はてなキーワード: 本の本とは
「◯◯の話をしよう」
「教養としての◯◯」
これらは流行を捕らえているという点で、三流よりは上手を行っている。
いわゆる二流本である。名が示す通りだ。二回目に流れるから二流。亜流ともいうが。
だがこうした流行を搭載するという時点で、もはや本の内容のキラメキは失われている。内容よりも何よりもまず読者に同化しようとし、読者におもねるのだ。読者への献上品だ。
おいしいところを見せて濃い味付けをし、それでサマザマなモノゴトをわかったかのような気にさせ、読者を得意気にさせるのが二流本の本質である。著者は、その対価として金銭を得る。
二流は、いつまでもどこまでも浅いので痛烈な一撃に弱く、個々の反撃に対応できない。
二流本は、大衆に迎合するために存在しており、内容が薄い。結局マス向けに売れるように書いている。売れなくともよいというエゴがどこにもない。マスは三流や四流だからだろう。
和訳本についてもそうだ。もともと一流だった本を二流に見せてしまう。売るためだろう。汚染している。
訳すら捻じ曲げる。間違っていてもよいのだ。売れればよいし、どうせ突合されることもない。
近視眼的で自己利益至上の我欲がそうさせる。長期的に見る力がない。余裕もない。胆力もない。視野もない。そうした訓練も受けていない。
ある著者はいう。出版社に逆らうことはできない。その程度の圧に負けるのだから、大した内容の本ではないのだろう。
お前のところからは出版させてやらんという潔癖さがない。穢れている。腫れ物扱いに耐えきれない。
読者も読者で三流であることに満足している。自分が二流なり一流なりへと上昇せんとする気概が見当たらない。
読者のプライドは、奈落の底の小さな小山の上でケタケタと笑う程度にしか存在しないのではないか。
断っておきたいが、二流本読むべからずという話ではない。
プロ野球の現役ドラフトが去年導入され、一期生で大竹と細川という二人の超成功事例が出た
24本の本塁打を打つ野手と12勝する投手が戦力外一歩手前と言われている現役ドラフトの選手から出たと言うのは、選手会も各球団も想定外だったんでは?と推測する
これにより、選手は環境を変えたら活躍できる!っていうのが証明され、現役ドラフトの意義を示し、当初の思惑であったトレードが活発化…にはなっていないのだ。
今年の動向を見る限り、他所で活躍できそうだけど自球団ではあまり見込みがなさそう…という選手は早めに戦力外にして他球団に行ってもらおうという方針が強くなってる気がするのだ。
今年は戦力外になった選手がNPBの他球団に行って契約がもらえているケースが非常に多いので、元の球団でダメなら他所に行っても活躍できない、みたいな見切りが無くなったのは非常にいい面はありつつ、選手の立場は弱くなった気がしてならないのだ。
または、水面下で各球団に打診があって、トレードが成立しそうにない時は、戦力外にしてよそに流すというルートが確立したのかもしれないという気がしている。一度戦力外になったら元の年俸は保証がされないため、それは選手にとっていいことなのか疑問なのである。
一方で、活躍機会の確保と考えたら、戦力外からの新しい球団でのチャンスとかがあった方がいいのかな、という気もしているので、選手からはどう捉えられているのか非常に興味がある。
情報化社会の黎明期、人同士のつながる量が加速度的に増えていくことで可視化された問題の一つだ。
当時は言葉の響きだけが独り歩きして、本そのものをちゃんと理解できた人は少なかった。
その反応は大きく分けて2つ。
「自分の言いたいことをはっきりと言ってくれた」と肯定的な反応と、「バカとはけしからん。人は言葉でわかりあえるに決まってるだろう。」と否定的な反応だ。
しかし、その反応のどちらもがこの言葉に対して大きな勘違いをしていた。
