はてなキーワード: 日見とは
ワイは昨日見かけたけど買ってないやで
ありがとうございます。やってます。もう4日見てません。でも我慢している私がそう言う人たちのためにさらに我慢するのはおかしいと思っています。
一旦事務所に戻って他の人に愚痴を聞いてもらってから車で送ってもらおうと鉄骨をよじ登る
プレハブ事務所にたどり着いたはいいけど酔ってて車のドアがうまく閉まらない
飲み過ぎなんだよと怒鳴られて車から下ろされ事務所で寝ることに
テレビで「タリタ リタ」ってアーティストが多くの人の人生を歌っていた
夜中に目が覚めたときはもっと細かく色々覚えてたけどほとんど全部忘れた・・・
そんな悪質同業者の一人がやってきて俺の作業の手際の悪さを見るに見かねたのか新品のすごく使いやすいペンチをくれた
呪術廻戦アニメ最新話まで追いついてしまった(だから嫌なんだよ。アニメをリアルタイムで見るの。ちまちま面倒臭い)
次は何を見るかな…先日見終わったエウレカセブンの映画やAOかな…と思ったが夜中に映画はヘビーだ。
なんか適当なアニメを見たいなー…とAbemaでこのすばなど見ていた。
それも直ぐ終わってしまった為、偶にはネトフリでアニメを探すかと渉猟していたところ何故か黒子のバスケを開いてしまい。
なんとなく見始める。
あまりにも有名作品な為キャラの名前などは知っているが内容は全く分からない
(まあバスケの話だろう。某テニスみたいな奇想天外なことにはならないだろう)
とりたててクセが有るような作品でも無いので楽に見られる。
あと、キャラ名は知っていても声優は知らなかった。これ、メイン二人がジョジョなんだな。
おのけんは芸達者だ。この主人公にガッチリ合わせている。小野友樹はいつもの小野友樹だった。
この作品は3シーズンあるそうなので数日間は見ていられるだろう。
それを見終わったらまた頑張ってエウレカセブンを見ようと思う。
呪術廻戦はもう最新話1話ずつしか見られないから、息抜きとして。
明日はやっと仕事休みだけど天気悪そうだ。ぶっ壊れて修理して貰った電アシケッタを取りに行くことも出来ない。
家にこもってアニメを見て終わりだな。
ほんとに生きててきつい。なんでこんなにきついの。
辛さを吐露しても甘えてるだのお前がしっかりしてりゃなんてこともないだの言われる。
辛さを理解してもらいたくても男が辛いとかふざけんなとしか思われない社会のどこで俺は辛さを履き出せばいいのか、わかってもらえるのか。ともに戦ってくれる人なんかどこにもいない。
仲間探してる時点でなんだかんだ言われるんだろうな。もういいよ。クソみたいな人生だったってだけなんだろ。
周囲から虐待を受け、どうにか振り絞って抗議しても、ふてくされてるだけだろとしか思われないこんな人生なんの意味があるんだ。誰一人俺の話なんか聞いてくれない。
聞いてても次の瞬間昨日見たテレビの話になる。その程度だ。社会にとって男なんか消耗品ですもんね。自我があるように振る舞うほうがおかしいんですよね。
感情なんかいらなかった。こんなのがあるから苦しむんだ。何言われてもヘラヘラしてられる位に感情が死んでりゃ苦しくないんだろうか。
もうなんかいいよ、色々どうでもいいよ。所詮消耗品なんだよね。
きちんと書いてないからわかんないだろうが、女にも言われてんだよ。
フェミニストたちの言うことを一生懸命理解して、こういうことですか、ああいうことですか、と理解を深めていく。
その中で彼女らに実は自分も、、、という話をすると、男なんだから自分でどうぞて終わりな上に、セクハラ親父が女性を傷つけて苦しめるようなことを俺には言うのな。
俺にはそういうのいいんだなぁ、、、
どんだけ辛くても単にいじけてるようにしか見えない人は多いんだよな。
話してもわかってもらえない、求めても見捨てられる、こんなの何年も続けててまだやらなきゃだめ?
