扱ってもらっていないと言うことをお忘れなく。まかり間違っても、涙を「武器」に社会をわたっていこうなんて思っても、必ず馬脚をあらわして、人の尊敬を勝ち得ることはまず難しいということもお忘れなく。
爆笑問題のニッポンの教養 動画 「女と男“仁義なき戦い” 上野千鶴子(女性学)」
http://veohdownload.blog37.fc2.com/blog-entry-10689.html
番組開始して10分すぎても、上野さんがおもしろいことを言わない。
爆笑問題の2人は番組のホスト役だから聞き役となって、ゲストの上野に好きにしゃべらせている。テレビ番組としてだんだん困ってきたという感じになってきた。主役の上野は自分のテーマの提示として冒頭は好きに話していて、爆笑問題の太田も田中も相づちを打つような感じであるにも関わらず、とくにおもしろいことを言わない。男はもろいよねえ、とか、男どうしの張り合いはムダだよねえ、とか、その程度の話に終始していた。
これが日本のフェミニストの大家なのか、という脱力感だった。というのは、自分は今まで本らしい本を読んだことがなく、ここ3~4年で社会評論の本を読むようになって、誰がスター選手なのかをだんだん把握しはじめているところだった。上野の本も何冊か読み、重要ポジションにあることを知るようになった。上野は、紅白に出る北島三郎や和田アキ子みたいなランクにある。それを知ってから、上野に絡むネット情報で、この番組の存在を知った。実際に放送されてから数年経って見たことになる。
10分過ぎたところで上野は、秋葉原事件の例をあげ、ネットのコミュニケーションを否定してみせた。秋葉原事件の犯人は、自分には恋人がいない、恋人がほしいということをネットの掲示板で訴えてた。それはダメであると上野は言った。
ここに太田はやっとというか、反論する場面を得たような感じで、ネットの会話が何が悪いのかと言う。
ネットの書き込みがダメだと言うのは、明らかに時代錯誤である。ここが上野のつまづきだった。単に古い人間だったことが露呈してしまったのだ。ブログもいいし掲示板もいいけど、LINEはダメだというような、新しいものを怖がる素朴な大人のひとりに大幅にランクダウンしてしまった感じになった。
自分は、『秋葉原事件 加藤智大の軌跡』という本を読んだことがある。http://www.amazon.co.jp/%E7%A7%8B%E8%91%89%E5%8E%9F%E4%BA%8B%E4%BB%B6-%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%99%BA%E5%A4%A7%E3%81%AE%E8%BB%8C%E8%B7%A1-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E5%B2%B3%E5%BF%97/dp/4022617667
加藤智大は、実生活での友人もおり、女友達もいた。また、男女関係ではないが、女友達の家に泊まったこともある。風俗にも行っていた。ゲームやネットもやる。非モテではあるが、引きこもりではないし、それほど不利な立場にいたわけではない。異常な母子関係が問題の核で、ネットの問題は二次的なものだと映った。
爆笑問題のふたりは、どちらもかなりの元非モテで、それが上野のとって相性が悪かったようにも思える。
上野は、男のここがダメだ、あそこがダメだ、ネットはダメだ、男は変わるべきだ、男は生身の女と会話しろ(直接の声掛けとか電話とかになるのか)というばかりだった。論理を言わない。論理を聞きたいのに。
ここに、田中がついに反論してしまった。太田が吠える役なのに。男に変われと要求しているが、ジャニーズ事務所にキャーキャー言う女の子を見ても、女の子のほうだって何十年も何も変わっていない。フォーリーブスからたのきんトリオから光GENJIのように。田中は、自分の背が低いことをコンプレックスに思って育ってきて、モテる男性に女性が寄っていくという場面をみただけで傷つくという主張をした。これに対して、上野は説得力のある話を展開できなかった。
上野は、自分は弱いとカミングアウトしている男性には、歯がたたないということだったのか。強がっている男を叩くことには長けていても。
爆笑問題のテレビ番組に出るということは、視聴者層がだいぶ違う。文化人にとって、実質的なテレビデビューに近いと思う。文化人しか出ないの討論のテレビ番組は視聴率が低く、何十年もテレビに出ていても認知度が大したことがないと思う。ここでコケたのは、ダメージは大きかったのではないか。
番組のロケ場所は、秋葉原のメイド喫茶だった。そこに上野は、AKBみたいなミニスカートの衣装を来て登場した。メイド喫茶で喜ぶ男はダメだということも言った。自分が嫌いなものをただ並べているだけで、これではマズイ。秋葉原のメイド喫茶で、秋葉原事件の話を持ちだしたのだから、ロケ場所の指定に上野も関わっていたと思われる。自分の読者以外の視聴者を意識して、媚びてしまったのではないか。
『ためらいの倫理学』(2001年)http://www.amazon.co.jp/%E3%81%9F%E3%82%81%E3%82%89%E3%81%84%E3%81%AE%E5%80%AB%E7%90%86%E5%AD%A6%E2%80%95%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%83%BB%E6%80%A7%E3%83%BB%E7%89%A9%E8%AA%9E-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%86%85%E7%94%B0-%E6%A8%B9/dp/4043707010 という本で、上野は10年以上前から強烈に批判されていることを知った。
上野は、『マルクス主義フェミニズム』という流派であるらしい。他にも流派はあるらしく、アメリカの前衛派は、黒人差別と男女差別を同列に扱い、その派生として、トイレも男女いっしょになるのかという極論もあったらしい。黒人は、レストランもバスもトイレも、席が別だったという理由で。日本にも、脱・上野路線みたいなものがあるらしく、フェミニストどうしでも批判しあっているそうだ。