それは、「自分の話が相手に伝わらない理由は、相手がバカだからであり、そこに越えられない壁=バカの壁があるから」という理解で読み解いてしまったことだ。
「人は自分の話が相手に通じなかったとき、相手がバカだと決めつける性質がある。」ことこそが、本当の意味でのバカの壁の存在を意味している。
しかもこの時、聞き手側にも「自分が相手の話を理解できない時、説明できない相手の方がバカであると決めつける性質がある。」というバカの壁も同時に存在している。
なぜなら、人の理解というものはその人の経験や知識から成り立つものであり、それらが両者に存在していない限りは、お互いが理解しあえるなんてことはありえないからだ。
つまり、相手がバカなのではなく、相手をバカと決めつける自分がバカなのだ。
これについては著者すら気がついていなかったと思う。
だからこそバカの壁の本質を理解できないやつは全員バカだ。という論調であの本は締めくくられていた。
自分の話が相手に伝わらなかった時、自分が「相手はバカだ」と思うのと同時に、相手も「説明がしっかりできないだなんてこいつはバカだ」と思っている。
だから、あの本の本質を理解できなかった人にしてみれば、著者はバカであり、バカの壁なんて概念は無駄なものだと考えられていた。
そうして、著者と読者それぞれがそこにバカの壁が存在していることを証明してしまうという皮肉な構図に至っていたことは、あまり知られていない事実だろう。
そもそも、言語というものはコミュケーションの中でそれほど多くの情報量を持っていない。
人同士がコミュニケーションを行う上では、ボディランゲージや声のトーン、表情、目線などのほうが、伝える情報量はよほど多い。
なぜなら、言語という道具を使い始めた歴史はそれ以外のコミュニケーション方法に比べれば非常に浅く、言語だけで情報を伝えられると思っていることのほうが誤解だからだ。
残念ながらそのことを理解できている人間は少ない。妄信的に言葉で情報の全てを伝えられると思いこんでいる人がほとんどだろう。
ここまで考えてみれば、つまり本当の意味でのバカの壁とは、言語のみで自らの思考や情報を伝えられると思いこんでいるおごりのことであることがわかる。
受け手に置き換えても、言語のみで説明されても理解できるはずだというおごりがそこにある。
今だってSNS上では当たり前のように誤解が繰り返され、真意が理解されることもなく説明も釈明も許されないまま受け手の都合によって勝手に解釈が広まっていく。
しかし、バカの壁の存在を認知できているだけで、人の理解力はまったくもって変わってくる。
情報が理解できない理由を相手ではなく自分に求めることができれば、足りない情報を自ら補うことができるからだ。
自分が理解できなかった理由は相手にあると考え、誤解させた人間を責める行動を取る。
自らのバカを棚に上げて、相手がバカだと罵るだけの野蛮な行為に走る。
ただただ情報や人の人生をエンタメとして消費するだけの、消費行動のみだ。
声高に批判する相手そのものに成り下がるというのも、バカの壁に見られる特徴的な行動の一つだ。
果たしてはてなユーザーに、バカの壁を越えてこの内容の真意を理解することはできるだろうか。
結局はこうして、バカの壁の話をする度にそこにバカの壁を可視化させることでしか存在を理解させることは不可能なのだろう。
今一度一人ひとりが自らの心にそびえるバカの壁の存在を見直すべきときに来ている。
人にはバカの壁が存在していて、相手に話を理解させることも相手の話を理解することもそもそもできないのだ。
だからこそそのまま情報の一つとして受け止めて、その情報を役立つものへと活かしていく。
それができる人だけがバカの壁を越えた向こう側に行ける人なのだろう。
これすらできる人にはとっくにできていることで、できない人だけがバカの壁の内側に取り残されているという皮肉でしかないのだが。