あーなんかもういいや、はいはい、俺が悪い、俺が生まれてきたことがそもそも間違い。悪いのは俺、みんな正しい。俺が悪なんです。みんな正義なんです。
どんなに落ち込んでも俺がいじけてるだけ。すいませんね。世界一不幸みたいな顔してて。へこむのがおかしいんでしょうね。
皆さんお強いんですね。
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日本学術会議が推薦した第 25 期会員候補者 105 名のうち、6名が菅総理によって任命されなかったことについて、
明確な理由説明はなく、説明の要求を斥けることは学問の自由の理念に反すると同時に、民主主義に敵対するものであり、
これに断固として異議を唱えます。
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《説明しないこと》こそが民主主義に反する権力の行使(国民に対する暴力)であり、主権者である国民に説明責任を果たすことが
情報公開の制度は古代ローマの時代イタリアの地で芽生えました。イタリア学会としてこれを看過することはできません。
必ず説明責任が果たされることをイタリア学会の総意として要望致します。
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イタリア学会は「日本におけるイタリア学の発展と普及に寄与することを目的としている。」(イタリア学会会則第 3 条)
イタリア学を通じて学び得た知見を社会活動に適用することは、学会の目的に適う実践的行為と判断し、
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菅首相は「(学術会議の会員は)広い視野を持ち、バランスの取れた行動を行ない、国の予算を投じる機関として国民に
理解されるべき存在であるべき」だと述べた。これをテキスト解釈にかけると「国の税金を使っている以上、国家公務員の
一員として、政権を批判してはならない」という意味になる。ここには 2 つの大きな誤謬が隠されている。
学問は国家に従属する《しもべ》でなければならないという誤った学問観であり、国家からお金をもらっている以上、
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学問は、国家や時の権力を超越した真理の探求であり、人類に資するものである。与党に資するものだけを学問研究と
みなすことは大きな誤りである。学問研究によって得られる利益は人類全体に寄与するものでなければならず、
判りやすい例を挙げれば、日本は西洋から数学や物理・化学を始め、あらゆる分野で多大な恩恵を無償で受けた。
万有引力定数や相対性理論を発見したのは日本人ではない。その恩恵と利益を受けながら、その使用料は払っていない。
なぜなら学問成果は全人類の共通善として無償で開放されているからである。
日本国には受けた恩恵を人類に返すべき義務があることは言うまでもない。
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国からお金をもらっている以上、政権批判をしてはならない」というのは手前勝手な考え方である。
公務員は政権の《しもべ》ではないからである。公務員は国民全員の利益のために働く。
政権が間違った判断をすれば、それを国民のために批判することは、むしろ公務員の義務である。
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古代の中国では臣下が君主に行ないを改めるよう諫言することは褒むべき行為とされた。
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翻ってイタリアの地、古代ローマの時代には、時の政権の勝手な振る舞いから国民を守るための公的機関である
護民官が設置されていた。現代の公務員に匹敵する護民官は、時の権力を批判・牽制するために作られた
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次に、菅首相は憲法 23 条が保障している「学問の自由」の意味を理解していない。「学問の自由の保障とは、
学者が学問的良心に従って行なった言動の評価は、まずは学者どうしの討論に委ね、最終的には歴史の判断に委ねるべきであり、
間違っても《時の権力者》が介入すべきではない、ということである。」(小林節慶應義塾大学法学部名誉教授)
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1632 年ガリレオ・ガリレイが『天文対話』を完成させた時、ローマ教会は検閲を行ない、教皇ウルバーヌス 8 世と
ガリレオはローマの異端審問所で証言するよう出廷を命じられ、翌年、6 ヶ月にわたる裁判を受けさせられた。
ガリレオは自分の誤りを認めさせられ、異端審問官の前で研究を放棄するよう宣誓させられた。
そしてフィレンツェ近郊で残りの 9 年の生涯を軟禁状態で過ごすことになる。
教会の決定に疑義を挟むことなどあってはならず、時の権力に反する主張は時の権力の判断によって封殺された。
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「今回、菅首相は、特定の学者の言動について《広い視野を持っているか》《バランスの取れた行動であるか》
について自分の権限で判断した」と告白し、その結果、《国の予算を投じる機関(の構成員)として国民に理解され
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問題は、仮に菅氏が高い実績のある学者であったとしても、同時に、《首相》という権力者の地位にある間は、
そのような判断を下す《資格》が憲法により禁じられているという自覚がないことなのである。
にもかかわらず、高い実績の学者たちが全国から会議に集まるために 1 人につき月 2 万円余の交通費を用意する程度の
ことを逆手にとって学術会議に介入しようとするとは、《選挙に勝った者には何でも従え》という、政治権力者の思い上がり以外の
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私たちが最も問題とするのは、《説明がない》ことである。憲法 63 条は「答弁または説明のため出席を求められた時は、
国会に出席しなければならない」と義務付けている。この趣旨について政府は「首相らには答弁し、説明する義務がある」(1975 年の内閣法制局長官)
