たまに50代以上のおっさんたちの生きづらさについて考える。
彼らを取り巻く「空気」や「価値観」は、上の世代と比べると、かなりの変動を経験してきたのではないか。
たとえば昔に比べて女性や若者に対する発言は注意を要するようになった。昔は温かみのあるジョークとされていたものが、今は刺々しいセクハラパワハラと糾弾される。
たまらないのはその「間違い」を自分では「間違い」だと思わないところで、なにせそのノリでそれまでの四十年なり五十年なりを生きてきたものだから、ある日唐突にではないにしろ、「おまえの価値観および倫理は間違っている」と指さされて慌てふためくことになる。ことによったら、自分の人生の否定とすら捉えるかもしれない。当然の仕儀とはいえ、かわいそうっちゃかわいそうな話ではある。
とはいえ、社会におけるおっさんたちの何割かは未だにそういう「無神経」を厚顔に振りまいて恥じないし、糾弾されも罰されもしない立場にある。彼らは偉い。ルールを作るのは彼らだ。そういうやつらは、まあ(他人にとっちゃ全然よくないが)いいのかもしれない。それなりに社内のコンプライアンス整備が進んでいるとはいえ、日本はまだまだそういう無神経さを許容しがちな国でもある。高齢化社会。忘れてはいけない。彼らは生まれてから死ぬまでマジョリティの世代だ。
結局、どちらなんだろうか。
おっさんたちは今の社会の空気を「生きづらい」と感じているのか、それとも違うのか。
属してる階層・コミュニティによってもバラつきはあるだろうか、なんとなく、ふんわりと、気になる。
かつては確信していた自分の感覚が「正しくないもの」としてゆるやかに世界からせりだされていく、というのは、どういう感じなのだろう。
SNS見てると20代とか30代でも自覚がないだけで時代錯誤な発言している退化しているような人いるけどね 自覚がない以上どうしようもないとしかいえないだろう
おっさんだけど、昔みたいに仕事すれば良いなんて価値観にふれてくると 仕事以外もみたいな話になると、疑ってかかってしまう。 たぶん、そういう先入観でいつのまにか傷付けてたり...