2015-06-14

涙はおんなのブキとかいいけしゃあしゃあなこと言ってたのは

気をつけよう、言葉落とし穴-「涙は女の武器

松信章子

最近、心底残念に思った事件は、田中外相の涙をめぐるコメントの数々です。小泉首相の「涙は女の最大の武器」という時代錯誤もはなはだしい言葉改革を唱える小泉さんにしてこの言葉とは、天を仰いでため息をつくばかり。そしてこの発言に対し、バカにされおちょくられた女性側をふくめて、誰も深く追求しなかったことは情けないかぎり。反論しなかったことは認めたことと等しいと思えば、女性側の鈍感さと責任を問われても返す言葉もありません。まして数ある小泉内閣女性閣僚の誰一人、この侮辱発言に対し毅然として問題点を指摘しなかったことは残念無念の一言に尽きます

「私も素晴らしい男性の前で涙を流し『武器だ』といわれてみたい」とおっしゃる川口外相。百歩ゆずって不用意に出てしまった言葉だとしても、この言葉を聞いて裏切られた気持ちになった女性は多いはず。こういう言葉は、普通、一人前の女性なら絶対に言いたくないほど恥ずかしい言葉だと思うので。まして川口さんには古い体質を引きずった外務省たてなおしに国民の期待が高いのです。それなのに、ボケ突っ込みのようなこの首相追従言葉は、古い女性観、社会観を変えるのに何の役にも立ちはしないばかりか、女性所詮こんなもの、という偏見女性自らが追認したと同じこと。田中さんにしても、もし涙を「武器」として使ったのでなかったならば、小泉発言にきちんと異議を申し立てるべきではなかったでしょうか。どこぞのパーティに呼ばれた、呼ばれなかったという話より、こちらの方がよほど重要問題です。なぜならこの問題日本社会のゆがんだ女性観と深く関わっているので。これぞ本質的な「スカート踏みつけ」発言だと思うのですが。

いったい、女性の涙は何に対する武器なのですか。はっきりさせてもらいたいものです。田中さんの涙は小泉首相決断に何らかの影響を与えたのですか。そんな様子はチラとも見えませでしたが。小泉さん自分にとってなんら「武器」と思っていない田中さんの涙を「あの人は武器として涙を使っている」とおもしろおかし論理を捻じ曲げることで、問題本質をそらし、ワイドショー的な全く次元の違う話におとしめてしまったのです。ワイドショー的な事件となったために、田中人気が盛り上がり、小泉さんは墓穴を掘ったような結果になったのは皮肉しか言いようがありませんが。まったく演歌世界じゃあるまいし、公の場で女の涙が本当に武器として有効であるならば、話は簡単。私たち女性を一万人くらい国会の前に召集し、みんなで泣いてやろうではないですか。政、官、財をもっぱら牛耳ってきた男たちが作り上げた日本社会構造問題無責任体制を嘆いて、泣き女に変身するくらいはお茶の子さいさいの話です。

泣くのは女だけではありません。男ももちろん泣きます。そう、鈴木宗男氏は、田中外相よりもよほど派手に泣いたではありませんか。田中さんは「武器」として涙を使い、鈴木さんはそうではなかったと言うのでしょうか。あの二人の涙が、不随意筋の作用によるものであったのか、あるいは意図的な「武器」であったのか、真相は誰にも分かるはずもありませんし、どちらでもいいことです。首相たるもの自分閣僚が大泣きをしようが、ウソ泣きをしようが、そんなことは一切無視すべきだったのです。それが「武器」を無効化するのに一番有効な手であるはずですから。そして、一国民として言わせていただければ、どんな涙を流そうが、涙だけであの二人に対する評価に何の変化もありはしないのです。

問題は「女の涙」のみ特別視されることです。そして「女の涙」を特別視し、それが「武器」だと思っている男の考え方なのです。いや、もしかして本心は「武器」とすら思っていないのにもかかわらず、「武器」だと言い張っているだけかもしれません。いずれにしてもこういう言葉が、公の場で国の指導者から出るということはなんとも許しがたい話です。なぜかと言うと「女の涙」発言の裏には「女は感情動物論理的ではない」、そして感情に訴えられたら「論理的であるべき男は太刀打ちできない、といった思想が流れているのは明らかですから小泉首相的な発言は、極論すれば「涙」くらいしか、女は男とわたり合う能力がないと言っているのと同じこと。まったく、小泉さん女性閣僚本心ではどういう気持ちでこの侮辱発言を聞いたのでしょうか。そして、この偏った視点全然問題にしなかった日本メディアの鈍感さをいったいどうしたらいいのでしょうか。

残念ながらゆがんだ女性観は社会蔓延し、仕事場であれ家庭であれ、日本女性が始終直面している問題です。ですから言葉尻を捕えているように思われようとも、「涙は女の武器発言にきちんと異議を申し立てないわけにはいかないと思うのです。なぜって「女は感情的だ」という思想の延長線上には「だから、女と一緒に仕事しづらい。女は仕事には向かない。女が組織をまとめるなんてとんでもない。」というような思想が展開するのはごく自然のことですから女性が心しておかなくてはならないことは、こういう考え方は男性にとっては古着のように馴染んだもので、違和感なく受け入れやす結論だということ。そして、こういう言葉無意識のうちに、女性自身視点、考え方にも影響を与えてしまうということです。でも、涙が「女の武器」だと信じられている間は、私たちは「泣く子と地頭」なみに厄介な存在だと思われていて、決して一人前の人間として対等に扱ってもらっていないと言うことをお忘れなく。まかり間違っても、涙を「武器」に社会をわたっていこうなんて思っても、必ず馬脚をあらわして、人の尊敬を勝ち得ることはまず難しいということもお忘れなく。

2002年5月

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