と見解を示している。
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しかし、菅首相は官房長官時代から記者会見で「指摘はまったくあたらない」と木で鼻を括った答弁を繰り返して憲法を無視してきた。
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世界で初めて情報公開制度を始めたのはイタリアである。「執政官に就任して(前 59 年)、まずカエサルが決めたことは、
元老院議事録と国民日報を編集し、公開する制度であった。」(スエートーニウス『ローマ皇帝伝』第1 巻「カエサル」20)
それまで国民は元老院でどんな議論を、誰がしているか知る術もなかった。
議員が私利私欲で談合を行なっても、知る由もなかったが、議事録が速記され、清書されて、国民に公開されるようになったおかげで、
貴族の権力は大いに削がれた。隠れての不正ができなくなったからである。
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一方、その時代から 2000 年以上経った今の日本では、安倍政権下で情報は秘匿され、文書は改竄・捏造、削除され続けてきた。
確かに、日本では民草に説明をするなどという伝統も習慣もなかった。江戸城で開かれる老中会義の内容が知らされることもなければ、
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おそらく安倍・菅首相が目指す世界はこうした江戸時代のものなのであろう。人事で恫喝して従わせる手法は、一種の《暴力》とみなされる。
紀元前 5 世紀のアイスキュロスの作品『縛られたプロメーテウス』には権力の何たるかが活写されている。
この劇は二人の登場人物がプロメーテウスを連行する場面から始まる。
プロメーテウスは絶対君主であるゼウスの意向に逆らって、天上の火を盗み、人類に与えたために、
暴君ゼウスから罰を受けて、スキュティアーの岩壁に磔にされる。
この時、彼を連行する 2 人の登場人物の名前に作者の意図が巧みに織り込まれている。
二人は Kra/toj(クラトス)と Bi/a(ビアー)という名だが、ビアーの方は劇中で一言も言葉を発しない。
ギリシャ語でクラトスは「権力」を、ビアーは「暴力」を意味する。無言の暴力を用いて他者を従わせるのが権力であるという寓意である。
ギリシャ語のビアーやイタリア語の violenzaは単に武力による物理的な暴力だけではなく、圧力や強制を意味する。
ビアーのように《説明しない》ことが権力(クラトス)なのである。
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同じく、カフカの『審判』では主人公ヨーゼフ・K は、ある日見知らぬ 2 人の男の訪問を受け、何の理由も告げられず、逮捕される
(この 2 人の男はまさに「クラトス」と「ビアー」を暗示している)。
その後、何の説明もなしに、有罪とされ、「犬のように」処刑される。この小説でも《説明しない》ことが権力であるとして描かれているが、
ソルジェニーツィンの『収容所群島』にはまさに何の《説明もなしに》逮捕され、強制収容所に連行される日常が記録されている。
逮捕するのは決まって深夜である。深夜に訪れることで逮捕者を恐怖させる効果を狙ってのことだが、
また同時に、近隣住民が翌朝、隣人が忽然といなくなったことを知って恐懼するよう仕向けるためでもある。
これが不安をかき立て、恐怖を蔓延させる。いつ自分が逮捕されるか人々は戦々恐々とし怯えるようになる。これによって国民は心理的に権力によって完全に支配される。
つまり、《説明しない》ことこそが権力の行使であり、国民を無力化させる手法なのである。こうして国民は恐怖と不安から権力に従うようになる。
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こうした事例からも民主主義がいかに「説明すること」にかかっているかが判る。
説明と情報公開が民主主義を支える命であり、それを破壊する手段は《説明しないこと》、《情報を秘匿する》ことなのである。
たかが 6 人が任命されなかっただけで、ガリレオを持ち出すのは大げさであり、学者はそうした政治的な喧噪から離れて研究をしていれば、好いではないかと思う人がいるかもしれない。
ましてや一部の学者の話であり、自分たちには何の関係もないと思っているかも知れない。
しかし、問題の本質は、時の権力が「何が正しく、何が間違っているかを決めている」点において、ガリレオ裁判と変わりない。
科学分野の基礎研究の予算は削られ続ける一方で、軍事研究には潤沢な傾斜配分がなされる今の日本にあって、
また軍事研究に手を染めない学術会議の方針を苦々しく思う自民党政権においては、杞憂で終わらないことを心得ておく必要がある。
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実際、すでに文科省は今月17日に行われる中曽根元首相の内閣・自民党合同葬義において弔旗を掲揚し、葬儀中に黙禱するよう、
国立大学や都道府県教育委員会、日本私立学校振興・共済事業団、公立学校共済組合などに通知を送っている。
国民全体の奉仕者である公務員を、自民党のための奉仕者に変えようとする暴挙は許されない。
かつて次のように臍をかんだマルティン・ニーメラーの轍を踏まないためである。
(文責:藤谷道夫)
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ナチスが最初、共産主義者を攻撃した時、私は声を上げなかった。
私は声を上げなかった。
私は声を上げなかった。
ユダヤ人が連れ去られた時、
私は声を上げなかった。
そして彼らが私を攻撃した時、
私のために声を上げてくれる者は誰一人残っていなかった。
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通常の娯楽に加えて、(古代)ローマ人の労苦に満ちた厳しい生活を陽気なものにしてくれるものに、
凱旋式があった。
(中略)民衆は大喜びで拍手喝采していた。だが、部下の兵士たちから将軍に向けて罵詈雑言を浴びせる習わしがあった。
将軍の弱みや欠点、愚行の数々を公衆の面前であげつらうのである。将軍が高慢にものぼせ上って、
自分を無誤謬の神(絶対に正しい偉い人間)だと思い込んだりしないようにするためである。
例えば、カエサルには、部下たちがこう叫び立てていた。「禿げ頭の大将よ、他人の奥さんたちを物色してんじゃねぇぞ!