いまのはてなを憂い、向こう側に行きたい人にだけ届いてくれることを切に願う。
※蛇足
かつて士郎正宗氏は無知の知ではなく「不可知の知」であると置き換えていた。
人は何かを知れば知るほどに、知ることができないことを知るのだという。
そしてその時の自分は、それがコミュニケーションにおいても同様なのだと悟った。
どれだけ理解を深めようとも、最後まで理解することも理解させることもできないのだと。
それならば、そもそも理解を深めることだけを目的にすることはナンセンスである。
そこには最後まで取り払えないバカの壁があるのだから、相互理解はそこそこに、目的や行動を優先すべきだと悟ったのだ。
そこに少しでもヒントがあれば吸収し、利害がなければ自分には関係のない情報なのだと切り捨てるようになった。
確かコミック版攻殻機動隊のあとがき(BLACK MAGIC M-66だったかも)だったと思うが、他にも人生は螺旋階段を登るようなものだとか、士郎正宗氏の哲学の一部を垣間見ることができてとても興味深かった。
anond:20180906170906 ←「消えた2時間 」を最初に読むと良いデス。
2018年秋の国会で、なし崩し的に成立してしまった日本サマータイム法への対応は、
遅々として進んでいなかった。
2019年6月のサマータイム導入テストは、延期に延期を重ねて、遂に年内に実行されることは無かった。
対応させるべき機器があまりにも多く、対応済み機器と未対応機器との間の膨大な組合せ数の通信テストは計画段階で既に5年掛かると予想された。
つまり・・・ピンチはチャンスとの森会長の言葉も虚しく、ピンチはピンチのままだったのである。
2020年1月 首相官邸 では、サマータイム実施の無期限延期について最終決断をするべく議論が続いている中、
サマータイムを強行に進めたい議員の一人が、京都大学理学部の年老いた教授を連れてきた。
その教授の名は秋月伸治郎といい、半世紀にわたって宇宙時間物理学を研究しているその分野の権威とのことだった。
秋月教授の提案は、常人の理解と想像を遥かに超えたものであり、日本列島全体を特殊なエネルギー場で覆い、
日本列島全体の時間の進む速度そのものを速めたり遅くすることで、サマータイムの時刻調整を実現するのだという。
「サマータイム推進派の切り札が、こんなオカルトとはね・・・。笑」
その場にいた誰もが笑い出し、教授を連れてきた議員は顔を真っ赤にして怒りともあきらめともとれる複雑な表情で固まっていた。
秋月教授は気にすることもなく、一言、「論より証拠。見ればわかるから…」とつぶやいて、
助手たちに指示して部屋の片隅に3本の白いポールを設置させた。
2つの懐中時計の時刻が一致していることを皆に確認させたのち、1つを3本のポールの真ん中に置いた。
ポールに繋がったコントロール装置を教授が操作して1分ほど経ったが、何も起こらなかった。
本当に何も起こらなかった…としか思えなかったのだが、改めて、2つの懐中時計を調べてみると、
きっちり12秒差のズレが生じていた。
それからの数時間は、腕時計、目覚まし時計、ストップウォッチ、メトロノーム等々、時間が測れる道具での検証大会となった。
その結果、コントロール装置の設定次第で、ポールに囲まれたエリアだけ1分に付き12秒速く時間が進んだり、逆に12秒ほど遅れさせることが可能であると誰もが認めざるを得なくなった。
秋月教授は、再びサマータイムの実現方法について説明を始めた。
・このポールを大型化したものを日本国内18か所に設置して日本全土をカバーする
・サマータイム開始日/終了日の夜に10時間かけて2時間分の時差を生じさせる
・夜寝て、朝起きると国内の全ての時計が2時間ずれるのでサマータイムによる時刻調整は不要
・早起きする必要が無いので、睡眠不足による健康被害などは起こらない
秋月教授の提案に異を唱える者はおらず、諸々の検討会を経たのち、国会にて全会一致で実施が決まった。