あんたは商売女(淫売女たちで)で我慢してりゃいいんだ!」1現代の独裁者たちに対しても同じように言うことが
できたならば、きっと民主主義にとって怖いものは何もなくなるだろう。
(Indro Montanelli, Storia di Roma, Rizzoli, Milano, 1969, pp. 141-142)
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「犬儒派(キュニコス派)のディオゲネース(前 400/4 頃-325/3 頃)は、
《何でも言えることだ(言論の自由 parrhsi/a パッレーシア)》と答えた。」
10月28日、女性アイドルグループ・乃木坂46のメンバーである白石麻衣の卒業コンサートが無観客の配信ライブとして行われたが、その際のRakuten TVのトラブルについて書く。
・特典付きチケット(5000円+手数料):Rakuten TVのみ
・一般チケット(3500円+手数料):9つのサービスから選択可能
特典付きチケットというのは、終演後のファンクラブ(※1)会員限定のトーク配信を見ることができたり、コンサート中の掛け声(コール)の音声を送ると曲中で使ってもらえたり、あとで紙チケットが送られてくるなどの特典の付いたチケットである。特典付きチケットはRakuten TVのみの販売(チケット販売は楽天チケットのシステムを利用)、一般チケットはRakuten TVのほか、Abema TV、LINE LIVE、huluといった動画配信系サービスや、ぴあ、イープラスといったプレイガイド系の配信サービスなど合計9つのサービスの中から選ぶことができた。
ファンクラブに入っているファンはかなりの割合、Rakuten TVの特典付きチケットを買ったと思われる。また、一般チケットを買おうとしていた視聴者についても、乃木坂46公式サイトの案内ページでRakuten TVがいちばん上に掲載されていたため、よく使う配信サービスが特にない--といった人がRakuten TVを選んでしまったケースも多いと思われる。これが不幸のもとであった。
コンサートは19時開演予定で、Rakuten TVの視聴用ページに再生ボタンが表示されるのは18時30分。俺は当日18時ごろにRakutenTVにログインし、18時30分になったらすぐに視聴用ページをリロードして再生ボタンを押し、視聴を開始した。画質はデフォルトでは720P、540P、360P、270Pから自動で選択されるのだが、720P固定にして視聴し(※2)、映像が途中で止まることなく最後まで視聴できた(※3)。ということで、実は俺自身はトラブルの当事者ではないのだが、当日見聞きしたことや俺自身の憶測を含めて備忘のために書く
18時40分過ぎごろから、Twitterで「Rakuten TVに入れない」という嘆きが多く観測されるようになった。その中には、乃木坂46を卒業した元メンバーやアイドル雑誌編集者などもいた。そもそもログインができないらしい。開演時間近くになっても事態は解消せず、18時58分に乃木坂46公式Twitterから「開演を19時10分に遅らせる」という告知が出た。しかしその時間になっても始まらず、19時12分、公式Twitterから「もうしばらくお待ちください」という告知が出て、その後19時24分に「19時30分から開演します。RakutenTVでは翌日までアーカイブ残します」となって結局19時30分に開始された。すなわちRakutenTV難民の切り捨て宣言であった。
当然、その時点でもまだ視聴が開始できていない人はたくさんおり、公式の発表によると事象は20時12分ごろに解消されたようである。
その裏で、RakutenTVで視聴できなかった人が、次々とhulu、AbemaTVなどの他のサービスの視聴チケットを別途購入して視聴を開始するという事態となっていた。これについては、もちろん余計な出費ではあるのだが、代替サービスがあってよかったということもできる。他のサービスに流れたことで、Rakuten TVが軽くなったという効果もあるだろう。
19時30分より遅らせられなかった理由としては、公演時間を2時間30分で予定しており、22時を過ぎてしまうと高校生(※4)が出られなくなってしまうという理由が大きいだろう。実際はアンコールを迎えたあと、お別れのあいさつをしたり、手紙を朗読している間に22時を迎えてしまい、高校生メンバーは最後の1曲を披露できなかったのであった。
高校生メンバーのファンは、推しメンが大事な場面に出演できなくなったのを「Rakuten TVのせいだ」と言って悲しんだり怒り狂ったりした。
そもそもRakuten TVは何が悪かったのであろうか。大規模配信イベントと聞いて真っ先に心配になるのはネットワーク帯域や配信サーバーの性能ではなかろうか。ただし、俺の環境では通信は安定しており、視聴を開始できた人はおおむね問題なく見れていたようであった。チケットが売れた数はわかるのだから、その分の同時接続数に耐えられるようなサイジングは計算もしやすく、十分な量確保していたのではないか。