ポールが設置される地域での説明会でも、秋月教授が難解な言葉で煙を巻くようなことはせずに、
分かりやすい言葉で教え諭すように説明されたので、全てが計画通りにスムーズに進行していった。
・時間の進み方に差がでるのは、本質的にはウラシマ効果によるもの(だから健康に影響は無い)
・ポールは虚数空間と呼ばれるある種の亜空間からタキオン粒子を取り出して見えない壁を作り出している
・タキオン粒子は、実空間上の物質には一切干渉せず、数時間で消失する(だから健康に影響は無い)
・タキオン粒子の壁は毎分12秒程度の時間差であれば、魚介類も含めてどんな生物も問題無く通過できる(だから漁場に影響は無い)
・タキオン粒子の見えない壁に包まれた空間は、人間の暮らす実空間上では静止しているが、虚数空間内では高速で移動している
・タキオン粒子の振動数を変えることで移動速度が変わり、その結果、空間内の時間の進む速さも変わる
・移動速度がプラスであれば、時間はゆっくり流れ、マイナスであれば、時間は速く流れる
というものだった。
これらを正確に理解するには、宇宙ダイミュラー時空間における時間平面の扱いを超複素時間と再定義して理論拡張した500ページほどの論文を読めばよいと秋月教授は話していたが、同時に、この論文が理解できる専門家は著者である私しか居ないのが寂しいところだと嘆いていたのが印象的だった。
やがて、すべての装置が設置完了し、個別の作動テストも問題無く終えて遂にサマータイム開始日前日を迎えた。
日本中、それどころか世界中がこの強制サマータイム装置とも呼べる装置の挙動に注目している中、
時刻修正を体験するためだけに来日した観光客も多く、彼らは刻一刻と海外と日本の時間に差が生じる様子に歓喜した。
白物家電メーカーは、時間の遅延現象(≒ほぼ時間凍結)を利用して冷凍庫の代わりにできないかと小型化について相談しているそうだ。
某国軍事部門では、10年掛かる軍用開発を1年で済ませられないか?と日本政府に交渉しているという噂もある。
強制サマータイム装置の原理がもたらす経済効果は予想外に大きく、サマータイム推進を強行した政治家たちはホクホク顔で
夜2時を過ぎると、通信衛星との電波が激しく混信したのち、一切の通信ができなくなった。
「タキオン粒子の壁は、理論上、内と外の時間速度差に応じて光子の一部を反射するが、今の時間速度差では電波をほとんど遮断しないはずなんだが…。天候が曇ってるせいなのか…。また新たな研究課題が見つかったかな」と秋月教授は話していた。
数時間程度の不便は我慢すべきだし、朝になれば復旧するだろうと考える者も多く、大きな騒ぎにはならなかった。
その後も様々な報告が続いた。
・ホットラインが繋がらない
世界に何か異変が起きている。だが、その異変の正体が分からない。
そんな不安が広まりつつある中で、昼過ぎに明石天文台で行われた記者会見は驚くべきものだった。
明石天文台の星野研究員は、計算値に10倍程度の誤差が見込まれると何度もしつこく繰り返し前置きした上で、
「今朝の惑星や恒星の位置関係を観測した結果、一晩で10万年が経過したと思われます」
と報告した。
星野研究員は、恒星間距離による時代推定の原理や、より正確な推定をするには、1日以上、
できれば地球が公転する1年間は観測が必要だと説明を続けていたが、多くの者は上の空で聞いていなかっただろう。
その後、政府は隣国に自衛隊航空機を飛ばしたり調査隊を送り出すことで、速やかな状況把握に努めた。
・新種の動植物が多数みつかる
・宇宙や他の惑星にヒトが移住したという証拠は見つかっていない
さまざまな状況証拠から、一晩のうちに、1万年か10万年かそれ以上の月日が流れていたのは間違いなかった。
食料自給率40%、石油自給率0.4%の日本が諸外国の助け無しにどうやって生き延びるか?
誰もが日本の将来を考え、苦悩する生活は、苦労の連続だが決してわるいものではない。
むしろ、核戦争からの生存に成功した我々こそ勝ち組なのではないか?と言い出す者もいた。
ちなみに、世界の探索と並行して進められていた、この事故の原因究明についての調査は難航を極めた。
10時間分のセンサーのログには何の不自然な変動も記録されておらず、
3年掛けて18本の大型ポールを細部に渡って調べ尽したが異常は一切みつからなかった。
事故から5年過ぎた頃、故障時に備えて用意されていたコールドバックアップ用の未通電の大型ポールを
偶然、別の研究者が譲り受けて、細かく分解して状態を記録した時から調査は一気に進展した。
タキオン粒子の振動数を監視するセンサーのファームウェアのCRC値が、18本の本番機の記録と一致していなかったのだ。
ファイルサイズも更新日も同じだから、不揮発性メモリの劣化による単なる読取り間違いでは?
だが、その研究者は高度に難読化されたファームウェアのコードを手作業でデコンパイル(解読)することに成功し、
ファームウェアに仕込まれた精巧なトラップの挙動を明らかにした。
・トラップの発動は、サマータイム開始日の午前2時から2時間だけ
・トラップ発動中は、センサーの入力値を無視して、過去2時間分の入力値をランダムに出力する
・発動から2時間後、ファームウェアは自分自身を正規のファームウェアに書き換えてトラップの痕跡を消す
つまり、タキオン粒子の振動数を監視するセンサーはあの日の午前2時から2時間だけ機能不全となり、
その2時間の間は振動数が制御できず、日本国内の時間はほぼ止まったまま、外の世界では10万年が経過した…。
誰がいったい何の目的で、いつどこでどうやって悪質なファームウェアを仕込んだのか?
結局、肝心なところは分からずじまいで、事故原因はセンサーの不良として報告され、調査は正式に終了した。
私がこの話を耳にした時、脳裏にふと何かがよぎった…気がした。
あれ?これって・・・?
事件の真相に繋がる何かを思い出せそうな気がしたのだが、よくわからなかった。
そんなことよりも、私は今夜の夕食のおかずを採ってこなくてはならない。
政府配給の完全食であるペーストフードだけの食事には、もう飽き飽きしているのだ。
せめて、フナの一匹でも釣れれば良いのにと思いつつ、
釣り道具片手に湖に出かけるのだった。(終
おもしろいマンガはだいたい読んでしまったので、風俗堕ちした女だとか、DVがどうだとか、コンビニで安い紙に刷られて売っているB級・C級のタイトルに手を出し始めてしまった。
昔、レンタルビデオ店に並んでいるメジャータイトルをパロったようなパクリタイトルのB級作品たちを見て、こんなの誰が見るんだろと思っていたのだが、まさか自分がそちら側になってしまうとは...。ビデオとマンガというメディアの違いはあるんだけど、本質的なところでは同じだと思う。
それで面白ければいいんだけど、満足感はそれほど高くなく、それ以上に閲覧履歴や最近読んだ本の本棚が汚染されていくのを見るのが嫌になってきた。
私は小口研磨が大嫌いだ。
こういうことを書くと単なるクレーマー認定されてしまう現状がとても心苦しい。
中古本ならいざ知らず、新品本の小口をガリガリと削るその行為、まったく理解できない。
大体、「ヤケおよび立ち読みで汚れたから研磨して見た目はきれいにします。実際新品です。」とは言うが、それは「再生品」と呼ぶべきではないのか。
私が求めているのは、品質の保たれた新品であり、アウトレット品や、
「本の本質は中身の情報であり、研磨はそれに関係しないから関係ない。」
→私は紙の束で本が欲しいから買うのであって、そうでなければ電子書籍で十分だ。その気合の入った表紙や装丁は一体何なのだ。
→折れは本の内容を損なわないだろうに、ダブスタはやめろ。
最近見た書籍では、本体の研磨にあわせて、表紙カバーも同じサイズにカットしなおしているものもあった。
ここまでやるぐらいなら本を丁寧に扱うことを心がけた方が余計な費用もかからないのではないか。
「日焼けしているぐらいなら、研磨されてる方がいいなぁ」と思う方は、自分で削っていただきたい。
日焼けはよっぽど丁寧に扱わない限り、購入後自宅でも起こりうる経年劣化だが、研磨は勝手に研磨されることはありえないのだから。
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最近では、出版から一ヶ月そこらで既に研磨されている本も見かける。
研磨されるタイミングの多くは、書店に卸された本が返品された時である。
一ヶ月で返品される作者も気の毒だし、書店は物を売る気が無いのか?