実際に俺はエラー画面と格闘していたわけではないが、ボトルネックは認証周りにあったのではないかと予想する。ログイン処理は購入者のリクエストが全部同時に来るわけではなく、分散してリクエストがくるわけだが、そのピーク時の見積もりを誤った、もしくは考慮していなかった、ということなのではないか。さらに、仮に楽天IDの処理は楽天システム共通の基盤を使っていたりすると、RakutenTVだけではなく楽天本体(?)も含めて方式を検討しないといけない事案だったのではないかと妄想する
考えられる手法としては、開演時間の3時間ぐらい前から配信を開始し、事前番組とか、おまけ映像を先に流しておくことで、ログインのピークを分散するというのがある。これをやっている動画サイトもいくつか思い当たるものもある。ただし、今回は平日の公演であり、仕事から時間ギリギリに帰ってきて急いで見る、というケースも多かったことを考えると、ログインのピークが18時30分から19時の間に集中するのはある程度避けられなかったであろう。
10月29日の午前3時過ぎ、楽天チケットから届いたメールに以下の文章があった
尚、アクセス集中により本公演が開演時間からご視聴出来なかったお客様におかれましては、速やかに弊社およびRakuten TVにて確認を行い、別途改めてご連絡をさせて頂きますので今しばらくお時間を頂ければと存じます。
おそらく、配信サーバの接続ログを洗い出し、購入者のIDと照らし合わせて、それぞれ何時何分から何時何分まで接続していたか集計するのであろう。おそらくそういう用途を想定した出力形式ではないであろうログファイルを整形して集計する作業を必死でやっているエンジニアにはご自愛くださいと言いたい。
なお、この影響はサイト全体に及び、プロ野球パ・リーグ視聴権の年間契約している人がRakuten TVで試合を見られないという事象も発生した。中にはパ・リーグ事務局が直営で運営している配信サイトの1日視聴チケットを別途購入した人もいたようである。
※1 正確にはファンクラブという名前ではないが、便宜上そのように呼ぶこととする
※2 720Pの映像は4Mbpsの帯域を使用するが、住んでいるマンションの固定回線が速いときは200Mpbsぐらい出るものの、ときどき2Mbpsぐらいまで落ち込むこともあり、安定して視聴するために、あえてスマートフォンのテザリングで4G回線を使用して視聴した。転送量は7GBほどだったが、ギガホの残り容量がかなり余っていたので問題なかった。
※3 終演後のトーク配信のなかで、バスに乗って移動しながらトークするコーナーの途中で映像が止まる事態が発生したが、これは映像制作側の中継用機材の問題であって、配信サービスの問題ではない
※4 労働基準法で22時以降の労働が禁じられているのは18歳未満のため、芸能事務所によっては18歳の誕生日を迎えた以降なら深夜の番組等に出演させることがあるが、乃木坂46では18歳以上であっても高校生には22時以降の仕事はさせない契約になっているようである。もっとも、22時の時点で画面に映らなくなればOKという運用なので、その後の楽屋での片付けや着替えも労働ではないかという疑問はある。
もう3年ほど前に辞めた同僚が夢に出てきた
彼はある日突然出社しなくなり、そのまま懲戒解雇された
彼の夢を見たのは2度目
1度目は彼が仕事してるのを見て、新しい仕事を楽しくやっていたのか良かったと思う夢
特に思い入れのあった同僚というわけではなく、それほど親しくもなかった
ただ、目立つ性格ではあり、ちょっと危なっかしいところがあるなぁとは当時から思っていた
何を思って突然こんな夢を見たのかは分からない
僕は20代だが、特別養護老人ホーム2件を丸一日見学した。あまりいい印象を持てなかった。朝決まった時間に起こされて、三食食べて、ちょっとレクリエーションして寝るだけの単調な毎日を送る場所にしか見えなかった。なお、僕は介護士の方をdisるつもりは全くない。むしろあんなに大変な重労働を低賃金でやらないといけなくてかわいそうだし、寝たきりの人や認知症の人に対応していくスキルは本当にすごいなと思う。特定の特養をdisるつもりもない。僕が今回見たところがこういうところだったというだけの雑感である。
食事は人によってはドロドロのペースト食で、色こそ違えど全部同じ食感だし、そもそも口に入れるまで何の料理かがわからない。飲み込めない人は鼻から胃にチューブを入れて液体の栄養剤を摂取するか、胃ろうを作ってそこにペースト状の食べ物を注入するかの2択。これが1日3回毎日繰り返される。
僕の見た施設は部屋は個室だが、個室の中に仕切りのない状態で便器が置いてあった。足腰の弱った老人でもベッドからトイレにちゃんとアクセスできるようにということなんだろうが、正直あまり気持ちよくはない。
レクリエーションも単調で、だいたいはみんなでホールに集まって歌を歌う。スタッフがピアノなりCDなり使うんだが、そもそも歌うことが好きな人じゃないと楽しめない。
認知症の老人が施設から脱走するのを防ぐため、エレベーターはパスワードを打ち込まないと動かない仕組みだった。つまりスタッフは使えるが、老人が単独でエレベーターに乗って他の階や外に行くことはできない。スタッフは老人の散歩の相手はしてくれないので、老人は実質施設に閉じ込められるかたちとなっていた。