ブームに乗っかって売れそうな本だけ並べてるから、どんどん売れる本が減っていくのではないか?
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「小口研磨なんて気にしないし、神経質だなぁ。」と思う方もいるだろう。
しかし、「再生品」を「新品」扱いして売る出版と書店が気に食わないのだ。
もちろんそういう制度があることは知っているが、その制度があること自体が気に食わない。
スワイプだけでフォルダー内の全ファイルを閲覧。すべてのファイルが横に並んでいる。[[参考:m>notes]]のように。
縦にファイルをつなげる。これはファイルのグループ化。これも[[参考:m>notes]]。親となるファイルに独自記法が書かれていればつながる。親子管理用のデータは持たない。(Dropboxなどで他端末にコピー、デスクトップアプリで開いた時に有効になるように相対パスでファイル指定)UI上は記法ではなくファイル選択(親を開いて子を選択・子を開いて親を選択。選択肢にはファイル名によるフィルタリングをしたい。できればファイル内容の全文検索でも。UIは統合できるはず)親を子にすれば子が孫になるように。見た目はリスト、でもデータ構造はツリー。
設定項目に「ホームフォルダー」。その外にも出られる。制限しない。戻れることが大事。
自動命名・自動保存。ファイル名がどうしても付けられないなら適当なファイル名で適当なところに残す。開きやすければいい。
アンドゥ。「キーロガーと併用して」で済ませるのもあり。
起動時のビュー(最小化から復帰した時除く)は設定可能。ビュー別にホームアイコンを作成することも可能に。
モーダルダイアログ排除。またはダイアログ外タップで閉じられるように。
アプリにカーソルキー不要。大きく表示するビューを用意。ダブルタップや長押しで切り替え。文字を打つときには戻るように。でもこれはAndroidに任せるべき。
カーソル位置が分かりにくい上に意図しない位置へ行くのでアンダーライン必須。でもアンダーラインよりも背景色を行ごと変更したほうが分かりやすい。背景に横罫画像も使える。
検索とキーワードハイライトを統合。検索キーワードは検索のたびに追加。検索キーワードの目次生成。置き換えでも追加。置き換えた箇所が強調表示になる。自動的に追加されるハイライトの色はモノトーン。追加されるたびに古い強調表示は弱くなる。操作で別の色に変更できればいい。強調箇所は独自形式のデータにするしかない。どうせ他のアプリでは再生できないのでこのアプリ専用データ。
[[ファイル名(拡張子不要)]]でリンク。最初の「.」以降不要。あってもいい。それで重複が発生したらタップ時にリスト表示。選ばせる。
自動リンク。同一フォルダー内のファイル、ファイルのあるフォルダーからの相対パス、ホームフォルダーからの相対パス、絶対パスに。
ファイルを集めて一冊の本に。リンクを応用、見出し(正規表現で定義)へのリンクを自動生成して1つのファイルに書き出し。1フォルダー内のファイルだけでいい。そのファイルの冒頭には「本」ファイル用の見出しを入れる。その見出しだけの本を作れば本の本、同じプログラムで本の本の本の本も生成可能。設定項目が増えそうなので不要。
1. のあとで改行すると 2. が生成されるような。
タブストップ調整。タブ文字1つで表組み。LTSVが崩れのない表になるような。
スクロールバーには目次を表示したい。ドラッグ中に半透明で画面の右側だけを使って表示するとか。
RIGHT:[[:t/App]]
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