そしてなぜか、僕が行った特養は2件とも、居住者同士の交流がほぼなかった。毎日食事のたびにホールに集まってみんなで食事をするのに、友だち関係みたいなものがない。そりゃ廊下やホールに出て行っても話相手がいないんだから居住者は部屋にこもりますわな。どんどん孤独になっていく。外に出るモチベーションもないから足腰はどんどん弱っていく。
正直老人ホームとか絶対入りたくないなと思った。親をそこに入れたくもない。でも、介護疲れや認知症など限界を迎えてやむなく老人ホームを利用する人はいるわけだし、僕の祖父母や両親も将来そうなるかもしれない。僕が見た2件とは違った感じの施設が多ければいいなと思いながら今回は筆を置く。
P.S. 筆を置くと言ったが、一つ思い出深いエピソードがあったので追記。かなり認知症の重い方で、錯乱して「ねえ!!!私さっき天国から帰ってきたの!!!さっきまで天国にいたの!!!聞いてる???」と暴れていらしたので、僕が咄嗟に「そうなんですね、お帰りなさい」と声をかけたら静かになって、寄り添う介護の片鱗を見た気がした。
10年近く前のことになるが、大学の通学路の途中に顔なじみの猫がいた。
白くて毛並みの良いもっちりとした猫だった。だいだい色の柄が頭に小さくひとつ、背中から腹にかけて大きくひとつあった。俺は猫のことをミカンダイフクと呼んでいた。
猫というのは大体そうだが、ミカンダイフクもあるとき急に通学路に現れた。
どこかからやって来て、そこにいつくことに決めたのだろうと思われる。ある家のガレージを根城にしていて、埃をかぶった二輪の上でよく眠っていた。
少なくとも、猫は俺だけになついているわけではなかった。
ある日なんて、小学生くらいの少女に米俵のように担がれて、全く関係のない通りで見かけたこともあった。あいつは何をやってるんだ、と俺は思ったが、友人のいない大学生に撫でられているよりずっと、猫は幸せそうに見えた。
猫はいつも、俺が会いに行くと面倒くさそうにして寝たフリを始め、それでも俺が待っていると、仕方ねえな、という具合にのっそりやってくる、そういう関係性だった。そして、ある日見かけなくなって二度と現れなかった。
それから10年近く経って、俺は30を過ぎて、昨日人生で2回目の胃カメラを飲み、写真のパネルの前で医者に嫌な顔をされた。
「これ、わかります?」
「はあ」
「生検、取っておきました」
「ああ、そうですか」
「あと、これ。こことここ、色が違うでしょう」
「ええ、はい」
「これが気持ち悪くてね…。念のため、ピロリ菌の検査、やっておきましょうか」
「はあ、じゃあ、お願いします」
気持ち悪い、と言われてもな。
要は僕はヤバいんですかね、と聞けばよかったのだが、うっかりしているうちに機を逸してしまった。本当にヤバかったら医者の態度ももっと違うだろう、という気もするが、カメラを突っ込まれた俺が猛烈にえづいていても容赦なくチューブを送ってくる人種だから信用できない。
そして俺は唐突に数年ぶりに、ミカンダイフクのことを思い出した。
猫の寿命を考えれば死んでいる可能性が高いが、どこかで生きていてくれればな、と思う。俺もまあ、いずれは死ぬが、いまはまだ死にたくない。
※保護活動をされている方を否定する意図はありません。猫が飼えないことに対する愚痴です。
数年前から猫を飼いたいと思っていた。
とはいえ、大人になってから自分の責任で動物を飼ったことがないし、いろいろ調べごとが必要だったので、
猫の飼育本や保護団体のブログを読んだり、猫が生活する上での必需品などについて、ちょっとずつ調べた。
猫に限らないが、飼っている人が言うことにゃ、猫を飼ってしまうと生活が一変してしまうらしい。
言葉を使ったコミュニケーションが取れない動物と一緒に暮らすのだから、健康やちょっとした変化にも敏感にならなければ、快適に暮らしてもらえない。
そうなってしまうのは当然だろうな、と思ったし、もしかしたらペットを飼うのはとんでもないことなのかもしれないな、と思い始めた。
それでも、猫と一緒に暮らす夢は揺るがなかった。
それに、気軽に手を出していいことではないとはいえ、やる前から諦めるのはなんだか違うとおもった。
猫は、保護猫にしようと思っていた。
保護団体の活動をちょっとだけ知って、多くの団体はいつもキャパがいっぱいいっぱいで、里親を待っているのだということで、
そのなかの一匹を私が迎えれば新しい猫を保護してもらえるだろうと。
ただ、ネットでもいろいろな方が言及しているが、里親の条件というのは厳しい。
単身者不可、高齢者不可が多く、後は乳幼児がいる家庭や同棲・新婚の方はNGとか。
私もご多分に漏れず、一部クリアできない条件があったりして、そのたびにしょんぼりした。
里親募集の内容に書かれたその猫の性質や健康状態、そして写真を見ながら、うちで暮らしたらどんな感じだろう……
そんなふうに考えては、条件を見てその気持ちはしぼんでいく。その繰り返しだった。
コロナ禍であることも手伝って、あまり譲渡会に行くという気にもなれず、里親募集サイトを眺める日々が続いた。
たまに、条件をクリアしていて希望に合致する猫がいれば、おそるおそる手を挙げてみた。
待てども待てども返信がこないなんてこともあったし、
募集中に怪我をしたらしくいったん中止になってしまったこともある。
「そこまで考えてくださってうれしいです。今回は残念ですが、いいご縁に巡り合えますように」と言ってくださった方がいた。
「本当に室内で飼えますか? 猫初心者ということですから、脱走防止対策について調べてくださいね」と言い添えてくる方もいた。
「自宅に見学に来てもらいたいのですが、今は順番待ちになってます。後日連絡しますね」そう言って連絡が途絶えた方もいる。
このへんでちょっと疲れてきた。これは猫とのお見合いではなく、保護主さんとのお見合いなのだ、ということに気づいた。
保護猫カフェに行ってみて、気に入った子がいれば迎えたいと思ったこともある。
カフェに行ってすぐ「この子ください!」とも言えないので、2、3回通ってみた。
お店のスタッフさんに、「里親希望なんです」と打ち明けて、悩んでいた脱走防止の方法について相談したりした。
そのなかで、スタッフさんは、「今ここの店は子猫ばかりで……譲ってあげられるにはもう少しかかるんです」と仰っていて、
そうか、と納得し、どうしてもこの子がいいという子にも会えていなかったので、しばらくそのカフェに行くのをやめた。
それでもブログを覗いて、名前も顔も見知った子たちを見ながらかわいいなぁと思っていたのだが、
先日まだ譲渡できない、と言っていたのに「子猫の譲渡が決まりました!」というブログの記事を読んで、ため息が出た。
もちろん、常連さんで、猫を飼った経験がある、信頼関係のある方に子猫を譲ったに違いない。
でも、正直に「初心者に子猫は譲れない」とか言ってくれたら、文句があっても納得はできたのに。
なんだか、下手に保護主さんと縁を持ちたくないな、と、申し訳ないが思ってしまっている。
言い方は悪いが、お金のやりとりがある以上、後腐れがない気がする。感情を差しはさむ余地がより少なくなるというか……
無事に決まればいいなぁ……
私は、欲しいものが手に入らないからこうしてグチグチ言っているにすぎないのだけど、
同じ境遇の方がいたら元気づけられるかなと思い、また、自分の気持ちを吐き出すために書いた。
あまりスピリチュアルなものは信じていないけど、こうして私が猫を飼えないままでいるのは、
これから長い時間を共にする別の猫と会うためなのだ、と思わないとやってられない。
はやく猫と暮らしたい…………
夢の中ではいくらか若くて、中学校に通ってた。現実行ってた学校とはクラスメイトも校舎も違うけど。
校外学習でバスに乗って川に行くと、クラスメイトのA君が流されて死んでしまった。
なぜか校外学習の班分けまで時を戻すことが出来たから、Aくんは適当な理屈をつけて学校に待機させた。
そしたらBちゃんが転んで死んだ。1周目では転びかけた時Aくんに支えられて無事だった。
校外学習当日の朝まで時を戻して3周目、A君に「絶対川には入るな。死ぬぞ」と釘を刺し、Bちゃんには「転びやすいから気をつけた方がいい。A君のそばにいて」と伝えたが、Cちゃんが倒れて死んだ。
それまでの週ではBちゃんと常に一緒にいた子だ。
出発直前まで時を戻して4周目、3人と先生に「私は未来が見えますが、今日の校外学習に行くとこの中の誰かが死にます。行くのをやめましょう」と言った。相手にされず、A君が川に流されて死んだ。
バスの中まで時を戻して5周目、だんだん戻せる時間が短くなっている。
焦りながら「今日の校外学習は事故が起きやすいから十分注意して下さい」という内容の手紙を描いてABCと先生に渡した。
今度は邪険にはされなかったが、走るバスの中で立ったまま手紙を読んでた先生がよろめいて転んで頭を打って死んだ。
ここで目が覚めた。
どうすりゃよかったんだ。
最初に言うが、これがそういうタイトルの増田文学で、全部単なるフィクションなんてことはない。紛れもない事実だ。
私は今年で40になる。これはちょっと嘘。±30歳ぐらいの範囲で嘘をついてると思って欲しい。
そこそこ安定した業界の安定した職場で正社員をやっている。給料は良くない。
ぶっちゃけこの仕事は嫌いだ。まず面白くない。労働時間も長めだ。スキルの身につきも悪く同業他社への転職だって苦しいだろう。なまじ安定してるせいで変な人間だけが居着いて、ちゃんと他所で生きていける人間は逃げていく。
こんな妄想にいつも取り憑かれている。
夜中にアイディアをひらめいてプロットエディタに設定を並べて、次の日見たらつまらなすぎて消したことが10回ほど。
それとパロディ小説が流行っていた頃に、真似事をしようと匿名掲示板の書き込み欄に妙なものを打ち込んで5分後に完全に飽きて消したのが3回ぐらい。
ハッキリ言って、この小説を書く以前の行為の段階で自分には才能と呼べるものがないことがハッキリしている。
アイディアは思いつかないし、文章力はないし、情熱も続かない。
小中学生の頃は青い鳥や角川の文庫をよく読んでいたので同級生よりはちょとばかり文章は上手かったが、それでも読書感想文の賞すら貰ったことはない。
ある時提出した宿題の出来が良かったのか論文コンクールへの応募を薦められ、好きにしてくれと教師に伝えたら後日参加賞をそっと渡されたことはあった。惨めだった。
ブログの投稿内容を10年前と見比べると露骨に語彙が減ってきたなと感じる。
そんな状況なのに、私は今でも「私はいつか作家になるのだ。超売れるのだ。そして仕事をやめるのだ」と思い込んでいる。
信じられるかい?
ツイッターで面白い(と自分では思っていること)を呟いた時にいいねが2個ついたら喜ぶような人間が、作家として大成する可能性があるのか?
もうこんな妄想ぐらいしか自分には残ってないからなんだろうな、と。
あまりにも毎日が惨めすぎるから何かしら妄想に縋ってないともう限界なのだろう。
たとえばこれが「仕事で大成功する」とか「エンジニアとしての才能に目覚める」だったりすれば、きっとそれはもっと生々しい実感を伴って日々何も積み重ねていない自分の姿を映し出すことになるのだ。
「小説家になる」というアホみたいな夢だからこそ、本当に何もしてないままでなんとか夢を見続けられているに違いない。
なにせこうやってどうでもいい言葉を書いたり読んだりするだけでも「読み書きの練習」だと言い張れるんだから。
インプットはともかくアウトプットにはそれ相応の労力が必要になる。
昔ネットにプログラマーにもイラストレーターにもなれない奴が小説家を目指すというフローチャートが貼られたが、そのどうしようもなさがいい方向に働いているのだ。
とにかくこの妄想は私が死ぬか、次の妄想に取り憑かれるまで続くのだ。
むしろ、私の人生を貶めるような妄想から私を守ってくれているのがこの妄想と言える。
宗教や薬物や恋愛に人生の逆転を求めてのたうち回らぬようにするためのものだ。
自分の人生に余計な劇物を混ぜ込まれないよう、なにかコントロールしづらいものが始まらぬよう、不活性な夢を詰め込んで空虚なままにしているのだ。
昔2chでみたコピペ「人生を壺に例えるのなら、小石や水を詰めてしまう前に大きな岩を入れなさい」。
あの話における岩を自分の人生に入れることも出来ず、かといって手頃な石を必死に集めて人生の価値を取り繕うのも面倒だから、風船を一つ押し込んで人生を終わらせることにしたのだ。
このままつまらない仕事を続けて、結婚もせず、大した趣味も持たずに死ぬ。
酔生夢死を夢見ながら実際にはそれなりの苦痛を緩やかに味わい続けて命が潰えるのを待っていく。
そのための連れ合いとして必要不可欠だから生まれた夢だったのだと思う。
全て忘れたい。
こんな程度の人間に生まれたことも、生きるために人波の中でゆっくり針のむしろを感じて生きる時代の中に生まれたことも。
何もしたくない。
何もせずに生きていたい。
だけど、いつか何かが起きて生きててよかったと思えるからと自分に騙されてここまで生きて、今更何もなくて終わらせるのは耐えきれない。
それで選んだ夢がこんなものか。
それで結局、何もやっていない、と。
どうすればいいんだ。
駄目だ。
自分で書いて読み返すのもキツい。
昨日見た夢。
都心の高級マンションに友人を招いて歓談しているとヤクザが襲ってきた。なんとか返り討ちにしてそのまま逃走した。瀕死のヤクザは美女に変身すると光の中に消えていった。
途中なんとなく空手道場に行くが停電していたのですぐ出た。外に出たら急に自分のいる場所が箱庭世界だったことに気づいた。なんとなくヤクザの事務所付近へワープした。
淀んだ空の下には製鉄所と団地とヤクザの事務所しかなく、道端には怒声や悲鳴の残滓がこびりついていた。坂道を登っていくとヤクザが騒いでいて、自害するので葬式を手配しろと言っていた。
更に登っていくと建物も人の気配も消え、道がどんどん細くなっていった。登るに連れ両側から崖が迫ってきて、やがて人間一人がようやく通れる程度の幅にまで狭まった。
道の先に目をやるとまばゆい光が放たれていて、その手前に老人が座っていた。自分はその老人がヤクザの親分なのだと直感した。話しかけるとこの先には教会があるのだと教えてくれた。通してくれないかと頼むも近隣住民でないからと断られる。かわりに崖の向こう側へ行くといいと言われたので崖を登る。
崖の向こうは青く澄んだ空と一面の海が広がっていた。砂浜に降りて水をすくうと陽の光をキラキラと輝かせながら手からこぼれ落ちた。海面に目をやると線路が通っているのが見えた。鉄道車両が走ってきて音を立てたところで目が覚めた。